丘の上の物語 -水瀬千夏ストーリー-

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水瀬千夏 第八章

五月二十日 (木曜日)


 誰もいないような家。電気はついていない。既に時間は夜の七時。蓮も帰っているはずだ。だけど…。全ての部屋は電気が消えていた。
 オレはリビングに入る。
 誰もいない。ひっそりとした空間が広がっている。
 …
「蓮………」
 しばらく待つことにした。

八時三十分
 蓮は下りてこない。
「…」
 オレは無言でリビングを出ると階段を上って蓮の部屋の前で立ち止まった。
 …。
 ……。
 ………。
 意を決してドアを叩く。乾いた音に返事は………ない。
「入るぞ」
 ドアノブを回すと部屋に鍵はかかってなかった。
 中は―――
暗い。
「電気もつけないで…何やってんだ」
 オレはいつも通りの口調で話しかけた。
「修、僕不安なんだよ」
 黙ってオレは蓮の話を聞くことにした。いつもの場所にあるクッションをたぐり寄せ、床の上に敷くと、オレはその上に腰を下ろした。
「もし、水瀬先輩のことが好きで修が僕の前からいなくなったら…僕は一人になっちゃうよ。誰も、僕を支えてくれないよ」
 元気のいいショートカットの髪が俯いた拍子にふわりと揺れる。
 こんな…蓮の顔…はじめて見る…。
「そんなことがあるわけ…」
「僕のこの力を誰も優しく、大切に守ってくれないよ」
 そういうと、蓮の机の上にあったノートが開かれ一ページ破り取られた。ゆっくりとオレの目の前に飛んできて、紙飛行機へと形を変えていく。窓が開き空へと紙飛行機は飛んでいった。
 全て…ひとりでに。
「僕の力も…あんな風に何処かに飛んでいってしまえばいいのに」
 蓮の力。…蓮が自分を押さえられなくなって力が暴走するたび誰かが傷つく。昔の花見の時だって………他にも沢山あった。蓮はそんな力を恨んでいた。無意識のうちに人を傷つけていく力を…。
「僕を助けて! 僕を守って!!」
 そう言って抱きついてくる。オレはそれに答えるかのように蓮の頭を撫でる。そうすれば、二人の間に出来てしまった溝を埋める事が出来るかのように。蓮の腕がオレの背中にある。オレの腕が蓮の背中にある。お互いを共有し、お互いの時間をも共有する。オレ達は…『兄妹』と言う一つの『家族』だから…。
「…」
 蓮は…不安だったんだ…。自分が置いていかれることに…。
 だから…オレは言葉を選んで話しかける。
「蓮、その力は誰かを傷つけるためにあるのか? 必要だったからこそおまえにあるんじゃないのか? たとえそうじゃなくても、自分を…自分の力を否定するなよ…」
 いいながらオレは妹の体をゆっくり…そして、優しく離した。
「オレは水瀬先輩のことが好きだけど…どこへも行かない。 かならず蓮も一緒につれていく。お前は寂しがり屋だからな。誰かが側にいないと押し潰されてしまう」
 オレは蓮の気持ちに気がついていた。いや、後から気がついた。だけど…兄妹…なんだよ…オレ達は。だから…恋人になることは出来ない。けど…支えてあげることは出来る。蓮にとって大切な人が出来るまで…。蓮のことを大切にしてくれる人が現れるまで。
「修…本当に? 何処にも……行ったり…しない?」
「あぁ」
 蓮はそこではじめて泣いた。
「約、束…なん…だからっ…」
「もちろん」
 次第に嗚咽が強くなっていく。再びオレは蓮を自分の元へと寄せる。
「わ、かったよ…しゅう…僕は…修の…事、が…好き…だ、よ。だ…から…、早く水…瀬、先輩の…とこ、ろに…行っ、てあげて…。絶、対に…やらな、きゃい、けない、ことは…自分、の信…念を…貫いて、ね………………………」
「ありがとうな…蓮。遅くなるかもしれないから鍵、持ってくから…」
「いってらっしゃい」
 そう言うとオレは夜の町に飛び出した。もう一度蓮の頭を軽く撫でてから…。
 撫でたついでに「バッテリー、充電してやるか?」と聞いたら、「馬鹿」って怒鳴られた…。

 外は既に暗闇。いくら夏が近づいているとはいえ、夜は寒い。
 気がつくと既に商店街まで出ていた。オレは右に曲がる。『甘党』や、水瀬先輩に教えて貰ったあの店。全てはここにあった。

 公園に入る。
 普段は誰もいない公園。今の時間に誰かがいるはずもない。オレはベンチに腰を下ろした。
 …このベンチ…。
 そう。あの時と同じベンチ。水瀬先輩から誕生日プレゼントを突然貰ってオレはかなり驚いた。あの時の顔は自分自身傑作だと思う。
 商店街がここからは少し見える。既に店の電気はどこも消えている。公園の中央にある夜灯と星が明かりの全てだった。
 …
 ……
 ………
 時計を見ると既に日付が変わっていた。
 いつの間に時間を過ぎたんだろうな。
 来ないのか…。
 来ないと思っていたが、実際に来ないとなるとやはり落ち込む。だけど、オレは約束した。『ずっと待ってる』と。だからオレは待ちつづける。

 意識が朦朧としてくる中、オレは目をあけつづける。
 たまに視界が暗くなる。
 だけどオレは待ちつづけた…。

 気合いを入れるため、自分の頬を叩き、目を開ける。
 迎える人が…眠っていちゃ…いけない…。

 油断すればすぐにでも寒さに凍え、目が落ちてくる。

 無数の針が肌を刺す。
 眠気より…寒さが…体を…蝕んでいく…。

 水瀬先輩…。
 オレ…だと………無理…なんですか?
 一緒に歩いていくことは…無理なんですか?
 オレの意識はだんだんと薄らいでいった。
 …
 ……
 ………
 …………
 ……………
 ………………
「…さん」
 どうやらついに幻聴が聞こえてきた。
 意識の奥底からいないはずの人に呼ばれている。
 あっ…夢か…。
 目を…開けなきゃ…。
 目を…開かなきゃ…。
 オレは目をこすりながら目をあける。
 また頬を叩く。五月といえど、ここの夜は寒い。手をこすり合わせながら、周りを見渡す…。
 誰もいない…。
 幻聴…か。
 オレは俯く。
「修司さん」
 今度ははっきりと聞こえた。
「オレは声がした方を振り向く」
 公園の入り口。
 見覚えのある人の姿。
 逆光になっていてその顔はよく見えない。
「誰?」
 オレは思わず立ち上がったがすぐに体が傾く。
 力が入らない。
 ゆっくりその人は近づいてくる。
 そして―――
「修司さん」
オレのことを優しく呼ぶ。
 水瀬先輩…。
「こんばんは、水瀬先輩」
 オレが声をかけた瞬間、水瀬先輩は抱きついてきた。
 オレの体は水瀬先輩の体を支えきれなくてベンチに押し戻される。
 ベンチの上で抱き合う姿勢になる。
「…うっ…ひっく………ぐすっ」
「水瀬先輩?」
 水瀬先輩の顔を見ると大粒の涙が流れていた。
「遅刻…です、よね? でも………私、は…間に合い、ま…したよね?」
「あっ…あぁ。まだ間に合うよ」
 しどろもどろになるオレの声。
「あの時のあの約束…私は信じてもいいのですね?」
「あたりまえだ。オレは約束は守る」
「…ありがとう…ございます」
 どちらからともなく再び抱き合う。
「修司さん」
 水瀬先輩の顔が近づいてきた。
「これから…よろしくお願いします」
 目と閉じる水瀬先輩。
 その姿もすでにぼやけて見える。
 そして、オレも目を閉じてそれに答えた。
 冷えた体に、すっと、暖かさが戻ってくる。
 触れ合っている場所からぬくもりが伝わってくる。
 服越し…だけど…やさしい暖かさ。
 表面だけじゃなくて、内面までもが暖められていく感覚…。
 誰もいない…商店街の隅にある公園。
 そんな場所で…オレ達は…二人だけで朝を迎えた。

初出: 2002年8月15日
更新: 2005年8月20日
企画: 二重影
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2002-2005 Suzuhibiki Yuki

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