裁縫学校を首席で卒業したサーヤは、グレイベア城を根城に、生地に魔法を込める研究をしていた。ある日、魔法の実態を見ようと、従者兼護衛であるクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
城に戻ったサーヤは負傷兵の治療に使う包帯を織る一方で、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナや同門の医学生であるルマエーテの協力もあり、魔法に関する情報が集まる中、戦線がグレイベア城に到達。最も大事な仕事道具である自動織機を城に残し、北へ向かうことにした。
グレイベア城を辛くも脱出した二人は、ロングヴァルと青壁城の中間地点にある紡織を生業とする村、リュースグリへと身を寄せ、研究を再開する。ある日、不当に魔法の研究をしているとの誤解から、ノーザリア大学より調査団という名の剣士と魔法使いによる武力制圧団体がやってきた。サーヤの体を張った実戦テストにより、試作品に効果があることが判明。魔法使いによる裏付けも行われ、自信を持ったサーヤは、治療支援と実戦投入を考慮し、ノーザリアの後方部隊が駐屯するグリーンストーン庄へ向かうことにした。
グリーンストーン庄であらかじめ手配していた家にグレイベアから織機を運び込み、量産体制をすぐに整えたサーヤは、いよいよ研究者として最後の戦いに臨む。
「君のことは話題になってるよ」
「そりゃどうも。でも、いい意味で話題になりたいわね」
「まあ、しばらくの間は帝立軍大とけんかした織物師とか、氷結の織物師とか呼ばれると思うよ」
「どっちも納得しかねるわ。まあ、それはさておき今日分。明日からは私かクイナのどっちか手が空いてる方が来るから。今日は挨拶を兼ねて、ね」
「いつもありがとう。こっちも現場での評価はいいよ」
「それは光栄ね」
ルマエーテに包帯が入った籠を渡す。
「近いうちに治癒効果がついた布を作れるはず。量産体制と衛生の問題があるから、直接巻き付けずに、包帯で保護した上から巻き付けてみて」
「分かった。効果を報告すればいいんだね」
「よろしく」
挨拶代わりに右手をひらひらさせながら天幕を出る。天幕の中の惨劇とは違い、外の景色はどこまでも穏やかで、思わず目を瞑って音や香りを堪能したくなる。
「さて、私は私の仕事をしますか」
「ただいまー」
「お帰りなさい。準備できてますよ」
「ありがとう」
家の中には思わず嘔吐きそうな匂いが漂っていた。これがいわゆる「青臭い」というものなのか。
「それにしてもすごい匂いね」
「そうですか? 私にはいい匂いに感じますけど」
「慣れたらそう感じるようになるのかも」
鼻をつまみながらクイナが煮詰めている鍋をのぞき込む。コポコポと音を立てながら泡を生み出しているそれは、だいぶいい具合に仕上がっているように見えた。
「ちょうどよさそうね。火から下ろしてくれる?」
「分かりました」
もう一つの鍋に布をかぶせ、布が鍋底に落ちないように四隅に石を置き、固定する。鍋つかみを嵌めてクイナが火から下ろした鍋を持ち上げ、その布に向かって流し込む。染液…と言っていいかは分からないが、無事に液体を取り出すことに成功する。
トングで今朝織ったばかりの綿布をつかみ、鍋の中に押し込む。白い布はみるみるうちに草の色に染まっていく。
「これはどんな効果になるんですか?」
「うまくいけば魔法を拒絶する………になると思う」
「拒絶…? 防御ということですか」
「そう。嫌魔効果。魔法に反応を示す草の繊維を使って綿糸を作ると誘魔効果…もちろんその強さは元の素材によるけど、誘魔効果を持った糸を作れるのはすでに実証済み。じゃあ、魔法に別の反応、例えば抵抗反応を示す草木から繊維を作ったら、魔法に抵抗能力を持った繊維になると思うんだよね。今回は量産を見据えて繊維ではなく煮出して成分を抽出する方法を試してるの」
そこまで説明してトングを持ち上げる。液の色とは違い、鮮やかな緑色に染まった布からは特に何も感じない。
「ちょっと、サーヤ、なにしてるんですか?」
トングをおでこに近づけようとしたところでクイナに止められる。
「どうしてか分からないけど、おでこの先というか、おでこから半シャクぐらい離れたところにピリピリした感覚が来るんだよね、魔法を感じると」
「第六感的な何かですかね…」
なんとか納得しようとしているクイナを尻目にトングを近づける。最初は熱気が来るが、徐々にそれに慣れてくると、今までよりは弱いものの、ピリピリした感覚が襲ってくる。これは効果がありそうだ。この方法で成分を抽出できるなら、誘魔糸の方も繊維を練り込むのではなくこの方法で量産できるかもしれない。
「乾いたらテストするわよ」
「わ、分かりました」
染め上げた布を外に干し、家の中に戻ると、クイナがすでに別の素材の準備を始めている。剣士にさせる仕事じゃないと思いつつも、有能な助手は重要だ。
「昼間のうちに残り9種類も同じようにしてくれる? 私はこっちで別の作業をするから」
「分かりました」
織り上げたばかりの布をクイナが作った染液に浸しては干していく。
午前中はそこまでで一旦終わり。お昼ご飯を済ませ、クイナに糸作りを任せて私は研究の方を進めることにする。商隊にお願いしていた素材、鹵獲品から拾い集めた素材、リュースグリから届けられた糸、鷹便で届けられた資料をとっかえひっかえしながら、今まで試した組み合わせ、比率、効果を見比べながら、新たな組み合わせ、比率を推測し、準備をする。
もちろん、魔方陣の研究も忘れない。観測と調査から得られたエルダーグランの魔法。軍大の魔法使いに教わった、自然由来のマナを集める魔方陣、治癒効果を持つ魔方陣、氷や炎とは別の属性の模様の再現など、やることはたくさんある。
魔方陣を長いことみてきたおかげで、図柄が示す意味や効果を漠然と理解できるようになっている自分がいた。術者のマナを集める、それを増幅する、変化させる、特定の効果を生み出す。魔方陣は何かと対話するかのような構造をなしていることが多い。「マナ」と呼ばれる「何か」が本当は何を指し示しているかは未だに分からないし、それを理解すればより効率的な魔方陣を作り出すことができるかもしれないけど、今はそこに時間を割いている余裕はない。私にとっては魔法そのものがよく分からないのだから、マナが分かったところで大きな差は無いだろう。
「サーヤ、乾きましたよ」
「ありがとう。今行く」
棚の上に置いてあったクリオブレードを持ち、外へ出る。すでに日は傾きかけていて、これが今日、最初で最後のテストであることを暗喩していた。
「それじゃあ行くわよ」
クリオブレードを鞘から抜く。透明な刀身を直接見ることはできないが、周囲に浮かび上がる霧が確かにそこに剣があることを示している。冷やされた空気がつま先に触れるのを感じる。
「離れててね」
「分かりました」
クイナが間合いから十分距離を取ったのを見てから一枚目の布にクリオブレードを当てる。本来ならみるみるうちに凍るはずの布は、少し時間をおいてからゆっくりと凍り始めた。
「うん」
残りの9枚に対しても同じようなテストを繰り返し、反応し始めるまでの時間や完全に凍るまでの時間をメモしていく。まさかクリオブレードもこんなテストに使われるとは思ってもみなかっただろう。
「元になる素材そのものも大事だけど、その組み合わせや割合でこうも違うものなのね」
リュースグリの頃から積み重ねてきたメモと今日のメモを見比べながらそうつぶやく。
「一筋縄ではいかなそうですか?」
「万全を求めるならそうだけど、時間が無いわ。今までで一番良かった組み合わせでまずは作ろう」
ノーザリアとエルダーグランの戦いは日々その勢いを増している。そんな中で悠長に研究している暇はない。効果がある物をひとまず作る。作りながら改良していく。とにかく今はスピード感が大事だ。完成した頃には戦争が終わってましたでは何の意味も無い。それに、いつ戦線がここまで押し戻されるか分からない。ある日突然魔法が飛んできたら今ある物で戦わないといけないのだ。
「誘魔効果はこの間の15番が今のところ一番ね。嫌魔効果は………今日試した58番ってところかな。なんとなく25番と58番を組み合わせたらもう少し効果が出そうだけど、どうしようかな…」
「乾かさなくても良ければ日が暮れるまでにはテストできると思いますよ」
「うーん…やっぱり条件は揃えたいわね。夜のうちに乾かして、明日の朝一番でテストしましょう。こっちは外に干してても凍らないし」
「そうですね。それじゃあ準備します」
「お願い。夕飯は私が作るわ」
かまどに二人で並び、一人は草花を煮込み、一人は野菜を煮込む。そんなおかしな光景に思わず笑みがこぼれた。