裁縫学校を首席で卒業した実力者であるサーヤは、ノーザリアの未来を明るくする一助として、グレイベア城を根城に生地に魔法を込める研究をしていた。機は熟したと、魔法の実態を見るために従者のクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
グレイベア城に戻ったサーヤは治療に使う生地を織る傍ら、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナの協力もあり、次第に魔法に関する情報が集まりつつあるなか、戦線はとうとうグレイベア城に到達。剣聖エイデンが地に臥し、戦況は決した。
グレイベア城を辛くも脱出した二人はロングヴァルと青壁城の中間地点にある紡織を生業とする村、リュースグリへと身を寄せた。リュースグリで生地を織り、包帯を作りつつ、研究を進めるサーヤ。ルマエーテの協力もあり、試作品の形が見えてきたその日、不当に魔法の研究をしているとの誤解から、ノーザリア大学より調査団…というなの武力制圧団体が派遣されてきた。
相打ちになりながらも実践テストをすることに成功したサーヤは、いきなり襲ってきたことを盾に、魔法使いに聞き込み調査をすることにした。
※本作から物語は第四章へ突入します。第三章了時点の戦局、第四章開始時点の戦局をあらかじめご覧頂くと、舞台設定への理解が深まるかと思います。
「これは氷属性で、こっちは炎属性。こっちは闇属性、最後のは風属性ですね。本当に見よう見まねでこれだけの物を?」
「ええ、もちろん」
年長者で師匠と呼ばれていた人がテラスの上に広げた布の刺繍を見ながらその効果を教えてくれる。魔法は多種多様で属性も何種類もあるらしいが、よく用いられる属性は固定されていて、この4枚はそれに対応しているという。他には雷や光などがあるらしい。
「よくやるよ…」
本当はエルダーグランの鹵獲品やら何やらいろいろお世話になってるけど、そこまで言うと別の騒ぎになりそうなので内緒にしておく。ちなみに鹵獲品はベッドの下に隠してある。
「確かにすごい発明だけど、質量系の魔法には対応できないだろうね。氷弾を跳ばしたり、石を落としたり、樹木を使役したり、みたいな」
「そうね。あとは、剣で切られたら効果も無くなるし、そもそも刺繍で作っているから量産性も低い。戦線に投入するには厳しいと思う。鎧の内側にインナーとして着るぐらいがいいところだと思う」
「だね。あと、こっちの射撃型の布は2枚ともマナを込めると対応する魔法が発動するけど、君自身にはマナを操作する能力はなさそうだから使えないと思う」
「ちなみに、その「マナを込める」というのはどうすれば習得できるの?」
「うーん、そういうのは口で説明するのは難しいんだよね…。感覚的な部分も多いから」
布をひっくり返したり光に当てて眺めたりしながらその人は言う。ふ、と、賑やかな声が聞こえてきたのでそっちに目を向けると、手持ち無沙汰な剣士一同は村の子供と遊び回っていた…というよりは、弄られていた。
「魔方陣…君が模様と言ってるのは魔方陣って言うんだけど、それを再現したのもすごいけど、この糸がすごいんだよね。ユウマコウカを持ってる」
「ユウマコウカ?」
「誘う魔の効果と書いて、誘魔効果。周囲にあるマナを引き寄せる力だ。だから攻撃魔法に反応してマナが流れ込み、魔方陣に魔力を込めたのと同じ事が起こってる。だから魔法が使えない…マナを操れない君でも魔法が使えた、と」
「なるほどね」
「それにしても、どうしてこんな研究を? 僕が言うのもなんだけど、魔法は魔法使いに任せるのが一番じゃないか」
どうしてこんな研究を。それに答えるのはたやすい。明確な目標を持っているから。普通の感覚だと理解されにくい目標かもしれないけど、同じ大学の研究者としてなら伝わるかもしれない。
「一言で言うと、もっとおしゃれしてほしいから、ね」
「おしゃれ? 戦争に勝利するためではなく?」
「そう、おしゃれ」
戦争に勝利する…というよりも、魔法に弱いノーザリアをなんとかする、それも目的の一つではある。
だけど、一つでしかない。
ノーザリアの南部はまだいいけど、帝都周辺やそれよりも北の方は、服は生きていくための道具だ。保温し、外気から身を守る。そのためだけに服が存在している。もし、布一枚で保温性が高い魔法の布を作れれば、ノーザリアの服装は激変するだろう。実質堅固、命を守る服から、自らを表現するための服に。
私がたどり着きたいのはそんな色彩にあふれた、カラフルな世界だ。
ノーザリアの大地は凍てついたままかもしれない。だけど、人々の装いは鮮やかで、どこか明るい、そんな世界が見たい。
それが私がこの研究を進める意味だ。
別に南下政策を批判するわけではない。寒さ以外にもノーザリアには試練が多すぎる。だけど、その一つを取り除くことができれば、この国はもっと豊かになる、そう信じている。
「なる、ほどね。男の僕にはいまいち理解しがたい世界だけど、そういう世界も悪くないかもしれない」
「そう。戦時中だから研究は偏ってるけども、本当は『暖かい』とか『寒くない』とか、そんな魔法を生地に込めたいのよ」
「暖かい、か。確かにそういう魔法は聞いたことがないけど、戦争が終わればそういう方向の研究も進んでいくかもしれない。君にはそんな未来が見えているんだね」
「これでよし、と」
何十種類の試作品の中から選りすぐりの物を選んで棚に並べ終わると、腰に手を当てて背骨を伸ばす。整理整頓というよりは、眺めるために並べられたそれらは、一つひとつが不思議なオーラをまとっている、そんな気がした。
「お疲れ様です」
「ありがとう」
材料は多少ぼかしつつも、作った糸と生地、刺繍についてその場で分かる範囲で教えてもらうことができた。いくつか大きな収穫もあり、研究は一歩も二歩も進んだと思う。最初から魔法研究者としての道を歩むことができたらもっと楽な道のりだったかもしれない。だけど、魔法を使えない人は最初からその道の選択肢は選ぶことができないのだ。私には私のやり方しかない。
「どんな効果が見つかったんですか?」
「一番の収穫は、マナを引き寄せる効果がある糸ね。これがあれば射出型に対応する防御系の魔法はほとんど作れると思う。あと魔法によるダメージを軽減する効果のある糸。これで生地を作れば魔方陣を刺繍するよりも量産はたやすいけど、生地を作れるほどの糸を作るというのはまだまだ大変だからね…。でも、成分だけ取り出せるなら染色みたいに効果をしみこませることができるかも」
棚を指さしながら素材の紹介をしていく。私の研究成果でもあるけど、クイナの支援もあったからこそだ。彼女にも自身がやってきたことを誇って欲しい。
「あと4枚の生地に施した魔法模様…魔方陣は、それぞれ氷、炎、闇、風に対抗することが分かったわ。2枚については攻撃系だけど、マナを操れない人には発動はできないみたい。実演してもらった後、私も試したけど、全く反応はなかったわ」
「やはり、持つ者と持たない者の差はあるんですね…」
耳と肩を落としながらクイナが残念そうに言う。
「まあ、そこは考えがないわけじゃないから。それに、いくつか魔方陣を構成するパーツについて教えてもらったし」
「大丈夫なんですか?」
「まあ、聞かなくてもそのうちたどり着くだろう、とは言ってたけどね」
「それもそうですね」
「それでね、クイナ、大事な話があるんだけど」
「どうしたんですか、急に」
研究もだいぶ進み、裏付けが済んだ素材も多い。技術面も確立できつつある。そろそろ量産化を見据えて行動しないといけない時期が来ているだろう。一方で、この戦時下で今すぐにでも私の生地を必要としている人が居る。その両方を可能にするためにはいくつかやらないといけないことがある。
「明日、ここを立ってノーザリア軍の後方部隊が駐屯しているグリーンストーン庄へ移動しようと思うの」
「グリーンストーン庄?」
「ノーザリアとエルダーグランの国境に位置する荘園ね。ノーザリアの戦線はそこを拠点にして南征しているらしいの。だからそこへ行く」
「必要としている人の近くに、ですか」
「そう。研究も大事だけど、私が今できることがある場所だから」
「分かりました。私はサーヤの従者です。どこまでもついて行きます。でも、訂正させてください」
「なに?」
「かっこいいことを言っているように聞こえますけど、やることは今までと同じですよね?」
「ノーコメントでお願いします」
何かを見透かしたような視線でじっと見つめられ、思わず目をそらす。勘のいいクイナのことだ。極秘裏に進めているプランにもある程度感づいているかもしれない。数日に一回しか来ないはずの鷹便がここのところ毎日来ている、それだけでもおかしな光景だ。村への商隊の出入りも多くなっている。むしろ気がつかない方がおかしい。
「まあ、これ以上は聞かないでおきます。旅は嫌いじゃないですし、前線の近くなら私にもできることはありますし」
「クイナは手芸方面も向いてると思うんだけどねー」
「そうですか?」
剣士に対して言う言葉でもなかったかなと後悔するものの、クイナ自身はまんざらでもない様子だ。戦争が終わったら、しがらみのない世界で自由に生きて欲しい。うれしそうな表情を見ながらそんなことを思う。
「さて、そうと決まったら荷造りですね。村長への挨拶は明日ですか?」
「今からだともう遅いし…そうね、今は荷造りに専念しましょう」
並べたばかりの糸と生地を片付け、鞄に詰める。研究を始めて2年。魔法院に魔法を見に行くと言ったのも遙か昔のように感じるけど、その2年という歳月に比べたらまだまだ最近のことだ。だけど、その二か月の間にすべての研究が詰まっているような、そんな密度だった。そしてその成果がこの中には詰まっている。
いよいよこの成果を発揮するときが来た。気がつくと握りしめた拳が震えていた。