新年明けましておめでとうございます。美坂栞神社(祭神:美坂栞大明神)より、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
このイベントも10年目か…。無駄に長いなあ。
ここ最近、政治関連はTwitterで呟くことが多いので日記ではご無沙汰でしたが、すこし触れてみようと思います。といっても、Twitterで呟いたことを整えただけですが。
原子力発電所の是非を問う住民投票の実施を目指して東京都で昨年12月から続けられていた署名集めは9日、2カ月の期限を迎えた。集計を進めている市民 グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」は記者会見を開き、集まった署名は最終的に30万人分に達するとの見通しを示した。
署名運動をやっているのは結構前から知っていましたが、今日の仕事帰りの乗り換え(駅間徒歩移動が伴う乗り換え)途中に署名活動をしていたので、ふと思い出してしまいました。最終日と言うこともあり、ずいぶんと活発でした。
さて、この住民投票。仮の実行されるとして、どれだけの意味があるのでしょうか。住民投票を実行するためには選挙と同じように数億という税金を使うことになりますが、数億円を使うだけの価値がある結果を導き出すことはできるのでしょうか。
この住民投票、当初から目的は「原発の是非」です。つまり、原発を認めるか、認めないかということ。これ、数億円を使って答えを導いたところで、この先何がプラスになるのでしょうか。
「原発を否定しました。でもその後のことは未定です(答えを出すのにかかった費用、数億円)」
こんな結果を求めるために数億円をつかう住民投票。サンプル数1万ぐらいのアンケート調査を行うだけでかなり有意な結果を得られそうですが、わざわざ住民投票でこの答えを導く必要はあるのでしょうか。
こんな所に変なお金を使うよりも、電力会社の株主である自治体を動かした方が遥かに有益だと考えます。例えば、東京電力の株主構成は2011年9月末の時点で2.7%が自治体です。2.7%という数字は少ないかもしれませんが、3%(議決権ベース)あれば株主総会を召集することができます。この株主総会で、自然エネルギーの開発を提起し、議決させることができれば、後先考えずただ「原発反対!」と言うよりも、遥かに有益な結果をもたらすことができるのではないでしょうか。
住民投票は法で規定されている我々が行使できる大きな権利の一つです。しかし、それを行うために必要なコストを考え、住民投票によって何を得たいのか、何を動かしたいのかをちゃんと理解してないとだめなのです。この住民投票に荷担した人達が政治音痴と言うことだけは、なんとなくわかりました。
たとえ住民投票を行うとしても、問うべき物は原発の是非ではなく、別の所にあったのではないでしょうか。
ちなみに、原発賛成派の人に「原発反対派は電車に乗るなよ?」と嫌みっぽく言われたら、こう答えてあげましょう。
「や、JR(首都圏のJR東日本)は自家発電(しかも火力と水力)だから、おまえこそ乗るなよ?」
昨年の6月1日から書き始めた原稿は、順調とは言えないものの、確実に前に進んでいます。実に4年ぶりに手をつけることができたReSin-ensもとい長編小説ですが、長らく触れていなかったこともあり、長編の書き方を取り戻せ切れていません。
長編の場合、まずは書き上げて筋道を通した後修正を加えて整えていくという書き方をしているのですが、数行書いては見直し、数行書いては見直し、という、私で言うところの短編の書き方が染みついてしまっていて、気になるところを直しつつ、ゆっくり前進しているような状況です。久しぶりのReSin-ensということもあり、自分でも拙さがわかるのでそれを修正して…という悪循環に陥っているような気がします。
しかしながら、今までとは違い、確実に前に進んでいます。悪循環も原因がわかっているので、意識してそれを回避するようになってきています。夏コミでの発行を目指して執筆しておりますので、今しばらくお待ち下さい。