裁縫学校を首席で卒業したサーヤは、グレイベア城を根城に、生地に魔法を込める研究をしていた。ある日、魔法の実態を見ようと、従者兼護衛であるクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
城に戻ったサーヤは負傷兵の治療に使う包帯を織る一方で、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナや同門の医学生であるルマエーテの協力もあり、魔法に関する情報が集まる中、戦線がグレイベア城に到達。最も大事な仕事道具である自動織機を城に残し、北へ向かうことにした。
グレイベア城を辛くも脱出した二人は、ロングヴァルと青壁城の中間地点にある紡織を生業とする村、リュースグリへと身を寄せ、研究を再開する。ある日、不当に魔法の研究をしているとの誤解から、ノーザリア大学より調査団という名の剣士と魔法使いによる武力制圧団体がやってきた。サーヤの体を張った実戦テストにより、試作品に効果があることが判明。誤解も解け、魔法使いによる裏付けも行われ、自信を持ったサーヤは、治療支援と実戦投入を考慮し、ノーザリアの後方部隊が駐屯するグリーンストーン庄へ向かうことにした。
グレイベア城から自動織機を運び、生地の増産体制を整える一方、研究が実を結び、防御と回復、二種類の布が完成した。材料の買い出しも済ませ、いよいよ増産に取りかかる。
「お待たせ」
「お、待ってたぞ。今回は何を作ったんだ?」
もうすぐ日が傾き始めるという頃、私は朝の約束通りもう一度商隊の元を訪ねた。
「一言で言うと、魔法を防ぐ布ね」
「はい?」
包みから若葉色に染まった布を一枚取り出し、両手に持って広げる。
「見た感じはただの緑色の布だな…本当にこんなので?」
「試してみて。魔法道具の一つや二つ、持ってるでしょ?」
「そこまで言うなら…どれ…」
そう言うと彼は袋の中から不思議な物を取り出した。二つの棒が斜めで接合されている。片方は長く、片方は短い。短い方は木でできていて、そこを握るように見える。
「銃は初めてか?」
「実物を見るのは」
「実弾…火薬や魔法の爆発で金属の弾を飛ばすタイプもあるが、これは魔法の弾を発射するタイプだ。魔法が使えなくても使えるように魔力結晶がはめ込んである。まあ、魔力の缶詰みたいなものだな。どれ、体から離して布を広げてみてくれ」
「分かったわ」
右手を伸ばし、左手は右の脇の下に構えて布を広げる。赤い布を広げて牛を挑発する異国の祭りがあると何かで読んだことがあるが、その時の挿絵に似ている。となるとあの銃はさながら牛といったところか。
「じゃあ、いくぞ」
「ええ」
氷結に対抗するのは確認済みだけど、他の魔法はまだ試したことがない。これに成功すれば射撃型の魔法に耐えることがはっきりする。いわばこれも実験だ。
お願い、防いで。
彼は銃の先を布に向け、伸ばしていた人差し指を棒の接合部にある出っ張りにかけた。
直後、おでこの先にあの感覚が訪れると、銃の先から光の弾が飛び出し、布に当たって、消えた。衝撃はあったような気もするし、風に揺られただけかもしれない。そのぐらい軽かったが、確かに魔法の弾は布に当たって消えた。
「………これはすごいな。普通なら素通りして後ろに抜けるんだが…。サーヤさんは魔法は使えないんだよな」
「そうね。からっきし駄目」
「なるほど…。使いこなせれば強力な装備になるな。というか、使いこなす必要もほとんどないのか」
「そうね。ただ、純粋な魔法攻撃だけね、耐えられるのは。魔法で剣を動かすとかそういうのはもちろん防げないし、普通の火で燃えちゃう」
「いや、それにしたってこれは。…うん、わかった。預かろう。何枚ある?」
「ひとまず50枚用意したわ。試作品だから普通の綿布よりちょっと高いぐらいで。材料の値段が見えてきたら改めて値付けする」
「わかった。これ、商品名はあるのか?」
「そうね…。チャームクロスってどう?」
「まじないの布、か。相変わらずセンスないな」
『あいかわらず』という部分が引っかかるけど、ひとまず気にしないでおこう。私には他にやることがたくさんあるのだ。
その後も一言二言やりとりをして、試作品の他に普通の綿布や綿糸を売り渡し、食料や予備のパイプを数本購入する。明日にはここを離れるというみんなに挨拶をして、家路についた。
「ただいま。扱ってくれるって」
「よかったですね」
心なしか声が弾んで聞こえて、私もうれしくなる。
「今回のことで思ったんだけど、ファイアランドには暖かい草とかってある? 魔法が宿ってそうな感じの」
「うーん…そうですねえ…。体が温かくなるという意味ではファイアハーブという香辛料がありますけど、あれは辛いだけですし…。植物そのものが暖かい…というのは覚えがないですね」
首をひねりながら思案するクイナ。
「もちろん、そういう視点で植物を見たことがないので気づいてないだけかもしれませんし、ファイアランドと言っても広いですから。知らない植物もたくさんありますし」
「だよねえ…。そういう植物があれば成分を抽出して染料を作れれば量産が楽なんだけど、やっぱりそこは魔方陣式になるのかなあ」
染料方式よりも誘魔糸を使った魔方陣方式の方が効果のコントロールがしやすく、発揮される効果も強いことがわかっている。最大の課題は魔方陣の開発と、刺繍という手間だ。自動刺繍機の構想はあるようだが、開発には至っていない。刺繍をするためにはとにかく人工が必要なのが現状だ。
染料方式は量産は楽な一方で、染料の素材と調合比率の研究に時間がかかる。素材探しは時間も費用もかかる上に、素材がわかっても入手困難だった場合は採用はできない。
このあたりは、とにかく地道に続けるしかないようだ。
「私の研究の道のりはまだまだ長そうね…」
「布一枚で暖かい魔法の布を作る、でしたっけ」
「そうそう。技術的にはある程度の目処はついたから、あとは魔方陣の開発、素材の調査だけど、そこが一番時間がかかるんだよね…」
「まあ、コツコツやりましょう」
「そうね。とりあえず、魔方陣の研究や素材の調査は一旦凍結ね。今はチャームクロスの増産に専念しましょう」
「チャームクロスって…」
「なによー」
「なんて安直な」という声が笑い声に混じっていたような気がするけど、センスを磨く暇がないぐらい忙しかった、そう自分に言い聞かせることにした。
次の日から工房は大忙しだった。グレイベア城から自動織機を運んできたおかげで生地を織るのは劇的に早くなったが、経糸や緯糸の交換は手動だし、染料は作らないといけないし、ヒーリングクロスの刺繍もしないといけない。染料や紡績はクイナに任せるとしても、刺繍は今のところ私にしかできない。
「こんな状況じゃあ、研究を一旦凍結するというより、研究する暇がそもそも無いわね」
「そうですね」
刺繍の手を止め、目を休めながらつぶやく。そういえば最近視力が落ちてきたような気がする。前に買った眼鏡、どこにしまったっけ。
「それにしても、効果が認められてよかったですね」
「そうね。自然治癒力を多少高める程度、と言うけど、『自然に存在するマナを集めて魔方陣に流す』という技術が成立したのは大きいわ」
「その結果がこれ、ですけどね」
「適度に忙しいことはいい事よ」
会話の合間を縫うように経糸が無くなった合図がチリンと鳴る。
「はいはい、交換しますよー。ちょうどいいからお昼にしましょう。クイナ、お願い」
「わかりました」
織機を止め、糸を交換する。糸の在庫は心許ないけど、そろそろリュースグリから新しい糸が届けられるはずだ。
「あれ?」
届けられると言えば、今日は鷹便が来るはずなのにまだ来ていない。色々やりとりをしていたときとは違い、数日に一回に戻ってるのは確かだけど、昨日は来なかったし、それならそろそろ来てもいいはずだ。
空を眺めようと家の扉を開け、外に出たときだった。
おでこの先にあの感覚がやってくる。
おかしい。私は今、何もしていないのに。家の中でなにかが起こっている…そう思い、家を振り返ると、鳩助が窓枠で暖かそうに日を浴びているだけだった。
それでもおでこの感覚は収まらないどころか、次第に強くなる。
ふ、と、空を見渡すと、東の空から数匹の大型の翼竜がこちらに向かって口を広げているところだった。