2006年3月の日記 -2冊目-

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2006年3月16日 (木曜日)

とらぶる★ういんどうず

同人作家的一日

 朝九時に起きて十八時まで小説執筆、十八時から(平均)二十六時まで同人的打ち合わせその他諸々。二十七時に就寝。翌朝九時に続く。
 なんていい生活だ………。

うちのMeたんはすごい

 うちのMeたんはすごい。今年でいよいよ六年目。未だにクラスタエラーを一つもはき出さない。
 ただ単純に、HDDがすごいだけという説もあり。

 うちのMeたんはすごい。起動時間が未だに一分を切る。
 ただ単純に、CPUががんばっているという説もあり(700MHz)

 うちのMeたんはすごい。デフラグがものの三十分で終わる。
 ただ単純に、HDDがすごいだけという説もある。

 うちのMeたんはすごい。こんなに萌えるOSなんて他にない。

 時々USBを認識しなかったり、何もしていないのにVxDドライバがこんがらがったり、ブルースクリーンを出したりするけど、やっぱりこのOSは可愛い。

タイピングスピード

 現時点で、私のタイプスピードは最速秒間13キー。平均的に見るとおよそ5~6キー。この状態が数年続き、私の中でタイプスピードは物理的限界にぶつかったようです。

 さて、今まで最も速いペースで小説を書いたのは、およそ三年前の今頃。ゲーム版ReSin-ensのシナリオを執筆していたときでした。最速で一日30KB。文字数に置き換えて、1万5000文字。この速度は今でも超える事が出来ません。それは、物理的速度ではなく、私の思考速度が関係してきます。

 もっと単純な書き方をしてしまえば、ただ単純に文章を書くだけなら一日30KBぐらい、簡単に突破できるでしょう。当時と比べてミスタッチの率は格段に減っているでしょうから、もしかしたらその記録を打ち破るかもしれません。
 私が当時の速度を出せないのは、考える事が多くなったからです。主人公達の一挙一動が次の物語につながっていくという点、ご都合主義な小説にならないようにするための熟慮。それらが私の小説を書き進める速度を鈍らせています。
 でも、これで間違いはないと思っています。
 言葉はその大きさや長さに関係なく、人の心をふるわせるための武器だからです。その武器選びは慎重に行わないといけないのです。

 ちなみに、小説を読んだり書いたりしている事、日記を書いている事、その他多くの文字メディアに触れている事が幸いして、レポートを含めた文章執筆速度は自分でも驚くぐらい速くなっています。訓練の賜、といったところでしょうか。

2006年3月17日 (金曜日)

タイトル未決定

日記でメールレス

バージョンの型式に絶対的な決まりはないので、ひげおじさん方式もありかもしれません。あまり奇抜なものを採用すると管理しにくそうですが。
ご存じかもしれませんが、MSのバージョンナンバーの型式は小数値ではなく、メジャー・マイナー・ビルド・リビジョンそれぞれのバージョンナンバー(整数値)をピリオドで区切ったものです。この法則に従えば3.99の次は3.100になるのですが、感覚的に少々違和感を感じてしまいます。

 MSのバージョンナンバーについては私も違和感を覚えています。どちらかというと、ビルドIDのあたりが近い表現のような気がしてなりません。
 MSのバージョンナンバーといえば、OSにもついていますね、そういえば。例えば、私の現在操作しているOSはWindowsMeですが、バージョンナンバーは、「4.90.3000」です。
 もしかしたら、こんなややこしい事をしているからこそ、SP2などといった掲載をする必要があるのかもしれません。

 確か、Firefoxだと、今回のバージョンアップから、メジャー・マイナー・スキンや拡張に更新の必要がある修正・スキンや拡張に更新の必要のない軽微な修正、という形に統一したような気がします。
 こうやってみると、バージョンアップにも色々な形式がありますね。
 個人的には、通常の数字のように上がっていく形式の方が見慣れています。

もうすぐ春が来るというのに

 昨日の夜から違和感があったのですが、案の定風邪を引いたようです。
 のどをやられたぐらいでくたばるのなら、売り子なんて出来ません(不明なエラー:関連性を見いだせません)。

『冊子版 ReSin-ens』執筆日記

 まだ完全に決まったわけではありませんが、冊子版ReSin-ensは、全四巻構成になるかと思います。一巻あたり70~80ページの本を四巻発行するわけですね。
 このとき重要になるのは、それぞれの巻の名前です。上下分冊した『光になりたい』は単純に、「上巻」・「下巻」というように分けましたが、四冊ではそうもいきません。それでいて数字で分けるのはあまりにも安直というもの。
 ここは、ReSin-ensらしいタイトルを付けようと思っていました。

 四巻構成という事で、四字熟語をそれぞればらした形にしようと思ったのはずいぶんと前の事。三巻構成を夢見ていたときは、雪月花でしたから、結構前からこの形式にしようとは考えていました。
 そして、ようやく四巻構成で使う文字列を決定。巻の並びを示す正式なタイトルはまだあかせませんが、雰囲気を伝えるため、タイトルだけは公開しておこうと思います。多分、これでほぼ決定と言えるでしょう。

ReSin-ens
遼なる風、彩りの音


 私が作る同人誌には略称と正式タイトルが存在している事が多くあります。何時も適当に呼ぶ丘の上にも、『丘の上の物語 ~春がすぐそこまできていた~ 水瀬千夏ストーリー』という長ったらしい名前がありますし、『アクロス・ザ・タイム』にも、『アクロス・ザ・タイム ~交わらない時間交わってはいけない時間~』という正式名称が存在します。
 もちろん『光になりたい ~上巻~』にも、『光になりたい ~私を見つめてくれますか? 私を抱きとめてくれませんか?』という正式名称が存在します。
 ただ、これらの“正式名称”と呼ばれるのは、どちらかというと、フルタイトルのような感じで作っているので、公的な“正式名称”の場合は、『アクロス・ザ・タイム』は『アクロス・ザ・タイム』ですし、『光になりたい ~上巻~』は『光になりたい ~上巻~』だったりします。

 ですから、ReSin-ensのように、タイトルの後ろに文字列が本当のタイトルとして付属するタイトルの作り方は今回が初めてだったりします。夏までに発行する予定の『ReSin-ens 遼なる風、彩りの音』をお楽しみに、と書いておけば、同人っぽいでしょうか?

 うん。だんだん書くのが楽しくなってきたよ。後50KBぐらい(2万5000文字)で第一巻の執筆にめどがつきます。

2006年3月18日 (土曜日)

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

×由梨絵

 ふとしたきっかけで思いついてしまいました。orz

2006年3月19日 (日曜日)

思い入れ

三日三晩

 事実上、二泊三日をかけて希望風の面々と同人に関する会話をしていた事になります。パソコンを丸一日さわらないぐらいでしたから、相当まじめな会話だったかと思います。もっとも、どちらかというと、霜月炎丸さんに対する絵に関する技術講習や小説に関する考え方といった、技術講習という面が強かったかと思います。
 ただ、そういった場面を通して、各々が改めて自分の同人に対する考え方を認識したり、他の人の考え方を聞いたり出来るので、結果的に、同人全体に関する講習会という感じでした。
 全員がサークルに所属し、なおかつほぼ全てがリーダー格にいる人達なので、同人に関する考え方がしっかりとしているという印象、言い換えて、完全に自分なりの考え方を持ち、また、甘えを捨てているという空気が読みとれるので、聞いていても話していても心地よいといえます。

 別の立場から、別の見方からこのことを表現してしまうと、二泊三日かけて話すほど同人に関する思い入れがあると言え、それはそのまま、その人自身の同人に関する本気度合いがわかってしまうわけですね。少なくとも、今回の講習で全て出尽くしたというわけでもないので、この程度で終わらないといえるでしょう。丸々一ヶ月話しても、つきないかと思います。

 それぞれ、同人活動に関する考え方がありますが、私にもきちんとした考え方があります。こういった考え方を持っているというのは、やはり、同人活動そのものが趣味で出来るレベルではないということを示していると思います。
 趣味というのは基本的にその人にとって楽しいからこそ続けられます。ですが、同人活動は楽しい事ばかりではありません。もちろん、趣味にだってつらい事はたくさんあるでしょう。ですが、より多くの人に触れるという点をふまえると、同人活動で得られる絶望感や悲壮感は趣味というレベルでは片づけられないかと思います。
 いつもの台詞ですけど、「なんとなく」や「書きたいから」といった甘い考えで書かれた作品は所詮作者の自己満足にすぎないのですから、インターネットや同人誌という公共の場所に公開せず、自分だけで温めておいてくださいね。
 読者が望むのは、作者の暇つぶしや表現したいというだけの気持ちで書かれた作品ではなく、作者の伝えたいという強い思いにあふれている作品なのですから。

 私に今必要なのは、私の作品を愛読してくださっている読者が私に望んでいる事、そして、私自身が文章を通して伝えたい事を表現できるだけの能力と、思い入れだと思います。まだまだ精進あるのみ。同人活動をやめるまで精進は続けていきたいですね。

 ちなみに、講習の途中途中で、「薫×由梨絵」に関する遠回しにエロさを醸し出すネタが混ざるのは、「薫×由梨絵」というネタがあまりにもメンバーにヒットしたからです。作者自身も楽しんでいるようだと、読者に絶望されても言い訳できませんね(苦笑)。

2006年3月20日 (月曜日)

現人神となれ

死ぬ気でReSin-ens

 冊子版ReSin-ensに必要な原稿はおよそ800KB。残された期間は僅か三ヶ月。90日で800KB。一日およそ10KB。言い換えて、一日で原稿用紙12枚分程度。
 今のような作風になってからの事実上の最大速度は一日数キロバイト。その数倍速いペースで、なおかつ、満足できる品質を保ったままで三ヶ月間全力疾走。
 日記の更新を止めるつもりはありませんが、量が減るのは必然。

 この無謀な挑戦を日常生活を維持した状態で続けなければなりません。
 でも、もし、達成する事が出来たら、誇りになると思います。きっと。
 大切なのは、作品を書く事ではなく、書いた作品によって読者の心を揺さぶる事。
 ReSin-ensという世界観の構築と、それが可能になる800KBという文字、およそ40万文字を妥協することなく執筆できるか。それが今の最大の課題です。

 だからこそ、ここで私は宣言します。これから三ヶ月間死ぬ気でReSin-ensを執筆します。己に妥協なんてしません。必ず、読者の満足する作品を書き上げて見せます。
 そのために起こる私生活やサイト運営に関する弊害はあえて目をつむります。小説を書き始めた頃の私と今の私が交錯する物語、ReSin-ensを書き上げるために。

2006年3月21日 (火曜日・春分の日)

行動特性

可愛い下着

 先日、平日のくせに数万人の客で賑わい、観光客にイベントでもあるのですかと誤解される全国でも数本の指に入るであろう規模である仙台の商店街を歩いているときの事でした。そのとき、私は商店街のほぼ中央を、ポプラ社の発行していた江戸川乱歩作品集(全45巻)を集めているときにお世話になった、小出書店を探していました。仙台駅前には三つの商店街と幾つかの横町が存在し、その小出書店は三つの商店街の何処かにあると記憶していているのですが、どうにも見つかりそうにありません。
 二つ目の商店街も終盤にさしかかり、そろそろあきらめムードが私の中で漂い始めた頃、その事件は勃発しました。
 視界の隅に映る色とりどりの下着達。そのあまりのかわいさに、「可愛い下着」と頭の中で考えながら、それらの下着を置いている店、アモ・スタイルへと足先が自然に向かってしまいました。
 あぶないあぶない、と自分を戒め、中央に戻り、再び本屋さん探しを再開しました。

 画像の収集や、小説の執筆活動を始めるようになってから、可愛い下着については無条件に反応するようになってしまったわけですが、これはきっと、勉強熱心、という言葉で片づけられると信じています。っていうか、そう設定しておきます。脳内OSシステムデフォルト万歳。

春よ、届け 空を追い越せ!

 春分の日。一般的に春分の日は昼と夜の長さが同じになる日として知られていますが、その解釈は実は違っていて、冬至と夏至の中間にある日が春分という事になっています。今年の場合、実際に昼と夜の長さが同じになったのは3月17日。実はもう、夏に向かって歩み始めているのですね。
 さて、関東地方では開花前線が到着したようですが、こちらでは先日降った雪がようやく解けきったという雰囲気です。

 話をもどして、春分の日。
 昼と夜が同じ時間になる日は毎年変わるのですが、そういった事が判っていながらも、春分の日と定め、その日を休日として定めた所は、四季感を大切にする日本らしいな、と想います。

 そういったきれいな妄想をしておきたいので、実際に春分の日が定まった理由はあえて調べないで放置しておく事にします。

2006年3月22日 (水曜日)

物語と物語が有機的に結合していく

『ReSin-ens 遼なる風、彩りの音』制作日記

 原作版でもそうでしたが、とってつけたかのような直哉の趣味、「水彩画を描く」というのをいかにしてシナリオの中にとけ込ませるか、それが私にとっての課題の一つでした。彩音ストーリーでは、この水彩画を通して直哉と彩音が出会うので、水彩画という設定がとってつけたような設定では、彩音との出会いにも説得力がないからです。
 その部分を考える事、数日。自分なりの答えを見つけて執筆を再開しています。
 設定する事は簡単なんです。その設定を物語にいかにして融合させるか、それが難しいのです。

 何度もここで書いてきた通り、私は必然性を小説に求めています。詳しく書き出すと、過去における事象があるからこそ、現在の事象につながり、そこから未来の道が見えてくる、と言えるでしょうか。
 例えば、眼鏡をつけているキャラクターが存在したとしましょう。その時点ではただの眼鏡っ娘というキャラクターでしかありません。そこに私は必然性を持たせます。
 何故眼鏡をつけているのか。勉強熱心だからか。何故勉強熱心なのか。有名な大学にはいるためだからか。何故有名大学に入りたいのか。医者になるためなのか。何故医者になりたいのか。小さい時に父親を病気でなくしているからなのか。何故父親が病気でなくなったぐらいで医者を目指すのか。父親が大好きだからか。
 こうやって考えるだけで、オタク的記号解釈による「眼鏡っ娘」という「キャラクター」は、とたんに、病気で大好きなお父さんを失ったため、他の人に同じ思いを繰り返させないために医者になろうと勉強を重ねるけなげな女の子、という設定が出来上がってしまいます。そしてこの瞬間、このキャラクターに過去の積み重ね、言い換えてその人の人生が生み出され、キャラクターは人物として物語の中で呼吸を始めるのです。

 だからこそ、とってつけたような設定が一つでもあると、その設定がご都合主義に見えてしまい(実際には完全なご都合主義)、その設定を物語にとけ込ませるためにあの手この手を尽くします。もちろん、あの手この手は、物語の自然流れを損なわないようにしなければいけません。
 こうやって書くと前半の文章との間に矛盾が生じてしまうのですが、確かに、直哉においては、水彩画を描く理由がありますし、その設定はゲーム版制作時からの公式設定です。ですから、直哉が水彩画を描く事には全く問題がありません。問題は、その水彩画を接点にした彩音との出会いだったのです。
 とってつけたような彩音との出会い。それはご都合主義に他なりません。この彩音との出会いをいかにして自然の流れとするか。そして、趣味という割にはウェブ版での登場頻度が少ない水彩画を描く場面(こういった事情があるからこそ、水彩画を描くという設定がとってつけたように見える)を自然な流れを利用で物語中にとけ込ませていくか。これらの問題をようやく解決する事が出来そうなのです。

 長い間かかって、溶け込ませる事に成功しそうな水彩画という要素。そしてそれによって生まれる物語の必然性と、連鎖的に発生する深みとコク。その辺を楽しんで頂けたらと思います。
 冊子版ReSin-ensの目標は、外はさくっと、中はジューシーなんですよ(ぉ


 美術関係の資料に関してはこちらに持ってきてい状態で書いたので用語的にもおかしな部分がありますが、直哉が絵を描くシーンを引用しておきますね。

10月23日 土曜日

 何か恨みがあるかのような音を立てる目覚まし時計に夢の世界から現実へと引き戻される。目を開けたそこはカーテンの隙間から僅かに漏れる外の光が、夜空色に染まった部屋に光を投げかけていた。平日の起床時間と変わらない時間。ベッドから降り、耳障りな目覚ましのスイッチを切ると、俺は大きな背伸びをした。
 静寂に包まれた部屋から出ることなく、スケッチブックがおかれた棚から一冊のスケッチブックを取り出し、最後の方からページを確認していく。数枚捲ると、目的の絵はすぐに見つかった。その絵を見ながら、完成までにかかるおおよその時間を推測する。中森山から河名市の町並みを見下ろした風景を薄く木炭で描いたうえに重ねられた鉛筆の線。確かに、木炭の線はデッサンのようなものだし、その上に重ねた鉛筆の線だって完全ではない。でも、幾重にも重なる線で構成されているのにもかかわらず、その存在感の希薄さは何時もの事だった。木炭の線よりも濃い鉛筆を持ってしてもそれは同じだった。鉛筆の線をもう少し強調した後で、俺はこの上に水彩絵の具を重ねていくのだ。
 部屋で着替えをすませ、洗面所で鏡を見ながら寝癖を直し、身なりを整える。途中、リビングのストーブがついていない事を確認すると、部屋に戻り、あらかじめケースにまとめてある絵の具セットをベッドの下から引きずり出す。スケッチブックと絵の具セットを手に取り、階段を慎重に下りると、玄関先にその荷物を置いた。

 時計を見ると午前八時。丘の上から見下ろすとまだ街は朝霧に包まれている。来る直前に用意したサンドイッチと、魔法瓶に入れたコーヒーを飲みながら、この間と同じポイントを探し歩く。
 目に焼き付けた風景と、デッサンした風景が重なる場所は芝生広場の隅にあった。傾斜はほとんどなく、子供達が走り回るための芝生が淡々と広がり、ぐるりと見わたせる視界の所々に木製のテーブルと椅子が添えられている簡素な場所だった。手に持っているデッサンは、この場所から椅子とテーブルが見えない方角に的を絞り、芝生とそこにたたずむ一本の木、その向こうに見える街を対比するような構図になっている。座ったときに全く同じアングルがとれる場所を細かく移動しながら探しだし、そこに折りたたみ式の小さな椅子を置き、荷物を広げた。

 一時間ほどで鉛筆線の仕上げを終えた。中学校時代から絵を描いているだけあって、独学ではあるが、自分の目で見る限り全体的におかしな所は見つけられない程度になっている。スケッチブックから目を離し、対象ともいえる風景に目を向け、一つ息を吐き出すと、俺は筆洗いを手に持って近くの水飲み場に向かった。
 水飲み場で水を汲み、スケッチをした場所に戻ると、椅子に腰掛ける。荷物になるからと持ってこなかったイーゼルの代わりに膝の上にスケッチブックを載せ、眼科に移る風景と描かれた絵を見比べる。本来なら先週の土曜日にやっていた作業。謎の女の子に出会ってしまったがために、その場所を避けてしまった。結果的に、一週間遅れて俺はこの場所にいる。ひとまず、バランスに大きな間違いがない事を確認すると、俺は絵筆を握った。
 目をつむり、頭の中に風景をもう一度描き出し、印象に残った色だけを取り出していく。夏とは違う灰色の混ざったような秋空、地上と空の境目にある青く濁った山、河流市中心部のビル群、屋根屋根の混沌とした色、唯一の垂直要素である桜の木に、手前の芝生。青、青、灰色、混沌、茶、緑。
 この構図を考えたときからのテーマを作品に入れるため、青の濁りの中にある緑と紅葉を強調しつつ、灰色と混沌を書き出す事にする。必要になるであろう絵の具をパレットに小さくしぼり出し、俺はそこから見える風景に目を移した。

音楽器材だけは免除

 一部の中古家電の販売が禁止されるいわゆるPSE法。先週あたり、一部ビンテージ音楽器材だけはその処遇を免れる事になりましたが、これによって、この法律の意義がますます曖昧になりました。
 こういった法律に置いて例外という項目を作ると、その法律の効力は酷く曖昧になります。この辺は日本の建築基準法にも言えますね。特に、階段に関する項目はおもしろくて、最も多く利用するであろう住宅の階段の法規制がもっとも緩くなっています。つまり、結構無茶な階段も手すりさえつけてしまえば、比較的容易に作る事が出来てしまうわけですね。
 今回の中途半端な規制緩和では、国民全体の利益につながるという事はまずありません。国民の中でも作曲をする人、さらに、ビンテージ器材を使って音楽活動をする人に限られてしまいます。私が持っている音楽に関係する器材は三台ですが、全てビンテージ器材とは言えず、例のマークも付いていません。これらの器材はスクラップ処理を待つだけとなっています。

 テレビ局もようやく取り扱い始め、国民にも知れ渡りつつありますが、この法律が施行されるのは4月1日(厳密に言えば施行は数年前で、4月1日に猶予期間が終了するだけ)。エイプリルフールだからといって、実は冗談でしたと言える法律ではないので、その施行まで十日を切ってしまったことになります。地方の中古家電量販店はその処理について策を巡らせている頃でしょうか。
 クールビズやウォームビズといいながら、冷暖房効率最悪のコンクリートと大理石を使用した議事堂を利用する議員達(国会議事堂については建築的に見ても賛否両論あるんですよね)、IT革命といいながら、僻地への光ファイバー敷設は200人以上の署名をもってこいという傲慢なNTT、リサイクルを通した循環型社会へといいながら、中古家電の販売禁止。世の中いったいどこで狂ったのでしょうか。


 ついでなので、社説(笑)。
 犯罪率の高いところには交番や駐在所をもうけるという原則により、日本国内で最も犯罪率の高いであろう国会議事堂の中に交番を作ってみてはいかがでしょうか。っていうか、議員を取り押さえるために、SATを配置してもいいですよ、と。

家庭的バイオハザード

 まず私が引いた風邪。親と詩唄いさんに感染。次のターゲットは誰になるでしょうか(最低だ)。肝心の私は治りかけ。

2006年3月23日 (木曜日)

タイトル未決定

守りたい品質と楽しませたい読者がいるからこそ

 同人活動を前提に書きますが、他の状況にも当てはまるかと思います。

 複数人で単一の作業をする時、一つの問題となるのが、参加者全員の足並みの揃いようでしょう。この足並み、一般的に各個人の作業進捗率が取りざたされますが、個人的には、知識という面でも足並みが揃っていなければなりません。

 例えば、複数人で同人誌を作る時、製本方式を「平綴じ」にするとしましょう。このとき、平綴じについての知識がある人ならば、その製本方法とそれによるページの制限なども瞬時に理解できます。この場合は、一辺をホッチキスなどで綴じるので、綴じる方向の余白を広くしないと本が壊れやすくなったり、閲覧しづらくなりますね。ようは、そういった事を平綴じといわれた瞬間理解できないとアウトなのです。
 当然同人作家なのなら平綴じについて知っているという前提で話は進んでいきますから、後は締め切りを設定して、その時に原稿を集めるだけになります。本当はこういう時に「平綴じって何」と聞けばいいのですが、こういう時に限って、人は聞かないのです。そして、原稿を回収した時、「こんなの、平綴じで製本できないよ」という原稿を持ってくるのです。

 これは例ですので、実際に私の身の回りであったというわけではありません。ただ、よく似た場面は沢山見かけるかと思います。
 同人関係で問題になりやすいのは、パソコン操作やソフトに関する技能です。コピーや印刷の敷居が高い頃に主流だった、手書きの同人誌を回覧板のように回していく“肉筆回覧誌”や、手書きの原稿をコピーしてコピー本にした詩集や短編集などは例外になりますけど、一般的に同人誌を作るためにはパソコンが必要不可欠の時代です。こういった時、パソコン操作について最低限のラインで全員が同じレベルにいなければ、必ず何処かで問題が発生します。
 「プレーンテキストで提出してね」といったのにもかかわらず、“*.doc”拡張子でファイルを提出したりする人もいるかと思います。“*.doc”でプレーンテキスト扱いって、貴方は98xx時代の人ですか、と突っ込みたくなってきます(実際に使っている人は別)。『KanonSSLink』が主催したSSコンテストのように、沢山の作品が集まるのならプレーンテキストについての説明をする必要があるでしょうが(実際、このコンテストの時はプレーンテキストの作り方がきちんと用意された(第二回参加者談))、少数人数で集まる時、まして、全員が同人活動をやっていると分かり切っているのなら、わざわざプレーンテキストについての説明なんてしません。
 また、一般的な小説系同人作家なら、Windows付属のメモ帳では事足りない(容量による読み込み制限など)ため、他のテキストエディッタが、秀丸なりTeraPADなり、WHiNNYなりインストールしてあるはずです。全てのソフトは行数表示が可能ですから、「何行目のこのへんが可笑しい」といった指摘が仲間同士で出来るのですが、時々「行数なんて表示されていない」とだだをこねる人がいるのです。こういう時、ソフトをインストールしていれば設定を変えるだけなのですが、「TeraPADってなに?」とか、実はフリーソフトすら使った事がないとか言われると、手も足も出なくなります。

 さて、パソコン操作の技能が大事と言いつつも、ソフトよりの話が主流ですが、何となく察して頂いたかと思います。実は、ソフトウェアの取り扱いが同人活動ではかなり重要だったりします。パソコン操作なんて言うのは、マウスディバイスがつかえる人はクリックとWクリックさえつかえれば何とかなる物です。問題は、ソフトに関する知識です。
 特に、費用を安く抑えたい同人作家としては、フリーソフトをいかにして使っていくか、というのが重要になります。実際問題、Windows付属ソフトや、パソコンメーカーが自社ブランドを広告したいがために入れる機能も操作方法も成熟されていないヘタレソフトでは全く役に立ちません。むしろ、それらのソフトはパソコン初回起動時にきれいさっぱりアンインストールされます。そして、その上に、自分が最も使いやすいと信じるフリーソフトをインストールしていくのです。

 ソフトに関する知識は転じて、同人的常識に関する知識と置き換えられます。プレーンテキストという用語、印刷物はCMYKでという前提、色を塗るならディスプレイのカラーマッチング等々。これらの事を最低限の範囲で全員が知らなければ、足並みなんて揃わないのです。
 実際、ネット上で音声活動を展開している人と共同で仕事をする時も、きれいに録音する人と出来ない人がいます。方や、WAVEの44.1kHzモノラル収録・ノイズもほとんどない、という人から、最終提出なのに低音質MP3でシュワシュワとノイズが入っているファイル、どんなところで録音しているんだと突っ込みたくなる蛍光灯のブーンというノイズが前面に押し出されているファイルなどが集まります。後ろの方に家族の声とか、トラックの走る音とか、切なくなってきます。録音ソフトはWindowsのメディアレコーダーなどといわれると、頭が痛くなってきます。
 学生も多くいますから、高いマイクを買えというのは流石に言えませんけど(カラオケ用マイクはやめてくれと言いたいですが)、蛍光灯ノイズぐらいなら、電気を消せば簡単に取り除けます。声も原稿も、自分の作品ですから、もう少し丁寧に扱って欲しいと思う事はあります。
 こういった小さな事の積み重ねで音楽ファイルはより高い品質に、同人原稿はよりきれいになっていくのです。そして、大手や中堅といわれる人達、明日の中堅を目指す意欲ある人達は、このような知識を当然のように持っているのです。

 色々なところで右往左往しながら脱線していますが、複数人で作業をする時というのは、全員が共通の認識として一般的常識や業界標準を知っているという前提の元、始まります。
 特に、既に同人活動を継続してやっている人や、同人作家に対して仕事やアシスタントの申し出をしてくる人などに対してはその閾値が高くなります。同人活動をしているのなら、自分を売りに来るぐらいなら、「当然このぐらいの事は知っていて当たり前だろう」という認識があるのです。
 言い方を変えれば、常識や業界標準といえる事を知らなければ、輪に入った時、全員のペースをその人が壊してしまうという事です。

 確かに、初めてこのような作業をする人もいるかもしれません。その人に対して厳しく当たるのは間違いかもしれません。ですが、一つだけ言える事があります。初心者をいいわけにするのはほぼ確実に嫌われます。初心者なら初心者なりに必死になって勉強して追いつく必要があるからです。
 多くの人は、初心者を自分の足下で育てるという時間を持っていません。自分の原稿を書くだけで精一杯だからです。強く言えば、自分のペースを守るためにはそういった人が足手まといになるのです。

 この世の中、インターネットという便利な物が出来てからは、同人誌の印刷から製本の方法を紹介するサイトがあったり、売り子についての考察をまとめているサイトもあります。そういった点では、非常に初心者にとっては優しい世の中になっているのです。最大の経験が出来るイベントも毎週日曜日、全国何処かで確実に開催されています。小さなイベントを含めれば、各都道府県一ヶ月に数回開催されています。
 そのような状況をふまえると、初心者をいいわけにするという事は、それだけでやる気がない事を示している事になるのです。基本的な情報は全てインターネットや、同人誌を実際に閲覧する事によって全て習得する事が出来ます。やろうと思えば、勉強する事によって手に入れる事が出来るからです。
 実際の所、私の知識(建築は除外)なんて言う物は、インターネットを探せば簡単に見つかる知識です。カラーマッチングだって、製本方法だって、全て検索すれば出てきますし、検索して出てきた文献を元に勉強しています。日本語に関する知識なんて、実際の所皆無といってもいいでしょう。
 全員で足並みをそろえる時、一番低い人に合わせるという事はまず出来ません。守りたい品質があり、期待している読者がいるからです。
 各人が出せる限りの全力を出します。もし貴方自身が、それらの足を引っ張っていると感じるのなら、勉強するしかないのです。少なくとも、「置いていかないで」といった懇願や、「初心者なんだから手加減してよ」という非常識な考えは通用しないのです。

ピンポイントで成長

 雑誌などに原稿を連載している人は定められた容量に沿うように作品を書き上げると言います。
 冊子版ReSin-ensの編集方法は、分冊などもあるため、章に割り当てられる容量がおおよそ決まっています。そこにきれいに収まるように作品を書かなければならないのですが、今回、おもしろい事が起こりました

 冊子版ReSin-ens第一巻、第四章を書いているときのことでした。この章は10KB程度で終わらせなければ、第五章を書いた時点で目標とするページ数に収まらなくなります。そういった事もあって執筆は慎重にならざるを得ないのですが、いい具合にネタが降りてきていて、いつもよりもいいペースで作品を書いていました。
 最後に容量を確認したときは、8KB手前でした。勢いで作品を書いている影響もあり、その後は一度も容量を調べず、目標とする場面まで書き出して、おそるおそる容量を量ったら、9.4KB。目標の10KBにかなり近い値をたたき出しました。前後2KBぐらいなら何とかなるという余裕を持って挑んでいるのですが、目標値にかなり近い値が出て自分でも驚いています。

 第一巻の最終章は、第五章。第五章までに書くべき場面は当初から決まっていたのですが、収まりきらないとして第二巻に見送った場面があります。それでもかなり厳しい感じですが、書きたい場面は全て書き出して、なおかつ、私自身の表現方法をつぶすことなく、40KBという定められた枠の中に作品が収められれば、と思います。
 読んですぐに理解できる通り、私は書き出すと止まらないたちですからね。

2006年3月24日 (金曜日)

現実世界でぱっとしない人ほど夢の世界ではヒーローになるんだよ

今日も今日とてReSin-ens

 今のような文体、要するに、表現やリズムに気を配るようになってからは、一日二桁キロバイトの小説を執筆する事なんて無理だと思っていましたが、どうやらそれは私の勘違いのようでした。なんだかんだといって、昨日一日で21KB。文字数にして約1万文字。同人誌的に見ればたったの7ページでしたけど、人間、やれば出来るものです。
 自分の思うより早く作品が出来上がっていく感覚というのは、多少なりとも冷静さを欠きますが、やはりうれしいもの。それが、とうてい無理だと思っていたスピードだと、その感動は数倍にもなります。
 ReSin-ens第一巻の収録予定容量まで残り40KB。文字数に直して二万文字。早ければ今月中には書ききれるかもしれませんね。

 修羅場という言葉がありますけど、修羅場に発揮できる力は自分の実力以上になる事はなく、自分の持っている力が上限になります。だからこそ、修羅場になる前に、出来るだけのスピードで作品を執筆する必要があります。修羅場モードを過信しすぎると、その身を滅ぼす事は分かり切っていますからね。

夢の中ではアクション俳優

 今日の朝はこゆい夢でした。基本的に夢は見ているはずなのですが、起きた時に覚えているという事はないので、覚えているという事も珍しいのですが、総天然色な上にフルボイス。ここまで鮮明な夢を見たのも久しぶりです。ストーリー展開も、自分で笑いたくなるような展開でした。

  1. 市町村合併の境界線を巡って市民が抗議
  2. 市長と副市長が拡声器をそれぞれに持ってそれをなだめようとしている
  3. そこに私登場。近くにいた市民に話を聞く。どうやらかなりの悪政らしい
  4. 市長の話を聞いても明らかに悪い事ばかり
  5. ぷっつりと切れて、市長の拡声器を奪って、市長に抗議開始
  6. 副市長が拡声器でヤジを飛ばすものの、黙れと言って静止
  7. 市長と副市長その場から逃走を図る
  8. 逃げる二人を私の友達とともに追いかける
  9. 市長の逃げ足は速く追いつけない
  10. 走っている途中、コンクリート整備された護岸を見ながらほぼとなりを走っていた副市長に向かって、「最近の護岸整備はすごくて、コンクリートを使わないんですよ。自然を生かして整備して動物が来たりするようになるんです」と言う
  11. 副市長、「来ねえよ!」と言う
  12. 「お前のその発言の根拠はどこから来るんだよ」と言いながら、隣を走っている副市長の首を絞める
  13. 「行政に携わる人なら、バイオロギー、ビオトープ、バウビオロギーという単語ぐらい知っておけ」と首を絞めながら言う
  14. 市長、視界の向こうで静止
  15. それを見て副市長が持っていた拡声器を奪い、市長の下へ走る
  16. 市長の説得開始
  17. 市長、副市長ともにもと来た道を戻るように逃亡
  18. 全力で追尾、追いつく
  19. 何とか追いついたところで、戦闘開始
  20. 拡声器で大声を出してひるませたのち、二つの拡声器を紐で結び流星鐵のように振り回す
  21. 市長の顔面に見事ヒット、副市長も撃破

 と、ここで目が覚めます。起きた瞬間思わず苦笑いの夢でした。ちなみに、バイオロギーやビオトープ、バウビオロギーという単語は実際に存在しますので、自然環境の構築などに興味がある人はぐぐってみてください。

新手法による『アニメのキャラと私、どっちが大事なの?』に対する見解 (14:01)

 前回の見解については、『次元交換定理?』を参照

 前回の見解については非常に論理的部分から迫ってきましたが、今回は短めにさらっと生理用品の“F”のような肌触りで、感情的に展開してみます。

 一種のよくあるネタ、いわゆる、定番ネタの中に、女性の台詞として「仕事と私どっちが大切なの」という問いつめがあります。こういった台詞が出てくる場面というのは、ドラマやサスペンスものが大好きな方ならすぐに想像できるので、紹介については割愛します。
 さて、女性の問いつめ台詞の代表格、「仕事と私、どっちが大切なの」を、もっと分かりやすく、オタク的に解釈するために今回も「アニメのキャラと私、どっちが大事なの?」に差し替えて展開していこうかと思います。
 前回の見解で導き出された答えは、『解無し』ですが、今回の答えは『議論の意味無し』になります。前回と殆ど同じ答えが出てきましたね。では、次の文章から、このような答えが出た過程を見ていきましょう。

 このような質問が男に向けられるのは、アニメに夢中になりすぎて彼女に対しての接し方が希薄になるところから発生します。では、この質問を実際に向けられた男性はどのように答えればいいのでしょうか。結論を先に言えば『両方』です。
 一般的に何かを立てようとするともう一方が立ちませんし、二兎を追う者は一兔をも得ずという諺も存在しています。つまり、普通の努力では二つのものを手に保持し続ける事は非常に困難な作業といえます。そういった先人の教えがあるのにもかかわらず、アニメと恋人という二つのものを所持している人は非常にすばらしい人だと言えます。何故なら、一般的に両立が難しいと言われる二つのものをがっちりと守っているからです。
 これは、両方とも大切だからこそ、その二つを守り続けようと多大なる努力をしている証拠になります。もし一方の大切さがもう一方の大切さを上回っていたのなら、いざ片方を捨てろと言われた時、多くの人はすぐに大切ではない方を捨てるでしょう。何故なら、二つもっている事は非常に労力を要するからです。

 「アニメのキャラと私、どっちが大事なの」と聞かれる人は、アニメと彼女という存在を持っています。彼にとってはアニメも彼女も大切なのでしょう。だからこそ、アニメと彼女を守ろうとするのです。もし、アニメの方が大切なのなら、彼女をいとも簡単に手放すでしょうし、彼女の方が大切なのなら、アニメをいとも簡単に手放すでしょう。そういった、逃げの一手とも言える片方を手放して円満解決を図ろうとせず、二つのものを守り続ける人は見えないところで苦労をしていると言えますその苦労をものともせず、何時まで経っても二つのものを守り続けるという事は、本当に二つとも好きだからこそ出来る行動なのでしょう。こんな最上級の愛情表現なんてこの世には存在しないかもしれません。
 こういった事をふまえると、彼女以外に大切なものがある人というのは、強欲な人と見られるかもしれませんが、見方を変えれば、幸せのために最大限の努力をするすばらしい人だと言えます。ましてや、二つの大切なものを守り続けるのは先人の教えの通り非常に困難な事ですから、それを達成できているだけでもすごい人だという事が出来ます
 だからこそ貴方は自信を持って言ってください。「両方とも大切だから苦労をしてでもその存在を守ろうとしているんだ」と。

 逆に、女性は気をつけてください。「お前だけが大切だからアニメは捨てられる」と簡単に言うような男は、二つを守ろうとする苦労を背負い込めない軟弱な男です。そういった複数のものを守ろうとする努力が出来ない男は、何時の日か、貴方と彼の間に生まれた子供という複数の大切なもので構成された“家族”という共同体すら守れない人間に成長するでしょうから。


 さて、このように二つのものを守り続けるという事は非常に苦労するという事を知った上で、先ほどの女性の専売特許的質問である、「アニメのキャラと私、どっちが大事なの」にたいして苦言を呈したいと思います。
 このような質問をするという事は、女性自身は男性が背負っている苦労が見えていないという事になります。こういった場合、「男性がよっぽど苦労を隠すのが上手い」か、「女性自身が表面的な判断しかできない人」のどちらかになるかとおもいます。前者の場合はともかく、後者の場合は、表面的な事だけで物事を判断しようとし、内面的な事は見ようともしない人、または、そこまで深く考える事が出来ない幼稚な人という見解を示す事が出来ます。そんな表面的な事でしか物事を判断できない人は、貴男がどれだけ努力してもその努力を無視します。それが嫌ならさっさと別れてしまいましょう。
 大切なものを全て守るためには相当の労力を消費します。貴女の知らないところで彼は努力しているのです。そんな彼に、愚かとも言える質問をすると、「お前は何も分かっていない」と怒鳴られ、別れを告げられてしまうかもしれません。

 おもしろい話があって、「恋をしている人はおしゃべりで、愛をしている人は沈黙をも楽しめる」と言います。これは、恋をしている段階では会話が無くなって気まずい空気になるのを避けるためにおしゃべりになり、愛をしている人は沈黙があっても怖くない、すなわち、側にいるだけで幸せと感じられる存在になっていると言えるからだそうです。
 この定義をもとに、先ほどの事例を多少強引に解釈すると以下のような見解も見いだせます。
 彼女がいるのにもかかわらずアニメキャラをも好きだと言える人は、彼女を愛していて側にいるだけで幸せを感じ他に何も求めない人。彼氏にかまって欲しいと懇願し、アニメに夢中になっている彼が大嫌いだという女性は、まだ好きという段階にとどまっていると言えるのかもしれません。


 なお、女性の専売特許というようにこの文章を展開してきましたが、男性から見た女性に対しても全く同じ事が言えます。全国の男女諸君は、くれぐれも気をつけるように。

2006年3月25日 (土曜日)

脳がしびれる

肉体的消費と精神的消費

 このように文章を書いたり、絵を描いたりする人は疲れなくていいよね、なんて言う話を時々聞きますけど、そんなはずもありません。きっとそんな台詞をはき出す人にとっては、疲労というのは肉体疲労と同じ意味なのでしょう。
 ですが、疲労にはもちろん精神的疲労もあります。脳が疲れた状態と表現するのが最も的確な表現になるでしょう。この日記のように思いついた言葉をそのまま紡いでいくだけなら何とかなりますが、いざ小説を書くとなると、一行一字に魂を込めていくわけですから、相当の疲労がたまります。
 私が言う一日の執筆量限界というのは、タイピングスピードではなく、この辺の疲労から来ています。タイピングスピードの限界で一日20KBも書けないとなると、それはタッチタイピング修得者として失格ですからね。何も考えないでただひたすら文章を入力するだけなら、倍以上は一日で入力できると思います。ルーチンワークによる疲労も馬鹿には出来ませんが。

 私の記憶力にも限界があり、場合によっては二年以上前にチャットである人が話した台詞をそのまま覚えていて驚かせたりもしますが、それは特殊な場合で、だいたいの事は覚えていません。特に、結構知っていると勘違いされそうな慣用句の意味や慣用句については意外と覚えていないもので、その場その場で調べています。
 逆を言えば、調べてすぐに分かる事は覚えていないという事ですね。漢字の詳しい意味なんかも必要になった時だけ字引しますし、雲の名前や星座の名前だって必要な時にそれ相応の本を持ってきます。
 こういった、調べものは文章を書く上では必要不可欠なので、その作業だけでも結構疲労します。

 とまあ、色々と疲労する理由はあるのですが、昔はこのほかにもう一つ疲労の原因がありました。それは、漢字変換の整合性を確かめるという行動。自分の入力した文章をリアルタイムで追いかけ、正しく入力されているかを確認するだけならいいのですが、そこから変換された文章を確認する必要があるわけです。これが、MS-IMEなら、変換ミスだけでいらいらしてくるのですが、今となってはATOKたんが変換を担当してくれているので、この辺の労力は殆ど必要なくなりました。句点から句点まで一度に入力して一発で変換するという作業に特化しているATOKは、こういう点で便利だったりします。
 執筆作業に直接関わってくる疲労費ならまだしも、変換を監視しなければならないと言う二次的疲労はある意味ストレスに直結しますから、こう言ったところで道具を上手く使っていく必要がありますね。
 パソコンというのは、ルーチンワークを任せるためにあるようなものですから、パソコン任せにするところは出来るだけパソコン任せにしてしまって、自分はひたすら文章に打ち込むというスタイルは非常に便利だと言えます。

 精神的疲労というのは、タウリンなどでどうしようにもならないので、そういう点では回復方法に難点があります。私がよくやるのは、真夜中に外に出るとか、歌を歌うと言った気を紛らわすという方法です。脳みそを一時的に解放し、すっきりさせるという効果があると信じています
 ただ、外に行って星を見るなんて言う行動をしてしまうと、大概の場合は小説のネタが浮かんできてそのネタをきちんとした文章に仕上げようとしてまた疲れてしまうという罠。でもまあ、それが楽しいんですけどね。

 全ての人にはその人の目というものがあるかと思います。例えば、数学を専攻している人なら数学の目、歴史を専攻している人なら歴史の目、技術職に就いている人なら技術職の目。その目にたたき込んだ、自らの考え方を象徴し、特定の仕事に就くために必要な技術がその目にはあると思います。
 例えば、私自身が感じている目というのは、建築や小説、物語の展開方法、音楽などなど。

 町中に貼ってあるポスターを見ると、フォントや色遣いを分析してしまいます。これはデザイン的な面や、同人誌の装幀に影響を与えます。
 街をゆく女性の服装を見ながら、重ね着や色遣い、小物類を分析してしまいます。これはもちろん小説に登場する人物の服装に影響します。
 町中に乱立する建築物を見ながら、建築の形式やデザインの分類をしてしまいます。これは設計課題などで、ある役割をする建築を作る時にどのような構造形式を採用すればいいかなどと言う事に影響を与えます。
 上映される映画は、ストーリー展開や場面の見せ方、伏線の張り方に。
 発表される小説は、ストーリー展開や場面の見せ方、伏線の張り方に加え、描写の仕方に。
 道行く人の会話は、ごく普通の友達が会話する内容の参考に。
 道行く恋仲の会話は、恋人同士の会話や行動の参考に。

 私の目から見た世界は今までに鍛え上げた膨大な条件式によって分類、蓄積、類型化され、脳内の海馬に電気信号としてストックされていきます。そして、いざというときに脳内検索をして、その情報を取り出すのです。
 これら多くの情報は、似たような言葉を当てはめれば、ボキャブラリー、狭義の意味に絞るのなら、語彙として何時の日か利用されます。

 私は、自分自身の持つこの目を利用して、商売をしているといっても過言ではありません。もっと強い言葉で表現すれば、この目がなければ生計が成り立ちません。
 刃物を研ぐ職人が常日頃から両方の手を使うようにして事実上の両利きを保とうとする行動や、デザイナーが常に最先端のデザインに気を遣うのと同じように、私はこの目を鍛える必要があります。
 だからきっと、「目の付け所が違う」という言葉は、その人の目や世界観が違うという意味が込められているのでしょう。

 今皆さんが読んでいる私の日記というのは、私が持つ目を通して見た世界が羅列されています。だからこそ、皆さんはこの文章を読んでいるのだと思います。もし、この世の全ての人が同じものの見方をしているのなら、それによって得られる感情も同じになってしまいます。ならば、ウェブ上に公開される日記は一つだけでいいのです。何故なら、それ以外のものの見方が存在しないのですから。もっと極端に書けば、みんなが同じなのだから、そういった情報をウェブで共有する必要もないので、日記サイトというのは必要ないのです。
 でも、現実はそれとは違います。みんながそれぞれの目を持ち、それぞれの目を通して世界を見て、それぞれのものの見方を通して考えを構築しています。みんなが違うからこそ、私の日記や他の人の日記という文章がこの世界に存在する理由が生まれるのです。自分と物事のとらえ方が全く同じ人とは友達になりづらいように、何処か違う所があるからこそ、存在意義があるのです
 だからこそ、変と言われようがなんと言われようが、私のものの見方、私の目は保持していかなければなりません。それは、私の趣味や将来の展望を守るために必要不可欠な事であって、私の日記が楽しいと感じてくれている人のためなのです。

 「そんな見方をしていて疲れない?」、とか、「そんな見方をしているとおもしろくないよ」、なんて人には言われますけど、面白さの定義なんて人それぞれ。私はこのように知識を蓄積していざというときに引き出せる事に快感を覚える人間なのです。極小地域的な表現をすると、「だがそれがいい」ですね。

316人の妹

 八戸・新青森間の新幹線工事が本格的に始まっていますが、どうやら微妙に我が家にもその工事が絡んできた模様。私から見て四親等もさかのぼる人が着工区間内の土地を所有していたらしいのですが、もちろん既に死亡。現在の相続者は不明で、推定される相続者が全国に316人も存在しているそうです。ここまで来ると、姉妹や従姉妹、姑なんかが出てくる家庭内の相続なんてちっぽけに見えてしまいます。既に桁が違うという。
 まあ結局、所有者が不明な時の常套手段を用いた上で土地をJR側が買収、保証金を支払うという形に落ち着くでしょう。途中、相続者のリストと同時に我が家の家系図の全貌が明らかになったのですが、南は九州、北は北海道まで、ずいぶんと幅広い地域に点在したものです。
 何よりも、316人を割り出すために奔走した役所がすごいと思ったり。

刻々と変化する状況に臨機応変に対応する

 ReSin-ensは詩唄いさんと共同作業になる部分があるのですが、お互い毎日作業を進めているという現実では、日々刻々と状況が変わるので、その都度打ち合わせをするのがベストと言えます。昨日は「この場面は二人とも制服で」と言ったのにもかかわらず、今日になって「悪いけど、ここはやっぱり私服になる」なんて言う事も日常茶飯事で、新しい状況を伝えつつ、変更をお願いするという日々が続きます。
 といってもまあ、お互いやる事があるわけですから、普通の状態において毎日話をするわけにも行かず、時々かわされる超長電話によってその分の埋め合わせをするわけです。ですから、話し合いを進められる内に進めておくというのが今できる最も上等な手段といえます。

 さて、私が中学校で生徒会に所属していた頃、生徒会の目標を「臨機応変に対応する」と定めた時がありました。生徒総会で「臨機応変とはどういう意味ですか」という質問が出たという珍事はほっといて、この臨機応変は結構好きな言葉だったりします。
 機に臨み変化に応じる、多分本来の意味はそんなところでしょう。手っ取り早く書いてしまうと、刻々と変化する事に対して柔軟に対応する、という意味になるかと思います。私は一つの作業を始めると最後まで突っ走ってしまう傾向があるので、その時々の状況を考えていると言っても猪突猛進気味になってしまいます。潔いところで物事をあきらめ、新しい一手を打つという事も大切なのかもしれませんね。

 時に小説にも同じ事が言えます。例えば、自ら締め切りを設定し、それを守らなければならない場合。締め切りが守れないと分かった瞬間に、ストーリーを組み立て直し、何とか締め切りまでに間に合わせるという作業が必要になります。それを痛感したのは、一昨年の夏コミで寄稿した『小さな手』。作業時間が思うようにとれず、予定よりも半分近い量にまで減少しそうになった時、思い切って私はストーリーを組み立て直し、品質を損なうことなく一本の作品に仕上げたと自負しています。
 惰性で作品を荒い状態で仕上げ、予定の長さを書いたとしてもそれは長さとしては立派でも作品としては失敗作です。ですから、ストーリーを組み立て直し、予定よりも短くなったとしても物語としての質は予定の水準を保つ必要があります。そのことに気づいたからこそ、私はストーリーの組み直しという思い切った作業を断行できたと思っています。

 いま、ReSin-ens第一巻は既に予定としている長さを大幅に超えそうな雰囲気が漂い始めています。その長さを見て、物語の再構成を図るべきかどうか、私は未だに悩んでいます。
 今私に必要なのは、臨機応変という言葉なのかもしれません。

2006年3月26日 (日曜日)

無題

逆帰省

 逆帰省。
 帰りの方が荷物が多い件について。
 そろそろ部屋に保存してある模型類を実家に送った方が良さそうな予感。二つの押し入れが満タン。

2006年3月27日 (月曜日)

冷やし中華

Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.8.0.1) Gecko/20060130 SeaMonkey/1.0

 見慣れた外観に、使い慣れた操作性。どうあがいても、この点ではFirefoxがMozilla Suiteに勝てるはずもなく。結局、今の今まで、Mozilla Suite 1.7.12を使っていたのですが、今後のことも考えて、SeaMonkeyに移行完了しました。
 アルファやベータも一時期使っていたのですが、やはり動作が不安定ですぐに削除してきました。ですが、流石にメジャーリリースともなると安定性も抜群。最新のGeckoエンジン搭載で、レンダリングもサクサクです。
 何時も、レンダリング速度を測るときは私のサイトの日記を読み込んで、その時の体感速度で量っているのですが、確かにMozilla 1.7.12よりも早くなっているような気がします。

 日本語化された状態で配布されているわけではないので、自分でJLPを入れる必要があるのですけど、その点を除けば優秀なブラウザです。

 それにしても、ユザーエージェントのリビジョンが、1.7.12を引き継いだように、1.8.0.1となっているのは、ちょっとばかり感慨深いものがあります。

「ウイルススキャン2006(マカフィー)」始めました

 2月に製品更新有効期限が切れ、二ヶ月間に渡って放置してきましたが、ようやくウイルススキャンを更新。これにて、四期連続ウイルススキャンを使用することになりました。ノートンに比べて検知率が落ちると言いますが、それをさしおいての動作の軽さは目を見張るものがあります。
 米国で発表されたウイルス検知率の最も高いソフトはノートンでもありませんし、そのランキングで八位につけているウイルススキャンでもそんなに変わりないでしょう、と言うノリです。一応、トロイの木馬系の検知率は最強らしいですし。

 トレンドマイクロとマカフィーが五十歩百歩でも、インストールのあるなしは五十歩百歩で片付かないので、ひとまずインストールすることが重要。
 ただ、勘違いしてはならないことは、インストールすればいい、と言うわけでもないところですね。

 この手のソフトは名前があれなので、どのソフトをインストールすればいいの、と聞かれると非常に悩みます。
 事実上ソフト名になっているノートン、一般用語と勘違いしやすいウイルススキャン、名前だけが有名なウイルスバスター。何ともまあ、複雑な名前体系。
 個人的には面倒なので、みんなメーカー名で統一しています。シマンテック、マカフィー、トレンドマイクロ、といった具合。


 まあ…弘法にも筆の誤り、と言う諺。
 この社員は自宅PCにウイルス対策ソフトを利用していなかった、とある通り、意外とウイルスや情報流出に関しての危機感がないというのが現状。

2006年3月28日 (火曜日)

姉は

百合

 薫×由梨絵、って百合なんだなあ、と。

連続性の破綻

 帰省には移動時間が伴いますが、その移動時間を利用して、ここまで書いたぶんの冊子版ReSin-ensを初めから通して読みました。
 出てくる出てくる、矛盾矛盾。
 設定が決まっていると言いつつも、書きながら微調整する部分が出てしまい、それが矛盾に繋がります。
 例えば、初めの設定では入院期間が二週間だとしたら、一回目には二週間と書いているのに、次に入院期間の話題が出たときは、新設定の一週間になっている、と言った具合。細かなところで理由や行動が変わっていたりすると、読み返したときにしか分からないので要注意です。

 これは、レポートなどにも同じ事が言えます。初めのテーマと出てくる答えが微妙に異なっていると言うことは結構あります。これを卒検や社内報告書なんかでやってしまうと、仕事の出来を疑われますので要注意です。
 ちなみに、読み返さないとどれだけ話が脱線するか、と言うのは、このサイトの日記を見ればすぐに分かりますね。

姉は一級ウェブサイトデザイナー

 思えば、ウェブなんてデザインできません。デザインできるのはウェブサイトです。

 ちょっと事情がありまして、CSSを記述中。このサイトを元にしているので、比較的楽と言えば楽なのですが、元が微妙に複雑な記述をしているので、面倒と言えば面倒。
 今度のCSS、もとい、デザインはテーマが与えられていて、それに沿うようなデザインにする必要があります。普通はこってりとしたデザインになりがちなテーマなのですけど、極めてシンプルな路線を貫き通したいと思います。
 具体的に言うと、(空の彼方のCSS有り+無し)÷2、ぐらいな雰囲気で。

 っていうか、ものすごくいいんですよ、このデザイン(自画自賛)。

バトンにも色々な亜種があるらしい

 初見のバトンはミュージックバトンなのですが、そのバトンもBlogを中心に大ヒット。今ではものすごい数のバトンがありますね。
 個人的に、バトンについては好きも嫌いもないのですが、次の回答者を指定するというシステムはあまりすぎではなかったりします。この辺は、外との繋がりが強いBlog管理者と、引きこもりがちなこのサイトの管理者の考え方の違いなのかな、と思います。

 バトンの回答に関しては、サイトのテーマに沿うものなら渡されていなくても勝手に答えますが、サイトの内容に反しているなと感じれば、指名されても無視することにしています。

 ということで、初っぱなから脱線しましたが、以下、バトン。

新技術習得

 トレーシングペーパーへのインクジェットのモノクロ出力というのは、希望風内では私の専売特許だったわけですが、どうやら某Uな人がカラー出力に挑戦しているというらしい。
 これを聞いて負けられないと思った私、早速カラー出力に挑戦してみることに。
 一口にカラー出力と言っても、これが理論的には結構難しい。ただでさえインクをあまりすわないトレーシングペーパーに、モノクロの4倍のインクを吹き付ける(カラー出力は、CMYKの四色インクを使用)わけだから、トレペの許容量を超えてしまう可能性がある。

 私は何時も四色すなわち、400%ではなく、四色使っても300%になるように設定してある色設定を利用している。この辺も計算に入れて、とある設定をごにょごにょして、プリンタの設定をごにょごにょして、早速出力。
 で、その結果が、これ。
 トレーシングペーパーにカラーで出力

 鈴響雪冬は、新技術『トレーシングペーパーへのカラー出力』を手に入れた。新スキルの初期レベル、3。フォトショップとの親和性が5向上、プリンタとの親和性が5向上。『トレーシングペーパーへのモノクロ出力』の経験値が15上昇、次のレベルまで、8453。

 なお、この文章は、敵国への情報漏洩の危険性を示唆して一部分を伏せ字にて提供している。

それって結局、前回のアゴはなかったことにしたい、と言うことですか?

 京都アニメーションが、アニメ版Kanonの放送を告知したようです。サイトが重い重い。

煙草というと

 私は煙草というと、“峰”と言うイメージが強い。煙草と言えば、マイルドセブンやホーム、マルボロなんかよりも、峰という銘柄が気になる。金色の箱に、毛筆体でただ一筆、“峰”の文字。そんな映像が脳内にフラッシュバックする。

 そんな印象強い峰。冊子版ReSin-ensを書いているときに、煙草の銘柄を書く必要がある場面があって、何気なく峰と書いてみたものの、こいつは未だ売っているのかと気になった。そこで早速グーグル先生のお出ましである。
 煙草、峰、という検索ワードで引っかけてみたら、見つかった。どうやらまだ販売されている様子。
 個人の思い入れや先入観があるものの、実際に発売されていなければ話にならないが、今回は発売されていた良かった。

Mozilla Suite 1.7.12からSeaMonkeyへの、移行の手引き

 そもそも拡張機能に正式対応していないMozillaSuiteに拡張機能を満載している行為自体がどうかと思うのですが………。
 私のMozillaSuiteには拡張機能を搭載しています。SeaMonkeyに移行する際、MozillaSuiteを削除した上でインストールしましたが、どうやらこれが原因でSeaMonkeyが不安定に…。やはり、拡張機能も完全に削除した上でインストールした方が良さそうです。一応、私がインストールし直したときの手順を書いておきますので、何かの役に立てばと。いつものことですが、保証はしません。

  1. MozBackUpで、Mozilla Suiteの設定を全てバックアップ
  2. Mozilla Suiteアンインストール(ブラウザだけではなく、設定や拡張機能も完全に削除)
  3. SeaMonkeyのインストール(日本語にしたいのならここでJLPを追加インストール)
  4. 過去に使っていた拡張機能をインストール
  5. MozBackUpで、ブックマーク、パスワード情報、クッキー、フォーム情報、証明書を復元

2006年3月29日 (水曜日)

赤1号

『ReSin-ens 遼なる風、彩りの音』執筆日記

 ここのところ、日記は一ヶ月に三分割、と言う流れが常識でしたので、今月のように二分割となると、自分でも変な気分になります。一番上の日付へのリンクが長い長い。ここの部分はリスト要素をインラインにすることによって表示、ビルダーの画面上では縦一列に表示されてしまうので、長い長い。
 今現在、特にタスクが沢山溜まっている、と言う分けでもないのですが、一つ抱えているタスクが異様に重いわけです。量よりも質、と言う感じですね。

 さて、肝心の作品の進捗具合ですが、またもや行き詰まっている感じです。予定では今月中に一巻の原稿をまるまる終わらせる予定でしたが、ちょっとそれも雲行きが怪しくなってきました。
 というのは、今執筆しているのは第一巻第5章。一巻で言う最終章で、かなり重要な場面です。音楽で言うと、最後のキメの部分です。フェードアウトで終わらせるなり、リピートで終わらせるなりと、色々と手段がありますが、終わり方一つで曲の雰囲気が変わってしまいますよね。それと同じで、小説も最後の部分は余韻に直結する大事な要素です。
 今回の場合は、全四巻構成ですから、一つの巻の終わりは、一つのまとめとして締めくくりつつ、二巻への繋がりとしての関連性を持たせつつ、作品としての余韻を持たせる、と言う機能を持っていると言えます。その部分の執筆となると、慎重にならざるを得ませんよね。レポートの結論が主題とずれると、減点対象となるのと同じです。

 起承転結の序破急、と。

foobar2000 0.8.3

 二日ほど、0.9を使ってきましたが、TTA未対応というのと、コンポーネントの対応の悪さ(これは本体の制作環境が変わったことに原因があるらしい)に挫折。結局、0.8.3に戻しました。
 foobar2000は音楽プレイヤーとしては全く気にならないのですが、バージョンアップする度に構築するデータベースが破棄されたり、設定が初期化されるのは非常に痛いですね。

タイミング

 月の写真が撮りたい。そう思って外に飛び出してみると、今日は新月だった。
 ………地味に落ち込みました。

大人の都合

 巷で流行っている成分解析。早速やってみたのですが、ちょっと面白い結果に。

音瀬みいなの成分解析結果 :

音瀬みいなの55%は大人の都合で出来ています。
音瀬みいなの37%はツンデレで出来ています。
音瀬みいなの5%は月の光で出来ています。
音瀬みいなの2%は電波で出来ています。
音瀬みいなの1%は柳の樹皮で出来ています。

 大人の都合………………………。

 あと、個人的には、水瀬名雪がヒット。

水瀬名雪の67%は睡眠薬で出来ています。
水瀬名雪の21%はマイナスイオンで出来ています。
水瀬名雪の6%は運で出来ています。
水瀬名雪の4%は元気玉で出来ています。
水瀬名雪の1%は白インクで出来ています。
水瀬名雪の1%は回路で出来ています。

 睡眠薬がお勧め。

月宮あゆの77%はツンデレで出来ています。
月宮あゆの21%は赤い何かで出来ています。
月宮あゆの2%は月の光で出来ています。

 そう言えば、あゆってツンデレ要素があるなあ…というだけではなく。目の色は赤ですし、名前に月が入っています。

 おまけ。

遼風彩音の71%はやさしさで出来ています。
遼風彩音の17%は情報で出来ています。
遼風彩音の9%は汗と涙(化合物)で出来ています。
遼風彩音の1%は運で出来ています。
遼風彩音の1%はカルシウムで出来ています。
遼風彩音の1%は保存料で出来ています。

 バファリン超えた、バファリン!

2006年3月30日 (木曜日)

気が付いたら応募者全員サービスの締め切りから一日過ぎていたという過去の苦い思い出

ゴースト『54』、更新終了

 一世を風靡したゴースト、『54』の更新が終了したようです。『何か』を始めとして、『伺た』、『SSP』と、数年来お世話になっているデスクトップアクセサリの中でも、最も長い期間常駐し続けた『54』だけあって、更新終了は名残惜しいものがあります。

 さて、デスクトップアクセサリと言えば、私が書いている小説『窓辺に座る小さな妖精』です。これにはデスクトップアクセサリとして『沙希』が登場します。この『沙希』の性格のモデルになっているのが実は『54』なのです。性格どころか、容姿についてもここから来ています。事実上、『54』の二次創作ともいえる小説です。
 そんなこともあって、54の更新が終了するというのは、私としても寂しいものがあります。

 『窓辺に座る小さな妖精』は2年前から連載している作品ですけど、54との出会いはそれ以上昔ですから、それだけでも感慨深いものがありますね。

それでもやっぱり

 ヴァルキリープロファイル2の発売日が決まったと聞き、作品賞改ページを閲覧していると、段々とヴァルキリープロファイルがやりたくなって来るではありませんか。己の欲望に正直に。早速PS2の電源を入れて、ヴァルキリープロファイルを起動。
 適当にセラフィックゲート(隠しダンジョン)で99コンボなどをして楽しんだ後、隠しダンジョンのラスボスを倒しに。パーティーは、夢瑠、那々美、志帆、ヴァルキリーの女性パーティー。流石に魔法使いが三人もいると、攻撃が途絶え途絶え(チャージターン)になるのが欠点ですけど、やっぱりこのパーティーが好き。盲目の志帆に健気な夢瑠、巫女さんの那々美。この組み合わせが私の魂を揺さぶるのです。

 結局、HP145万だか、175万だか忘れましたけど、桁が違うラスボスを40分ほどかけて撃破。今回使ったセーブデータでの隠しダンジョンクリア回数12回になりました。2万のダメージを与えても画面上で1ミリ程度しかライフゲージが減らないのには毎回驚かされますが。

 他にもセーブデータが二つあり、全てのプレイ時間を合計すると、180時間程度。ヴァルキリープロファイルは私が一番はまったRPGですけど、ストーリーもさることながら、戦闘システムやダンジョンの難易度など、色々と楽しませてくれました。
 こうなると、ヴァルキリープロファイル2が楽しみです。6月が待ち遠しい。

複数人で足並みを合わせる

 一応、同人活動を中心に話を展開しますけど、他のことにも多々当てはまるかと思います。

 ここのところは活動を展開していませんでしたが、数年前は他の同人サークルにお邪魔して音楽を作ったり、SEを収録していた次期がありました。アマチュア声優さんに呼ばれてサントラ収録曲を作ってみたり、公募していた企画に参加したりなど、個人的には積極的に活動をしていたと思います。
 さて、一件和気藹々と進みそうなこういった共同作業ですが、往々にしてうまくいきません。私が誰かと共同作業をしたとき、それが終始スムーズに言ったのは『雪解け水』や『希望風』、『虹乃音堂』等と言ったサークルとお付き合いしていたときであって、それ以外の活動では一度も最後まで企画が成功した、と言う事はありません。
 その時の理由は簡単で、ほぼ確実に、『リーダーの消息不明』というもの。いわば、逃走。もっと言えば、ばっくれたわけですね。

 企画を立ち上げておいて、最後をうやむやにしたままいなくなるリーダー達。そんなリーダーの存在に嫌気が差してからは、対外的な活動を展開するのを止めました。命とも言える時間を削って作品を作り、提供したのにも拘わらず、使われることがなかった作品達。せっかく、途中までs作品を送って下さったのに、途中からフェードアウトするかのように消えていった人達。沢山の企画倒れを経験してきました。私が関わったものだけを集めると、企画倒れ率は九割近くになるのではないでしょうか。
 かつて、私は一つの企画を立ち上げていました。一部の方はご存じでしょうが、『ReSin-ens』です。住人近くのメンバーを集めた状態で始まった『ReSin-ens』は、プロ活動をしている人を呼んだ上での大規模なものでした。結局、当初からの見通しの甘さ、企画の無謀さを考慮し、企画立ち上げからほぼ一年で企画の続行を中止し、メンバーを解散させました。未だに企画を倒したときのことは忘れられません。今でも申し訳ない、と反省しています。

 そんな過去の経験をふまえて、「これだけは守らなくてはいけない」と言う事を知りました。それが、締め切りです。大人数で事を動かしているとき、それぞれの作業能力は大きく異なります。ですが、そのずれをずれのまま残して置くわけには行きません。そこで、絶対的な基準として締め切りを設けます。
 最終的な締め切りが決まれば、作業が早かろうが遅かろうが、その日には完成させなくてはいけません。締め切りによって個人の作業スピードを吸収していると言っても過言ではないのです。

 締め切りというと勘違いされそうなので補足しますが、私から見れば締め切りは、「どれだけ遅れてもこれ以上遅れると無理」と言う限界ラインだと考えています。つまり、目安ではなく、絶対的に守らなければいけないものだと思っています。これを超えると、作品の完成に必ず影響が出てくる、それが、締め切りだと思います。
 具体的な例を挙げれば、印刷所の入稿日。これは一日でも過ぎると、本がイベント当日に届かない可能性もありますし、届いたとしてもインクの乾きが不完全でページが汚れていたり、箔押しやPP加工が剥がれているなど、作品として必ず何処かに影響が出てきます。
 入稿日と締め切りをごっちゃにするなと言われそうですが、私からすれば両方とも、絶対的な時間の限界点、と言う解釈では同じだと思います。

 さて、締め切りに関する小話でも。
 この締め切り、最悪、守らなくてもいいと私は思います。親戚の不幸など、回避できない突発的な出来事は何時だって起こりえますし、体調を崩すことだってあります。同人活動はあくまでも趣味の延長線上にあるのですから、実生活に影響が出る行動は慎むべきでしょう。
 ただ、あくまでこれは、一つの対策を実行した場合のお話です。

 締め切りに間に合いそうにないと言うことをあらかじめ伝えておく。

 締め切りを守る側も決める側も体験したからこそ言えるのですが、一般的に自分以外の人も全て締め切りを守っていると言う前提で全ての行動が展開されています。●日までにあの人から原稿が届くから、その日のうちに一太郎に流し込んで、原盤を作ってコピー本を作る。そんな予定は、締め切りが守られるという前提で組み立てられていきます。
 このとき、もしAという人が設定された締め切りに間に合わないと感じ始めたらどうするべきでしょうか。それはもちろん、あらかじめ締め切りを守れそうにないと言うことを伝えておく必要があります。
 締め切り破りは大問題です。ですが、締め切り当日になって作品を提出せず、事情を聞いたときに初めて「間に合わない」と言われるのは、それを超える重罪です。

 例えば、締め切りの一週間ぐらい前に「来週の締め切りに間に合わないかも知れない」と一言言うだけで、締め切りを決めた側は複数の対策を練ることが出来ます。その人の原稿は後回しにして、他の人の作品を完成させることだって出来ます。先手を打って後々時間の余裕が出来るようにして、その時間に合わなかった分の原稿の修正をする、と言う作戦だって立てられます。
 ですが、こういった行動は、締め切りよりも前に連絡がきた場合です。普通、締め切りまでに連絡がない、と言うことは、全員が締め切りを守っている、と言う暗黙のルールが立ち上がります。ですから、その後の作業も全てそれを前提に組み立てられていきます。それをいざ当日になって、間に合わなかった、等と言われた場合、組み立てたスケジュールをもう一度構築しなければなりません。

 これは、新刊を落とした同人サークルにも似たようなことが言えます。
 例えば、貴方はAと言うサークルの同人誌が欲しいとしましょう。Aサークルのウェブサイトにも新刊が間に合いそうにないと言うことは一切記載されていません。貴方はきっとドキドキしながらスペースに向かうでしょう。でももし、そこに本がなかったらどうしますか?

 もし、これが事前に閲覧者に対して、「今回の新刊は間に合いそうにありません」と知らせられていたのなら、その人はわざわざスペースに赴くことをしなかったでしょう。ですが、この場合はそうではありませんでした。貴方は、新刊が発行されているという前提で行動し、突発的な新刊落としに必ずとまどうでしょう。

 締め切りを守ることは、複数人の足並みをそろえる上でも重要です。だから、基本的には何があってもその締め切りを守る必要があります。でももし、締め切りに間に合わないと感じ始めたのなら、そのことを事前に相談する必要があります。そうすれば、相談された側も対策を事前に打つことが可能になるのです。
 誰しも、不意打ちが苦手なように、これは確実だという前提条件が崩されたとき、その足並みは一気に崩れ去ります。一人で活動しているわけではないからこそ、全員の足並みをある程度そろえる必要があるのです。

 実際、私も何度か同じような体験をしたことがあります。そしてそれらには共通することがあります。誰もが皆、締め切りに間に合いそうにないと言うことを自分から連絡してこないのです。締め切り当日、私が作品が出てこないことを不審に思い聞き尋ねるとようやく本人の口から、間に合わない、と言う言葉を聞くに至のです。
 先手必勝という言葉がありますが、もし締め切りに間に合いそうにないのなら、あらかじめそのことを伝えるべきでしょう。もし遅れたとしても、無断で遅れるよりは数倍マシです。無断欠勤と事前連絡がある欠勤の違いが大きいように。


 ちょっとまとまりに欠ける文章ですね。

四十肩

 とは違うのですけど、三日ほど前から満足に後ろを振り向いたり、上体を反らしたり出来なくなるほど背中の(たぶん)筋肉が痛い状態が続いています。痛みやその発生したタイミングから「つった」と言う雰囲気なのですが、それでもこれは痛みが続きすぎているような気がします。
 自転車を乗っているとき、道を横断するためには思いっきり振り返って後方を確認しないといけないのですが、それが出来ないのが辛いです。いつもなら首を簡単にひねるだけでいいのですが、今日は腰から上全体をひねらないといけませんでした。
 場所が場所なので、ベッドから起きるときや寝ようとしても痛みが………。結局、筋肉を使おうとしたときに痛みが出るのですが、一体なんなのでしょうか。背中の羽根の辺りが痛いんですよね。

2006年3月31日 (金曜日)

タイトル未決定

半、アナログ的な作業

 私がパソコンに考えながら文章を入力するときに何時もやっていることがある。それは、思いついた文章はひとまず入力する、と言う作業である。

 上の表現は多少的はずれなところもあるので簡単に説明をしておこう。
 今、小説を入力しているとして、次の行を入力する場面だとする。このとき、思いついた文章をひとまず入力し、それを黙読する。何か違うなと思ってもそれを削除することなく、その文章を改行で後の方に追いやり、カーソルを元の位置に動かしてまた考えるのである。
 つまり、一度入力した文章は、一端その場にとどめておくのである。

 何度考えても自分の思い通りにならないとき、画面上には沢山の書きかけとも言える文章が並ぶ。
 書き上がった文章。カーソル。改行、改行、改行、思いついた文章A、改行、改行、改行、思いついた文章B、改行、改行、改行、思いついた文章C………と言った具合にである。酷いときには、思いついた文章が画面を埋め尽くし、スクロールしないと見えなくなるときもある。

 デジタル作業だからこそ、といって、一度入力した文章を削除してしまっては、新しく書き上げた文章と古い文章の優劣が判断できない。それでは文章を考えている意味がないのである。
 『考える』とは、ただ単純に新しい事を発想すればいいわけではない。新しい発想を考えたとしたら、その発想が過去の発想とどのように違って、どのように優劣が付けられるのかを判断しなければいけないのである。
 つまり、一回一回削除してしまっては、それは思いついたとは言えるが、思案しているとは言えないのである。(もちろん、これは私のことであって、脳内で全て完結させられる人の行動まで私の定規で測るようなことはしないが。)
 とまあ、そんな作業を傍観者的な目で見ると、デジタルになったとしてもやっていることはアナログと変わらないなあ、と感じるのである。

 これは、私が考えたらまず実践してみる、と言う行動基準があるからなのかも知れない。こと、文章に関してはその面が強い。頭の中で構築した文章をとりあえず入力してみる。そして、その文章の評価に取りかかる。これが私の文章の作り方である。私の“創作帳面”と言われる創作ノートには、一度書き出した文章が取消線を引かれ修正されているが、まさにパソコン上でも似たようなことをやっているのである。

蛇足

 こんな書き方をしているので、文章を入力するときに行う改行の量は尋常ではありません。お前はそんなに改行をするのが楽しいのかとツッコミを入れたくなるラノベでも書いているのか、と舌を噛みそうなほど長い突っ込みをいれたくなります。
 ただ、この改行が多いおかげで、面白い事態が起こります。改行がスムーズに行われないとどうしてもイライラしてくるので、機能の面では何ら問題がない一太郎アウトラインエディッタが使えないのです。
 一太郎アウトラインエディッタは本当に優秀だと思います。アウトラインエディッタと言っても一太郎のモードの一つですから、一太郎の機能が全部使えます。ただ、改行を改段として処理している都合なのか、一つ改行を入れるだけでも動きが悠長です。
 文章を考えるという機能の面では全く問題ないのですが、こういった基本的動作に悠長なので、私には使えないのです。だからこそ、テキストエディッタが必要なのですね。

 ある程度カスタマイズは出来ますけど、ソフトの動きそのものを軽くすることは一太郎には出来ませんからね。
 プレスコットでも積むか?(厚化粧の定理)

ブラスターワーム、ではなく、本当にサービス停止による再起動

 上の日記を書いているときに面白いことが起こりました。突如として画面にウインドウが登場、再起動まで残り一分という警告を始めました。ブラスターワームか! と思ったのですが、FWもウイルス対策ソフトもインストール済みで、MSの修正パッチも入っています。亜種、と言う噂も聞かないので、どうやら本当に、上位プロセスが落ちた事によるシステム再起動のようでした。

 と言っても、制限時間が一分と言われると、ファイルの保存もままならないので、サービス管理で、再起動の猶予時間を5分に調整しておきました。

 それにしても、何か変なことが起こると、タスクマネージャを起動するのが癖になっていますね。一番始めにやったことはタスクマネージャの起動でした。

2005年度最後のネタはウイルスで

 記事を書いているのが、IT-mediaだけあって、流石に書いてあることがまともです。某人みたいに、Winnyを使わないで、なんて馬鹿なことは言いません。普通のメディアもネットワークにこれぐらい強ければいいんですけどね。

 Winny、Winny、と叫びますけど、結局の所それは個人情報流出、と言うこと。過去のYahooの事例と全く変わらないわけです。ただ、報道の仕方が変わるだけで、新しいニュースに見えてしまうから怖いものです。
 特に、個人情報流出なんて言うのは、山田ウイルスが登場して以来、結構頻繁に発生していたかと思います。デジカメが付ける特定のファイル名だけを狙うと言うおもしろさで話題になった欄検眼段だって、2005年の丁度今頃発生したウイルスです。

 Winnyネットワークの特性上、誰も知らなければダウンロードされる危険性はまず無いですけど、そのファイルの存在が周知の事実となってしまえば、誰もがダウンロードできてしまいます。過剰報道を行うと逆に危険なんですよね。
 初心者が増えると問題が起こる、と言うのは世の中に転がる事例を見れば明らかです。登山ブームによる死者も、パソコンブームによるウイルス感染者も、レベル的には同じなんですよね。自殺の報道が増えれば自殺者が増える、なんて言う学術的統計も出てしまいましたし。

 結局、これだけ有名にならなければ、事件の危険性も少なかったのかな、と思います。現時点で、Winnyの次とも言えるファイル交換ソフトが二つ程度あったはずですから、再来年辺りはそれによって形成されるネットワークに個人情報流出、といって騒いでいるかも知れませんね。国民全体の意識が変わらなければ。

初出: 2006年3月11日
更新: 2006年3月11日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2006 Suzuhibiki Yuki

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