2006年11月の日記 -2冊目-

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2006年11月16日 (木曜日)

学習能力皆無

いいかげんに

 イベント申し込み締め切り前日(厳密には、必着に間に合わせるための限界日程前日)に、申込用紙を書くのは止めた方がいいよと、自分に言いたいのです。

2006年11月17日 (金曜日)

申し込みは何時だって唐突

そして当日に完成 (01:13)

 申込用紙、OK。
 封筒、OK。
 為替、notOK。

 後は、朝、目が覚めたら近所の郵便局に駆け込めばいいのです。

 善いことと取るか悪いことと取るかは微妙ですけど、申込用紙の大半を印刷出力できる体制を整えておいているって、便利ですね。サークルカットの作り直しを含めて、1時間半程度でイベント申込用紙が完成しましたし。

月と

【写真】 満月と街の灯りが夜空を照らす [JPEG:600*800px:81kB] 中々空が晴れないなあ、と思っていたら、満月の夜に限って晴れるこの世の中の良くできたこと。まて、これは孔明の罠だ!
 クリスマスの前になると、イルミネーションの関係で光量が増えるのがいい感じですね。

 それにしても、絞りを調節できないコンパクトデジカメの弱点が、もろに出ているのが嫌なところ。カメラを触り始めると、そんなところが気になって仕方がありません。

2006年11月18日 (土曜日)

当落結果が分かるのは来月頭

申し込み完了

 もう既に昨日の話ですけど、郵便局に行って、イベントの申込用紙の郵送を手配してきました。不備がなければこのままイベント参加できる予定です。
 高崎ライブはいつの間にか募集スペース数が激減(前は200SP(?)だったのが、110SP)しているので、抽選が発生するかも知れません。ただ、最近の高崎ライブは人がそこそこ居るとのことなので、ちょっと期待しています。
 狭い会場に人をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるので、見かけの賑わい(これ、建築的に見ても結構重要なんですよ)も演出されているでしょうし。

 なんだかんだ言って、高崎のイベントに参加するのはこれが初めてになります。次のイベント参加予定は未定ですけど、今作っている短編集の関係で、バレンタイン前にはもう一度参加したいかな、と踏んでいます。前橋も同じく、ですね。

貴方の思いを100%受け止めてみせるの

 周囲に風邪を起因とする咳をしている人がいれば、ほぼ確実に私も風邪を引くという、この免疫力の少なさに癖壁している鈴響です、今晩は。
 身近に風邪を引いて咳をしている人が居たのですが、案の定、風邪を引きました。とりあえず、うがい薬と梅酒とお風呂とビタミンCで対処中。その上で、今日は早めに寝てしまおうかと画策中。

 なんか、ここ数年、毎年この時期にこういう日記を書いているような気がするのですが、どうやらそれも勘違いのようです。去年は1月の始めでしたし、一昨年は記憶に御座いません(某政治家風)。一昨年は、それはもう酷い風邪(というかインフルエンザ)になりましたが、それも1月。
 でも、今年の1月に風邪を引いていないことを考えると、11月に風邪を引くのはなんとまあ遅咲きの桜といったところ。これも宿命でしょうか。

 ちなみに、一昨年以降、インフルエンザにかかっていないのは、一昨年のインフルエンザに大打撃を受けたので、それ以降毎年予防接種を受けているところに起因があるはずです。ビバ、予測に基づくワクチン。

2006年11月19日 (日曜日)

2エレの限界

本日朝の合戦状況

 現在の、口腔内痛み陣取り合戦の状況。

 最後の親知らず、9割。
 喉の痛み、1割。

 このペースで行けば、今日中に喉の方は鎮圧の予定。いやいや、窮鼠猫を噛むとも言うし、これは孔明の―――。

貴方の愛が足りない

 再来週から面白い番組がNHK-FMで入るので、それに備えてFMのアンテナ作り。とりあえず、過去の実験から普通のT型アンテナでは役に立たないことが分かっているので、2素子の位相差給電方式アンテナを作ってみました。
 うーん…結構改善されたけど、ステレオで聞くのには難があるというレベルです。受信できなかった頃に比べれば、大進歩で、モノラルなら殆どノイズ無しで受信できます。
 ただ、狙っているのは、ステレオでのノイズ無し受信。
 やっぱりここは、大きくなる(1メートル×2メートル)のを覚悟で、3素子の八木宇田アンテナを自作する必要性があるかも知れません。

2006年11月20日 (月曜日)

蜂蜜光線!

新作短編集執筆日記

 本年も残すところ40日あまりとなり、巫女駆まで10日となりました。先日申し込んだ高崎のイベントまで一ヶ月を切ったところで、色々と準備を始めつつあります。
 イベント情報を先日更新したばかりで、高崎あわせの新刊がないことからも分かるとおり、今年新たに新刊を発行する予定はありません。

 既に来年の夏コミへ向けて所々動き出している部分もありますが、もうすこし近いところのお話でも。

 来年、一番始めに公開される新刊は、新作短編集です。去年の二月に公開した『リバースバレンタイン』を含む、3作品を収録予定です。この作品は、今までにない構成になる予定ですので、そう言ったところも楽しめればと思います。書くのには苦労しますが(苦笑)。
 せっかく紹介したので、少しばかり引用しておきましょう。

「私なら、今食べているのを口移しで、かな?」
 直後、十数枚のタイルを床にたたきつけたかのような音が厨房を満たした。
「歪んじゃうから気をつけてよ」
「す…すいません」
 床に落ちたステンレス製の焼き型を全て拾い上げてから工藤は私に向かって頭を下げた。それを確認してから目を手元に戻して、粉ふるいで砂糖をかける作業を再開する。
「私の答えはそんなに変?」
「えっ…あ…芹沢さんらしいと思います」

 少しばかり見覚えのある名前が登場していますが、たぶん気のせいではないと思います。

 告白してしまえばいいのに、と人は言うかも知れない。でも、俺にはそれが出来ない。ずっとこのまま、お互いが違う人と結婚しても遠慮無くつきあえる関係を望む俺と、柊との時間をめいっぱい作りたい自分がぶつかり合い、告白をすることでどちらも叶えられなくなるかも、という三つ目の選択肢が、俺の行動を縛り付けている。
 生半可に仲がいいからこそ、この関係が壊れてしまうのがいやだった。もし、断られてしまったら、お互いそのことを意識してしまって、今まで通りつきあえなくなってしまう。そう考えるとどうしても踏みとどまってしまう。

 雰囲気、AtoZに登場するお話に似ていますが、もちろん同じというわけではありません。

 サイズはA5、ページ数は30ページ前後ですので、『透明という色』より少し長い程度の作品になりそうです。値段は実際にページ数などが決まっていないので断定することは出来ませんが、150円か200円と言うところに収まるのでは、と憶測しています。

 ペース的には来年の1月に完成して、1月か2月のイベントでお披露目といきたいところです。それが終わったら、いよいよReSin-ens第二巻の執筆にとり掛かることになるでしょう。ちょっとReSin-ensに割り割ける時間が減っているので、夏コミに間に合うかどうか怪しい雰囲気が漂っているのは、ここだけの話です。

蛇足を排除せよ

 最近といえば最近ですが、ここ1・2年間、小説を書く上で『蛇足』を気にするようになりました。具体的には冊子版『光になりたい』を書き終わった辺り、明確に意識したのは『小さな手』を執筆しているときでしょうか。
 物語の基本には、序破急や起承転結がありますが、その最後の部分、『急』や『結』の部分は物語を最大に盛り上げておいて、綺麗に引き去ることが大切だと今は思っています。もちろん、「最も大切」と表記しない理由は、皆さんの日本語解釈能力にお任せします。

 物語の結び方によって小説の印象は大きく変わります。「夢落ち」とかはその良い例で、恥辱・陵辱、酒池肉林の限りを尽くした漫画でも、夢落ちとすることである程度の救いを持たせることが出来ます。人間、いくらエロネタであっても理性は少し残っているものですし、あまりに痛めつけすぎると良心が傷ついてしまいますから、そう言うところを持ち上げるためにも夢落ちはとてもいい手法の一つだと思います。多様のしすぎは、物語の構成力がないという言葉で一掃できてしまいますので、非常に危険ですが。

 一般的に、余韻が残る作品はよい作品として言われますが、読み終わってもなお、読者に影響を与え続けるのにはエネルギーが必要ですから、そう言う点を考慮すれば、余韻はよい作品を決める一つの要素になるといえるでしょう。
 私はこの日記を読んでも分かるとおり、語りすぎる癖があるので、小説の終わりの部分は気をつけない限り、どんどんと間延びしてしまい、最終的に非常に後味の悪い作品が出来上がる傾向があります。
 特に、この終わりの部分が間延びするという性質は、描写に力を入れ始めた頃から発生しているので、ある意味、勉強によって生まれた欠点とも言えるでしょう。
 ですので、最近はその問題を意図的に回避する、別の表現では、気をつけるといった行動を取ることによって、結びの部分を気持ちよく終わらせられるように努力しています。巫女本への収録作品『それは心の中に住まう信じるという気持ち』なんかは、個人的に上手くいっている終わり方です。

 ちなみに、『小さな手』という作品は、終わりの部分は以下のようになっています

「あの…先輩………。今日はよろしくお願いしますね。」
「あぁ。任せておけ。」
 ゆっくりと前に向かって歩き出す俺達。握ったさつきちゃんの手はやっぱり小さくて…それでいて大きくて…温かくて…。たったそれだけの事なのに…言葉に出来ないぐらいもどかしかった。うれしかった。恥ずかしかった。そして…楽しかった。
 開けられた窓にさつきちゃんのリボンが揺れ、二人の手の間を冷たい空気が通り抜ける。その冷たさをかき消すかのように、俺達は同時にその力を強めた。確かな感触が手にある。確かなぬくもりがある。その全てが、さつきちゃんの小さい手から俺に流れてきていた。繋いだ手は離れる事はないだろう。未来の事はよくわからなかったけど、その事だけは強く感じた。そして、そうしないとならないと俺は誓った。

 このようにして物語は終わるのですが草案段階では続きがあって、実はこの後、主人公(片瀬健二)がメイド服を着るというエピソードがありました。しかし、それを入れるとシリアスとしてまとまっていた物語が破綻しそうな気がして、企画者に相談したところ、あっさりと「入れない方がいい」と言われたという経緯があります。
 この時の出来事は非常に印象的でして、それ以来、余韻の部分を含めた、「いらない部分をバッサリと切り捨てる勇気」という考え方が私に根付くようになりました。

 蛇足を排除せよ。ただでさえ語りが長い私の文章には、そんな邪魔なものは必要ないのです。


 ちなみに、ReSin-ens第一巻でも幾つかの場面は、「後半に回せる」、「描写(説明)しなくても支障がない」といった理由により削除されている部分があります。
 少しばかり気になる言葉を吐き出しておくと、蛇足を排除しているのなら、多くの部分が物語の真相へ迫る鍵になっている可能性がある、というところでしょうか。尤も、そう言ったことを念頭に置いて考える疑い深い読者のために、偽の伏線もちらほらあったりするわけですが。
 小説にだって、ハニーポットは必要なんですよ。

2006年11月21日 (火曜日)

タイトル未決定

実用新案申請中

 ReSin-ens第四巻で使いたい文章表現(紙面表現?)があるのですが、第四巻が登場するのは数年先。それまでの間に、他の人に先を越されたらどうしようと、アホみたいな被害妄想が浮かんでは消える、そんな自分の思考回路は誰にも真似されたくない鈴響雪冬です、こんにちは。
 アイディアが浮かぶのはとても嬉しいことですが、それを使う場面が限定されていたり、それどころか、使う時期まで限定されていると、使いたいけど今は使えない、という葛藤に苛まれることになりますね。

オークション

 何時だったかの日記で「エアギターのVSTiが欲しい」とかそんなことを書いた記憶がありますが、VSTiとはいわないものの、本物のエアギターを購入してそれを演奏して録音すれば手軽じゃないの?、と思うように。
 エアギターだって売りに出される時代ですし、これを手に入れれば私にも…。

2006年11月22日 (水曜日)

二人、今日も、明日も、未来も、何時までも

鈴響雪冬は予想外の0円

 私の付ける家計簿は1月から12月までの形式を取っています。つまり、現時点で十ヶ月分の家計簿が出来上がっているのですが、今年今までにかかった洋服代が………0円。
 ここまで削っているのに、今年に入っていくら貯金を切り崩したのでしょうか。
 反対に、去年なんて、課題制作のためだけに12万とか、このアンバランスな支出入に別れを付けたいところ。

 振り返ってみると、あらかじめ分かっていたとはいえ、今年はずいぶんと支出の多い年だったなあという印象です。『お兄ちゃん』の存在がかなり大きいですから。
 でもまあ、交際費とか、そいった最低限度の自己の生活を維持するのに必要ない項目さえ除いてしまえば、それなりに家計が回っている辺り、私のテケトーな家計もあながち悪くないといったところ。去年一年で行方の知れないお金が10万近く出ているのは大問題ですが。レシートのでない学校の購買と同人誌の購入だけで10万に行くのはあり得ないので、本当に謎の10万円です。
 家計簿を粉飾決算して、実際に収入が増えればいいのに。

韻を踏む

 日本語で韻を踏むのは難しいと言われていますが、最近はあながちそうでもないかも、と思いつつあります。使いこなすのにはそれなりに練習が必要ですけど、これを使いこなせたら、格好いいんだろうね、と妄想中。

2006年11月23日 (木曜日・勤労感謝の日)

貴方のセキュリティに対する知識レベルは幼稚園児かも

「絶対」は存在するか

 言語的意味において、絶対は存在する。

 「絶対が存在しない」と断定した場合、存在しないと絶対的な意味を提示していることになり、矛盾が発生するため、絶対が存在しないとは言うことが出来ない。すなわち、絶対は存在する。

 ということを考えながら、夕ご飯の餃子を焼いている鈴響雪冬。

OTAKU Remix

 Ver.2.10の進捗状況は比較的順調で、明日にでも公開できるかも知れません。

クローン携帯

 電子的システムに何らかの穴があることは事実で、クローン携帯はそのいい例ですね。クローン携帯といった単語を初めて聞いたのはもうずいぶんと前でしたが、その時はDocomoは絶対にそんなものは存在しないといった公式見解をしていました。
 しかし、実在することが明らかになった今、この公式見解が崩れるのも時間の問題でしょう。

 クレジットカードの情報をコピーして、偽造クレジットカードを作るスキミングなんかは、結構有名な話だと思います。一般的な手口としては、風俗店(しかも、日本を除くアジア系風俗店)などで、客が服を脱ぎ、別室に移ったところを狙って財布からクレジットカードを拝借。機械に一度通すだけで情報を読み取り、後は元の場所に戻すという流れでしょうか。
 キャッシュカードだって、ATMがネットワークに接続されている限り、その途中に通信を傍受するシステムが付いていれば、番号だって何だって手に入れたい放題です。ATMの裏側には電話線(LANかも?)が繋がっていて、それが壁面に伸びコネクタで接続されているのですから、そこの間に機械を挟んでしまえばそれまでです。
 キャッシュカードに残高が記録されているわけではなく、パスワードを照合してキャッシュカードを発行した銀行のサーバーと照合し残高などの情報を得るシステムを取っているわけですから、技術的にも不可能ではないですし、現に被害が出ています。

 Suicaなどは、カードにお金をあらかじめ入金しなければ使えないのですから、盗難されてもそれほど被害はないでしょうけど(Suicaの入金限度額は2万円)、キャッシュカードと連動している電子マネーなんて言うのは、怖くて使えませんね。

 こういったお金回りの被害を防ぐ、とくにクレジットカード関連の被害を防ぐためには、利用料が引き落とされる口座を専用に用意することでしょう。引き落としの前にカード会社からいくら引き落とされるかあらかじめ知らされるはずですから、それに応じた金額だけを事前に振り込むようにすればいいのです。
 そうすれば、クレジットカードが盗難されても被害額は最小限に抑えられますし、対策も打ちやすいでしょう。

 電子マネーを含めた、実体のないお金を扱うときは、その便利さだけではなく危険性も知り、きちんとした対策をした上で使うべきでしょう。
 デジタルの面白いところは、完全なコピーを生み出せるところにありますからね。

2006年11月24日 (金曜日)

対策

苛めへの対応

昨今のいじめ問題で気になること。

「当事者が求めている救いの方法はどのようなものなのか?」

ニュース見てたら、やった(された)ことがあるか? というアンケートで5割を超えてたりしてたんですが、役に立たなさそうなアンケートだなとオモタ

 現在の私の立場から言えば、当事者が求めている救いの方法なんて、あくまでも推測の域を出ないので、少し切り口を変えた議論でも。

 文部科学省に届いた苛めを予告する手紙が、威力業務妨害に当たるのではないかという個人的推測はともかく、その手紙に対する回りに対応は非常に滑稽でした。

 励ましの言葉、自殺をしないでという願望は、多くの場合当事者にとって無意味です。ブラウン管越しの言葉にどれだけ言霊が宿っているかどうかではなく、当事者が求めているのはもっと抜本的なことであります。
 あの手紙に書いてあることが仮に本当だとしたら、当事者は自殺を既に決めていることになり、そんな人に対して今更死ぬなという言葉が意味を成しているようには思えません
 当事者は、「苛めが解決しない限り自殺する」と言っているわけですから、求めていることは苛めの解決であって、励ましの言葉やカウンセリングなんかではありません。

 また、このような場合でなくても、苛められている側からすれば励ましの言葉なんかより、早くこの苛めをどうにかして欲しいわけでしょうから、ストレス軽減という意味ではある程度役に立つかも知れませんが、苛めは継続するので、抜本的解決にはなりません。
 もっとも、嫌な思いを吹き飛ばすだけの楽しさがそこにあるのなら、話は別ですが。

苛めの仕返し

 当事者が出来る行動の一つに「苛めを明らかにする」と言ったものがあります。先生でも親でもいいですが、相談や報告をすることによってそれが可能です。
 しかし、苛めを誰かに報告することによって、仕返しや行動の悪化などの結果が見られます。

 その後の展開では、先生が苛めへの対策を誤る可能性もあります。例えば、当事者が先生にいじめの相談を持ちかけると、先生が次のホームルームで「苛めはよくない事だ」などと講釈を垂れるのは最悪の展開です。苛められている方は「そんなのは意味無い」、苛めている方は「あー、はいはいそうですか」としか受け取りません。
 子供達は意外と冷静で、先生がどれだけ熱く語っても、「何こいつ熱くなってるんだ」としか感じ取ってはくれません。

 また、子供は親に、学校に殴り込んでいって欲しいとはあまり思っていないでしょうし、苛めている家の親に対して報告するといった行動をして欲しいとも思っていないでしょう。
 仮に思っていたとしても、学校に殴り込んでいくと、先生は苛めを認めたくないでしょうし、厄介事に巻き込まれるのはいやでしょうから、苛め対応策を考える前に親をなだめるでしょう。日本は特に得意ですよね、「では後日対策を考えます」、「考えさせてください」といって、表面上納得させ、実際は行動に移さないのが。
 苛めている側の親に報告したとしても、報告された親が出来る行動なんて微々たるものです。苛めを止めさせようとして子供を殴ればDVや児童虐待、親が講釈を垂れれば子供は反感を覚えます。

 こういったことを考えると、「苛めを明らかにする」という行動は多少なりとも有効ですが、苛めを報告された側の行動までは操れないため、有効どころか悪化する可能性があります。
 逆を付けば、当事者の報告を受け、学校や親がどういった行動をすれば有効に働くのか、そこを模索することが出来れば、当事者が求めている苛めの対応策にたどり着ける可能性があります。

親に求めていることを模索する

 私は、話を聞いたいじめ経験のある女性全員に、いじめを受けていたときの親の反応を評価してもらった。尤も評価が高かったのは、圧倒的に、前向きに話を聞いてくれる親だった。毎日の学校の様子についてたずねる。娘が泣くと抱きしめてやり、特別な要求――遅れて投稿させるとか、終鈴と同時に迎えに行くとか、好物を用意するといったこと――に応じてやる。6章で紹介したエリザベスはいう。「母がいなかったら気が狂っていたと思います。私が何もいいたくなくて、ただ黙っていてほしいとき、ちゃんとそうしてくれました。私はただ、抱きしめてほしかったんです」。

 引用元の本が、元々アメリカで出版された本なので、日本とは多少事情が異なるかも知れないが、少しは役に立つでしょう。
 ここでの文章を非常に簡潔にまとめると、親に求めているのは能動的な対応ではなく、受動的な対応である、ということです。こういった行動は、他の親から見れば非常に弱々しい行動かも知れませんが、当の子供にしてみれば、それだけで十分と思っている節があるようです。
 逆に言えば、先に挙げたことを組み込んでみると、親が出来る行動はこの程度しかない、といったことでしょう。

 参考的として、親と子供が良く会話をするとこういった効果が得られるという事例を紹介します。

(前略)国語と算数・数学ののテストを行い、家庭環境とその関係を調べた。
 その結果、「夕食を一人で食べることがよくある」と答えた小学生(101人)の平均偏差値は44.88で、「一人で食べることはない」と答えた小学生(1056人)の51.19より、約6ポイント低かった。
 「自分の成績を家族が全く知らない」と答えた小学生(43人)の平均偏差値41.05も、「よく知っていると」答えた小学生1130人の51.00より約10ポイントと低かった。
 このほか、学校や友達のことについて保護者と良く話をする小学生の方が、ほとんど話さない小学生より成績が良くなる傾向も見られ、「親子間のコミュニケーションの有無は、子供の学力に大きく影響している」と結論付けた。

 親が子供(の学力)に興味を持つ、ということは、子供の成績を伸ばすことに繋がるのなら、親が子供の友人関係に興味を持つということは、子供の人間関係を整理する効果がある可能性もあるといえるでしょう。

 親はとにかく過剰に感情移入しがちである。度が過ぎて、娘自身の声や気持ちを圧倒してしまったら危険だ。母親が泣いたりがっくりしたりすると、娘は非常に当惑する。

 親が同情しすぎた場合、子供は親に迷惑をかけたことを後悔するといったことをここでは書いてあります。

出来ること

 意味を成さない励ましの言葉は役に立たない、親は聞き手に回った方がいいかもしれない、といった二つのことを総合すると、大体次のような答えが見えてきそうです。

悪い例
  • 「苛めなんて誰でも通る道だから―――」

     子供にしてみれば、何ら対応になっていません。まるで自分の方が悪いかのような錯覚を覚える可能性があります。

  • 「貴方のせいなんじゃない?」

     苛めの原因が分かっていれば、子供もそれなりに行動が出来ます。しかし、苛めの原因が体型や性格に関する部分にあったりすると、行動も出来ません。また、苛めの原因が分かっていないならば、貴方のせいといわれても、子供は板挟みになるだけです。

  • 「どうしてそんな人達と付き合うの?」

     これも子供の行動を否定する言葉であり、自分が悪いかのような錯覚があります。また、いじめっ子はあめとむちを使い分ける特性がありますから、それによって生じる友情のかけらでも、すがっていたいと思うのです。一人になるよりは苛められた方がマシといった所でしょう。

  • 「生きていれば楽しいことだってある」「命は大事にしろ」「死ぬな」

     一連の文部科学省を巻き込んだ苛めへの対応で飛び出した言葉です。子供からすれば、今すぐ何とかしてほしいわけで、10年先の未来の話をされても困ってしまいます。
     三つの言葉に関連性はないように思えますが、「今は耐えるんだ」といった意味で繋がっています。

良い例
  • 「かわいそうに」

     同情の言葉自体にほとんど意味はありませんが、同情を示し味方になることが出来るのなら話は別です。

  • 「どうしてそうなったのか、一緒に考えてみよう」

     苛められている理由を親が聞き出すことは、次の行動へのステップです。子供もそのことを感じ取って、自分の味方で居てくれる人の存在を確認することが出来るかも知れません。また、一方的に子供を守るわけでも相手を責めるわけでもない行動、すなわち、苛めを紐解こうとする姿勢は、苛めの根本的問題を発見できる可能性があります。
     また、この言葉は子供から見れば、自体が解決に向かって動き出すかもという希望を与えてくれます。10年先まで待たせるようなお偉いさんの勘違い発言より数万倍はマシでしょう。

 先に示したとおり、親が出来る行動は余り多くありません。なぜならば、学校で発生する苛めは、苛める側、苛められる側、それを見て楽しむ側、静止できない教師の4つの構造で発生しているのであって(「苛めを見て見ぬふりをする人」の苛めへの関与の否定については過去の日記を参照)、親は基本的に無関係だからです。
 ですから、親がするべき行動はいかにして子供の話を聞いてあげるか、場合によってはそれを先生に伝え、苛めを司る4つの層に食い込んでいけるか、という所にあるでしょう

コミケで買った本、全部読み終わった

 メインジャンルが創作文芸で、購入する本の多くが創作文芸の私ですが、今年はサークル参加をしていたのであまり沢山の本を買うことが出来ませんでした。
 今回の夏コミのテーマは、普段買わないサークルから本を買ってみるで、その結果、また多くの同人サークルを発見する結果になりました。

 そんなこんなで購入するに至った、十数冊の本ですが、一昨日で全てを読み終わりました。長編が一作品、他は中編や短編ばかりでしたが、3ヶ月で読破。
 自分と同じ畑の本は買わないという人もいるようで、その理由としては、「プロの書いた本が読みたい」や「プライド」等様々でしょうけど、私はこうして同じジャンルの同人誌を結構買っています。
 同じジャンルにはこんな本があるんだといった見識も得られますし、何よりイベントそのものが楽しいのです。

クリスマス

【写真】 電飾で創られたクリスマスツリーと、夜空に浮かぶ満月の写真 プレゼントをあげるのが面倒な貴方へ。
 プレゼントをあげるのが面倒な場合、毎日クリスマスになるように仕向ければOKです。毎日ということで価値が薄れ、クリスマスプレゼントを欲しがる人が減るでしょう。始めの数ヶ月はプレゼント地獄でしょうけど、しばらくすればそれもおしまいです。頑張ってください。

 ちなみに、プレゼントはあげるものであって、せがむものではありませんので、「欲しい欲しい」と喚き散らす方は、美少女副管理人音瀬みいなの手によって、HDをローレベルフォーマットされてしまいなさい。

女に等価交換の原則は通じない

 読売新聞で読んで、何時かネタにしようと思っていたのですが、タイミングがいいのでここで。

 プランタン銀座が調査(母集団329人の女性)した結果によると、女性が希望するクリスマスプレゼントの金額の平均は、5万3260円。男性にあげる予定のプレゼント額の平均は、2万7505円。
 案の定、役に立たない読売新聞のウェブサイトからは記事が削除されているので、同じ話題を扱っていた日本経済新聞のウェブサイトから引用。

「恋人またはパートナーへ期待する価格」の平均は53,260円(昨年平均60,496円)で、最高額は120万円の指輪。「恋人またはパートナーへのプレゼント価格」の平均は27,505円(昨年平均28,875円)で、最高額は15万円の時計だった。

 ただしこの調査、結婚している人の割合が4割を超えている(一般的に夫婦間のプレゼントは恋人間のプレゼントよりも安価になる)ので、数値としてどれだけ役に立つかは不明です。

クリスマスに恋人から欲しいプレゼントを女性に質問したところ、1位は「アクセサリー(指輪やネックレス)」で、6割から回答を得ました。2位は「腕時計」、3位は「バッグ」が続き、身に付けられるモノや、残るモノが上位にランクインしました。一方、男性に恋人から欲しいプレゼントを質問したところ、1位は「腕時計」、2位「マフラー」、3位「アクセサリー(指輪やネックレス)」が上位を占め、女性同様、身に付けられるモノや、残るモノが人気でした。男性のマフラーは“ヨン様ブーム”の影響を受けている様子も伺えます。男女共に人気アイテムは「ipod」。欲しいプレゼントの平均金額は、女性は 33,500円、男性は28,000円で、女性が欲しいプレゼントは男性より5,000円高い結果となりました。

 こちらはサンプリング数が若干増え、522になっている調査で、全て未婚者、20~30代の人を対象に調査を行った結果だそうです。
 ここでの平均額の求め方は先に挙げた例とは異なりますが、こちらも若干女性の方が高めの金額を希望しているようです。
 ああ、女って―――。

 ちなみに、株式会社マクロミルが行った調査(「クリスマスに関する調査」)によると、男性が女性にあげたプレゼントの平均金額は、1万1763円、女性が男性にあげたプレゼントの平均金額は、1万1162円で、こちらもまた男性が貰う金額の方が少なめ。
 他にも、キリンが行った調査(「クリスマスの過ごし方」)では、男性が女性にあげるプレゼント予算平均金額は2万3353円、女性が男性にあげるプレゼント予算平均金額は、1万7008円。男性が謙虚なのか、女性がわがままなのかは不明ですが、男性の方が出費が多くなる傾向があるようです。

 これだけ数字を並べれば、女高男低の構造が浮き彫りに、と書いても批難は来ないでしょう。
 第一生命経済研究所が、生産波及効果は+11,179億円、名目GDPに換算すれば+7,424億円などといっているわけですから、クリスマスに動くお金もバカにならないわけで。いっそのこと、女性も男性並みの金額をプレゼント予算を組めば、日本経済はもっと活気づくはず。さあ、女性の皆さん、今年は予算に1万円を上乗せしてプレゼントを買うのです。

2006年11月25日 (土曜日)

OTAKU Remix

 バージョン2系列の最新バージョン、2.10です。曲の出だしの部分に手拍子を追加、サビにおけるピアノ伴奏の追加といった変更を施しています。
 あと、ベースとピアノのバランスが大きく変わっているのですが、実験的意味合いが強いです。初めてベースの定位を左端(といっても-45ぐらい)に割り振った気がします。いつもは-15ぐらいの位置に置いているので。

 ベータになっているのは、タグなどが書き込まれていないからです。安定版もすぐに公開する予定ですが、演奏内容そのものが変更されることはないでしょう。
 あっ、でも、変換に使うLAMEのバージョンが少し新しくなるかも知れません。

2006年11月26日 (日曜日)

私こそ、真の三国無双よ!

真・三国無双2 猛将伝

 ちまちまと時間を見付けながら、三国無双2の猛将伝を攻略しています。といっても、ストーリーモードに当たる無双モードは6人でクリア済みで、第4の武器と第5の武器の獲得に専らタスクを振り分けている状態です。
 第5の武器を取るためには、最高難易度の「最強」でプレイしなければならないのですが、慣れてくると案外スムーズに進むもので、すでに10人分の第5の武器を獲得しています。ちなみに、諸葛亮の取得は現在先送り中です。でも、今なら行けるような気がします。

 とかなんとかやっている間に、ヴァルキリープロファイル2が霞んできそうですが、やらないというのはあり得ないでしょう。

2006年11月27日 (月曜日)

輸送革命ダンボール

申し込んだのはいいのだけれど

 高崎のイベントに申し込んだのはいいのですけど、どうやって本を搬入するかが決まっていません。宅配搬入は使わない、電車で移動する、という条件だけで方法は大分狭まってきますけど、その装備を含め、いかにして本を高崎まで運ぶかが問題になってきています。
 コミケの時はダンボール換算3箱でしたので、開き直ってカートを使うことが出来たのですが、高崎のイベントにコミケと同等数の本を持っていく意味は全くありません。数にして、ダンボール1箱プラスアルファぐらいですが、その一箱が結構ネックなんです。

 もちろん、今までの前橋でのイベントのようにリュックに全てを詰め込んで搬入するのがスマートな手段なのでしょうけど、あまり美しくない(この概念そのものが間違っているような気もしますが)。かといって、ダンボール一箱のためだけにカートを持ち出すのも、スペースを圧迫して空間が無駄になるような気がするのです。
 尤も、ダンボールを含めた荷物での(揃っても消えない)テトリスは得意なので、多少は改善されるでしょうが。

 でも、A5の本が増えたことで、使用面積が減っているのは嬉しいことですね。

本日の戦況

 気が付いたら再び風邪を引いている疑惑。
 とりあえず、カップリング表記は、
 「風邪のウイルス × 抗体」
と言う雰囲気でお願いいたします。

 とかいうことを書いてしまうと、結びの部分は、下克上エンド?、それとも、淫乱エンド?などと考えてしまうカップリングとは無関係な場所で活動している同人字書きの思考回路をどうにかしたい気分。

2006年11月28日 (火曜日)

あわてん坊の

申し込んだのはいいのだけれど2

 どうせ高崎のイベントだから何時もの会場だろうと思い、会場の場所を確かめずにイベントに申し込んでしまったことを思い出し、慌てて公式ウェブサイトを確認。
 何時もの場所でした。

 イベントにある程度慣れてくると、こういった事が起こるようになるので注意が必要ですね。

 一番怖いのが、申込用紙の処理ですね。何度も同じ書式で申込用紙を書いていると、どうしてもチェックが甘くなってしまいます。そう言ったことを考えると、パソコン上であらかじめ入力しておいた申込用紙を使うのは、危険性を回避する点では非常に有用ですが、今度は手書きの部分を書き忘れそうになるという展開。
 こなれてきた頃が一番危険なのは百も承知ですけど、こういったミスを減らすのは意識しないと出来ないことなので、気をつけなければなりませんね。

2006年11月29日 (水曜日)

一線を越えたら後は………

一線を越えたそんな日の夕ご飯は赤飯

【画像】 サーバーの使用領域が315MBとなり、300MBを突破した [PNG] ねえ、お母さん。私………とうとう来ちゃったみたいなの。
 あらあら、それはおめでたい日ね。それじゃあ、今日は赤飯にしようかしら。

 なんて会話を、他のサイトの管理人がしているかどうかは不明ですが、ついにこのサイトも300MBの大台を突破しました。移転から半年も待たずして300MBですから、移転の時期は間違っていなかったと言うことになるでしょう。
 もっとも、前回アップしたTTAファイルをサーバー上から削除していないのが根本的な原因でしょうけど。300MB突破の要因であるTTAファイルは削除しましたが、変わりに二曲分のTTAファイルを追加したので、もっと容量が消費されることに…。

 サーバー容量に余裕があるか無いかは、精神衛生に大きな影響を与えることを実感しています。あと十数MBで容量が満タンになるという状況は、大容量ファイルをアップロードする可能性があるサイトにとっては死活問題です。
 例えばこれがテキストだけのサイトなら、よっぽどのことがない限り一日で数十MBを使うと言うことはないでしょう。しかし、音楽ファイルは標準的な128kbpsでも、1分で約1MBですから、5分相当の曲を数曲アップした瞬間に、容量を使い切ってしまいます。
 また、レンタルサーバーなんかでは、メールフォルダを含めてnMBとしているところ(パルフェもサクラも同様の方法)も多いでしょうから、容量がスクなるに従って不安が増えていきます。
 そんな不安を抱えてサイトを運営するよりだったら、さっさと容量が大きいサービスを契約して、移転してしまった方が精神的にも安定するでしょう。

『いじめ緊急提言』

 いわゆる「苛め」について政府の提言が発表されました。幾つか項目がありますが、評価できる点と出来ない点を個人的にまとめてみました。

 「苛めた側が100%悪い」と言うものや、「見て見ぬふりも加害者」というのは、一般的見解や、以前日記に書いたとおりなので触れないことにしましょう。

苛めた側へのペナルティー

 ペナルティーの中に出席停止は含まれませんでしたが、ボランティア活動への従事といった項目が盛り込まれました。これは、責任の所在を明確に示したと言え、今まで曖昧だった部分が一つ解決したような気もします。
 ただし、その内容(奉仕活動、別室指導)については、前者は本質的な奉仕とは異なる、後者は後に別の問題に発展する可能性があるため、あまり良策とは言えません。あくまで、ペナルティーを与える、という方針だけが評価に値すると思います。

 個人的には、苛めた側へのペナルティーには、出席停止を含めて欲しいと思っていました。男子の苛めは暴力沙汰(傷害、恐喝等)、女子の苛めは精神攻撃(心的外傷ストレス等)に繋がり、何らかの傷害が残った場合は、傷害罪(恐喝は恐喝罪)になりうるため、いわゆる警察沙汰です。普通、警察沙汰を引き起こした場合は出席停止や反省文の提出が求められますから、苛めに関して含まれてもいいのでは、と思っています。
 ただし、今回は緊急提言ですから、今後の話し合いには期待を持つべきでしょう。

「話し合い」や「緊急退避」の未定義

 苛めを解決するためには、話し合いが必要不可欠です。「何故苛めるのか」、「何故苛めを受けるのか」といった、原因を話し合いによって探ることが出来れば、それなりの対処が可能だからです。もちろん、苛めの原因は往々にしてささやかな事なので、原因を取り出すだけでは何の対処も不可能ですが。

 緊急退避は、登校拒否を推奨するものではなく、他の学校に通わせると言った処遇です。小学校で発生した苛めは中学校に進学しても続くことがほとんどといわれています。これはもちろん、小学校の学区と中学校の学区がほとんど重なっているためです。普通、中学校の方が学区が広いため、小学校で一緒だった生徒はほとんどそのままの状態で、中学校に進学します。
 別の見方をすれば、周りの環境(人)が入れ替われば、苛めが収まる可能性が高いと言うことです。苛めにおける継続性は多くの場合個人の問題と言うよりも、周囲の環境に依存するでしょうから、学期の途中、せめてでも、学期始めに他の学校に転入すると言った処置が手軽に行えるようになると、消極的な対処ではありますが、苛めに対して絶大な効果があるといえます。

 ただし、この緊急退避は、先生と生徒と親という単位で苛めを解決する今のシステムでは実現不可能です。今回の提言では学校単位で解決していくことを推奨しましたが、地域単位、すなわち、複数の学校を包括して苛めに対処する必要があるということです。
 最近は「開かれた学校」をテーマにする学校が多いようですから、学校と学校もお互いに情報を出し合って、問題に当たるとよりよい方向に進むのではないでしょうか。


 ついでに、評価できる点であげた、家庭環境云々について一つ。
 仮に、多くの家庭で親が「私の子供は苛められていないだろうか」と心配する一方、「私の子供は苛める側になっていないだろうか」と心配する親が少ないならば、これは大きな問題の一つになるでしょう。

二曲同時更新だよ

 (またまたまた(以下略))新曲じゃないんですけど、二曲更新しました。
 曲の系統が違うと、音圧にここまで差が出ると言うことをお楽しみください。

2006年11月30日 (木曜日)

和菓子職人

三年越しの出会い

 以前使っていた生鮮食品店の帰り道、このお店でお菓子を買ってみたい買ってみたいと願っている店がありました。でも、買い物に行く途中では持ち帰るのが大変だし、買い物帰りだと冷凍食品が溶けてしまうし、といった理由により買えずじまい。
 その生鮮食品店が潰れ、その道を通ることが激減した今日、買いに行く機会すら失ってしまいました。

 しかし、別の店に用事がありその店でものを買ってきた帰り道、ようやくその和菓子店に立ち寄ることが出来ました。

 安っぽい甘さのする大量生産の和菓子とは違う、ほのかな甘みのする和菓子でした。
 どら焼きいいよどら焼き。羊羹いいよ、羊羹。

 そう言えば、朝倉純一。ちょっと話があるから、私の所に来なさい。

初出: 2006年11月11日
更新: 2006年12月1日
著作: 鈴響雪冬
Copyright © 2006 Suzuhibiki Yuki

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