タイトルすら決まっていませんが、久しぶりに進捗率グラフを用意してみました。
グラフ、カモン!
本文 | 序章 | 100% |
1章 | 90% | |
挿話1 | 100% | |
2章 | 0% | |
挿話2 | 0% | |
3章 | 0% | |
挿話3 | 0% | |
4章 | 0% | |
挿話4 | 0% | |
5章 | 0% | |
終章 | 0% | |
合計 | 26KByte | |
校正 | 1Pass | 0% |
2Pass | 0% | |
装幀 | 表紙 | 0% |
本文 | 0% |
全5章構成で各章の間に挿話が入る予定です。一部100%になっていますが、これは完全に書き終わったというよりも、台詞だけ書き終えたというようなニュアンスです。一通り完成させることに力を注いで、書き終わってから間を補っていくという形を取っています。
というのも今回の作品は割とタブレットで書き進めているので、そういった環境で細部までは作り込めないだろうなあと、あえて荒く書き進めています。吉と出るか凶と出るかは分かりませんが、物語全体から見れば進みは早いので、気分はいいかもしれません。
予定文字数も不明です。ページ数的に60ページぐらいのさくっとよめる短編が理想ですが、書き終わるまでは何とも言えないですね。
前回の日記を紹介したツイートが結構リツイートされていて、案外読まれていることを知ったので、その後どうなったを含めて、改めて書き起こそうと思います。
私はパソコンの前で原稿を書く事がどうやら苦手なようです。というのも、広大なネットに繋がっているのですから、「ちょっと休憩」などといいながらついついネットの世界へダイブしてしまうのです。これが強靱な精神を持っている人なら起こりえないことなのでしょうが、私にはまれに良くあることなのです。
そこで編み出した…いえ、自然発生的に誕生したのが、電車の中で原稿を書くことでした。電車の中での原稿という歴史は私にとっては結構古くて、「光になりたい」の時点ではもうやっていたので、かれこれ10年近く電車の中で原稿を書いているようです。前橋から高崎線(厳密には高崎線の両毛線への乗り入れ)に乗り込み、上野駅までのおよそ2時間、B5サイズのノートに原稿を書くというのはとても懐かしい光景です。
ネットでの声を拾ってみると、電車の中の他にも、ファミレスや喫茶店といった声も上がっていますので、多少のアンビエントや回りに誰かがいる(サボれないという適度な緊張感)というのは、モチベーションやテンションを一定の高さで維持するという点においては上手く作用するのかもしれません。
とはいえ、昔のように長時間移動を行うと言うことはほとんど無くなり(年に数回の帰省のみ)、往復一時間強という通勤はとてもとてもノートを広げられるような環境ではないため、ノートに変わる執筆ツールを探していたのでありました。(それでも、逆方向に通勤する時はノートで書いてましたけどね。ReSin-ens3巻の原稿の一部とか。)
2年ほど悩んでいたので、NECのLife Touch NOTEに始まり、キングジムのポメラ、REGZA PhoneのIS11T、海外向けの物理キー付きのXperia mini pro、一時期最有力候補だったedenTAB、SONYのSONY Tablet S、各種中華タブレットなど、候補は多岐にわたりました。
最終的にNexus7に飛びついたわけですが、決定打としては、
という辺りになると思います。あと安いですからね^^;
日本語IMEは自宅でもATOKを使っていることもあり、ATOK for Androidにしました。1500円とアプリにしては高価な部類ですが、字書きにとって変換精度は命ですからね。当初はATOK
SyncをつかってPCの辞書と同期しようと思ったのですが、ATOK Syncは実質的に有料なので(辞書をアップロードするクラウドスペースが有料)諦めました。firefoxのブックマークは普通に同期できるので、有料というハードルは心理的に大きかったですね。
変換辞書そのものはPCからテキストファイルで渡してあげれば(PCからは辞書ツールでエクスポート、Android側では辞書ユーティリティでインポート)すんなりと取り込むことが出来ます。
テキストエディッタも字書きの生命線ですが、最低限必要な機能は
の二つでしょう。
Nexus7が初のAndroidということもあってアプリの知識も0でしたが、検索してみるとどうやらJota Text Editorの評判が高いようなのでそれを導入しました。その後、Jota Text Editorの後継ソフトであるJota+に移行しています(ProKey導入済み)。もちろん、先に挙げた二つの条件はクリアしています。
ちなみにJota+では外部フォントも使えるので、フォントのライセンスが許せばPCからフォントデータを渡してそれを参照するようにすればフォントを変えることも可能です。Androidのデフォルトのゴシック(丸文字)が苦手ならばそういう手もあります。
ここで気をつけないといけないのは、Jota+で新規ファイルを作成すると文字コードがutf-8、改行コードがLFになることです。今時のテキストエディッタは文字コートが何であろうと気にせず開くことが出来ますが、utf-8(Unicode全般)はShift-JISと異なり、1文字当たりのバイト数が変わるため、バイト数で大体の文字数を計算している人は注意が必要です。
気になる場合は、メニューから、文字コードをSHIFT-JIS、改行コードをCRLFにしてあげると、Windowsとの同期を前提にしている人は幸せかもしれません。MACの人はまた別です。
Androidのファイラーとしては名の知れたアプリらしいです。私はオフラインでの使用を前提にしていたので、各種クラウドサービスは使わず、自宅のWi-Fiに繋いで手動でファイルの同期を行っています。最初の頃はAndroid側からESファイルエクスプローラーを立ち上げて一個一個手作業でコピーしていたのですが、ESファイルエクスプローラーの機能の一つに、Android側にFTPサーバーを立ち上げる(設定>リモート設定)というものがありますので、現在ではこれを利用してPCからFTP接続(Wi-Fi経由)してファイルの同期を管理しています。
ESファイルエクスプローラーのFTPサーバー機能を解説しているサイトは少ないですが、FTP接続でウェブサイトを管理している人ならほとんど戸惑うことなく設定できると思います。
購入したのが結構前なのでメーカーは思い出せない(エレコムだったかなあ…)のですが、ノングレアタイプの物を購入しています。電車の中でタブレットを取り出すと結構映り込みが気になり、何もつけていなかった頃はかなり目が痛くなったのですが、フィルムを貼ってからは結構軽減されています。また、指をこするような動作に関しては保護フィルムがあった方がなめらかだと思います。
Nexus7の保護フィルムは各社から出ていますので、その中から選んでいけばいいかと思います。結構当たり外れもあるようなので、事前に情報は集めておいた方がいいでしょう。
最近ではブルーライトカットタイプも出回っているので、気になる方はそういう商品もお薦めです。
というようにして、外出先での原稿執筆環境を構築しましたが、おおむね予定していた通りの作業は出来ています。電車の中でタブレットを取り出して、両手でホールドし、親指でQWERTYキーボードを軽快にタッチしながら原稿を入力するというのはなかなか楽しい作業です。人によっては左右の視線が気になるかもしれませんが、ノートで原稿をやっていた頃に比べたら遙かに気にならないですし、10型で動画を見ている人に注がれる視線よりは大分少ないと思いますw あと10型タブレットって端から見てもかなり邪魔に見えるんですよね、電車内だと…。
流石に立った状態で操作するというのは吊革を掴んでいる観点からも難しいですが、車両の先頭や車いすスペースが使われていない時のような寄りかかれるような状態なら、両手で持って操作できます。
QWERTYキーボードの操作ですが、最初の頃は誤入力がすごく多かったのですが、なれてくるとキーの配列が身につくのか、予測変換を間違ってタップしてしまうぐらいですね(ATOKの予測変換は切ることが出来る)。
個人的にATOKに改善を望むことと言えば、キーボードを分割した時に(ATOKでは右手と左手の領域に分けて表示することが出来る)GとHの間にある分割距離を制御するボタンを非表示にするオプションが欲しいところ。間違ってタップしてキーボードが動くということがたまにあるので、これはどうにかして欲しいところ。
変換そのものは流石のATOKで、話し言葉混在でもスムーズに変換してくれます。iPadなどはIMEを入れ替えることが出来ないので、IMEをATOKにしたいならAndroidにするしかないですね。
Jota+は無料版では2個、有料版ではそれ以上のタブを同時に操作できるので、複数ファイルを行ったり来たりすることも可能です。原稿のファイルを開きつつ、プロットのファイルも開いておける。別途メモ書きしたファイルを開いて切り取り、原稿のファイルに貼り付けるといった動作も、タブ型なら簡単です。
構想から数年、実現から半年となり、以前から言っていた「モバイル原稿環境」は一つの到達点に辿り着いた気がします。
今後は電車の中だけではなく、勉強や仕事の持ち込みOKな喫茶店などで執筆してみたいですね。
また今後は、オフライン環境での原稿執筆を考慮して、類語辞典と国語辞典の購入を考えています。
暫定的なIndexページを、当初予定していたデザインのIndexページに書き換えました。これで基本的な部分のリニューアルはほぼ完了といったところです。
あたらしいIndexページを見て、Windows8のUIを思い浮かべた方は、なかなか鋭いと思います。あれがヒントになってますからね。
新しいメニューになってから、直感的なクリックで目的のページへ向かえなくなったので、Indexページだけは従来通りワンクリックで各ページへ移動するようにというのが目標でした。でも、リンクをただ並べるだけでは面白くないので、色々と考えていたのですが、その結果がああなりました。
しかし、IndexページのCSSも完成してしまったので、原稿に身が入らない時の言い訳である「今日はサイトのリニューアル作業をやるんだからね!」が通じなくなってしまったのが辛いです。
3月は仕事が忙しいから、4月から本気出す。
二度の移転を経ても、幾度となるリニューアルを経ても残り続けた「用語集」のページ。そのページに書かれている「初出」の日付は2004年6月17日ですが、2004年6月の更新履歴では一切用語集について触れていませんでした。じゃあ日記ならどうだろう(当時の日記は本当に日記だった)ということで、2004年6月17日の日記を見てみると、案の定、用語集について触れていました。
新・用語集、暫定公開。
かなり未完成な部分がありますが、後から順次補っていきます。
とりあえずこんな雰囲気、と言うことで、バージョンは「α0.50」というところで(苦笑)。
予想はしていましたけど、経緯は一切不明!
しかも「新」とか言ってるということは、それよりも前に用語集らしき物が存在していたということですよね!
ここで頼りになるのがサイトのバックアップなのですが、以前日記で書いた通りバックアップは失われており、存在していれば一番古いバックアップである2002年10月15日のデータを掘り起こすことは、今となっては叶いません。
しかし、サイトの変遷をスクリーンショットで振り返るという日記の記事は残っているのでそれを参照すると、2002年10月15日のスクリーンショット(サイト開設一周年)に「MIDI用語辞典?」なるコンテンツの存在を確認できます。
そしてなんと、2003年の9月14日の更新履歴に「『MIDI用語辞典』、『用語集』に統合
」という記述があるではないですか!
つまりいまの「用語集」は、音楽カテゴリにあった「MIDI用語辞典?」と別のカテゴリにあったと考えられる「用語集」が「用語集」へ統合され、コンテンツとしての洗練を測るため(と考えられる)新・用語集として生まれ変わり、現在に至るということが推測されます。
経緯についてはやっぱり分からずじまいで、これは予想でしかないのですが、「ぱらだいす☆あ~み~」さんの、同人用語の基礎知識に影響を受けている部分は多少なりともありそうです。
さて、この用語集、カテゴリーがちょくちょく移動したり、サブコンテンツに降格させられインデックスページから直接アクセスできない時期があったりと、立場が曖昧でふらふらしているのですが、なんだかんだと9年経っても存続しているのが現状です。コンテンツの統廃合は結構やってきていますが、未だにメインコンテンツとして存続しているということは、私の中でなにか引っかかる部分があるのでしょう。先日終わったリニューアルを経て、用語集は「読み物」カテゴリのコンテンツとして新たな立場を与えられた訳ですが、折角「読み物」として分類したのだから、読み物として独立させてあげたいと思うのが親心です。
「読み物」には、今まで管理人紹介系のカテゴリにあった日記や副産物(コラム)、サークルのカテゴリに存在していたイベントレポート、そして立場が毎回曖昧だった用語集と、小説以外のテキスト系コンテンツを全て集めた格好になっています。その名に恥じないコンテンツにしてあげたいのです。
ということで、ここ数日「用語集」について色々と考えを巡らせていたのですが、作品のデータベースというか設定資料集として活用できないかなあという考えに至りました。
遅筆ながらも作品数は増えており、今まで生み出してきたキャラクターもそれなりの数になっていると思います。そういったキャラクターの情報を整理すると、また面白い物が出てくるのではないかなあと。そしてあわよくば短編集にそのキャラクターをつかいまわs…再登場させられたらなあと。
日記だったかTwitterだかで発言しましたが、短編集に登場する杖をついた先輩というキャラクターが実はすごく印象に残っていて、どこかで使いたいと思っているのですが、そういったことをするためにもまずは情報の整理が必要ですからね。
4月からの業務日程が段々と明らかになってきたのですが、この日程の中、新刊の原稿間に合うのかなあという不安も頭をもたげてきました。
もちろん、執筆は進めますけど、3日の進捗率グラフからみてもほとんど変わっていないのが現状です。本当に大丈夫かしら…。
うまい・へた、アピールがじょうず・へた。値段が手頃・高い。
同人誌が売れる売れないの要因というのは上に上げた物にもかかわらずたくさんの因子が絡んでいると思うのですが、ここ数年、少しだけ分かってきたのは、一定のペースで新刊を出し続けているサークルはファンが付いていることが多いなあということです。
イベント会場を振り返ってみれば、サークルの前に常に人がいるサークルというのは、きちんと新刊を出しているサークルであることがほとんどです。
古い情報ですが、2003年に「長編恋愛小説同盟」という同盟(リンク集)が、「こんな長編小説サイトに出会いたい」というアンケートを行っているのですが、2位の「更新頻度や速度はともかく、とにかく話が完結する」に対して倍以上、いえ、実に4倍もの得票数の差をつけて1位を獲得したのが「定期的に更新があり、完結する」というものでした。
多分、この流れはいまでも大して変わっていないでしょう。
もちろん、アンケートの対象はウェブで読める小説(≒無料)なので、有料の同人誌とは因子が変わってくるとは思いますが、定期的に新刊を発表し続けるサークルというのはやっぱり強いと思います。
長編を書きつつ、平行して短編も書いて発表するといった器用な事が出来ればもしかしたらもしかするのかもしれないのですが、一つの作品にかかりっきりになってしまうのが現実です。
書きたい気持ちはあるのに、それが体を動かすところまで行かない。いつの間にか根付いてしまったサボり癖。
書き始めると調子が出てくるのに、書き始めようとしない。調子が出るまで書き続けない。そんな行為の積み重ねが今の私を産みだしていると思うのです。
ウェブで連載をしていた時の執筆速度はどこ吹く風。少し前までは「速度は落ちたけど質は上がった」なんて言い聞かせてましたが、これはもうそういう次元では無いと思うのです。
やる気スイッチを押してくれる方、大募集です。スイッチの場所は分かりません。探すところからお願いします。なお、出来高報酬です。
こんなツイートから始まった29日、鎌倉旅行に行ってきました。
友人同士で「鎌倉に行こう」という構想は去年の秋口からあったのですが、COMITIAや年末、年度末と色々と積み重なってうやむやになっていました。しかし、27日に年度内の全ての納品が無事終了したので、一日空けて29日、今年度最後の有休を使って鎌倉旅行に行ってきました。
実は、学生時代にも鎌倉に行くチャンスがありました。私の通っていた大学(の建築学科)では新一年生を連れて一泊二日で「まち」を見学するという、平たくいえば遠足があったのですが、このときのコースの候補に鎌倉がありました。鎌倉見学のためのパンフレットも半分作った頃、泊まるホテルが東京になり、東京を8時に出発し、16時までに戻るという枠の中で、鎌倉を往復する(しかも10人ぐらいの団体で)のはなかなかハードスケジュールになるという配慮から、中止になってしまいました。
そんな経緯もありましたので、朝から夕方までというハードスケジュールではありましたが、なかなか楽しむことが出来ました。
今回の移動ルートはGoogleMapにまとめてあるので、コースを参照したい方はそちらをどうぞ。GPSから自動生成させているので、所々変な経路があるかもしれませんが、大枠は合っていると思います。
普通に仕事に行くと見せかけて、鎌倉の写真をTwitterに流してみんなを驚かせようとか色々考えていたのですが、世間は平日だったので、鎌倉に対する反応は一日を通して一切ありませんでした。写真は、その後の写真付きツイートが全て空振りに終わるとは夢にも思っていなかった頃の、自信に満ちあふれた一枚です。
今回のコースは北鎌倉から始まって徒歩で鎌倉市内を巡り、帰りは鎌倉駅から戻るというルートにしました。実はこのルート、学生時代に考えていた散策ルートと全く同じだったりします。もちろん途中経過は違うのですが、北鎌倉→鎌倉というのは私の中では既に決まっていたのです。
今回の鎌倉旅行の最大の目的は桜の写真を撮ることだったりします。しかし、実は鎌倉市内より自宅近くの方が桜が残っていたという悲しい結末なのですが、これはそんな中でも一番綺麗に咲いていた桜かもしれません。ちょうど山の背に有り、日当たりが悪いことが幸いしたのでしょうか。
開門が9時という浄智寺を横目に見ながら素通りし、最初の目的地である葛原岡神社をめざし、ハイキングコースへと突入します。このハイキングコース、短いながら標高差は60メートルほどあるようで、朝独特の湿気に包まれた山の中を歩いているとじんわりと汗がにじみ出てきました。
写真はほぼ山頂とも言える場所から北鎌倉方面を振り返った様子。完全に山道です。
下り坂にさしかかった頃、長年の雨か、登山者によるものかは分かりませんが、階段のようにくぼみが出来た岩が出現しました。なんだか不思議な形ですね。
山登りを終え、一汗かいた頃に葛原岡神社に到着。社務所で御朱印を書いて頂いている間にふと振り返ると、黒猫が一匹。後から知ったのですが、どうやら一緒に大黒様(良縁の神様)を祀っているようで、朝早くなのに女性の参拝客もちらほら見受けられたのですが、そんな神社に一人で訪れる私に対して「フン…」とでも言いたげな視線です。
御朱印を頂き、鳥居をくぐるとまず目に入るのは、やたらと気迫が漂う手水舎。人より多少多くの神社は見ているのでしょうけど、こんなデザインは初めて見たので驚きました。思わず写真を。というか、なんで龍なのでしょうか。社伝をちゃんと読めば理由が分かるのかもしれませんが急ぐ道なのでここは華麗にスルー。
石畳の参道を抜けると本殿が見えてきます。拝殿がないタイプの、こぢんまりとした神社ですね。
特に目的も無く神社を訪れた時はいつもそうなのですが、お参りすることが出来たこと、旅の安全、また来れることを願いますといった趣旨のことを告げて後にします。
振り返って一枚追加で写真を。多分これ、桜か梅の季節ならもっと綺麗だったんだろうなあと思いつつ、自販機とかビニールテントがなければもっと綺麗なんだろうなあと思ってみたり。実に悲しい光景。
京都の有名な神社やお寺は観光に力を入れて力んでいるのか、人が通ると勝手に解説が流れたりしますけど、あれって空間を壊している気がするんですよね。
パワースポットブーム(本当にブームが存在するかどうかはともかく)を意識するのなら、霊験灼かな雰囲気を演出できるようにした方がいいと思うのです。確かに自販機は便利かもしれませんが、設置するならもう少し見た目や形式を考えて欲しいなあと。
弁才天(弁財天)を祀る寺院はたくさんありますけど、こちらは神社の弁才天様です。弁才天はインドの河川の女神が発祥で、その後仏教に取り入られ、日本では財産の神様として七福神の一人としても崇敬されていますね。ここの弁才天は日本在来の神様である宇賀神と習合していたため、神仏分離の時に祭神を水の神である市杵嶋姫命に変更したようですけど、名前は昔のままということでいいのかな?
ここの洞窟、個人的にはフラッター効果が付いていると思うのですが、情報を探してみても見当たらなかったので、詳しい人が居たら教えて欲しいです…。
洞窟を抜けると、3方向を山に囲まれた境内が目に飛び込んできます。全景の写真を忘れていたので案内図でも。右上の方を見ると、境内に滝があることが分かりますね。流石水の神様…。
連日そうなのか、今日だけたまたまだったのかは分からないのですが、境内で見て回った範囲の全ての本殿の扉が開放されていて、依り代である鏡が見えるようになっていました。その昔、他の神社で「神様だけは撮らないでね」と言われたのが記憶に残っているので(特にここでは確認していませんが)写真は撮りませんでしたけど、中々無いことだと思うのです。
銭洗い弁天を後にして、ひとまず鎌倉駅の方角へと向かいます。道中、電信柱に海抜何メートルかを明記した看板が。これに気づいてから注意深く歩いてみると、町中至る所にありますね、この表記。何年も前から地震が心配されている地域だけあって、流石です。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって、地震の揺れも怖いけど、津波も怖いという事に再度気づかされた私達ですけど、日々の備えや啓蒙は大事でしょうね。
鎌倉市役所前を通り過ぎたところでこじゃれたスターバックスが目に入りました。山登りを終えて喉も渇いていましたし、今日はまだ珈琲を飲んでいないし、これからのルートは決めていないからそろそろ座って考えたいと色々条件が揃っていたので、入店することに。
写真は撮っていないですけど、上野公園のスターバックスもこんな感じのデザインですよね。日本全国各地にチェーン展開したお店によってその地域独特の風景が失われて久しいですが(店だけではなくJRの駅舎や同じようなデザインのビル、住宅諸々)、その空間にあった建物を作るというのは、風景づくりとしては本当に大事なことだとおもいます。無駄かもしれませんし、実際コストはかかるでしょう。でも、コストは仕事を生みだし、経済を循環させます。店舗のデザインごときでと思うかもしれませんが、こういった物の積み重ねが色々なところに響いてくると思うのです。
地場産の木を使った住宅は壁にその木肌の色を纏い、地元の土で作られた瓦はその色を屋根に被せ、それらが地域に広がることでその地域独特の色、風景を生み出します。日本全国にその地域の名前を冠した野菜が昔はありましたし、その味に合わせて郷土料理が発展しました。青首大根を使って作られた郷土料理はもう郷土の味ではないのです。
こういう町並みに配慮したデザインというのはもう少し評価されてもいいと思うのです。
そんなことを考えつつ、のんびり珈琲を飲みながら桜の名所を検索してみると光明寺とその方面に桜が多いお寺が集まっているようです。ここから先は、鎌倉市内を一気に南下して海に出た後、光明寺から北へ戻り、鶴岡八幡宮へ向かうルートへ移ります。
海も山もある青森県ですけど、私自身は山派です。生まれも育ちも内陸なので、海水浴なんて人生で2回ぐらいしかしたことがないですし、そもそも水着すら持っていなかったり。夏も短い上に真夏でも水温が足りずにプールが閉鎖される事もあるので、全体的に見ても山の方に親しみを覚えている人の方が多そうです。
閑話休題。
駅から南へ真っ直ぐとくだり、鶴岡八幡宮の、かつては多くの参拝客が通り抜けていたであろう一の鳥居を横目に見つつ、海へ出ます。車社会ですね…。
海に出たら東の方角へ舵を取り、光明寺へと向かいます。
お寺については余り詳しくないので少々雑です。決してこれを書いているのが4月30日25時20分で、早く書き終わらないと一ヶ月放置したことになるからといって焦っているわけじゃないからね!!
4連続(厳密には間に神社も3ヵ所ほど巡ってます)で続く神社巡りの一つ目は浄土宗の大本山(総本山ではない)、光明寺です。流石大本山ということもあって、境内がとても広い。山門(正門)も幅5間ある大きさでしたが、そこをくぐり抜けると広い境内が見えてきます。写真に写る範囲の他にも石庭やら書院が奥の方にあるようです。
桜で有名なのか、一眼レフと三脚で熱心に写真を撮影していた人を何人も見かけました。
道中は基本的にGoogleMapの徒歩ナビゲーションに任せていたのですが、時々こんな道が選択肢に出てきてビックリします。物は試しと通ってみましたけど。
路地裏という空間は日本だけではなく世界中にありますが、防災という部分に気をつければ、コミュニティー通路としてはすごく優れていますし、路地裏から都市をデザインするというのはこれから必要なことだと思うのです。
狭い路地裏を近所に住んでいると思われる人達と挨拶をしながら通り抜け、やってきたのは長勝寺。ここの桜はとにかく枝が低く、しかも水平に広がっているので、桜の天井の下を歩いているような感覚でした。
桜の枝に隠れていますが仏像が何体か並んでいます。この様な配置になっているお寺を見るのはこれが初めてでしたけど、威圧感というか荘厳な感じがしてなかなか面白い光景でした。
長勝寺の後は安国論寺、八雲神社を挟んで妙本寺へ。ここもとにかく境内が広い! 道路から本堂まで数百メートルを歩かないと行けません。写真はその途中の写真。左右を囲む鬱蒼とした森の向こうに見えるのが山門。本堂はそのさらに奥にあります。
今はコンクリートで固められてしまっていますが、これがなかった頃の風景というのも気になりますね。どんな姿だったのでしょうか。
参道を進み、階段を上るとようやく本堂が見えてきます。今までの二つの寺と同じく青銅色の瓦で作られているのでしょうけど、ここのは多少時間が経っているのか黒く変色していてなかなか重厚感に溢れています。屋根の形状も入母屋という重々しさが漂う形ですが、それに加えて風化した色というのは心ときめく物がありますね。(光明寺が同じ入母屋造り、長勝寺は方形造り)
何桜かは分からないのですが、色が濃いめで可愛い。ちょっと時期を逃しているのでしわしわですけど。そういえばこの写真を撮っていた時におばさんが自身の連れに向かって「あれが~桜で、あれが~桜、こっちには~桜もあるわね」って言っていて、すごいなーと思いました。これが女子力…!
妙本寺まで北上したところで時計の針は13時を過ぎていました。このまま鶴岡八幡宮に向かってもいいですが、流石にそろそろお腹が空いてきましたので、目をつけていたそば屋さんに向かうことにします。
道中、源頼朝の墓や白旗神社を経由しておそば屋さんへ。値段の割りに量が少なかったのが不満だったりするのですが、それなりに美味しく頂けました(´∀`*)
お昼ご飯も食べ終え、デザートまで頂いて時刻は14時。北鎌倉を出発してから6時間、いよいよメインディッシュの鶴岡八幡宮へ向かいます。
いよいよ今日の目的である鶴岡八幡宮! 桜の写真を撮りに来たという目的はどこへ…。
とはいえ、一度は来たかったのも事実ですので、念願叶ったりです。
天気は相変わらずの曇り空ですが、白に朱色が映えますねー。 調べては居ないのですが、最近塗り直したかのような綺麗な朱色です。
小さな神社であればこの鳥居をくぐってすぐ拝殿になるのですが、鶴岡八幡宮の場合はまず橋を越えて真っ直ぐ伸びる参拝路を歩いてようやく神門に辿り着きます。
階段を上った先にあるのが神門ですね。拝殿はそのさらに奥にあります。普通、お守りを授かる場所は各社一ヵ所だと思うのですが、鶴岡八幡宮の場合は階段を上ったところとその下の二ヵ所あります。社務所もさらに別にあり、大きな神社であることがよく分かります。
この階段、61段あるそうですが特に理由はなさそうです。
拝殿の写真はあまりにも人が多かったので諦めました。あと以外と神門と拝殿の距離が近く、中に入るとカメラに収まらないというのもありますね。代わりに神門(楼門)の写真を置いておきますね。
お参りをした後は御朱印を頂きます。御朱印帳の残りページ数が少なくなってきたのでついでに授かりました。このとき、「新しい手帳にも御朱印をお入れしましょうか」と聞かれたのですが、なぜか「いいえ」と答えてしまい、後から後悔してしまいました。今の手帳は厳島神社で授かった物ですが、これの1ページ目は厳島神社の御朱印になっています。そういうことを考えるともったいないことをしたなあと。今度から新しい手帳を授かる場合はそこの神社の御朱印を1ページ目に入れて貰うことにします。
突発的に思いついた鎌倉旅行でしたけど、紫陽花寺(鎌倉の場合は明月院と成就院)も見てみたいですし、まだやり残したことはありそうです。
順番は逆になりましたが、鶴岡八幡宮から駅まで伸びる参拝路の写真を一つ。