7月の日記

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2011年7月3日 (日曜日)

問い 過去形にしなさい「SUZUHIBIKI in Gunma-kingdom」

答え 「SUZUHIBIKI in Kitaguni」

 著者に優しいコピペマーク。

 引っ越しの準備は全く進んでいません。明日出来ることは今日するな。明日に回せる物は回して、今日しかできないことをしよう。
 といういいわけはともかく、久しぶりの休養を満喫しています。たぶん数日で飽きると思いますけど。

2011年7月4日 (月曜日)

あなたにとって「空の彼方へ…」がそんな存在でありますように。

 ブックマークの整理がてら登録してあるサイトを一から順に回ってみることがありますが、中には閉鎖しているサイトや、最終更新日が数年前になっていて、きっともう更新されないであろうサイトも間々あります。先日のInfoseek件のようにレンタルサーバーの運営が終了してしまっていて、移転もせずそのままフェードアウトするようなこともあります。
 大切なサイトの場合は、サイト名で(覚えていれば管理人の名前でも)検索して、移転先を突き止めることもありますが、多くの場合は行方しれずになり、そっとブックマークから削除されます。
 今年「空の彼方へ…」は10周年を迎えるのですが、少なくとも過去10年にわたってそういったことをされる立場になったことはないはずです。尤も、「ここの管理人きんもー☆」とか言われて、そっと右上(Macは脳内変換で)のボタンをクリックされたり、「もう来ねーようわーん(AAry)」と言われてブックマークから削除されるということはあったでしょうけれども。

 メールをくれたある方へ。
 しぶとくサイトは続けていくので、適当なときにふらりと立ち寄ってください。追伸。私も行くペースは大分落ちましたが、時々立ち寄っています。

 閑話休題。

 上の「閑話休題」という文字を見て、「またか…」と思ったあなたは訓練された読者です。

 部屋の掃除をしていましたら、「時代を先取りする“美少女ゲーム新聞”」と題打った全ページカラーの新聞が見つかりました。その名は「キャララ!!」。もはやどこから手に入れてきたか覚えていないのですが、発行日は2003年Vol.04(2月号)のようです。では、ここだけ8年前のスレッド。

 まず最初に紹介するゲームはToon。ブランドはTEATIMEのsideA。発売日は2月14日。トゥーンレンダリングを全面に採用したゲームです。
 発売された当初、バグだらけだったような気がしますが、まだ発売されていないので、きっとデジャブです。今年の2月14日が楽しみですね!

 続いて紹介するのは夏色小町。ブランドはパープルソフトウェア。2月なのに夏色とはこれいかにと思いますが、KanonだってAIRだって発売日ごにょごにょ。発売日は2月28日、恒例の月末発売ラッシュです。お財布の用意はいいかな?
 さわやかなゲームを予想していたのに、OPテーマを聞いて落ち込んだという珍しいゲーム…ってあれ、まだ発売されてないんだよね、うん。

 一面記事の最後を飾るのは「夏少女」。ブランドはPULL TOP。発売は2003年春です。
 絵柄は好きだったけど、結局買わなかったって、まだ売ってないよね! マイピクチャーのPULL TOPフォルダに沢山画像を保存しています。

 と言う感じで、振り返ってみました。一面記事を含め、8ページの紙面に発売予定のゲームつらつらと書いてあるのですが、ここに出てきたブランド、ほとんどなくなっているんじゃあ…。
 この業界はブランドの栄枯盛衰が激しいと思いますが、それぞれの作家は新しいブランドに移動しても活動していて、かっこいい言葉で表現すれば雇用の流動性が働いていると思います。それでも、応援していたブランドが消えるのは悲しい物で、公式ページがドメイン管理会社のページになっていたり、アダルトサイトになっていたりすると、一つの時代が終わったんだなあと感じます。
 幸い、空の彼方はまた続いていますし、「そういえば…」と、ブックマークの片隅を時々クリックしていただければ私としては幸いです。

 そういえば、Toonの作画って村上水軍氏ですけど、村上さんのゲームを一本まだクリアしてないような…。
 答え: 夏色の砂時計

2011年7月5日 (火曜日)

 執筆を含め、作業をするにあたってその環境、一言で言えば作業環境というのは生み出される物に大きな影響を与えると思います。現在私が使っているパソコンデスクは12年前に購入したパソコンデスクです。購入当時は適正なサイズなんて知りませんから、お店にあった適当な商品を購入しました。(そういえばあの当時って、CRTディスプレイを机の中に埋め込むタイムのパソコンデスクとかありましたよね…。)

 時は流れ、適正なサイズを知ることになると、今のデスクは少々低すぎるのかなと。使っている椅子を一番低く設定しても、まだキーボードを置くところが低く、膝のすぐ上にキーボードがあるような位置関係でパソコンをさわっています。
 いまこの文章を入力しているパソコンは普段のパソコンではないのですが、合わせて机も普段の物ではありません。少々位置関係は高いですが、理想の位置関係にはこちらの方が近いです。それに、腕のほとんどを机に置いて入力できるのもメリットです。やっぱり机は奥行きも大事ですね。普段使っている机は手の付け根を置くのが精一杯ですから

 というかこの高さ、ほおづえをついて休憩したり考え事をするのに丁度いいんですね。あと、寝落ちも快適そう・w・
 今までは椅子に寄りかかっての寝落ちだったので、首が痛くなったのですが、この高さだと机を枕にZzz…

2011年7月6日 (水曜日)

元復興対策担当相 松本が残したこと

 東京の方でどのように報道されているかは知りませんが、青森での松本(もう平職だから呼び捨てでいいよね!)の扱いはそれはもう酷いです。
 確かに、何も考えずに国にすがりつくのはやめろという主旨は私も認めます。地方公共団体の多くは国のコバンザメで、赤字になっても国が助けてくれる(地方交付金)と思っている節があります。そういうぶら下がりはやめなさい、そういう意味なのでしょう。
 そして、そのようなことから己の立場を誤解して、国と地方自治が主従関係にあると勘違いする国があるのもまた事実。
 国と地方自治体は主従の関係ではなく、パートナーシップ。地方自治体がなければ国は存在しませんし、国がなければ地方自治体も存在しません。地方自治体は主体性をもって、国は訳の分からないプライドを捨てて国政に当たっていただきたいものです

 閑話休題。
 しかし、常日頃から言っていることですが、彼も国会議員。しゃべり方(表現の仕方)があまりにもお粗末。彼らにとっての武器は言葉のはずなのに、その言葉遣いの一端に、被災地を思う言葉が含まれていたでしょうか。言葉を投げかけた宮城県、岩手県知事の後ろには何万、何十万という被災者が居るのです。松本の目の前にいるのは地方公共団体の長であると同時に、被災者の長でもあるのです。その当人に向けての心ない発言は被災地・被災者から「あまりにも心ない」と言われても仕方がないのではないでしょうか。

 一部、その発言の前に行われた数分の建設的な会話がいっさい取り上げてないことを取り上げて「もっと評価してもいいじゃない」という評論家も居ますが、終わりよければすべてよしという言葉を差し上げます。些細なミスは目を瞑るべきでしょう。しかし、たとえそれが一つでも大波乱を起こす言葉というのも存在するのです。
 後任の平野担当相は岩手県出身で、震災後早くから被災地を訪れていた人のようです。彼に期待しましょう。

 それにしても、わざわざ国会の会期を延長してやったことは松本の辞任劇だけですか、今のところ。

2011年7月9日 (土曜日)

コピペにマジレスかこわるい

 ネット界隈で使われているコピペに次のような物があります。

依稚御都(いちおつ)

三国時代、呉には依稚(いち)と言う大工がいた。
ある時、大将軍・陸遜の命令で依稚が作った州麗(すれ)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ。長安のこと)のようだ」
と漏らしたという
そのことから、素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都と声をかけるようになった
一時は絶滅しかけた風習であったが、現代日本のネット上で「>>1乙」という形になって蘇ってきている

民明書房「ねぎらいの言葉百選」より抜粋

 抜粋、までがコピペです。引用元ではないのでご注意を。

 さて、このコピペ、見かけること自体があまり無かったのですが、今回久しぶりに見かけてまじまじと読んでしまいました。そうすると、二つほど突っ込みたいところがみつかったので、コピペにマジレス。

 まず、議論の足がかりを作るために、時代考証を行います。これには「大将軍・陸遜」が使えます。陸遜が大将軍(正確には上大将軍)になったのは、孫権が皇帝に即位した(=呉を建国した)年ですから、西暦229年(建国自体は元号を独自に定め、魏からの独立を宣言した222年とする考えもある)になります。
 つまり、この文章は229年以降の事柄を示していることになります。また、陸遜は245年に死亡していますので229~245年としたいところですが、224年に丞相になっているので、大将軍の任期であった229~244年に起こったこととしましょう。

 さて、足がかりができたところで、ひとつずつ見てみましょう。まず「州麗」ですが、私の知る範囲でこの様な都市は存在しません。検索でもまともな情報にたどり着けないので「スレ」にあわせて作った架空の都市でしょう。個人的には交州(こうしゅう)の交趾郡、朱エン(シュエン)県とか、割と近いような気がします(中国は、州>郡>県の順であり、日本の県と郡の関係と逆になる)。この時代だと呉の領地だと思いましたし。

 もう一つが致命的な間違えなのですが、「御都(おつ。長安のこと)のようだ」というセリフ、これ大問題だと思います。都が首都のことを指していると仮定すれば、この時代の首都(正史を魏とするなら)は洛陽です。
 確かに長安が首都だった時代もありますが、これは漢の時代、西暦190年に当時政権を握っていた董卓が長安を都にするよう皇帝に遷都を強要してから、220年に曹操の息子、曹丕が魏を建国して再び遷都を行い洛陽に首都を戻すまでの間だけです。
 この220年という年が重要で、このやりとりが行われたであろう229年の時点で都は長安ではなく既に洛陽であり、「御都(おつ。長安のこと)のようだ」の都が首都を指しているならば、これは誤りとなります。また、単純な都市の規模としても交通の便が悪い長安よりも洛陽の方が優れているので、例えるとすれば洛陽を引き合いにする方が妥当と言えるでしょう。
 しかし、もっと重要な問題があります。同じように都が首都であると仮定すればと前置きをしますが、229年といえば既に呉という国が成立しており、呉に所属する陸遜が「都」と言ったならば、通常は呉の首都である「建業」を指すはずです。つまりこの部分は二重の意味で間違っていると言えます。

 では、時代考証を元に書き直した文章がこちら。

依稚御都(いちおつ)
三国時代、呉には依稚(いち)と言う大工がいた。
ある時、上大将軍・陸遜の命令で依稚が作った朱エン(シュエン)という町を見た呉皇帝・孫権は感嘆のあまり
「御都(おつ。呉の首都、建業のこと)のようだ」
と漏らしたという。
そのことから、素晴らしい物を作り上げた者に対して依稚御都と声をかけるようになった。
一時は絶滅しかけた風習であったが、現代日本のネット上で「>>1乙」という形になって蘇ってきている。

2011年7月11日 (月曜日)

「ReSin-ens 遼なる風、彩りの音」第3巻執筆日記

 第三巻は音瀬を中心にして物語が展開していきます。音瀬の成長物語と言ってもいいのかもしれません。

七月十日(木)没案

 お腹も満足した直後の授業、以前なら眠気に素直に従っていた時間帯も、今は授業を熱心に聞くことができる。先生の言葉も、板書も、きちんと日本語として理解できる。すらすら頭に入ってくると言うことがこんなにもうれしくて爽快という事を、最近になって知ることができた。それが当然と言われたらそうなのかもしれないけど、私にはそれができなかった。先生に当てられても「わかりません」と答えるしか能がなかった私がここまで来れたのは、遼風さんのおかげなんだ。

七月十日(木)採用案

 昼休みの喧噪がまだ耳に残っているような気がする午後の最初の授業は数学だった。お腹も満足して眠くなる時間帯、以前なら先生の言葉と板書という異国語を子守歌にして眠っていた授業も、今は熱心に聞くことができる。異国語だと思っていた言葉は実は日本語で、ちゃんと理解すればすごくおもしろいことがわかったからだ。すらすらと頭に入ってくるという意味がよくわかる。そして、それが爽快と言うことも知った。先生に当てられても「わかりません」と答えるしか能がなかった私がここまでこられたのは遼風さんのおかげに他ならない。その遼風さんは私の前の席で熱心に板書を書き写している。

2011年7月16日 (土曜日)

この部屋、荷物が多すぎるんじゃないかな

 データを書き込んだDVD-Rや音楽CD、各種本(コミック、同人誌、各種資料等)を段ボールに全て格納完了しました。これだけで小さな段ボール箱(ミカン箱を二回り大きくした感じです)9箱使い切るってどういう事かな。

 今回も引っ越し業者はサカイ引越センターです。前回(2009年3月)もお世話になったので、見積もりからサカイ一者でやっていただきました。単身パックではないので少々高くなってしまうのは仕方がないのですが、コミック(3箱)、同人誌・各種資料(2箱)、建築の資料(4箱)というように本だけでも一般的な単身パックの容量を使い切ってしまうのであきらめました。と言うか、家電を含めたら単身パックに収まりませんよね、普通。
 無料の範囲内で、小さい段ボールを10箱、大きな段ボールを5箱いただけるのですが、小さい段ボールは既に終了。前回もこんな感じだったので、入りきらなかった荷物は自前で調達した箱に入れていたのですが、今回はひと味違います。

 今の家に引っ越してきた時、どうせすぐに引っ越す(むしろ、こんな所はさっさと引き払って引っ越してやる)という意志から、サカイからもらった段ボールを全て取っておいたので、今回はそれも使えます。段ボール箱というのは虫の温床になるのであまり取っておきたくはなかったのですが、次に引っ越す時に確実に足りなくなるのと、すぐに引っ越すという気持ちが強かったので取っておいたのですが、今回無事に活躍できそうです。
 これで使える段ボールは、通算で小さい段ボール17箱、大きい段ボール9箱に上ります。これだけあれば全部入りきるはず。あと、自前で用意した不揃いな大きさの箱が何箱も出てくるより、同じ大きさで統一してあった方が搬出から積み込み、搬入まで含めて楽でしょうしね。

 引っ越しと言えば、B5用紙の処分計画ですけど、こちら先日エコサリオさんの方に反応したので完了しました。大量のみ使用の紙を処分するというのは内心もったいないのですが、使わない紙をずっと手元に持っている方が、資源の有効活用という観点からもったいないと思い、今回のリサイクル原料行きとなりました。枚数を数えてみたら、軽く数千枚あったんですよね、B5用紙。

2011年7月17日 (日曜日)

楽天

 何気なく楽天で商品を探していたら、検索結果ページが非常に見やすくなっていました! 8年待った甲斐がありました。これでショッピングサイトとしてようやく最低限の土台ができあがったような気がします。ま、尤も、検索スパムについては相変わらずで、書類ケースで検索したらベッドが表示されるとか、どういう指導をしているのか…。
 というか、この各ページを作る店の広報担当者は楽天で商品を検索したことが無いのかな。

 参考までに前回この話題を取り上げた時のスクリーンショットを含めて紹介。

防災の都市計画とはよく言うけど

 東北地方太平洋沖地震を境に防災都市計画といった言葉を見かけるようになりましたが、一つ。
 防災の都市計画は何も防波堤を作ったりスーパー堤防を作ったりすることではないと考えます。今日の都市計画における最大の課題は地域性の欠如(つまりその地域独特の町並みが失われている)でしょうけど、そことリンクさせることによって、防災の効果を上げるほか、地域景観を構成できるのではないかと考えます。
 以下、別のところで発言した内容のまとめ…といいつつ、いつも通り筋がぶれぶれなのはご愛敬。

 並木だけが美しい街はよく見かけます。今住んでいる街も、私の実家も、並木通りが一定の評価を得ていました。しかし、並木が美しい街ではなく、町並みが美しい街として取り上げられる街はそれほど多くないでしょう。
 並木の美しさというのは写真での求心力も強く、わかりやすいですが、町並みの美しさの評価というのは難しい物があります。町並みの美しさの評価をしようとするものなら、その評価指標を決める段階で論文を一本書けるでしょう。そのぐらい評価は難しいのです。
 しかし、幾つか指標があるのも確かで、あとはその評価指標をお役所がどのように捉えるか(または知っているか)が、地域の景観作りの重要な要素でしょう。

 ですが、街の美しさをコントロールするのは別に行政や法や条例だけではありません。むしろ、そこに住まう住民の意識が尤も大事でしょう。どんなに道を整備しても、壁面や看板は基本的に住民の意思で変化する物です。他にも、エアコンの室外機の設置位置だったり、ゴミの有無だったり、自転車の留め方だったりも街の景観を作る要素であり、住民自ら行わなければならない部分なのです。
 住民の意識が低ければいつまで経っても街は綺麗になりません。行政が街を綺麗にしようとして道を整備して花壇を設置したとしましょう。しかし住民はその花壇は気にも留めなかったので、行政が嘱託員や市内の園芸業者、ボランティアにお願いして花壇の保守をお願いしたとしたら、住民の意識はいつまでも低いままで、無駄なお金も発生し続けてしまいます。
 本当は、住民が「ちょっと寂しいから花壇でも置いてみようか」と自ら設置して、自ら手入れをするようになったとしたら。そしてそれがちょっとした住民同士の腕の見せ所になったとしたら。
 最終的に両者は同じ町並みになるでしょう。しかし、住民に見向きもされず行政主導で手入れが行われている花壇と、住民が率先して手入れを行う花壇、どちらがいいでしょうか。
 方や手入れのために定期的にお金が発生し、そこに住んでいる人に無視される花壇。
 方や住民が自ら手入れをし(手入れをする住民同士で競い合ったり会話が生まれたり)、住民に愛される花壇。

 実は、街の歴史を説明するような場面でもこの違いは生きてきます。
 花で彩られた町並みを説明する時、前者は「行政が行った整備計画で設置しました」、後者は「殺風景な町並みを見た住民が花を植え始め、やがて花が増え始めて競い合うようになり、今ような花で溢れる街になりました」と説明するとでは、歴史の重みが違うのです。

 もう何度も取り上げてきましたが、住民の意識によって変化しているという観点で見れば、秋葉原は個性的な都市といえます。法規制によって制限される部分もありますが、あの切磋琢磨されたディスプレイ技術と、それによって構成されるカオスな町並みというのは、秋葉原独特の風景と言えます。
 埼玉県にあるK市は町並みが美しいことで有名な都市ですが、地域協定によって街のデザインを指定して完全に保存しているため、発展性がありません(一つ、そのルールに則りつつ現代的な建物が建っていますが、一般的な評価はよくないようです。発展性や進化という観点からすれば非常にいいことなのですが…)。
 綺麗な町並みを「保存」することも大事かもしれませんが、保存することによって人が住めなくなったり、いつまで経っても旧来の問題点を残したままというのは進化という視点で見たらダメになるでしょう。住民の新しいアイディアが盛り込まれ、切磋琢磨して、街が綺麗な方向に進化していく、これが大事なのです。

 閑話休題。
 東北地方太平洋沖地震によって発生した津波で、沿岸地域はほとんど更地といっていいほどに変貌してしまいました。不動産の登記やら様々な意味での線引き(用途計画やら隣地境界やら)で多くの問題を抱えつつも、新たな街を築いていかなければなりません。そしてこのとき出てくる言葉が「防災都市」でしょう。
 防災都市は何も防波堤を造ったり堤防を作ったりすることではないと私は考えます。

 かやぶき屋根で有名な白川郷。白川郷の写真を見たことがある人は多いと思いますが、この白川郷、建物の向きが揃っていることに気づくでしょうか。実はこれ、この地域に吹く風の流れを計算して風の影響が少ないような向きで家が建てられているからです。
 防災都市とそれによる地域独特の景観というのはこういうところに表れます。
 川の氾濫が多い地域は高床になっていたり、水が床下に入ってこないように各住戸に小さな堤防があったり、氾濫した時の水の流れを受け流すような配置になっています。
 沖縄のような地域は直射日光の侵入を避けつつ、風を取り入れるような作りになっています。

 防災都市は見方を変えれば環境共生の都市計画。
 その地域独特の津波の入射角や、川の氾濫状況、風向きや日照、降雪、気温、湿度、その他諸々、これをできるだけ軽減しようとした時、都市の骨格から家の形、向きに至まで、その地域独特の町並みができあがるはずなのです。
 安っぽいサイディングの登場により、家の見た目は多種多様になりましたが、町並み全体という観点では安っぽく、どこかで見たことがあるような、別の街と表情が全く同じという街が乱立しています。

 防災都市は環境とつきあっていくという部分に本質があります。環境は県はおろか市町村、街区単位で変わってきます。環境を紐解き、その環境に即した都市を作り上げること。これを念頭に置けば、日本の街はもう少し美しくなるのではないでしょうか。

2011年7月22日 (金曜日)

引っ越し完了!

 一通りの段ボールを片付け、無事に引っ越しは終了しました。まだ幾つか段ボールが残っているのですが、これは物理的な意味で収納場所をまだ確保できていないだけで、いずれ片付く予定。正確に数えたことはないですけど、この部屋、やっぱり本が多すぎるんです。コミックや文芸誌、同人誌、原画集、その他製本されている物全てを本として数えるなら、軽く数百冊は行くんじゃないかな。

「ReSin-ens 遼なる風、彩りの音」第3巻執筆日記

 第3巻は起承転結の転にあたるため、心情描写がいつになく難しいのですが、ここはちょっと苦労しました。

基本になる文章

 遼風さんは、そんな私のブルーな心情を上書きするような暖かな声で答えた。また一つ、カルピスウォーターを口に含むと、ゆっくりと立ち上がって、窓辺に向かって歩き出した。遼風さんに釣られて私はソファーに座ったまま外を見る。
「今日の夜から梅雨の空に逆戻りだそうですね」

これに続く文章の案

  • 「天気予報でそう言ってましたね」
     外に向けていた視線を、空を見上げる遼風さんの後ろ姿に移すと
  • 「天気予報でそう言ってましたね」
     私は、朝のニュース番組を思い出しながらそう言った。外に向けていた視線を、空を見上げる遼風さんの後ろ姿に移すと、
  • 「天気予報でそう言ってましたね」
     朝のニュース番組を思い出しながらそう言った。
  • 「天気予報でそう言ってましたね」
     外を向けていた視線を、空を見上げる遼風さんの後ろ姿に移しつつ、朝のニュース番組を思い出しながらそう言った。

採用した文章

 遼風さんは、そんな私のブルーな心情を上書きするような暖かな声で答えた。また一つ、カルピスウォーターを口に含むと、ゆっくりと立ち上がって、窓辺に向かって歩き出した。遼風さんに釣られて私はソファーに座ったまま外を見る。
「今日の夜から梅雨の空に逆戻りだそうですね」
 空を見上げる遼風さんの後ろ姿に視線を向けると、グレーのセーラー服の襟が外の景色と重なり合う。
「天気予報でそう言ってましたね」
 私は、朝のニュース番組のやりとりを思い出しながらそう言った。

2011年7月24日 (日曜日)

パソコンデスク

【サムネイル】 パソコンデスクの写真。電球色の光で薄暗いが、落ち着いた雰囲気。 写真はわざとホワイトバランスを太陽光に設定して、実際の色に近いような形で撮影しています。

 照明を落とし気味にしてJAZZやヒーリング系の音楽を聴きながら執筆という作業をここ三日ぐらい続けていますが、これはこれで中々いいですね。ただ、もう少し光量を稼がないと確実に視力に影響が出るので、もう少し照明に改良の余地がありそうです。折角建築をかじっているのですから、インテリアに力を入れたいところです。
 インテリアという言葉を使うと安っぽくなってしまいますが、ようは私生活を快適に、よりよく送る上での空間作りですからね。この空間の質は仕事に影響を与えたり、心の豊かさに影響を与えるはずです。お子さんがいらっしゃる家庭なら情操教育にも繋がってくるでしょう。
 質のいい空間は、質のいい生活を生み出すきっかけになるはずです。

 日本人は諸先進国に比べて荷物が多いと言われていますが、荷物が多いなら収納術で対応するしかないでしょう。人にあげる、リサイクルショップに売る、人にあげる等のように荷物を減らすことも大事ですが、収納によってもある程度改善できるはずです。

 おまけ。新首脳陣

初出: 2011年7月3日
更新: 2011年7月4日
著作: 鈴響雪冬
Copyright © 2011 SUZUHIBIKI Yuki

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