流浪の裁縫師 第18話「買い出し」

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前回までのあらすじ

 裁縫学校を首席で卒業したサーヤは、グレイベア城を根城に、生地に魔法を込める研究をしていた。ある日、魔法の実態を見ようと、従者兼護衛であるクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
 城に戻ったサーヤは負傷兵の治療に使う包帯を織る一方で、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナや同門の医学生であるルマエーテの協力もあり、魔法に関する情報が集まる中、戦線がグレイベア城に到達。最も大事な仕事道具である自動織機を城に残し、北へ向かうことにした。
 グレイベア城を辛くも脱出した二人は、ロングヴァルと青壁城の中間地点にある紡織を生業とする村、リュースグリへと身を寄せ、研究を再開する。ある日、不当に魔法の研究をしているとの誤解から、ノーザリア大学より調査団という名の剣士と魔法使いによる武力制圧団体がやってきた。サーヤの体を張った実戦テストにより、試作品に効果があることが判明。魔法使いによる裏付けも行われ、自信を持ったサーヤは、治療支援と実戦投入を考慮し、ノーザリアの後方部隊が駐屯するグリーンストーン庄へ向かうことにした。
 グリーンストーン庄であらかじめ手配していた家にグレイベアから織機を運び込み、量産体制をすぐに整えたサーヤは、いよいよ研究者として最後の戦いに臨む。

第18話 買い出し

 朝日が山陰を押し流していく頃、私とクイナは物干しの前に立っていた。

「行くよ」
「はい」

 クリオブレードを鞘から抜き、夜のうちに乾燥させた布に当てる。
 ある程度氷結を防ぐのは予想していた。
 だが、その効果は予想以上だった。
 一呼吸、二呼吸、三呼吸。今までの染液ならそろそろ凍り始めているのにまだ凍らない。クリオブレードの鞘として使えるんじゃないかと勘違いするほどに時間が経った頃、刃が触れたところから少しずつ凍り始めた。

「完成、ですね?」
「そうね。ひとまずこれだけ効果があれば、当面は使い物になると思う。となるとまずは材料の買い付けを―――」

 計算に間違いが無いこと、予想どおりの物ができたことに安堵したのか、緊迫感のない音が辺りに響き渡る。

「サーヤ」
「はい。おなかがすきました」
「正直でよろしいです。まずはご飯にしましょう」


 朝ご飯を終えると、ルマエーテの方はクイナに任せ、私は近くに来ているなじみの商隊に顔を出していた。

「今あるのはこれだけだ。在庫が少なくて申し訳ない」
「ただのきれいな花だからね。このご時世、観賞用で買う人も少ないからしょうがないわね。気にしなくていいわ」
「次に来るときはもう少し用意しとく。ところで、エルダーグランの別働隊が食料補給を絶つためにここを狙ってるって噂だ。情報の確度は低いが、可能性はある。気をつけた方がいい」
「ノーザリアの戦線は伸びきってるから十分あり得るわね。ご忠告ありがとう。これは情報代」
「お、こんなにか。じゃあもう一ついい情報を。サーヤさんは『止まり木の通り道』って知ってるか?」
「夜更けの森に入り口が~ってやつよね。そういえば戦争が始まってから一度も行ってないわ…」

 止まり木の通り道の宿を営むエマの顔を思い浮かべながら、『止まり木の懐中時計』はどこに仕舞ったっけと、記憶を探る。

「ならちょうどいい。いま『通り道の露店広場』っていう露天が開かれてて人の出入りが多い。もしかしたら探してるものもあるかもな」
「商売敵の情報なのにありがとうね」
「気にするな。ただ、ノーザリアンに限らず、いろんな人が出入りしてるから情報の出し過ぎには気をつけろ。特殊素材の買い付けなら欲しいものだけ買ってさっさと帰るのがいい」
「わかったわ。ところであなたのところはいつまで?」
「悪いが噂の件もあるから明日には移動する。命は惜しいからね」
「じゃあ、夕方またお邪魔するわ。渡したい試作品があるの」
「お、新製品か。最近買いあさってる花を染料にでもしたのか?」
「まあ、そんなところ。詳しい話は夕方に」

 取引を終え、家に戻るとちょうどクイナが戻ってくるところだった。

「おかえり」
「ただいま戻りました。ルマエーテさんは明日にも効果を報告してくれるそうです」
「彼には頭が上がらないわね」
「ところで、いつの間にあんなの完成させたんですか?」

 腰に手を当てて、私は怒ってますよと姿勢で示すクイナ。

「昨日クイナが眠ってからちょっとね。図案はできてたから刺繍しただけだけど」
「そうはいっても結構時間かかりますよね、あの模様。あんまり無茶しないでくださいよ?」
「治療と防御、両方実現したから、研究はしばらくお休みね。作る方に力を注がないと」
「私の言ったこと分かってますか?」

 何を言っても無駄だと悟ったのか、それ以上は言ってこない。

「ところでクイナ。これから買い出しに行こうと思うんだけど、ついてきてくれる?」
「買い出しなら今行ってきたのでは?」
「それとは別のところ。ということで、まずは懐中時計を探します」
「それならあそこの引き出しに入ってますよ」

 躊躇することなく一つの引き出しを指さすクイナ。その指先を握りしめながら「流石ね、クイナ」と声を上げる。

「整理整頓は基本ですから」

 まるで基本ができてみたいなプレッシャーを無視しつつ、引き出しを開けて懐中時計を取り出す。

「あったあった。それじゃあすぐに出発するから準備しましょう」
「え、あ、はい。分かりました」

 クイナが愛剣を装備するのを確認してから、私は鞄とお金の入った革袋を持つ。

「手を握ってくれる?」
「わかりました」

 伸ばした左手を素直に握り返してくる。人の手より固くて張りのある手は頼もしさがにじみ出ていた。
 右手で懐中時計のチェーンを持ち、目を瞑ってかの景色を思い浮かべる。大きな木々に囲まれた小道に宿といくつかの露天。私達の住む世界とは少し時間の流れが違う、不思議な場所。
 ふ、と、気がつくと、さっきまでの静寂は消え失せ、賑やかな声が聞こえてきた。
 まぶたをゆっくりと開く。そこにはいつもの変わらない、いや、少し賑やかな止まり木の通り道があった。確かに、いつもより露天の数が多い。これなら探している物が見つかるかもしれない。

「え、なんですか、ここは」

 クイナが周囲を見渡しながら小声で話す。本能的なのか、右手が剣の柄に伸びている。

「安心して。ここは『止まり木の通り道』と呼ばれる異空間よ。本来なら夜更けの森の入り口から入るんだけど、一度でも入ったことがあれば自由に出入りできるの。クイナは聞いたことない?」
「旅人が迷い込む事がある…というのは聞いたことがありますけど、こういう場所というのは初めて知りました」

 耳も鼻も忙しそうに動かしながら辺りを観察している。

「お土産は後で買うから、ひとまずは素材ね」
「べ、別に期待はしてませんよ」

 この間食べた野マンドラはここの特産品なんだよね、と言おうとして今は内緒にしておく。


 露天をいくつか周り、目的の花を二種類とも手に入れる。これだけあれば、かなりの量の染液を作れそうだ。辺りを見渡すと、私のような買い出しの他にも、旅人が家族へのお土産を買っていたり、技術者が腕自慢とばかりにオリジナルの製品を発表している。大陸の各地で戦争が行われているとはいえ、一般市民には日々の生活があるし、戦地から離れた場所では旅も行われているだろう。ここはそういった人たちにとっての憩いの場になっているのかもしれない。

「これおいしいですよ、サーヤ」

 私の情緒そっちのけで『マンドラ果実の星空ゼリー』をおいしそうに頬張るクイナ。なんだか悔しくなったので、私も『マンドラ果実の星空カクテル』を呷る。ほのかな甘みに、ベリーが生み出す清涼感がほどよく交わったカクテルだ。入っているベリーをかみ砕くとパチパチと口の上で小さく弾ける。スズスイソウはノーザリアでもよく見かけるし、カクテルにも使われているけど、こっちのベリーはどこで手に入るのだろうか。
 カクテルをまじまじと見つめていると、サーヤがこっちを見ていることに気がついた。その目はどこか優しげだ。

「どうしたの?」
「ノンアルコールにされそうになってるのを思い出してただけです」

 今にも笑いそうになり、口元を押さえるクイナ。そりゃあ、私はクイナよりだいぶ小さいけど、私の方が年上だし、思い出し笑いはないんじゃないかな?

「もし笑ったらそのゼリーもらうからね」

 私の脅しもむなしく、とうとう堪えきれなくなったサーヤをみて私も思わず吹き出す。家に戻ったらやることはたくさんある。クイナには染液を、私は機織りと紡績を。夕方になったら商隊に顔を出して。だけど、今はそんなことを忘れて笑っていよう。私達の笑い声はいつしか周囲の談笑と一体化し、夜空に溶けていった。

初出: 2019年03月27日
更新: 2019年03月27日
著者: 鈴響雪冬
Copyright © 2019 Suzuhibiki Yuki

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