「この国の未来のために新しい学校の制服を作ってほしい」
魔法の生地を作るぐらいしか能がない私の元にやってきた依頼は国家ぐるみの無茶ぶりだった。
学生時代の遺恨が残る織匠と仕立屋が、共同で制服を作り上げる物語。
長い長い、長い冬が終わり、短い夏を迎えるその少し前の、ふっ、と、寒さが緩んだかなと錯覚する季節。夏用の生地の納品はとっくに終わり、先日からまた冬用の生地の生産を始めている。
「夏も来てないのに冬用の生地作りなんて、一年中冬の気分だわ」
途切れた集中力の被害者を増やすため、織機に向かって作業中のクイナの側まで近づきながら言う。
「なにを今更…。この国に夏なんてないでしょう」
クイナは緯糸を巻き付けたシャトルを慣れた手つきで交換しながら正論を言う。夏用の生地なんていいながら、冬用の生地とほとんど作りは変わらない。自らの製品で夏の存在を否定している事に気がつき、「まあね」と言い返すのが精一杯だった。それでもノーザリア国民にはノーザリア国民としての言い訳がある。
「そりゃあ、クイナの故郷から見たらこっちの夏なんて春の手前ぐらいかもしれないけど―――」
「サーヤがどれだけ夏と言い張っても、雪が解けない時点で冬ですよ、私にとっては」
「…はい」
押し問答にすらならない一方的防戦を強いられている間にクイナは緯糸の交換を済ませると、織機が再び動き出す。オールン式織機の導入から一年が経ち、改良が加えられたそれは、初期型よりもトラブルは幾分少なく、第二工房の本格稼働や、クイナが仕事を覚えたことで順調に出荷量を増やしている。綿糸を発注しているリュースグリ村も住み込みの作業員を募集していると聞いた。
生地作りが軌道に乗ったことで、私の仕事は以前のように魔法の収集と魔法陣の研究に注がれている…と言いたいところだけど、日々押し寄せてくる発注書に追いかけられている。私の代表作であるヒートクロスは細々と売れてはいるものの、製品そのものに欠点も多く、爆発的に売れているとは言いがたい。注文の多くは一般的な綿布なのが現状だ。もしかしたら魔法に触れる機会が少なく、魔法に懐疑的な国民性もあるかもしれない。
この工房のなにが評価されているのか。それは、いままで手作業だった模様の表現を刺繍に依らず機械で織り込むことができるということだ。つまり、まあ、機械の性能だ。私はそんな普通の、気の乗らない注文をこなしながら、片手間でヒートクロスの要である魔法陣の簡略化や新しい染料の開発を進めている。
魔法の力を宿した植物や鉱石などから染料を作り、それによって染められた糸を使って生地に魔法陣を織り込んでいくことで、一年中雪と氷に覆われたこの世界でも快適に生活できるだけの暖かさを持つ魔法の生地になる。数年の歳月と私財のほとんどをなげうって開発したヒートクロスは私の代表作のはずであり、防寒性第一、おしゃれは二の次というこの国の人々の装いを変える魔法の布なのだ。下着二枚に上着二枚、さらに上から羽織って…なんていう光景は過去にしてしまいたい。
だけど、世間一般から見たサーヤ・ストラ機織り工房の代表製品は、工業製品なのに模様がついた布である。そういう理想と現実のギャップも、私の集中力を奪っているのかもしれない。
それを解決するためには、ヒートクロスの最大の欠点であり出荷が伸び悩む原因である、魔法陣に切れ目を入れると効果がなくなる、を早く解決しないといけない。
だけど。
乗り気じゃない普通の生地の方は売り上げも良く、作業員を雇って第二工房を動かせるだけの収入があるだけに、そんなに無理をしなくてもいいかな、なんて思ってしまう。それがいけないことだと分かっていても。
「そういえばサーヤ」
「どうしたの?」
負の思考回路に陥っていたところにクイナの助け船が入る。それが目的ではないと分かっていても、断ち切ってくれたことに心の中で感謝した。
「この織機に蒸気機関を導入するという話はどうなったんです?」
「あー、それね」
私はひとまず相槌を打ちながら、進捗状況を思い浮かべる。古巣であるアイスブランド大学の研究室と共同開発…というよりは一方的にお願いしている改良には一つの課題が立ちはだかっていた。
「蒸気機関の方はもう大丈夫なんだけど、織機の方がまだなんだよね」
「織機?」
「そう。特にこの子の。オールン式は繊細だから、蒸気機関を取り入れようとすると構造から見直しなの。リュースグリ村ので稼働している紡績機は、もう半分ぐらいが蒸気機関に置き換わったって言ってたよ」
「確かにこの織機は機構が複雑ですからね…。初めて図面を見たときは意味が分かりませんでした。今も分かりませんけど」
オールン式織機は従来の織機のように全ての経糸を引き上げて緯糸を通すのではなく、パンチカードの指示に従って特定の経糸だけを引き上げるという複雑な機構になっている。模様を織り込むところとそれ以外のところで別々の緯糸を通すことができ、それが結果的に模様になる。この機構のおかげで今まで刺繍するしかなかった魔法陣を織り込む作業を自動化できる反面、織機そのものの改良には手間がかかる。そもそも、あの天才発明家オールンの作ったものだ。私たちには手が余る部分も残されている。従来型の織機なら私も手を加えられたけど、新しい織機はもはや専門の職人が必要な世界だ。
二人揃って溜め息をつくと、なにも言わずにお互いの作業に戻る。クイナは織り上がった生地の様子を見るために織機の方へ、私は魔法陣を開発するために机に。
しかし、一度途切れた集中力は中々戻ってこない。いっそのこと今日のお昼は私が作ろうか。だいたい、この手の研究開発なんて机にかじりついていれば進むという単純なものではない。魔力を引き寄せる効果、誘魔効果のある染料、それで綿糸を染め上げ、染め上げた綿糸で独自開発の魔法陣を刺繍することで魔法の効果を持つ布が完成する。考えてみたら、その理論も製品化も全て現場、もとい先の大戦の戦場を転々としながら作り上げた物だ。私には壁も屋根もがっしりしたこの工房よりも、グレイベア城やリュースグリ村、グリーンストーン庄にそれぞれあった仮設工房の方が、明日どうなるかわからない場所の方が向いているのかもしれない。
………なんて言い聞かせてみるけど、単純に追い詰められた状況じゃないのが全ての原因だろう。
「さて、どうしたものかしら…」
せっかく気合いを入れて座ったイスからまた立ち上がり、あたりを見渡す。
最初に目に入ったのは織機の次に大きな存在感を放つ薪ストーブだった。一年を通じて凍てつくこの国で生きていくために必要な暖房器具。暖炉よりも圧倒的に熱効率がいいそれは、国内で存在感を増し続けている。御門違いなのは分かってるけど、正直うらやましい。
この工房では私もクイナもヒートクロスを使った服を着て作業をしているから、薪を焚く必要はあまりないのだけど、やってくるお客さんの為にも上着が必要ないぐらいには暖めている。小さく開けられた覗き窓の向こうでは、熾火の状態で安定している薪が見える。赤黒く静かに光るそれは、見ているだけでなんだか落ち着く。
そんな時だった。石畳に蹄鉄と車輪の音がぶつかる音が近づいてくる。ちょうど工房の目の前で止まったのか、窓が遮られ、部屋が少し暗くなる。
「ん?」
思わず声を出しながら窓の方に目を向けると、案の定馬車が一台停まっていた。真っ白な客車の側面にはロイヤルブルーの短剣が八本、一点に刃先を向けた形でぐるりと円を描いている。それはここアイスブランド州の紋章ではなくノーザリア連邦としての紋章だ。この近辺に連邦御用達のお店なん―――ドアをノックする音が部屋に響き渡る。
「ええ…」
思わずクイナの方を向くと「サーヤ、あなたまた…」と絶句される。
「最近はおとなしくしてるわよ…。今開けます!」
ぱっぱと身なりを整えて扉の元へ。一呼吸開けて持ち手を引く。いつもなら軽く音も立てずに開く扉が、このときだけはいやに重く感じた。
「いえ。では、かいつまんで説明いたしましょう。私も落ち着いて、順を追って説明するべきでした」
グラン・レッサはカップをテーブルの上に置き、語り始めた。
戦争に負け、気候や資源に恵まれないこの国は今後どこを、なにを目指すか。
ゼラ様の指導力に頼っていた帝国から州の代表が集まって評議会を置く連邦になり、どうやって国家を束ねていくか。
国家の資本は人であり、人には学が必要である。学があれば大概のことはなんとかなるというのは、戦時中、軍師を務めたユキ様が証明した。学を育むためには現在の教育制度を改め、貧富の差に関係なく、等しく教育を受けられる場が必要である。
「ユキ様が住んでいた国では教育の場において、連帯感を高めるため、帰属意識を高めるために〝制服〟という、学校全体で共通の衣装が導入されたいたそうです。それを聞いたゼラ様は、『連帯感も大事だが、制服を公費で供給することで、貧富の差に関係なく同じ服で教育を受けられるのはいいな』と制服に賛同し、新しい学校制度の始まりと同時に制服を導入することになりました」
「制服…初めて聞いた言葉ですね」
「私もこの件で初めて知りました。ギルド全体で統一の衣装を着ている場合がありますけど、それの学校版だと思って頂ければ」
「なるほど」
私は戦場で見かけた幾つかのギルドの姿を思い浮かべる。紋章だけ統一したギルドもあれば、衣装も揃えたギルドもあった。制服とは後者を指すようだ。
「それで、その制服と今回の私の受章には一体どんな繋がりがあるのですか」
グラン・レッサは再び続けた。
制服の導入にあたって、ゼラ様はデザイナーの指定を顔が広いオスター提督に委ねた。指名されたオスカー提督は、代々付き合いのあるガロック裁縫店をデザイナーに指名した。指名されたガロック裁縫店八代目当主、そして私と裁縫学校の同級生であるミュゼ・ガロックは、栄誉ある指名を条件付きで受領した。生地はサーヤ・ストラ機織り工房に依頼する事を承諾すること、と。
「つまり、ミュゼと比較して圧倒的に知名度に劣る私の工房の生地を採用するため、私に箔(はく)をつけるため、授章の対象になったと」
「端的に言えばその通りです。どうか気を悪くしないで下さい」
痛いところを突かれたのを少しでもそらすためか、グラン・レッサは花茶の注がれたカップを口元へと運んだ。
箔をつけるため、か。でも、受章は受章だ。
「これで気を悪くするような私じゃありません。それにこの程度で気を悪くするなら商売人に向いてないです。私もこの機会を精々利用させてもらいます」
「そう言って頂ければ叙勲部、いえ内務省としても助かります。ですが、一言付け加えさせて下さい」
グラン・レッサは今一度姿勢を正して私の方を見つめてくる。若い顔つきだと思っていたけど、よく見ると目尻には深いシワが刻み込まれている。この人もいろいろ苦労してきたのかもしれない。
「なんでしょう」
「本来叙勲は過去の栄誉を称えるものです。人によってはそれがゴールになってしまう。ですが、これはあなたの、いえ、ノーザリア全体の未来へ向けた投資です。どうかその点をご理解下さい」
「ずいぶん大胆な博(ばく)打(ち)ですね」
「博打、確かにそうかもしれません」
小さく吹き出しながらも彼は否定しなかった。私としても、下手にフォローされるよりは気が楽だ。
「私が思うに、技術者は自らの研鑽、やる気だけでは限界が来ます」
私が今まさに陥っている状態だ。プレッシャーもなくたるみきった状態では生まれるものも生まれてこない。
「人は、求められることでも成長します。このお話、喜んで承りましょう」
ラスト大陸の覇権を懸けた、ノーザリア、ファイアランド、エルダーグランの三国による戦争は二年に及ぶ戦いの末に決着し、どの国も痛み分けのような結果に終わった。一年中雪と氷に覆われたこの国、ノーザリアは日々の生活にも苦労し、故に新天地を求めて戦争したとも言われているけど、結局は元の鞘に収まることになった。
終戦から二年。人々の生活は落ち着きを取り戻し、多くの人は前を向いて歩き始めている。少なくとも、明日に向かって歩いている、そんな希望にあふれているように見えた。戦時中は各地を転々としながら魔法の研究と機織りに没頭していた私も、故郷である首都アイスブランドへ戻り、そんな光景に背中を押されるかのように魔法の研究と機織りの続きに勤しんでいた。
そんなある日、その知らせは突然訪れた。
裁縫師と協力して、この国の未来を担う子供達が通うことになる新しい学校の制服を作って欲しいと。
だけどその裁縫師は、裁縫学校時代の因縁が残る裁縫師だった。
二か月にわたってWeb上で連載された小説「流浪の裁縫師」の自己スピンオフ。本編終了後のサーヤとミュゼの歩みをお楽しみ下さい。本作だけでも楽しめるように構成しています。
この作品は、イラストコミュニケーションサービス「pixiv」でarohaJ氏がファンタジーを盛り上げるために行っているユーザー企画「pixivファンタジア」の10回目、「pixivファンタジア
Last Saga」(以降、PFLS)において、鈴響雪冬が投稿していた小説「流浪の裁縫師」のスピンオフ作品です。国や城などの地名、国王や提督などの要人については、arohaJ氏が創作したもの(公式情報、公式キャラクター)であり、それらにまつわる設定の一部は他の企画参加者による解釈の引用が含まれます。
一方で、本作の主要な登場人物、サーヤ・ストラ、クイナ・ブング・ベルガー、ミュゼ・ガロック等については私による創作です。
本作を読む上でPFLSの公式ストーリーや「流浪の裁縫師」の本編を読む必要はありませんが、興味を持った方は企画ページにアクセスして頂ければ幸いです。もし機会があれば、未来のpixivファンタジアの戦場で相対しましょう。
ジャンル | 二次創作(pixivファンタジア)・ファンタジー | |
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発行日 | 2019年10月22日(制服コレクション) | |
仕様 | 頒布価格 | 200円 |
大きさ | A5縦 | |
ページ数 | 表紙込み42ページ、本文30ページ | |
文字数 | 約2万2000文字 | |
段組 | 上下二段組み・ゆったり(9.5pt・20行) | |
作者 | 文章 | 鈴響雪冬 |
表紙 | 鈴響雪冬 | |
装幀 | 鈴響雪冬 | |
印刷・製本 | 表紙 | 4色フルカラー(インクジェットプリンタ) |
本文 | 白黒(レーザープリンタ) | |
製本 | 並製本・平綴じ | |
用紙 | 表紙 |
FKスラットR・IJ Nホワイト(939×650連量110kg、厚さ0.2mm) |
効き紙 | クラシックリネン-FS 雪(菊判連量70.5kg) |
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本文 | オペラクリームウルトラ(四六判連量68.0kg、坪量79.1g/㎡、厚さ0.128mm) |
日付 | 変更内容 | 詳細 |
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2019年10月26日 | 改版しました | 誤字脱字を改め、第2版へ改版しました。 |
2019年10月26日 | 表紙のデザインが変更になりました | 第2版から表紙のデザインが変更になりました 。 |
2019年10月26日 | 本文用紙が変わりました | OKプリンス上質エコG100→淡クリームキンマリ(四六判連量90kg、坪量104.7g/㎡、厚さ0.121mm) 当該用紙が受注生産に移行し、発注先業者Sでの取り扱いが終了したため。 |
2019年12月28日 | 電子書籍の配信を開始しました | BOOTHにてPDF形式の配信を開始しました。 |
2020年1月7日 | 電子書籍の配信を開始しました | BOOTHにてUDフォント版の配信を開始しました。 |
2020年1月18日 | 電子書籍の配信を開始しました | BOOTHにてEPUB形式の配信を開始しました。 |
2020年8月10日 | 電子書籍の配信を停止しました | BOOTHで販売していた電子書籍の全バリエーションの配信を停止しました。 |
2021年11月6日 | 改版しました | 誤字脱字を改め、第3版へ改版しました。 |
2021年11月6日 | 本文用紙が変わりました | 淡クリームキンマリ→オペラクリームウルトラ(四六判連量68.0kg、坪量79.1g/㎡、厚さ0.128mm) 気分転換。 |
2021年11月6日 | 製本方法を変更しました | 製本の手間を考慮して無線綴じから平綴じに製本方法を変更しました。 |
小説作品は表現の変更をその都度行っているため、誤字脱字のみ掲載しています。
ページ | 誤 | 正 |
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4ページ | サーヤ・ストラ(22歳) クイナ・ブング・ベルガー(19歳) ミュゼ・ガロック(22歳) |
サーヤ・ストラ(24歳) クイナ・ブング・ベルガー(21歳) ミュゼ・ガロック(24歳) |
8ページ下段 | グリーンストーン庄にそれぞれあった仮説工房の方が、 | グリーンストーン庄にそれぞれあった仮設工房の方が、 |
11ページ上段 | ゼラ様に国を託されたレイオン議長も所属する最高組織だ。 | ゼラ様に国を託されたレイオン議長も所属する最高機関だ。 |
ページ | 誤 | 正 |
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4ページ | クイナ・ブング・ベルガー(23歳) | クイナ・ブング・ベルガー(21歳) |
11ページ上段 | ゼラ様に国を託されたレイオン議長も所属する最高組織だ。 | ゼラ様に国を託されたレイオン議長も所属する最高機関だ。 |
既知の誤字脱字はありません。