裁縫学校を首席で卒業した実力者であるサーヤは、ノーザリアの未来を明るくする一助として、グレイベア城を根城に生地に魔法を込める研究をしていた。機は熟したと、魔法の実態を見るために従者のクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
グレイベア城に戻ったサーヤは治療に使う生地を織る傍ら、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナの協力もあり、次第に魔法に関する情報が集まりつつあるなか、戦線はとうとうグレイベア城に到達。剣聖エイデンが地に臥し、戦況は決した。
グレイベア城を辛くも脱出した二人はロングヴァルと青壁城の中間地点にある北の紡織を生業とする村、リュースグリへと身を寄せた。リュースグリで生地を織り、包帯を作りつつ、研究を進めるサーヤ。同門のルマエーテから横流ししてもらった鹵獲品からついに完全な模様を見つけ出すことに成功した。
クイナにこっぴどく怒られながら部屋の掃除をして、食事を済ませ、カンテラに明かりを灯し、ようやく一息つく。手には例の模様を綿糸による刺繍で再現した布。寝る前までに後二種類は糸の種類を変えて試作品を作りたい。
クイナが整理してくれた棚には、試作した糸が種類ごとに整然と並んでいる。燃え残った植物、逆に良く燃えた植物、ハイガル山の森林限界を超えた先に自生する植物、鹵獲品の生地をほぐした糸、剥がれ落ちた竜の鱗を煮出し漬け込んだ糸など、20種類はくだらない。
効果のあるなしの検証はもちろんだけど、効果があるとしてもそれは糸そのものが持つのか、刺繍によって生み出されるのかを見分けなければならない。そこまで来てようやく試作品を作れる段階になる。試作品だって、仮に刺繍でその効果を生み出すなら、どの程度の精度が必要なのかの検証も必要だ。
「サーヤはまだ起きてますか?」
「うん。クイナは先に寝てていいよ」
「そうさせてもらいます。おやすみなさい」
「おやすみー」
クイナには包帯の搬送と鹵獲品の回収、道中で見つけた怪しい植物の採取を任せ、私は生地と研究に専念する。そんな事が二日ほど続いたその日、朝の作業はこのぐらいにして朝食をと、刺繍で模様を閉じた瞬間、おでこの先がピリピリするような感覚に襲われた。
「これは…」
綿糸で作った普通の生地に、試作糸15番で刺繍を施したもの。刺繍の型は防御・氷結型(仮)だ。
「サーヤ、ご飯ですよ」
「はーい。あ、そこにある氷結ナイフ取ってくれる?」
クイナがやれやれと言った顔でナイフを手に取り、渡してくれる。流石に最初からオリジナルで試す勇気は無いけど、模造品なら…。
ナイフを鞘から取り出し、水色の刃先を生地に押し当てる。普通なら少し遅れて何かが軋むような音と同時に徐々に凍っていくはずのそれは、全く変化を見せなかった。
「サーヤ…」
「うん。でも、これで満足してはいけない。他にも試さなきゃ」
糸が納められた棚の左から15番目に、氷結対抗反応ありと書いたメモを投げ入れ、テーブルに着いた。
「これで、よし」
完成した生地を手に持って広げる。2シャク四方の生地は緯糸に使った糸の影響でストーングレイ一色の重々しい姿だった。一本の糸から感じた不思議な雰囲気は、今や生地全体から漂っている。これは効果がありそうな気がする。
「糸を浪費するから綿糸と交互に織った方がいいかもしれない。もしかしたら別の効果を持つ糸が作れたらそれと交互にしてもいいかもしれない」
完成品の色は今は考えないものとする。なんなら黒に染めておけばノーザリアでは受けはいいはずだ。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
「いよいよ最終決戦間近という雰囲気でした。クィンティカ様がミラセラのすぐ近くまで迫っているという情報もありました。あと今日の売り上げと鹵獲品です」
「ありがとう。ルマエーテは何か言ってた?」
「いえ、今日は特に何も」
「そう」
「サーヤの方はどうですか?」
「少しだけど形になりそうなものができてきたよ」
そう言ってベッドの上を指さす。
「右から、防御効果がありそうな生地が4種類、攻撃効果がありそうな生地が2種類ってところかな。本当は体を温めてくれる生地だったり治療を促進してくれる生地が作りたいけど、今ある情報だけでは無理そう」
「戦争中、ですからね。使われる魔法も範囲が限られてますし」
「ひとまず、できあがったものから試作品として試してみたいのだけど、ルマエーテにお願いすればなんとかしてくれるかなあ…」
「彼は医者ですからね、どうでしょうか」
あくまでも「効果がありそう」「凍結を受け付けない気がする」というレベルの品物ばかりだ。このままでは実戦投入は難しいし、何より装備として採用されるためには実証が必要だ。人でなしと思われるかもしれないけど、クイナに装備させて前線に出てもらうぐらいしか効果を試す方法が思い浮かばない。
「今不穏なこと考えてますよね?」
「ばれた?」
「やっぱり…。剣ならまだしも、魔法の直撃はちょっと勘弁して欲しいですね」
「だよね。防御なら受ければわかるけど、攻撃はどうすればいいのかさっぱりよ」
「防御の生地に対して攻撃の生地を使ったらどうなりますか?」
「その話、なんか別の大陸の古語に似たようなのがあった気がする」
なんの話だったか思い出そうとして、考えを中断する。そういうことは後でいい。
「攻撃の方はそういう効果がありそうな気はするんだけど、はためかせても振っても何も起きないのよね。マナ? の操作は記号とは別なのかな…」
「攻撃のような何かを打ち出す魔法は、外から魔法を供給? する必要があるかもしれませんね」
「うーん…」
その時だった。普段は静かな村が急に喧噪に包まれたのは。
「サーヤさん、クイナさん!」
扉がいきなり開けられ、なじみの門番が転がり込んでくる。
「大変です、帝立軍事大学の人たちが!」
慌てて開かれたままの玄関から外を見ると帝立軍事大学の制服に身を包んだ人たちが列をなして、村の中をまっすぐこっちに向かって歩いてきている。後ろの方にはその存在を誇示するかのような大げさな杖を持った人も3人いる。
「クイナ、武器の準備を。私の剣も。間違ってもまだ鞘から出さないように。鳩助、おいで」
私の指示にクイナがうなづくをの確認すると、窓枠で日向ぼっこをしていた鳩に呼びかける。出番を察した鳩がスイーと飛んで肩に止まる。流石、賢いわね。
「サーヤ・ストラ、おとなしく出てきなさい!」
「はいはい」
玄関にいることが見えているにもかかわらず威嚇するかの声で呼ばれ、頭が湧き上がるのを感じる。
「大学の許可を得ずに兵器開発をしているとの情報があり調査を行う。場合によっては私財の接収を行う。家を明け渡しなさい」
紡織機がある小屋から飛び出てきた村人が驚いた様子で私を遠巻きに見つめている。ごめんね、騒がせて。
「あんた達も暇人ね。こんなところで暇つぶしするぐらいならテイル島なりロングヴァルなり支援に行きなさいよ! こっちの戦況知ってるんでしょ! ゼラ皇帝やオスカー提督が死んだらどうしてくれるの? なんでこんな時に内ゲバやってんのよ、頭でっかち!」
「………指示に従わない場合は…」
何か言いたそうな気配を押し殺し、先頭の人が頭の高さに手を上げる。
剣と杖が構えられる音が響き渡る。村長や副村長もこっちを見つめている。子供を連れた奥さんは家の中に慌てて隠れる。そうそう、子供には見せないで、こんなダサい大人の姿を。
「指示に従わない場合は?」
「実力行使あるのみ!」
足を踏み込んだ土の乾いた音が静かな村に溶けて消えていった。