Top > 読み物 > 日記 > 2006年10月 -2冊目-
毎週木曜日は、某番組に対するツッコミがテンプレになりそうです。ちなみに前回は、「電車の中での化粧」でした。
携帯電話のマナーについては、やり取りされた内容に比較的肯定的な立場です。場所をわきまえない会話なんていうのは、他人にとってはいい迷惑ですからね。
最近ようやく話題になり始めた、ノイズキャンセラ付きのヘッドフォンやインナーイヤーヘッドフォンも、安全性確保のために、人間の会話が行われる周波数帯のノイズキャンセリングは出来ないようになっていますから、防ぐことが出来ないのが現状。
さて、この「場所をわきまえない」ですが、一体どういう場所が例になるのか。
番組で取り上げたのは、電車、エレベーター、待合室の三箇所。科学的に分析するまでもなく、感覚的な分析で三ヶ所の共通点が解りますね。それは、使わざるを得ない密室空間。言い換えて、逃げることが出来ない密室空間、ということです。
基本的に動物は、自分が有利になるような行動をとろうとしますから、こういった人が居る、つまり、自分にとって不快な行動をする人が居るときは、止めさせる、自分が逃避する、という二種類の選択肢が出てきます。
この時、前者の選択肢は、近年の逆ギレによる殺人事件の報道を見ている人は、選ばないと思われます。しかし、後者の選択肢は、電車から降りられない、エレベーターから降りられない、待合室を使いたい、等といった感情により、回避できない・回避したくないといった現状に晒されます。
たちが悪いのは、こういった選択を迫られた場面で、しばしばしばらく待てば事態が収まるという第三の選択肢が出現することです。電車もエレベーターも待合室も、長くて数時間あればその状態から回避されますし、長時間の通話をする人も(私という例外を除く)まずいません。もしかしたら、20分もあれば8割方その嫌な状態が終了すると考えられます。
結局、注意することもなく、その場から逃避することもなく、堪え忍ぶ、という行動を人はとるのです。流石、理性の固まり。尊敬!
最も問題になるのは、マナーのマの字もない小中高生ならともかく、成人や、いい年肥えた中年の人までこういった行動に走ること。仕事の電話なんだから認めろ? 社会を構成する仕事をする人が、社会のマナーを守れないようなら、貴方の仕事もたいしたこと無いですね―――という感情論では、ある点において女性的な思考なので、理論的にまとめてみましょうか。
私本人として一番気になる行動が、電車など交通機関内を利用しているときに掛かってきた電話に出て「今電車の中だから」といって通話を終了する人。電車に乗っているときに掛かってきた電話を問答無用で切断する私にはこういった人達の心情は理解できませんが、おおよそ、仕事の電話だから先方・上司に失礼にならないように、という理性の表れでしょうか。
たしかに、超有名声優による「只今電話に出られないため―――」は、少しばかりぶっきらぼうで、表現を変えればテンプレート的で何となく使いたくなくなるのも理解できます。
とくに、色々な展開を考える人間だからこそ、「もしこれが重大な知らせだったらどうしよう」という展開も容易に想像できてしまいますから、電話に出てしまうのでしょう。数秒で数億の金が動く株式市場ならなおさらですね。
こういうときに便利なのが、電話に出られない間の用件を録音してくれるサービスですが、これを毛嫌いする人も多いでしょう。私も自動応答メッセージが流れたら電話を切ってしまう人間の一人です。そもそもこれを活用できていたら、こういった携帯電話にマナーに対する意見が出てくるはずもないでしょうし。
私の場合は、運転モード(正式名称不明)にして、「ただいま車の運転中のため―――」というメッセージが流れるようにしています。もちろん、コールも鳴りません。
仕事の電話に関して、今回は不問としておきましょう。仕事というのは、社会を構成する要因であると同時に、社会を支えているのもまた事実です。今回問題になっているのは、どちらかというと私語に分類される通話であって、仕事の電話については当事者も第三者も「仕方がない」といった、感情が働く場合が多いと思われるからです。
前置きをした上で閑話休題。
仕事の電話もそうでない場合も、この場所で電話に出ていいか否かの判断をする必要があります。この時、仕事に関する電話においては判断基準の閾値が下がり、普通の電話に関する閾値が上がります。
今回の問題は、通常、普通の電話に関する閾値が上がるはずなのにも拘わらず、多くの人がほいほいと電話に出てしまうことはどうなんだ、という点が議論されています。
簡単な結論を持ってきてしまうと、電車もエレベーターも待合室も公共の場所なのだから、出来る限り私事を持ち出さない方がいい、ということになるのでしょう。
文章を書いている途中で買い物に行くなんて止めた方がいいですね。何を書こうとしたか忘れてしまいます。
超長文警告。1万文字…あるらしいよ。
FirefoxならCtrl+U、IEなら「表示 > ソース」と操作することによって、今読んでいるこの文章のソース、言い換えてHTMLファイルのデータを表示することが出来る。
この時、一つ上の文章はこうなっていると思われる。
<p> 携帯電話のマナーについては、やり取りされた内容に比較的肯定的な立場です。場所をわきまえない会話なんていうのは、他人にとってはいい迷惑ですからね。<br> 最近ようやく話題になり始めた、ノイズキャンセラ付きのヘッドフォンやインナーイヤーヘッドフォンも、安全性確保のために、人間の会話が行われる周波数帯のノイズキャンセリングは出来ないようになっていますから、防ぐことが出来ないのが現状。</p>
厳格なHTMLとCSSを少しでもかじっている人は一つの疑問点が出てくるかも知れないが、今回はそれが主題である。
なお、この文章において「形式段落」と「意味段落」という表記を用いる。両者とも国語の教科書に出てきて国語辞典には登場しない単語である。
「意味段落」とは、前後における文章の意味が連続的ではない(意味が繋がっていない)時に、それぞれの段落を別けるときに使う単語であるが、この文章においては「一行空け・一字下げ」が伴う段落として表記する。同時に、「形式段落」は「改行・一字下げ」が伴う段落として表記する。
近年叫ばれている厳格なHTMLとは、細かい点を差し置いて極めて単純な表現に置き換えると、「HTMLは文章(等)を書くためだけに利用し、装飾や配置の制御はCSSで行う」ということだと私は考えます。
先に取り上げた、疑問点は以下のことです。
日本語においては、本文一文字目、改段の後の一文字目、改行の後の一文字目は基本的に一文字分空白(一文字分字下げ)を作るが、これは装飾要素なのでCSSでコントロールするべきではないか。
この疑問点における答えは既に出ていると言え、その根拠として、多くのW3Cの規定に基づいて(厳格な)HTMLを教示しているサイトは、改行後の一文字分の字下げをCSSによる制御で実現しています。CSSで表記すると以下のようになりますね。
p {text-indent: 1em;}
このような記述をしたCSSを利用し、HTMLをレンダリングすると、<p>の後にわざわざ手動で全角スペースを入力しなくても、ブラウザが勝手に1文字分(殆ど正確には、アルファベット"M"の幅の分)だけ字下げして表示してくれます。
しかし、私のサイトを丸裸にしたことがある人にはご存じの通り、<p>に関するCSSには、text-indent: 1em;
という構文を一切用いていません。先に取り上げたHTMLでも明らかなとおり、私は<p>の後に直接全角スペースを入力しています。
HTMLにおける<p>
は、W3Cでも明らかなとおり(The P element represents a paragraph.
)、「paragraph」の事です。
Everybody knows Jackie Chan. He is still around as a movie star yet. So what movies has Jackie Chan appeared in?
Jackie (real name: Chan Kong Sang) appeared on the first time movie at the 8 years old. The movie on which he appeared for the first time is "Big and Little Wong Tin-Bar." He was appearing on the movie as the juvenile in 1962. An additional, he appeared on four movies as the juvenile.
上の引用文は、大きな空白(ブラウザの設定による)で前後に別れてるかと思いますが、上一つが1段落、下も1段落となります。一般的に米語(英語)の段落は上のように、一行分空けて表記されるか、一行分空けず字下げを行って表記のどちらかです。
この時、基本的に一行空けて表示されるHTMLの<p>は、上手い具合に米語の「paragraph」に当てはまります。
それでは、日本語における「段落」とはどういったものでしょうか。
恋は盲目。誰かがそう言った。古代ギリシャで恋を司る神、クピードーは目隠しをした状態で、突き刺さると恋に落ちる矢を放つ。その矢は誰に刺さるか分からない。だから、恋は盲目なんだそうだ。何時でもクピードーは誰かをねらっている。何時でもクピードーは無照準だ。
だから、僕は突然の恋に落ちた。きっかけは単純だった。たった一言…。それだけでよかった。
あれは、そう、放課後。放課後、親と電話していた時のことだ。
この場合も、大きく上と下に文章が別れ、それぞれが段落となっています。しかし、見方によってはこの文章は4段落に別れているとする事が出来ます。それは、改行の数に着目すれば簡単に判別できます。4つに別れたときのそれぞれの文頭は、
のようになります。
つまり、行の頭が字下げされていたらそれは段落だ、という数え方です。試しにWordや一太郎で、2回の改行を含む文章を入力し、それぞれのソフトに対応するメニューから文字数を数えてみると、両者共に「3段落」と表示されるかと思います。
ただし、Wordの場合は初期設定でShift+Enter、一太郎の場合は初期設定でShift+Ctrl+Enterと入力することによって、本当の意味での改行、強引な表現を行えば、段落内改行をする事が出来ます。Enterを入力しただけの改行ではなく、それぞれのソフトに対応した「段落内改行」をしてから文字をカウントする機能を利用すると、「1段落・3行」と表記されるはずです。
この事から解るとおり、普段私達が「改行キー」として認識していたEnterキーは実は「段落替えキー」だったのです。
話が脱線したため、多少矛盾点が生じてきましたが、改行をする事によって生まれた行(俗語的には「論理行」)を段落として把握する場面が日本語にはあります。国語の教科書的な表現をすれば、形式段落はまさにその通りで、一度改行すれば1段落に当たります。上の例では4つに別けた段落は形式段落、2つに別けたのは意味段落となります。
しかし、米語にはこのような段落分けの概念がありません。米語では1つしかない段落という概念を、日本語では更に二種類に細分化することが出来てしまうのです。
では、<br>はどうでしょうか。<br>の意味は、W3Cでは、The BR element forcibly breaks (ends) the current line of text.
と表記されています。日本語に訳せば、BR要素は現在のテキスト行を強制的に区切る(終わらせる)という意味になり、ここには私達が普段用いている段落を変えるという意味での改行の概念は一つも含まれていません。
つまり、HTMLにおける<br>は、ただ単純に行を変えるための要素であり、段落を変える意味が含まれていないことになります。
HTMLの<p>とparagraphと段落を意味づけるため、ここでは原点に回帰してみましょう。そこで、paragraphと段落をそれぞれ手持ちの英英辞典と国語辞典で引いてみました。
a section of a piece of writing, usually consisthing of serveral sentences dealing with a single subject. The first sentence of a paragraph starts on a new line.
長い文章を意味のまとまりなどによって分けた一区切り。また、形式的に文頭を一字下げて書きはじめる一区切り。段。パラグラフ。
ちなみに、「文章」という単語を小学館の『国語大辞典(新装版)』引いてみると、一つの主題でまとまった思想を表現するために、文(センテンス)を連ねたもの
となっています。
英文を日本語に簡単に訳しつつ、この事を考慮し日本語の文章を書き換え、見比べやすいように同じ形式で表記してみると、
というようになります。
比べてみれば両者とも殆ど同じ意味であることが簡単に理解できます。
先に記した文章では、数え方によって二段落・四段落というように結果が異なってしまいます。では、英語のparagraphは日本語の段落に当てはめると、二段落に別けたときの段落と四段落に別けたときの段落、どちらに対応するのでしょうか。
恋は盲目。誰かがそう言った。古代ギリシャで恋を司る神、クピードーは目隠しをした状態で、突き刺さると恋に落ちる矢を放つ。その矢は誰に刺さるか分からない。だから、恋は盲目なんだそうだ。何時でもクピードーは誰かをねらっている。何時でもクピードーは無照準だ。
だから、僕は突然の恋に落ちた。きっかけは単純だった。たった一言…。それだけでよかった。
あれは、そう、放課後。放課後、親と電話していた時のことだ。
もう一度先の文章を引用してみました。書き手によって色々な基準があるように思えますが、「一行空け一字下げ」をした場合の段落は、一つの場面を示している場合が殆どです。
例えば、朝ご飯を食べて学校に行くために家を出るという動作は、基本的に家の中で行われます。この時、多くの書き手は一度も「一行空け一字下げ」を行わずに書ききってしまいます。その後、一行空け一字下げを行い、新しい場面を学校の下駄箱から始めます。
このように「一行空け一字下げ」による段落は、場所や時間帯が同一であったり、モノローグと地の文を別けたりと言った、文章の性格が明らかに異なる場合に利用します。
一方、「改行一字下げ」を行った場合の段落分けは、もうすこし細かく文章を別けていきます。
一行空け一字下げ | 改行一字下げ |
---|---|
学校に行く支度 | 歯を磨く |
ご飯を食べる | |
玄関で靴を履く | |
朝の学校 | 下駄箱に付く |
友人に出会う |
もちろん作者にもよりますが、このように別れてくるかと思います。
学校に行く支度の中で、二度寝をした場合、「一行空け一字下げ」を行うでしょうから汎用的な分け方はここでは議論しません。私の場合の基準としては、時間と場所が変わる場合は「一行空け一字下げ」、時間と場所のうちどちらか一方しか変化しない場合は「改行一字下げ」としています。
さて、先の辞書によると「段落」とは、意味のまとまりなどによって分けたものです。引用文が小説なので、意味を場面として解釈すると、段落とは「一行空け一字下げ」によって示されるものであることが何となく見えてくるでしょうか。(文章の意義としての意味で文章を別けていくと、段落が作品全体に及ぶ場面が出てきてしまいますのでここでは意味の同義語として意味を選択しました。)
ということは、英単語「paragraph」は、日本語における段落では「一行空け一字下げ」を伴って記される段落と同意義であるということが導き出せます。
「改行一字下げ」による段落はどのような段落なのでしょうか。
改行と一字下げによって表現される段落を、国語の授業では「形式段落」と表現したことを覚えている方はいるでしょうか。この「形式段落」、実は国語の辞書に載っていない単語で、国語教育において便宜的に使われている単語と言えます。
日本語における一文とは、句点から句点までの文で、米語における一文はピリオドからピリオドまでの文を示します。米語ではピリオドからピリオドまでの文が幾つか集まって段落を形成し、日本語では句点から句点までの文が幾つか集まって形式段落を作り、形式段落が幾つか集まって意味段落を形成します。
この時、米語は文法が明確で例外を許していませんが、日本語には文法にかなりの許容点があります。つまり、一目見たときに、米語は単語の位置関係から文章の意味を推測することが出来るほど単純明快なのに比べ、日本語は単語の位置関係から文章の意味を推測できません。
ということは、日本語は見た目で実体を捉えづらいという問題があります。
そう言った問題を解決するためでしょうか。日本語は改行を繰り返します。国語の授業では「文章をわかりやすくするために改行をしましょう」、ウェブサイトでは「読みやすくするためにこまめに改行をしましょう」などと叫ばれています。一部のジュブナイル小説のように、ページ数を稼ぐために改行をしているのかと疑いたくなるほど高頻度な改行はともかく、日本語は改行の多い言語です。
見方を変えれば、日本語における一般的な改行は、ただ単純に文章を見やすくするためだけに存在すると言えます。
実際、文章書きとしての私も、先に紹介したルール以外で、文章が解りづらいなと思ったところは改行をすることによって一呼吸する為の間を作ったりしています。
このような無意味な改行を司る要素がHTMLには存在し、それが<br>
です。先ほど紹介したとおり、<br>
は単純に行を次に送るための特別な要素で、論理的な意味は持ち合わせていません。
HTMLに置ける<br>は、長文が連なったときや、文章をリスト的に表示したいときなど、汎用的な表現をすれば文章を見やすくするときに使う要素です。
この時、見やすさや文章の理解を助けるために使う「改行一字下げ」と、見やすさを助けるために使われる<br>
要素は同じような意味を持っていることに気が付きます。
今までのように、日本語とインターネットが開発された国の言語である米語について分析すると、以下のようなマークアップが最も単純であるという結果が導き出せます。
HTML | 対応する段落 |
---|---|
<p> | 文章の意味や場面のひとまとまり。 |
<br> | 改行によって表現される段落。 |
細かく別けた段落(形式段落)と<p>
の意味が一致していないので、微妙。
細かく別けた段落は<p>
の意味に合致しない、と言う点に触れてしまう。
また、<div>
によって指定したとしても、それはCSSによって何らかの装飾を行わない限り暗示された状態にあり、これは通常通り日本語を書いていても同じであるため、暗示的意味のうちは意味を成さない。
<l>
要素を使って、<p>
に意味段落、<l>
に形式段落を記述すればいいだけじゃ…
タイトルを100回読んで出直してくださいですの~(> <)
さて、HTML方面での解説が終わったところでようやくCSSの話。
<p>
と<br>
とCSSを使った日本語の表記方法は以下の三つに分かれるかと思います。
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げは諦める
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げはCSSによって再現する
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げは全角空白文字の挿入によって再現する
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げは諦めるこの処理方法は、日本語が読みづらくなる反面、HTMLが目的とした、文章に意味づけを行いコンピューター処理を促進するといった方法に基づいています。
HTMLはあくまでマークアップ言語で、我々の使っている言語を理解できないコンピュータに対し、意味づけを行って解釈しやすくするためだけの道具です。ブラウザは意味づけに基づいて、私達が読みやすいであろう形に表示してくれているだけなのです。
ですから、HTMLの文法に沿った書き方をしない限りその本来の目的は達成されません。現在最も普及しているマークアップ言語であるHTMLを利用するのだから、HTMLの使い方に準拠するべきだ、といった考えに最も則した方法です。
しかし、先に挙げたとおり、最終的にそれを利用する私達人間が理解できなくては意味がありません。ですのでこの方法はあまり現実的ではありません。
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げはCSSによって再現するW3Cを拠り所とするサイトで最もよく利用されている方法だと私は解釈しています。CSSで表記すると、
p {text-indent: 1em;}
br:after {content:" "}
となるようなCSSの使い方です。
しかし、この場合1emと全角空白の幅は必ずしも一致しません。しかもブラウザのデフォルトは幅が一致しないような形で表示されるので、<p>
の時に自動的に挿入される空白と、<br>
の時に自動的に挿入される空白の幅が一致しないという、表示面において奇妙な現象が発生します。
他のCSSの使い方としては、
p:before {content:" "}
br:after {content:" "}
という書き記し方もありますが、これは両者とも同じ幅の空白が挿入される反面、CSS
Level2対応を謳っているIE6.0ではこの構文に対応していないため、全角の空白が挿入されません。これでは、1番を選んだのと同じ結果になってしまいます。
IE嫌いといっても、ブラウザの過半数を優に超えるブラウザですので、完全に無視することは出来ません。
ちなみに、一番目にあげたCSSの例では、IEにおいて、<p>
だけ1em分の空白が入り、<br>
には入らないという矛盾点が生まれてしまいます。
p {text-indent: 1em;}
このように、CSSを記述し、<br>
の時だけ手動で全角空白を入れる手法もあります。これは、IEが相手の場合も極めて有用です。
しかし、論理と装飾を明確に別けるためにCSSを利用しているのにも拘わらず、<be>
の後の字下げだけ全角空白で実現するというどっち付かずなやり方に疑問が残ります。
<p>
、改行は<br>
要素でマークアップし、一字下げは全角空白文字の挿入によって再現するこの方法は私が最もお勧めする方法であり、実際に利用している方法です。
HTMLはパソコンに対して自然言語の理解を助けるための言語で、その文法を厳密に守る必要があります。ですから、字下げはCSSで実現すべき、これが1と2の方法の根拠になります。
しかし、1の方法は人間にとっての見やすさ、2の方法はブラウザの対応状況が思わしくありません。それどころかCSSを全く解釈しないブラウザもありますから、そう言ったブラウザにとって2の方法は必ずしも最良とは言えません。
この方法はHTMLの理想とする形に反しているようで、実はそれほど問題にならないと私は考えています。HTMLは先に挙げたとおり、コンピュータが自然言語を理解するときにそれを助けるための言語ですが、最終的にそれを利用するのは他ならない私達人間です。
コンピュータはHTMLによってデータを蓄積し、検索性を高める可能性を秘めていますが、最終的にそれを検索し利用するのは私達人間です。そのため、コンピュータが理解できても、私達人間が理解できないHTMLに意味がないといっても過言ではありません。
そのような考えに基づいたのがこの方法です。
HTMLとはあくまで最終的に人間が利用するためのものですから、その比重は人間にあるべきです。つまり、HTMLやCSSを記述するときは、最終的に人間が理解できて、なおかつコンピュータもそれをある程度認識できる、という形に持っていく必要があります。
そう言った重みの差を考えると、字下げを全角スペースで実現しても、コンピュータにとってはたかだか2バイトの差でしかありません。しかも、コンピュータは正規表現等を使ってそれらを自動的に排除することが出来ます。
ならばコンピュータにとってわかりやすい書き方よりも、あえて人間によってわかりやすい書き方を利用するべきです。
この時、字下げを全角スペースで実現する3つめの方法は極めて現実的でスマートです。このページで複数の<p>
を含む文章をブラウザ上でコピーして、メモ帳などに貼り付けてみましょう。改行の後にはもちろん全角スペースが入っていますし、なんと<p>
の直後には、一行分の空白行が自動的に挿入されるかと思います。
これが、全て<p>
でマークアップした場合は全てに一行文空白、CSSで空白スペースを実現していれば字下げが行われない状態で挿入されてしまいます。(例外的に<p>
も<br>
も字下げをCSSのcontent
で実現している場合、Operaを使えば挿入可能(未検証だけどOperaの挙動を見る限りきっとできる)。)
HTMLによって記述されている文章を私達人間が利用するとき、字下げを全角スペースで実現していれば、HTML以外の媒体で利用するときも、コピーアンドペースト作業が非常に楽になります。つまり、私達人間にとっても非常に使いやすいマークアップ言語であるといえます。
また、プレーンテキスト形式で保存した日本語を、HTMLで再現するときも、わざわざ行頭の全角スペースを削除することなく、再現することが出来ます。
これは、HTMLに変換するときに行頭の全角スペースを削除し、そのHTMLを利用したい第三者が今度は行頭に全角スペースを挿入するという極めて無駄な作業を無くすことが可能です。
つまり、最終的な結論として、次のことが言えます。
HTMLの目的や最終的な利用者、利用方法、CSSの対応状況を考えたとき、3番目の方法は極めて現実的で単純な答えなのです。
鈴響雪冬をGoogle検索したときに、E-Windの自己紹介ページの次に来るのが気にくわないので、サイトのindex.htmファイルに少しばかり小細工をしてみました。といっても、タイトルの部分を、
「空の彼方へ… ~Wing of Wind~ -音楽・創作恋愛小説・サークル雪待終夜の総合ウェブサイト-」
から
「空の彼方へ… ~Wing of Wind~ [鈴響雪冬とサークル雪待終夜がお届けする、音楽と創作恋愛小説のサイト]」
に変更しただけなのですが…。
ただし、事情があってまだアップロードはしていません。今週末に他の更新と合わせてアップする予定です。
検索エンジンに対する行動で最も効果が現れるのはタイトルでしょうから、タイトルに鈴響雪冬を入れることによって、サイトが引っかかりやすくなるのは明確でしょう。
ページランクが低くても、サイトを上手く作れば、案外検索エンジン対策なんて言うのは簡単に実現してしまうのです。
確かに、今のインデックスページは、「鈴響雪冬」という単語は文末に著作権保持者として書いている部分しかありませんから、googleに見捨てられて当然といえます。対するE-Windの自己紹介ページでは、「鈴響雪冬」がタイトルと見だし2に表記されていますから、このサイトのインデックスとE-Windで比較したら、E-Windの方が上に来るのは当然といえます。
そこで、新しいインデックスページは、タイトル要素にも鈴響雪冬というキーワードを挿入してみました。来月の今頃が少し楽しみです。
ちなみに、雪待終夜という日本語をウェブ上で使っているのは私のサイト(と登録している検索エンジン)だけですから、余裕で引っかかるのです。MS-IMEで、「しゅうや」と変換して「終夜」と表示されるかどうかは調べていませんが。
CSSの設定を誤ってしまい、背景画像が表示されない(画像とは別に色を指定してあるのに特に問題ない)、リストの先頭画像が表示されない(UAのデフォルトが採用されるので特に問題ない)、H1の背景が表示されない(完全に装飾なのでなくても気にならない)、といった三つの問題が昨日から今日にかけて、推定半日程度の期間にわたって起こっていたことがサーバーのログによって判明しました。
今は既に修正してありますので、引き続きサイトの閲覧をお楽しみください。
今日の教訓。
background-image
を指定したときは、background-color
も指定しておくと、いざと言ったときに便利。
一応、このサイトのCSSは背景画像を指定したときに、それに類似した色を背景色として指定します。優先的に表示されるのはこのサイトでは画像ですので、画像があるときは画像を表示し、画像がない、または、画像を表示しない設定にしているときは、二番目の背景色が利用されます。
このようなバックアップ手段を用意しておくことは非常に有用であるということが今日、証明されました。別の見方をすれば、背景画像の変わりに背景色が使われていたため、問題の発見が遅れたとも言えます。背景色がなければ背景が白(UAデフォルトによる)になるので、すぐに気が付いたのでしょうけど…。
もう、ログが404エラーだらけ(501/1235リクエスト)なのです。
結局、今のクールから始まるアニメの第一話を全て見ることなく、一週目・二週目を過ごしてしまいました。アニメの量が圧倒的に多い埼玉放送を受信できるように設定したのになんだこの展開。日テレの深夜枠アニメ、NANAもデスノートも今月に入って一度も見てないし…。
それもこれも全てHDDの容量問題が加速しているからなのですが…。アニメ専用ドライブ、Eドライブが残り3GBを切り、今のクールはしばらくの間放置と言うことになりそうな展開。
それはそうと、ストロペリーパニック見終わりましたよ。
以下、ネタバレ有り。
全体的にのんびりとした印象で、そう言った意味では色々と丁寧だったかな、という雰囲気です。サブキャラのお話もきちんと盛り込まれて、1クールアニメに見られがちなメイン二人の独壇場ということもありませんでした。きちんと応援したくなるカップリングもメインで2つ、それに付随する片想いが一人ずつ、というかんじで、事実上6人の主役が居たと言ってもいいでしょうか。
最終話の話運び、すなわち渚砂と静馬がくっつくというのは至極当然の結果で、私の予想したとおりの流れでしたけど、ストーリーとしてまとめるのなら私は玉青と渚砂がくっつくという展開を選びそうです。静馬が渚砂を誘いに来たところで玉青が強引に渚砂を抱きしめて宣戦布告、という展開の方が行けてるような…。
【静馬】 「渚砂! 愛してる!」
【渚砂】 「渚砂様…」
【玉青】 「渚砂ちゃん…行ってらっしゃい」
【静馬】 「渚砂! 愛してる!」
【渚砂】 「渚砂様…」
【玉青】 「私だって…渚砂ちゃんを愛してます! 静馬様には渡しません!」
ほら、後者の方が同人誌が作りやす―――。
ただ、個人的にストロベリー・パニックは、静馬と渚砂が結ばれるまでを楽しむ作品というよりも、玉青にハァハァするアニメだと認識しているので、ストーリーがどうなろうとしったこっちゃ無いですが。
他の人に言われて初めて分かったことですが、私は日常の会話で四文字熟語や諺を同年代の人よりも多めに使う傾向があるようです。私自身、そんなことを認識しているはずもなく、常日頃から持っている認識を文章に書き表すなら、同い年の人ならこの日記の文章ぐらい簡単に読み書きできるものだと思っています。
この日記の文章を含め、私の人に読ませることを前提として書いている文章は、少なくとも中学校卒業レベル、どれだけ高度になっても日常的な会話(一般的な日本語)をこなせる人なら、他に何らかの問題がない限り、すんなり読めるレベルだと思っています。
確かに、漢字変換率は高く、「何処」、「如何」、「流石」等といった新聞ではお目にかかれない変換をしては居ますが、用いる慣用句のレベルはいいところで高校の国語レベル。日常生活を送っている間に自然と身に付くような言葉ばかりでしょうから、最もわかりやすい表現をすれば、中学校卒業レベルの学力を持っていて日本語を使って日常生活を送っている人なら誰でも読めるでしょう、という位置にあると思います。
あと、長さについても色々議論があるようです。
私は横書きより縦書きの文章を好む傾向があり、建築の参考書でも縦書きか横書きかで、買う買わないの判断をするときがあるほどです。よっぽどの場合では無い限り、横書きの参考書なんて購入することはありません。
そんな横書きが嫌いな私でも、自分の日記は読み書きしますし、他のサイトの日記も読んでいますから、昨日のHTMLとCSSとかそんな話題の少し長いかなというレベルの文章でもすらすら読めてしまいます。1万文字なんて、冊子版ReSin-ens換算で、12・3ページ読めば達成できてしまう文章量ですから、「凄い長い」ということも無いでしょう。
こういう事を書き出すと、ブラウザと紙媒体は違うなどと言われそうですし、確かにそれは私も認識していますけど、私がこの日記を印刷して読んだことは一度もありませんし、そもそも紙とインクがもったいないですよ。石油はもっと大切に使いましょうよ。大体にして、殆ど全ての人はこの日記をブラウザを通して閲覧しているでしょうし。
それに、ブラウザで閲覧されることを考慮して、改行の頻度は本来の文体よりもかなり高めです。適当に、冊子版ReSin-ensのある1ページを引用してみましょう。
静寂に包まれた部屋から出ることなく、スケッチブックがおかれた棚から一冊のスケッチブックを取り出し、最後の方からページを確認していく。数枚捲ると、目的の絵はすぐに見つかった。その絵を見ながら、完成までにかかるおおよその時間を推測する。中森山から河名市の街並みを見下ろした風景を薄く木炭で輪郭を捉え、その上に重ねられた鉛筆の線。確かに、木炭の線はデッサンのようなものだし、その上に重ねた鉛筆の線だって完全ではない。でも、幾重にも重なる線で構成されているのにもかかわらず、その存在感の希薄さは何時もの事だった。
部屋で着替えをすませ、洗面所で鏡を見ながら寝癖を直し、身なりを整える。途中、リビングのストーブがついていない事を確認すると、部屋に戻り、あらかじめケースにまとめてある絵の具セットをベッドの下から引きずり出す。スケッチブックと絵の具セットを手に取り、階段を慎重に下りると、玄関先にその荷物を置いた。丘の上から見下ろした街は未だ朝霧に包まれていた。来る直前に用意したサンドイッチと、魔法瓶に入れたコーヒーを飲みながら、この間と同じポイントを探し歩く。
目に焼き付けた風景と、デッサンした風景が重なる場所は芝生広場の隅にあった。傾斜はほとんどなく、子供達が走り回るための芝生が淡々と広がり、ぐるりと見渡せる視界の所々に木製のテーブルと椅子が添えられている簡素な場所だった。手に持っているデッサンは、この場所から椅子とテーブルが見えない方角に的を絞り、芝生とそこにたたずむ一本の木、その向こうに見える街を対比するような構図になっている。座ったときに全く同じアングルがとれる場所を細かく移動しながら探しだし、そこに小さなビニールシートを敷き、草のうえに荷物を広げた。鉛筆線の仕上げを終えて時計を見ると、一時間ほどが経っていた。中学生時代から絵を描いているだけあって、独学ではあるが、自分の目で見る限り全体的におかしな所は見つけられない程度になっている。スケッチブックから目を離し、対象ともいえる風景に目を向け、一つ息を吐き出すと、俺は筆洗いを手に持って近くの水飲み場に向かった。
水飲み場で水を汲み、スケッチをした場所に戻ると、椅子に腰掛ける。荷物になるからと持ってこなかったイーゼルの代わりに膝の上にスケッチブックを載せ、眼下に映る風景と描かれた絵を見比べる。本来なら先週の土曜日にやっていた作業。謎の女の子に出会ってしまったがために、この場所を避けてしまった。結果的に、一週間遅れて俺はこの場所にいる。ひとまず、バランスに大きな間違いがない事を確認すると、俺は絵筆を握った。
これだけの文章がA5用紙一枚に印刷されています。これで1000文字ですから、この水準で計算すれば、昨日の文章なんて10ページ程度ですね。ReSin-ensは全体で200ページ程度の作品ですから、それに比べたらずいぶんと楽なものです。
これだけのことを書き連ねて、この段落で言いたいことは、この日記の文章を、単語や言い回し、長さという要因で読みづらいと言っているようなら、新聞すら読めないよ、という事。
どちらにせよ、ここで話題にしていることは、私が普段使っている日本語は同年代の人にとって難しいか、ということ。
私個人としてはそんなことは思っていませんし、たぶんこのサイトの日記を何時も通り閲覧している方も、「このぐらいの文章は読めて当然でしょ」と思っていることかと思います。私が知りうる限りの事を元にして推計すると、この日記の常連さんといえる閲覧者はおよそ10~15人。その半分が私より年上、半分が年下という分布になっていると思います。
年下といっても、20歳を超える超えないのラインでしょうから、私が目標としている対象者年齢には綺麗に収まっています。そんな方達がこの日記を苦もなく読んでいる(辛かったら毎日読みませんし)のですから、同年代の人にとっても読めないはずがないですね。
今までは長さや単語のレベルという点で論じてきましたけど、他に読みづらい要因があるかといったら、それはずばり話の起承転結。あちこちに脱線する、書き出しの目的と最後のまとめがずれている、終始一貫性がない、等々、理由を挙げれば沢山出てきそうです。
でもまあ、極端なことを言えば、テキストサイトと呼ばれる文章で人に訴えかけたりするような崇高なことをこの日記が目指しているはずもなく、私はただただ日記を書いているだけなのです。
例えばこれが、日記というタイトルではなく、「コラム」や「一言もの申す」、「オタクが語る今の日本」、「何故イケメンは三次元に逃げるのか」といったものだったら、流石に起承転結やメリハリのある文章、何が言いたいかすぐに分かる文章を書き連ねる必要がありますが、この文章はあくまで日記。日記のインデックスページもあるとおり、この日記のテーマは「日々思ふ」なのです。もはや日記と言うよりも手記といったほうが正しいのかも知れません。
そもそも、サイトのメインコンテンツでもなく、日記としてのサブコンテンツとして存在し続ける限り、この行き当たりばったりな文章が日記において改善されることはないでしょう。それに、そんな文章でもきちんと継続して読まれているのです。読めないはずがない(笑)。
というかんじで、どんなに考えてもこの日記が読みづらい理由も、私が使っている日本語が分かりづらいということも証明できませんでした。
こういう事を書くと一部の人に反感を持たれそうですけど、反感を持った人のうちメールを送ってくるのは100人に一人だろうというもうすぐサイト開設から5年が経つ管理人の悟りを元に書いてしまいます。
学習塾にも進学校にも一度も通うことなく、工業系の学校で建築だけを勉強してきた、勉強の素人がこの文章を書いているのです。いわば勉強という点においては最底辺にいるといっても過言ではありません。
確かに小説を書く人間として多少なりとも言葉の勉強はしているかも知れませんが、それはあくまで情景描写といった表現手法であり、言葉そのものの勉強は殆どしていません。その証拠に、敬語は殆ど使いこなせませんし、文章構造もなっていません。しかも私自身は、日本人なのに敬語を使えないのは恥ずべき事だと認識しているのにも拘わらず、です。
そういった人が書き連ねる文章のレベルなんてたかが知れています。ですから、少なくても私よりも年上の人が、この文章を読みづらいと感じるのなら、それはちょっと…ヤバイのかも知れません。
大体にして、中学校の教科書に出てくる純文学なんて、このサイトで扱うどの文章よりも様々な点でレベルが高いではないですか。
【雪冬】 「行ってきま~す。」
【みいな】 「行ってらっしゃいませ。」
【メイド達】 「行ってらっしゃいませ、お嬢様。」
【雪冬】 「ただいまー。」
【みいな】 「ずいぶんと早かったですね。学校まで行って授業をさぼったのですか?」
【雪冬】 「ちがうよみいな。学校に行ったのは当たってるけど、学校には散歩に行ってきただけだから。」
【みいな】 「なるほどなるほど。学校に行ったのはいいけど、実は授業が休みになっているということに気が付いて落ち込んで帰ってきたと行ったところでしょうか。」
【雪冬】 「違うもん。違うもん。402教室まで散歩に行ってきただけだもん。最近運動不足だったから散歩に行ってきただけだもん。」
【みいな】 「へー。授業に使うノートと教科書という荷物を持って筋肉に負担をかけた上で、4階まで階段を上って、休みだと言うことを確認してそのまま帰ってきたのですね。」
【雪冬】 「休みだと言うことを忘れていた訳じゃないんだからね!」
報告~
(超適当)10月: 1冊目の日記がIEでは狂います。
(左メニューに被っている)
まずは報告どうも有り難う御座います。
1冊目ではなく2冊目には思い当たる節がありますので、たぶん2冊目の方で問題になっているのだと思います。今一度ご確認を。
肝心の解決方法ですが、この問題は既知の問題で、既に(12日)修正を施してあるはずです。たぶん、修正前のCSSがキャッシュに残っている状態だと思うので、キャッシュを破棄するリロード(IEだとCtrl+F5?)を実行してみてください。
検証が足りずご迷惑をおかけしました。
<pre>
は入力されている情報をそのままの形で表現するので、CSSやUAデフォルトによって規定された<pre>
の領域を超えても自動的に改行されません。つまり、幅をブラウザの幅と同じ(100%)に指定していた場合、その中に収まらない文字列は、100%を超えた状態でレンダリングされるようになっているようです。
この時、ブロック(幅)からはみ出した情報をどのように処理するかを扱うのが、CSSでいうところの、overflow
です。
このoverflow
の値は、UAのデフォルトとしては、内容物がはみ出す場合はスクロールバーを提供して、画面内に収めるようにする事を推奨値とされています。CSSで言うところのoverfrow:scroll
に挙動が似ていると思います。
このoverflow
は値にauto
を指定することによって、UAのデフォルトを明示的に利用すると処理させることが出来ます。
OperaやFirefoxでは、デフォルトでそのような動作(はみ出さない場合はスクロールバーを供給せず、はみ出した場合はスクロールバーを供給)をするようになっています。
しかし、IEはデフォルトでvisible
、すなわち、内容物がはみ出した場合、はみ出したぶんだけ画面に表示させようとしているようです。そのため、<pre>
にはスクロールバーが出現しませんが、IEのウインドウ全体にはスクロールバーが出現し、このサイトのように左側のメニューをCSSの回り込みで実現している場合は、IEでとんでもないことが起こります。
私は今までoverflowの値としてautoを設定していました。少なくとも今まではこれで問題がなかったのです。しかし、12日の日記では<pre>
の幅を明らかに超える文章を入力してしまったので、今回のような問題が発生しました。
今までのCSS
pre {
margin: 1em 15px 0px 30px;
overflow: auto; /*overfrowの処理はUAデフォルトに任せる、という構文。しかしIEのデフォルト値が予想と違ったため、今回のような問題が発生した。*/
padding: 2px 1ex 2px 1ex;
font-size: 1.0em;
letter-spacing: 0px;
}
修正後のCSS。
pre {
margin: 1em 15px 0px 30px;
overflow: auto; /*ここは今までと同じ処理*/
_overflow: scroll; /*これはIE6.0のバグを利用した構文でこの行はIEしか読み込まない。スクロールバーの表示を強制する構文。*/
_width:85%; /*これもIEしか読まない行。幅を指定しないと、スクロールバーがただ表示されるだけで、ブロックの幅が勝手に画面外に飛び出してしまうのを防ぐ*/
padding: 2px 1ex 2px 1ex;
font-size: 1.0em;
letter-spacing: 0px;
}
ReSin-ensの刊行が終わったら、ReSin-ens全四巻(予定)を国立国会図書館に納本してしまおうかと突発的に思い立ってみる。
訴えられることはまずありませんが、日本国内で出版された本は商業は当然のこと、自費出版であろうが同人誌であろうが、全て納本することが法律で義務づけられています。
罰則規定もありますから、立派な違法行為ですけど、法整備や慣例的な部分もあり、個人や企業の協力によってシステムが成り立っているというのが実情のようです。
じゃあ、いっそのこと堂々と同人誌を納本してやろうかと思い立ってしまったわけですよ。レーザープリンタにインクジェット印刷ですけど、受け取ってください(向こうが迷惑しそうだ)。
民間の出版物が発行されたときは、「文化財の蓄積及びその利用に資するため」(国立国会図書館法第25条第1項)、発行者は、発行の日から30日以内に、最良版の完全なもの1部を国立国会図書館に納入しなければならないこととされています。
出版物を納入した者から請求があった場合には、当該出版物の出版及び納入に通常要すべき費用がその代償金として交付されますが、正当な理由なく納入をしなかったときは、その出版物の小売価額の5倍に相当する金額以下の過料に処せられることとされています。
実現すればの話になってしまいますが、コミケで集められた見本誌を一堂に集めた見本誌図書館を作るという構想もありますし、どうせ何時かは晒され、閲覧される運命なのです。じゃあ、いっそのこと、国内の図書館でも最高峰の国立国会図書館に納本してしまってもいいじゃん、そんな単純な発想。
どのぐらい最高峰かというと、鞄の持ち込みが禁止されている上に、入館するときには住所氏名電話番号を書き記さないと行けないぐらい最高峰。本も自分で取ることは出来ず(閉架式)、データベースを検索して欲しい本を請求、数十分後に手渡しされるというぐらい最高峰。コピーだって(基本的に)自分でとることは出来ず、用紙に必要事項を記入の上、担当者にコピーをとって貰わないと行けないぐらい最高峰。それに名前からも分かるとおり、国会議員が調査研究のために使うぐらい最高峰。(国会が最高峰の位置にあるとは一言も言っていないところをあえて強調する。)
そんなところに、同人誌を無駄に納本してみたいじゃないですか。
そうすれば、国立国会図書館という国立の施設で、「鈴響」だとか「雪待終夜」といったキーワードで、検索結果に表示されるようになってしまうんですよ。もう同じ検索システムでも、googleの数倍はインパクトがあります。
第十一章その他の者による出版物の納入
第二十五条
前二条に規定する者以外の者は、第二十四条第一項に規定する出版物を発行したときは、前二条の規定に該当する場合を除いて、文化財の蓄積及びその利用に資するため、発行の日から三十日以内に、最良版の完全なもの一部を国立国会図書館に納入しなければならない。
同人誌は一番ですね。
ということで、もの凄く平たく訳せば、行政機関以外の人間が発行した本は、発行してから30日以内に1冊納入してくださいね、という流れになりそう。
建築基準法を読むのになれていると、多少なりとも条文は読めてしまえるものですね(笑)。
日記でメールレスなのに、文章の引用をしないという、前代未聞の展開。
原因が判明しました。10月4日の、「2個の項目を削除しましたが、よろしかったでしょうか」という画像の幅が、閲覧している際の解像度を大きくはみ出していることによって、メニューの方に記事がはみ出してしまっているようです。
調べてみたところこのようになるのはIEだけのバグで、他のブラウザではスクロールバーが提供されています。明示しては居ませんが、サイトを閲覧する上での認識上の最低解像度(日記ページが一番条件が厳しいのです)は幅800ピクセルなので、それ以下になると今回のような現象が発生する可能性があります。
今回は画像をリンクするという形で対応しますが、今後、こういったことがないとは言いきれませんので、あらかじめご了承ください。
なお、提供していただいた画像はインターネット上から撲殺いたしました。お手数おかけいたしました。
全然関係ないですけど、一発ネタ。
ご安心ください。Safariは最新のインターネット標準規格にしたがってWebページを適切にレンダリングするので、最新のHTML、XML、XHTML、DOM、CSS、JavaScript、Java仕様を使ったページを正しく表示します。
嘘だっ! ©ひぐらしのなく頃に
少なくとも、まだGecko系ブラウザの方が、まともにレンダリングします。Macで使われるブラウザって、どうしてこう、癖のあるバグが多いのでしょうか。
日本語によるフォント指定を無視するとか、日本語の内容生成が文字化けするとか、そんなに日本が嫌いですか? 確かに、日本だと売り上げの数割は「可愛いから」とか、そんな理由で購入されていますけど、新海さんだって使ってるんだよ? というより、アップルが公式に新海さんにプレゼント………。
一昨日・昨日と続いたIEのバグ話ですが、そんなのはどうでもいいのです。ホームページビルダーのCSS再現度はもはやバグ以前に、これが製品として売られていることに疑問を抱くほど凄いことになっていますから。
もう、正直、何処でも配置モードとか、ネコミミモードとかいらないので、HTML4.01
Traditionalぐらいきちんと吐き出して欲しいものです。時代はXHTML2.0ですよ?
あー…うん…書くことないや…。ここ一年はオフラインの活動がメインでしたから、サイトは殆ど放置状態ですし…惰性で迎えてしまった気分ですね。
何処かの研究所が細菌兵器として研究したいのですがと申し込んでくるような臭い台詞が浮かんだら書きます。
いっそのこと、サイト名を変えてしまおうかと悩み始めるお年頃。
変な話、私の中で『雪待終夜』というサークル名はもの凄くセンスのいい言葉だと思っていて、それを基準にすると、このサイト名ってなんて平凡なんだろう、と思ってしまうのです。
サイトのアドレスも、snowysnowといったかなりいい感じのアドレスなのに、サイト名は「空の彼方へ」………。うーん、サイトを作ったときの思考回路がよくうかがえます。というより、このサイトを開く前に作っていたもう一つのサイトの方が、名前としては格好良かったのでは、とか思い始める今日この頃。(適当に思い出しながら入力したら、スペル間違えなかった。これって結構凄いかも。)
ただ、今日、このサイトのデザインは『空』という単語をテーマにしていることもまた事実。サイト名の変更となるとこの辺りのテーマを見直す必要がありそうです。CSSをメニューから切り替えられるブラウザを使っている人や、サイトのソースを覗いたことがある方はご存じかと思いますが、今使っているCSSの名前は、[blue-sky]ですし。
もういっそのこと、「天高く馬肥ゆる秋」とか、そんなサイト名でもいいような気がしてきました(笑)。もっともこの単語の場合、馬が肥える季節になったから、蒙古からの侵略に気をつけろとか、そんな意味合いで生まれた言葉なので、綺麗な言葉では無いですが。
詩唄いさんのサイトの日記で明らかになったことですが、向こうもサイト名を変更する予定があるようですし、もういっそのこと、やっちゃう、やっちゃう、やっちゃう? 男になる、男になる、男になる?
ここで、雪待終夜を作る途中で生まれたボツ案を活用ですよ。えーと…やっぱり「長谷部小説店」かな。
ナルシストといわれようがなんと言われようが、『雪待終夜』という単語が大好き。結婚してもいいぐらい。でも、雪待終夜・雪冬とか、そんな名前になりそうだからやっぱり嫌だ。画数が多すぎて落ち込みそうになる。響だけでも苦労するのに。
でも、日本一長い名字の「勘解由小路」氏とかはもっと大変なんだろうなあ…と、ネットの片隅で余計なお節介。
なんか、辺にテンションが高くなってきたので、ちょっくら諸葛亮孔明の第五の武器を取ってくる。30分後には、一般兵に撲殺された~というレポートをあげる予定(笑)。
“初デート”ってその人の人柄であったり、普段からどんなことを考えているのかなってじっくり観察するところ。
何に興味があるのか、実は意外な趣味があったりとか。
言ってしまえば「彼の素性」───これが一番知りたい!!
私の素性は、私と友人になると1割ぐらい分かると思います。
私の趣味は、私と友人になると3割ぐらい分かると思います。
私の思考回路は、私と友人になると2割ぐらい分かると思います。
私の素性は、この日記を読んでいるだけで7割ぐらい分かると思います。
私の趣味は、この日記を読んでいるだけで6割ぐらい分かると思います。
私の思考回路は、この日記を読んでいるだけで8割ぐらい分かると思います。
私の素性は、私と盟友になると8割ぐらい分かると思います。
私の趣味は、私と盟友になると7割ぐらい分かると思います。
私の思考回路は、私と盟友になると9割ぐらい分かると思います。
ということで、サイトの管理人さんには管理人用の人格を作っている人も多いかも知れませんが、口調という点を除けば私は殆どが素に近いと思います。だから肩肘張らずに5年間サイトを維持できるのです。
「箱根の皆さーん。うたわれるものですよー」でお馴染み(?)の『うたわれるものらじお』。実はこんなサイトがあったようです。
いやもう…大好きです。毎週欠かさずに聞いてます。多方面に協力をお願いして全話DLして保存してあります。どんどん修羅場になっていく感じ、その修羅場を聞いてセピア色の思い出を掘り返してくれるところとか、大好きです。
もう、この番組の目的が『うたわれるもの』を紹介する番組という趣旨だったのにそれが忘れられつつあるとか、第一回の自己紹介で小山氏が「ハクオロ役の小山力也です」ときちんと発音できなかったとか、30分番組なのに60分ぐらい放送されているとか、そんな細かい事は忘れてしまいましょう。
『うたわれるものらじお』は柚木氏が小山氏に猛烈アタックする番組です。
なお、ラジオ関西(JOCR)の方では、ネット配信ではディレクターによってカットされている部分も放送されるとのこと。ああそうか…Leafは大阪が本社だもの。
ラジオ関西の周波数は、558kHzだそうです。指向性が北東なので関東での受信は壊滅的…かな? ただ、東北地方では受信できるようです。
NHKFMの青春アドベンチャーで、面白そうな物語が放送されるようです。私のチェックの仕方が悪いのかも知れませんが、ここのところは再放送ばかりだった中、久しぶりの新作です。
これを機に…4年間ほったらかしのFMアンテナ作成計画を実行に移そうかな。
私の誕生日といえば、6月のあの日ですが、もう一つ忘れられない誕生日があります。それが10月15日。たとえば、人間に二つ誕生日があって、もう一つの誕生日を自分が自由に決められるとしたら、私は間違いなく10月15日を選ぶと思います。
他にも候補は幾つかあって、2月11日(雪解け水結成)、6月25日(雪待終夜結成)などをあげることも出来ますが、思い入れが深いのは10月15日でしょう。三つの日付とも、何も見ることなく、自分の脳内から引き出すことが出来るぐらい、私にとってはなじみ深い日付ですが、やはり10月15日には敵いません。
Blogというツールが日本に上陸してから、多くの人が手軽に簡単にそして素早く擬似的なウェブサイトをネットワーク上に構築することが出来るようになりました。同時に、情報の発信ももはや特別なものでは無くなりつつあります。
私がこのサイトを作った理由は、望まれていたということもありましたが、自分の居場所を確保したい、自分の作品を公開できるようにしたい、といった欲求の表れでした。
『空の彼方へ…』がインターネット上に産声を上げたとき、それは音楽を配信するサイトでした。そして、『雪解け水』の結成と共に小説を公開するようになり、JASRAC問題を乗り越え、他のサークルでドラマCDを作ったり、自分のサークルで活動をしたりしながら、今日ここに、このサイトは5年という節目を迎えました。
回りを見渡すと、5周年という月日をとうの昔に超え、六年、七年、八年…十年超などと、もはや背中が見えるかどうかも怪しいほど前を行く同人サイトが沢山あります。そう言ったことを考えると五年なんて「まあ、一つの通過点かな?」程度の価値しかないようにも思えてきます。
ですが、五年もあればそろばんだって十級から二段ぐらいまでは行けるでしょうし、書道でも同じぐらいになるでしょう。
それに、Yahooだって今年で一〇周年。そう思えば、Yahooの人生の半分に相当する時間をこのサイトが歩んできたことになります。そう思うと、「ああ、五年って結構凄い数字?」などと自信過剰になれるものです。
そう、他人がなんと思っていても、私が五年が凄いと思えば、五年は凄いのです。九〇年代に公開されたサイトが何だ!(宣戦布告?
さて、五年といっても、その月日を一人で迎えられることは不可能です。今回、ページ毎の見出しの背景に、「皆さんのおかげで五周年」と書いたとおり、五年という月日は皆さんが居たからこそ迎えられる節目といえましょう。
閲覧者が私だけで、毎日1ずつしかカウンターが増えなかったとしたら、私は今頃ここに存在していないでしょう。
ということで、五年間お世話になりましたが、今のところこのサイトはしぶとく生きていきそうです。少なくとも、SAKURAインターネットサービスに振り込んだ一年分のサーバー契約料の元だけでもとらないと、損してしまいますし、ReSin-ensとかも中途半端なままですからね。
これからもよろしくおねがいいたします。
16日になってから今日の14時ぐらいまでの間にサイトに訪れた方は気が付いたかと思いますが、今回は少しばかり5周年スペシャルカラーを公開する時間が長くなっていたかと思います。
原則、記念日などでサイトの色を変更する場合、当日の0時から次の日の0時までとしています。今回も例外なくそうするつもりでしたが、「まあ5年目だし、少しぐらい延長してもいいかな?」と思って、今日の昼まで公開しておきました。
べ、べつに、昨日が徹夜明けで、0時にCSSを書き換えようとしたのに、その前に力尽きてベッドの上で眠っていたなんて言うことはないんだからね! 気が付いたら今日だったとか、そういうことじゃないんだからね!
どちらにしても、日曜日という恵まれた日に5周年を迎え、また平日の昼までサイトが5周年モードだったので、何時もよりも多くの人がお祭りに付き合うことが出来たのでは、と思います。
夜、部屋の窓を開けると流れ込んでくる風や、水道の蛇口をひねったときに流れる水から冬の訪れをひしひしと感じる季節になりました。この季節は湿度も下がりやすく、光が明瞭になるので、星空や夜景の写真を撮るのに最高の季節です。
実際、函館山の夜景は、10月から2月までにとるのが最適と言われているとかいないとか。
ReSin-ens第二巻の表紙を飾る写真構図が未だに決まらないまま、方向性は定まりつつあります。一巻を最後まで読んで下さった方は、二巻の表紙を推測できるかと思いますが、きっとまあ…その通りです。
日記を定期的に読んでいる方は気が付いたかも知れませんが、ReSin-ens第一巻については表紙について殆ど前情報を出すことなく、公式発表にこぎ着けました。二巻も今のところその方針で、本文の紹介はしても、表紙の紹介は冊子の発行に目処が立ってから、という流れになりそうです。
ここ数日、Windowsがパソコンを巻き込んで強制終了することが何度か重なったので、メモリのテストとHDDのテストを実行してみました。
結果、Dドライブに怪しげなエラーが………。
ひとまず、HGST謹製のユーティリティーでエラーが発生しているセクタを使用不可能にすると同時に、HDDの購入をせざるを得ない展開に。
Dドライブは、システムキャッシュとマイドキュメントという、非常に仕事量の多いドライブで、Dドライブが真っ先に寿命を迎えることは予想できていましたが、最低限今月末まで持つだろうという予想だったので、ちょっとまずい展開に。
一応、同人活動に関連するフォルダはバックアップドライブであるEドライブへ退避。サイトの情報は、後々サーバー上からダウンロードすれば問題ないですから、放置。他にも守らないといけないファイルが幾つかありますが、それらは二の次、ということにしましょう。如何せん、バックアップドライブの容量が残り4GBしか無いのです。
とりあえず、HDDの注文は完了。あと二日間は耐えてくれることを祈ります。
あっ…バックアップ先…あった…。ネットワーク経由で「彩音」に保存すればいいのです。彩音のOSはWindows98SE。Cドライブしか搭載していない状態で、容量は10GBですが、Windows98SEで占領しているのは僅か500MB。残り9GBは余裕があるので、そちらに退避させてしまいましょう。
ただ一つ疑問に残るのは、ファイルの読み書きに関するエラーの場合、WindowsXPの「イベントビューア」に、エラーが必ず報告されるはずなのですが、それが全くないと言うこと。確かに9月20日(現時点で最新)にそう言ったたぐいのエラーが一度報告されているのですが、それ以来全く音沙汰無し。
謎が謎を呼びます。そもそも、クラスタエラーが確実に発生しているという証拠は一切ありませんし。どちらにせよ、HDDを買い換えないと行けないというのは分かっていたことですし、今月中に買う予定でしたから、その日程が一週間ずれ込んだ程度だと割り切って、今回は対処してしまいましょう。
実に、今のパソコンになってから二度目のHDD取り替えですね。
今回の結論は、マイピクチャーが意外と足を引っ張る、ですね。撮り溜めた数々の写真達をバックアップする場所がないというのは非常にネックです。
いっそのこと、『玄箱』でもかってネットワークアタッチトストレージでも完成させてしまおうかなと、小一時間禅問答。バッファローから発売されているそれ系のキットと、玄人志向から発売されている玄箱の見た目が全く同じなのは、流石両者とも親会社はバッファローという感じです。
ただ、現時点で最も手軽な方法が、サブパソコンの彩音のHDDを増強して、ファイル置き場として使ってしまう方法ですね。10GBという容量と電源容量120Wという問題さえ解決してしまえば、十分ファイル置き場として耐えきれるはずです。あと、電源ファンも壊れていたね。
もう、いっそのこと、LANケーブル一本でHDDを増設できればいいのに。いえまあ…それがNASだといわれたらそれまでですけど。
『巫女のスヽメ』の製本を目標分まで達成しました。これで全ての冊子の在庫を確保したので、何が起こっても平気です。
うん。ごまかし無しで言おうと思うんだ。
『魔法先生・ネギま』、面白いじゃないですか。コミック版だけど。5巻まで勢いで買った。
もうね、希望風内部で、ネギまに遼風彩音にそっくりな子がいるとか、もの凄くもてはやされていて、作者の私も認めざるを得ない展開になっているのは以前触れたとおりですけど、結構色々似ているのですね。図書委員とか(彩音は文芸部で図書館を管理)そんなところ。
しかもドジっ娘だし、引っ込み思案だし、でも結構おしゃべりだし。
その身を三次元に置いている人ほど勘違いしそうですけど、萌えと恋愛対象は違います。もっとも、このサイトを閲覧する殆どの人はオタクでしょうから、今更こうやって議論するのは多くの点において無駄でしょうけど。
私の属性としては「大人しい人」とか、「頼りない人」といったものがありますけど、これはいわば「萌え」という範疇に限っての話。多少なりとも曖昧な表現に頼るなら、「見ていて楽しむ為の人」といったところでしょうか。
私の体に微分法を適応して二次元の世界に転移させたとしても、それら属性キャラは見て楽しむ為の存在であり、それと付き合う人はまた別の話、ということ。よく言われる言葉を使えば、性欲と愛情は別次元なのです。
さて、遼風彩音は「大人しい」や「頼りない」、「黒髪」、「文学少女」、「大和撫子」、「貧乳コンプレックス」といった私の属性を満たすキャラクターですが、黒髪ロングというわけではありません。これは一つの潮流に対する私なりの答えです。
一部の流派において、萌えは記号だというように言われますが、私はそうでないと思います。確かに、「メイド」や「巫女さん」、「黒髪ロング」、「ツンデレ」といった単語によるカテゴライズ、マーキングは可能ですが、萌えが記号であってはいけないと私は考えます。
一般的にオタクはブランドものを持つ女に対して冷たいと思われます。たぶん、「ブランド」という冠を付けることによって、自分の位を高める行為に嫌気が差すのでしょう。こういったオタクに対してブランドものを持たないのかというと、多くの場合「ブランドには興味がない」だとか、「俺達一人ひとりがブランドなんだから、今更ブランド物なんて持たなくてもいい」等と行った、もっともらしい答えが返ってくるでしょう。
ブランドの本質は、これらオタクの言うとおりブランドという記号を身に纏うことによってその身を高めることにあります。シャネルの香水だとか、メルセデスベンツ社のマウンテンバイクだとか、そう言ったブランドの存在そのものに価値がある物を身に着けて、自分を高めるためにブランドは利用されます。
言い換えればブランド品は記号です。ルイヴィトンやELLEといった記号を身に纏うことによって、その人はルイヴィトンやELLEにカテゴライズ・マーキングされ、その位を通常より高い位置にとどめることが出来ます。
事務所で応接室にハードカバーの本を沢山並べて、格が高いように偽装したり相手を威嚇するのと同じように、記号を利用して自分の立場を優位にしようとするのです。
もし萌えが記号ならば、それは本質的にブランドと同じになってしまいます。しかし、今すぐ私が巫女服を身に纏い狐のしっぽを付ければ、最強の萌えキャラになるかといえばそうではありません。もし仮に、萌えが記号ならば、巫女服と狐のしっぽを身に纏った瞬間に私は萌えキャラにならなくてはなりません。記号にはそれだけの力があります。
ですが、そんなことはありません。誰もが妄想することすら拒み、私がそんな自分の姿を撮影してアップした瞬間、瞬く間にウォッチャーにサイトが乗っ取られてしまいます。
一部の人によって萌えが記号化されるようになったと思いますが、何でもかんでもツンデレにすればいいってものではないのと同じで、そんな安っぽい萌えには用はないのです。
そう言った考えが根底にあるからこそ、遼風彩音は「大人しい」、「頼りない」といった属性を付けられつつも、「黒髪ロング」や「巫女服」といった属性を与えられたうえ、私の属性とは正反対に位置する、「積極的」や「おしゃべり」といった要素が加えられています。
それは、結果的に「大人しい」や「頼りない」といった単語にまとめられてしまっている性格にはそれなりの理由があり、その理由を満たすためには、黒髪ロングや巫女といった属性を分け与えることが出来なくなるからのです。
萌えは記号ではありません。ですから、その組み合わせに意味があります。強引に自分の好きな属性を反映されたキャラクターを作ったとしても、それはパズルのピースに形の合わないピースを強引に当てはめる行為とほぼ同じ。見た目はカラフルで目を引いたとしても、ちぐはぐな形では調和を失い、やがてピースそのものが駄目になってしまいます。
つまり、「萌え」を幾つか集めてキャラクターを作るのではなく、出来上がったキャラクターに対して萌えが付随するのです。
言い換えれば、萌えが先行してキャラを作るのではなく、キャラが萌えを生み出すのです。
身近なサイトで神憑り的なリニューアルを行ったために軌道修正をせざるを得なくなった、希望風ウェブサイトのリニューアル計画ですが、ようやく骨子が完成。といっても、メモ帳にデザインのラフスケッチを行っただけですけど。
もちろん今回もフレキシブルレイアウト(非固定幅レイアウト)です。このサイトで作り方は学んだので、後はそれを適応するだけです。この辺りは経験がものを言いますね。
一応、CSSを考える段階で、脳内ではHTMLが同時に構築されるので、デザイン計画さえ決まってしまえば、あとは私のやる気次第でどうにかなるものです。
多少なりとも建築を勉強している影響か、デザインといったたぐいの作業をするときは、クロッキー帳やメモ帳に鉛筆を走らせるのが極々自然の行動として馴染んできました。頭の中だけで考えるだけではなく、手を動かして作業をする。これは結構大事だと思います。
アイディアは書き出さないと、前後の比較が出来ないとは良くできた言葉です。前後の比較が出来ないと、前の案からの良し悪しだってはかれませんからね。
先日、5周年を迎えたときにトップ画像を一日半だけ差し替えましたが、あのトップ画像が通算20枚目のトップ画像になりました。トップ画像を閲覧できるページを更新しましたので、よく見られなかったという方や、見逃したという方はどうぞ。
もう一つの楽しみ方として、ReSin-ens第一巻を読み終わった方は、四ヶ月連続トップ絵差し替えの時の、3月の画像を見てみると、意味に気がつけるかも知れません。
投げやりだった、ページ最上部の栞ともいえるリンク一覧に新して新しいCSSを適応してみました。断然見やすくなりましたね。
絵描きばかり集まったので、PCの環境の話題になり、ある人が「メモリ2GB積んでます」と言ったら、「自慢テラワロスw」と言われたりして不穏な空気に。そして「嘘でも512って言うもんでしょ!」とたしなめられたという。
その作品はファンが女性中心で年齢層が低いそうなので(10代中心)、そのためだと思うが、それにしても「嘘でも512って言うもんでしょ!」はオモシロ過ぎる。
えっ? WindowsXPならメモリの選択基準は2GBからじゃないのですか?
という冗談はともかく、XPでまともな環境を手に入れるのなら1024MBぐらい積むのは普通かな、と思う次第。それ未満ですとMS-Officeですら起動が危ういかなと思います。
フォトショップが確保するメモリの最大値は2GB。これにOSが起動する分を含めれば3GBは必要になります。もちろん、私自身も2GBですら少ないと感じています。
具体的な数字としては、Windowsの起動に必要なメモリが512MB、フォトショップに1.2GB割り当てたとしても、ReSin-ensの表紙データを読み込んだ時点で、フォトショップが確保したメモリの半分を消費してしまいます。
学校への提出物として作るA1のパネルなんて、読み込んだ時点で1.6GBのメモリを消費し、フォトショップが確保している物理メモリの容量をオーバー。ファイルを開くだけでディスクにキャッシュを作りに行ってしまいます。セキュリティーセンターを始めとした各種サービスを切っている環境でこの状態ですから、一般環境だともっとしんどいのでは、と思います。
私のパソコンは一応DTM用パソコンという名目ですから、メモリよりもCPUやHDDのスペックに重みが置かれますけど、それでもメモリは1024GBぐらいあった方がいいのでは、という見解です。
私のパソコンスペックの詳細については自己紹介のページに譲るとして、そのスペックは(あくまで概算ですが)仲間内の中でも一番下。私の回りのパソコンは、私のそれよりも高スペックがごろごろしている状態なので、常日頃というわけでもありませんが、羨ましいなあと思いつつ見ています。もっとも、このスペックになったのは作った時期相応といったらそれまでですけど。
メモリ容量だけで見れば、ランキングは2位なのですが…。蒼瀧さん(3GB)→私(2GB)→詩唄いさん(1GB)。CPUはそこそこ粘りますけど、HDDは唯一私だけがP-ATAですし。
もうみんな、スペックランキングをはっきりさせるためにも、CrystalMark 2004の最新版で、ベンチマーク結果(SS)を日記で晒してください(for 希望風+1)。後は勝手に集計しますから(ぉ 。
ただ、一つの見解として、グラフィックを弄るパソコンは音楽を弄るそれよりもメモリにスペックが要求されますから、今日のデジタル漫画事情から見ると、最低限1024MB、標準でも2048MBは欲しいかな、と思います。
もちろん、トーン張りまでアナログでやってしまって、パソコンでそれを取り込むだけ、という場合は、それほどスペックは要求されないでしょうけど。
ようは、自分の作業内容に見合ったパソコンを調達するのが一番、ということですね。
あと、強引に話の内容を元に戻すのなら、メモリ容量が自慢になるのは4GBぐらいからだと私は認識します。
ということで、超個人的な欲求ですが、スペックランキングを決めてしまいたいと思うのですが、どうでしょうか。測定方法にばらつきがあるといけないので、以下の条件を定めてみたいと思います。
ちなみに、このベンチマークソフト。グラフィック関係の項目が多いので、グラフィックに強いパソコンが優位に立つという特性を持っています。
また、ベンチマーク中にWindowsがHDDの整理を始めたりするので、マウスを適度に動かしてそれを阻止することを推奨します。
私の正式なベンチマーク結果は、HDDを交換次第公開します。今現在のベンチマーク結果は、総合スコア3万8835です。
なお、このスペックランキングでは自己満足以外の景品はご用意できませんので、ご了承ください。称号ぐらいはありかも。
私の最新版のベンチマーク結果は、総合スコア4万2306になりました。
以下の文章は、後に大きなミスがあることが発覚しました。完全版は21日の日記に用意しましたので、そちらをご覧ください。
以下、3人のサイトから数値を引用した考察です。
CPU | ALU値(測定結果) 整数演算 |
FPU値(測定結果) 浮動小数点演算 |
|
---|---|---|---|
詩唄い | Athlon 64 3500+ | 8397 | 9215 |
蒼瀧紀綱 | Athlon 64 3200+ | 7570 | 8607 |
鈴響雪冬 | Pentium4 2.6GHz | 6902 | 6826 |
詩唄いさんと蒼瀧さんに関しては、同じAthlonであるため、3200+と3500+の差が綺麗に現れた結果になりました。雑誌のベンチマーク結果と殆どに多様な傾向になっているのかなと妄想できますね。
私に関しては、ALUとFPUが似た値を示していることから、それぞれの処理に対して最適化されているわけではないと言うことが分かりますね。ですから、AthlonはFPUのほうに多少なりとも強い、ということでしょう。
ALUについてはスクリーンショットがアップされているので分かりますが、Athlonは、フィボナッチ数列(Fibonacci)を求める演算と、乱数を並べ替える演算(QuickSort)については、他の二項目について3倍以上のスペックを発揮すると言うことが分かります。
反面、Pentium4は、四つの計算(フィボナッチ数列演算、自然対数の底、素数の計算、乱数列の整列)のスコアがほぼ同一で、自然対数の底と素数の計算に対しては、Athlonに対してスペックが上回っています。
仮に、自然対数の底、と素数の計算だけだった場合、Pentium4の方がスペックが上回っているという結果が出ていたでしょうから、非常に良くできたベンチマークであることが伺えますね。
メモリ | MEN値(測定結果) | |
---|---|---|
詩唄い | DDR400 PC3200 Dual 1GB | 6749 |
蒼瀧紀綱 | DDR400 PC3200 Dual 3GB | 6478 |
鈴響雪冬 | DDR400 PC3200 Dual 2GB | 8052 |
これについては32ビットWindowsの欠点が浮き上がってきた感があります。まず、スペック上一番早そうな蒼瀧さんは、Windowsにおいてソフトが扱える領域が2GBという制限に阻まれて、詩唄いさんとほぼ同一の結果が出ました。
そもそもこのメモリのテストは、単純に読み書きの速度を元に算出しているようですから、同じAthlonである二人の間にそれほど大きな差が出ると言うことはありません。両者とも400MHzで動作しているでしょうから、その二人の間に差があるとしたら、Windowsにとって手に負えない容量を積んでいる蒼瀧さんが不利になると言う点ぐらいでしょうか。両者ともマザーボードは同じチップセットですから、その可能性が強いと言えるでしょう。
このテストにおいては私のマシンが一番スコアが高い結果になりました。考えられる要因は以下の四つでしょうか。
詩唄いさんと蒼瀧さんの差が出たのは、2番によるものに、Windwsの制限が加わった結果ですね。それぞれ64bitCPUを積んでいますので、XP64やVistaを搭載していたら話が違ったかも知れません。
Pentium4機とAthlon機の差が出たのは、4番によるものではないでしょうか。DDR400で、両社のCPUもそれに対応していることから、メモリのクロック速度が400MHz以外で動作していることは考えられません。となると残るのはやはり4番といったところ。
メモリの仕様が全員殆ど同じという状況下で、これほど大きな差が出るとしたら、CPUのアーキテクチャによるものとしか結論が見出せません。特にAthlon64では、ノースブリッジに搭載されるべきメモリインターフェイスが、CPUに搭載されているという、Pentium4機と明らかに異なるメモリ回りに関する仕様がありますから、その影響が強いと言えるでしょう。
PentiumとAthlonといった理由以外に、メモリへのアクセス速度が大幅に違う理由をご存じの方はメールで教えて下さると幸いです。
HDD | HDD値(測定結果) | |
---|---|---|
詩唄い | S-ATA2 3.0Gb/s | 5409 |
蒼瀧紀綱 | S-ATA2 3.0Gb/s | 6643 |
鈴響雪冬 | S-ATA 1.5Gb/s | 7768 |
全員が(ほぼ)同じ規格での接続、同じメーカーのHDDを使うという展開ですが、これもベンチマークに差が出ていますね。
極端なことを言えば、ハードディスクにてフラグメーションが発生している場合、結果が悪くなる場合がありますが、この三人のハードディスクに限ってそんなことが起こっているとは言えません。定期的にデフラグしていますよね?
この結果はCPUやマザーボード、接続方法に至るまで、予想外の結果になっているので、HGSTのツールによる回転数制御や静穏動作といった設定に関わる部分が大きそうです。ちなみにこのベンチマークを行ったとき、私は回転数制御も静穏動作モードも実行していませんでしたので、私の環境で考えられる限り最高の動作をしていると考えられます。
また、もう一つの考えられる要因としては、サウスブリッジのバス速度もあるでしょうか。これについてはマザーボードのスペックを詳しく調べる必要があるので、ここでは議論できかねますね。
結果を見るまでもなく、GeForce6600と5600の差が出てしまったと言えるでしょう。
グラフィックカード | 解像度 | 接続 | GDI値(測定結果) | |
---|---|---|---|---|
詩唄い | GeForce6600 128MB | 1152*864 | PCI-EX16 | 11428 |
蒼瀧紀綱 | GeForce6600 256MB | 1600*1200 | PCI-EX16 | 8926 |
鈴響雪冬 | GeForce5600 128MB | 1280*960 | AGB x8 | 5271 |
マシンのスペックの差が勝敗の差ではないことを見せてやる! とかなんとか言いたくなりますが、面白い結果が出てますね。ひとまず、全員アスペクト比が4:3になっているのは、頭が古い証拠です(笑)。
同じGPUを搭載しているのに、詩唄いさんと蒼瀧さんの差が出たのは解像度による部分が大きいかと思います。解像度が高ければ高いほど演算量が増えてGPUに掛かる負荷は大きくなりますからね。全員同じ解像度を指定した場合は、差が殆どでなかったかも知れません。
また、蒼瀧さんは2ディスプレイ構成ですので、そう言った点もベンチマーク値に大きな影を落としている要因といえるでしょう。
私のスコアについてはわざわざ触れるまでもないでしょうか。一人だけGPUの世代が前であること、2台のディスプレイを接続していること、接続方法が違うと言うことだけで十分説明が付くと思います。
また、詩唄いさんと蒼瀧さんのマザーボードにはグラフィック性能を高める機能(PEG
Link Mode)が搭載されているので、そう言ったところも若干影響しているかも知れません。
D2D値(測定結果) | |
---|---|
詩唄い | 4526 |
蒼瀧紀綱 | 4418 |
鈴響雪冬 | 2134 |
これについては詩唄いさんと蒼瀧さんの結果が横ばい、私がそれに続く、という形になりました。DirectDrowにかんしては画面のプロパティから、GPUメーカーが提供するメニューを呼び出して事細かく設定できる部分があるので、そう言った設定の差が解像度の差を乗り越えている可能性がありますね。
D2D値(測定結果) | |
---|---|
詩唄い | 19403 |
蒼瀧紀綱 | 14766 |
鈴響雪冬 | 5353 |
圧倒的ですね。詩唄いさんと蒼瀧さんの差は前述した解像度やディスプレイの構成によるものでしょうか。私に関しては説明を省略しても問題なさそうです。
部門 | ALU | FPU | MEM | HDD | CDI | D2D | OGL | Mark |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩唄い | 8397 | 9215 | 6749 | 5409 | 11428 | 4526 | 19043 | 64767 |
蒼瀧紀綱 | 7570 | 8607 | 6478 | 6643 | 8926 | 4418 | 14766 | 57408 |
鈴響雪冬 | 6902 | 6826 | 8052 | 7768 | 5271 | 2134 | 5353 | 42306 |
総合スコアを単純な数値比較で並べてみました。全7部門中、5部門において1位の成績を取った詩唄いさんが文句なしの1位、部門優勝はないものの、全体的に安定した成績を取った蒼瀧さんが2位、世代の差を感じる私のマシンが3位になりました。
基本的に、普段の環境の設定を変えずにベンチをするというルールでしたので、普段全員が体感しているスペックがそのまま数字現れています。データシートでは語れないスペック結果というのも、面白いですね。
称号としては、UDの詩唄い、バランスの蒼瀧、PCI-EXまだー?の鈴響、という感じでお願いします。
また、1位の詩唄いさんのマシン「茜」には、「UD専用マシン」という称号を私の数値化できないほど微力な権限により授けます。
突発的なベンチマーク大会に文句を言わず参加して下さった二人には感謝いたします。
完全な自己満足コンテンツですので、この日記を読んでいる方は同じソフト同じ条件でベンチマークをしてみて、自分のスペックと比べてみて下さい。将来のパソコン購入にも役立つかも………しれません。