レンズ交換式カメラの界隈には「レンズ沼」という言葉があります。どんどん新しいレンズが欲しくなり、ずぶずぶはまってしまって抜け出せなくなる様子はまさに沼ですね。カメラ用のレンズというのは安いのは3万ぐらいからありますけど、ボリュームゾーンは10万前後のような気がします。そう言う単価のレンズを沼にはまるがごとく買いあさるとどうなるかはお察しの通りです。
先々月にα5100を購入した私ですけど、現在のレンズ構成は次のようになっています。
ちなみに私のカメラはAPS-Cですので、35mm換算する場合は1.5倍です。
数字を見て内容が分かる方は分かると思いますけど、望遠側が不足していますね。尤も、普段から広角気味でカメラを使うことが多いので、今後買い足すかどうかは不明ですけど。
さて、そんな中SONYから新しいレンズのロードマップが示されましたけど、その中で気になるのがいくつかありました。
前者は広角から望遠まで幅広くカバーできるレンズで、わかりやすく言うと光学10倍ズームで手ぶれ補正付き。望遠側のF値が6.3なのはしょうが無いとしても、24-240mmを一本でカバーできるのはありがたいかもしれませんね。ちなみに今までの望遠は純正で210mm、タムロンで200mm(いずれもF値6.3)が最大だったので、240mmはEマウントでは一番望遠になります(ミラーレンズで400mmがあるがそれは除外)。フルサイズ換算360mmとなると月を撮ったりするのにも使えますけど、その目的で使うことあるかなあ…。
後者は既存の商品であるSEL1670Z(E16-70mm F4 ZA OSS)のリニューアル版みたいです。鏡胴が20%程短くなるらしく、標準ズームとして使い勝手が良くなるかもしれません。
後者の製品は標準ズームレンズキットに付いてくる物よりも広角側も望遠側にもレンジが広がっていて、F4通しということもあり使い勝手がいいのでしょうけど、鏡胴が長い(多分標準ズームレンズの2倍ぐらい)のがネックでした。
後者についてはもう一つ私好みのところがあって、普段使いしているCanonのS100の画角が35mm換算で24-120mmなのですが、16-70mmを35mm換算すると24-105mmとなり、広角側が一致します。S100を使い始めて2年ぐらいしか経っていませんが、本格的にカメラを使い始めた最初の機種ということもあり24mm相当という画角は私の中でスタンダードになってしまっています(普通は50mmや35mmが標準的な画角と言うみたいですけど)。標準レンズである18mm(35mm換算27mm)の画角が、頭の中の画角と一致しない場面が結構あるので、これは値段がこなれていたら買ってしまうかもしれませんね…。
ちなみに現在の販売価格が9万弱なので、新製品もそのぐらいになることを考えるとそこそこいいお値段でしょうか。
今日は171年ぶりの2回目の十三夜(後の十三夜)ですね(旧暦の閏月は月の周期に合わせて閏月を入れるため9月の後にもう一度9月を入れるのが171年ぶり)。それにしても旧暦というのはこの辺の処理がおおざっぱというか何というか…。
その関係もあってか、蒼瀧さんが月の写真をTwitterに投稿していて、それを見て触発されて外に出たんですけど、周囲の環境も相まって月の位置があまりいい位置ではなかったんですけど、代わりにオリオン座がいい具合に綺麗だったのでそっちの写真を撮ってみました。普段星空を撮る時は満月の前後は外すので何気にいい機会だったかもしれないです。
α5100 + SEL24F18Z (E24mm F1.8 ZA)
超広角レンズで星空を撮ってもいいんですけど、広角過ぎて星が点になってしまうのでソフトフィルターを買わないとですねー。
ふ、と、目が覚めたら5時30分でした。もう一度眠ろうかなと思いつつ枕元のタブレットでTwitterのタイムラインを眺めていたら、つむぎさんが散歩に行こうかなというツイートをしていて、それだ、と思いました。そういえば朝日も見られるんじゃあ…ということであわてて音声検索。
まだ間に合う!
ということでコートを着つつカメラバック片手に外へ。
普段使っているRAW現像ソフトのLight roomがα5100に対応していないのでJPEGをフォトショでリサイズしただけのお手軽仕上げで。
※α5100 + SEL1018 (E10-18mm F4 OSS)
多分今回一番お気に入りの写真。日の出前の静かな雰囲気って好きです。
刻々と状況が変化するのが日の出ですから、何枚か同じような写真があるんですけど、これが一番好きかな。ピントが船にあってるのが今思えばちょっと残念かも。
※α5100 + SEL1018 (E10-18mm F4 OSS)
防波堤の先端で一枚。青色からオレンジへの流れるようなグラデーションが素敵だと思います。あと秋っぽい雲がいい感じ。高積雲なのかな?
写真の左上と右下に見える光の玉はフォトショのフィルターの逆光でおなじみのレンズフレアですけど、私は嫌いじゃ無いです。
※α5100 + SEL1018 (E10-18mm F4 OSS)
気がついた方も居るかもしれませんが、今日からページの一番上にあるサイト名の背景画像が変わっていますけど、これが元の写真です。古い画像のままの方はCtrl+F5で再読み込みしてみると更新されると思います。
「空」の左にある太陽から伸びる放射状の光はフォトショでの加工ではないことが分かります。カメラの絞りを絞るとこういう模様が出るんですよね。ちなみにF値は10のはず。
※α5100 + SEL1018 (E10-18mm F4 OSS)
帰り道での一枚。今回のラストカットです。漁船ってかっこいい。
24mm(換算35mm)の単焦点でも何枚か写真を撮っているんですけど、こういう写真は広角の方が好きだなーと、取り込みし終えた写真達を眺めながら思います。
とりあえずLight roomはα5100のRAWの現像に早く対応して欲しいです。
かれこれ2年前の話になりますけど、ワンフェスの個人ディーラーがビブリア古書堂の栞子さんのガレージキットを配布したという、私にとって衝撃的な事件がありました。(似たような話でGOSICKのヴィクトリカも衝撃的でした)
ですが、ワンフェスの個人ディーラーを普段から追いかけては居ないので、そういった情報のほぼ全てはワンフェスが終わった後のレポートで目にするのにとどまります。もっとも、事前に知っていたとしてもガレキの多くは自分で着色をする必要があるので買ってくるかと言えばほぼあり得ないでしょうけど。
そしてその1年後、なんとToy's worksという会社からその時の栞子さんが着色済みモデルとして販売されるという第二の事件が起こりました(ちなみにGOSICKのヴィクトリカもその後フィギュア化されています。最近はこういう流れって多いのでしょうか…)。とはいえ、お値段は1万円(税別)とフィギュア的には普通でも私的にはいいお値段。もともとフィギュアを飾ると言うことを率先してやっているわけでは無いので、結局買わずに今に至ります。
そう、ついこの間までは。
ある日、突如として始まったAmazonのおもちゃ関連商品の値引き販売。フィギュアも数百種類がその対象となっていると言うことでにわかに盛り上がります。一応どういう商品が売られているのかと確認するために、セール品一覧を眺めてみました。すると、フィギュアだけで13ページほどあったかと思うのですが、その最後の2ページ目あたりに、栞子さんのフィギュアを見つけてしまったのです…。4735円(税別)で…。
とまあそんなこんなで栞子さんを我が家にお迎えしてかれこれ一週間が経つんですけど、届いた初日に撮った写真にちょっと不満がありました。
※α5100 + SEL24F18Z (E24mm F1.8 ZA)
こういったサイズの物を撮影するための撮影ブースとかがあれば見栄えは全然違ってくるんでしょうし、造形の話をすると顎のラインが私の好みと違うかなーという部分はあるんですけど、それを差し置いても何かが違う…けど、何が違うかは分からないという状態のまま、元の箱に戻してしまいました。
今思えば原作の栞子さんの柔らかい(そして時に冷たい)イメージが、この写真では完全に冷たいイメージになってしまっていて、その辺のギャップがあるんだと思います。
ここまで前置き。ここから本題。
掃除も洗濯も終わり、羊羹を食べながら珈琲を飲んでいた15時。ふと窓の外を見ると、山の上から降りてきた紅葉が私の家の目の前まで差し掛かっていることに気がつきました。そしてなぜかその瞬間、「これだ!」と閃いたのです。
※α5100 + SEL24F18Z (E24mm F1.8 ZA)
電線がうっすらと写ってしまっているのが玉に瑕ですけど、背景が黄色やオレンジに染まる紅葉というだけで見違えるように綺麗になりました。冷たい雰囲気が薄れ、暖かみも増しているように見えます。
今回は背景をぼかすために明るめの単焦点を使いましたけど、ロケーションが許せば超広角レンズでパンフォーカスするとまた違った絵柄になるのかなーと思って見たり。
フィギュアの写真撮影って特に興味は無かったんですけど、絵作りを考えるという部分は結構楽しいかなー。
キャラ物のマグカップとか実用的で「ほしいなー」って思う事が結構あるんですけど、今使っているマグカップが壊れないと出番は無いだろうということでいつも買わずに終わってしまいます。2個も3個もあっても仕方が無いですしね(といいつつ3つぐらいある)。
とまあそんな感じで今のマグカップが壊れる様子が一切無いんですけど、「そういえばこのマグカップ何年使ってるんだろう」と思って考えてみたら、10年物でした。マグカップって中々壊れないですね…。
キャラグッズ以外もそうなんですけど、マグカップでありがちなのが、右手で持った時にしか絵柄が見えないような印刷、つまり片面にしか印刷されてない物って結構あるんですよね。私は左手側にマグカップを置くのでそれだとキャラが見えないんです。同じ柄でもいいから左右どっちの手で持っても絵柄が見えるようにして欲しいです。
オリジナルアニメということで何となく見始めた「結城友奈は勇者である」ですけど、これが結構面白くて、今期の一番の楽しみになってます。伏線っぽい部分が多数あるほか、6話の時点で全12体あるというバーテックスを全て倒してしまって、今後どうなるか読めないところがあるのもまたいい感じ。
ということで「うたわれるもの」に続いて久しぶりのアニメ考察でも。考察というか、気になるところに自分なりの解釈を入れてみただけですけどね。
勇者らしい振る舞いをすることで花びらが満開に近づいていき、満開することで神のごとき力をふるうことができる満開システム。さらに満開を繰り返すことで勇者としてレベルアップしていくという部分。
第6話で4人が満開になることでバーテックスを倒すことができましたけど、その4人には後遺症が出ましたよね。後遺症によって体の一部が不自由になったわけですけど、これが今後も同じ展開なら、勇者としてレベルアップする=人間としての機能を失っていく→何回か満開をすると人間として居られなくなる=神になる、といえるのかなーと。
東郷さんが過去2回満開をしていたと仮定すれば、右足と左足がそれぞれ使えなくなっているという説明もできてしまうのが気になります。更に東郷さんだけ精霊が3匹居ますけど、過去に2回勇者になる機会があって、それぞれの期間で1回ずつ満開を行い、右足と左足をそれぞれの期間で不能になっているという一連の流れも何となく見えてくるのかなと。
事故によって両足が不自由になっていると言ってますけど、事故の前の記憶が曖昧ということもあるので、過去の勇者の経歴については忘れている・封印されているのかなーと。第2話で「変身したら落ち着いた」という台詞もあり、気になるところですね。
東郷さんの精霊に関しては更に気になるところがあって、不知火、青坊主、刑部狸と全部妖怪の名前なんですよね。そして三つ目の刑部狸が四国最大の神通力を持っているのが、この世界観における四国以外は全部アウトという部分に繋がっていそうな気がします。ちなみに2話の変身シーンの後最初に登場する精霊も刑部狸で、これがデフォの精霊だと考えられます。2回の満開を経て強くなっていると仮定すれば、3匹目の精霊が四国最大の神通力を持っているという部分に関連しそうな気がしませんか。
更に深読みすると不知火は和歌で言う筑紫の枕詞で、筑紫は九州の事を指すことを考えれば、四国以外がウイルスに冒されているという世界観において、九州がまだ無事だった頃……などと深読みできそうですね。
少なくとも、「以前にも襲ってきたらしいんだけど、その時はがんばって追い返すのが精一杯だった」という台詞も2話には登場していますし、過去にも似たようなことがあったと言うことは確定でしょう。
ちなみに私は東郷さんが好きです。
まだ上手く関連づけ出来ていないのですけど、満開の後遺症と精霊とその人の好みというか生きがい的なところが重なってる部分があるような気がします。
樹は「こだま」という精霊を持ち、「歌うこと」に目覚めて、満開の結果、声を失った。
友奈は「牛鬼」という精霊を持ち、「食べることが好き」で、満開の結果、味覚を失った。
他の2人は関連づけができていないんですけど、この2人はこの流れで説明できるのかなあ。
バーテックスは英語で「頂点」という意味のようですけど、幾何学的な意味での頂点もバーテックスと言うようです。バーテックスの心臓とも言える「みたま」が四角錐という幾何学的な形を持っているのも気になります。
ちなみに12体に関連づけて12の頂点を持つ幾何学的な形状と言えば、正二十面体がありますね。正多面体の中では最も面の数が多いのが特徴です。最も面の数が多い、すなわち最大規模の正多面体という点でも頂点と言えるかもしれません。
バーテックスの心臓とも言える「みたま」ですけれど、これがもし「御霊」なら、神霊や祖霊の魂の事なんですけど、祖霊は祖先の霊なのは字面の通りで、神霊は神道的な見方をすれば人は死んで神になる事から、これも祖先の霊と言い換えることができます。そう言ったのをさしおいても、御霊は基本的には尊敬語ですから、自分よりも上位の物を指す言葉であることには違いありません。
いずれにせよ、神樹様も御霊も本来は神として崇められる存在でしょう。神道的な視点で見つめるなら、神とは畏れるものであって、畏れたり(かしこまったり)畏れたり(危険を感じて不安になる)する物であり、一方的に敵や味方と決めつけられない部分があります。
一話の人形劇で舞おうと仲良くなって終わりというエンディングが描かれていますけど、案外これが正解なのかもしれませんし、ミスリードという可能性もあるでしょう。
「真実ほど人に残酷なものはないだろう
」などと暗い部分がある一方で、「その願いが世界を導く
」という明るい部分もあり、この作品の二面性を示しているような気がします。
神樹様が八岐大蛇に似ていることから、神樹様を国つ神(天孫降臨以前から国土を納めていた神)、バーテックス(頂点)を天つ神(高天原の神)になぞらえて考察している方も居るようですけど、神樹様を八岐大蛇とするのはある点において説明しがたい部分があって、八岐大蛇って山陰地方なんですよね。
ただ、八岐大蛇の下り以外は納得できます。西日本を代表する信仰の中に「犬神」があって、犬神の本場は四国という説もあります。ちなみに風(気象現象では無い)の精霊って犬神なんですよね。怪しい。
大分脱線してきましたけど、更に脱線すると神樹様をご神木と読み替えると、何年か前からニュースになっているご神木に除草剤を注入して枯らしてしまうという事件が四国を中心に起こっていますけど、案外この辺にオマージュ元があるかもしれませんね。
何にせよようやく折り返し地点の6話が終わったばかり。残りが楽しみですね。