「君は爆心地」転枝 / 六月のクモノミネ
私がこの本の存在を知ったのはいつだろうか。
いずれにせよ、比較的早い段階、もしかしたら新刊告知として流れてきたツイートを見たぐらいのタイミングだったかもしれない。本の存在を知っていても、実際に手に取るかどうかは別問題なのはわざわざ書くまでもなく、私もしばらくはその状態だった。
そして5月に開催された「Text-Revolutions Extra」(以下:テキレボEX)でもその本は頒布されていた。最初は「そういえばこの本見たことあるな」ぐらいの認識だったが、あるとき告知文のなかに、この本を強烈に印象づける、そして買うにまだ至らせた言葉を見つけた。
「震災後文学の新地平
」
この本のストーリーは作者の紹介文を引用するとこうなる。
新宿に核が墜ちた。
それに私は、少し、泣いただけ。七年前、新宿に墜ちた核ミサイル。爆心地で生き残った青桐アサミにもちかけられた、平和記念式典でのスピーチの依頼。彼女の身の回りで起こる、やるせない出来事の数々。それに彼女は少し泣き、それでも訪れる日常は今日も暮れる。
震災後文学の新地平、起動。
一言で言えば原爆の話である。そしてなぜこれが震災後と結びつくのかが私には分からなかった。震災と原発、分かる人にはこれだけで共通点が思い浮かぶかもしれないが、少なくとも私には分からなかったのである。あるいは私が震災に近い場所にいたこと、そして当然原発とは距離があること、そのことが意識の隔たりを生んでいたかもしれない。
この作品がどのように震災後と結びつくのか。それを確認したいがためだけに私はこの本を買ったと言っても過言ではない。
読んでみて最初に感じたのは、この本はいわゆる「サバイバーズ・ギルト」を主題の一つにした物語である、ということだ。それは震災後だろうが原爆後だろうが、共通する題材であり、「なるほど、だから『震災後文学』なのだ」と理解した。
- サバイバーズ・ギルト
- 災害や事故などによって周囲の人々が命を落とす中、九死に一生を得た人が、自分が生き残ったことに対する罪悪感、後ろめたさ、申し訳なさ、自責の念に苛まれること。
さて、震災後文学とはなんだろうか。
震災後に書かれた文学のうち、震災による影響を何らかの形で受けたものは震災後文学と言うことができるだろうが、私のざっくりした理解では「あの日から変わってしまった日常を描く」というあたりがテーマになっているように感じる。
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「君は爆心地」は、どこにでも居るような普通の女子高生(被爆当時は小学生)が、原爆というどうしようもない不可抗力によって生じた、周囲から押しつけられる役割と自分との葛藤の物語だと思う。これは、ある意味震災における対立軸にも似ているかもしれない。「もう復興は終わった、いつでも遊びに来て欲しい」と思う被災地のお店と感動仕立てのストーリーにしたい番組制作会社。あるいはそもそも「被災者」や「被災地」という呼称だって、周囲が彼らあるいは彼の地を切り離して呼ぶために付けられているといっても過言ではないだろう。
周囲からの視線というのは、通常、その環境に依存する。家族関係、学校あるいは社会、そういった中における自分の立ち位置で自然と決まっていく。故に普通は徐々に顕在化するものであり、当事者も「そんなものだ」と飲み込む期間が十分にある。
しかし、この主人公については、ある日突然その立場が変わってしまったのである。教室という狭い範囲にありがちな、ある日登校したら攻守が入れ替わっていたというレベルではなく、クラス替えをしても、進級しても、引っ越しをしたとしてもそれはついて回る。あの日を境に変わってしまった周囲の目、あるいは、自分に課せられた役割の中で、自分は自分でありたいと思う。
ある日突然生じたギャップを飲み込むのはとても大変なことだろう。
これはそんな環境の中で、彼女が彼女らしくあるために、ちょっとだけ頑張る物語である。
原爆という言葉に引っ張られそうになるが、この物語は、大人になるために、あるいは自分が自分であるために一歩歩みを進める物語である。彼女を引き取った義父も、彼女の友達も、先生も、彼女自信も少しずつ前に進んでいく。変化することよりも変化しないことの方が圧倒的に多いだろう。それでも人々はあるべき姿を模索するし、その行動こそが自分という存在を作っていく。
平和記念式典でのスピーチを経て彼女自身は、彼女の人間関係はどうなったのか。それが凝縮された最後の台詞までぜひ読んでいただきたい。
「はなけっと」主催による突発的なイベント「エアはなけっと」が無事に終了しました。参加した皆さんお疲れ様でした。
個人的には開催期間中の頒布数0でしたが、当日は岩手の写真(風景、食べ物問わず)をたくさん見ることができたのでよかったです。というかほぼそれがメインでしたね。本は1サークルから2冊購入してます。
さて、エアはなけっと向けにBOOTHに小説作品を並べたのですが(なんと約8年ぶりの小説通販です)、頒布数0というのが結構心に響いていまして。小説が読みたい方はテキレボEXでほとんど購入されたというのもあると思いますが、やっぱり小説の通販は厳しいなあというのが本音です。
小説の通販を復活させるというのは今年に入ってから考え始めていて、ネコポスの段ボールのサイズはどれがいいかだとかいろいろ調べていたところではあったのですが、今回の結果を受けてやっぱり通販しなくてもいいかなあという考えに戻りつつあります。昔やっていた通販も利用回数1回だけでしたしね。
新作があればまた話は変わってくるのかもしれませんし、現在の最新作がPFLSのスピンオフというのもあって、手に取りづらい&すでに持っている作品ばかりなのは重々承知ですが、BOOTHに乗せると言うことは、申し込みが来たら即座に発送というスクランブル待機を維持することになるので、ちょくちょく申し込みがある写真集ならともかく、ほぼ来ない小説のためにそれをするというのは結構な負担になると思います。その点電子は購入=ダウンロードできるようになる、なので、販売側にも負担がな点が楽ですが。
以前の通販(2011年頃までサイトで行っていた通販)はイベントが終わってから一週間は送料半額、みたいなことをしていましたけど、それに似せるような形で、新刊のみイベント終了から二週間だけBOOTHで販売、という形はありかもしれません。これなら身構える必要もありませんし、イベントに参加できないけど欲しい方(いれば)に届ける事ができますしね。
話は変わりますが、試験的に行っていた「その思いを制服に込めて」の電子版の配信も合わせて終了します。元はPFLSで連載していた小説のスピンオフということもあって、電子版でもいけるかなという思いはありましたが、こちらも頒布数0で半年経過でしたので終了します。PDFはまだしも、EPUBは一太郎の原稿データから直接書き出せるほど一太郎のエクスポートは有能ではないので(変換用の別ファイルを作ってる)、一手間ありますし、今後どうするかは新刊を書き終わった際にまた改めて考えたいと思います。
日本100名滝に選出されている熊野市の布引の滝ではなく、津市の方の布引の滝です。布引の滝っていろんなところで使われてるので紛らわしいですね。
津市の布引の滝は情報もあまり少なくて、個人ブログとかでちょいちょい登場するぐらいで、行き方についてはかなり念入りに調べました。
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
展望台から見た図。管理されてない展望台あるある、剪定されていなくてよく見えない問題。作ったらちゃんと管理もしよう??
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
かろうじて形を保ってる遊歩道を降りて下から撮影した一枚。布引の滝は全体で4瀑からなる滝なのですが、下から見えるのは3瀑までかな? 一番大きいのは上の遊歩道まで戻ってぐるっと回り込む必要があるので、ここで諦めました。
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
観光団体とかが運営するサイトは全く役に立たないですが、とりあえずリンクを置いておきます。
途中までは車で行けるので車で行くのが正解ですかね? 4kmほど歩きました。
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
滝の側に降りる遊歩道の今の様子。正直ちょっと不安です。
α6600(ILCE6600) + SEL1670Z(E 16-70mm F4 ZA OSS)
何度かすれ違ったニホントカゲさん。美しいです。