2005年12月の日記 -3冊目-

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2005年12月21日 (水曜日)

タイトル未決定

鈴響雪冬の修羅場解除を確認。
了解。直ちに第二タスクを与える。転送開始………転送完了。
データ受信を確認。指示されたタスクを復唱します。タスク…「同人活動」
タスクの内容が伝わったことを確認。健闘を祈る。

 こんにちは。1時に寝て13時に起床。鈴響雪冬です。昨日は二人の人と電話をしていたのですが、最後の方の電話の内容をあまり覚えていません。眠気とお酒の力って怖いですね。
 とりあえず、課題が終わった後、授業を二時間分受け、帰り道にとあるお店によっていつものように梅酒を購入。ネットや電話をしながらちびちび飲んでいるうちに、一本空けて、そのままうたた寝。うたた寝で気が付いたら朝八時。釈然としなかったので、水を飲んで、トイレに行って、布団に入って本格的に爆睡。起きたら13時。そんな生活、鈴響雪冬です。

 さて、一波乱あった上に、かなり満足な結果に収まった設計4を脳内からすぐに排除して、今度は、同人活動へと作戦を移行していきます。ちょっと、引用。

鈴響雪冬のタスク一覧
日付 締めきり・作業内容
12月21日
  • 『光になりたい ~上巻~』最新版完成
  • 『光になりたい ~上巻~』印刷完了
  • 『光になりたい ~上巻~』製本完了
12月22日
  • 『恋の from A to Z』完成
  • 『恋の from A to Z』印刷完了
  • 『恋の from A to Z』製本完了
12月23日
  • 『光になりたい ~下巻~』最新版完成
  • 『光になりたい ~下巻~』印刷完了
  • 『光になりたい ~下巻~』製本完了
  • イベント準備完了
  • 帰省準備完了
12月24日
  • 授業最終日
  • 終電により青森に移動
12月25日
  • 同人誌即売会にサークル参加
  • 即売会の打ち上げ
12月26日 ここまで修羅場モード

 同人誌を作ったことがある方ならわかると思いますが、この版下完成や印刷、製本、と言う流れは結構時間がかかりますし、何より、労力を消費します。確認すれば確認するほど誤字脱字が見つかったりするので鬱にもなりますしね。
 さて、イベントまでもうすぐ。修学旅行の次の日、イベントに参加していたあの人や、修学旅行中に友達に電話をして原稿の確認をしていたあの人は、きっと今の私のような心境で作業をやっていたに違いないですね。
 新刊を落とすつもりは全くありませんし、有言実行、不言実行、がポリシーの私ですから、スケジュール通りに事を運ばせて見せます。

BGM: 乙女のポリシー
出典: 美少女戦士セーラームーンR
歌: 不明

ちょっと、肝心の設計4の評価はどうだったのよ。
や…あの…私は別にあんたの作品の評価が気になるって訳じゃないのよ。えっと、ほら、あんんだけ頑張ってたのに、評価され無かったときのことを考えて、苛めに来てやったのよ。

 さて、今回の設計四は今までの発表の仕方とは違って、完全にコンペ方式、つまり、プレゼンテーションボード一枚で勝負すると言う内容です。今までの方法は、

 だいたい、どちらかになるんですよね。ですが、今回の場合、パネルだけでプレゼンテーションを行う必要があるので、今まで通り、「書ききれないことは口・模型で説明」といった用には出来ないのです。つまり、本物のコンペ、ですね。

 こういうときに、私の今の状態がどのように働くか簡単に分類しましょう。

CADを使ったことがない
 不利。手書き図面はどうしてもコピーすると劣化するため、表現力に乏しくなる。もちろん、手書きだからこそ出来る技もあるが、私にはそんな芸当は無理
芸術的センスがない
 不利。何度も言われているが、私は設計内容が画一的すぎる、現実的すぎる、夢がない。つまり、見た目のインパクトが薄すぎる。
パネルだけでプレゼンテーション
 有利。建築科の中でもパネルの技術力だけは最高位の評価を得ている。
パネルをフルデジタル編集
 有利。建築科の中で最もフォトショップを使いこなす人間。

 とまあ、五分五分のような感じ。一言で分類すると、設計内容は駄目でも、パネルで頑張れる、と言う感じでしょうか。

 今回の課題は授業以外で初めてCADに触りました。完全に「はにはに」しながらマウスをひたすらクリックしていた記憶があります。ですが、Vector WorksがAdobe製品と操作感覚が似ているのに助けられ、何とか三日間で最低限の操作をほぼ把握。2D機能だけなら最低限使えるようになりました。
 続いて模型製作。今回の模型は1/200なので、殆どが1ミリ単位での制度が必要になり、ここまでピンセットを使った作業をしたのも今回が初めてです。模型が完成したのが、提出日当日。
 夜中から朝にかけて数時間で、デジタルで作られた図面をフォトショップに放り投げ、メモリと一緒にひいひい言いながらパネル作成開始。この辺は操作になれているので、意外とさくっと進み、5時間ぐらいでほぼ完成。前日にパネルのデザインを決めていたのが成功を導いたようです。
 残りは、パースです。いつもはデジタルで片づけてしまうのを、今回はモデリング用にもう一枚図面を書くのも時間がもったいないので、久しぶりに手書きでパースを書いていました。

 ここで事件が発生。車椅子に乗った人が砂遊びを出来るように、と言うように設計をしていたので、そこをパースに書き起こしました。で、初めはショートカットの少女だったのですが、気が付いたら、黒髪ロングになってました。癖って怖いですね。

 とまあ、パースを適当に30分で書き上げ、提出締めきり30分前。デジカメで撮影して、二次元データに変換、パネルの中にトリミングして貼り付けます。
 午前9時、パネルデータの完成。CD-Rに焼き、自転車に乗って印刷屋さんに直行。

 午前11時、印刷屋さんから入電。出力が遅れるかもと言う知らせ。何が何でも12時半までに間に合わせて下さいとごねる。
 午前12時、印刷屋さんから入電。出力が予定通り終わり、今すぐ渡せるという知らせ。
 午前12時半、印刷屋さんからの知らせ。フォトショップ形式が開けず、TIF形式で保存されていたからセーフと言う知らせ。

 事前確認では、印刷屋さんにフォトショップがあるとのことだったので、フォトショップ形式で入稿してもいいよ、といわれ、フォトショップ形式で保存していたのですが、嫌な予感があったので、汎用画像フォーマットのTIF形式でも保存しておきました。内部圧縮を無しにして、互換性を最大にして保存したので、230MBというものすごいデータになったのですが、それでもCD-Rに書き込んでおいて正解だったようです。デジタルデータはこういうところが怖いので、二つの形式で保存しておいて助かりました。
 この辺りは、同人活動の影響でしょうか。楽曲をCD-R入稿するとき、セクタが壊れて読めなくなったと言う事態を防ぐため、同じディスク内に全く同じ内容のデータをコピーして保存しています。この辺りの石橋を叩いて渡るような行動は何時でも持っておいて正解と言うことですね。

 印刷所に駆け込み、印刷して貰ったデータを見て狂喜乱舞。その場でねぶたを踊りたくなるようなできばえ。元々CAD出力を専門としているお店なので、データを入稿して印刷すると言う業務はあまりなさそうで、印刷所の社長さんもここまで淡い色が綺麗に出るもんなんだねと驚いていました。やはり、画像をRGBではなく、CMYKで作っていたのは間違いはなかったようです。
 受けとった印刷物を図面ケースにしまい、学校へと向かい、ボードに印刷物を張り込んで、13時30分、提出。審判の時を待ちます。

 友達に起こされ、「発表することになったよ」と言われたのですが、いまいち意味がわからなく、とりあえず、時計を確認。既に提出をしてから二時間以上経った4時。どうやら、優秀作品は発表をしなければいけないようです。選ばれたことに驚きながら、発表を進めると、いつもの台詞。
「設計内容が(以下略)」
 ですが、昨日の日記で書いてあるように、何を言われても傷つかないマイハート。有頂天のまま、発表は終了。最後は最終課題の説明をして終わりました。


 と、まあ、ここまでテンプレ、と言うかんじで、ここからが本題。

 A1パネルだけでのプレゼンテーションというのは、パネルデザインに定評がある私にとっては多少なりとも有利に働くもので、全てのデータをフォトショップ上で処理しました。今回のパネルは、私の中でもかなり評価が高い作品だと思います。

 この画面は、全ての図面を貼り付けた時の画像です。既にレイアウト用の基準線が沢山引かれているのがわかりますね。引かれている基準線がA版の紙が持つ比率『白銀比(1:1.414)』にそって展開される事に気づくでしょうか。これはデザインのコツですね。

 ではでは、今回のプレゼンボード の公開です。

 廊下に一列に掲示したときは、同じクラスの人が群がって「なんのソフト使ってるんだろう」とか議論していたのが、ちょっとした自慢です。
 大声で言いたかった。図面の部分はみんなが前々から使っているVector Worksだよ、と。使い始めて三日の人に追い越されてどうするよ、と、小一時間。

 個人的には、初めて使ったCADで図面をここまで表現できたことは大満足ですし、フォトショップを使って全てデジタル作業を出来たことも大満足です。次の課題も今回の形式を採用するとのことなので、もう少し技術力や速度の面での向上を狙っていきたいと思います。
 で、噂の黒髪ロング少女は左隅の手書きパース。

 肝心の評価については、前に書いたとおり、建築の設備的面はともかく、「貴方のような人が一人でも市役所の公園を作る部署にいたら、公園作りはもっといいものになるのにね」と仰ってくれたので、そう言う意味では感激でした。

12月25日より

 12月25日より、鈴響雪冬によるデザイン教室を、鈴響雪冬の実家にて『同人作家のための表紙のレイアウトに関するデザイン講座』と題してお送りいたします。ふるってご参加下さい(w。

 ということで、12月25日か28日に、デザイン教室、と言うよりも、レイアウトに関するお話をしたいと思います。こう御期待>希望風のメンバーなど

 希望風の中にいて即売会を眺めていると、作品が良くても表紙で損をしてしまい、手にとって貰えないという事が多々あります。特にスペースは創作文芸スペースですから、地方の即売会では人通りも弱々しく、普通の作品よりも更に縁の薄い作品になってしまいます。
 さらに、表紙は後回しになってしまい、どうしてもやっつけ仕事になってしまいます。
 今回の講義内容は、そんなやっつけ仕事でも、レイアウトを工夫するだけでとても見栄えの良いものになります、と言うお話。
 私もやっつけ仕事になってしまいますから、その辺の経験はいたいほどやっているのですよ…。今でも模索していますし。

 もしかしたら、アーカイブで終わらせるつもりはありませんけど、似たような話をコラムに載せるかも知れません。創作文芸の同人作家の間では、表紙の作り方というのは非常に悩ましいようですし、実際私も悩んでいますからね。
 題して、『創作文芸のための表紙のレイアウト講座』とか? で、サブタイトルは『~黄金比・白銀比のススメ~』(笑)。

2005年12月22日 (木曜日)

未知の単語

汚名挽回

 何処かの学会が「汚名挽回」を使いすぎ、と指摘していたのですが、生まれてこの方、そんな言葉を聞いたことが無く、本当にこんな誤用されているのかなと思っていたのですが、ついに巡り会ってしまいました。
 午前10時40分。テレビを付けて作業をやっているときのこと。その言葉は聞こえてきました。
「汚名挽回。」
 ある意味、感動的でした、本当に。うわー、こんな言葉使う人って本当にいるんだ、と。

 で、気になったので調べてみました。

挽回
失ったものを取り返して、もとのよい状態に戻すこと。「勢力を─する」「勉強の遅れを─する」「名誉─」

明鏡国語辞典

 ということは、汚名挽回ってこんな感じの意味。

汚名挽回
 失った汚名を取り戻し、元の汚名を被った状態に戻すこと

 ………真逆、ですね、これ。


 で、ここで終わるのも面白くないので、恒例の蛇足。
 汚名返上と名誉挽回がありますが、どちらも似たような意味ですが、使い分けることが出来る、と言うお話。
 汚名返上は悪い位置からの復活、名誉挽回は通常の位置から名誉を得るために復活、と言う結論が出ています。ビジュアル的にわかりやすくするため、職人さんがAAにしてくれたので、そちらをどうぞ。

名誉と汚名の間には、どちらにも属さない普通の状態があるんじゃないかな。

  名誉(+の評価)┃普通(一般的評価・その他)...┃汚名(-の評価):::
..名誉挽回○───╂──────┐ .........................┃::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        ●←──╂──────┘ .........................┃::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
                ┃ .................. 汚名返上○───╂─────┐::::::::
                ┃ .........................................●←──╂─────┘::::::::
..両方可○────╂────────────╂─────┐::::::::
      ●←───╂─ or .──── ●←───╂─────┘::::::::
                ┃................................................................┃::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 これはわかりやすいですね。

ナイーブ

 とりあえず、某社のボディーソープのナイーブと言う商品名はとっても怖いと思います。

ナイーブ
  1. 単純な,世間知らずの,だまされやすい
  2. 無邪気な,純真な
  3. 幼稚な,しろうとの

 あれですか、信じる者と書いて儲けるですか。

一般人とのギャップ ~家電量販店編~

 とりあえず、第二の地元のヤマダ電機本社は、B5の紙の品揃えを良くした方がいいと思います。まあ…別に…グントーで買うからいいけどさ。

【クリスマスに】印刷進行中【同人誌即売会】

 印刷続々進行中。新しい紙さんもプリンタさんもインクさんもご機嫌です、とは、千紗の談。あっ、印刷部門担当のメイドとかどうですか>某CSSメイド担当さん。ちょうと、プリンタ制御のCSSも存在しますし。
 さて、25日は久しぶりの同人誌即売会です。今回の即売会は、ちょっとドキドキなんですよね。何がドキドキって、初めてが多すぎるんです。

 どきどきです。作業している間、初めて即売会に出た日のことを思い出しました。あのころは…産だった…。そりゃあもう…ね、色々と人に聞いて迷惑をかけました。おかげさまで今は聞かれて教える立場になりつつあります。

 私個人としては、一年以上間を空けての即売会になりますから、ある意味、新たな気持ちで挑みたいと思います。半年間手紙の返事をほったらかしにしている人に新刊送ろう。

淫乱?

【雪冬】 「見ないでってそんな台詞聞くわけ内じゃない。どれどれ………ふふふ、もうこんなに汚しちゃったの? 拭いても拭いても溢れて来るじゃない。」
【みいな】 「とりあえず、プリンター内部の掃除ぐらい普通にやって下さい。」
【雪冬】 「はーい。」

 印刷物が汚れるので、インク取り替えモードにしてカートリッジを動かし、プリンター内部の掃除(インクが乾くおそれがあるので素早く済ませましょう)。数回ならし運転をしたらすっかりと綺麗になりました。まだまだ現役で頑張ってくれそうです。
 汚れたページは本に出来ないのでそのページだけを刷り直すのですが…紙が…紙が………。軽く4000枚はあるので、在庫はともかく…値段が値段が………。

2005年12月23日 (金曜日・天皇誕生日)

タイトル未決定

プリントスクリーン

 冊子版『恋の from A to Z』の表紙が大体完成といったところ。今回は安価品なので表紙もグレースケール。
 ですが、このグレースケールがまた難しいですね。普段なら色を使うところが、無彩色しか選べないわけですから、それはそれで技術を要する仕事。とりあえず、悪くない形に仕上がったのでよしとしましょう。あとは微調整だけです。
 表紙に使っている写真は全て私が撮影した写真です。サイトの読者さんなら見覚えのある写真も一つありますね。ヒントは、<h1>の背景、です。

 今回の表紙はかなり渋いです。物語のイメージより数倍渋いです。タイトルの文字だけですね、柔らかみがあるのは(苦笑)。
 あと、今回の表紙から、"Presented by"のフォントを変えてみました。画像では小さくて確認できないと思いますが、筆記体に似ているフォントですね。ですが、これ、日本語専用フォントを使って表現しています。英語フォントはどうしても癖があったので好きになれなかったのですが、意外な日本語フォントがぴったり収まってくれました。行書体の…。
 右側の黒い帯は、製本テープを巻いたときのシミュレーションです。これをやっておくと、製本テープを巻いたらバランスが崩れた、と言うことがないので、製本テープを使って製本をするサークルさんにはお勧め。


 グレースケールを取り扱うのはなにぶん初めてなので、ちょっとばかりなじめないところもありますね。灰色と言っても、プリンターにはCMYKしかないので、灰色を作るためにはCMYを合成しなければなりません。しかも、生半端な色よりも一番インクを使うので、インクの消費が問題になるのですが、実はもっと大きな問題があります。
 インク使用量が多いと言うことは、紙に打ち出されるインクの量も多いと言うことで、薄い紙ではすぐよれよれになってしまいます。よりによって今回はスーパーファイン紙レベルですから、ちょっと印刷は気をつけないと大変なことになりそうですね。(大変なこと。インクを大量に吸った紙が湿り気で盛り上がり、インクヘッドとぶつかって紙が真っ黒に………)
 ですが、そこは、トレーシングペーパーに印刷する技術を持っている雪解け水印刷部門。何時もと同じ方法で刷ってみたいと思います。

最終チェック (18:27)

 イベントを二日後に控え、最後の印刷となる『恋の from A to Z』の最終チェックを行っています。現在、19ページ目。大きな誤字も見つからず順調に進んでいます。
 ちなみに、表紙は現在印刷中。残り二冊分といったところ。上のスクリーンショットや、冊子紹介にもあるとおり、今回の表紙は異様に渋いのがちょっとお気に入り。帯の色も黒にして正解でしたね。
 あと、今回もおまけの栞は添付させていただきます。本に挟んでいたら足りなくなってヤマダ電機まで走ったのはここだけの話。30枚分増刷したので間に合わないと言うことはないでしょう。持ち込み部数よりも多いですしね。

 この作業が終わったら、AtoZの印刷がいよいよ始まります。今回は身内配布分を含めて12冊刷ろうと思っています。半分捌けたら奇跡ですね。
 AtoZの印刷が終わるとあとはイベント当日、および、帰省に向けての準備です。見本誌用の帯も用意しなくてはいけませんし、荷物も詰めないといけません。ちょっと忙しい感じですね。

印刷開始 (21:33)

 楽しくなって参りました
 過去の栄光には遥か及びませんが、それでも、200枚を超えるジョブ。ちなみにこれ、往復あるのでまだ半分です。果たしてイベントに間に合うのか。
 紙さんもインクさんも喜ぶことを祈りましょう。

2005年12月24日 (土曜日)

タイトル未決定

【印刷】後5冊【進行中】 (02:50)

 同人誌の印刷とは意外と時間がかかるもので、印刷を始めてから五時間近く経ちましたけど、後五冊もノルマが残っています。折り返し地点をちょっと過ぎたぐらい、ですね。いい加減眠くなってきましたよ(苦笑)。
 と、いいますのも、一冊一冊、汚れやページ抜けがないかチェックしているので遅くなることはわかっているので、この工程を省いてしまえばずいぶんと楽なんですよね。でもまあ、同人活動においてそんな手ぬるいことが許されるはずもなく、アクロス・ザ・タイムのように膨大なページ数ではない限り、全ページの汚れぐらいまではチェックしています(アクロス・ザ・タイムも乱丁や落丁はチェックしていますよ)。

 一応、今日の18時ぐらいには出発するので、起きてからももう少しだけ時間がありそうですが………帰省の準備があまり進んでいません。特にソフト面で(帰省中に使うファイルなど)。更新しないとわかっているのに、サイトの全データを持っていったりと、何かと移動させるファイルも多いです。
 今回は…小説ページとサークルページ、日記ページだけにしようかな、持ち帰るファイル。正直、サイト一つのデータを移動させるだけで、1291ファイル(237MB)とか、意味わからないです。…そんなサイトにしたのは自分自身ですけど。
 とりあえず、何時も持ち帰るデータと言えば、

 と言った具合。今回はその他にも、パソコンをリカバリーした関係で持っていかないといけないファイルが沢山ありますね。ひとまず、ezHTMLやFFFTP、STPの辺りは必須かな? あと、動画再生関連のコーデックと、foobar2000もか…。

 閑話休題。
 見本誌用の帯が完成し、今回はちょっと豪華にファイン紙に印刷したら、文字がくっきりしていい感じです。今までは普通紙に印刷していたのですが、表紙の紙の質の割に帯の品質が悪いので、あまり見栄えが良くなかったのですが、これでその問題も解決。
 作業は未だ沢山残っていますけど、ひとまず、今宵はこの辺で終了。イベントの準備は朝起きてからへと続きます。

 あー、Firefoxも追加だ。

印刷進行中 (11:28)

 さてさて、泣いても笑っても印刷締め切りまで後数時間。残り印刷部数は2部となりました。結構、いい感じのペースで追い上げています。
 それもこれも今日の朝になってからプリンターさんがご機嫌で、お兄さんの同人誌をうれしそうに刷ってくれるんですよ、とは、塚本千紗たんの談。

印刷完了 (12:42)

 無事に印刷と製本が終了し、袋に詰め込み終わりました
 久しぶりの同人誌即売会となると、なんだかワクワクしますね。神聖雪解け水となって初めてのイベントでもありますし、(以下、前回と同じ事を繰り返す)。
 一通り準備も終わりましたし、最終チェックの後に、詰め込み作業へと移行します。それにしても…AtoZの表紙が相変わらず渋い。

最後の通信 (17:32)

【雪冬】 「みんな荷物持った~?」
【みいな】 「はい。」
【インポータント】 「はい。」
【三姉妹】 「もったよ~。」
【ATOK】 「持ちました。」
【Thunderbird-子】 「もちろんです。」
【みいな】 「帰省すると言うだけで大移動ですね。修学旅行みたいです。」
【雪冬】 「どっちかっていうと、参勤交代の方がぴったりね。」
【みいな】 「さ…参勤交代…。確かに…間違ってはいませんけど…それどころか、かなり的確ですけど…。」
【雪冬】 「ちなみに、昨日の青森は氷点下10度だったようなので、みんな覚悟しておくこと。」
【マージン】 「氷点下じゅうどぉ~!?」
【雪冬】 「まんずしばれるすけ、厚着してけや。」
【ATOK】 「了解です。」
【雪冬】 「流石、ATOK。東北弁モードを搭載しているのはだでじゃないわね。」
【ATOK】 「もちろんです。」
【みいな】 「雪冬さん。急がないと電車の時刻に間に合いませんよ。」
【雪冬】 「インポータント。戸締まりはOK?」
【インポータント】 「ばっちりです。」
【雪冬】 「それでは、出発。」
【全員】 「おーっ!」

 北へ。

と言うことで

 帰省します。
 次の更新は、イベント報告を交えながら、25日の夜頃になる予定です。日記の更新? 一日たりとも休みませんよ。
 ふふふ…このまま1000日連続更新達成を目指します(後48日)。

追伸 (17:35)

 今月の9日の辺りで雪解け水の結成から4年が経ちました。
 そこで、12月25日のイベントで、合い言葉「雪冬姉たん(;´Д`)ハァハァ」と言って下さった方には、通常1冊100円の本を2冊で200円にて販売したいと思います。是非ともこの機会にお買い求め下さい。

 それでは、恋人達に、恋人がいても一緒に過ごせない人達に、友人と馬鹿騒ぎをする人達に、ディスプレイの中の女の子が恋人という人達に、聖なる夜が訪れますように。

2005年12月25日 (日曜日)

クリスマスを神格化する馬鹿達

クリスマスを神格化する馬鹿達

 タイトルは別に、クリスマスに一緒に過ごす人が居ない事への僻みとかそういう低レベルな由来ではないのでご了承ください。
 バレンタインデイを見てもそうですけど、日本人というのはどうにも、商業戦術には弱いようで、どっかのお菓子会社が始めたチョコレート配布キャンペーンに乗せられ、たった数日で年間のチョコレート販売額の数割をもっていくようですけど、それってとってもむなしい事。だいたいにして、バレンタインデーなんてとってもすばらしい人の命日なんですから、本来しめやかに行うもの。たしかに、世界的に見て恋人達の日である事には変わりないですけど、どうにもこうにも、日本だけがうまく商業戦術に乗ってしまった、という感じですね。
 クリスマスもまたしかり。こちらもいわば誕生日。神道系の人間だからこそ言いますけど、他人の誕生日を祝ってどうするものか。天皇誕生日なら納得はしますけど、その二日後、ですからね。

 日本人って、いつまで経ってもマスコミに洗脳される人種で、マスコミにだまされ続けた戦時中から実にうん十年という時が流れているのにもかかわらず、未だにクリスマスという謎の行事を信仰し、神格化し続けていますね。いえ、別に、日本人とくくるのはちょっとおかしいので、キリスト教徒以外、という事にしておきましょうか。宗教の話を持ち出すと面倒な事になるので、ちょっとは保険をかけておきましょう。
 さて、そんなクリスマスですが、多くの女性というのはこの神格化されたクリスマスに乗せられるもので、クリスマスに異性と一緒に過ごしたいという女性は実に9割を超えるとの事。それに比べて男性は六割。うん。実に冷静に世の中を男性はとらえているものだと感じます。
 この怪しい統計結果を鵜呑みにしたとして、世の中の男性の四割が、彼女が居た場合、神格化されたクリスマスに乗せられた女の機嫌をとるために、ほぼ確実に嫌々商業戦略に乗せられなければならないと思うだけで、私としては悲しく思います。本当に皆さん、お疲れ様です。

 クリスマスに町に繰り出す馬鹿な二人組をバカップルと定義するとして、実際のクリスマスに目を向けてみると、そんなバカップルが知らないところで人間はがんばっているというもの。クリスマスを冷静に過ごす人がいるからこそ、電車もレストランもタクシーもラブホテルも稼働するわけで、そんな営業側に回ってみれば、おまえらが不仲にならないようにがんばって居るんだとか、おまえらみたいなのが居なければ、天皇誕生日と一続きで連休なのに、という感情が渦巻いているというもの。バカップルはわざわざ人間の気持ちを逆なでするために生きて居るんですか、という感じ。そんな時に限って、ラブホテルに入って初体験をすませてシーツに血を付けてクリーニング屋さんの仕事を増やすような人がいるわけですから、年末の忙しさが目に浮かぶようです。
 ただでさえ忙しい年始に向けて仕事を片づけようとするためにがんばっているのにもかかわらず、バカップルにつきあってやらなければいけないがためだけに仕事を増やすわけですから、どうにもこうにも、クリスマスというのはバカップル以外にとってはただの仕事が増える日。言い換えれば、バカップルが世の中を横行する日でしょう。
 こういうときに限ってピザの配達が数時間遅れるわけですから、普通にピザが食べたい人にとっては迷惑な話ですし、遠距離恋愛中のカップルがビジネスホテルを押さえるわけですから、ホテルに泊まりたい職業人にとって迷惑な話ですし、実のところさっさと休んでしまいたいミッキーマウスの中の人とか、サンタクロースの中の人とかにとっても迷惑な話。なんで見ず知らずのバカップルのために自分たちが働かないといけないんだ、という気分にもなるというもの。
 こういう勤勉な人達が居るからこそ、自分たちが神格化されたクリスマスを楽しく過ごせるという事を理解しないといけないと思うんですよ。いっそのこと、今回は休日にぶつかったわけですから、JRとかも休んじゃえば楽しかったでしょうね。ホテルなんかも何時も通り、休日の宿泊料金をもらってぼろもうけすればいいわけですし。
 クリスマスのためだけにわざわざ殺されてフライにされた鶏たちが、一日すぎただけで80%OFFとかかわいそうでしょうがない

 日本全体でチームマイナス6%とかやっているときに、わざわざイルミネーションを飾り付けて消費電力をアップさせて、いつもより営業時間を長くして暖房を炊いて残り40年ももたない石油を大量に使う。バカップルのために地球が傷ついている。バカップルなんてさっさと死んでしまえと、地球だって祈っちゃいますよね、こりゃ。

 だいたいにして、イブから当日にかけてわざわざ人でごった返す町中を引きずりまわず女も男も異常者。相手の事を思ったらそんなことなんてまず出来ない。だって、人混みなんて疲れるだけですよね。
 あっちもこっちも手を繋いだカップルだらけで、それらをよけるだけでも一苦労。タイミングを見誤って別のカップルの繋いでいる手を切ってしまったものならそれこそ喧嘩に発展しそうです。そんな危険でデンジャラスでデンジャーで、家電の取扱説明書でエクスクラメーションマークとともに警告マークを付けられているようなクリスマスに、相手を連れ出して街の散策をさせる人なんてまさに異常者のする事。本当に優しい人って言うのは、相手の事を気遣えるはずですから、わざわざ気苦労させるような事なんてさせないはずですし、させてはいけないと思うのですよ。
 本当にすばらしいカップルって言うのは、クリスマスだからこそ家の中でゆっくりと過ごして、慌ただしいクリスマスが過ぎた後、二人で町中を楽しげに歩くカップルですよ。それに、この寒波襲来で寒いときに風吹き荒れる千葉ディズニーランドとかその辺のデートスポットとかに連れ出すなんて、おまえは雪中行軍でもしたいのかと小一時間。そんなに寒いところが良いなら、八甲田山に連れて行ってあげますよ。私ってなんて優しい人。

 それに比べ、人でごった返すクリスマスに、家の中に閉じこもりパソコンゲームに時間を割り割くオタクなんてまさに善行の固まり。少しでも街に繰り出す人口を減らすために家の中に閉じこもるわけですから、カップルにとっても商業を営む人にとっても、地球にとってもすばらしい人種なのですよ。
 オタク万歳、って感じで。

そんな私は一オタクとして街に繰り出すことなく、イベント会場に閉じこもっていました

 クリスマスだからこそ家に閉じこもったり、イベント会場に閉じこもったりする心優しきオタク。私ももちろん例外なくイベント会場に閉じこもり、他のカップル達が街をゆっくり歩けるよう縁の下の力持ちになってやりました。バカップル全員で私に感謝しやがれ。感謝するついでにうちの同人誌も買え。

 さて、今回のイベントですが、本当に疲れました。レポートや感想などはそれ相応の記事に譲るとして、今回のイベントは本当にハードスケジュール。
 月の頭から続いた課題による修羅場を乗り越え、休憩をはさむまもなくイベントと原稿の準備。さらに新幹線による長距離移動ののち、三時間睡眠をはさんだだけでイベント会場へ。
 イベントの打ち上げが終わったときに「お疲れ様」と言い合ったのですが、これほどまでにこの言葉がぴったりだと思ったのは今回が初めてですね。とりあえず、今日(26日26時)は疲れたので、この辺で。

2005年12月26日 (月曜日)

メーカー戦略

癒しの風

 トンネルを抜けるとそこは暴風雪波浪着雪注意報だった。そんな感じの鈴響雪冬です。大人になりすぎて魅力が半減した(コラ)ハーマイオニーが登場するハリーポッターの4作目を見てきました。
 さて、帰省が完了してようやくパソコンをさわったわけですが、ディスプレイのサイズに驚きました。そうだ、これが標準だ、と思わず認識させられます。
 一応、学校のパソコンも色管理がなってないだめだめ液晶14.1インチなのですが、このパソコンも同じような雰囲気です。明日あたり、アドビガンマで修正したいと思います。

 この間もちょっと電話がかかってきて質問に答えたのですが、液晶ディスプレイって、未だに技術途上。CRTと比べたとき、CRTに勝てるのは薄さと消費電力だけで、他の面では全てCRTに負けています。なのに液晶が売れる理由が変わりませんね。色をまともに表示できないから、表示されている色に合わせるためにプリンタメーカーが努力して、へたれディスプレイの色と同じように印刷されるようにしていますけど、結果的にそれって画質の劣化。
 プリンターがもつ色は一般的ディスプレイで使われている色空間のsRGBを凌駕しているわけですから、sRGBに出力結果を合わせるという事は、プリンタ本来の色が出ていないという事ですよね。それどころか、液晶ディスプレイはsRGB対応、というレベルにもっていくだけでもかなりの高級品なのに…。疑似1667万色とか、本当に勘弁。

 まあたしかに、CADとかワードプロセッサとかそういった用途にしかパソコンを使わない人はそれでいいでしょうけど、写真を扱う人なんて大変ですよね。
 基本的にプリンタはディスプレイの事実上の標準規格sRGBに比べて、緑色の出力に非常に特化しています。つまり、ディスプレイでは緑しか表示できなくても、プリンターは深緑まで出せるものだと思ってください。でも、プリンタメーカーはディスプレイの色と同じように出力しようとしますし、そうしないと色が違うと切れるユザーが多いので、そうせざるを得ないのですが、それが結果的に、プリンタに深緑を使わせることなく、緑を使わせてしまうわけですね。今のご時世、ハイエンドデジカメといわれるデジカメはsRGBなんて言う規格を使わず、AdobeRGBという規格を用いています。

 現時点で、液晶はCRTに追いつくためにまだ走っている段階、いわば、ベータテスタの段階。特にドット欠けは大問題。一部のメーカーはドット欠けだと指摘されてユザーから戻ってきた商品をそのまま売りに出しているという、数年前の雪印状態。そんな状態で、液晶に手を出すのもどうかと思います。
 「このゲームは色が取ってもきれいなんですよ」と、ヤマダ電機でオンラインゲームを勧めている人には、「それじゃあ、TOTOKUのモニター(市場価格二桁万円)で試させてください」と言いたい気分。色がきれいなら、液晶で表現できませんからね。
 いわゆる光沢液晶も、光らせればきれいに見えるという人間の心理を巧みに利用した商業戦術ですし、あの液晶を2時間以上まともに見られる人間というものを見てみたいものです。

 とまあ、液晶についての愚痴を書きましたけど、とりあえず言いたい事をまとめると、ディスプレイメーカーには、「いくら狭い倉庫で沢山の商品を保存できるからって、液晶ばっかりつくってCRTを全く作らなくなるのはどうかと思うのですよ」といっておきたいと思います。たぶん、メーカーがCRTを作りたがらないのは、需要がないとかそんな事ではなくて(実際にグラフィックやゲーマーなんかの需要はかなり残っていますからね)、同じ容積の倉庫なら液晶のほうが沢山商品を置いておけるから、でしょうね。
 あと、個人的ですが、プログラマーやCAD、グラフィック、ゲームを扱う人には、CRTをおすすめしておきます。CRTは細い線がぼけると言いますけど、それは逆で、液晶がばっさりと閾値以下をカットしているからなんです。デジタルとアナログを思い出せばいいんです。がんばってアナログに追いつこうとするデジタルという構図は、がんばってCRTに追いつこうとする液晶ににていますよね。

クリスマスから一日開けて

 昨日の日記を読んでみて、ずいぶんと突拍子のない痛い事を書いているなあ、と。でも、あながち間違ってもいますまい。オタクとしてはクリスマスは愚痴るのが仕事ですからね(苦笑)。
 ゴールデンウィークに人混みに駆け込む人間や、真夏に江ノ島に遊びに行くなみの愚考だと思うんですよ、クリスマスに人混みに繰り出すというのは。特にインフルエンザなんかも蔓延していますし、そんなところに恋人を連れ出して、風邪でも引かせたらどうするんですかと、小一時間。肺炎で入院したらどうするんですか、と、小一日。次の日からまた仕事になるんですから、看病だってできやしない。風邪を引いたら後は自分で直してね、って、連れ出しておきながら言える台詞じゃないわけで。気分はまさに、「出来ちゃったんだからちゃんと責任とってよね」状態。(芸能人の出来ちゃった結婚が多いのは、子供が出来てしまえば事務所などから「別れろ」という圧力がかからなくなるから、結婚できる確率が極端に高まるから、という噂。)
 とりあえず、そんなバカップルは、二人で風邪を交互に移しあって愛し合いなさい、という事で。

2005年12月27日 (火曜日)

タイトル未決定

学生はいいよな

 冬休みがあって学生はいいよなと思う社会人も多いかと思いますが、一部にはそれは当てはまらないと言うのが、学生側の立場。休みなら純粋に休ませてくれればかなりいいですけど、なまじ課題なんて出るものですから、休みなのに勉強、という訳のわからない構図が成り立つわけです。このあたりは、せっかくの休みなのに遊園地に連れて行ってとせがまれるお父さんのような気分です。
 案の定、ばっちり課題も出たわけですが、設計課題が二つとか、本当に勘弁ですね。片方は普通の設計ですけど、もう片方は街の設計とか、規模が大きすぎます。

 ただ、学生の利点というのは、勉強を職業と出来る事。おおよそ、就職してしまえば自分の職業に関する事しか勉強できなくなってしまいますけど、学生という身分ならば、そのような制限もありません。だからこそ、今のうちに色々な事を学ぶわけですね。学生時代にのうのうと過ごしていると、大人になってから、勉強したいと思っても、なかなか難しいものですよ、学生諸君。

普通の日記?

【Thunderbird子】 「これで全部、ですか?」
【雪冬】 「ごめんねー、手伝わせちゃって。」
【Thunderbird子】 「いえいえ。酉年ももうすぐ終わりですから、この辺で出番を作っておかないと。」
【雪冬】 「執念、だね。」
【Thunderbird子】 「もちろんです。…? ところで、雪冬さん。これはなんですか?」
【雪冬】 「琢磨と………わわわわ、駄目駄目駄目駄目駄目ーっ。」
【Thunderbird子】 「?」
【雪冬】 「だから書庫の整理はやりたくないのよね…。」
【Thunderbird子】 「なるほど。ではこれが噂の、雪冬さんが封印したと呼ばれる自作のマンガですね。」
【雪冬】 「犯罪者の心理がよくわかるわ。現場に戻ってこなきゃいいのに戻ってくる犯罪者の心理が…。」
【Thunderbird子】 「捨てたくても捨てられない、ということですね。」
【雪冬】 「そうそう。さて、休憩終わり。続きを始めましょ。」
【Thunderbird子】 「はい。」


【Thunderbird子】 「あの、雪冬さん。これはなんですか。」
【雪冬】 「どれどれ?」
【Thunderbird子】 「えっと…ザ・アース・キーp―――。」
【雪冬】 「それも駄目っー。」
【Thunderbird子】 「なるほど。ではこれが、雪冬さんの処女小説、というわけですね。なるほどなるほど。全部会話文だけ―――。」
【雪冬】 「酉年、今年はちょっと早く終わっちゃうかもね。」
【Thunderbird子】 「それだけは許してください。」
【雪冬】 「わかればよろしい。」

 ということで、部屋の掃除、もとい、部屋の本を整理していました。ついに本棚に収まり切らなくなったので、棚を前後に活用しています。これで、家にある本を実家に持ち込んだとしたら、実家の床が抜けますね、確実に。
 それにしても、封印したと思っていた両作品にいとも簡単に出会ってしまいました。再封印しておきましょう。
 わかったこと。掃除を初めてマンガ本を読み始めるのは、過去の汚点を発見するよりもましという事ですね。

2005年12月28日 (水曜日)

タイトル未決定

後遺症

 イベントが終わって早数日、未だに疲れが抜けきらないのかどうかは知りませんが、キーボードに対して拒否反応が出ています。それに加え、眠気も未だに解消せず。確かに、課題の後にすぐイベントの用意というハードスケジュールが重なったのもありますけど、それにしても疲れがたまっているな、と。
 もしかしたらこれは、肉体的疲労に加え、精神的疲労もあるのかな、と感じています。
 一応今日は、仕事納めの日。同人作家とその取り巻き全員集合で飲み会ですが、身体がどこまでついていけるか気になるところです。

2005年12月29日 (木曜日)

大掃除

続・書籍整理

 大掃除という題目で本の整理をしていたのですが、本格的に本棚に本が入り切らなくなりました。家の方にはまだ数百冊の本(同人誌含む)があるのですが…次に本を入れるためには、家をリフォームしなくては、という大規模な話になっています。果たしてどうなる事か。

【Thunderbird子】 「これで、よし、と。」
【雪冬】 「お疲れ様ー。」
【Thunderbird子】 「いえいえ。書籍の一覧も作っておきましたし、これはみいなさんに渡しておけばいいですね。」
【雪冬】 「そうね。データベース管理はみいなの仕事だからね。」
【Thunderbird子】 「それにしても沢山の本がありますね。」
【雪冬】 「なんだかんだいって、実家にあるのはほとんどマンガだけどね。小説はみんな家に持っていってるし。」
【Thunderbird子】 「これだけ本を読んで、パソコンをやって、それでいて、視力1.5を維持できる秘訣はなんですか?」
【雪冬】 「遼風彩音視力矯正法。」
【Thunderbird子】 「つまり、星を見る、ということですね。」
【雪冬】 「そうそう。」

ぱぱぱぱパンツ

 この間オンラインで自分のサイトを見て気がついたのですが、この日記の一番下に、現在再生している曲か、最後に再生した曲を表示しているわけですが、よりにもよって、あの曲なんですね、あの曲。しかも、こっちにいる間は更新されないので、後一週間は恥辱プレイな気分です。

サイトも整理

 まもなく1300ファイルになる(現在1292ファイル)このサイト。永続的サイト運営や、ファイル整理のために、ようやく過去の汚点を削除していこうという気分になりました。つまり、各ディレクトリに、index.htmファイルを置く、という事です。
 サーバー的にも閲覧者的にも心労が減るはずなので、利便性が向上するだけで、特に問題はないはずです。ディレクトリが増える事はあり得ますけど。
 これを機に、コラムのコーナーも、ちょっとだけリニューアルしようとおもいます。たぶん、「雑文」か「倉庫」という名前に置き換えて、今まで通りの記事の他に、日記で配布したファイルのリンクもまとめて設置してしまおうかな、と思っています。まさに、倉庫、ですね。広告カットCSSのあたりは需要があると思うので、この際にまとめてしまうと利便性が向上するかな、と思います。

2005年12月30日 (金曜日)

自称日記サイトを謳うサイトよりも質より量の日記を書き続ける秘密を、鈴響雪冬がついに解き明かす!

 どうあがいても変えられない自分自身の性格を変えろと言うならば、私の人生を否定する事であり、そのような人が居る環境には耐えられませんので、さっさとその場を去りたいと思います

本来、ホームページビルダーを使わない限り、面倒でしょうがない長文日記ですが、本能の赴くまま、自我の赴くまま書きつづるのがこの日記の核ですから、書いてみたいと思います。丁度年末ですし、新しい年を迎えるに当たっては丁度いい内容ですからね。
 今年の6月13日あたりに書いた日記と似ているかも。

 全ての事象において長期に渡って変わらないものが存在し、それがそのものを形成する「核」と呼ぶとしましょう。地球上に生命が存在する事は、宇宙船地球号としての核でしょうし、人間が二足歩行をする事は人間の核といえます。このようにして核というものは全ての物事について回るでしょう。これは本質と言い換えられるはずです。本質は、すなわち物事が持っている性質のうち偽る事が出来ない部分、でしょう。
 これに対して、本質以外の部分、すなわち、偽質とでもいうでしょうか。そのようなものも存在します。地球上に人間がはびこる事も長い目で見れば偽質でしょうし、人間が作り出す流行のファッションも偽質となるでしょう。
 これらの、本質、偽質、はそれぞれ、普遍性、と流行性という言葉に言い換える事が出来ます。地球上に生命が存在する事は普遍であると言え、地球上に人間が存在する事は流行であると言えます。正直、人間が後数万年以上生き延びられるとは思えませんしね。

 前の文章をまとめると、世の中には全ての事象について、普遍と流行があると言えます。前回の日記で、私は以下のような事を書きました。

 地球規模の話をすると、大地の変動は私達の観念から言えば普遍的な物で、その表層部で動く私達は流行のような物かもしれません。ならば、人間というミクロな存在に視点を移し替えた時、私の核を成す部分は普遍的で、一時的な気の迷いとか好みの変化は流行という事になるのでしょう。
 年齢が上がるということは、普遍性が持続することであり、年齢を重ねれば重ねるほど普遍的な部分が流行へと移行し、残った普遍的な部分は濃度が濃くなります。その普遍といえる私の本質は何時までも変わらず、こうして日記を書いたり、建築を勉強したり、音楽を作ったり、小説を書いたり、ということはもしかしたら流行の一部なのかもしれません。そして、この中のいくつかが最後まで残った時、それは私の中の普遍として定義づけられ、私という人物を作る元となるのでしょう。

 すなわち、私を形作るものには普遍性を持つものと流行性を持つものがあり、流行の部分は変わる事が出来ても、普遍の部分は変わる事が出来ない、ということでしょう。
 私の性別は普遍でしょうし、私の体格は流行でしょう。
 では、性格はどうでしょうか。人間の性格面の普遍の部分は、思うに、第二次性徴の時にほとんど形が決まってしまうと思います。つまり、二次成長を終えた人にとって、自分の性格というのは基本的に普遍の部分であると言えます。これはすなわち、その人を作る核であるということです。
 物事の本質を変える事が自然界の法則に反する事は周知の通りですが、人は成長すれば成長するほど、変わるのが難しくなります。これはその人を形成する性格の濃度が濃くなり、変えられない部分が増えていくからです。姑があほみたいに頑固だったり、俗世界をリタイアした高齢者が妙に頑固だったりするのは、その人を形成する性格が確固たるものとして成立し、変える事が出来ないものになってしまったから、すなわち、その人を形成する核となったからでしょう。

 このような核はもちろん子供の時から持っていると考えられます。数年間会っていなかった人に対して、昔と同じような性格を垣間見てしまうと「この人は変わっていない」という安心感を得るのは、これによるものでしょう。たとえ性格の変動が激しい若い時期でも、必ずその性格の中には核といえる部分があり、その部分を数年後に見かけたとき、この人は変わっていないと思えてしまうのです。
 思うに、私は、このような変わらない部分、すなわち、自分自身の性格で何一つ変わらない部分というものを、沢山持っているようで、いつまで経っても友人に「何も変わらないよね」と言われてしまいます。
 一クラスに数人はいる妙に大人っぽい人は、その考え方も含め、性格の変動が少ない事からも大人っぽいと呼ばれているのでしょうが、私もどちらかというとそちらに分類されているようです。
 このような事象は家庭環境に依存すると思われます。私には幸い思い当たる事が多々あります。私が放任主義なのは親が私をかまってあげられなくなったため放任したという考えを完全に受け継いだからでしょうし、私の精神年齢が実年齢の倍以上をたたき出し続けるのも、そうせざるを得ない環境が私の周りを取り囲んでいたからでしょう。

 閑話休題。
 どれだけあがいても変わらない部分をそれぞれの事象が持っています。韓国が何時まで経っても嫌日政策を続けるのも、北朝鮮が何時まで経っても傲慢なのも、大統領や主席が替わるまでは、どうあがいても変えられない部分でしょう。これと同じように、嫌な上司はその上司が死なない限り状況が改善されないのと同じように、人間、どうあがいても変えられない部分を必ず持っています。それが、その人を形成する核と呼ばれる部分です。
 核はすなわち本質であり、その本質を変える事は、その生命体そのものの性質を変える事と等価であり、それすなわち、その人の価値を変える事であり、大胆な事を言えば、その人の性格に対して、または、その人自身に向かって、「死ね」といっているのと同じか、「生まれ変わって人生やり直してこい」といっているのと同じです。
 核というものはどれだけ努力しても変わらない部分を核というのであって、性格をころころ変えるような人は自我を持っていない人ともいえます。人間が人間らしくあるためには、核を維持し続ける必要があり、核を守り続ける必要があります。

 やんちゃ坊主が先生に「おまえはもっと大人しくなれ」と言われても、限界があるように、ドライな人間が何時まで経ってもドライであるように、うざったい香具師がうざったい香具師で有り続けるように、暴力的な親が何時まで経っても暴力的であるように、どれだけ努力しても変化しない部分、すなわち、核を人間は持っています。
 だからこそ、核を持っていないように見える自分の意見をころころ変える人や、何でも周りに合わせるイエスマンが嫌われるのです。きっとこれは、核をその人が持っていないため、その人に対する印象を固定する事が出来ないと言う気持ち悪さを持っているからでしょう

 今の私が持っている核はたくさんあるでしょうが、他人にどうこう言われる筋合いのないものとしては、同人、建築、性格などを真っ先に取り上げる事が出来るでしょう。
 私にとって同人とは生き甲斐の一つであり、今後とも人生をともにする相棒です。
 私にとって建築とは、人生の一部であり、今後はこの知識を使って自分の夢を叶えていくための道具です。
 私にとって性格とは私自身であり、今までの生活の集大成です。

 私の精神年齢は未だに40歳を軽く超えますが、これは、同じ年代の人から見れば、私の性格は非常に安定しているといえます。
 たしかに、見方を変えればどれだけ言っても自分の思う通りの性格に矯正されないのですから、頑固であると言えます。しかしそれは、私が私という核を持っているからであり、 本来、悪い事ではありません。安定は安心と直結し、安定しているからこそ何を考えているかが手に取るようにわかるという事は、何を考えているかわからない気持ち悪い人よりもはるかに安心感を人に与えます。これは、自我を確立させた人のみに与えられる特権です。
 思うに「大人」と「大人しい」が同じ「大人」という漢字を使うのは、性格が安定している事による性格の変動のおとなしさが大人を定義する基準という事を暗示しているのかもしれません。つまり、性格において核を多く持つ人はそれだけ性格が安定しているといえますし、安定しているという事はそれだけ多くの人生経験を積んでいるという事であり、それすなわち、大人であるといえるのでしょう。
 たまに頑固な子供が居ますけど、その子供が単純にわがままなのか本当に頑固(すなわち大人)であるといえるかどうかは、その子供が成長するまでわかりません。成長する事によってその頑固がなくなったのならそれは流行であったといえ、わがままだったといえますが、何時まで経っても頑固ならば、その子供はきっと自分の核を持っていたと言え、周りに比べて大人だったといえるのでしょう。

 全ての核に共通する事ですが、核とは、その人の今までの人生です。ならば、核の部分に対して変革を望む事は、その人の人生を否定する事であり、変革を望む事自体が、その人の人生全体に対する侮辱、言い換えれば、暴力であるといえるでしょう。

 つまり、「日記が長いのよ、馬鹿」とか「もっと改行を増やして読みやすくしてくれよ」と言われても、私の核によって生み出された方針であるので、変えるつもりはありませんよ、という事。か弱い私に暴力なんてふるわないでね。
 そして、直前の文章に自己嫌悪。
 萩原朔太郎人生万歳(ぉ 。

 面と向かって言われた事はないのですが、同人の世界には似たようなありまして、いわゆるコメント厨。人の作品を購入することなく、ただスペースの前にきて「ここをこうした方がいいよ」と言う人が存在します。
 もちろん、基本的文法についての話なら作家として指摘して頂くに超した事はないですが、作風などについてそのような指摘ははっきり言って無駄ですよね。これは多くの人が共感する事だと思います。貴方が制作する作品について文句を言う権利がある人なんて基本的にどこにも存在しなくて、嫌なら読まなければいい、という言葉で全てをまとめる事が出来ます。

 特に創作文芸というジャンルにおいては、ファンというのは、キャラクターではなく作家本人につくものですから、創作文芸にいる私たちに言わせてみれば、作風に対して文句を言われるというのは筋違いというもの。
 多くの人はそのことを理解しているようで、今まで私自身の作風に文句がきた事は一度もありませんし、そのことを当然の事として認識しています。ですが、このような人が未だにいるのも事実。嫌われ者だという事を理解していないようです。
 作風はいわば作者の核の現われであり、何人たりとも否定する事が出来ないわけです。
 やっぱり、萩原朔太郎人生万歳。

拒否反応

 毎年毎年年賀状は筆王の宛名印刷を使って宛名の印刷を行い、文面はフォトショップを使って編集・印刷を行っているのですが、修羅場開け独特のパソコンへの拒否感の影響で、なかなか作業に取りかかる事が出来ず、本日ようやく、印刷出力する部分が完了しました。ここのところの日記が短いのもその影響。
 そのくせ、次の小説はどうしようかな、と悩んでいるあたりは、完全に小説を書くという事が生活のリズムの中にあるという証ですね。日記もまたしかり。
 一応補足しますが、私にとってサイトの日記というのは、「暇だからテレビを見る」や「暇だからBlogを更新する」という、日常生活の暇を補填するための行動ではなく、生活行動の一部となっている文化のようなものですから、暇がないから日記を書く、という事はまずありません。だからこそ、950日超も続くわけですね。
 というよりも「暇って何。それって美味しいの?」という感じです。私に暇を作ってほしければ、私のやるべき事を全て代わりにやってください。学校も同人も炊事洗濯もね。

 とまあ、いつものように話が適度に脱線したところで閑話休題。
 年賀状は31日にポストに入れる予定ですので、遠方の方は元日に間に合わず、3日以降の配達となりそうです。といっても、不景気で年賀の枚数も減らしていますので(ぇ)、全部合わせても11枚ですから、被害はさほど大きくありませんが。
 ギャグとして受け取ってくれないと嫌なので、ボケに補足しておきますが、毎年続ける必要がないと判断した人間関係は率先的に排除しているので、自然と枚数が減っているだけなのです。ああ、親子そろって人間嫌い。

復活

 デザイン上の理由から姿を消していたトップページのメールフォームを復活させました。本当はシンプルな方が好きなのでこのまま消してしまおうかと思ったのですが、結構需要があるようなので復活させておきました。
 別に今まで、メールがほしくないから消していたというわけではなく、AtoZやイベント関連の告知が多かったので、邪魔かなと思って削除していただけですから、今後とも、皆様からの一つぶっ飛んだコメントなどお待ちしております。なお、お年玉が余ったから寄付してあげるといった先行投資も首を長くしてお待ちしております。

暇だから書くのではない

 未だに「こんなに日記を書いているなんて暇なんだね」と思っている人もいるようですけど、それは大きな誤解。上に書いた通り、この日記は、「暇だから日記を書く」といった行動によって更新されているのではなく、「生活の一部として日記を書く」という行動によって支えられています。つまりは、「朝起きて顔を洗う」と同じレベルとして「サイトの日記を更新する」という行動が取り扱われている、という事です。だからこそ、たとえ修羅場でも、日記を更新しているわけですね。そうでなければ、950日超連続更新なんて出来ません。
 これほどまでに日記を連続的に更新できるのは、「日記を書く事が生活の一部になっている」か「よっぽど暇な人」のどちらかでしょうね。この場合、私は前者。暇だから書くのではなく、生活の一部として書いているわけです。
 転じて、この日記を毎日読んでいる方は、「この日記を読む事が生活の一部になっている」か「よっぽど暇な人」のどちらかでしょうね。
   今年ももうすぐ終わり。来年もこの調子で書き続けますよ、と。少なくとも、1000日は突破するでしょう。

同人活動容認派

 刑事ドラマを見ながらの親子の会話。

【親】 「犯人はメイドさんみたい。」
【雪冬】 「メイドさん!?(画面を確認する)」
【雪冬】 「メイド服を着ている人にもメイドさんが居たの?」
【親】 「うん。居たみたい。」
【雪冬】 「よかった。メイド服を着ている方じゃなくて。」

 無感情にやりとりされる会話。この後にも、「家政婦よりメイドさんだよね」とか、「メイド服っていいね」とか、「去年だか一昨年の年賀状に使った、巫女装束の着方とかは大好評だったよ」とか、そんな会話が平気で成り立つ家族。
 他にも、結城あきら氏の本を手にとって、「こんな風にホッチキスを閉じれるんだね」と言われ、それに対して、「中閉じ用ホッチキスがちゃんとあるからね」とか、そんな会話が成り立つ家族。

2005年12月31日 (土曜日)

タイトル未決定

元旦と間実の違いは?

 それは日の出と日中の違いだ、という回答である問題を、芸能人雑学王戦主権で出題するようですが、結局それって、ただの、馬鹿決定戦。ちなみに、冠婚葬祭の冠は記念日などです。つまり、成人式とか七五三とか、そういうやつ。
 さて、もうすぐ祭りに入るであろう1月1日が迫ってくるわけでですが、今年一年を振り返ってみて、目標を達成できたかどうかを見てみましょう。
 今年の元日に決めた目標をまずは日記から引用します。

  1. サイト関連
    1. コンテンツの統廃合
    2. 『窓辺に座る小さな妖精』連載終了
  2. 同人関連
    1. 二年ぶり(『透明という色』に続く)になる新作の短編小説を書く
    2. 『ReSin-ens』の全巻発行
    3. 希望風との連携を強く
  3. 本職関連
    1. メリハリをつけた生活を行なう(サイト管理と本職を両立させる)
    2. 卒業後の方針を決める
    3. 自分だけにできることを見つけ出す
    4. 柔らかな発想を取り入れる

 今年の目標はごらんの通り、三本の柱で八本立てでしたが、それぞれ自己評価をしてみたいと思います。

  1. サイト関連
    1. コンテンツの統廃合

       これについてはまずまずの合格点だと思います。実際に左側のメニューもだいぶ減らす事に成功し、すっきりしました。まだちょっと多いような気がしますが、これで充分でしょう。

    2. 『窓辺に座る小さな妖精』連載終了

       はい。案の定、終わりませんでした。他の作品の喊声が多かったという事で許してください。来年の前期も、ReSin-ensで、更新が止まるという事を予告しておきます。

  2. 同人関連
    1. 二年ぶり(『透明という色』に続く)になる新作の短編小説を書く

       これは、無事達成しました。再録ではありますがAtoZを発行しましたし、巫女本も出版しましたしね。

    2. 『ReSin-ens』の全巻発行

       そもそも無謀でしたね、この目標。来年の夏か秋の完成を目指して執筆作業を続けています。なお、今までに書いた文を白紙に戻して書き直す事も決定しています(またか)。

    3. 希望風との連携を強く

       これの達成評価は微妙ですけど、希望風としてイベントにも出ましたし、事実上初めての合同誌(巫女本)も発行できましたし、まずまずだったと言えるでしょう。

  3. 本職関連
    1. メリハリをつけた生活を行なう(サイト管理と本職を両立させる)

       これについては合格と言えるでしょう。サイトの管理もしながら、一度たりとも締め切りを破らなかった事については、自分自身をほめたいと思います。来年はCADの勉強や、数学関連の知識を補っていきたいですね。というか、数学は後二教科合格しないと、落第するぞー。

    2. 卒業後の方針を決める

       これについてはまずまず合格でしょうか。とりあえず、進路の方向性は決定しました。あとは、さらに高いところを目指すチャンスを得られるか、ですね。駄目だったら、ごくごく普通に都市計画部門がある設計事務所に就職するでしょう。

    3. 自分だけにできることを見つけ出す

       これもほとんど見つけたような感じ。どちらかというと、将来の夢を明確にした、という感じですが、今回の設計課題で気がつきました。やっぱり、都市環境を考えるのが大好きなようです、私は。

    4. 柔らかな発想を取り入れる

       えー、転じてこれは大失敗、かな。人生的な面では進路相談やNEETを復活させる方法などを授けざるを得ない機会にさらされたので、そちらの方はいいのですが、本職という面では、去年と同じ欠点を指摘されているので、アウト、ですね。

 と、いうかんじで、五分五分のような成果ですが、この結果を来年の目標にも反映していきたいと思います。
 目標を掲げるだけ掲げて、自己評価をしないどこかの議員が多い世の中ですから、こうして公開するだけで偉いぞ、私。あとは、達成率を高くしていかないとね、私。

 そういえば、本日、詩唄いさんと会話をしていたときにできあがったネタ。
 「日本国内でもっとも治安の悪い場所は国会議事堂である。」
 鈴木宗男さんの現在を描くドキュメンタリーを観覧しながら。

あわてん坊の(以下自主規制)

 そういえば、今回の帰省に際してちょっとした問題が。準備万端と思っていたソフト面での荷物ですが、ブックマークファイルを持ってくるのを忘れ、Blogを中心に、このサイトからリンクをしていないサイト(いわゆる巡回サイト)の巡回が出来なくなってしまいました。家に戻ったとき、これらの日記をまとめ読みするとなると、骨が折れそうです。

お正月、「視聴者を楽しませる」という本来の仕事を完全に忘れ去って、つまらない番組を量産し続ける芸能人を馬鹿にしながら笑い、お正月を楽しむ方法

 この時期、テレビ局が放送する番組といえば、芸能人がひたすら楽しむだけの番組が大多数を占め、私たちからすれば本当につまらない番組だけになります。プロの定義に従えば、最低限、他己満足を実現させなければいけないのですが、それすらもままならないへたれ芸能人達。
 そこで、高度な知識を得る事によって、馬鹿にし、家族とそれを共有し、一家みんなでそんなへたれ芸能人の馬鹿さ加減を笑いながら楽しくお正月を過ごそう、という特集。
 これで今年は、楽しくお正月が過ごせるはずです。
 あらかじめご了承願いたいのですが、このような記事を一つ書くだけで莫大な糖分を消費しますので、馬鹿にする方法を一つだけ紹介して終わりたいと思います。なお、今回の馬鹿にする方法で、ライブドアの社長や、そこいらのなんちゃってセレブも馬鹿にする事が可能となっていますので、是非ともお試しください。

美食家を気取るなんちゃって芸能人を馬鹿にする

 この季節の番組といえば、旅行記やゲームなどが多くなりますが、大体の場合、各地から名産品を集めて、芸能人同士がそれをかけて争う、とか、ひたすら美味しいものを食べて、「これいいねえ」とか舌鼓を打つ番組が多いでしょう。
 今回は、そのような芸能人を馬鹿にしながらお正月を過ごす方法を紹介したいと思います。皆さん、メモのご用意を。

「美味しい」と「味わいがある」の違いを知って馬鹿にする

 味を評価する言葉として「美味しい」と「味わいがある」という言葉がありますが、この境目はどこにあるのでしょうか。

 美味しい、という基準。
 味は味蕾への化学的反応であると完全に説明できます。その信号を受け取って脳が美味しいとか美味しくないとかを判断します。味は一方では完全な科学的手法によっておいしさを知る事が出来ます。つまり、「美味しい」という単語を導き出すための条件さえそろえば、何でも「美味しい」わけですね。
 たとえば、美味しい水。いわゆる美味しい水は、コンビニで100円でも出せば誰でも手軽に購入する事が出来ます。pH、硬度、ミネラルバランス、外気温との関係、体温との差違、それらがそろった水は基本的に何でも美味しく、それらを整えた水を私たちは手軽に購入する事が出来ます。

 味わいのある、という基準。
 味わいのある、という言葉は実に奥深く、単なる化学的性質によるおいしさでは説明できない判断基準が絡んできます。つまり、それが美味しいとの違いです。
 全国各地に散らばる名水。名水100選などは、日本全国の湧き出る水から100を選んだわけですから、その味は問答無用で美味しいでしょうが、それに加え、味わいのあるという評価をする事が出来ます。それは何故でしょうか。
 それは、味わいのあるという評価には、その味を手に入れるための過程や、その場の風景が密接に関わってくるからです。

 たとえば、とある名水があるとしたら、おおかたその名水は山中に存在します。その名水を手に入れるためには、食すためにはその場に赴かなくてはなりません。その場に赴くためには旅行計画や金銭などが必要になります。そして、実際に現地に赴き、その場の風景を楽しみながら、その水を飲んだとき、その水は味わいのある水であると評価されます。
 「味わいがある」とは、純粋なおいしさだけではなく、そのおいしさを手に入れるまでの苦労や、その場から見える風景を総合評価し、一定の基準を超えたとき初めて味わいがあると評価できるのです。

 つまり、「美味しいは」化学的性質で言うおいしさ、「味わいのある」とは、化学的性質のおいしさに、その場の雰囲気やその場にたどり着くための苦労などが加わり、初めて到達できる、より高度な味に冠する表現であるのです。
 という事は、芸能人が伊勢エビを頬張りながら「美味しいね」なんて言い合っている姿は、私たちがみそ汁を飲んで「美味しい」と言っているのと全く同じレベルであり、別段テレビに映す必要すらありません。
 それどころか、どこかのヘタレセレブ達の間ではお取り寄せブームらしいですが、所詮それもコンビニに行って100円で美味しい水を買ってくるのと同じ次元ですから、結局味の評価も「美味しい」止まり。私たちが美味しいと料理に評価を下した瞬間、私たちは、セレブと同じ土台に立って戦う事が出来るわけです。だって、「美味しい」というのは、化学反応でしかないわけですから。
 さらに言えば、たとえ味覚障害の人でも、味覚以外の感覚器官を使って料理を評価する事が出来たのなら、それは「味わいのある」という上級の表現をする事になり、伊勢エビを食べる芸能人よりもはるかに高度で芸術的な領域に達している事になりますね。

人間の本質を知って馬鹿にする

 私たち人間の学名は“Homosapiens (ホモサピエンス)”ですが、この"Sapiens"は、「知識がある」、「美食家」という意味です。つまり、人間は美食家なんですね。さらに、"Sapiens"の語源であるラテン語の"Sapio"は、「味がわかる」という意味ですから、人間はやはり味がわかる生物であるといえます。
 これは動物番組などを見ればわかると思いますが、一般的に普通の動物は食料を手に入れたときその味にかかわらず、おなかを満たすために頬張ります。ですが人間は一定レベルの生活水準を超えたときから、より美味しいもの、より味わいのあるものを手に入れようと努力します。
 この努力こそが人間に与えられた「美味」を得るための過程であり、過去にいかなる苦労があろうとも、番組に出るだけで美味しいものを食べられなおかつギャラまでもらう芸能人は、働いて金銭を手に入れてそのお金で食べ物を得ている私たちよりも苦労の度合いが少ないと言え、同じ評価を出すために我々の方がより人間らしい、人間の本質に近いところにいるといえます。それすなわち、私たちの方がより上位の環境でご飯を食べているという事になるのです。

グルメブームという低レベルなブームを馬鹿にする

 今日、どこの馬の骨とも知らない自称美食家が、ここの店が美味しいとか雑誌に書きつづり、それに乗せられた芸能人がその店の料理長を番組に招いた中でご飯を食べる、そんなグルメブームを馬鹿にしながら、私たちは家でご飯でも食べましょう。

 私たちの食文化は実はかなり複雑に出来ています。美味しいという評価がもっとも低次元の評価である事は前述した通りですが、では、高度な食文化を私たちはどのように体験すればいいのでしょうか。

 日本は恵まれた環境で四季が存在します。それ故、多くの植物が自生し、四季折々の風景を私たちに提供してくれます。ここでは食文化と風景の関係をひもときながら、スタジオで伊勢エビを食べる芸能人を馬鹿にしながら、お正月を過ごす方法を紹介したいと思います。

 私たちの周りには自然があふれ、その自然は「雪月(風)花」や「花鳥風月」といった言葉に表れるほど高度な文化となり、生活に根付いています。
 たとえば、雪・月・花という言葉がありますが、これは自然を象徴する言葉です。これを高度化させ、文化というレベルに発展させた事を示す言葉が、雪見・月見・花見となります。皆さんも行事とはいいながら文化に接している事になります。さて、ここからさらに高度化させると文化は食文化へと発展し、それを示した言葉として、雪見酒・月見酒・花見酒があります。つまり、自然は文化へ発展し、文化は食文化へと発展しました
 この食文化をさらに発展させると、やがて様式が生まれてきます。何月何日にどのような服装をして花見をする、といった様式や、ある一定の行事のために花見酒をたしなむという様式に現れてきます。様式というレベルに達した食文化には、「風流である」という評価や「粋である」という評価が与えられます
 そして、様式化された食文化は、ついに、広大な地球上からただ一つの場所を特定する「名所」を生み出します。花見の名所、すなわち、花見酒の名所。ただ単に酒を飲むという行為は、高度化の末、ある一つの名所で桜を見ながら酒を飲む、というレベルに達します。一つの場所を特定できるようになると、やがてその場所を日本国民全体で共有する事が出来るようになります。つまり、文化を共有する事が出来るのです。

 このようにして、食べるという行為は、生体を維持するための欲求から、美味しいものを求める欲求へ、そして、味わいのあるものをともめる欲求へと発展し、文化、様式、名所を生み出すまでに発展し続けます。
 これをふまえた上で、グルメブームを冷静な視点で見てみましょう。グルメブームの代表格といえばナンジャタウンに全国各地から店を集めて、一般人がそれを食するとか、全国各地の美味しい店の店長をスタジオに招いてそれを食するとか、実に低レベル。彼らの食事は、相変わらず「美味しいものを食べる」というレベルにあり、自然や文化、様式、名所といった高度な表現にはたどり着く事すら出来ません。彼らは相変わらず、ただひたすら化学反応の美味しいを繰り返しているのです

 それに比べれば、縁側に座って小さな坪庭を眺めながら茶をすする方が、はるかに、文化的で様式的であり、単なる「美味しい」ではなく、「味わいのある」というレベルでもなく、「風流」や「粋」というレベルに達し、近所の人を呼べばそれは感情の共有という、人間の行為の中でもっとも最上位の行為となります
 私たちが高度なレベルにいるのにもかかわらず、彼らは相も変わらず美味しいだけを追い求め続けているのです。

まとめ

 さあ、みなさん。お正月という独特の雰囲気に毒され、伊勢エビや松阪牛をスタジオで食べながら、「美味しい」を繰り返す芸能人達を馬鹿にし笑いながら、私たちは、食材こそ普通でも、周りの風景を味わいながら、その独特の美しさ、文化に触れながら、「味わいのある」食事を楽しみ、親戚を招いて、その味を共有し、「風流だなあ」とか「粋だなあ」と言い合いながら、楽しいお正月を過ごそうではありませんか。

おまけ

 窓辺に座る小さな妖精、登場人物立場一覧

  夏組 秋組 冬組
開発ジャンル 男性向け18禁
S-RPG
SLG
SLG+AVG
男性向け18禁
AVG(テキストノベル)
男性向け18禁
AVG
リーダー 西 村越 竹井
シナリオ 桜野 村越 竹井
児玉
原画 西
なつみ
遠山香澄
プログラム 百合山 向中野 前村和也
籠原良二
スクリプトエンジン DNA Sayuri Sayuri Ver2
着色 なつみ
遠山香澄
他、数名
背景 杉村
音楽 向井
田中
広報 山口

 だいたいこんな感じ。この表を作る過程で、今のCSSにデザイン上の欠点がある事がわかり、密かに修正しておきました。

初出: 2005年12月21日
更新: 2006年1月1日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005/2006 Suzuhibiki Yuki

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