Top > 読み物 > 日記 > 2006年2月 -2冊目-
達成記録が正しいかどうかを確認するため、1000日分のログをさかのぼったところ、連載記録が間違っていることが発覚。所々日付が飛んでいるところがあり、正確な連載記録は、今日現在で812日のようです。ぬか喜び。
よし。とりあえず、あと、188日頑張る。………………………半年!?
ということで、1000日達成したらやろうと思っていたネタは、しばらく封印することにします。この際に、構造書偽造問題も取り扱おうと思ったのですが…どうしましょうね…。
およそ三週間ぶりに、何物にも追いつめられていない状態で就寝。目が覚めたら14時半。
とりあえず、これからは26日まで同人イベント関連の情報が続くかと思います。さて、印刷開始、かな?
近いうちに、通信販売専用の郵便口座を開く予定です。0番から始まる業務用のあれですよ、あれ。
個人情報保護という観点から見ても、今の方式に比べ非常に安全ですから、何かと便利かと思います。振り込み手数料も70円になりますし。
それとほぼ時を同じくして、巫女本のデータが手元に届く予定なので、巫女本の通販受付もそろそろ始めます。一応、AtoZは既に商品ラインナップとして並べてあるのですが、もう一冊の新刊が並んでないというのはちょっと気持ちが悪いですからね。
勝手に始めることが多かったので、回ってきたことがちょっとうれしかったりします。早速やってみる。
意外と暖色も好きだったりします。茶色とか。
たぶん、背景色が、body {background: #******;}
だったり、h2 {background-color: #******;}
だったり、body bgcolor=*****だったりする訳ではないと思います。
修羅場続きで、CADの操作における長時間のディスプレイ凝視や、教科書読破における本の注視が続き、外に出ると、数メートル先の道路標識の文字がぼやけて見えるほどまで視力が低下しました。空を見上げても星は三等星程度までしか見えていないような気がします。
一応、私の測定視力は1.5なのですが、有効値は0.8ぐらいかも知れません。なんか、メルコのルーターみたいですね。
ひとまず、授業は全て終わり、後は来月の再テストに向けて勉強をするだけとなったので、ちまちまと視力を回復させて、4月の健康診断までには1.5に戻したいと思います。
聴力と違い、視力の低下は眼球内部のレンズの厚さを調節する筋肉が凝り固まることによって、ピント合わせ機構が固定されることによって発生するので、軽度のものなら、簡単に治すことが出来ます。流石に、光を感知する細胞が死んだ、といった場合は、中々回復しませんが、ピント合わせ機構が凝り固まった程度ならばすぐに治すことが出来ますから、こういった芸当が出来るわけですね。
しばらくは、遠いものと近いものを交互に見ながら生活を続けたいと思います。
さて、都会の人は視力が悪い人が多いといいますが、これは統計でも明らかなとおり、まさにその通りです。この事に関する一般的な説と言えば、都会は全ての物が近いところにあるからといわれています。田舎ならばビルや大気中の塵などに邪魔されることなく遠くの景色を見つめることが出来るので、視力が低下しづらいというわけですね。
今日的にこのようになってしまいましたが、かつては東京から富士山が見えたわけですから、都会も狭いなあ、と感じます。
(たしか)昨年、景観を保護するための法律、景観法が完成し、景観条例といった根拠法律がないままに施行される行政独自の法律に、景観法という上位法律が完成しました。これは、今現在自治体が定めている景観条例をきちんとした処理を行うことによって、罰則規定を設けることが出来るようになったと言うことです。
この景観法、実に強力な法律でして、規制対象はまち全体といっても過言ではありません。この法律に基づいて指定された区域には、強力な建築規制をかけることが出来ます。また、その建築規制に違反して建築を立てた場合、使用禁止命令や是正命令を下すことが出来ます。今までの景観条例では、上位法が定められていなかったため、最高裁まで持ち込めば、根拠がない条例とみなされ、敗訴してしまいます。しかし、国民の財産として風景も認められるようになりましたから、これからは、風景が壊れるといった理由でマンションの建設を強制的に止めることも可能となったわけですね。
個人的にニッポンの風景は連続的変化が美しいと思っているのですが、それらを保護できるとなると、うれしいものがあります。
個人的に、『綺麗』という言葉は難しい日本語だとおもいます。
この言葉の他にも、個人の感覚尺度が大きく関わってくる言葉はその使用に当たって非常に難しいものがあります。
例えば、私の概念で言えば、最高気温が氷点下を下回ったときに初めて「寒い」と思いますが、沖縄の人は気温がプラスでも寒いと感じることがあるでしょう。
綺麗という言葉も同じで、何を基準として綺麗と感じるかは人それぞれだと思います。だからこそ、難しいのです。
特に小説の中で綺麗という言葉を使う場合、その使用場所については慎重にならざるを得ません。安易に「綺麗な」などと用いた場合、それは非常に曖昧な表現になってしまいます。もちろん、曖昧な文章に仕立て上げて、読者に考えされるという効果を狙っている場合は別です。
私の場合、ある特定の場面を描写して、「読者自身が綺麗と素直に感じる」ということを目的としているので、綺麗という言葉を直接使うことが出来ません。もちろん、綺麗と感じ取られなくても、何か別の感情を持って貰えればそれで十分ですが。
ただ一つ言えるのは、今の私の文体、および、方針では、作者自身、すなわち、私自身の持つ感情を読者に押しつけたくないので、この「綺麗」という言葉を使う上で慎重になってしまいます。
特に、ただ単純に綺麗なんだな、と把握されてしまうのが最も嫌いで、もっとその綺麗という言葉を構成する要素を持ってして、その場にしか存在し得ない綺麗さを表現したいので、このような悩みに辿り着いてしまいます。
表紙を捲ると、裏表紙に封筒の上半分だけを切り取ったものが貼り付けられ、図書カードが入っていた。何気なくその図書カードを取り出すと、その名前欄には、跳ねるところはしっかり跳ね、止めるところはしっかりと止められた心地いい楷書体で、“遼風彩音”と書かれていた。
この文章は、ReSin-ensの一部分です。この部分は、修正前はこのように書いていました。
表紙を捲ると、裏表紙に封筒の上半分だけを切り取ったものが貼り付けられ、図書カードが入っていた。何気なくその図書カードを取り出すと、その名前欄には、綺麗な楷書体で、“遼風彩音”と書かれていた。
変更前の文体では、ただ単純に綺麗だなと感じさせることが出来る文章ですが、変更後では、その文字字体を描写して綺麗さについては全く触れていません。ですから、この字が綺麗かどうかは全く判りませんが、綺麗という言葉を使うよりも、この文字を書いた書き手自身の性格がより表れるように表現が出来ていると思います。
ようは適材適所なんですよね。
綺麗という言葉を用いるときがあってもいいと思います。でも、綺麗という言葉を用いるべきではないところで綺麗という言葉を用いるのはちょっと避けた方がいいと思います。そのためには、「綺麗」以外の言葉で「綺麗」を表現する必要があり、そのためには多くの語彙が必要になります。少なくとも、「綺麗」と書くのと、「跳ねるところはしっかり跳ね、止めるところはしっかりと止められた心地いい」では、必要な語彙が数倍以上違いますからね。
まだまだ日本語の勉強が足りないと真摯に思います。
UDが罰金に突入してそろそろ24時間が経つかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。今私は、『見知らぬ国のトリッパー』を使って、トリップを検索しています。中々見つからなかった先頭五文字完全一致トリップが四つも見つかってちょっとうはうはしてます。夜中の復旧に備えてそろそろトリップ探しは終わらせる予定ですが、CPUが動かなくて寂しい人はパソコン内部の掃除やデフラグでもして大人しく待ちましょう。
2001年4月に施行された電気用品安全法によって、過去に発売された電気機器の販売がいっさいできなくなります。現在は猶予期間中につき販売は可能です が、猶予期間は2006年3月31日で終わります。つまり、今年の4月1日からは、古いゲーム機や、ビンテージアンプ、シンセサイザー、オーディオ機器、 レーザーディスクプレーヤー等の売買ができなくなるのです。
この法律によって、
今年の4月から二度と手に入らなくなるのです。
人事ではありません。この法律によって影響を受けるのはあなたです。
これらの文化的損失を許さないためにも、少しでもこの法律のことを知って広めてください。
今ならまだなんとかできるかもしれません。法律が本格的に施行されてからでは遅いのです。
コピペから始まった今日の日記。こんかいは、電気用品安全法について書いてみようかと思います。
さて、今年の4月1日から、2001年以降に生産された家電製品が中古市場から抹殺される法律、電気用品安全法の猶予期間が切れ、完全施行されますが、相変わらずのサブマリン法律に、インターネットの世界を先駆けとして盛り上がってきたようです。
こういうとき、行政のいいわけとしては、「サイトおよび官報で消費者に知らせてきた」と言いますが、あなた達行政に携わる人は、それらのページを閲覧しているのか、と聞くと、どうやって答えるのでしょうか。実際、とある人がこの質問を経済産業省にぶつけたら、答えられなかったそうです。一応、法律上、官報に掲載した瞬間に国民はそれを周知したものとする、とされているわけですが、現実的にほぼ不可能ですよね。官報を閲覧できるのは大規模書店や市町村庁ぐらいですからね。周知させるなら一軒一軒に配ってください、という感じで。
告知というのは周囲に知らしめる行為であってその行動内容は基本的に能動的です。インターネット上のウェブサイトなんかで掲示したとしても、それは告知とは言えません。大体にして、情報バリアを持っている人は閲覧すら出来ないわけですね。
参考情報。いつものあれ。
現時点でインターネット上では、この事による問題点をもっと知って貰う、という段階に入っています。憲法29条、財産権に関する違憲審議まで持ち込む、というのが最終目標になっています。まあ、このサイトでも、少しはその一役を担おうかと。
さて、告知方法に関する愚痴はこのぐらいにして、もう少し建設的な話でも。
この法律の問題点は既に色々と騒がれていますが、個人的にはやはり、
と言う点が大きな問題点になると思います。特に前者は大問題ですね。
大きな中古品販売店、ソフマップやハードオフなどのあたりは業務規模も大きいですから、確認作業を行い、PSEマークを付加することも可能かと思います。ですが、街の小さなリサイクルショップは大打撃を受けます。特に私の実家も某大学がある影響で、リサイクルショップが異様に多いのですが、それらは確実につぶれていくでしょう。
また、チームマイナス6%なんていいながら、二酸化炭素排出量を抑えようと国が呼びかけているわけですが、使われなくなった中古家電は全て廃棄処分されます。(この辺はいつものサイトのノリで)つまり、その家電製品を作るために注がれた(力学的)エネルギーは全て無駄になるということを指します。プラスティックやアルミが使われていた場合、捨てられるエネルギー量は尋常な量ではありません。また、その廃棄処分のための費用は私達の税金や、中古販売店に務める人の給料から捻出されていきます。
後者の場合は、皆さんもなじみ深いかも知れません。大学がある街には必ずと言っていいほど中古販売店があります。これは、大学入学時に新しい家電を購入した人が、卒業と同時に中古販売店に売り払い、新しくやってきた人がそこで中古家電を購入し、出費を抑える、という一連の構造ができあがっているからです。私の街にも大学が二つありますが、中古販売店の多いこと多いこと。私の家からも徒歩1分の地点にハードオフがあり、ジャンク売り場には何時もお世話になっています。この、循環構造が今回の法律で崩れるとなると、消費者を守る法律が仇になりそうですね。
さて、この法律は名目上消費者を守るためとなっていますが、PSEマークが付けられている家電製品が全て安全という確証は一切ありません。現実問題、PSEマークが付けられたTOMYのおもちゃ(煙が出てくると話題になったわたあめを作るおもちゃ)はリコール対象になりました。
既に実例が出てしまった以上、PSEマークの効果があるようには思えませんね。
個人的にはこの法律、天下り構造に基づくものだと思っています。こういう場合の天下り構造といえば、PSEマークを付けるための団体、つまり、検査機関が行政庁の天下り先という事になるのですが、現実でも、検査機関が全て上場企業ではないというとっても怪しい展開。
この法律、貴方は何処まで許せますか?
盛り上がって参りました。
【社会】 "衝撃走る" 電気製品の中古、PSEマークない物は4月から売買禁止…安全法の猶予期間終了★8
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1139854214/-1001 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2006/02/14(火) 03:10:14 ID:???0
★電気用品安全法の猶予期間終了 認証なし中古品 4月から売買禁止
あの名機も幻に? 楽器、オーディオも対象、愛好家ら衝撃・電気製品の中古販売が4月から、大幅に制限されそうだ。2001年施行の電気用品安全法の
5年間の猶予期間が終了し、検査機関の認証を受けていない電気製品の販売などが禁止
されるためだ。ビンテージ物が人気の楽器やオーディオ機器も対象で、愛好家には大きな
痛手となる?「電気用品安全法の改正により、PSEマークのない製品を4月1日以降販売することができなく
なりました。これに伴い、PSEマークのない電気楽器、電子楽器の買い取りを行うことが
できなくなりました」
東京・神田駿河台のJR御茶ノ水駅近くにある大手楽器店「石橋楽器店」の店舗内には、こんな
「お知らせ」が張り出された。同店舗には、フロアごとに一台40万円もする米国製のギターアンプを含めアンプ類や
キーボード、電子ピアノが所狭しと並んでいるが、同店では今月1日から、PSEマークの
ない楽器の買い取りを中止した。
PSEマークは、一般消費者が使用する電気製品のうち、国指定の検査機関が安全の
技術基準に適合していることを認証したものだ。2001年4月の電気用品安全法の改正で、
このマークのない製品は4月から原則販売できない。違反した場合の罰則も引き上げられ
法人の場合、最大で1億円、個人で100万円の罰金が科せられる。石橋楽器の買い取りセンターの担当者は「海外からの輸入品でマークのない中古の対象品も
少なくない。中には数十万円で取引される人気のギターアンプなどもあるが、3月末までに
在庫品を売り切るしかない。たたき売りになるかも」と頭を抱える。
また、買い取り中止の影響についても「お知らせを出してから、問い合わせも急増している。
使い続けるか、破棄するしかないと説明しているが、落胆するお客様も多い」と話す。
※>>2-10に続く ※東京新聞2/12朝刊より2 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2006/02/14(火) 03:10:30 ID:???0
(>>1より続き)
法改正で最も影響を受けるのは、電化製品の中古品も扱うリサイクル業界だ。都内の
大手総合リサイクルショップ経営会社の幹部は「うちはもともと、(マークの付いた)製造
から5年ぐらいの電化製品の販売が中心なので影響はそう大きくないが、年代の古い製品を
扱っている小規模のリサイクルショップでは倒産するところも出てくる」と予測。そのうえで、
「法改正されて5年になるが、われわれ業界で話題になったのはごく最近で、告知が徹底
されてこなかった。再資源化に取り組む流れにも逆行する感じで、違和感を覚える」と不満を
ぶちまける。経済産業省の担当者は「リサイクル業界は業界団体がなく、なかなか周知徹底されてこなかったのは事実だが、今後はホームページでQ&Aを掲載して事業者に周知徹底を図りたい」と話す。
流通ジャーナリストの緒方知行氏は「安全、安心に対する規制強化は必然の方向」としながらも、 こう疑問を口にする。
「実際の使用価値はないが、交換価値のあるお宝品、たとえば年代物のアンプ類は、絵画や
骨董品と同じだ。こうした一人悦に入る世界まで流通できなくなるのはどうだろう。ある種の文化と 見なし、特例を認めてもいいのではないか」
※東京新聞2/12朝刊より
ツンデレ―――虚数の壁―――ギャップ萌え
- しっかりしてそうに見えて実は方向オンチ
- 新品よりお古を愛用
- 好きな芸能人が脇役系
- ゲーム好き
- お弁当を作ってくる
- 今日は無し!と言っておきながらH中はスゴイっ!!
- 普段はSでもHのときはM!!
- 弱音を吐く
- 家庭的な一面をチラ見せ
- ギャルっぽいのに、丁寧な言葉遣い
- 好物はラーメンとお好み焼き
- 服装はクール派なのに下着はキュート
- Hの後、彼の胸の上に顔をのせて疲れたっぽく
- 些細な記念日をつくる
どう見てもこの要素だけではツンデレになり得ません。本当に(略)。
ちなみに、この特集を扱った雑誌によるツンデレの定義は以下のようになっています。
みんなの前では高嶺の花っぽい「ツン」とした態度をとっているのに、彼や狙った相手の前では「デレ」っとしたゆる~い部分も見せる態度をいう。これからの時代、この「ツンデレ」を上手に使いこなしてこそモテの上級者なのです。
このような解釈では、上のような一覧が出来て当たり前…といえますね。ちなみに、モテの上級者
と書いてありますが、相手にツンデレ属性がない場合は一切効果はありませんのでご注意下さい。ツンツンが好きな私とか。
ツンデレは日常行動の中に垣間見る、無意識の突き放しと引き寄せ行動に萌えるのですから、この一覧表も、全て、「普段は●●だけど、ある時は○○になる」と言う形式で記述していなければなりません。
改編するとこんな雰囲気かな。
どう見てもツンデレになり得ない要素が元のリストの中に混ざっています。あと、たどたどしいのは私にツンデレ属性が発見されていないからです。桜塚恋とかフェイトテスタロッサとか好きだけどね。もうツンデレはFF式ストーブだけでいいよ。
考察。
2月9日付でスタジオYOUがイベントの案内状を送付したそうですが、2月14日現在、まだ届いていません。郵便局は「はにはにする」必要はないので、早く持ってきてくださいね。
なんかもう、配達をしていて四文字の漢字で構成されているなら何でもありという雰囲気が………。
郵便局で新しい口座を開くための手続きをしてきました。下ろすときは本名だけど、振り込むときは鈴響雪冬でOKというちょっと不思議な口座です。本局の方で手続きをするというのと、審査がある関係で使えるようになるまで一週間程度掛かるのですが、私がそのハンドルネームを使っているという証明になる資料を添付してあるので、たぶん大丈夫かと思います。
むしろ、審査を通ることを前提(および、今後増える希望風ページの作成をふまえて)として同人ページの改装を行っているので、審査を通ってくれないと困ります。
何時も使う郵便局で誰も申し込みをしていないのか、渡された申込用紙が微かに日焼けしていたのがちょっと哀愁漂う雰囲気でした。
ちょっとした一発ネタ。
「失」ではなく「矢」になっていることに気が付いたかと思います。金融関係の方ならご存じかと思いますが、金を失いたくないわけですね。銀行のロゴも結構この傾向があります。
なんだかんだ言って、験担ぎが大好きな日本人だったりします。
すっかり忘れていたのですが、昨日、すなわち、2月14日って、鷺ノ宮藍ちゃん(Canvas)の誕生日でしたね。祝っておかないと。おめでとー。
今となってはナデシコ学園の理事長…ですか。
そう言えば、サークル入場券、届きました。昨日の昼頃だったかと思います。珍しく遅い郵便でしたね。
さて、肝心のイベントですが、サークル参加数は予想を遥かに上回り、「いっちょんちょん」(判る人はプラモ大好き人間認定)。スペースナンバーは、F-8です。今度は、入り口のすぐ側とかそう言うことはないので、少しは落ち着いたイベントになりそうです。
さっそく更新更新、っと。
私が、一太郎を購入するきっかけとなった言葉に、「wordで出来る一通りの事は一太郎でも出来るよ。段組も組めるし、少し前のレスで出ている縦中横も出来る
」、という言葉があるのですが、まさにそれを実感しました。
巫女本、すなわち、『巫女のススメ』を自宅で印刷するために、詩唄いさんが作ったWordドキュメントを元に、一太郎ドキュメントに作り替えていたのですが、これがまた再現できる再現できる。一太郎の自動変換機能はバージョン2005現在、あまり使い物になるというわけではないのですが、文章編集機能は強力で、Wordのデザインぐらいならほぼ完璧に手動で再現できます。むしろ、Wordよりもシンプルにレイアウトを再現できます。
48ページの小説同人誌を3時間程度で一太郎ファイルに作り替えることに成功。もちろん、段組や見出し、レイアウト、文章構造も完全に再現しました。
縦中横も自由自在、段組も自由自在。まさにそんな言葉がぴったりです。縦書きに特化しているので、横書き混在文章には弱いかな、と思うのですが、それを補ってもあまりある能力です。
さあ、一太郎へカモーン(笑)。
ちなみに、Wordを買うか一太郎を買うか悩んでいたときには、こんな言葉も頂きました。「wordを買うぐらいなら太郎の方を薦める
」
一太郎の強みって、きっとその金額だと思います。最新の日本語入力システム、ATOK(エイトック)と一太郎本体がセットになって、市場実勢価格1万7千円弱。学生や公務員なら8000円弱。最新版のWordを手に入れようとすると、2万5千円、アカデミックパックでは8000円が必要になります。学生ならともかく、一般人がこれらのワープロソフトを買おうとしたとき、1万円の差はかなり大きいと言えます。しかも、一太郎にはATOKが付いてくるのです。
さらにちなみに、バージョンアップする毎に動作が重くなってインターフェイスがこてこてになるMicrosoft
Wordと違い、一太郎2006は動作も軽くなってインターフェイスも改善されています。
さあ、一太郎へ(以下略)。
IEを開くのが面倒、もとい、ブラウザを使ってメールを閲覧する行動そのものが面倒なので、OutlookExpressを使って、ホットメールのメールを受信していたのですが、いつの間にか利用出来なくなっていました。。
公式見解としては、この機能を使って行われるスパム行為が多すぎるとのこと。有料サービスに移行すれば利用してもいいよ、ということらしいですが、そもそもメールを受信するために作ったアカウントでもないですし、有料サービスへの移行は見送り。久しぶりにスパマーに悪意を覚えました。
基本的に、迷惑行為というのは巡り巡って自分の首を絞めることになるのが世の常。逆マーフィーの法則という雰囲気で、個人的には気分もいいのですが、それに巻き込まれるのはちょっと気分が悪いですね。
つい先日から、スタジオYOUのサポートBBS(ユザー同志の情報交換が行われている掲示板)がメンテナンス中という名目の元利用出来なくなっているのですが、仲間内では、「あまりにも幼稚な質問ばかりで嫌気が差して閉鎖したんだよ」という事になっています。
ところで、スタジオYOUのサイトは、同人イベンターサイトの中でも見づらさランキングでは三本の指にはいると思うのですが、あの雰囲気だけでも一掃できたら、掲示板の雰囲気も変わるのでは、と思います。一昔前のアダルトサイトを見ている気分になりますよ。
ちなみに、最近やたらとパソコンについて聞かれることが多くなったので、答えのテンプレートを用意することにしました。
これで精神的にも安定するというものです。
【ニュース 02月16日 東京】
空の彼方の運営者、鈴響雪冬は、MSN サーチWebに脆弱性があることを公表した。問題となるのはウェブで公開されている、MSN
サーチWebの最新版で、鈴響雪冬は脆弱性の危険度を4段階中1番低い、低と位置づけた。被害を受けるのはMSN
サーチWebを使う全ての利用者で、修正パッチはリリースされていない。
この脆弱性については、数多くのブログなどでも言及されているが、公式文章として公開されたのは今回が初めて。鈴響雪冬の公式文章によると、この脆弱性は、「検索結果が思った通りに表示されない『検索エンジンの頭の脆弱性』」としている。この問題は、「長編恋愛小説同盟」という単語で検索した場合、第一位に本家のインデックスページではなく掲示板が表示され、何故か第四位に同氏が運営する『空の彼方へ…』が表示されるという問題や、「恋愛 小説 創作」という単語で検索した場合、同氏のサイトが二位に表示されるなど、数多くの単語で発生する。
この問題では、検索エンジンの利用者が思ったとおりの情報にたどり着けず、路頭に迷うという結果が出ている。特に、シェアの低下が著しいInternetExplorer(IE)ではデフォルトの検索エンジンにされており、被害は甚大と思われ、今後の素早い対応が望まれる。
Microsoft Security Response Centerではこの問題について、「やっぱり日本語は難しい。よりよい検索エンジンを作るためにも尽力したい」と語った。
同社のコメントに対して鈴響雪冬は、縦書き日本語ワープロソフトすらまともに作れないMSの関連企業がまともに日本語を把握できるとは思えない。日本人はgoogleとgooを使うべきだと警鐘を鳴らした。
今頃になって一つの問題点に気が付いたので、ちょっとこれについて突っ込みを。
「一番美しいものを作った」
これが、私が考えたデザインだ。
使い勝手についていろいろ言う人もいるかもしれない。
それは対応するゲームソフトを作る会社や購入者が、
この仕様に合わせてもらうしかない。使用する液晶画面はこれ以上小さくしたくないし、
PSP本体もこれ以上大きくしたくなかった。
ボタンの位置も狙ったもの。
それが仕様。
これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている。
明確な意志を持っているのであって、間違ったわけではない。
世界で一番美しいものを作ったと思う。
著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖つける人はいない。
それと同じこと。
久多良木氏の有名な発言ですね。
他のブログでは見られない珍しい(と自分では思う)方向から突っ込んでみたいと思います。
「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖つける人はいない」という言葉があるのですが、ちょっとばかりこの点について突っ込みを。
著名建築家といわれてまあ建築を学ぶものが名前を挙げるとしたら、「ル・コルビジェ」や「丹下健三」辺りが出てくるかと思います。二人とも超が付くほど有名人ですが、今回は前者、ル・コルビジェさんの言葉を利用して突っ込みをしてみたいと思います。
ル・コルビジェは戦前と戦後で大きく考え方を変えているのですが戦前の彼の作品はある理念に基づいて作られていました。それは「機能主義」です。ものの形はその機能に基づいて作られる、名台詞、「形態は機能に準ずる」です。
すなわち、20世紀の代表的な建築科を三人挙げろと言われてまず彼の名前が出てくるであろうというル・コルビジェは、形は機能に基づいて作られると発言しているわけですね。つまり、形は機能を邪魔してはいけないということです。
と、いうことは、デザイン面を狙いすぎてものが使いづらくなってしまったのならそれこそ本末転倒というもの。「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖つける人はいない」と例に挙げた瞬間、この人は建築家と自分を重ねたので、自分の考えは建築家的発想に基づいていると発言したとどう意義であり、著名建築家としてル・コルビジェを取り上げたと仮定すれば、この人は機能主義に染まらなくてはいけません。
ですが、この人はデザインを優先して機能を捨てました。この瞬間、彼は建築家を例に取り上げることが出来なくなったわけですね。
ちなみに、ですが、著名建築家が書いた図面に対して文句を付ける人は数多くいます。学校の授業でも著名建築家の図面を取り出して、「こんな設計じゃあ明かりが採れなくて話にならないよね」なんて言う突っ込みが至るところから飛び出します。
前述した理論は脆弱性を含んでいるので、頑丈な理論で突っ込んでおくと、『デザイン』の定義は、「形作られた物を使った時に心地よい時間が過ごせすように考慮して立案すること」ですから、ボタンが戻ってこなくてゲームが出来ない、といった問題、すなわち、心地よいゲームの時間を阻害される問題が発生した瞬間、美しいデザインとは言えないのです。
一番美しいデザインならば、このような問題は発生しないはずなのです。
ちなみに、修理対応がなされたPSPは初期ロットで0.6%。すなわち、不良品が0.6%混ざっていたことになります。ということは、業界標準の正常動作品99.9%の原則(液晶のドット欠けが8個まで許されるという通説は全画素数に対して99.9%以内だから)すら守れていないのですから、良質なデザインとは言えそうにありませんね。今や、イレブンナイン(99.999999999%)を追い求めている時代なのに、99.4%って貴方…。安価なOFCコードでも99.997%ですよ(何かが違う。
今現在私は「形態は機能に準ずる」という考え方には否定的で、私自身の理論である「形態は自然に準ずる」を支持しています。この自然は、動植物といった自然に加え、自然な動作といった自然も含んでいます。
結局の所、第二次(第一次はワンダーステーションが出た時期と過程)携帯ゲーム商戦は、第一次と同じく、ニンテンドウに軍配が上がったという事でいいでしょうか。純粋に「遊ぶ」事を追求したニンテンドウは凄いと思います。流石、元印刷会社でトランプを作っていただけはあります。
個人的に凄いと思うのは、ニンテンドウハードの耐久性。ゲームボーイはどんなに落としても壊れませんでしたし、蹴られても壊れないファミコンも凄いですね。開発コンセプトに、子供が手荒に扱っても大丈夫というものがあったからこそ、最後の最後までカセット方式を貫いた(指紋などを気にしなくていい)わけですし、その精神は今でも受け疲れているようです。
ニンテンドウDSの二つ折りのちょうつがい部分が今後どのようになっていくかが、個人的には注目すべき点です。カモメ形携帯でもここがまず壊れますからね。
とりあえず、ニンテンドウDSという最新ハードになっても、A、B、Y、Xキーがあるのは、持っているゲームハードが、初期ゲームボーイ、ファミコン、スーファミの人間としてはうれしいものがあります。君は本当のファミリーコンピュータになったよ、うん。
あまり使いどころが無いAAですけど、微妙に話題が近いので紹介しておきますね。
キタ↑↑↓↓←→←→BA(゚∀゚)↑↑↓↓←→←→BA!!!
今度のイベントまで残すところあと10日となりましたが、前回のイベント(青森)に比べて非常にまったりしています。あのときはそれこそ、同時に新刊二冊を含め私事の方でも非常に忙しかったので、イベントの一ヶ月前から殺伐とした空気が日常生活に漂っていました。あれほど忙しいイベントはしばらく無いことを祈ります。
それに比べて今回のイベントは、事実上の新刊は二冊ありますけど、物理的な新刊ではないですから、前回のイベントの時に出た在庫をそのまま回すだけで準備がほぼ完了というゆう具合。在庫を見計らって、『光になりたい』を数冊と、『雪解け水に手をさらして
第一巻』を数冊印刷すればいいかな、というぐらいで、特に増刷が必要になる本はなさそうです。となれば必要になるのはペーパーぐらいになってしまいます。
もちろん、『巫女のススメ』は手持ちが0冊なので、ある程度印刷しなければならないのですが、これもさほど数が必要というわけでもないような気がします。見本誌と販売分だけで十分ですからね。これがそうさく畑なら、見本誌だけで三冊必要なので、イベントのシステムの違いも絡んでくるかも知れません。
どちらにしても、非常にまったりと進んでいるのが事実、というところでしょうか。
と、いいながら、来週の今頃はテンパって居るに違いないと予想しておきます。
一人でケーキを1ホール、スタバではキャラメルマキアート・グランデサイズ、特技は練乳をそのまま飲むのと、チョコソースをそのまま飲むこと。そんな私が一度は挑戦したい山があります。
それは、伝説のメニュー、『甘口抹茶小倉スパ』。何時かこれに登頂してみたいです。
蒼瀧紀綱さんの日記に感化され、今まで真面目に取り扱ったことがないので、書いてみました。パソコン初心者必読。
同年代の人に比べて少しばかりパソコンを長くやっている影響もあり、パソコンの操作を教えてと問われて「自分で考えなさい」というと、「貴方はパソコンを長くやっているから理解できるだろうけど、私はまだ初心者なんだから」と、初心者を縦にした自己擁護に出会う場面が多々あります。
確かに私は、同年代の人の中ではパソコン歴は長いかも知れません。一応、9821の時代からDOSを触れていましたし、DTMに手を出し始めたのもMS-DOS上で動くミュージックProV2
FM音源Verでした。たしかに歴は長いかも知れません。ですが、常々思うのですが、パソコン操作の巧みさ、言い換えて、パソコンをどれだけ使えるかはパソコン歴に比例しません。
例えば、私よりパソコン歴が長い人が数多く私の周りに居ますが、フロッピーへのショットカートをデスクトップ上に作らないとフロッピードライブにすらアクセスできない人や、エクスプローラーの画面で「上へ」戻る操作が判らず、毎回履歴から元のフォルダに戻る人まで居ます。メーカー製パソコンにありがちなデスクトップに表示されるHTMLを使った広告を消せない人や、いらないソフトがHDDを圧迫しているのにも拘わらず、容量が無くなったと言って外付けドライブに走る人が居ます。
これらは、パソコンに関する知識が少しでもあったら解決できる事例です。私よりもパソコン歴が長い人でもこのような事になるということは、やはり、パソコンがどれだけ使えるかというのが、パソコン歴に比例しないという明確な証明になると思います。
この段落に記述する事は、日記連載1000日達成時に書こうと思ったのですが、いいタイミングなのでここで書いてしまいます。
デジタル化が著しい今日、情報の価値には「早く取り出せる」という項目が加わりました。ある曲を探すために延々と早送りをするカセットテープに変わって、トラック単位で呼び出せるCDが登場し、ある場面を探すために永遠と早送りをするVHSに変わって、DVDが登場しました。漫談のような最後の最後までオチが判らないギャグよりも、一発芸やショートコントのようにすぐに判るネタが好まれ、辞書よりも高速に文字を引き出せる電子辞書が登場してしまいました。
このように、情報を取り出すことが瞬時に行われるようになった昨今、現代人は自分で苦労して物事を探すと言う行為に慣れていません。何か問題点にぶつかったとき、目の前の問題を客観的に捉え、やがて細部にわたって検討し、何が問題になったかを探し当て、根本的な解決を迫ることよりも、他人に聞いてその場限りの対処法を実行し、その場を丸く収めるということに慣れてしまったのです。
すなわち、面倒な原因探求や問題点の検討という行為を捨て去り、まず他人に聞いてそこから情報を素早く取り出すという行為に走るようになってしまいました。
同年代から見てパソコン歴が長いといっても、私のパソコン歴は今年で9年目に突入する程度ですから、それこそ草の根BBSやニフティーの人から見ればまだまだですが、そんな私でも気が付いたことがあります。パソコンの操作能力に差違が生まれる理由は、全て好奇心に帰着するということです。
私がパソコン、もとい、ワープロに手を出すようになったのは親が使っていて興味を持ったからです。小学校の高学年の時には既に日本語ワープロを使っていた記憶があります。中学校に入学し、パソコンを本格的に触るようになると、だんだんと、このブラックボックスがなんだか凄い、と漠然ながらにも思うようになりました。
タッチタイピングを覚えようと思ったのも、自分より年下の子がタッチタイピングでものすごい勢いでランダムな英文字を入力していて、かっこいいと思ったからです。当時、日本語入力はカナ入力の私でしたが、どうやらローマ字入力の方が便利と言うことを知り、ローマ字と同時にタッチタイピングを覚えていきました。ですから、私は普通のローマ字はあまり得意ではなく、パソコン入力に特化したローマ字の覚え方をしています。
その後、常時接続環境のある実測速度5Kbpsの学校のインターネットで、MADムービーに出会い、そのファイルを家に持ち帰るためにファイルの分割方法を覚えたり、ファイルの圧縮方法を覚えたりもしました。オタクな先輩達に囲まれた環境でKanonという作品とネット上に転がるSSに興味を持ち、インターネットの本格的な使い方や、HTMLの事を学び、このサイトの前進となる二次創作SSサイトを立ち上げました。(厳密に言えば、両立していた時代もあるので前進とはいえません。)
そして、今日的な私が存在します。
ここで重要なのは、全ては私の好奇心がもたらした知識であるということです。ワープロに触ったのは親が触っていて興味があったから。パソコンに触ったのはなんだか面白そうだから。音楽を始めたのは小学校のころに演奏したドラゴンクエストの序曲を入力したくなったから。タッチタイピングを覚えたのは格好良かったから。ファイルの圧縮方法を覚えたのはMADを持ち帰るために必要だったから。サイトを公開するようになったのは自作SSの反応を見たかったから。
全て、好奇心に帰着します。やりたいことが見つかると、それを成し遂げるために目の前にあるパソコンの操作を覚えなくてはいけません。覚えるためには何度も失敗し、何度も学ばなくてはいけません。そして、一通りの操作を覚えた頃には、パソコンにおける常識的対処法や、使い方が自然に身に付いてきます。見たことがないエラー画面でもおおよその見当を付けて対処することが出来るようになります。
例えば、Aとよく似たA'というエラーが存在したとします。Aが発生する原因を根本的なところで知っている貴方は、A'のエラーが何処かAと似ていることに気が付くはずです。その場合、A'という見たことがないエラーでも、貴方はAのエラーが発生したときの原因と対処法を基盤にして、A'の対処法を探ろうとします。
もしこれが、他人に教わって居たのなら、根本的な原因が理解できていないため、AとA'の関連づけが行えず、A'というエラーが発生したときも他人に聞かなくてはなりません。
一度でもウイルスに感染し、そのウイルスの駆除方法を自分で学んだ人ならば、レジストリエディッタやタスクマネージャを駆使して、ウイルスに感染しているかどうかを簡易的に診断できますが、何時もソフト任せにしている人はその対処方法を知らず、いざウイルスワクチンソフトが未対応のウイルスに感染した場合、対処が出来なくなってしまいます。(この問題は結構深刻で、ウイルスワクチンソフト(面倒なので、以後ウイルス対策ソフト)は日本だけで発生するウイルスといったローカルウイルスや、最新のウイルスへの対応が遅く、ウイルス対策ソフトがインストールされていてもウイルスに感染すると言うことはありますし、ウイルス感染を見逃す可能性だってありますから、ウイルスに感染するという可能性は結構高いんですよね。こういうとき、普段どのようにしてパソコンに接しているかが問われるわけです。)
OSは所詮、ハード毎の差違を埋め、共通の操作環境を生み出すためのソフトでしかないのですから、OSの上で動くソフトというのは基本的にどれも仕組みは似ています。ですからエラーの起こる状況も結構似ています。ですが、情報の類型化や蓄積が出来ない問題発生時に他人をすぐ頼る人間は、似たような問題でも全く別の問題として捉え、そのたびに誰かに聞いてしまうのです。もし彼らが、パソコンを自主的に覚えていたのなら、きっと簡単に対処できてしまうでしょう。
IT推進に係わった企業でのこと。
女子社員が数名いたが、その中でも2人の社員はある程度パソコンが出来ていた。ワードやエクセルの初歩ぐらいは日常的に使うことが出来た。2人に優劣はつけがたい状況だった。インターネットの接続や社内LANの構築、基幹業務の改善など、全面IT化に向けて抜本的な見直しを行った。社員にも今まで以上のPCスキルが求められた。全員を同じレベルにすることは不可能なので、私はこの2人の女子社員を中心に育てることにした。
(鈴響雪冬注釈:中略)
2人は同じように覚えていったが、数ヶ月が過ぎたころ次第に差が出るようになっていった。やるべきことをきちんとやるという点では同じだが、一人は言われたことをやるだけに留まっていたのに対し、もう一人はそれ以上のことをやり始めた。やり方が違っていることも多かったが、自分で考えて先に進もうという姿勢が見えるようになった。この社員は一度教えたことを二度聞いてくることもなく、それどころか、一つのことを言うと10のことが分かるようなタイプだった。
2人の違いは明らかだった。
2人にパソコンをどうやって覚えたのかと尋ねてみた。
言われたことをやるだけの社員は、以前勤めたいた会社で研修がありそこで覚えたらしい。自分で考える社員の方は、この会社の面接のときに「パソコンは出来るか」と聞かれ、本当は出来なかったのに「出来ます!」と答えてしまい、自分で本を見ながら必死に覚えたそうだ。
これは前述した文章を非常によく示した事例だと思います。この事例の場合、両者とも与えられた仕事はこなせる人ですが、最終的にパソコンの操作をきちんと把握できていたのは、パソコンについて独学で覚えた方でした。
パソコン操作というものは面白いもので、ある程度の決まった動作は比較的簡単に修得できてしまいます。そこまでしか求められない業務内容の場合、どちらを雇っても結果的には同じなのですが、ある日トラブルが発生したときや、業務拡張などでより高度な技能が必要になったときに差が現れてきます。この文章は丁度そのことを示していますね。
結果的に、パソコンをよりよく覚えた人(Aさんとする)は、自分で勉強し、求められている技能それ以上のことに興味を持って学んだため、パソコンの本質をきちんと把握し、それが後々役に立ったと言えます。
Bさんは、パソコンの本質を理解できてもいないのに、その上に成り立つソフトの操作方法しか学んでいなかったため、いざ、上位の知識が必要になったとき、基礎が出来ていないことが仇となり、覚えることが出来なかったと言えます。
私が常々例に挙げる、「包丁の使い方も知らない人に仏蘭西料理の作り方を教えるような行為」に見事に合致します。
この引用文、すなわち事例には後日談があり、以下のようになったそうです。
その後2人の社員はどうなったかというと、言われたことをやるだけの女子社員は自らの能力の限界を感じ退職した。社内での軋轢もあったようだ。自分で考える社員は、寿退社のはずだったのだが、会社から求められ不定期ではあるが仕事を続けている。
パソコンというのは不本意ながら、エラーに出くわせば出くわすほど必要な知識が増えていき、やがてその蓄積によってパソコンの基礎的な部分を学べるようになります。各種ハードウェアの構成や、その繋がり、役割。それらを、突如として発生したエラーを調べていくことによって学ぶことが出来るのです。
エラー発生はパソコンを学ぶきっかけです。ですがそのエラーの対処方法を、何処何処をクリックして、という表面的な操作方法で解決しようとして他人に聞いてしまうため、エラーの本質にも原因にも気づかず、同じエラーが発生したときや同じようなエラーが発生したとき、過去の事例と結びつけることが出来ず、また人に聞いてしまうのです。
これではパソコンの操作ができるといっても中身はいつまで経っても初心者は初心者のままで、厚化粧のように繰り返されたうわべだけの知識は、何かの拍子に剥がれ落ちてしまい、いざというときに役に立ちません。
パソコンの操作を覚えるためにはまず、エラーが起こった理由を丹念に調べ、それを繰り返すことによってパソコンの基礎的知識を蓄積し、今後、より高度な操作が必要になったときの基盤とする必要があるのです。
必要な情報だけが取り出したい現代人はここだけ読んでもOK(笑)。
さて、定理1~4をもう一度書き出してみましょう。
これらの定理を日本語らしくまとめると、以下のようになります。
パソコンの操作能力、言い換えて知識はパソコン歴に比例しない。パソコン歴が長いだけでいつまで経ってもやっていることは文字の入力と関数の入力だけという人も沢山存在する。
現代人は高速に情報を取り出すことを追い求めたため、根本的な原因や問題点を理解できぬまま場当たり的な対処をしてしまう。
そのため、得られた知識は極めて表面的で脆く、未曾有の事態に陥ったとき、過去の情報を参照して問題を解決することが出来ない。
パソコンを覚えるためには、パソコンに対して興味を持ち、そこで発生する問題点や原因探求を通し、パソコンの原理を知ることによって知識基盤を固め、ようやく本格的にパソコンを覚えることが出来るようになるのである。
IntelがCPUであると言うことすら知らないような人に自作パソコンの作り方を教えざるを得なくなった人や、HTMLのHの文字も知らない人にHTMLを教えざるを得なくなった人、何時も電話でサポートセンター代わりにされる同胞達に、私は強く同情し、この言葉を送る。
みんな本当に………乙女可憐!
ソースは公開する。ただ、このソースを使ったプログラムもソースを公開すること。そんな意味だったような気がするGPL。
GPLについて上手くまとめているサイトというのは中々存在せず、公式サイトよりもアスキーデジタル辞典といった外部の辞書の方がわかりやすいというのはどうかと思うのですが…。
さて、LeafがGPLで配布されているソースコードを使ったが為に、4作品の作品のソースを請求性によって配布しはじめたというのは去年末の大きな事件ですね。この分野においては一つのエンジンを作り、そのエンジンを使い回しながらゲームを作るという手法が一般的ですから、Leafのエンジンのソースコードが判明するとなると、バグが少ないメーカーのテクニックが判ってしまうわけですね。絶対同業者の誰かもソースを要求していそうです。
GPLというのは良くできたシステムだと私は思います。
一般的にプログラムの作者がフリーウェアとして名乗る場合、それは使い手の利便性を守るために行います。しかし、腹黒い企業はフリーウェアなのをいいことにソースコードを入手、ちゃちい改造を施して有料販売、ということが出来てしまいます。
つまり、作者は使い手を守るためにライセンスをフリーウェアと定め、企業は自らの利益を守るためにフリーウェアを使うわけですね。
これを抑止するのがGPL。使い手は今まで通り気にせずソフトを使うことが出来、企業がそのソースコードを用いた場合、企業で発売するソフトもGPLで配布しなければいけなくなります。ある意味、フリーウェアのいいところだけを引き延ばしたライセンスといえるでしょう。
ただ、このライセンス、よく調べていないので判らないのですが、法的に解釈した場合どうなるのでしょうか。ライセンスを契約とするなら、契約に同意して公開されたソースを使う…となるので、法的な契約が成り立ち、ライセンスを遵守しなければならない、となるのでしょうね。なるほど、良くできている。これなら既存の著作権法の拡大解釈によって行われる紳士協定なんかよりも確実ですね。
関係ないですけど、紳士協定という言葉が結構好きだったりします。
学校の先生は何時も何時もデザインコンセプトを考えろと言いますが、もっと日本語らしくかみ砕いてしまうと、これが結構難しい。デザインの定義は何度も書くように、「形作られた物を使った時に心地よい時間が過ごせすように考慮して立案すること」。概念の定義は、「個々の事物から共通な性質や一般的性質を取り出してつくられた表象
」だそうだそうだ。流石元ドイツ語、概念は難しい。
まあ、この二つの言葉を簡単にまとめてしまうと、「形作られたものを使ったときに心地よい時間が過ごせるように考慮して立案するための、一貫した考え方」となるだろうか。つまりは、主題、である。
さて、今日におけるこのサイトのデザインは、使いやすさと見やすさを追求している。CSSを使った段組構造は、第一期が『みずいろしょんぼり☆ミュージアム』、第二期として『希望風ウェブサイト』があり、それの最終形としてこのサイトが存在する。もちろん、CSSやHTMLにおける単純明快さも後に行くに従って洗練されている。
このサイトは使いやすさを見やすさを追求していると書いたが、それは何故だろうか。それは私の経験に基づいている。
昔はそうでもなかったが、私はまず、ネット上に公開されている小説を読まない。それは、面倒という理由の他にも、横書きだからという理由もある。そしてその理由の中には少なからず、読みづらいサイトが多い、というのもある。
何度も日記で書いてきたとおり、全ページフラッシュで自動スクロール、挙げ句の果てに白背景に灰色文字で極少サイズ、なんて言うサイトも極端だが存在する。ここまで酷くなくても、標準設定で閲覧しても文字が異様に小さく感じるサイトも数多く存在する。Mozillaを初めとしたIE以外のブラウザでは文字サイズがピクセルやポイントで指定されていても楽々サイズを調整することが出来るから気にはならないが、このサイズで閲覧させようとする作者の意図が未だに理解できないのである。きっと作者は液晶ディスプレイで、固定解像度、固定ピッチになれているから、他の環境があることを知らず、自分のサイズの小ささに気が付かないだろう、と勝手に解釈して、生暖かい目線で見守ることにしている。
そんな現状も手伝って、私がサイトのデザインを考えるときに行うのは、文字の大きさは標準のままを原則としている。先に取り上げた二つのサイトも文字サイズは標準のまま、一部の人にわかりやすく書いてしまえば、font-size: 1em;
なのである。
このサイトのCSSは相変わらず20KBに及ぶサイズではあるが、その構文は全て先に書いたコンセプト、見やすさと使いやすさに基づいて記述している。これが、一貫した考え方である。その結果できあがるサイトは極めて普遍的で、一般的で、ウェブデザイナーから見ればつまらないサイトかも知れないが、私はそれでいいと思っている。
『みずいろしょんぼり☆ミュージアム』を作った後、数人とお話しする機会ががあったが私はその場で、「みずいろしょんぼり☆ミュージアムは作品を展示する場所ですから、ある程度装飾性を度外視して、純粋に作品が見られる環境を目標にデザインしました」の述べた。今でも印象に残っているが、あのデザインを褒められたときは本当にうれしかった。
このサイトの基本コンセプトの中にもちろんその考えは引き継がれている。一時期暴走して、画像を大量に使った時もあったが一ヶ月ほどで廃止、現在に至っている。
さて、このようなお堅いデザインしか作ってこなかった私としては、次期希望風ウェブサイトのデザインを考えるのは非常に楽しい。なぜなら、新しいサイトはページがインデックスページしか存在しないからである。すなわち求められることとはただ一瞬で閲覧者を引きつけるデザインなのである。
そのサイトにコンテンツが存在し、そのサイトを閲覧するとなるとデザインは熟慮しなければならないが、そのサイトを見るだけならば、それほどまで見やすさにこだわる必要がないからである。
次期希望風ウェブサイトと、それを取り巻く四つのサイト(詩唄いさん、結城あきらさん、幻霧無名さん、私が運営するサイト)の関係をHTMLで表現するのは難しいが、新しい希望風ウェブサイトは本の表紙だと思っていただいて構わない。こう表現するだけで、見た目に興味を引くデザインが求められるのがよくわかる。
しかし、希望風ウェブサイトがサイトとして独立する存在でなくなるため、問題も生じる。端的に表現してしまえば、四つのサイトがよりレベルの高いサイトにならなければならないということである。表紙が良くても中身が悪ければその本が買われることはないということと同じで、どれだけ人の目を引きつけても、行き着く先のサイトが低レベルなら、そのサイトは捨てられてしまう。
言い換えれば、今までは希望風ウェブサイトさえよければ、それに付随するサイトは多少なりとも情報性が欠如していようが問題はなかった。しかし、希望風ウェブサイトがただの表紙になってしまうのなら、その中身となる四つのサイトは、サイトの内容を充実させなければならないのである。
多少なりとも自分への戒めを含んだため話が脱線したが、新しい希望風のサイトは、今までやったことがないことに取り組んでみようと思う。幸いにも希望風には公式ロゴマークが存在する。そのロゴマークを規範として利用すれば、良質なデザインが生まれるのではないかと、私は考えている。
希望風での活動が本格化し、紹介する冊子の数が増えてきたので、通販ページと作品紹介ページを切り離す作業を進めています。また、通販の方法を大規模に変更するので、それに対応する作業も同時に行っています。割合としては9割方完成したと思います。イベントの前ぐらいには改装が完了するといいな。
先日、口座を開くために郵便局に行きましたが、毎度恒例のショックな出来事が。訪れる人訪れる人みんな通帳が、『ぱ・る・る』なんですよね。私の通帳は古いので、表書きには『ぱ・る・る』ではなく、『郵便貯金総合通帳』としか記述されていません。
二年ほど前、久しぶり(実に二年ぶり)に通帳を稼働させるため、通帳を持って郵便局に行って通帳を差し出したら、窓口のお姉さんがものすごく驚いた顔をしていました。納金の手続きをしている最中、しきりに前後のページを捲って利用履歴を確認していたようです。
如何せん、私の通帳、最初に数字が刻まれたのが平成5年、すなわち今から13年前の通帳なのです。当時から見ても11年前ですから、結構古い通帳なのです。
この通帳を手に入れてから住所が二度も変わっているので、表紙裏のスペースにある住所を記述する欄が訂正印だらけで、もう新しい住所を書くペースが無くなってしまいました。
しかも未だページ数は2ページほど余っているので、このペースを持続すれば、あと10年はお世話になりそうです。
さて、次に通帳が動くのは何時なのでしょうか。四月一日を過ぎたら利子を確認するために記帳しに行こうかな。
でもまあ、一番驚くのは、まもなく10年の満期を迎える定額貯金の金利が0.30%ということです。今と桁が違う! …バブル時代は利率が今日の消費税並みだったりするわけですから、そこからすれば大分低いですけど、それでも今から見ればかなり高い金利ですよね。今日のネット銀行の定額貯金とほぼ同じ金利です。
六ツ星きらりのOPテーマ、『☆☆☆☆☆☆』を聞いていてふと疑問に思ったのが、これは何人で歌って居るんだろうと言うこと。みんな同じ音程で歌っているので頼りになるのは各パートの定位と声質の差。ここはDTMer、負けてはいけないと珍しく真面目に楽曲を聴き、導き出した答えが五人。
結果は………。
当たっていたのでまずよしとしましょう。
二人までは異様にわかりやすい人が居たので何とかなったのですが、残りが三人か二人かで悩みましたね。
今日も今日とてReSin-ens。カタカタと軽快な音を立てながら小説は進んでいきます。
光は眩しく、木々は波打ち、地面はめくれ上がっている。そんな舞台の真ん中で、俺はただ母さんと叫んでいた。
誰か助けてください!
こんな風に自分に突っ込みながら小説を書いています。
ところで、他の小説に当てはめると序章になるReSin-ens冊子版のプロローグは、プロローグだけで100KBとか訳が分かりません。プロローグだけで五万文字とか、もはや意味不明です。
長さ的には原作の倍程度、『光になりたい』の三倍程度と予想しているので、このぐらいになってもあたり前といえば当たり前なのですが、ちょっとどうなのよ、と。
ただ、こういった長い小説を作る上で怖いことがありまして、果たして最後まで読んでくれる人が居るのか、ということ。長い文章を最後まで読ませるだけの作品を書けるかどうか、自分自身への挑戦でもあります。
昼過ぎにふとTTAにエンコしようと思い、マイミュージックフォルダからアルバム単位で曲データをリッピングしているものを探し、ひたすらTTAにエンコードしていました。HDDの空き容量が3GBぐらい増えてウッハウハです(Vo. 国崎往人)。
相変わらずエンコード速度は爆速ですし、圧縮率も異常です。なんて言う可逆圧縮。あまりのすごさに、作者自身が「実は不可逆圧縮でした」っていう驚きの発表をするのを待っているのは内緒ですが。
案の定、という感じですが、ボイスドラマのような帯域を使わない音楽は圧縮率が高く、ちゃらちゃらしている今風の音楽は圧縮率が低い傾向があるようです。ざっとみて平均的な圧縮率は4割ぐらいでしょうか。ものによっては5割を超えることもあるようです。
例の法律の影響でハードオフに面白い動きが。どうやら、一部の音源で値下げが始まっているようです。
早めに処分しないと警察に捕まってしまうわけですから当然といえば当然。罰金も一億円まで取られるはずなので、大きな打撃といえるのでしょう。
ところで、近所のハードオフには私が購入を諦めたKORGの音源、NS5Rが半年前においてあったのですが、今日見に行ったら、まだ残っていて処分品ということで6000円値下げされ、1万2000円で売っていました。購入するつもりは今のところ皆無なのですが、この値段は魅力的といえば魅力的。ヤフオクの相場に近い所までさがりました。下手にヤフオクに手を出すより、一応中古保証も付いているハードオフの方がもし購入するなら良さそうですね。
それと、三菱の21インチCRTフラットディスプレイは売れていました。
どうでもいい話ですが、ハードオフにおいてあるCRTディスプレイの殆どが飯山というのはどうにかならないのでしょうか。いえ、まあ、富士通とかNECのパソコンに付いてきそうなCRTと一緒に並べておかれていたなら飯山を取りますけど、全部飯山となると手が出せないのですよ…。
今私が使っているCRTディスプレイも既に使用時間は寿命といわれる1万5000時間を突破し、2万時間。次のディスプレイのことも考えなければならない次期なのですが…。とりあえず、SEDかパソコン用プラズマディスプレイの早期実現を希望。
そう言えば液晶なんかで出てくる照度。素朴な疑問なのですが、液晶の照度って異様に高いように感じますが、どうしてなのでしょう。私のCRTはCRTの中でも比較的照度が高いのですが、それでも250cd程度。今の液晶は700cdぐらいまでなら簡単に行ってしまいますよね。
照度を上げないと黒が表現できないから照度を上げているんだ、と勝手に妄想しているのですが、実際の所はどうなのでしょうか。
通信販売に使うための郵便振り込み口座が完成しました。加入者名が鈴響雪冬という、ある意味シュールな口座です。業務用の口座なので、郵便振り込みで使う用紙が青色の用紙なのですが、そこの加入者欄に「鈴響雪冬」と書くわけですね。なんか、想像しただけで変な光景です。
まあこれで、郵便局の方には住所とハンドルネームの関連づけが行われてしまったことになるので、「住所・本名様方
鈴響雪冬様」で確実に荷物が届くというのが面白いところ。今までも様方で届いていますし、それで当然といえば当然なのですが、郵便局から届く口座関係の資料が全部上に書いたような形式の宛名書きで届くのはちょっと複雑な心境です。
通販ページについてはまだまだ整備中。料金計算の仕組みを換えたりしている都合で、もうしばらく時間が掛かりそうです。ひとまず、秤を買ってこないといけませんね。
さて、イベントまで一週間になったのですが、未だ準備が完了していない者達一覧。
あっ…あれ? 確か余裕とか言っていたような記憶が………。とりあえず今日は、『光になりたい』を印刷しよう。
オリンピック関連の話題が嫌い、という人もいるかも知れません。私もあまり好きではありません。
といっても、オリンピックではなく、オリンピックを報道するマスコミの態度が、なのですが。
オリンピックが始まる前、マスコミはこぞって選手を取り上げますが、それがどうにもただの煽りにしか見えてきません。フィギュアもスノボもジャンプもそうですが、わざわざ特集を組んでまでそれらの選手を取り上げようとします。逆に、それらに押されて注目すらされない競技や選手もあると思います。きっと、ボブスレーなどのマイナーなスポーツは今回の出場破棄まがい事件がなければ何処も取り上げることはなかったでしょう。夏の時もアーチェリーなんて一つも放送していませんでしたし。
日本のメダル数がどうとか、メダルの数が0だとか無責任な発言を繰り返すマスコミもちょっと嫌な感じですよね。日本の暖かいスタジオの中でコメントをする暇があったら、シドニーに行って一緒にジャンプでもやってきなさい、という感じです。スキージャンプペアとかあるんですから(それはDVDのフィクション)。オリンピックの舞台に立つことすら凄いことなのに、それ以上のことを必要以上に求めるマスコミの態度が、私はちょっと気にくわないです。
冬のオリンピックは基本的に採点基準が分かりづらかったり、競技内容が分かりづらいものが多いかと思います。スケートの団体とかも何で三人で一緒に滑るんだ、と突っ込みどころがありますからね。実はこれ、先日友人に聞いたのですが、空気抵抗の関係で先頭を滑る人が体力を最も消費するのだそうです。ですから、レース序盤は先頭に短距離の選手を持ってきて、チーム全体のスピードをあげ、レース中盤から後半は中長距離の選手を先頭にして短距離の選手を後ろに下げ、体力とスピードを持続させるという駆け引きがあるそうです。なるほど、こういう情報が入ると、スケートの団体の見方も変わるというもの。
こういった情報がマスコミによって大々的に取り上げられたのなら、競技の見方も変わり、面白くオリンピックを観戦できるのですが、ルールを殆どの場合で紹介しないので全く意味が分からないことも多々あります。カーリングも一見かけ声が面白いだけのスポーツに見えてしまいます。
選手に注目するのもいいですけど、競技の内容にも注目して欲しいですね。ただでさえ、自分が取材しているスポーツのルールが分からず放送するアナウンサーが沢山いて、(専門の)解説者とリポート内容が違うという事態が多発しているのですから。
個人的にはカーリングが結構面白いことが発覚したので、決勝ラウンドに進めることを切に願います。8チーム中上位4チームが次のラウンドに出場。日本は現在2勝3敗。どうなることでしょうか。
この日記でフリーウェアを紹介する、ということはあまりないのですが、何時もお世話になっているフリーウェアを今回は一つ、紹介しようと思います。こういったソフトはやはり口コミが命だと思いますし、便利なソフトは情報を共有するべきでしょう。うむ、JASRACとはちがって、知的財産の共有について先進的ですね(笑)。
さて、今回紹介するソフトは、タブ形式によるマルチドキュメント型テキストエディッタ、『WHiNNY』です。平たく言えば、テキストエディッタのタブバージョンといったところ。
何度か日記で「このソフトが便利」という形で紹介してきた『KntEdit』の後継ソフトとして位置づけられていると思います。KntEditよりも大幅にカスタマイズ性も使い勝手も向上していますが。
このソフトは、きっとプログラムを入力する人向けに作られていると思うのですが、個人的には小説を入力するソフトとして推薦しておきたいと思います。
まず、基本的な機能は全て揃っています。分割表示、文字列の正規表現による置換、ユニコード対応などなど。特に三つ目のユニコード対応は、対応フォントを用いることによって、旧字体を含むテキストファイルを作ることが出来ると言うことを意味しています。時代小説や、旧字体や異体字を含む名前を入力するときには便利ですね。ただし、本体がOpenTypeFontに対応してないのと、内部ではShift-JIS扱いとのことなので、今のところこの機能を完全に使えないのが残念。
さて、小説用に薦める理由として最大の理由は、文法などを自分で作ることが出来ると言うこと。
これだけではすこし分かりづらいので、補足説明をしたいと思います。
一般的エディッタではあるプログラムのソースを読み込んだとき、エディッタが自分で判断して、特定の関数に色を付けたりしてわかりやすく表示してくれます。このソフトは、その色づけのルール等を自分で定義することが出来ます。
例えば、小説などでよく使う記号、『』、【】、“”、を囲み文字として定義すると、その括弧によって囲まれた文字列に特定の装飾を施すことが出来ます。また、開き括弧の所にカーソルを移動させると、閉じ括弧と開き括弧がペアで強調する事も出来ます。これは、会話文がどの程度の長さを持っていて、本文とどのような関係性があるかを把握するときに非常に便利な機能です。
また、半角英数字や半角記号を特定の装飾を付加して表現できるので、基本的に全角で入力する必要がある、後に縦書きにするための文章を編集するときも、半角の文字だけを素早く発見し、修正することが出来ます。
特定の文字で始まる行のみを強調表示したり、コメント用の行にする事も出来ます。
これらの機能を駆使して作り上げた小説編集画面を見ても分かるとおり、“「」”でくくった部分は背景色が他の部分と違いますし、半角数字が赤色で表示されていることが分かるはずです。
もちろん自分で作ったルールはパソコン上に保存され、好きなときに呼び出すことが出来ますし、特定の拡張子に関連づけを行うことも出来ます。
とまあ、作り手の思うがままに外観を操作できるエディッタ、と言えるでしょう。縦書き表示が出来るというわけではありませんが、横書き表示エディッタとしては十分な機能をそろえています。特に、タブを採用しているので、長い小説を書いていて、別々のテキストファイルになっているのをまとめて開いておきたいというときには死ぬほど便利なソフトだと思います。
多少なりとも脱線しますが、Perlを編集するときも比較的自由度の高いエディッタといえます。Perl用の構文をチェックしているとき、Perlの中に含まれるHTML部分は色づけが成されないというエディッタもあるかと思いますが、このエディッタは定義ファイルがしっかりしているのか、Perlのソースを開いていても、HTMLソースはHTMLソースとして各種マークアップを適切に色分けしてくれるので、ミスが発生しづらいエディッタだと思います。
あと、Nスクに対応している数少ないエディッタでもあります。私が知る範囲ではこれだけです。
ちょっとブラックですけど、外部ツールを指定して引数を渡すことが出来るので、某有名テキストエディッタ配布サイトで公開されている文字数をカウントするツールをを登録すれば、文字数をカウントすることが出来たりもします。
まあ、そう言ったツールはそのために公開されているソフトなので、ブラックでないといえばブラックでもないのですが。
タイミングがいいのか悪いのか、電話が掛かってくる日と掛かってこない日のムラが強いように感じる今日この頃。ほぼ毎日電話の数は0本なのですが、ある日突然3本まとめて掛かってくるという事が多いように感じます。第三者間のシンクロ率が上昇すると、疲れるのは私だけ、ですね(苦笑)。
今回は昨日の夜から今日の朝にかけて見事に第三者間のシンクロ率が上昇。結局一晩で、六時間ぐらい電話の対応をしていたような気がします。何処かのサポートセンターでもあるまいし。
最終的に、最後の電話が終わったのは日曜日の26時40分(月曜午前2時40分)。オリンピックの中継も中盤です。
私の生活のタイミングが丁度いいのが、相手のタイミングが丁度いいのか、私の場合、晩ご飯の用意をしているときや用意が終わってさあ食べようと思っているときに電話が掛かってくることが多々あります。確かに、私に電話が通じる時間がかなり限られているというのもあるのですが(事実上、捕まえるタイミングは学校が終わってから夜遅いという理由で電話を取らなくなるまでの僅か二時間)、それにしてもタイミングが良すぎるというもの。
もはや私も観念して、電話に出てまず言う台詞は「タイミング良すぎ」です。ここまで来たらこういう星の元に生まれたのだと強引に解釈するしかありませんね。
一応、今日は先輩達の卒業研究の提出日なので、手伝いをしている私としては何時何時呼び出しがあっても対応できるように用意をしていないといけないのですが…。明け方に電話やメールが来たら起きられる自信はちょっとあやしいぞ…。
テストが終わってからは先輩達の卒業研究・制作(私の学校は卒業研究と制作の両方が必須条件)を手伝ったいたのですが、今日の朝、無事に終了したようで、スクランブル体勢も無事に終了。これでゆっくりと落ち着いて眠ることが出来るというものです。
今回は模型製作を手伝ったのですが、途中面白い発見があったのでこれは来年の課題当たりに反映できそうです。とりあえず、たこ焼きとお酒でも買ってきてお祝いでもするかな、自分を。
昨日の日記を読んでいて、ふと、ソフト紹介のところで用いた画像を見ながら、ReSin-ensを読んでいたのですが、これ、明らかに読みづらいというか、日本語的にどうなのよ、という文章が見つかったので、すぐに修正しました。
古めかしい音を立てるガラス戸を開けると、木造のこれまた古めかしい内観が目に飛び込んで来た。打ちっ放しのコンクリートの上に簀の子を乗せただけの簡易的な玄関に、木造の下駄箱。もちろん、扉はついていない。そんな玄関の片隅に、先客がいるのだろう、二足のスニーカーが並んで置かれている。そんなスニーカーですら、古風に見えるのは、水明温泉自体の雰囲気の影響だろう。上り框を超えると、ビニル製の床があり、その奥に昔ながらの番台がある。
靴を脱ぎ、簀の子に足を乗せると、乾いた音が響いた。一段上り、番台の近くまで行くと、本を読んでいた七夏が顔を上げた。
「君がこの時間にくるとは珍しいな」
二文目からなにやら怪しい雰囲気が。文章と文章を繋ぐ“に”って、同一文章内に複数箇所出るとこんなに違和感があるものなのですね。あと、番台までいったん描写しておきながら、次の場面でもう一回番台のことが出てくるのもちょっと回りくどい、ということで、さくっと修正、以下のようになりました。
古めかしい音を立てるガラス戸を開けると、木造のこれまた古めかしい内観が目に飛び込んで来た。打ちっ放しのコンクリートの上、簀の子を乗せただけの簡素な玄関に、木造の下駄箱。もちろん、扉はついていない。そんな玄関の片隅に、先客がいるのだろう、二足のスニーカーが並んで置かれていた。そんなスニーカーですら、色褪せて見えるのは、水明温泉自体の雰囲気の影響だろうか。
靴を脱ぎ、簀の子に足を乗せると、乾いた音が響いた。上がり框を一段上り、ビニルの床を踏み締め、番台の近くまで行くと、本を読んでいた七夏が顔を上げると同時に、「君がこの時間にくるとは珍しいな」と言った。
基本的に冊子版は、他のキャラクター別シナリオに描写を任せていたぶんを彩音側に取り込むので、ほぼ全キャラにおいて登場シーンが増えるのですが、七夏の使いどころしだいで結構面白いことになりそうで、ワクワクしています。
あと、黒髪ロング補完パッチとしての朝倉萌も必然的に登場シーンが増えると思います。逆に減りそうなのは…中村先輩とか?
で、この朝倉萌、地味に陰陽師なので、ちょっと私にとっては掴みづらいキャラであることも事実。月詠でももう一回最初から見ようかな(ぉ 。
ところでこの水明温泉。モデルは一体何処なのでしょうか。料金が220円って言う大衆浴場(天然温泉)は青森なら探せば簡単に見つかる(標準で大人300円、安くて250円が普通)と思うのですが。個人的にはたぶんあの温泉かな、という見当は付いているのですが、設定を考えた二重影に聞かなければ解決しないのも事実。
日記に変なことを書いても健全サイト。17禁程度の発言内容で止めておきます。
今号の二次元ドリームマガジンは巫女特集だそうです。
少し思うことがあるのでJavascriptでちょこちょこしたプログラムを作っています。如何せん、これが初めてのJavascript。文法も命令規則もさっぱり分かりません。適当にネット上で見つけたサイトを頼りにしながら文法構造の把握中です。
でも、少しだけでもプログラムを触ったことがあると、多少は理解速度が速くなると思うので、それを糧として頑張っていきます。一応、『BASIC』、『VisualBASIC』、『NScripter』程度なら少しばかり触ったことがあるので、何とか役に立ってくれそうです。