拝啓。
ディスプレイが新しくなりました。
モニターを買い換える時は必ずサイズアップするというのがマイルールなのですが、今回もFullHD(1920x1080)→WUXGA(1920x1200)へ無事にサイズアップできました。縦方向のドット数が広がると、縦書きの編集が楽になりますね。
思えば2年から3年ごとにモニターを交換してますけど、基本的に壊れたら交換だったので、今回みたいな買い換えは初めてかもしれません。
しかし、日記のサボり癖が出るとまずいですね。
ReSin-ensのプロット作りを継続中です。大筋の所は予定どおり12月中にまとまりそうなので一安心ですが、来年早々からちょっとリアル方面で面倒な事になりそうで、本文執筆にどのぐらい影響が出るか未知数なところがあります。
4巻については明確な〆切を設けず、書き上げたら発表という昔ながらのスタイルで行こうと思うのですが、あまり後ろに伸びすぎても…という気持ちもあります。ちなみに各巻の執筆期間は、1巻で8ヶ月、2巻は10ヶ月、3巻は14ヶ月かかったので、4巻は18ヶ月かかるんじゃないかという危なげな流れもあったり、なかったり。執筆期間で並べると1巻<2巻<3巻ですけど、文章量で並べると3巻<1巻<2巻なので、長さと時間は比例しないなあと。
現時点で確定していることは、次の新刊はReSin-ensだということ。基本的にReSin-ensとその他の作品を交互に書いていますが、前回は巫女本でしたので、次はReSin-ensで確定です。というよりも、別の作品を書こうにも、どのストックを消化するか考えていないですし、巫女本を書いている時から「次はReSin-ens」と決めていたので、天変地異でも起こらない限りはReSin-ensになります。
思えば2002年からのおつきあいですから、来年でついに一回りしてしまいます。来年中に出すことは叶わないかもしれませんが、出来るだけ早いうちに皆さんのお手元に届けることが出来れば、と思います。
Kindle は人に貸すサービスなども展開するようだけれども、あげることはできない。売ることもできない。おそらく子供に受け継がせることも難しいだろう。ないとは思うがうっかり Amazon がサービスを停止したらすべてが消えてなくなるかもしれない。
電子書籍は、本のような資産ではないのだ。
その昔、「電子書籍」という言葉が生まれた時、もっと自由で使い勝手のいいものだと勝手に思っていました。例えば友達に簡単に渡したり、手持ちの端末間を自由に移動できたり、と。
でも実際は、アカウントに紐付けされて管理され、ストア(オンラインの電子書店など)間の移動もままならないし(本棚を共有するサービスもあるにはある)、データを手軽には渡せない。私が想像する電子書籍は、例えば端末をシェイクすれば相手にその本を渡したり出来るのは当然で(DVD-RやBD-Rでいうところのムーブ)、OSやディバイスに依存しないプラットフォームでどこからでも自分専用の本棚にアクセスして本を開けるぐらいの世界でした。
今年の目標に電子書籍を発行するというものがありましたが、年内の発行は難しそうですが、その土台を準備している最中です。
閑話休題。
電子書籍とかっこいい名前は付いていても、やってるところは役所が公開する各種様式のPDFやExcelファイルと同じで、紙でやってることを電子でやってるだけ。むしろ昨今の電子書籍の使い勝手は紙にも及ばないかもしれない。
先月から今月にかけて仕事の都合で定期の範囲外を移動していた関係で、Suicaのオートチャージ(Suicaの残高が一定以下になるとクレジットカード決済で自動的にチャージされる)をほぼ毎日やっていたのですが、ふと料金明細を確認してみたらそれ以外の買い物をひっくるめて限度額ぎりぎりまで使っていることに気がつきました…。
このままだと帰省の切符を買えなくなる(受け取る時の決済方法がクレジットカード限定)ので、急いで受け取らないと、ですね。というか既に、乗車券分を購入するゆとりがないのでそっちはキャンセルになりそうです…。
ITの力により世界には素晴らしい音楽とそれを演奏するたくさんのミュージシャンが未だかつてない規模で溢れ、影響し合い、『音楽』はこのまま第二のルネッサンスを迎えるのでは!とすら思える、可能性に満ちた時代ではないでしょうか。
僕は、この現状を講演などでよく『動物と人が自由に戯れあうサバンナの真ん中で、ヘイで囲んだ動物園に"客が入らない"と嘆いている状態』と表現してます(笑)。 動物園のヘイをどんなに高くしようと、入場料を安くしようと、入場券に特典をつけようと、サバンナで野生の動物と戯れ合う楽しみを覚えてしまった人達は動物園には帰ってきません。でも人々は動物を嫌いになった訳ではありません。
一昔、といっても10年ほど前、何らかの形で音楽に触れようとしたとき、一般の人にとってはCDやライブ、TV、ラジオぐらいしか方法はなかったでしょう。
でも、今は違います。
1億総クリエイター時代とは言いすぎだと思いますが、多くの人が「やろうとおもえば音楽を発信できる」時代、そして、多くの人が既存の手段とは違う音楽に触れる手段を手に入れた現代。まさに「動物と人が自由に戯れあうサバンナの真ん中で、ヘイで囲んだ動物園に"客が入らない"と嘆いている状態」でしょう。
制作にさえ精魂込めれば、あとは商品を店頭に並べ、販促費を投入して、販売店に任せて制作者は銀行振込を待つ。『音楽』にそんなビジネスモデルはとっくに終っていると思いませんか。
昔の日記で、スタジオのマイクの向こうに聞き手が居ることを忘れてはいけない、といった趣旨の発言をしたことがあるような気がするのですが、この部分に何か通じるものがある気がします。
文中で引用されていますが、
アーティストはライブで稼いでいるんだ。YouTube、Spotify、iTunesとか何かしらのプラットフォームは、ライブに足を運ばせるための手段だ
という部分や、
それは自らの足でユーザーの目の前に出向いて音楽を提供すること、その対価を自らいただくこと、そして何より共感を得て応援していただくこと。それに対する労力を惜しんでいない一面だと思います。
という部分は、何となく同人誌即売会に通じるものがあると思うのです。
同人的に、インディーズ的にやれと言うわけではないのですが、海のように広がった音楽の世界で、自分の作品に気がついて貰おうとしたら、海の真ん中で待っているだけではなく、海を渡り歩いて広げていくしかない、そんな気がするのです。