2005年6月の日記 2冊目

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2005年6月9日 (木曜日)

描写法における考察

日記レス 「描写と説明の違い」

 まず、小説は二種類に分けられます。つまり、一人称か三人称か、です。
 三人称は基本的に描写をするということは許されません。あくまで客観的に見る必要があります。つまり、全て説明で書く必要があるということです。
 しかし一人称ならば、説明と描写両方することができます。ただし、説明はできるだけ避けるべきであるとされ、長い説明文はできるだけ分散させることが望まれています。

 私は描写と説明は全く別の物だと思います。説明が事実を書くことならば、描写は雰囲気を描くことだからです。つまり、説明は報告書、描写は感想で有るといえるはずなのです。ですから一概に読み手にイメージさせる、ということが両方に当てはまるかと言われると、私は疑問符を打ちます。
 小説は物語であり、報告書ではありませんから、できるだけ描写で書くことが望まれます。報告書を読んでいると眠くなるのは起伏に富まず、おもしろみがないからです。ただでさえ物語には起伏がありますから、起伏を表現できる描写の方が説明より優先されるはずです。

 ただこれらはあくまで一人称の場合であり、三人称となると多少説明の性格は異なってきます。先ほど書いたとおり、三人称は基本的に描写することができませんから、全て説明で書くことになります。ならば三人称における描写はどうするか、それは、登場人物の台詞や行動で示すことになります。つまり、自己矛盾しているようですが、三人称であっても描写を省くことはできない、ということです。
 例えば、主人公が空気が綺麗な場所にたどり着いたとすると、

 暗い森を抜け祐二達がたどり着いた場所は山が遠くに見える湖の畔だった。水面には山が鏡面反射し、青く映っている。
「んーっ。」
「んっ…。」
 祐二が手を上に上げ、背を反らせ、深呼吸をすると、皆もそれにつられたかのように深呼吸をする。
「空気が美味しいね。」
「そうだな。」

 空気が美味しいというのは、内面的話ですから、描写することができません。ならば空気が美味しいということをどうやって表現するか、それは、主人公達の台詞や行動で示すことになります。
 この場面では、『深呼吸をする』という説明と「空気が美味しいね」という台詞でまかなっています。ここではわかりやすくするために「空気が美味しいね」という直接的な台詞で表現しましたが、「都会とは違うね」といった間接的台詞でも表現は十分可能です。
 一見説明的なこの場面でも、きちんと主人公達の心理は描写されている、これが三人称視点に置ける描写と説明の位置づけであると考えられます。描写と説明は別物であるという私の見解はここから来ています。

 ちなみに、「挨を気にする事無く、本を棚へ戻した」という一文が有りますが、これをもっと登場人物の心理が現れやすい説明にするならば、「埃に目もくれず本を棚へ戻した」とでも私はするでしょうか。『気にすることなく』というのはどちらかというと内面的です。三人称では『気にしない』ということを態度で表したことをそのまま説明する必要がありますから、『気にしない』という態度の代表格、『目もくれない』という言葉に代えました。これだけでもっと説明的かつ心理描写が伴った一文に変わります。
 三人称でできる説明は主人公達の態度や周りの風景を説明することだけですから、気にしない、という単語を入れた瞬間このルールに矛盾してしまいます。気にしないというのはあくまで私達がある態度を見て感じ取った感想であり、説明にはなっていないということになりますね。

 本題に戻ると、説明と描写は全く違います。それは一番始めに書いた通りです。そして、三人称でも描写はできる、ということも書きました。
 説明と描写は非常に難しくて、私も未だに暗中模索の域を脱しませんし、きっと小説を書き続けている限りずっとそうなのでしょうけど、よりよい表現を探し求めることはできますから、闇雲でも探し続けます。


 そういえば、私は三人称の小説というのは今までに一つしか書いたことがないですね。“透明という色”がその作品なのですが、そろそろ三人称の小説というのもおもしろいかもしれません。…一人称で書いた時の主人公の視点から見た女の子の可愛さを書くのが大好きなんでしょうけどね(笑)。

大規模罰金

 UD には宿題を受信するサーバーと送信するサーバーがあり、宿題を送信するサーバーが落ちることを "Bakking off" 通称、罰金と言いますが、ついに24時間経過してしまい、みいなが暇をもてあましているところです。そこで久しぶりにトリッパーを起動し、トリップを探しています(笑)。 CPU 利用率が100%じゃないのがこんなに落ち着かないことだと言うことを初めて知りました(苦笑)。セカンドマシン彩音に届いていた宿題も今朝提出が終わり、新しい宿題が来るまで待機させるのも何なので、久しぶりにこちらは電源を切りました。LANの通信確立ランプが一つしか点灯していない風景というのも落ち着かない物ですね。
 まぁ、今まで使っていたトリップは取り替えたいと思っていた時期ですし、ちょうどいいかな、ということで。

2005年6月10日 (金曜日)

建築物の時間における使われ方の変化についての考察

ふと見つけた景色

 用事があって授業が終わった後先生を待っていたのですが、その待つ時間が微妙に暇だったので、デジカメを持っているという好条件の元、学校の外に出てみました。私は夜学ですから時間は既に夜の八時。外に出ると校舎の明かりが地面に映っていたりと何かと綺麗でした。そんな中一枚撮った写真がこちら。

【写真】 暗闇を見つめる木製のベンチ 生徒が居なくなる夜。椅子は何を思っているのだろうか。

 私が普段使う棟(大学院棟)の南側です。右側のガラスが見える建物が大学院棟で、椅子が見つめる向こう側には芝生、そしてテニスコートがあり、そのすぐ向こうはのどかな田園風景です。昼間は生徒で賑わう芝生やテニスコートも夜になると静かになる。そんな風景に何となく心を惹き付けられ、近くにあったベンチの上にカメラをのせて1秒露出してみました。

主食だけが美味しいご飯って………ねぇ。

 聞き慣れているということもありますが、 Roland 製音源のブライトベルというのは非常にわかりやすい音でして、楽曲中で使われるとすぐにわかります。特徴ある音ですし、抜けもいいですからね。
 さて、先日“これが私の御主人様”を見ていると、オープニングテーマで聞き覚えのある音が。思わず巻き戻してもう一度聞いてみますと、どうやらブライトベルのようです。わかりやすいですね、本当に。

 スーパーや服飾店などにはいると今流行の J-Pop のインストバージョンが再生されていることがありますが、どうもあの打ち込みのやる気のなさには聞いていてストレスが溜まります。あのような音楽を聞き慣れている、または無視できるような人にとってはどうでもいいことでしょうし、「あっ、この曲聞いたことがある~」なんて薄っぺらい感情しかわき上がらないのでしょうけど、やはり私としてはあの音だけは許せません。まともなディストーションすらかかっていないプリセットのままのディストーションギターや、ベロシティーオール100打ち込み、等々………。身の回りに音楽があることはいいことかもしれませんけど、大量消費財に成り果てた音楽に意味はあるのでしょうか…。そして、そんな音楽を作り続けている人に誇りはあるのでしょうか。

 最近の J-Pop はコマーシャルでの起用を意識しすぎるために、さびの部分のメロディーラインが非常に印象的にできていますし、テンポなどもそれに合わせていることが多いのですが、その反面、全体としての印象が非常に甘いです。いわゆる、どこかで聴いたことがある曲なんだけどどうしても思い出せず、さびまで来てようやく思い出す、そんな曲が爆発的に増えたような気がします。神田川という楽曲がありますが「貴方はもう忘れたかしら」という部分と「若かったあのころ 何も怖くなかった」という部分、どちらを先に思い出しますかねぇ…。
 CM を意識しすぎて、主食が美味しくなりすぎた音楽って、食前酒も前菜も野菜も食後の一杯も全然美味しくなくて、本当に主食だけなんですよね。 A-B-C-A-B-C-ソロ-C-C' なんて言うようにテンプレート化された曲ばかりになるのは何となく理解できますけど、全体として一曲にまとまっていない、つまり、さびだけを意識したような楽曲は頭でっかちで嫌いです。
 J-Pop の典型的な例としては、BメロからCメロに移行する時、一小節確保してドラムフィルを入れたり、ギターを入れたりして強引にさびにつなげようとすることが多いような気がします。まぁ、殆どの楽曲が一小節を移行期間として用いるのでそれはしょうがないとしても、強引すぎる展開が多いような気がします。それはないだろ、みたいな。
 そんなプロモーションばかりを意識した楽曲が本当にいい曲かどうかなんて聞けばすぐわかりますし、そんなことに気がつかず音楽の売り上げが悪いとプロモーション活動を積極的に行う制作者サイドのずれっておもしろい物ですね。
 反面、コマーシャルを意識する必要性がさほど無い AKIBA-Pop なんて言うのはBからCへの繋がり方が滑らかな事が多いようなきがします。何せ、毎週1コーラス流れますからね(笑)。

 そういえば、近年の力作コンテストの楽曲を聴いてみると、最初から最後までまったり進行しすぎて何処が曲の分かれ目かわからないことが有るのですが、アレは滑らかすぎで起伏がない楽曲の例ですね。 J-Pop と 力作コンテストに投稿される楽曲を足して2で割ると良さそう(笑)。

 さびで楽曲を始める場合もありますけど、あの場合でもAメロが思い出せない法則が適用される確率が高いのでさびとは怖い物ですね。「わがままは男の罪。それを許さないのは女の罪」ってね、これもさびから始まってますね。
 まぁ、さびの印象が残るというのはさびに気合いを入れている証拠ですから、それはそれでいいのでしょうけど、さびしか思い出せない曲が昔に比べて非常に多いというのはなんだかなぁ、と思う日々です。楽曲は最初から最後までで一つのストーリーになるわけですから、最初から最後まで気合いを入れて作ってほしい物です。桃太郎という昔話が「桃太郎は鬼を退治しました」だけじゃあ話にならないのと同じで、その前後にある「桃を拾った(前奏)」「桃太郎を育てた(Aメロ)」「鬼を退治しに行く(Bメロ)」「桃太郎が鬼を倒す(さび)」「村人は桃太郎を褒め称えました(エンド)」なんて言う流れができて初めて『桃太郎』になるのですからね。
 音楽だって一つのストーリーなのですから、最初から最後まで流れを意識して作ってほしいとつくづく思います。コマーシャル目当ての主食だけ美味しい音楽なんてつまらないですよ。

 メロディーライン限定になりますが、Bメロ最後の音をCメロ最初の音が始まるまでのばしてみると、滑らかさというのが漠然と理解できるような気がします。

建築を作る手順5 ~推敲推敲推敲!~

前回までのあらすじ
 基本的な部屋の配置が完成し、それを図面に起こし、先生に見せ問題点を抽出して貰います。洗い出された問題点を解決しながら、新しいバージョンを作ります。

 再び間が開きましたがこれから毎日連載で、一気に片を付けます。前回はこんな状態でしたが、時間が経つにつれだんだんと細かくなっていきます。今見て頂いた写真は次のバージョンを作るための基本的計画であって、もう一度図面を書き直す必要があります。

  1. まずは下書き
     コピー機を通すのでコピー機が読み取れない程度の薄さ(筆記具本体の重さだけで書く)で基本的な線を書きます。フラッシュをたくと線画つぶれてしまうぐらい細くて薄い線なので少し暗めです。
  2. 書きます
     写真左側、今回のプランの最も大事な部分である、既存の建物“萩原朔太郎記念館”を臨むための窓です。
  3. 書きます
     学芸員や管理者が使うための部屋(管理部門・研究部門)が太い実線で書かれています。太い実線は壁になるところです。今回は曲線が多いので、実線を先に書いてしまい、後から窓の部分を消しゴムで消すという手法を取りました。
  4. まだまだ書きます
     写真右側、朔太郎の代表作“月に吠える”の月をイメージした円形、それでいて、朔太郎の作風であるリズムのでないメロディー重視の作品をイメージした円形を反映した、円形の積み重ねによる展示室の部分が出来上がりつつあります。1万円ほどする製図用のコンパスですら書くたびにずれが出てしまい、修正するのに時間がかかりました。何度も書いたり消したりするので、紙がぼろぼろになり、裏側からセロハンテープで補修しているところもちらほら………。
  5. ひたすら書きます
     エントランス(玄関)部分を書き入れ、基本的な部屋割りはほぼ完成です。ここまで来るとだいぶ図面として見られるところですね。写真に刻み込まれた日付情報によると、ここまでで二日かかっています。私にしてはだいぶ遅い方。モチベーションが下がったというのが大きな理由です(笑)。
  6. 出来上がった図面を先生に見て貰い、問題点をもう一度抽出して貰います。赤ペンで沢山書き込まれました(苦笑)。初めて円という形を取り扱ったので、柱の位置に四苦八苦。案の定、柱の位置について沢山指摘されました。
  7. 出てきた問題点を抽出しながら新たに図面を書いていきます。しかし時間がなくなりつつあるので、そこは鉛筆書きのなせる技、消しゴム+書き直しで乗り切ります。結局、指摘された部分を直すのには一日ほどしかかかりませんでした。他の人はこれからCADで入力したりするので、ものすごく時間がかかりますね。何度か書いたとおり鉛筆で書いてもコピー機でコピーできる私はここで一つ手順を飛ばすことができます。
  8. 図面は平面図だけではありません。ある一定の方向から見た時の想像図である“立面図”、建物を切った時に見える線を書く“断面図”、そして、最も難しい図面である断面図の詳細バージョンである“矩形図”が有ります。立面図と断面図は縮尺がおおざっぱだとそれほど時間もかからず、一枚あたり30分程度で私は仕上げられるので、写真を撮る間もなく終わってしまいました。
  9. 続いて、最難関矩形図です。
    矩形図は写真を撮ってあったのですがいい写真がないので、矩形図を書いている時の部屋の様子をぱちり。いつもにましてカオス臭が漂っていますが、手に届く範囲に全ての物を置くと結果的にこうなります。

 これで全ての図面が出そろいました。駆け足で紹介したのであっけなかったですが、一日4時間睡眠で、10日程度の行程を今日で紹介し終わりました。次は、いよいよプレゼンテーション用の模型作りへと作業はシフトしていきます。

2005年6月11日 (土曜日)

うなじについての考察

今年は『私服浴衣化計画』 (02:05) CPUタイム30分

 去年に引き続き、浴衣私服化計画発動です。去年の成果は一着購入に至り、授業のない時は浴衣で過ごすことが多かったです。今年はもう一着ほど増やしてみようかな、と思っています。
 全国各地、6月~7月に行われる祭りの初日から浴衣が解禁になりますが、だいたいの目安は6月前半のようですね。私もそろそろ押し入れから浴衣を引っ張り出そうかと思います。

【雪冬】 「帯曲がってないかな?」
【みいな】 「大丈夫だと思いますよ。」
【雪冬】 「よし、おっけー。後は髪をアップにまとめるだけだね。」
【みいな】 「そうですね。」
【インポータント】 「一気に夏らしくなりましたね。」
【雪冬】 「昨日梅雨入りしたけどね。」
【みいな】 「それは言わない約束ですよ。」
【雪冬】 「浴衣、雨、和傘、うなじ………どう? 、この組み合わせ。最強だと思わない?」
【みいな】 「そうですね、確かに好きですね。」
【マージン】 「あっ、浴衣だ。私も来てみたいなー。」
【パディング】 「わがままはいけないですよ、マージン。」
【ボーダー】 「いいなー、いいなー。」
【雪冬】 「そんなに浴衣が着たいの?」
【3人姉妹】 「はい。」
【雪冬】 「そういうことは、詩唄い、っていうひとに頼めば着せてくれるかもね。」
【マージン】 「誰それ。」
【雪冬】 「………うーん………“CSSたん's”の服飾コーディネーター?」

 予告通り、バトンは手放しました(私信)。

 浴衣の話に戻しましょうか。近年浴衣がブームで、渋谷だか新宿だか池袋のあたりで毎週一回浴衣を着て町を練り歩くというイベントが行われたりしますが、こういう流れは個人的には大歓迎です。ミニ浴衣の賛否はともかく、和服には和服の良さがありますから、是非とも推奨したいところ。個性を主張したい人は変なアクセサリーを着けるより浴衣でも着たらどうでしょうか? 最強です(笑)。
 まぁ、私としてそんなブームに乗るつもりもなく、結構前から和服がほしいと思っています。自分専用の着物も一着持っていますし。………流石に普段着にできる物ではありませんが…。中国製を始め、最近はプリント浴衣なら一着1000円ぐらいから手に入ったりしますので、そういう点から見ればだいぶ安く手にはいるようになったのではないでしょうか。コミケにも浴衣で参戦する人も増えているようですし、なかなかおもしろい流れだなと思って傍観しています。

 先日届いたセシールの盛夏号に浴衣が乗っていました。こう言うのもありかもしれませんね。近くのデパートで買うことができる浴衣なんて言うのは桁が一つ違いますし、普段着として着るならやはり四桁で抑えたいところです。高級な浴衣は確かに見た目も着心地もよいでしょうが、着物類の収納に適した桐箪笥が私の部屋に置いてあるわけでもなく(実家には一竿有りますけどね)押し入れにしまうという劣悪な保存環境にそんな高級浴衣を置くことはできません。何より、普段着として浴衣を着たいというのが私の本音ですから、そんな高い服を着ると歩くのも歩けなくなりそうです。芸能人が数万円という服を着ているという話を聞きますけど、怖くて庶民の私にはそんなことができるはずもありません。靴下だってしまむらで安いの探してくるっての。
 というわけで、私が狙うのは安い浴衣。セシールに乗っていた浴衣は8000円と、もうすぐ5桁に足が届きそうな物ばかりでしたので今年もオークションを狙ってみようかと思います。流石に8000円は………。ジーンズなんて8000円するのに、浴衣に8000円出せないというこの差は何だろうかと思ってしまいますが、耐久性が違うわけですね。
 服飾をインターネット経由で買うというのは非常に怖い物があります。ただ、浴衣の場合はサイズは多少なりとも違っても着られるという利点がありますし、帯や腰ひもなんかは既に持っていますから、それほどまで敏感になる必要は無いのです。ということで今年も楽天内をぐるぐる回ってみようかと思います。

 ………………………私が浴衣を着る時の最大の問題点は、下駄のサイズなのですが………ね。

 服飾で思い出しましたけど、最近本気で裁縫を覚えようかなと思っています。実は以前から編み物を覚えようとか、和裁を覚えようとか思っていたわけですけど、どこかで始めないと一生始まらないんですよね。裁縫を覚えてしまえば、巫女服とかも自分で調達できるわけですし(これが最大の理由という噂)、覚えておいて損はないと思うのです。ちなみに私の現在の特技は、超高速でミシンの上糸としたいとをセットするというもの。旧型のミシンでも30秒ほどでセッティングできます(ぉ 。変なところだけ得意なんですよね、私。パッチワークの布の組み合わせを考える、とか、高速でミシンを動かすとか………。
 ここで重要なのは、我が親は和裁ができるということ。和裁といったら和服、和服といったら巫女服(なんて言う論点だ)。つまり、やればできるかもしれないのです。少なくとも親の血が半分流れているわけですし、親より手先は器用ですから、もしかしたらもしかするかもしれませんね。はまると止まらない人なので、卒論そっちのけにならないように気をつけます(苦笑)。

 和服で思い出したのですが、この間ぼろぼろになった扇子の骨組みを見つけてしまいました。あまりにかわいそうだったので我が家に出迎えたのですが、これを開いたり閉じたりしている間に一ついいアイディアが。それは扇子の絵柄を自分で作ってしまおうというもの。幸い、画像は大量に持っていますし、編集するためのフォトショップもあります。最近は和紙でもインクジェット印刷できる物が出回っていますから、きちんと作れば立派な扇子に復活させることができそうです。夏に完成を目指してちまちま作っていこうかなと思います。既に寸法を測り終わったのは内緒です。

日記でメールレス

1

ドラムの手弾き→http://www.prodikeys.com/products/prodikeys_DM/watch/5_Drums_High.wmv
キーボードでも出来るものなんですねぇ…(゚o゚)

 一時期あこがれたことがありましたが、やる人はやるんですね。つい最近まで持っていた夢でこれ系統の夢は、『ウインドシンセでギターソロ』ですが、ウインドシンセを買うほどブルジョアではないので挫折しています。

 ウインドシンセで思い出しましたけど、持っている音源の話題。何度も書いていますけどね…。
 私の音源は SC-8850 ですから、サンプリング周波数は 32kHz 、つまり、収録されている波形は 16kHz までなのですが、 CD から聞こえてくる音楽を聴くとやはりハイハットやスネアの抜けが気になってしょうがないです。スペクトラムなんかを見たらますます落ち込みます………。
 今、夏コミに向けて一曲書き下ろしているわけですが、どうもこの音が気になってしょうがないです。今更音源を買うということはできないのですが…うーん…。
 特に最近は MP3 よりも、 WAVE で音楽を聴くことが増えたので、ハイファイな音にあこがれを抱いています…。別に、ハイファイマンセー、というわけでもないのですが、サンプリングが細かいとより高次な倍音まで収録されている、というよりも、全体的に音抜けがよくなるというところが魅力的なのですね…。
 ハピマテの全体的な音構成が自分好みなのですが、やっぱり高次の音が…。カラオケバージョンだけで満足できますね。

BGM: ハッピー☆マテリアル
出典: 魔法先生ネギま! 5月度オープニングテーマ
歌: 麻帆良学園中等部2-A (鳴滝風香、鳴滝史伽、葉加瀬聡美、長谷川千雨、Evangeline.A.K.McDowell)

Hi-Fi [ハイファイ] "high fidelity (高忠実度)" 【名詞】
 音響機器で、再生される音が原音に対して忠実であること。また、原音に忠実な音を出力する再生装置。
2

まともなディストーションすらかかっていないプリセットのままのディストーションギターや、

 ロックよろしく、重いディストーションとか掛けられても、それこそロック好きじゃないと受け入れられないんじゃないかな。
そういうのを好きじゃない人にとっては、プリセットのディストーションギターの方が良いのかも。
と思ってみたり。

 個人的には、なまじキチンとしたものが流れてくると、音楽に聴き入ってしまって無駄に疲れてしまうので、耳から耳へと抜けていくような手抜きなのでちょうど良いです。
 音楽を聴きにスーパーや服飾店などに行くわけではないですしね。

匿名希望のメール

 ああ、なるほど、素直に納得。確かにきちんとしすぎるのもアレですねぇ。思いついたのですが、ヤマダ電機とかビックカメラみたいに店のテーマソングを永延と流される方が拷問かも。

 本題については、理論的な話なのか、感覚的な話なのかが気になりました。

匿名希望のメール

 どちらかというと、感覚中心です。そもそも私の作曲方法が感覚中心なので、音楽理論、なんて言うことはさっぱりですからね。ドミソを押さえればCメジャー、ということぐらいしかわかりませんし。
 この日記の文章は感覚的な文章が多いはずです。文章の形は理論的かもしれないですけど、その原動力は感覚ですからね。


 ちなみに、人権保護法案については、こんな法律通るはずがない、と始めから傍観の立場です。日記で取り扱うことも無いと思います。

間違って広がったルールにあえて逆行する人

 土曜日の昼といえば特捜捜査という番組なのですが、本日のテーマはエスカレータの片側歩行。都内によく行く人はよく見かけると思いますが、エスカレーターの左側が乗る場所、右側が歩いて登る側、という暗黙のルールが有るわけですがこのルールが間違いだという話です。
 まぁこれのルーツは有名な話ですけど、大阪万博の時の左側歩行ですよね。東京と大阪が逆というのも有名ですね。まぁそれに比べて、エスカレーターが急停止することがあまり知られていないというのはちょっと怖いですね。そもそもエスカレーターはエレベーターに比べて少なく見積もっても10倍以上の輸送能力がある上下昇降機能ですから、きちんと整列して使った方が効率がいいんですよね。片側を開ける方が無駄なわけです。
 ということで、特別な事情がない限り私はエスカレーターに乗る時、あえて右側の通路として確保されている空間をつぶします。サンシャイン60はメインエントランスがエスカレーターで地下一階に潜ったところにありますから出口は当然登りエスカレーターになっています。帰り道として使う時、結構な確立で右側が歩行者空間として確保されているので、あえてつぶします。というか、楽しんでいます。

 エスカレーターの主な目的は交通弱者のための移動器具ですから、エスカレーターを歩いて登る元気がある人は隣の階段でも使ってください。エスカレーターは壊れるという可能性があるのでメインの昇降器具と言うよりはサブ的昇降器具なので、近くに必ず階段があります。ですから、お急ぎの方は階段を是非お使いくださいね♪
 まぁ、それでもエスカレーターを階段のように上り下りしようとする人は、大井町駅のJR⇔りんかい線乗り換えで使うやたらと長いエスカレーターの最上部から突き落として差し上げます。つまずいた時の怖さ、思い知らせて差し上げます。滅多にできない経験ですから、どうぞどうぞ。
 エスカレーターのマナーは、左側を開けるとか右側を開けるとかではなく、コミケの会場のように一度乗ったら決してその場から動かず、110センチという最大幅(建築基準法かな?)を有効に利用して一段に二人または一人が乗るというものです。

 そういえば、インタビューで、駅構内は分速40メートルとエレベーターの中では高速モードで利用されることが多いのですが、これは高齢者にとっては問題がある訳ですね。ここで解決案を一つ。エレベーターの速度は可変ですから、通勤ラッシュ時は分速40メートル、通常時は20メートルといったように切り替えてみては如何でしょうか?

怪しいソフト

【画像】 個人情報を送信しようとする試みが行われているという警告ウインドウ。 前々から気になっていたこの警告ウインドウ。どのソフトが何処に対して送信しているのだろうかな、と毎回疑問に思っていましたが、何となく法則性がつかめてきました。それは、 MSN メッセンジャーを起動している時なのです。みいなに対して氏名や電話番号、電子メールアドレスを特定できる情報を送信しようとしたら警告を出すようにお願いしているのですが、どうもメッセンジャーを起動している時に頻繁にこのメッセージが表示されます。そこで、 IP アドレスを逆引きしてみたところ………出てきた結果が………baym-sb123.msgr.hotmail.com…。ホットメール関係の会社のようです。早速このホスト名を WHOIS で検索してみると、

Registrant:
 Microsoft Corporation
 One Microsoft Way
 Redmond, WA 98052
 US

ANSI Whois Gateway: ドメイン名 / IPアドレス検索サービス

なんて言う結果が出てくるではありませんか。ホットメールのログインに氏名は必要有りませんし、匿名のサービスにも参加していないとなると、この氏名を送信しようとする試み…何か嫌な予感がします。
 環境依存かもしれませんし、別のソフトの可能性もあるかと思います。それに加え、MSNメッセンジャーには色々な機能が追加されていますのでその方面の可能性もあります。ただ、私の環境ではMSNメッセンジャーを起動した状態では、起動直後からしばらくの間このような個人情報を送信しようとする試みが行われている、ということだけを報告しておきます。

建築を作る手順6 ~模型~

前回までのあらすじ
 先生に見て貰い出てきた問題点を解決しながら製図作業は進み、ついに全ての図面が出そろいました。後は模型です。

 さて、課題提出まで一週間を切り、最後の一週間のスケジュールにそって動いていきます。今回のスケジュールは、設計2の時とほぼ同じで、図面2日、模型3日、パネル2日という構成。寝ないと駄目だと言うことは経験上わかっているので、3時から7時半まで寝るとまず始めに決めてしまい、後は作業内容を埋めていくという感じで出来上がった予定表を元に作業を進めます。
 図面が全部出そろったタイミングは予定通り。残り5日でプレゼンテーション用のボードを作るところまで進まなければなりません。

  1. 刃物だけで種類は沢山
     模型を作るための道具を準備しつつ、部屋を一旦片付けます。模型制作には製図とは違い、爆発的なスペースを確保しなければなりません。気分のリフレッシュもかねて部屋の掃除。写真は模型を作る時に使った道具で、刃物にスポットを当てました。一番上のカッターなんて凶悪ですね(笑)。
  2. 一番重要な部分、かつ、一番細かい部分である窓ガラスを一番始めに作ります
     100円均一で購入した瞬間接着剤が大活躍しています。ところで、瞬間接着剤には二種類あり、初心者用の瞬間接着剤は一瞬でくっつくのですが、上級者用の瞬間接着剤は一瞬しかくっつきません。今回私が使用した瞬間接着剤は初心者用の瞬間接着剤ですので(みいなの検閲により削除。理由コード:嘘・大げさ・紛らわしい)。
  3. 一階部分を作っていきます
     平面的な作業も、立体的にくみ上げれば一気に模型らしくなります。テープが沢山くっついているのは、接着剤が固まるまでの仮止めのためです。ここで壁をきちんと垂直に立てておかなければ二階を乗せた時にずれてしまうので、結構慎重な作業です。ここまでで模型制作から24時間が経ちました。
  4. サービスカット (窓の部分の拡大)
     一本一本瞬間接着剤で丁寧にくっつけていることがわかるでしょうか? 細く切った帯を両面テープでくっつけてしまってもいいのですが、このようにプラ棒を使うとかなり繊細な模型になります。特に、窓は見せたいところなので今回は細かく作ってみました。
  5. 二階が完成しつつあります
     一階部分が完成し、いよいよ二階に取りかかります。手抜き模型だと外側の形だけ作って終わりですが、私は一階ごとに部屋まで作る細かいタイプの模型にしました。やっぱり、縦に積み重なる建築は一階ごとに作った方が説得力がありますね。ここまでで二日が経ちました。
  6. 屋根を乗せると…
     屋根を乗せると一気に建築っぽくなります。この時点で二日と半日が経ったところです。
  7. 敷地に乗せてみる
     テープを取り去り、あらかじめ作っておいた敷地に乗せると…模型は一段落です。ここで3日が経ち、予定通りの進捗率です。

 窓ガラス作成という初歩的ところから模型完成まで3日ですが、一気に紹介しました。模型だけの写真という物が存在しないので、少し残念な記事ですけど、雰囲気は伝ったでしょうか?
 次はプレゼンテーションボードに乗せるための模型写真や3DCADによる内観、そしてレイアウトから完成したパネルまで一気に紹介します。

2005年6月12日 (日曜日)

 この日の日記は不意の事故により削除してしまいました…。以下、記憶の限り復元。

毎年この日生まれの誕生日の人を探すって大変なんですよ。で、今年も追加しました。

 恒例ですが、今日は、

といった方々の誕生日です。おめでとうございます。ついでに自分もね。

2005年6月13日 (月曜日)

年齢を重ねると言うこと

一つ年を越えて

 メールとかBBSへの書き込みとか電話とか日記レスとか誕生日イラスト等々、皆さん有難うございます。鈴響雪冬です。今までで一番大規模に祝って貰ったかもしれません。感動しました。どうも有難うございます。

 改めまして、鈴響雪冬です。どうやら今年で31歳を迎えるらしいです(去年からの伏線を未だに引っ張ります(笑))。それぞれが思い思いの方法で思い思いのメッセージを送って頂けるだけでうれしい物があります。
 年を重ねる、ということですが、結構おもしろい物がありまして、例えば昔は1月1日で全員年齢が上がりましたし、数え年なんて言うのは生まれた年を1歳と数えたりするところを見ると、年齢って結構曖昧なんだなと感じてしまいますが、生まれてから一定の周期が経つ、という定理からすれば昨日で一つ年を重ねたということになるのでしょうか。
 一年は365日ですけど、その365日でどれだけ人間は変わるのかな、とふと考えてしまいますが、今日の国際電話で「高校の時から全然変わってないね」と友達に言われるところを見ると、やっぱり“鈴響雪冬”という根っこの部分は変わっていないのかな、と思います。
 地球規模の話をすると、大地の変動は私達の観念から言えば普遍的な物で、その表層部で動く私達は流行のような物かもしれません。ならば、人間というミクロな存在に視点を移し替えた時、私の核を成す部分は普遍的で、一時的な気の迷いとか好みの変化は流行という事になるのでしょう。
 年齢が上がるということは、普遍性が持続することであり、年齢を重ねれば重ねるほど普遍的な部分が流行へと移行し、残った普遍的な部分は濃度が濃くなります。その普遍といえる私の本質は何時までも変わらず、こうして日記を書いたり、建築を勉強したり、音楽を作ったり、小説を書いたり、ということはもしかしたら流行の一部なのかもしれません。そして、この中のいくつかが最後まで残った時、それは私の中の普遍として定義づけられ、私という人物を作る元となるのでしょう。

 つまり、今の生活は沢山の事象から普遍的な部分と流行の部分を知らない間に振り分けている、そんな形になるかもしれません。しかし、普遍的な部分があって流行があります。地球も同じで、平地があるからこそその上で人間が生活をすることができます。つまり、私の考えの基本があって、今の私の趣味や考え方が存在します。結局、どれだけ背伸びしようともどれだけ着飾ろうとしてもそれは私自身の普遍性の拡張された姿であり、私には変わりないのでしょう。私は何時までも私であり、私は私という存在なのでしょう。
 そんな“存在”は地球上に置かれているだけでは“存在”として認められません。物が存在を認知されるという過程には、他の誰かに存在を把握して貰わなければなりません。そして、今回のように沢山のメッセージを頂くと言うことは、私は他の誰かによって存在を定義されていることに他なりません。つまり、私は私だけれども、私という存在を定義するためには皆さんが必要なのです。
 地球規模の話に戻しましょう。人間の営みが地球という大きさから見れば流行にすぎなかったとしても、私達はその中で生きていますし、私達の視点から見た普遍性を元に私達にとっての流行も存在します。流行によって流行が定義され、普遍性によって普遍性が定義されます。そして、普遍性によって流行が定義され、流行によって普遍性が定義されます。それらは全て密接に関わっていて、何人たりともそれらを破綻させることは不可能ですし、そもそも触れることすらできないでしょう。

 地球という大きさから見れば私という個体は、広大なネットの世界の片隅で毎日更新される日記のように存在が小さい物だとしても、皆さんが私という存在を認めているからこそ、私はここに存在しているのです。たとえ地球が私の存在を知らなかったとしても皆さんが私の存在を知っている、それだけで生きているといえるのではないのでしょうか。

 生きることは何でしょうか。年を取るとはどういう事でしょうか。人は大人になるために、無限に持っていた夢を何個も捨てて行くと言います。悲しいことかもしれませんが、それは逃れようのない事実です。昨日の日記でも書きましたが、大きくなるためには何かを捨てなければなりません。では何を捨てることになるのでしょうか。それは私のような若輩ではまだ想像できません。もしかしたら気がつかないところで既に捨ててしまっているのかもしれません。
 でも、たとえいくつもの夢を捨てることになったとしても、私という存在を捨てることはできません。なぜなら私は私自身で定義されているのではなく、皆さんによって定義されているからです。私は何時までも私であり、たとえ夢の抜け殻となったとしても私は私です。勿論、抜け殻になるつもりはありません。
 人間は欲張りな生き物です。それは私も同じです。できる限り沢山の物を持って行きたいと思います。今の趣味はできるだけ続けていきたいと思いますし、もっと色々なことに挑戦したいと思います。年を取って可能性を捨てるのではなく、年を取って可能性を広げる、そんな考え方があってもいいと思います。
 理想主義とか盲目的だと言われるかもしれません。馬鹿らしいとか考えが甘いと思われるかもしれません。でもそれは悪いことでしょうか? 私はそうとは思いません。夢を持つことが罪ならば、生まれることも罪になってしまいます。
 私はここにいる。だからこそ私は夢を見る。それは一つ年が増えたとしても変わりません。夢を見ることは私の中の普遍性ではなく、人間の中の普遍性であるからです。

 一つ年を重ね、私はどこかで変化をし始めるかもしれません。でも私は私であり、私は私のままでありたい。たとえ流行廃れがあっても私は私ですから。
 長くなりましたが、これからもよろしくお願いいたします。

 鈴響雪冬。2005年6月13日、0時44分。

修羅場レベル再セットアップ to Level2 (01:07)

 課題の締め切りまで一ヶ月ほどになりましたので、修羅場レベルを上げます。今まで作ったことがない建物というのはどうしても時間がかかってしまいます。法規的な部分を含め、必要な部屋や大きさ、天井の高さ、その他諸々知らないことだらけで調べることも沢山になってしまいます。幸い学校の図書館には建築書籍が多く置いてありますが、“映画館”に関する資料は無いに等しく、“商業建築”で代用していますが、やはり中身が全然違います。
 建築を勉強して6年目になりますが、知らないことだらけでまだまだ勉強が足りないなと感じてしまいます。昨日の電話で、ニューヨークに住んでいる友達と話すことができましたが、その過程でニューヨークのシネマコンプレックス事情を教えて頂きました。色々と参考になる話だったので一通り自分のアイディアもまとまっていますが、それだけでは話にならないのが建築。建築の形の9割は法律や施工主の要望で決まり、自分のアイディアは1割以下しか反映させることができないといいます。そのような現状をふまえてどうやって私は自分なりのアイディアを形作るのか、どうのような映画館を造るのか。これから締め切りの7月19日までじっくりコトコト煮詰めていきたいと思います。

自虐的 (01:14)

 昨日、夏コミで使うホテルを詩唄いさんと話し合いながら決めていたのですが、その途中の会話(敬称略)。

【鈴響】 「こっちの方が前に使ったホテルより一日あたり1600円ぐらい安いね。同人誌3冊は買えるよ。」
【詩唄い】 「創作小説系同人誌なら5冊ぐらいは買えるかもしれませんね。」
【鈴響】 「“ねこはし.59”の同人誌なら8冊は買えるよ。」
【詩唄い】 「“希望風”の同人誌でもうまくいけば10冊ぐらい買えるかもしれませんね。」

 ものすごく自虐的なネタでした。

爆発物って結構身近にあるんですよ

 山口県の高校に火薬入りの便が投げ込まれ爆発した事件ですけど、容疑者がインターネットを使って爆弾の作り方を検索していたり、爆弾の作り方を記した本が部屋から発見されたりと、またもやインターネットの規制の動きに拍車がかかりそうな事件が起こりましたけど、また問題になるんでしょうね、ウェブだけが。
 ただ、爆発物って案外簡単に作れる物でして、家にある物で作れてしまうんですよね。ガソリンにおける燃焼の原理は、ガソリン表面から引火性のガスが発生し(蒸気のほうが正確か)、酸素と混じり合うことで燃焼体制が整います。そこにガソリンの発火点以上の熱が発生すると火がつくわけですね。ガソリンから引火性のガスが発生する温度(厳密に言えば、燃焼に至るだけの濃度が出る温度)はマイナス47度ぐらいのはずですから、常温で火を付ければ燃え上がるわけですね。特に地球規模で見れば自然界が最も得意なことは酸素と炭素を結合させて二酸化炭素を発生させるという燃焼作用ですから、燃焼なんて簡単に起こるわけです。
 しかもガソリンなんてガソリンスタンドで1リットル120円で買えてしまいますから、誰でも簡単に作れるわけで…。私の実家の実家はガソリンをドラム缶で購入し、自宅で給油していたぐらいですからね…。

 まぁ、爆発物といえば花火ですけど、花火だってほぐして火薬をかき集めて火を付ければ十分な爆発物になるでしょうし、釘を入れるなんて言うことは、刑事ドラマとかニュースとか軽く書物をあされば出てくる事ですし、何をそんなにぴりぴりしているのかな、と。ようは、ネットが無法地帯というわけではないんですよね。犯罪の手口の情報源なんて、ニュースが一番でしょう。ニュースがあるから模倣犯が発生しやすい状況が整っているので、犯罪を少なくするならニュースでも規制しますか(笑)。
 さらにいえば、インターネット上の文章の情報源は書物だったり噂だったり他人の考えだったりすることが往々にしてあることで、これって日常生活の舞台である地上と何ら変わりないと思うんですよ。インターネットが無くても爆発物を作ろうと思えば簡単に作れますしね。

 では、ここから先はごくごく普通に出版されている、『危険物取扱者』という資格を取得するためのテキストからの話です。この事を強調しておきますが、あくまでこれは普通に出版されている本が情報源です。つまり、インターネットだけではなく、普通の本にもこういう事が書いてあるということを言いたいのです。
 酸素と可燃性物質がちょうどよい割合で混ざり合うと猛烈な勢いで燃焼が広がり、そのような燃焼を爆発と言います。酸素と可燃性物質がちょうどよい割合で混ざり合う最も手軽な条件は、引火性物質を霧状に噴霧することです。水たまりのように広がったガソリンに火を付けても表面しか燃焼しませんが、霧状にすることで全ての箇所で同時に燃焼が発生し、爆発となります。霧状にすることで普段は燃焼しづらい物質も簡単に爆発させることができます。例えば、アルミ粉末。アルミを粉末にし、空気中にばらまき火を付けると爆発します。ものすごく強力な爆発です。もっと身近な素材では小麦粉でしょうか。小麦粉の粒子は細かいですから、空気中に簡単に霧散します。そこに向かって火を付けると………爆発するわけですね。このような爆発を粉塵爆発と言います。さらに、あらかじめガソリンを温めておけば(予熱)燃焼性の蒸気の発生を進行させることができますから、より強力な爆発を巻き起こすこともできます。
 ―――このぐらいの爆発に関する知識ならば『危険物取扱者』の資格を持っている人ならば、基本事項で習うことです。ガソリンスタンドの店員さんはだいたい持っていますから、ガソリンスタンドの店員さんは爆発物を作るだけの知識を持ち合わせていることになります。私も危険物取扱者乙4の資格を持っていますから、火炎瓶なんて貧相な物ではなく、爆発物を作ることができます。しかも資格を持っていることにより、ガソリンなどの物質を所持することを、許されていますし、保管することもそれなりの準備が必要ですが可能です。また、他の人に付き添うことでその人にガソリンなどの物質を取り扱わせることを許可することができます。一年に2回行われるテストですし、合格率は3割から5割。誰でも簡単に取ることができます。勿論、資格を取らなくても、テキストさえ買って読んでしまえば爆発物を作るだけの知識なんて言うのは簡単に得られてしまいます

 このように、たとえインターネットが無かったとしても、書店にアングラな本が置いてなかったとしても、資格取得の棚に行けば爆発物を作ることができるだけの知識は容易に得られるわけです。インターネットは基本的にプロバイダーに利用料を払う必要がありますし、普及率という面から見れば、インターネットよりも書店の方が爆発物に関する知識を入手しやすいことになります。つまり、本屋の方が危険なわけですよ。全国何処に出もありますからね本屋は。
 ということで、爆発物がどうとか言う理由でインターネットを規制するとかいう動きが出たら、『よくわからないけどインターネットは危険らしい』という考えを持ち、かつ、インターネットをブラックボックス的に扱っている少しお年を召した議員さんが動き出したと思えばいいのです。あぁ、無知の罪。
 じゃあ、指紋を隠すために軍手が使われているからという理由で、軍手を規制してみなさいと小一時間。

 ホームセンターにて。

【雪冬】 「すいません、軍手をください。」
【店員】 「軍手は現在規制の対象ですので、購入するためには住所の登録が必要です。」
【雪冬】 「すいません、ロープをください。」
【店員】 「ロープは現在規制対象ですので、購入するためには住所の登録が必要です。」
【雪冬】 「すいません、ドライバーをください。」
【店員】 「ドライバーは現在規制対象ですので(略)。」
【雪冬】 「すいません、煉瓦をください。」
【店員】 「(略)。」
【雪冬】 「すいません、(略)。」
【店員】 「(略)。」
【雪冬】 「(略)。」
【店員】 「(略)。」
(略)

 規制してみなさいよ、ほら(笑)。
 “つらら”で人を刺して殺したら、つららを規制しますか? つららを規制するためには冬を規制しなければなりませんから温暖化させますか? それとも、屋根を規制しますか?
 ということで、厚化粧の定理はやめて、もっと根本的なところの改善をした方がいいと思うんですよね。

更なる場所を目指して (21:41)

 気合いを入れて設計をやったものの評価は芳しくなく、建築科三代巨頭の座を譲ってしまう結果に…。自分自身、少したるんでいたかなと思うようになりました。去年の私はもっと真面目に勉強をしていたはず、だと思うようになりました。
 …こんなところで堕落している場合ではない、そう自分に言い聞かせて、これから少なくとも今学期が終わるまで元通りの自分に戻るため、真面目に生きたいと思います。まずは生活改善から、ですね。
 更なる場所を目指して…高大な場所を目指して………。

日記レス

 IPアドレスだとしても、 WHOIS や NSLOOKUP というサービス(検索すれば出ます)で、プロバイダ名に変換することができますから、それを元にしてアクセス規制をすることは可能です。

2005年6月14日 (火曜日)

オタクと一般人の世界の見方への差異についての考察

怒濤の勢いで誕生日レス返礼 (順不同)

 ここには書くことができないメール(非公開要請)なども含めて、皆さん有難うございます。

日記でメールレス

 誕生日おめでとうございます。(・∀・)
 ひそかに夏コミCD曲楽しみにしとりますですよ(笑)
 あと、浴衣+和傘~のコンボは最強だと思いました。思わず「紫陽花を背景に、少しこちらを振り返っている」というようなシーンが思い浮かびました(笑)。
 曲作りや課題も大変そうですが、あまり無理はせずに頑張ってくださいね。

匿名メールフォームより
メール本文には名前が書いてありましたが、匿名メールフォームからの送信でしたので匿名として扱わせ頂きました。

 どうも有難うございます。夏コミCDは…もしかしたら辞退しなければいけない状態になるかもしれません…。締め切りはわからないですけど、その後の作業を考えると7月の終わりには出さなければなりませんが、ちょうど期末考査や今設計中の映画館の締め切りもそのあたりですし…。決断の時かもしれませんね…。
 浴衣と和傘は最強だと思います。傘をさしていて姿がよく見えない女の子がいて、その女の子は紫陽花を見ています。声をかけてみると、ゆっくりと立ち上がり、笠によって隠れていた浴衣があらわになり、髪がわずかに揺れうなじが見える………。う…最強。
 そういえば、紫陽花って土の酸性、アルカリ性、中性などで色が変わりますけど、紫という漢字だけが使われていることには意味があるのかな、と考えてみたり。紫色ということはアルカリ性の土壌のはずですけど…土はアルカリ性の方がいいのかな? 酸性になると雑草が増えると言いますしね。…まぁ、雑草も人間が勝手に付けた名前でしかないのですが…。

日記レス1

 誕生日イラスト有難うございます。うん、彩音に浴衣は似合うね。(非常に遠回し、かつ、身体的特徴を的確に捉えた発言)。「好きなお菓子は何ですか?」という質問にはそういう意図があったわけですね。まぁ、お菓子なら何でも食べられると思います。和菓子、洋菓子、オッケーオッケー。水ようかんもそうですけど、まんじゅうもいいですね。それに、ケーキや(以下変換バッファーがあふれるほど入力)。
 どうも有難うございました。

日記レス2

 そうなんです。6月12日が私の誕生日なんです。なにはともわれ、誕生日イラスト有難うございます。祝い酒ですか、それもまたいとおかし、ですね。今年はケーキも何も買っていないので、夏休みにでも深酒しようと思います。…夏休みとは言わず、7月の19日に深酒しそうですが…(課題の提出後)。
 それにしても…スリットいいね、スリット♪ 私は隠れている方が好きだったりしますが、先日スリット属性に目覚めてしまい、スリットもなかなかいいと言うことに。よーし、今日は飲んじゃうぞー。全ての事象は酔った勢いで片付けるぞ(最低だ)。

伏線

 何度か伏線という単語を扱ってきたが、伏線とは何だろうか。この話題については後で詳しく書くが、次の文(オタクは本当に現実と虚実の区別が付けられないのか)を読む前の前哨戦というところであろう。
 伏線は次に起こることを暗黙のうちに示す物である。例えば、一日を描写するとして、学校帰りに雨が降ってくることにするのなら、朝、家を出た段階で空を見上げ曇っていることを描写すれば、それは伏線になる。伏線とはこんな小さな物から物語り全体に絡んでくる物まで様々ある。

 ドアを開け外に出る。見上げると灰色の雲が青空を見えなくしていた。気温もさほど高くなく、衣替えしたばかりの服では少々寒い気がする。


 中略


 帰りのSHR。ふと窓の外を見ると、道路が黒く濡れていた。雨だ。

 こうやって考えると、伏線は作ろうと思えば沢山作れるわけですね。
 物語の核心に迫る伏線は印象に残りすぎると今後の展開がばれてしまいますし、薄すぎると伏線を解き明かす時に印象に残りません。適度な伏線は大事です。それに加え、伏線の始点の場所も大事です。前すぎると忘れてしまいますし、近すぎると物語全体の締まりが無くなります。タイトルに伏線を張るのは一つのテクニックといえるでしょうか。一番始めだけれども忘れられることはなく、ちょうどよく印象に残っているわけですね。
 勿論、物語の始まる前から伏線を張ることも可能といえば可能です。また、文章にしなくても伏線を張ることも可能です。例えば“光になりたい”では、田村由梨絵が転校してくる場面から物語は始まりますが、勘のいい読者なら「どうして田村由梨絵は転校してきたのだろうか」と疑問に思うかと思います。その疑問がそのまま伏線になり、物語の後半で田村由梨絵が転校してきた理由を解き明かした瞬間、始点と終点が繋がり、伏線として成立します。

 このように、伏線の場所や使い方というのは物語全体の印象に関わってくるのです。では、この日記ではどうでしょうか。日記に伏線を張ると言うことは難しいですが、少しばかり試してみようかと思います。
 次の文章は、一行目に結論が書いてあり、その次からその結論を書いた理由を述べていきます。これは、物語の中核を成す言葉を暗示的にプロローグに持ってきて、物語本編で謎を解き明かしていくのと同じような流れです。つまり、論文であろうと日記であろうと小説であろうと、それぞれに共通する技法がある、ということが書きたいだけです。

オタクは本当に現実と虚実の区別が付けられないのか

 オタクと一般人では一般人の方が現実と虚実の区別がつかない。

 用語の定義。ここではオタクは広義のオタクではなく、秋葉系オタクといった狭義のオタクを“オタク”として定義する。また、一般人はオタク以外の人を指す。

 オタクと一般人の違いの一つとして、社交性のあるなしが挙げられる。一般的にオタクは社交性が無く、一般人は社交性があるとされている。オタクは一人部屋にこもり、一般人は外に出て遊ぶ、これがいわゆるステレオタイプ的な両者の姿であることはこの文章を読んでいる人ならわかるはずである。
 ではなぜ社交性の違いが現れるのであろうか。

 オタクの全体的動向を見るに、オタクは理屈っぽい人が多いように見受けられる。例えばアニメの話になると、演出がどうとか作画がどうとか、そういうところまで見ている人が多い。アニメのストーリーと同時に、そのストーリーの構成の仕方や演出方法までオタクは見ている。対する一般人がドラマを見る時はどうだろうか。一般人がドラマを見る時は純粋にストーリーを楽しみ、構成や演出はさほど気にしない。
 これが両者におけるメディアとの接触の仕方である。

 オタクの理屈っぽさは色々なところに現れてくる。例えば、血液型占いの根拠のなさをついて血液型占いを批判するのは一般人よりオタクに多い。感動大作と周囲で流行っているドラマに対して「現実的でない」と批判する。これらは一般人が話題の中心にするメディアに対して、オタクが批判をし、話題に乗せないメディアである。例えば私がここで“世界の中心で愛を叫ぶ”が爆発的に売れた理由を述べたら、その理由を支持するのはオタクで、支持しないのは一般人になるといったように二極化する可能性がある。
 “仔犬のワルツ”や“Anego”、“金八先生”、“ごくせん”、“失楽園”、“家なきこ”その他諸々のヒットしたドラマに対して、一般人が「おもしろい」という見解を持つ一方オタクは「現実的ではない」という。ドラマは何故ヒットするのであろうか。その構造にスポットを当てると、最終的に以下の答えに辿り着く。『ドラマで描かれているのは夢の世界であり、現実では難しいことが描かれる。夢の世界にはあこがれを抱く。だからドラマはヒットする。』つまり、ドラマを見ることで自分の思い描く夢を補完しているのである。もっとわかりやすく言えば、「こんな事が有ればいいのにな~」と思っているのである。
 恋愛ドラマを見た時、「こんな恋がしたい」と思い、最終話まで見る一般人と、「こんなのはあり得ない」と一話の数分の一も別のチャンネルに回すオタク。両者のどちらが現実的かすぐわかるだろう。ドラマは夢の世界を描いた物であり、現実では起こりにくいことを描いている。絵空事を書いているドラマに対してあこがれを抱くのが一般人で、否定するのがオタクであるとしたら、現実的なのはオタクで、非現実的なのが一般人であるといえる。

 だからこそオタクは、三次元という現実的な世界を舞台に展開される非現実的なドラマを見ることなく、二次元という完全に非現実的な世界を舞台に展開される非現実的なアニメを見る。つまり、現実と虚実の境目の区別がついていないのは、非現実的なことを現実的な世界に持ち込もうとしている一般人であって、非現実的な物語を非現実的な世界にとどめておくオタクは、現実と虚実の境目がわかっているといえる。

 オタクは一般人の世界になじむことができない。それは何故か。話題の中心が違うからである。一般人は血液型占いやドラマ、それら非常に非現実的で非論理的な話題を中心に会話を進める。しかし、オタクはそれらのことにはあまり詳しくない。なぜなら苦手だからである。というより、自ら拒絶している、あるいは見ようともしていないのである。
 一般人は現実と虚実の境目が曖昧なドラマを受け入れることができ、オタクはそれを受け入れることができない。だからこそオタクは一般人との接点が薄くなり、社交性がないと言われる。しかし、社交性がないということは、現実世界にあふれている現実と虚実の境目が曖昧な話題を拒否している結果であり、それはオタクの現実と虚実の境目に対する区別の付け方が一般人より優れている事の証明である。

 よく会話の中やニュースの取材などで「現実と虚実の境目がついてますか?」という質問をオタクに対してすると「そのぐらいわかってる!」とオタクは言い返す。おそらくその反応は正しく、境目を付けられないのは一般人の方なのだ。オタクはゲームはゲーム、日常生活は日常生活といったように現実と虚実の区別をはっきり付けているからこそ、一般人との会話が成り立たない。
 事例を挙げれば、いわゆる調教ゲーム。これらは一つの視点から見れば種非常に残虐な行為である。これらを見せられた時、オタクは「ゲームだし」というだろうし、一般人は「理解できない(ありえない)」と言うだろう。オタクは「ゲームだし」というように、ゲームと現実世界の間に境目を設けている。つまり、現実世界じゃなできないからゲームという虚実世界に調教を持ち込む。対する一般人は「理解できない(ありえない)」というように、ゲームの世界を現実の世界に置き換えている。このような過程を見ても、オタクの方が現実と虚実の境目をはっきりと認識している。

 一般人から見たオタクに対する「社交性がない」、「引きこもり」というイメージは、オタクが現実と虚実の境目がつきすぎているからこそ起こりうる結果である。つまりオタクは一般人がドラマという曖昧な世界にたいして夢を抱く行為に理解を示せない。言い換えれば、虚実と現実の境目が曖昧な人とはつきあえないのである。だからこそオタクは一般人との間に社交関係を築くことができない。その結果、一般人から「社交性がない」と言われる。しかしその感想が導き出す結論は、前述したとおりオタクが一般人より現実と虚実の境目をはっきりと認識しているからである。

まとめ
  • 一般人から見て社交性がないというオタクに対するイメージは、オタクが現実と虚実の境目をはっきりと認識できることの証明であるといえる
  • オタクと一般人では一般人の方が現実と虚実の区別がつかない

 ここから先は突っ込みどころ満載の文章になるかもしれませんが一応。
 一般人から見たオタクへの「社交性がない」というイメージは、一般人とオタクが会話をしないからであり、一般人は一般人同士、オタクはオタク同士で会話をしている。つまり、Aグループに属する人はグループ内で社交的に会話をし、Bグループに属する人はグループ内で社交的に会話をする。AとBはタイプが合わないから会話をしない。つまり、AグループのメンバーがBグループのメンバーに対して「社交性がない」という感想を抱くのは、BグループがAグループに対して社交性がないという感想を抱くのとほぼ同じ意味である。
 両者の間に交流はないが、同じ仲間同士では交流がある。これでは社交性がないと一方的に言うことはできない。
 一般人がオタクに対して抱く「社交性がない」というイメージは、全く持って自分勝手である。オタクから見れば、オタクに話しかけてこない一般人の方が「社交性がない」というイメージを持つ可能性だって有るのである。

2005年6月15日 (水曜日)

音質に関する考察

日記レス

 細かい話をすれば、ヘッドフォンもオープンタイプとクローズタイプに別れますね。私はオープンタイプの方が好きです。
 ヘッドフォンだけで言えば、電車での移動時に使うならクローズタイプ、家で使うならオープンタイプといった使い分けができそうです。どちらにしても、家電量販店で売っているヘッドフォン(特に3000円以下)は怪しいこの上ない音質ですね。
 ミキシングをする時はやはりスピーカー、音を作り込む時はヘッドフォン、色々な視点で確かめるというならカセットプレイヤーでしょうか。一つだけ言えるのは、普通のスピーカーは素人好みの音であるドンシャリが主流なので、モニター用としては使えないということですね。

気がついた

 結構前から気がついていたミスなのですが、このサイトで公開している“青空[Blue-Sky] "Flute & Harp"Duo Arrange”ですが、ショートバージョンのままなんですよね。元々フルバージョンは CD に収録する予定で、そのプレビュー版としてショートバージョンを公開していたのですが、 CD を作るという企画を中断して、収録する予定だった曲を公開したと同時に、ロングバージョンに差し替えたと思っていたのですが、ショートバージョンのままだという結果が………。
 近いうちに差し替えようと思っているのですが、いつものように日記で先行公開。ロングバージョンとショートバージョンの違いは1分30秒程度ですけど差は殆どありませんが、聞いて頂ければ幸いです。ただ、ロングバージョンを作ったのはショートバージョンを作った後の話なので、音作りの部分は結構変更点があるので、それだけを目当てに聞くというのもおもしろいかもしれません。個人的にはロングバージョンの音の方が柔らかみがあって好きです。
 SC-8850 だけでも頑張るもん。だよもん、だよもん。

  • 【MP3】 青空[Blue-sky] "Flute & Harp" Duo Arrange

 正式公開に伴い、日記からのリンクを削除。ダウンロードは音楽ページよりお願いします。

日記の位置づけ (16:57)

 小説と日記、私は二つの文章をこのサイトで公開している。二つの種類の文章形態があるならそれぞれの位置づけも異なってくる。

 例えば何か言いたいことがあって、それを思う存分伝えられるのは小説だと私は考える。伏線のように自分の言いたいことをちりばめて、その結果小説が出来上がり、小説に載せたいメッセージが完成する。過去の作品の中で一番メッセージ性が強いのは“ReSin-ens”でその次に“光になりたい”が続き、“アクロス・ザ・タイム”、“丘の上の物語”の順番で並ぶ。今から見れば切ない文章力で伝えきることができなかった“ReSin-ens”は書き直しているし、他の作品も同人誌という形で書き直している。これは、もう一度文章を見ることで、もっと自分の伝えたいメッセージを濃密にしようとする試みも含まれている。
 しかし、小説という形では『今すぐ伝えたい想い』はすぐに反映できない。なぜなら長編小説を一本仕上げるにはそれ相応の時間を消費するからだ。だからこそ日記がある。
 日記は毎日更新。その日に考えたことを24時間以内に文章として反映させることができる。これが日記である。しかし、文章自体は小説に比べ遥かに短いためメッセージ性には劣る。小説を読まれると自分の頭の中を開かれて見られているような気がするのはこう言うところから来るのだろうし、宮崎駿監督の「映画を見られることは裸の自分を見られているようだ」という言葉にもうなずける。

 だから、日記で書いたことが小説に出てくることはよくあることである。なぜならば、簡単に示すと、日記は速報、小説は詳細情報だからだ。地震情報で地震があったという情報が流れ、しばらくしてから全国各地の詳細な震度が出るのと同じような形である。日記を読んで小説を読むと、どこかで読んだような気がするのはこれの影響である。
 勿論、逆もある。小説で書いたことを日記に持ち込むことだ。これは小説を読んでいない人のために日記に持ってくると言うよりは、自己確認のためでもあるし、メッセージを圧縮して濃密にしようという試みも含まれる。
 このようにして、日記と小説は連動しているのである。

 さて、今日書こうと思うのはいずれ必ず小説で書こうとしていることである。

 恋愛って言葉はすごくおもしろい言葉なんですよ。恋と愛は違います。その違う意味の言葉が並んでいるのです。違うと言っても似ている訳じゃなくて、もしかしたら正反対になるかもしれませんね。
 恋を『ふとした仕草に対するドキドキした気持ち』にたとえるならば、愛は『相手を求める気持ち』だと思います。だからこそ、恋は確実に終わります。つきあい始めて一週間か一ヶ月か一年か十年かはわかりませんけど、恋は必ず終わります。大事なのは、恋が終わった後、相手を愛することができるか、です。何年か人生の道を一緒に歩いて、ふと恋の熱が冷めた時、貴方は愛の熱を保っていることができますか?
 でも、ここで重要なのは、恋愛のどちらがさめたとしても、どちらかが残っていたのなら復活する可能性があることなんですよ。だから「お前のことをまた好きになってしまった」なんて言う言葉が有りますし「貴方のこと、見直したわ」なんて言う言葉が有るのです。

 この事を暗黙のうちに含めている私の作品は“運命の出会いと初恋”が該当すると思う。この場合は「貴方のこと、見直したわ」の方だ。

 このようにして、恋愛は“恋愛”という一つの単語ではなく“恋”と“愛”という二つの単語によって成り立っているのである。だから日本語はおもしろい。


 とある場所で何故小説を書くのかという日記を読んだが、私なりの見解は、ふと浮かんだメッセージを表現するために小説を書く、ということだろうか。ただしこれは時にして結果論であることもある。物語の主題が先に浮かぶ場合と、ストーリーが先に浮かびそれに合う主題を選ぶ場合があるからだ。

 私の作品を分類すると以上のようになる。できる過程が違うのに同じようにして作品が出来上がるというのはおもしろいことである。しかし、込められたメッセージが違うと作品はがらりと変わる。一番顕著な例は“アクロス・ザ・タイム”で有ると言える。“アクロス・ザ・タイム”はサイト版と同人誌板では込めたメッセージが違う。その結果、原作には大部分な変更が加えられることになった。

 メッセージが違うと同じストーリーでも中身が変わってくる。そういった事を反映すると、私が小説を書く理由は「漠然と文章を書きたいから」と言うよりは「込めたいメッセージがあるから」であろう。何故なから、漠然と文章を書きたいと思うなら思いついたことをそのまま書けばいい。しかしそれができないのは、込めたいメッセージがあるからである。つまり、私の各物語は、文章を書こうという思いよりもメッセージを込めようという思いに左右されることになる。
 この事から、私が小説を書く理由は「込めたいメッセージがあるから」ということになるだろう。

デシベルって…難しい

 デシベルのことをよく知りもしない人が、50デシベルなんて言うのを聞いているとおもしろい物がありますが、デシベルって音量に限った物じゃないのです。ある数字があってそれをレベル化してしまうとデシベルという単位がつきます。話がややこしくなりそうなので、次は音楽的に的を絞りましょう。
 3dB+3dB=6dB この式は一般人でも理解できます。では、 80dB+80dB=83dB は理解できますか? ね? デシベルって不思議ですよね。デシベルはlog対数を使ってレベル化されていますので、足し算をする時も一旦数字に戻さなければなりません。

 80dB + 80dB = 10log ( (10^(80/10)) + (10^(80/10)) ) = 83dB

 つまり、 3dB 増えると音量は倍になっているということ。イコライザーとかで -3dB って有りますけど、アレは音量を半分にしているのですね。まぁ、こう言ったことは感覚的に覚えている物で、夜中の閑静な住宅街が 20dB で、図書館が 30dB なのに、ジェット機が 140dB にしかならない、というのはこういう秘密があるからです。

2005年6月16日 (木曜日)

98 or 98

Wizard98

 「98」といって、『Windows98』が浮かぶか『PC-98xx』がが浮かぶかで年代がわかるかと思いますが、私の周りは断然『PC-98xx』派が多いので、 Windows98 を指す時は「Win98」といって区別しています。
 さて、そんな前置きはおいといて、ネットで見つけたこと。

 色々な文章を読みあさっているとたまにおもしろい発言にぶつかることがあります。ある種、これがあるからインターネットはやめられないのですが…。疲れている時に何気なく巨大掲示板群を見に行くと、自分に対して向けられた言葉じゃないのに励ましの言葉が書いてあったりするとうれしくなったりしますし、無関係な人の恋愛告白を見たりしてほくほくすることもあったりします。罵倒が多いとか「酷いインターネットですね」とか色々言われる某巨大掲示板群ですけど、こういうレスを見ると心が温まります。だからやめられないわけですね。
 今日もちょっとスレッドを覗いていました。そのスレッドは“窓辺に座る小さな妖精”を書くために資料代わりとして閲覧していたスレッドなのですが、その中で、 Wizard98 の話題が出てきていました。 Wizard98 は PC-98xx 時代のコピーツールです。勿論この時代ですからフロッピーをコピーするツールなのですが…。ソフトをロードして、コピー元のフロッピーとコピー先のフロッピーを同時にパソコンに挿入し(フロッピー2台搭載は今でもあこがれです)、今風に言うと、オンザフライ書き込みでコピーをしてくれます。まあ、パソコンは基本的に疑似マルチタスクですから、完全なるオンザフライではないですけど、あの画面に表示されていく文字群が好きだったりします。
 そういえば、これもちょっと昔の話ですけど、インターネットで手に入れた MAD ムービーを、フロッピー分割して持ち帰った記憶があります。二桁単位でフロッピーを消費するのはなかなかおもしろいもので、あのときの書き込み音とかは忘れません。

 うろうろしていたらインターネット上でスクリーンショットを見つけたので紹介しておきます。

 ちなみに、ビジュアルベイシックって言う物がありますけど、 BASIC の部分だけスペルを完璧に覚えているのは歴史の違いでしょうか?

人は名前によって縛られる

 陰陽道の概念かどうかは忘れましたが、人は何かに縛られているのだそうです。その代表的な例が名前です。生まれて名前を付けられた瞬間、その人は名前に縛られながら一生を生きていくのだそうです。
 私を含め、インターネットで活動をする人は本名とハンドルネームを持っているかと思います。私のハンドルネームは今更書くまでもなく“鈴響雪冬”ですが、これも一つの名前とするならば、これにも縛られていることになります。

 先日、夜の誰も通らない静かな廊下を一人で歩いていたら、鈴の音が反響して自分の耳に届いてきました。この鈴は、自分のハンドルネームにちなんで携帯電話に付けたストラップの一つなのですが、その音を聞いた瞬間、知らない間に自分は名前に縛られているのだな、と改めて実感しました。他人からの評価を含め、人は必ず名前によって縛られていると強く感じた瞬間でした。

中華一番

【マージン】 「御嬢様。今日の夕ご飯はどうしましょうか。」
【雪冬】 「あっ、今日は私が作るよ。」
【みいな】 「雪冬さんが自分から作るって…ものすごく嫌な予感がするのですが…。」
【雪冬】 「大丈夫大丈夫。いけるいける。」
【みいな】 「後半、ファラが混ざってますよ。」
【雪冬】 「気にしない気にしない。それじゃあ、待っててね。」

【雪冬】 「おまたせー。本日の夕ご飯は中華スペシャルよ~。」
【インポータント】 「チャーハン、餃子、焼き蕎麦………本当に中華スペシャルですね。」
【マージン】 「おいしそー。」
【パディング】 「ほんとうですね。」
【ボーダー】 「何かいいことでもあったんですか?」
【雪冬】 「別に~。雨だからね。気分だけでも楽しもうと思って。それじゃあ、頂きます。」
【全員】 「頂きます。」

【みいな】 「ところで雪冬さん。本当のことを言ったらどうですか?」
【雪冬】 「何それ。」
【みいな】 「朝に炊いて悪くなりそうになっていたご飯と買ってから二週間以上たった卵で作ったチャーハン。賞味期限が12日の餃子。賞味期限が8日の豚肉と14日の中華麺で作った焼き蕎麦。全部食中毒予備軍じゃないですか。」
【雪冬】 「熱は最強よ。ばい菌だってひとっ飛び。大丈夫。過酷な環境で育った人は食中毒にめげないと言うから。」
【みいな】 「………………………。」

【マージン】 「あれ? 御嬢様のご飯だけものすごく多いんですけど…。」
【雪冬】 「どうせみんな食べれないでしょ? だから私が食べちゃうわよ。」
【マージン】 「明日の朝ご飯にすればいいのに…。」
【雪冬】 「12時間は駄目なのよ。」
【マージン】 「?」
【雪冬】 「大人の事情ね。」
【みいな】 「それにしても多いですね。いったいどれだけ食べるつもりですか?」
【雪冬】 「餃子一人前、焼き蕎麦一人前、チャーハン2合。」
【みいな】 「単純計算で3~4人前有ると思うんですけど…。食べられるんですか?」
【雪冬】 「私の胃袋は宇宙よ。」
【みいな】 「宇宙だって、所詮は三次元有限空間。」

今日の晩ご飯
  • チャーハン (ご飯2合)
  • 餃子 (一人前)
  • 焼き蕎麦 (一人前)

現代のフィーリングにマッチ。…無駄に英語を使うともの凄ください文章になるという証拠ですね、このタイトルは。

 Windows ではアイコンの関連づけが行われていないと、関連づけ先のアプリケーションが使っているアイコンを縮小して、ファイルのアイコンとして使用します。 Cherry 独自形式のファイルにはアイコンがありませんから、 CHY ファイルにも同じルールが適用され、 “Cherry.exe” で使われているアイコンがファイルのアイコンとしても使われるのですが、これが何ともみっともない。
 そんなことを考えていた時、そういえば“Cherry修正パッチ”の中に作者さんが自分用にで作ったアイコンを同梱しているということを言っていたような気がするので早速展開してみるとはいっているではありませんか 、アイコンファイルが。
 早速フォルダのプロパティを開いてアイコンをセット。この作業をやるのは久しぶりですが、難なくクリア。Windows98時代はしょっちゅうやってました。関連づけが壊れるので(苦笑)。
 そんなこんなで、アイコンの関連づけが終わり、ついでにファイルの説明も書き換えてフォルダを開いてみると…おぉ、現代のフィーリングにマッチ

CMC のロボットについての考察

 CMC は各サイトの更新内容をHTMLファイル内部に埋め込まれたメタデータを読み取ることで解釈し、サーバーのデータ更新を行っていますが、曲数が増えると異様に HTML のソースが長くなり、結果的にインデックスページが重くなるという現象が発生します。そこで、メタデータを記述したファイルとインデックスページのファイルを分離したいのですが、それでは規約違反になってしまいます(メタデータはインデックスページに埋め込むこと)。
 で、サーバーに詳しくない私が自分勝手に考えた方法としては、

  1. CMC からアクセスをIPアドレス、またはドメイン名にて判別する
  2. .httaccess を使い、メタデータのみを記述したHTMLファイルへリダイレクトする

という方法です。このような方法がうまくいくかはわかりませんが、ドメイン名を使ったアクセス拒否を応用すれば、ドメイン名を利用したリダイレクトも可能になると思うのですが…どうでしょうか? ちょっとそれ相応の掲示板で聞いてこようかな。

 ちなみに CMC のロボットは、 GET を使って、ファイルを回収しています。ドメイン名は "hikari.imouto.net" ですので、これらを使えば何とかなりそうな気がするのですが…ね。

 できないようです…。

初出: 2005年6月11日
更新: 2005年6月17日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

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