ひかりの無い世界があるとしたら、それはどんな世界だろうか…。そんなことは想像したくない。でもね、世の中にはそんな世界しか見られない人がいるんだよ。
主人公のクラスに、ある人が転入してきた。その少女の名前は田村由梨絵。彼女は目が見えない。ただ、それだけ。他の人と違うことなんて、何一つ無い。
―――だからね、普通に生活しているんだよ。
―――そしてね、普通に恋をするんだよ。
盲目の少女、田村由梨絵と盲導犬の薫。そして、主人公を中心にさまざまな人がお互いに支え合い、成長していく…。そんな中…主人公…河口聡は田村由梨絵に恋をした…。
鈴響雪冬の書く創作恋愛小説では、はじめてのシリアス作品となる『光になりたい』。繊細な言葉で彩られる小説は、明らかに過去の作品とは異色です。
…走る…。
……走る……。
………走る………。
息がもつれる。
風が流れる。
体が流れを作る。
全ての物を後ろに押し流し、俺は前に進む。
―――あそこだっ!
心の中で叫び、体をスレスレまで傾ける。多少足が滑りそうになったが、グリップが効く。
「せいっ!」
相手との距離を急激に狭める。叫ぶと同時に右肩を張りだし、渾身の一撃。肉体同士とは思えないほどの鈍い音がし、濁った声が聞こえ、一人の男が吹っ飛んだ。
「ざけんじゃねぇよ!」
俺の叫び。
さっきまで聞こえなかった音が聞こえてくる。自分の鼓動。微かなザワメキ。そして…狼狽の声―――
「お前…何を考えてやがる」
そして…相手の声。
それは壁に反響し不気味に聞こえる。だけど…その言葉は俺になんの恐怖も与えない。まるで………空虚な言葉。お前らの頭の中身のように。
「それはこっちの台詞だ」
何時ものように…いや…何時もより淡々と俺は語りかける。その声に、俺の視界に入った一人の女性が顔を引きつらせた。俺は素早く上着を脱ぎ、その女性に手渡す。
「薫は田村さんから見て六時の方向にいる。逃げろ」
何か言いたそうなその顔を俺は言葉で制す。
「何も考えるな」
田村さんは折りたたんであった白杖を一本の棒に戻すと、壁づたいに薫の元へと向かった。
「お前はあの時の…」
「せいっ!」
何も言わせない…。前に出てきた男を上段蹴りで跳ね飛ばす。
「なにしやがる!」
「関係ない。女に手を出したお礼だ。沢山あげたいものがあるんでな…それに言いたい事もあるからな」
その一言に空気が一気に重みを増した。流れている風が止まる。押しつぶされないように俺は心で気合いを入れる。
負けるかよ…。何時だって誰かのために戦う時は無敵になれる。
「てめぇ…どうやら痛い目にあいたいようだな」
「それはどうかな」
「調子くれてんじゃねぇ!」
発火点の低い奴ら―――男の右手が下から跳ね上がってきた―――考える暇もない…。
ぐっ!
顎を下から叩き上げられ、体が後ろに反り返る。
「ちっ…」
後方に着地した体を跳ね返らせ、相手に近づくと、右足から変化を伴った中段蹴りを入れる。下段に見据えたその脚を、膝を中心に上方に回転させたその蹴りは相手の脇腹を確実に突く。
「っ!」
母音が欠落したその声の持ち主は地面へと帰還する。
残り三人。
!
不意に後頭部に重い衝撃を受け、俺は体のバランスを急激に失った。
何時の間に後ろに。
倒れつつある視界の中には二人しかいない。
―――させねぇよ。
両手を同時に地につくと、全身のバネを働かせ体を跳躍させる。前方倒立転回…いわゆるハンドスプリングを決め、前にいた二人は俺の後方に滑り込んだ。走ると言う行動は全ての運動の基本…。いつの頃か叩き込まれた気がする。
寸隙ののち、振り返ると同時に再び上段へ。
―――脚だけは使うな…って言われてたな。
「はっ!」
頭上へあがった脚を一気に直角に降ろす。肩口に当たり、相手は苦肉の顔を浮かべる。
「なめんじゃねぇ!」
最後まで発せられる事の無かった相手の声は急激に近づき、風を巻き付けた拳が俺を襲う。首を捻りつつ、その勢いで体を反転させると、血がにじむくらいに握ったその拳をたたきつける。
堅い!
「ひょろいんだよ…」
直後、何時の間にか向き直っていたその体…そして膝が俺をめがけて噴気を起こす。
やられる…。
腕と腕をクロスさせ、攻撃が当たると思われる場所に俺は意識を集中させる。だが、衝撃は腕を貫通し、俺の体を襲った。
核が…違う。こいつ…。
十分に距離を保って俺は立ち上がる。残りの二人は壁際に移動し、戦局を見守っていた。
背の高い男は突っ込んでくる。俺は反撃の体制―――早いっ!
出された拳は…左手。予想外の事態に俺は困惑する。
体重移動が間に合わない…。
上体を捻り、その遠心力で拳を外側に弾く。だが、その軌道を完全に変える事は出来ない。力が重すぎる。
過去に軽量化を重ねたこの体で…あの重さに勝つ事が出来るのか。右肩にかすったその攻撃すら、俺の体を徐々にむしばむ。俺は体制を立て直すために、再び後ろに下がった。
振り返るな。あそこには守るべき人がいる。ここを超えられてはだめだ。もう少し…後もう少し…。その数刻を戦い抜けば十分じゃないか。ただひたすら己の体力を温存し、時間が解決するのを待てばいいじゃないか。だが、相手にはそんな考えはない。その証拠に、ほら、また突っ込んでくる!
軽そうな体から繰り出される一連の攻撃は正確性こそ無いが、それを補うだけの十分な重みがある。…再び左手。俺は体を滑り込ませ、相手の懐を見据える。距離が縮まる時間が半分になる。攻撃に入っていた長身の男はその時間に対応出来なかった。右の拳を相手のみぞおちに叩き込む。
『力=質量×加速度』
軽く後ろに反発した相手の脇腹めがけ、今日何度目かの回し蹴り。そして、鳩尾への攻撃を追加した。
「うっ」
多少後ろに反り返っただけ。
…化け物。
バランスを崩している長身の男に対し、脚を蹴り払う。今度は後ろに相手の体が流れる。距離を詰め、姿勢を低くし、肘を突き出し、損傷は少ないが痛みを伴う太ももを狙う。
「せいっ!」
柔らかいものに突き立てるような感覚が肘を襲い、攻撃が当たった事を示している。俺と同時に地面に倒れ込んだ男は…気絶しているようだ。肩をさすりながら俺は立ち上がった。右側に一人の男を確認し、もう一人は―――
刹那、視界が一周し、次の瞬間には空が見えていた。
「だりぃ」
さっきまで左の壁際にいた男が発した言葉…。それと同時に俺を襲った衝撃…。体が言う事を聞かない。全てが俺の意識と切断されていく。これが、気絶って奴か…?
頭が鈍い。
音が遠ざかっていく。
薄れゆく意識の中で、「君達!」と微かに聞こえた気がした。