流浪の裁縫師 第5話「ここが私の戦場」

  1. Home
  2. ウェブ掲載作品
  3. 小説 - 長編
  4. 流浪の裁縫師
  5. 第5話「ここが私の戦場」

前回までのあらすじ

 裁縫師のサーヤは服に用いる生地に魔法防御力や断熱効果など、魔法的な力を与えることを目標にしていた。そこで、まずは魔法の実態を見てみようと魔法院を目指していたが、運悪く開戦の場に居合わせてしまう。
 魔法院からの攻撃も始まり、敗戦の気配が色濃くなるのを感じたサーヤ達は自身の本拠地であるグレイベア城まで引き下がった。

第5話 ここが私の戦場

 数週間ぶりにその扉を開き足を踏み入れると、外気と同じ空気が私を迎え入れた。強いて言えば少し湿り気が含まれているだろうか。ランプの置いてある場所を思い浮かべながら手を伸ばすと、果たしてそこにランプはあった。
 ランプに火をともし、元のテーブルの上に置く。ほうっ、っと、暖かい空気が生まれては消えていく。

「クイナは暖炉に火をおこしてちょうだい。あと他の明かりも」
「わかりました」
「私は織りの準備を始めるね」
「こんな時間からですか?」
「大丈夫。この建物は防音性能はいいから」
「いえ、そういうことではないのですが…」

 クイナが言いたいことをなんとなく察しつつ、私は家の裏にある水路の水門を一つは開け、一つは閉じ、水を流れを水車の方へ回す。ギイ…と一瞬重い音を立てたのものつかの間、水車はなめらかに回り始めた。
 水車が数回転するのを確認してから再び水門を操作し水車を止め、作業場に戻る。すると作業場はすでに隅々まで見渡せるようになっていた。心なしか空気も暖かくなっているように感じる。

「ありがとうクイナ」
「こんな時間から織るんですか?」
「まあ、ほとんど自動だしね」
「いえ、そういうことでは…」

 私の体を心配しているであろうクイナが困った顔で私を見つめてくる。

「先の戦いでノーザリア軍は敗退した。私達は展望山まで下がっていたからもう戻ってこれたけど、これからたくさんの負傷兵が運ばれてくる。もちろんエルダーグランは追ってくるし、ここを拠点にしばらく戦うことになると思う。そうなると私にできることは」
「治療に使う布の提供」
「そう。在庫はあるけどすぐに供出を言い渡されるはずだわ。もちろんそれには応じるつもりだし、勤めだとも思うけど、ものがなければ仕方がないでしょ。私は直接戦には参加できないけど、ここでなら戦えるから」
「はい…」
「ということで織るわよ。倉庫から『治療用』って書かれたボビンを持ってきてちょうだい」
「わかりました」

 さっきまでの不安そうな顔はすぐにしまい込まれ、いつもの目つきになったクイナが倉庫の方に走っていく。倉庫の扉が開かれる音を聞きながら織機にセットされている経糸の状態を確認する。

「お待たせしました」

 クイナが治療用の布に使う緯糸が巻き付けられたボビンをいくつか入れた籠を私に差し出す。

「ありがとう」

 籠を受け取り、ボビンの一つを手に持って糸の状態を確認する。

「治療用は何が違うんですか?」
「おおっぴらには言えないんだけど、エルダーグランに自生する植物の繊維が含まれてるんだよね。なんでも怪我の治りが早くなるとか、傷口にくっつきにくいとか」
「よくそんなの手に入りますね…」
「そこはほら、コネというか、どこにでも国をまたいで商売する商人はいるから」
「そう…ですね」

 自身も武器商人にお世話になったことがあるのだろう、クイナは少し遠くを見ながら小さくつぶやいた。

「ひとまず私はこれを動かすわ。クイナは何か軽く作ってくれる?」
「わかりました。ホッとするものがいいですよね」
「そうね」


 だいぶ遅めの夕食…というよりも夜食を食べ終えた私達はクイナが淹れてくれたムロム印の紫雪花茶をすすっていた。鼻に伝わってくる甘い香りと機織りの音が頭の中で混じり合う。思わず「ふぅ」と息を吐き出すと、その息はもう白くなくなっていた。

「気持ちいいですね、この音」
「だね」

 経糸が上下する音、緯糸を通すシャトルが左右に移動する音、リードが緯糸を締める音がリズムよく繰り返されていく。その音を聞きながら遠くを意識すると水車が回っている音も聞こえてくる。
 カタンカタン、サッサッ、パタパタ。
 響き渡る音と花茶のやわらかい香りが―――
『チリン』
 鈴の音にハッとして目を開ける。緯糸が切れた合図だ。

「私寝てました?」
「大丈夫。私も一瞬寝てた。今日はここまでにしましょう。明日起きたらもう少し織って納入するわ」
「わかりました」

 椅子から立ち上がり、かみ合った歯車を離して織機を止め、水車の方へ向かう。
 布はもちろん提供するし、なんなら治療に参加してもいい。あわよくば兵士から直接魔法のことを聞けるかもしれない。水門の開閉を切り替えながら、私はそんな打算をしていた。

初出: 2019年03月01日
更新: 2019年03月01日
著者: 鈴響雪冬
Copyright © 2019 Suzuhibiki Yuki

Misskeyにノート

Fediverseに共有