裁縫学校を首席で卒業した実力者であるサーヤは、ノーザリアの未来を明るくする一助として、グレイベア城を根城に生地に魔法を込める研究をしていた。機は熟したと、魔法の実態を見るために従者のクイナとともに魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまい、グレイベア城まで撤退を余儀なくされた。
グレイベア城に戻ったサーヤは治療に使う生地を織る傍ら、治療の手伝いと称して負傷した兵士達から魔法に関する情報を聞き出していた。クイナの協力もあり、次第に魔法に関する情報が集まりつつあるなか、戦線はグレイベア城に到達。再び敗戦の色が漂う中、撤退の準備を始めていた。
「魔族も獣も精霊も何でもあるとは言うけど、これほどまでなんて…」
「サーヤ、危ないです。もっと身をかがめて」
展望山から魔法院を眺めていたときとは違う、まさに眼下で戦闘が繰り広げられている。陣形はもはやあってないようなものになっている。剣や弓、魔法はもちろん、なんとも形容しがたい「力」も、お互いぶつかり合い、火花を散らしている。
巨木の木の根が大地を張ったかと思うと、一方では火の柱が吹き上がり、空中では飛龍同士が己の火砲や肉体をぶつけ合う。鱗と言うよりは石のような肌が市壁の中に時折落下しては、屋根に穴を空けていく。
「二日前に大学から届いた鷲便だとこっちが優勢だった、はずなのに…!」
「前方より飛翔体!」
見張りの兵士の声が耳に届くやいなや、私は市壁に身を隠した。あの頃の私よりは幾分成長したのを感じつつ、投石用の穴から外を覗き見る。放物線ではなくほぼ一直線で飛んできた巨石軍はそのまま市壁に激突し、壁を揺らす。
「何? 今の軌道は」
「多分魔力で飛ばしているのかと。サーヤ、あそこで何が起こってるかわかります?」
クイナが指さした方向へ双眼鏡を向ける。白髪白髭二本の剣といえば剣聖エイデン。相手はエルダーグランなのは間違いないだろうが、誰かはわからない。しかし戦闘の中ですらその身のこなしに高貴なものを感じる。二人を取り囲む両陣営は誰も手を出さず、固唾をのんで見守っていた。
二人の剣のぶつかり合いに私も息が止まり、苦しくなってようやく息を吸おうとしたときだった。
エルダーグラン側の剣がエイデンの胸を貫く。
「エイデン…!?」
轟音が辺りをゆらすなか、そこだけ空気が凍り付いたかのように見えた。エイデンが膝から崩れ落ち、そして地面に横になる。赤い血が雪を染め上げながら広がっていく。じわじわ、じわじわと。
静寂がざわめきに変わる頃、大粒の雪が彼を看取るかのように降り始めた。
「サーヤ、エイデンって」
「グレイベア城の守りの要だわ。エイデン様がやられたとなればもうここも…」
双眼鏡から目を離し、後ろを振り返ると、投石機や弓矢で応戦していた兵の手が完全に止まっていた。
「クイナ、撤退するわよ。言ったとおり荷物はまとめてあるわね?」
「はい。前の旅の荷物はもちろん、指定された糸と手動の簡易織機も収納してあります」
「ありがとう。ひとまず東の港へ。暗黒湾を渡ってロングヴァルへ。海側からだと山脈を抜けなきゃいけないけど、まああの辺りなら大丈夫でしょう」
「私達が初めて出会った辺りですね」
「そうね」
サーヤの一言で緊張感がふっと和らぐ。なんとなくだけど、まだ私達は大丈夫、そんな気がした。
「港が見えるところまで走ってきましたけど、船の姿はありませんでした」
「なんですって」
少し先を走っていたサーヤが私のところに戻ってきてそう報告する。
「どうしましょうか。海岸線を歩いてもたどり着けますけど、相当の日数がかかりますよね」
「食料には困らないけど、旅程がかかりすぎるのはまずいわね」
大学から定期的に届く情報によると、此度の戦は精霊王エリオンが奪われた宝珠を取り戻すために挙兵したのが原因の一つらしい。エリオンは宝珠さえ取り戻せば満足するだろうけど、他はそうと限らない。勢いに任せて帝国を取る勢いで北上してくるだろう。少しでも早く北へ戻るしかない。
背中の荷物を背負い直し、重さを確認する。腰のクロスボウはもとよりそうでもない。
クイナの方は私より体は大きいし、荷物も多く持ってもらってるけど、積載制限を超えているということはないだろう。いざとなれば食料を捨てて短時間で移動してしまえばいい。
「作戦を変更するわ。そっちの鞄に入れてある細長い筒状の革袋をとってくれる?」
「わかりました」
クイナが鞄から取り出した革袋を受け取ると、私は封を解き、中から二本のパイプを取りだした。一本をクイナに手渡しながら「使い方はわかる?」と尋ねる。
「噂には聞いたことが…」
「そう。一応説明するね」
一通りパイプの使い方を教え、乗るより体を横にして座った方がいいとつけ加えて、私はそうして見せた。
「それじゃあ、ロングヴァルに向かって、出発」
「はい」
輝いてるよ、いけてるよ、食べても抜群よ、などと適当に褒めつ速度を安定させ、ロングヴァルの方角へ向かう。ふと後ろを振り返ると、もうもうと煙が立ちこめるグレイベア城と、その外に置かれた病院と礼拝堂の姿が見えた。
あそこにいる患者はもう助からないだろう。エルダーグラン同盟に慈悲の心があれば魔法で癒やしてもらえるかもしれない。絶対的な限界がある我々の治療よりもむしろ幸せだろう。そう自分に言い聞かせ、海の向こうにそびえ立つ竜尾山脈へ目を向けた。
ロングヴァルにたどり着いたとして、織機はどうしようか、材料はどうやって手に入れれば。悩み事はいくつもあるけど、ひとまず今は動くしかない。まだ上半身が安定していないクイナの肩を抱き寄せ、安定させると、一直線にロングヴァルへと向かった。