リンク切れ修正。
坊主が走れば巫女さんも走る。12月は巫女駆。
何年言い続けても定着しないネームバリューのなせる悲しさ。
今日は久しぶりにグンマーに行く予定です。前回行った時はパソコンを直しに行った時でしたっけ。もう半年ぐらい前ですねー。
今回もあえて八高線経由でのんびり行くつもりですが、時刻表検索サイトで時間を調べたら電車の本数が少ない影響か予定よりも一時間早く着くルートが提案されました。流石八高線…w
冬コミの新刊の原稿を入稿しましたとか、もうすぐ入稿ですとか、脱稿しましたという発言を横目に見ながら、次回作になるかもしれない原稿を眺めてみる。
例年通りで行けば次回のイベントは5月のCOMITIAで、あと六ヶ月を残すところになりましたが、六ヶ月でこの作品を完成に持って行けるかどうかは結構難しいところだと思います。六ヶ月と言っても一ヶ月は校正や製本に回すことになるので実質五ヶ月。
新刊(仮)の予定ページ数を60ページに見積もれば、本文は50ページ。短編扱いなので、1ページ900文字として、およそ4万5000文字。執筆期間を150日とすれば、一日300文字(0.6kB)といったところ。
一日の作業量だけで見ればかなり余力がある状態ですけど、そもそもこの作品、本に仕上げるまで書くかどうかすら未定ですし、全体のストーリーすら未確定な状態でどのぐらいの長さになるかも分かっていないのが現実。骨子が決まったらやっぱり100ページ必要でしたとかになったら、目も当てられませんねー。
目標を定めるのも大事かもしれませんが、まずは作品の方向性を決めてしまいたいな。
お昼ご飯を食べていたら見逃しました。
何気なくタブレットの方で使っているテキストエディッタのメニューから文字数を調べてみたら8000文字を超えていてビックリ。本文だけではなく、プロットや設定なども一つのファイルにまとめているので、純粋な本文の文字数はこれよりも大分少ないでしょうけど、気がついたら、というのは結構大きいですね。
パソコンだとエクスプローラー上にファイルの容量が表示されていて、大体の進捗状況がすぐに分かってしまうのですが、画面の構成がシンプルだからこそ伝わらない情報があって、それによって気持ちが持ち上がるというのはタブレットならではかもしれません。むしろ、私の性格ならでは?
細かなことについては体験版や毎回ジャストシステムから送られてくるパンフレットを見てからの話になるのですが、今回はWindowsそのものも変わっているので一太郎も入れ替え予定で考えています。5年ぶりのバージョンアップになるのかな…?
いくつか気になっていると言えば、個人的には一太郎の欠点である、
といった所は直っているのかなー。
思い当たる節があるとすれば、書式設定の単位をインチにしている事かなあと思ってはいるものの、原因の切り分けができず放置している状態(普段はテンプレートから呼び出して書式設定をしなくてもすむようにしている)。
一太郎のTwitterアカウントとこのやりとりをしている関係もあって、動画を撮影してみました。
各種設定をミリではなくインチ単位で行っているのは、(少なくとも)一太郎2007で書式を設定する時に一番細かい単位で設定を変更できるのがインチだからです。0.1ミリ単位で設定できるようになれば一番なんですけどねー。
しかし、Twitterアカウントに質問をするとあっという間に何らかのアクションがあるというのは気持ちいいですね。両面印刷時に行が重ならないのも、書式設定の重ねがけができないのもウェブのご意見フォームから投稿しているのですが、ページに「個別に返信をしておりません」と書いている通り、自動表示される「ありがとうございました」だけですからね。
反面、Twitterアカウントの方は、「開発に伝えます」という短い受け答えだけど、向こう側に人間が見えるのですごく温かく感じますね。
そう言えば、ボールドを設定するとフォントのウェイトが切り替わる様な昨日は実装されたかなー。体験版が手に入ったら遊んでみよう。
質問です。
あなたは今の街に住み始めて何年が経ちましたか。
最近引っ越したばかりの方は、前の町に何年住んでいましたか。
一年以上住んでいるあなたに質問です。その自治体の名前の由来、わかりますか? じゃあ、人口ぐらいはわかりますか?
これは、ひとつのたとえ話。
もしも小中学生の指導要領に「まちを知る」という項目が増えたとしたら。
この日記を読んでいる方の中には在学中に週休二日制に切り替わったということを経験したことがある人もいると思います。
学校における週休二日は、子供たちが家庭や地域と触れ合える時間を増やすために導入されました。いわゆる「ゆとり教育」ではなく、親や子供主体の教育を施す時間、言い換えれば自主学習の時間として土曜日を家庭で使ってくださいという目的で導入されたのです。
この目的の中に「地域と触れ合う」という言葉があるのですが、個人的にすごく大事なことではないかと思うのです。別に町内会の行事に積極的に参加しろとか、そういうことではありません(それも大事だとは思いますけど)。むしろ、自主的にそのようなことができる人というのはどれほどの割合で存在するのでしょう。
私が言いたいことは、「地域に興味を持つ」ということです。
方言の衰退、全国規模のテレビ番組やインターネットのインフラ化、大手チェーン店の展開、どこの町でも似たようなビルや住宅、商店が幅を利かせ、まさに「個性」・「地域性」というものが欠落している現代。
B級グルメに代表される、地域性を売り出すツールが徐々に出始めてはいますが、それは地域性というよりも、地域のある特定のものをブランド化し、売り込むという側面が強いと思います。これが近い将来、「地方が気になる」という思考へ向かい、じゃあ「地元はどうなんだろう」という流れになってくれればと思います。
英語を勉強させよう、海外に進出しよう、国際的な人になろう。
言うことは簡単ですし、子供の頃から英語を教えたら確かに英語は話せるようになるかもしれません。ですが、国際的な意味での恥は、英語を話せないことではなく、自国の文化や歴史を教えることができない事です。インターネットの普及によってある程度の情報に外国人でもアクセスできます。手軽な情報は、より「本物らしさ」を求めるニーズを生みだし、彼らの質問も高度化してくるでしょう。
もし「なぜ日本では多種多様な宗教が同居できているのか」と問われた時、どんな言語であれ、自分の考えを述べられないのは国際的には恥なのです。ノーベル賞授賞式という世界的に注目される式典で、英語が話せないからと日本語でスピーチを行った教授の記憶も新しいです。結局大切なのは、英語などに代表される伝える手段ではなく、伝えるべき物事の本質の方なのです。
話が飛躍しましたので着地の方向へ。
遠くを見据えることは大事です。そこに目標や知らない世界があるのでしょうから。
ですが、今自分が立っている場所を固めないことにはそこには到達できません。
なぜなら、飛び始めるには土台が必要なのですから。
何年も前から考えていることなのですが、頭の中に入れておいただけでは何の利益も生み出さないので、なんとなく文章にすることにしました。
月曜日でした。
帰省したときはやっぱりこのタイトルじゃないと落ち着かないですね。
今年はいつになくあっという間に過ぎ去った1年だったような気がします。生活も仕事も住む場所も変わりましたが(厳密には一昨年の8月)、やはりReSin-ensを発行できたことと、部屋の模様替えが思った以上に進んだこと、ネットの知り合いが立て続けに同人サークルを立ち上げたことなど、小さな変化がいくつも、そして矢継ぎ早に過ぎ去り、あっという間に1年が過ぎてしまったような感覚があります。なんだかまだ、夏コミすら始まっていないような季節感覚というのが正直なところですw
この日記を書いている時間から見て今年も残すところあと8時間ほど。
Twitterでつながっている方々からはコミケやら帰省といった言葉が聞こえてきてにぎやかですが、残りの8時間ぐらいは、ゆっくりと過ごせたらと思います。
みなさま、よいお年をお迎え下さい。