Top > 読み物 > 日記 > 2006年3月 -1冊目-
前述。何故こんな文章を書けるだけの知識を持っているの、という愚問にはお応えできません。あらかじめご了承下さい。
トリンプの子会社(ブランド)である、アモスタイルはその客層をティーンズから20代前半程度と捉えているようですが、方針の中に面白いものがあります。
AMO'S STYLEのランジェリーは、上下セットで下着をそろえるおしゃれをみんなに知ってもらおう!と、上下セットで販売されております。
つまり、上下セットで下着を選ぶことを前提として商品を構成しています。
例えば、多くの下着系通販では、通販メニュー(商品分類)が以下のように並んでいることが多いです。
これが、アモスタイルでは、以下のように並んでいます。
これは、会社の方針をそのまま示し、いかにしてアモスタイルが、上下セットの下着を推奨しているか、ということが伺えます。(ちなみに、ランジェリーはあくまでスリップなどの下着のことですから、ファンデーションと記述するのが本式です。)
一般的に服をコーディネートする際、上下のバランスを考えて構成することが多いかと思います。ふわりとした素材を利用したロングスカートを選んだ場合、上着はシルエットが鋭いものなど、出来るだけふくらみを持たないような服を合わせます。つまり、ロングスカートにダウンジャケットという構成はまずあり得ない、ということですね。
その他に重要な事柄として、色があります。寒色系でまとめる、暖色系でまとめる、黒で締めてピンクをワンポイントに、そんな色遣いがありますが、基本は同系色でしょう。特にピンクやオレンジは差し色として非常に効果的だと思います。
さて、これら上着に関する法則が下着に当てはまるか、と聞かれると、それは人によって大きく異なってくるかと思います。上着の組み合わせは誰しも考えますが、下着の組み合わせに関しては上記リンク先に記述してあるとおり、さほど考えられていません。
これは様々な要因が絡んでくるかと思いますが、性格にも影響してくるでしょう。
例えば、「どうせ見えない場所なんだしいいじゃん」という女性は、下着の組み合わせに関しては無頓着でしょうし、サイズの正しいはかり方も知らないかも知れません(後者は女性としてどうかと思いますが)。例えブラがスポーツブラでも、ショーツはレース素材、なんて言う組み合わせを平気で許容できる人もいるでしょう。
つまりは、無頓着であれば無頓着であるほど、下着に関しては見えないという事も相まって忘れ去られてしまうと言うことです。逆を言えば、下着を見れば女性の性格を少しは垣間見ることができると言えるでしょう。
一人の人間を見たとき、一般的にその人間には「イメージカラー」が存在します。つまり、その人を象徴する色の事ですね。カラーには雰囲気という意味もありますから、色は雰囲気と性格を象徴するといえるでしょう。
さて、人間という単体を見たとき、その体を覆う服は、その人の真実の姿を隠す鎧と考えても差し支えないでしょう。服を着ることによって自らの姿を覆い隠し、その安全性を高めていく、これが服の別の姿です。
では、服を脱いだ状態、すなわち、下着姿とはどういう状態でしょうか。これを例えるのなら、外交をするために作られた架空の人格をはぎ取って、深層心理に近づいた状態と言えます。
このとき、下着の色とその人のイメージカラーが一致しないとき、奇妙な感情を覚えます。深層心理と置き換えられる下着姿と、その人の雰囲気を象徴するイメージカラーは基本的に一致しなければなりません。深層心理はその人の雰囲気を形成し、雰囲気はイメージカラーを形成します。それによって作られたイメージカラーと、深層心理を象徴する下着の色が一致しないのですから、違和感があって当たり前なのです。
ましてや、イメージカラーとも一致せず、上下の色も種類も一致していない状態では、ちぐはぐ全開ですね。
確かに上下セットでの下着というのは、一方が先にいたんでしまった場合、残った一方の待遇に苦労することがあります。こういうときは、同じ色、同じデザインでまとめるという手法も存在します。例えば、ブラの方がレースをあしらったデザインなら、ショーツの方も同じような色でレースが多い素材のものを選ぶだけでセットが完成します。基本的に(がさつではない限り)同じような色、または数種類の色の下着だけが手元にあるはずですから、種類と色を合わせることぐらいは比較的簡単にできるはずです。
下着は女性を包み彩る最後の砦ですから、やはり気を遣っていただきたいと思います。
ちなみに、寝るときにブラを付ける人と付けない人の割合は丁度半分程度らしいですが、基本的に付けないことが望まれます。寝ているときには確実にブラがずれてしまい、結果的に変な力がかかり、胸に悪影響を与えます。大きくて付けないと痛い、という方や、付けないと安心できないという方は、多くの下着メーカーやユニクロなどが発売する睡眠時専用のブラジャー(リラックスインナー)を着用することをお勧めします。
個人的な感情論で言えば、黒のガーターベルトといったセクシーランジェリーよりも、その人の持つ雰囲気と下着の色が一致している方が萌えます。綿パン綿パン。
とりあえず、下着に興味がある人は買っておくべし。9年前の本でも現役
さて、私の各小説のキャラクターには基本的にイメージカラーがあるということは何度もかいていますが、それに沿って下着の色も決めています。この事に言及するのも二回目ですね。
代表的な部分で言えば、
これら、各キャラクターのイメージカラーに準じた形で、それぞれの下着の色が決まっています。ちなみに、彩音の初期設定では、「ピンク・白のどちらか」という形でした。
さくっとReSin-ens執筆中。
適当にプロローグまでの文章を同人誌のフォーマットに流し込んだら、40ページを超えてしまい、どうやって削ろうか悩んでいます。
元々長い小説を書くのですが、ReSin-ensは思い入れというのもあり、長くなりがちです。物語の展開を機敏にするためにも書き終わったら文章校正をかねて一気に削らないといけませんね。冊子の形態に合わせる、それも書き手としての技術というところでしょうか。
とりあえず、第一章執筆中。今現在、10月24日前後を執筆中です。第一巻は11月7日頃までを収録しようと考えています。ページ数を考えると、後80KB程度に収めなければいけませんね。ちょっとギリギリ、というところでしょうか。
私は基本的に甘党です。もちろんこの甘党という言葉は、辛いのが食べられないからと言い訳のように使う甘党ではなく、正真正銘の甘党です。
実は私の作品にはお菓子が出てくる場面というのはさほど多くないのですが、お菓子屋さんは過去二回登場しています。一つは、『丘の上の物語』で登場した、和菓子専門店「甘党」、もう一つは、『ReSin-ens』で登場した、洋菓子専門店「ショコラ」です。もちろん作中にはこれらが関わるお菓子として、どら焼きやクッキー、ケーキなども登場します。
ちなみに画像は和菓子専門店「甘党」の公式ロゴマーク。『丘の上の物語』を連載しているときには作っていたので、結構古いロゴといえます。もしかして、同人関係では一番古いデザイン作品といえます。
冊子版ReSin-ensでは洋菓子専門店「ショコラ」の出番も増えます。「ショコラ」の料理長兼店長である芹沢は直哉の行きつけの店「モカ珈房」からコーヒー豆を仕入れているという設定が、ゲームの時から存在していたのですが、その設定を活かした挿話が加わります。
他にも「ショコラ」が関わってくる場面が多いのですが、今回ようやく「ショコラ」が登場する場面にさしかかったので、その部分を紹介しておきます。
「わぁ…」
先に声を上げたのは遼風さんだった。私もそれにつられるように声を上げる。中に入っていたのは、オレンジがのったケーキや、チョコレートがあしらわれたケーキなど合わせて六つ。そのどれもが普通のケーキ屋さんのケーキとは違い、きめ細やかな細工がされていた。うっすらと焦げ目の付いた柿が乗ったケーキに、水飴で作られたであろう装飾がのっかったチーズケーキ、何枚もの板チョコで作られた六角形のケーキに、オレンジとミントがあしらわれたケーキ。生クリームのギザギザはずっと細かいし、色遣いも繊細だ。お菓子というよりも作品の様に見えるケーキ達は、何処か輝いて見える。
「食べてしまうのがもったいないですね…」
私が元々ケーキが好きということもあって、こういったお菓子が登場する場面を執筆するというのは苦にならないのですが、描写には苦労します。そのため、ReSin-ensを冊子化するという事が分かったときから買ってあったお菓子に関する本を開きながら、雰囲気にあったお菓子を選び出し、そのお菓子を脳内で多少アレンジし、その描写をする、という方法を用いながら文章を書いています。
お菓子を描写するだけで一苦労、といえそうです。
もちろん、「モカ珈房」も物語りの重要な要素ですから、珈琲に関する資料も数点集めてあります。「モカ珈房」の場面が出てきたらそのことを思い出しながら読んで下さると幸いです。
のオープニングムービーのアニメーション部分が凄いらしい、ということでせっせとダウンロード。
『魔界天使ジブリール』はゲームをプレイせずOVAで見た口なのですが、確かにEPISODE2のアニメーション部分は凄い。EPISODE2のOVAが発売されたとして、全編このクォリティーだったらいいのに、と、4月1日でも言えないような妄想をしてみる。
ちなみに、ムービー制作は私が期待しているRMGです。
ゲームにオープニングムービー、という流れは既に当たり前ですけど、一昔前はそれこそ音声すらありませんでしたから、凄い技術革新…というよりも、容量革新かな、と思います。CPUの面でも98年に発売されたソフトが、ペンティアム100以上などと必要スペックを書いているのを見ると驚くものがありますね。
とりあえず、楽曲の方も面白い曲だったのでプレイリストに突っ込んでおきました。
フロントウイングって…結構オープニングムービー、こだわっているように感じます。そういえば、『そらうた』も、ムービー制作はRMGですね。
原作を読みながら冊子版のReSin-ensを書いていると、どうも胸が切ない気持ちになってきます。
そう言えば、珈琲豆が足りなくなってきた。
…ついでにノートとか画材でも買いに行くか。
あそこの書店は結構色々揃っているんだよな。
でも…食品店のセールも結構いいし…。
どっちがいいかな?
きゅん☆
【直哉】「ふぅ~。やっと今日も終わった」 明日は休みだし…今帰ってもなぁ。 何をしようか考える。 … …… ……… たまには、絵でも描きに行くか。
きゅん、きゅん☆
あぁ…どうしてこんなに胸が痛くなるんだろう…。もしかしてこの切ない気持ちが(略)
トップページの画像を既存の雑誌を紹介するタイプから、執筆中の作品を紹介するタイプに差し替えました。ここのところ、AtoZと巫女本の画像が多かったので、デザイン系のトップ画像はちょっと新鮮だったりします。
かなりダークなトップ画像ですけど、真面目なトップ画像にしないと、ReSin-ensがシリアス路線の話だと言うことを忘れられそうですからね。
一応、ReSin-ensは死人が出る物語ですからね。
ものすごく画期的に見えるこのような手法ですが、レベル的に見てしまえば、子供がアダルトサイトを閲覧できないようにと親が講じる手段とほぼ同レベル。大の大人がこんなソフトに頼らなければいけないという点では、それよりも低レベルなのかも知れません。もっとこのサイトの日記らしく言ってしまえば、厚化粧の定理の見本のような対応ですね、と。
ちなみに、ファイル共有ソフトは、Winnyだけではなく、Winnyの改造系であるWinnyp、Share、BitTorrent等も存在しますし、完全に防げないというのが個人的な推測。それに、代表的なウイルス検疫ソフトは三種類(ウイルスバスター(トレンドマイクロ)、ウイルススキャン(マカフィー)、アンチウイルス(シマンテック))あるわけですが、市場占有率が等しいとしても、防げるのは全体の3割3分。効果があるかどうかは不明です。それどころか、バスターは前回の事件(CPU利用率100%事件)の影響で、信用が落ちていますからね。
根本的なことを言えば、企業のネットワークにおいては、不要なポートは閉じるのが常識。DNSやHTTP、HTTPS、POP3などなど、必要になるポートというのはあらかじめ分かっているわけですから、それら以外のポートを閉じておくのはなんら難しい作業ではありません。それが出来ないからこそ、Winnyを利用してのファイル転送が出来てしまうわけですね。Winnyの転送ポート設定すら変更できない人が多いでしょうから、使わないポートを会社側が閉じるだけで6割ぐらい解決できそうな気がします。
もっと現実的なところに着目すると、給料を減らすために残業を禁止し、就業時間で終わらなかった仕事を家に持って帰らざるを得ないのですが、この結果、会社のファイルを家に持ち帰って、感染した家のパソコンを起点に情報が流出、という経路が最近の主流と言えるでしょう。企業が防止しても結局何一つ変わらないのが現状でしょうね。もう少し根本的なところ、例えば、情報リテラシーを社内研修に取り込むといったレベルから取り組んでいかなければいけないように感じます。
いっそのこと、パソコンも免許制にしてしまいますか。そうすればネットワーク管理者も手を焼かなくて済むでしょうし。
ちなみに、タイムリーなネタなので紹介。
NECグループ…NEC関連企業って、以前もこの手の問題を起こして、グループ全体の情報管理体制を見直す、といった声明を発表していたと思うのですが、結局これですからね。
過去一年の間に実に三回。中々優秀な成績ですね。
この間のイベントの日から日記を閲覧し始めた、という人もいるでしょうが、気にせず何時も通り大容量でマニアックな日記を展開中。この大胆さが、この日記の特徴。
【調査】 女子の方が、万引きの罪の意識薄い?…女子高生3割「100円未満、万引きではない」
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1141235195/l50
( д) ゜ ゜1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2006/03/02(木) 02:46:35 ID:???0
★女子高生3割「100円未満、万引きではない」 科捜研アンケート分析結果報告・万引きをする子どもたちの意識を探り、少年非行対策に役立てようと、県警と県教委
などは28日、県警本部で情報交換会を開いた。県警科学捜査研究所が中高生を
対象に行った万引きに関するアンケートの分析結果が発表され、男女間での万引きに
対する意識の違いなどが報告された。交換会は、県警少年課が、県教委や県文化環境部などに呼びかけて開催した。
科捜研の桐生正幸主任研究官は、女子高生のうち、約30パーセントが「100円未満は
万引きではない」と考えているという分析結果を発表し、「男子に比べ、万引きが成立
する基準が甘いのでは」と指摘した。また、中学3年から高校1年にかけて、万引き
件数が急増し、男子生徒で2・1倍、女子生徒では4・5倍にも上ることなども報告された。出席者からは、「高校に入り、子どもの行動範囲が広がることに原因があるのでは」
「環境の変化が影響を与えることも多い」などの意見が出されたという。県警は、
「活発な意見交換ができた。今後も継続でれば」と話している。
あくまで経験論ですが、学校では「女の子の方が」という形で、男子より女子の方が可愛がられる傾向があると思います。ですが、個人的には、本当にあくどいのは女子、といえるでしょう。
お馴染みとなった人間の進化の過程を元にした思考回路の違いですが、男子は基本的に獲物を捕ると言った単純作業に、女子はその間家を守り他の女子との交流を、というかつての生活が今の思考回路を生み出しています。交流において脳が発達した女子は、相手との駆け引きに非常に強いと言えるでしょう。口げんかをすると強い女の子が多いのもなるほど納得。
思うに、女の子というのは、表面上、何を考えているか分からないように見せるのが非常に上手いと言えます。相手に弱みを握られてしまえば、自分の縄張りを荒らされてしまうからですね。女の子の苛めは陰湿、女の子の友情は長続きしない、等々、自分と相手の距離を置いたり、自分の本心を隠したりすると言う行動に長けています。
ということで、男子的な解釈に基づいた穢れた女の子、というのは結構多いかと思います。
まあ、それが明らかになったのが今回の調査といえるでしょう。
そもそも、女の子の犯罪は男子に比べて少ないか、といわれればそれは一番始めに疑うべき所。残念ながら警察白書には、男女別犯罪数の統計は見受けられないが、それほど少なくないのではないか、と感じます。
ものすごい偏見の目で見る限り、万引きGメンや特捜24時といった番組では、軽犯罪ほど女子の方が多いように感じます。特に前者の万引き関係は、テレビを見る限りでは女子の方が圧倒的に多いように見えます。
犯罪件数は分かりませんが、児童相談所などにおける相談受理件数は女子の方が圧倒的に多いようです。
少し脱線しますが、近年の親、特に母親は、子供に嫌われることを怖がり、友達として接するようにするという立場に収まることで、子供との衝突を避けるという行動に逃げる親が多いです。新宿・渋谷・原宿・代官山、それら若者のファッションモールと言われるような場所は、母親と娘が腕を組んで歩いている光景が多く見られます。お互いのことを名前で呼び合うその様は、完全に友達同士。見た目は仲がいい親子で済まされますが、社会構造的に見たとしたらそれはかなり異常な光景と言えるでしょう。親が親として機能しない、ということですからね。
こういった親の子供の育児に対する逃げも、万引きへの意識の変化に絡んできているようにも思います。強引でしょうか?
いっそのこと、子供の方から親に対して、「私と友達のように付き合うのは止めてよ。親なら親らしくしろ」とでも言ってしまえばいいのに。結構格好いい。
もう、かなりどうでもいいことですけど、読売新聞はアドレスを変更することなく、記事の内容だけをすり替えていくという行動はやめて欲しいものがあります。まあ、別に、管理人としての私は、引用元のアドレスがその当時正しければ、今現在正しくなかったとしても、全く問題はありません。確かにこの記事はこのアドレスにあった、という事実さえあれば、後は記事を差し替えた側の問題だと思いますし。引用元が正しくないと言われようが、差し替えたのは読売新聞の方ですし。
とりあえず、読売新聞に、過去ログという概念を誰か教えてあげてください。
あと、Gを付ければ何でも格好良く見えるのはちょっと嘘。G7のGはグループのGですし、GメンのGはガバメント(Government)のGですからね。政府職員とか、日本語に訳してしまうとちょっとダサイ。
ただし、G.T.O.だけは例外。
ワールドベースボールクラシック、略して、WBCがはじまっていますね。試合を見ている限り、確かに選手は凄いです。バッターボックスに立つ選手を見ていて、選手だけで興奮できる試合というのは、WBCでしか見られないでしょう。
ただ、巨人と同じように、どれだけ各界(各チーム)の有名選手を集めてもそれが強いチームとは限りません。何故なら、結局の所、野球はチーム戦だからです。
横山三国志では、劉備に対して軍師である除庶元直が、「家来を一つの団体として見なさなければなりません」といった助言を行っています。劉備の元には当時、三国志の綺羅星といえる、関羽、張飛、超雲などが在籍していましたが、軍師というポストに就ける人は居ません。そのため、一人の人間としてみたときは非常に強くても、軍隊という団体で見たときは、戦略性(知略)に欠ける行動が読まれやすい軍隊といえたのです。
野球も同じだと思います。イチローを初めとした有名選手が集ったとしても、それを束ねる監督や、選手同士の意思疎通がうまくいかない限り強いチームにはなり得ません。日本の野球は伝統もそこそこありますし、交流試合等も活発で、未だマシといえますが、監督の交代やトレードの著しいサッカーは、海外派遣組をどれだけ集めても、他国のチームに勝てるチームを組むことすら出来ません。
ここから見てもわかりますが、やはり、団体戦を行うスポーツでは、すべてのひとの意思疎通が大切と言えるのでしょう。
ソフトバンクが携帯産業に進出と言うニュースが飛び立ったときは、YBBを抱えている関係から、携帯電話の電源を入れたら「本日の個人情報流出」と言うニュースがまず一番始めに表示され、流出されてしまった人には500円の利用料無料券が配られると言ったギャグを身内の間で笑い話にしていましたが、今度はボーダフォンの買収と来ましたか…。
個人的には、アンテナの設置などに必要な資金を確保できなかったので、いっそのこと会社毎買ってしまおう、と言う思惑が見え隠れしているような気がします。
ソフトバンクの怪しいところについては、ネット上でしか議論が成されていないので、多くのボーダフォンユザーは気にもしないでしょうけど、一部のボーダフォンユザーはやはり他の会社に乗り換える可能性がありますね。
値段はソフトバンクの傘下に収まると安くなりそうですけど、信頼性も安くなりそうな予感がします。
ちょっちテストが近いので小ネタが多くなるかと思います。
さて、マイクロソフトのコマーシャルを多く見かけるようになりましたが、そのなかで、「私達マイクロソフトは高度なセキュリティーを提供します」と言われると、ものすごく説得力に欠ける気がします。毎週数個の脆弱性修正パッチを出している会社がそんなことを言っても…。
ただ、利用者が多い分、バグが見つかりやすいというのも事実。後は、根本的なバグを減らせばとても優秀な会社になると思うんですよね。
ただ、高度なセキュリティーを提供するからと言って、ユザーの知らないところでサービスやコンポーネントを勝手に起動して、それを使っているユザーに出来る限り伝えないようにするのはやめて欲しいですね。MSNメッセンジャーだって、オプションで広告などを消去できるわけですし(バイナリエディッタが必要ですが)。
通信販売の送料優待期間が今日で終了します。通販をご利用になりたい方は今がチャンスです。
ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」のウイルス感染による個人情報の流出事故が増えているが、ニッセイ同和損害保険は、漏えいで被害者から請求された損害賠償金を補償するだけでなく、コンピューターシステムの復旧や再発防止のためにかかる社内の費用もトータルで補償する保険商品を国内大手損保で初めて発売した。
新商品は、情報漏えいを対象とした賠償責任保険に「特約」をつける形で契約する。従業員が業務で使用している社有パソコンがウイルスに感染して情報流出した場合、5億円を限度に賠償金を補償するほか、パソコンからウイルスを取り除く復旧費用や、ウイルスソフトを導入するなどのシステム改良に伴う再発防止費用も500万円を上限に支払う。
ただ、個人所有のパソコンを会社などで使って情報が流出した場合は補償対象にならない。
ニッセイが個人情報流出に関する保険の特約(いわゆるオプションサービス)として、ウイルスに感染して個人情報が流出した場合、賠償金の補填やシステム復旧費用等を補ってくれるそうです。
こういった保険商品は保険商品として成り立つかどうかを統計学などによって確認し、商品と販売価格が釣り合うときに商品として販売されるわけですが、こういう形で発売されたと言うことは、個人情報流出にかんして儲けがあると判断したと言うことでしょう。
ただ、今月に入って既に6件のウイルス感染による個人情報流出が企業単位で発生しているわけですから、保険会社にとっては危険な賭になるのかも知れません。
ただし、この保険、個人がファイルを持ち帰って自宅のパソコンから情報が流出した場合は保証しない、と言うことになっているようですから、現在最も主流と言える流出方法はカバー範囲にないと言うことになります。この辺で、過剰な支払い(保険会社が企業に支払う額)を押さえることができるので、保険会社の商品作りはやっぱり上手いなあ、と感じます。●年間病気にかからなかったらボーナスをお支払い、と言う某保険も、自己申請らしいですからね。
逆を言えば、こういったサービスが出来れば出来るほど、個人の危機感というのはドンドン薄れていくんでしょうね。どうせ会社が保証してくれるから、とか………。
それと、個人的感情ですが、こういった保険に入らざるを得ない企業という評価がつきまとってしまいそうで、現状では保険に加入していると言うだけで会社の評価が落ちそうな気がします。少なくとも、個人の危機意識がそれだけ薄いと思われても間違いではないでしょう。
このサイトらしいツッコミをしておくと、
ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」のウイルス感染による個人情報の流出事故が増えているが、
読者に対して誤解を与える可能性があります。正しく意味を伝えるためには、「パソコンがコンピュータウイルスに感染し、P2Pネットワーク上に個人情報を含むファイルを流出させるという事件が相次いでいるが」とするべきでしょう。
この文章、本当に誤解を与える文章で、新聞記者の理解度や文章構成能力を疑ってしまいます。今の文章では、「ファイル交換ソフトWinnyがウイルスに感染し、個人情報を流出させる」、と言う意味になってしまいます。正しくは、「ウイルスに感染して、Winnyを初めとするソフトによって構成されるネットワーク上にファイルが流出する」、と言う意味になるべきですから、以上のような文例とさせていただきました。順番が逆なんですよね。
ウイルスソフトを導入するなどのシステム改良に伴う
だから現状では、ローカルウイルスに対する対応は遅れてい(以下略)
ニッセイ同和損保保険のサイトには、今回の記事に関する情報は一切ありませんし、保険の資料も掲載されていないため、保険に関する正確な情報を得られていません。そのため、実際の保険の趣旨とサイトの言及内容が違う可能性があります。
全支出に対する食費の割合をエンゲル係数と言ったりします。食費の値段は基本的に一定ですから、全支出に対する食費の割合が少なければ少ないほど生活に余裕がある印として用いられます。最も今日では、生活に余裕が出てくると外食に行くようになり、全支出に対する食費が増えてしまい、エンゲル係数もあてにならなくなりつつあるようです。
ちなみに私はコンビニ係数を使用しています。全食費に対するコンビニ弁当の割合を求める係数です。コンビニ弁当の割合が高ければ高いほどメイドとしての職務を全うしていないことになります。
ちなみに今月は、コンビニ係数0.4。ちょっとやばい…。
テレビ局各社で専属の楽曲制作者を置かなくなった替わりに、版権料の安いアニソンやゲーソンを番組のBGMとして使う、と言う話があります。
私個人が感じている範囲では、日本テレビ系列は、サクラ大戦やパソコンゲームの曲を多く使う傾向があるようです。ズームインでKanonの夢の跡が流れたときは本当にどうしようかと苦笑いしてしまいました。
とまあ、音楽には一般的に込められた思いが存在しています。特に、アニメのオープニングのために作ったなど、特定の作品に向けて作られた楽曲はその傾向が強いと言えるでしょう。そのため、ある楽曲を聴いた瞬間、ある作品が思い浮かぶ、と言う流れ、難しく曲解すると言語による意味づけ作用が行われます。
ある楽曲を聴き、ある作品を思い出し、ある場面を回想し、その場面に涙する。楽曲によってある特定の感情を生み出すことまでアニメやゲームという媒体は可能とします。
このとき、変な楽曲を感動的シーンのBGMとして採用してしまうと、とたんに楽曲を知っている人は眉をひそめます。いくら楽曲の雰囲気がいいからと言って、愛子様の登場シーンで、サクラサクミライコイユメが流れてしまうと、複雑な心境になってしまいます。
18禁ゲームでは無いですけど、18禁ゲームをモチーフにしたアニメのOPテーマですから、愛子様に対して使うのはちょっと………。
陵辱や恥辱系ゲームのOPテーマではないだけ数百倍はマシですが。でも誰かが勘違いすれば、触手ゲームのOPテーマ(メインテーマ)が、児童書の紹介シーンで使われたりすると言う事もあり得るわけですね………。
ただこれは、オタク的見地に立ったときの考え方で、国民の大多数を占める一般人にはどうでもいい話なのですが。オタクはただ一般人が作る変な組み合わせを酒の肴にしながら萌え話をするだけで幸せなのです。
いわゆる『ホームページの作り方』的なサイトや本には掲載されていないことなのですが、サイトを作る上で大事なのは、公開初日でどれだけコンテンツが完成されているか、と言うことだと思います。アクセスアップ系のページでも、この事に言及しているサイトはさほど多くありません。まあこの場合は、ウェブを作ってしばらく経ったあとに、アクセス数のことを考えるから必要がない、と言う考えに基づいているのでしょう。
現実世界で題意に印象は見た目が九割なんて言いますけど、ウェブもほぼ同じ事が言えます。もしかしたらもっと条件がきついかも知れません。
ウェブサイトを作るという話を私の周りで見聞きした場合、必ずと言っていいほど私が言うことは、日記は一ヶ月分以上書きためた状態でサイトを公開しなさい、と言う事。
サイトを訪れた読者はそのサイトに興味があるかどうかによってそのサイトをブックマークに登録するかどうかを決めます。このとき基準になるのが、コンテンツが充実しているかどうか、と言うこと。メニューは沢山あるけど、全部工事中で完成しているのは数枚の絵が掲載されたページと、管理人紹介のページ、数日分の日記なんて言う状態ならば、まずブックマークに登録されることはないでしょう。
何故なら、あまりにも期待はずれだからです。
端的に言って、ブックマークに登録される基準は、このサイトを次に来ても自分の心を満たしてくれるかどうか。最初に来たとき、コンテンツがあまりにも少なく、内容が空虚なら、どれだけ作者のやる気があって、来週に数十枚の画像がアップされるという未来があったとしても、そのサイトはブックマークに登録されません。何故なら、ウェブに二度目はないからです。
多くの巡回者は、とりあえず興味があるからと言ってブックマークに登録し、次も来てみよう、と言う感情は抱きません。一回訪れてその瞬間に、ブックマークに登録するかどうかを決めます。書店で本を選ぶとき、とりあえず今はつまらないけど後半は面白くなるような気がするからかってみよう、と言う曖昧な基準で本を選ぶ人が居ない通り、ウェブには二度目が存在しないのです。
ブログが嫌いと言いながらも、面白いと感じたブログはブックマークの中の『文章>日記系』と言うフォルダに収められています。ですが、日本のブログの2/3が放置されているという噂は本当のようで、一度ブックマークに登録しても数ヶ月にわたって更新されず、一度しか読まずブックマークから削除される事が多くあります。
ちなみに今現在、私のブックマークには複数のブログを登録していますが、そのうち三つのブログが更新停滞により削除の判断を待っている状態です。面白いブログなだけにもったいないです………。
頑張れ、2/3のブログ達。
ちなみに、はてなのようなサービスを利用した日記コンテンツは、日本でブログが流行る前から運営している人が多いようで、サイト運営者自体が安定した更新を既に実現していることや、精神的に安定していると言うことが前面に出ていて、ほぼ毎日更新され、私の欲求を満たしてくれる素晴らしいサイトばかりです。
嬉しいことに私も極まれに「ここにある本を全部下さい」と言われる場面に遭遇することがあります。そう言うとき、私の頭の中は、「ぜ、全部だなんて、なんて大胆な。じっくり見本紙を読んでから選んだ方がいいですよ」と思ってしまいますし、二人組で訪れた人が同じ本を買って下さると、「一冊だけ買って二人で回覧した方がいいですよ」と言いそうになってしまいます。
この辺はとても複雑な心境で、確かに自分の作品に自信を持っていなければ同人誌として売ることも出来ないのですが、いざ、全冊購入や友達と同じ本を購入という場面に出くわすと、ものすごく謙虚になってしまいます。
この辺は日本人らしさなのか、どうなのか………。
金曜日にボウリングを楽しんだのですが、自己最高記録の5ゲームという暴走により、当日から筋肉痛が勃発、結局、今日まで引きずってしまいました。スコアも微妙なノビですし………。
よし、帰省したら全員拉致。
A5の色上質スミ刷り表紙の漫画本を三種並べただけの
とても地味なスペースがあった。
周りはフルカラーのキラキラ本が多く、一際目を引いた地味さだった。
表紙のタイトルも手書き、中を見るとセリフも手書き。トークも手書き。
でもすごく一生懸命描いた感があったし、やたら安かったので全種買いしてみた。読んでみたらとてもよかった。
絵が格別上手いわけではないけど、とにかく隅から隅まで一生懸命で丁寧で
何が描きたかったのかすごくよくわかったし、原作に沿ったいい話だった。心あたたまる本だなあと久しぶりに思ったアタリ本でした。
やはり同人始めたての本だったようで、ちょっと初心に返らせていただきました。
ヨーロッパの建築なんかは特にそうなのですが、芸術に関しては、装飾性が多い時代と少ない時代をサイン波のように繰り返す傾向があります。同人誌もそれと同じようなことが言えるのでしょう。
こなれた同人作家の同人誌はほぼ確実にフルカラー四色にコート加工。当然のように人目を引きますし、それだけ手に取られると言うことを意味します。ただ、それらの同人誌によって混沌とも言える空間が生まれるのも事実。一言で言えば歌舞伎町のようなもの。目立つために作られたネオンは、ネオンによる集団を生み出し、木を隠すなら森の中という展開になってしまいます。
そんな同人誌の混沌といえる世界で、混沌の材料となる四色カラーは逆に目立たなくなってしまう、そんな基本的なことをこの文章は物語っていると言えます。
ただ、同人誌の世界とは上手くできたもので、いわゆる若手の同人誌は白黒刷りか単色刷というシンプルな同人誌によって構成されることが多くなります。これによって、混沌と整然が丁度良いバランスを保っていると言えます。需要と供給によってジャンルの配置が大きく入れ替わる同人世界だからこそ、こんな面白い現象も起こるんですね。
中学校、高校、大学と自転車通学をしていた影響で、足の筋肉だけは異様に発達している私。運動部に所属したことは一度もないのですが、50メートル走や、シャトルランなどはクラスでも中堅の成績をたたき出します。
しかし、上半身はひたすらひ弱。腕相撲なんかはほぼ確実に負けます。ですがここでも面白いことに、利き手だけが異様に筋肉が発達している、と言うことはなく、非利き手である左手で腕相撲をすると、案外といいところまでいけたりします。
さて、幼い頃から運動をしている人は関節などに異常が出やすいと言いますが、個人的に気になるのは卓球の愛選手。青森山田中学か青森山田高校かは忘れましたが、若い選手であることは変わり有りません。彼女の場合、幼い頃から卓球をしているので、右手の筋肉は左手に比べてその構成や付き方は大きく異なるでしょう。テニスの選手なんかはラケットを持っている方の肘が伸びやすくなり、痛みやすい、なんて言う統計もありますから、左右バランスよく使うことが望まれるでしょう。
如何せん、普段咬む方の歯によって顎のバランスが崩れ、それを補正するために背骨が曲がり………なんていう、一箇所のバランスが崩れただけで人間のバランスは大きく崩れるのですから、バランスは大切といえるでしょう。
ランニングは健康にいい、といいつつ、都会の真ん中でランニングをしている人は、肺炎とか喉頭癌とか、そっちの病気になりやすいんじゃないかな、と何時も疑問に思っている私がいます。
はてなにはテーマと呼ばれるデザインのテンプレートが豊富にあり、ユーザはその中から好きなテーマを選ぶことで簡単に日記のデザインを変えられます。いろいろなデザインがあるのですが、私はなかなかHatena以外のデザインに手出しできません。私が求めるいくつかのものを以下に。
- ワイド画面を活かすことができる(サイズが固定的でない)
- リンクが把握しやすい(下線、色の濃さ、本文との対比。脳は青系のリンクを見つけやすいように学習されている感じ、洗脳ともいう)
- 日の区切りが視覚的に把握しやすい(borderが一番?)
- その他、個人的な趣味
一時期、ウェブの世界では、解像度800の画面で見られるような幅に固定するようデザインを構成するべきだと言われた時代があったかとおもいます。今でも企業のウェブサイトというのは多くのサイトで、幅800ピクセル(厳密に言えば、800ピクセルからスクロールバーの分を引いてある)固定のレイアウトが採用されています。
ですが今日的によいとされているのは、上記引用文にも記されているように、ワイド画面を活かすことが出来るレイアウト、もっと標準化した言い方をすれば、幅が固定されていないレイアウトが望まれています。
これは、解像度がユザーによって違う場合が増えてきたという理由もあるように考えられます。それこそ、昔は、800*600や、1024*768と言う二種類の解像度が解像度の主流でした。ですが今では、ワイド画面を含め、アスペクト比だけでみても、4:3、5:4、19:6と三種類も存在しています。こういった現状をふまえると、800ピクセル固定レイアウトという、柔軟性がないデザインは疎まれるかと思います。
美術品のように一箇所に固定して、その作品を閲覧するためにはすべてのひとがその美術品が置かれている場所に移動しなければならないのならまだしも、ウェブという世界は、閲覧する人一人ひとりの環境が全く違います。こういった場合、デザインはより多くの人に対応することが望まれます。この事はデザインの根底と言ってもいいでしょう。
こういった閲覧環境が一人ひとり異なる場合、デザインに求められることはやはりその柔軟性。
柔軟性がないデザインは、旧技術を使っている人には良くても、新技術を使っている人にとってはその全ての機能を使うことが出来ないという事態を生み出します。
かといって、新技術だけを要求するサイトは、旧技術を使っている人にとってはファイルのアドレスの固まりにしか見えません。
これら二つが共存するためには、デザインの柔軟性が望まれています。
どんなに視覚的に優れたサイトデザインでも、より拡張された技術を用いて閲覧したとき、それを引き出すことがサイトには出来ず、結果的に、技術的には優れないデザインとなってしまいます。見た目も大切ですが、より多くの人がサイトのコンテンツを快適に利用出来る、新技術の力を引き出せるデザインが、ウェブサイトという公共空間に望まれていると言えるでしょう。
企業のサイトなんかは、800ピクセル固定レイアウトを前提としてデザインを構成していますから、いざ自由幅レイアウトを採用するとしたら、移行の経費だけで莫大な費用が必要な気がします。あらかじめデザインの原則である柔軟性を守っていればそんなこともなかったでしょうけど。
未来を見越したデザイン、と言うのも、必要ですね。
今日のテレビチャンピオンで弾き語り対決なるものをやっていたのですが、嘉門達夫氏がエントリーナンバー1番として登場しました。
個人的に、レストランで嘉門達夫氏の「鼻から牛乳」が流れていたのをきっかけに(レストランで流すなというツッコミはともかく)、かなりお気に入りのアーティストになっていたのですが、今回の番組でますます好きに………。
街の中で得られたキーワードを五つ以上使って15分以内に作曲すると言う対決では、予想外のキーワードを組み合わせて昔の恋人を思う歌詞を作曲、最後はばっちり嘉門達夫節で落としてくれました。
二児の母となった恋人を見て僕の頭に右上段ハイキック、と言う「右上段ハイキック」と言うキーワードの使いどころから使い方までかなり笑わせてくれました。
やはりわたしはネタ曲、もとい、電波ソングが大好きなようです。
基本的に超が付くほどポジティブシンキングな私。
基本的に超が付くほど自信家な私。
自分の今まで歩んできた人生について自己採点したとしても、自信満々で100点と言い放つ自信があります。きっと死ぬ直前には、「我が人生に一片の悔い無し」と大声で叫べそうな気もします。
昨日はそんな私自身が、悔いが残るほど大きな失敗をしでかしてしまいました。この失敗、どうやって繕っていこうかと考えること数分。やはりやるしかない、ということで。
この辺の立ち直りの速さや、思い切りの良さも私の特徴だったりします。
でも、とりあえず、今は落ち込んでおく。
そんな私の、新しい格言。
N回あることは、N+1回ある。
(N = 0、Σ、∞)
【マージン】 「これで…よし、と。」
【みいな】 「荷物の準備は終わりましたか?」
【メイド】 「はい。」
【みいな】 「ところで、あの昨日の夜からあまりのショックで『石化の槍・ミストルフィン』を食らったままの雪冬さんはどうしましょう。」
【ATOK】 「壊れ物扱いで。」
【みいな】 「クロネコなら、帰るとき、ラクダ。」
(伝票を貼り付ける)
【マージン】 「わ…往復のゴルフパック…。」
ちょっと、帰省。
何もかも一端忘れて、小説でも書いてきます。
【みいな】 「で、江戸時代に起こった事件とはなんなのですか」
【雪冬】 「さあ。」
【みいな】 「さあ、って…。タイトルだって事件の謎を解く重要な鍵なんですよね?」
【雪冬】 「今回に限っては適当。江戸時代に起こった事件なんて知らないし。」
【みいな】 「今回に限って、という事は、今までのは微妙に絡んでいたということですか」
【雪冬】 「まー、姫の湯温泉の時のタイトルは、本当に現地にある伝承を元にして決めたし。」
【みいな】 「へー。」
実家に帰る途中、ものすごい寄り道をして山形にある「かみのやま温泉」へ。これで、山形県の温泉は、天童温泉に引き続き、二つ制覇しました。次は、銀山温泉と、燃えたぎっている人がいます。
バトンウザイ、と言う読み手もいるようですけど、サイトのテーマに沿っているものなら答えてみようと思っているので、以下バトン。
私が好きな言葉の一つですね。夜に見る夢と将来を想像する夢が同じ夢で表現できると言うのは、ちょっと儚い感じがします。人の夢と書いて儚いと言うのもちょっと寂しいですね。
夢を持っている人は強いと言いますけど、「夢」そのものは弱いイメージがあります。ですが、夢を持っていない人間はもっと弱いと思います。夢を持つことが人の定義なら、夢を持って生活して欲しいと常々思っています。
人の人生に影響を与えたいと言う目標を持っている私にとっては、「癒」と言う漢字もまたそれを具現化したものの一つです。ただ、癒の向こう側に何かがあるべきだと想う私は、癒はただの通過点にしか見えません。そう言った意味では、常に意識しているという言葉ではありませんね。
幼と良く勘違いしてきれそうになる漢字………という冗談はおいといて。
成り立ちすら良く理解できない不思議な漢字で、その形そのものが「まぼろし」と言うイメージがあります。霞とは違って実際に触れられないあやふやな存在なので、全てのことが幻にならぬよう、と祈りたくなりますね。
もし答えるという人が居るのなら、
全部「そう」と読める漢字でまとめてみました。
物事がはじまること、起こること。行動無くして未来無し。為せば成る成さねばならぬ何事も、でもないですが、行動を起こさなくては何も起こらない、ならば行動を起こしてみせる、そんな私の信念がそのまま込められている文字のような気がします。小学生の頃に私が好きな言葉として選んだ「発明」にも繋がる漢字です。
四季という概念そのものが全ての国にあるわけではなく、限られた地域にのみ存在しますが、日本はその中でも美しい四季を持っていると言われています。個人的には、春夏秋冬ではなく、「春・梅雨・夏・秋・秋雨・冬」の六季が日本には存在していると思っていますが。
年月の移り変わりを定義する「季」は、私達の目に移り変わりを教えてくれます。そんな時を司る「季」、自然を操る「季」には、並々ならぬ思いがあります。
言葉で空気を震わせることは出来ても、心までを震わせることは難しい。人の心を揺さぶるためには何をすべきなのか。そんな私にとって(永遠の)テーマである「揺」には、私の目標が込められています。
いつもは標語や座右の銘などを大切にしているので、いざ漢字となるとちょっと難しいですね。とりあえず三つ選んでおきました。
小学生の頃から漢字を覚えるのが苦手で、今でも辞書を片手に漢字を書いています。小説書きとしては漢字に込められた意味を解体して文章を綴っているので、その美しさや完成度には何度となく驚かされます。
象形文字と同じように、形そのものに意味がある記号なので、使い方にはとても苦労しますが、楽しい言語であると感じています。
日本の四季の美しさを象徴する崇高な四字熟語の一つ。他にも花鳥風月がありますね。
移りゆく季節の中で暮らす人々は、多くの景観を見ることが出来るので、常に感覚器官を刺激され、豊かな表現能力を得ることが出来ると思います。もう少しだけ周りの世界に目を向けてみると、日本も少し変わるのではないのでしょうか。別に、歌会始を各家庭で実行しろと言うわけでもないですが、自然景観や人工景観、それらの融合景観に目を向けてみても面白いと思います。
どちらかというと、本業と同人活動の両立という意味で使っています。
趣味のために本業を捨てるのならそれは本末転倒。本業を立て、その隙間を縫うように自分の趣味を貫く、そんな生活が大好きです。暇なんていう言葉は私の辞書にはありません。っていうか、えっと、暇ってスタバのメニューの一つ?
この言葉を聞くだけでときめきます。
二人そろっただけで大騒ぎするなら、7人そろったときはどうするんだ、と某人気コミックNANAに対して突っ込むための道具につかえる『七人のナナ』の登場人物全員、という冗談はともかく、受け取りたい人は割り込みレベル13ぐらいでどうぞ。
何故か昔から人口に対して家電
量販店が多い私の地元。主力二店舗が昔からあった店舗を破棄し、店舗を新調。何故かほぼ隣同士と言うところに店を構えました。ああ、まるで、私の住んでいる町の構図を再現しているようだ(ヤマダ電機、コジマ電気、K's電気の乱立)。
一消費者としては、安くなってくれるに超した事はありませんが。
ちなみに、ラーメン店と車屋とパチンコ店も地味に激戦区があったりします。無駄に。
レンダリングエンジン一新、と書かれていたのですが、その内容がいまいちよくわからなかった狐火1.5。その内容を、サイト編集をしているときに垣間見る事が出来ました。
HTML的にみて文字列が入っていない場合の割り当てられたCSSのレンダリングがちょっと違うようです。
今まではそこに一つの文字があるかのようにレンダリングされていた、ボーダーが、文字がないものとして、マージンやパディングが取られているように見えます。
なんにせよ、W3Cの規格に厳密になってくれる事は、一ウェブ制作者としては喜ばしい事なので、温かい目で見守っていきたいと思います。とりあえず、IE7.0はなま暖かい目で見守っていきたいと思います。
すっかりと忘れていたホワイトデー。というよりも、教えられるまで今日が12日だと勘違いしていました。何か企画でもしようかなと思って、『リバースホワイトデー』とかを本気で考えてみたのですが、そもそも、『リバースバレンタインデー』自体が、神光臨状態で執筆した作品なので、全く同じ事をやるといってもほぼ不可能なので、基本的にはあきらめる事にしました。一年越しとか、突っ込まないでください。
某ファミコン時代のひげを生やしたおじさんが大きくなったり小さくなったりするゲームで、自機数が多くなって、ある数を超えた瞬間、0に戻るバグ(というより限界)を思い出しながら。
で、MP3エンコーダーの最前線、LAMEはいつになったら、Ver3.00系統が終了して、Ver4.00が登場するのでしょうか。3.97a1とか、アルファ・ベータを駆使してバージョンアップを続ける気持ちは何となくわかりますが。
小出しのネタ。
2進数で記述したら、全てのソフトはものすごい勢いでバージョンが上がっていきますね。
二進数の小数点に関するつっこみはしない方向で。
日記を含め、サイトを更新していると時々こんな事を聞かれる事があります。
「サイトの更新は面倒でないのですか?」
私に向けられるこの手の質問の真意は、これだけの日記をHTMLで記述していて面倒ではありませんか? という所にあり、サイト更新そのものが面倒か、という質問ではありません。
何度か書いた通り、このサイトは基本的に『ホームページビルダー』を使って編集しているので、HTMLについては全くと言っていいほど手間がかかりません。ビルダーを起動してファイルを呼び出して、文章を入力して、はい完了、といったところ。皆さんが思っているほどサイトの更新にはてまがかかりません。同じ文章量なら、タグを手入力していたり、ez-HTMLに代表されるタグ補完型のエディッタを使う方がはるかに面倒ですから、私の方がそれらの編集方法をしている方に聞きたくなる事もあります。
確かに、帰省しているという現状では、ez-HTMLを使って更新をしているので、ビルダーに比べると面倒ですが、特にフォントいじり系のテキストサイトでもないですから、文章に<p>
と</p>
を入力するだけという手軽さ。全く面倒に思いません。もしかしたら、ブログにログインして指定されたフォーマットで文章を記述して、アップロード、という方が数倍は面倒かもしれませんね。
もしかしたら、このサイトの更新が手間ではないと感じるのは、いわゆるフォント弄りをしていないからだともいえます。
フォント弄りとはご存じの通り、強調したい部分や話のオチの部分の文字を大きくしたり色を付けたりして目立つように施す事です。他にも、スクロールしないと次の文章が見えない程度に改行を施したりするようなサイトを総じて、「フォント弄りサイト」などと呼んだりします。
私のサイトについてはフォント弄りは一切排除していますから、無用なタグを一切入力しなくていいため、異様にサイトの編集が楽です。このあたりはサイトのソースをみれば一瞬で解るかと思います。
ある程度の装飾については、CSSで自動化(意味はおかしいですが表現は間違っていないかと思います)してしまっているので、私はただ、見出しである<Hn>と段落である<p>そして、他のファイルへのリンクとなる<a>を記述するだけで、サイトの更新が出来てしまうのです。
その辺の手軽さが、サイトを長持ちさせる秘訣なのかもしれませんね。
ここまでの内容はいつも書いている内容で、面白味に欠けるのでもう一つ。
同じような質問で、日記の分割はどのように行っているのですか、と聞かれる事が結構ありますが、十日分まとまったらそのファイルのコピーを用意して、元のファイルの更新は終了。コピーしたファイルを元に新しく日記ファイルを作っています。
サイトのデザインの都合上、日記CGIを使った自動編集ではないか、とか、実はきれいなHTMLをはき出すブログなんじゃないかとか言われますけど、ホームページビルダーを使った超アナログ作業です。この辺は、FrontPageExpressを使っていた時代と大差ありません。
今まで他の人が管理しているサイトを含めて四つほどサイトを作ってきましたけど、その全てにおいて自動更新系のスクリプトは使った事がなかったりします。掲示板以外は全てHTMLで構成して、そのHTMLも、エディタを使いつつも全て手動更新しています。
これだけ書くと面倒に思うかもしれませんけど、実はそんなに面倒でもないのですよ、本当に。元々、パソコンのファイルについては階層管理をする人間なので、サイト内の必要なファイルはすぐに取り出す事が出来ますし、ファイル自体も単純なHTMLですから、更新をするのはそんなに大変ではありません。
一番大変なのは、更新するネタを見つける事なんです。
ちなみに、ファイルを開くとき、ブラウザの「ファイルを開く」というメニューではなく、サイト内のリンクをたどってファイルを開いているのはここだけの話。ほとんど全てのファイルにクリック三回以内程度でアクセスできるので、ファイルを開くメニューより数倍楽なんですよね。
もっと極端な話をすれば、変な事をすればするほど編集に時間がかかり、労力を消費するのですから、ただひたすらにシンプルな文章を目指した方が更新も長続きするというもの。
「私達、別れましょう?」
しっとりとした闇が公園全体を包み込んでいた。光で溢れる都会の闇。コンクリートで埋もれる都会の緑。
歩道をサラリーマンが埋め尽くす時間。太陽が地平線の向こう側に姿を隠してから僅かが経った時間。
身に纏うスカートの裾が僅かに揺れ。長い髪が僅かに囁き。その髪を押さえながら、彼女は呟いた。
ただ一つ、人工照明の下で、僕はそんな言葉をとても落ち着いた気持ちで聞いていた。
そして、その言葉を境に僕達は、一年と少し続いた恋仲という関係に終止符を打った。
序章の書き直し版の出だしの部分です。自分で読んでいて自分でも判るぐらい自分らしい文章なので、書いていて落ち着きますね。
ひとまず、序章の書き直し版はほぼ完成といったところです。後は細かい調整を含めながら、一つの章として書き上げれば公開可能といえるでしょう。
瞼を開くと、カーテンの隙間から光が床に舞い降りていた。
短い針は9の前。
太陽照らすは日曜日。
階段を一つ下りるたびに、時間を刻んでいく。
今日は待ちに待ったデートの日。
包丁とまな板によって刻まれるリズムに、煮立つお湯のアンサンブル。その心地よい音に日曜の朝の気持ちは高まる。
唐揚げに、厚焼き卵、アスパラのベーコン巻きにきんぴらゴボウ。弁当箱から顔をのぞかせるおかず達は、次の仲間の到来を今か今かと待ちわびている。
ニュースの声をBGMに、日の光をスポットライトに。
午前九時の舞踏会、野菜は舞い、油は踊る。
四角い箱に詰め込んで、三角の形にご飯を握って、包みを施せば準備はOK。
自分で書いていても思うのですが、最近はこういった文章も使う傾向があります。出来るだけリズム感を出して楽しげな空間を描写する、と書けば的確な表現になるかもしれません。いつもよりも単語選びや語順選びに時間を割くので時間がかかると言えばかかるのですが、できあがった文章はさくっと読める軽めの仕上がりになりつつも、場面の描写が出来るので、楽しげな場面を表現するときには、この手の文章で書いています。
今はさほどそうでもないのですが、二次創作小説を書いていた時代は句点で改行を施したり、短い文章だけで一つの段落を書いていた事もあって、そのときの癖ともいえるかもしれませんね。何かと今の自分に影響を与えているものです。
「こんな本、売れるわけねえよ」
同人誌を印刷するとき、最終的な仕上がりを把握するために製本見本を作っています。そして、その製本見本を実際に読み、最終的な誤字脱字や本としておかしな部分を調べ、印刷用の最終データを作ります。ちなみに、この製本見本がほとんどの場合で、即売会での見本誌として使われます。
さて、私が同人活動を展開するようになり、初めての本を出版する直前、製本見本という段階まで仕上がった本をとある人に見せたときに、その人に言われた台詞が、この文頭にある文章です。
イベント会場で、見本誌を閲覧して言われたとしたらショックでしょうけど、それよりも更に前の段階、同人誌として発行する以前にこのように言われた私は、相当なショックを受けました。その場は返された同人誌を受け取り、鞄に何事もなかったかのように詰め込みましたけど、あのときの衝撃は今でも忘れられません。
実際の所、私たち同人作家ならずとも、公共の場所に作品を公開している以上、必ずどこかで評価を得る事になります。私の場合ですら、「あなたの文章は下手」だと面と向かって言われる事もありますし、手に取った見本誌を何事もなかったかのように元あった場所に置きスペースを立ち去るという行為そのものが、「あなたの本はおもしろくない」、「期待はずれだ」と言われているのと等価です。
ただ、この程度の事では私達のような作り手、流行りの言葉で言えば、クリエーターはめげる事はありません。私が希望風のメンバーと会合をよく開くのも、お互いの作品を罵倒するためのようなものです。知り合った仲だからこそ容赦はありません。「描写が下手」だとか、「女の子視点のくせに女の子らしくない」とか、「もっと語彙を増やせよ」だとか、「ご都合主義」とか、そんな言葉が飛び交います。私はこのような場面をいつも、「剛速球で行われる言葉のキャッチボール」、「メリケンサックをつけた殴り合い」などと表現しています。まさに、言葉の暴力とでもいえるでしょう。(何時もこれを笑いながらやっているのはどうかと思いますが。)
ですが、全ての参加者がわきまえている事があります。それは、唯一無二の大前提である『批評はするけど批判はしない』という事。
言い換えて、全ての人にはそれぞれの考え方があり、それを諭そうとするような批判はするべきでない、というルールです。だからこそ、批評はするけど批判はしないのです。批判したところで、その人の考えが変わるわけでもありませんし、批判程度で自分の信念を曲げてほしくないからです。そんなの、創作ではないですからね。
だからこそ、「おまえの文章は下手だ」、でとどまり、「ここはこうするべきだ」などという方向付けを行うような発言は一切存在しません。
何故、このような事をするか。それは、創作活動によって生まれた作品は、その瞬間においては自己満足でしかないからです。趣味というレベルで作られた作品なら、自己満足でもいいでしょう。ですが、私達はそうもいきません。できあがった作品をもって誰かを満足させなければならないのです。
だからこそ、第三者の意見として、お互いの作品を読みあい、罵り合うのです。
こうする事によって、自分以外の人はこんな視点から作品を読んでいるんだな、他の人から見たらあまりおもしろくないんだな、といった情報を得る事が出来ます。そして、その情報を元に、自己の方針と照らし合わせながら、次の作品を作り出していくのです。
結局の所、誰かに言われない限り、出来上がった作品は自己満足でしかないのです。すなわち、何時まで経っても他の人を満足させる作品なんて出来上がらないのです。
叩かれるからこそ成長する。このことは忘れてはならないと私はいつも思っています。
何故なら、叩かれる、批評されるという事は、自分の作品がその人に何らかの感情をもたらしたという事だからです。何も言われない作品というのは、自分の作品に対して誰一人として何の感情も抱かない作品という証拠だからです。
何も言われないよりは、酷評であろうが何か言われた方が未来への糧となる。それならば、何か言われた方が何も言われないより数万倍はましなのです。
ウェブでの文章というのは基本的に簡単に改変する事が出来ます。ですが、その改変方法には気をつける必要があります。
ウェブの文章というのは、書き手の知らないところで必ず閲覧されています。そして、どこからともなくリンクされます。このとき、リンクがなされた文章に訂正するべき部分が出てきたとします。あなたはどうやってその文章を訂正しますか?
多少なりともウェブの基本的な事を理解しているのならば、前者を取るでしょう。何故なら、ウェブの世界では、その記事を読んだとしても、別の記事を読まないという場面が多々あるからです。
後者の場合は、大変な事が起こってしまいます。たとえば、事件の不祥事に対して何らかの批判をし、一つのページとして完成させます。その後、実は無罪だった事が明らかになり、批判をした事に対するお詫びを別のページに掲載したとします。
このとき、リンクされているのは批判を行ったページだけですから、訂正された内容が読まれる確立は極僅かです。つまり、書き手自身は謝ったつもりでも、他の人から見れば一方的に批判を下しているとされ、あまりいい気分をされません。
もちろん、ニュースを騒がせるほどの大事件では誰もが無罪になったといった事を把握しているでしょうから、このような事は起こりづらいですが、インターネット上だけで騒がれている事件や、狭小地域でしか知られていないような記事ならば、名誉毀損だと騒がれてもおかしくない事例です。
誤解のない様な記事を書くためにも、修正を行う場合は同一ページ内で行った方が安全といえるでしょう。
狭小地域ネタの代表例は、身の回りの人物に関する事です。もっとも、友達と遊びに行っただとか、メールのやりとりがどうとか、そういったネタが狭小地域ネタになりうるのですが、そんなネタは元からウェブに記述するべき事ではないですね。
なお、場面によりけりですが、個人的に最上の訂正方法は、改変すべき部分はHTMLの<del>
要素で消し(文字は画面上に表示されるが一般的に打ち消し線が描画される)、<ins>
要素で挿入部分を囲む、という訂正方法だと思います。
悪名名高い「ウェブブラウザ『Lunescape』の配布ページ」。
Geckoエンジン対応ブラウザなのにもかかわらず、Geckoエンジンで閲覧するとレイアウトが崩れるという素敵仕様でしたけど、もっと気になる点がありました。
画像容量、もう少し減らそうね。日本における標準バナーサイズの半分程度の画像にもかかわらず、容量が20KBとか、何かが間違っているような気がします。そもそも、全部の画像がJPEG圧縮という点で、ウェブ世界における画像圧縮の基本について小一時間問いつめたい気分になります。
特に、トップ画像の容量は最強。110KBとか意味がわかりません。JPEG通常画質の壁紙に値する容量です。
普通のソフトウェア配布サイトなら、まあ、少しは許せるのですが、ウェブブラウザという、ウェブを閲覧するためのソフトを公開しているページで、こんなウェブの原則と言える事も守られていないのがちょっとショックです。
元Lunescapeユザーとして悲しく思います。
ぐだぐだのテーブルレイアウトだとか、そんなつっこみはするつもりないので、もう少し画像の容量を………。だからスレイプニルに追い抜かれt(以下自主規制)。
ビットマップ画像を使われるより、数倍はましですけど、レベルとしては同程度と言えるでしょうか。