Top > 読み物 > 日記 > 2007年4月 -2冊目-
章 | 進捗率 |
---|---|
8章(1章) | 100% |
9章(2章) | 15% |
全体 | 10% |
パーセンテージはあくまで推測です。第二巻のプロットは作ってあるのですが、プロットの段階で章の区切りに不満があるので、どんどん修正を施していくので。
土石流ならぬ、書籍流。
と言いながらも、ベッド脇に本を積み上げる私。マゾ?
第九章の出だしが、ご飯ネタばっかりでお腹が空いてきます。
出だしは、朝ご飯。
中頃は、給食。
少し間を開けて、モカ珈房。
最後は、ショコラ。
堂々たるメンバー構成。そして、そのたびにメニューを考えることに苦労する私。と言っても、給食シーンは、適当な自治体で公開されている実際の給食を参考に組み立てることが出来るので、楽なのですが。ほら、ここでもネット上の資料が役に立つ。
コーヒーカップというよりもマグカップと言った方が正しいのですが、それを使って私はコーヒーをよく飲んでいます。このマグカップ、専らコーヒー専用で、原稿を書き始めると毎日使うと言うこともあって、まず洗いません。
前の日にコーヒーを飲んだカップにコーヒーを注ぐわけですから、汚れ、と言うよりも残留物に気を使う必要もなく、インスタントコーヒーに風味なんて期待していませんから、全く気にならないのです。
第一、飲む度に洗っていたら、一日何回洗っていいのか分からなくなってしまいますからね。
元々この習慣、コーヒーを大量に飲む親譲りの所があって、「汚いから洗ったら」なんて親に良く突っ込んでいたものですが、今では私もこんな状態です。親の気持ちを理解できた瞬間です。人はこれを成長と呼ぶ。
私に限らず、コーヒーをよく飲む人はこういった習慣があると思うのですが、如何でしょうか。
で、気分が良かったので、今日はそのマグカップを一ヶ月ぶりぐらいに洗いました。とても綺麗になりましたが、すぐに真っ黒い液体を注ぎ込んでやりました。うぇーはっはっはっ。
あっ、でも、半日とか時間をおいたカップにコーヒーを注ぐときは、きちんとホコリを息で吹き飛ばしてから注いでますよ(そう言う問題でもない)。
電車もバスもパスモ、と言うフレーズでお馴染みのPASMO。これがとても売れているらしい。でも、以下の表を見てみよう。
利用サービス \ 所持カード |
Suica | PASMO | ICOCA |
---|---|---|---|
Suica | 全サービス | 全サービス | 交通機関のみ |
PASMO | 関東地方: 全サービス 他地域: 電子マネーのみ |
全サービス | 不可 |
でも、私鉄を含んだ定期券も(一部未対応)作れるので、その点についてはSuicaを超えますね。ひとまず、SuicaとPASMOの両方を持つ必要性というのはあまりなさそうです。
ノースブリッジに搭載するためのファンを買いにヤマダ電機のテックランドへ。クーラー売り場で見付けた謎の価格設定。
同一シリーズのアルミモデルと全銅モデルが全く同じ値段で売られている件について。
あ、あれ? 定価の段階で1000円以上の差がある二つの商品が、どうして同じ値段で売られているのかな。アルミモデルを購入すると、店側に1000円の利益が………。
もちろん銅モデルを購入。しかも全額ポイントで。
チップセットの温度をデフォルトの構成で測ることが出来ないので何とも言えませんが、私の触診によると十度近く下がっている感じ。ファンレスとファン有りの違いは大きいですね。
これもSI-120を買うまでの繋ぎ。SI-120を購入したら吹き付けファンの利点を利用して、ヒートシンクは全銅のまま、ファンレス運用に切り替える予定。流石に5000rpmで回っているのを放置するのはどうかとおもうので。
今となっては保健体育の時間ですら習うことですが、スランプというのは、成長している人にしか訪れません。そう言ったことをふまえると、私の体感では、未だかつてスランプというものにぶつかった感がありません。すなわち、私の実力というのはターニングポイントにすら届いていないと言うこと。
一応、サークル活動五周年ですけど、その間に、原稿が進まない進まないと言っても、しばらく待っていれば言葉がぽつぽつと出てくるような状態しか訪れたことがありません。これはスランプではなくて単なるネタギレだとか、思考を文字に置き換える能力の欠如という言葉が当てはまります。
まだまだスランプにすら到達しない私。精進あるのみです。
むしろ、そろそろスランプの一つや二つ来て欲しい。どんな状態に陥るか体験してみたいです。
あくまで私の主観から言って、世の中、スランプという言葉を簡単に使っている傾向があるように思えます。変な話、それはスランプというより行き詰まっているだけだよ、と言いたくなる場面もちらほら見かけます。偉そうですが。
ドクタースランプと言えば、劇場版のアラレちゃんで、エンディングテーマが凄く格好いいのがあった気がします。
メディアの節穴: 記事が「ストリーミング配信」? 著作権使用許諾の怪
http://blog.hokkaido-np.co.jp/yone-b/archives/2007/04/post_10.html> <1>そのページはプリントアウト可能か
> <1>ブラウザの印刷ボタンを押せばできると思います。そもそも、プリントアウトさせない技術があること自体を知りません。
> JASRAC「プリント可能ですか…。すると、扱いとしては『ダウンロード形式』となりますので、1回あたりいくら、という課金になります」プリントアウト可能ならダウンロード形式とφ(..)メモメモ...
だれか、このトンデモ解釈をするJASRACをそろそろ止めてやってください。
いや、本当にね、子供の誕生日に「ハッピーバースデイの歌」を歌ったら、次の日にJASRACに逮捕されると言うネタも、実現してしまいそうな勢いです。
仕方がないので、私のハードディスクの中に保存してある音楽データ全てを「Store 256GB on an A4 sheet」という技術を使って印刷できるようにPDFに変換して、ウェブ上に放流します。
または、BASE-64でテキストデータに変換してプレーンテキストで放流します。
記事をホームページに載せる場合の著作権使用料はいくらになるのか-の2点を聞きました。
そのネットワーク課の方は私に以下の質問をしました。
<1>そのページはプリントアウト可能か
<2>情報料を課金しているか(有料コンテンツか無料コンテンツか)
<3>広告は入っているか
<4>掲載期間は限定しているか私の回答は以下の通りです。
<1>ブラウザの印刷ボタンを押せばできると思います。そもそも、プリントアウトさせない技術があること自体を知りません。
<2>無料で読めますので、このページについては情報料は課金していません。
<3>広告は入ってます。でないと、新聞社は食えません。
<4>掲載期間は未来永劫にわたると考えられます。すると、驚愕の答えが返ってきました。以下、かいつまんでやりとりを書いてみます。
JASRAC「プリント可能ですか…。すると、扱いとしては『ダウンロード形式』となりますので、1回あたりいくら、という課金になります」
引用は引用する権利によって、配信は配信するための利権によって、と言う解釈の違いが今回のようなへんてこな事件を生むわけですけど、書籍とウェブでここまで扱いが違ってくる、と言う著作権管理システムにも違和感がありますよね。
そもそも、JASRACは一つの商業団体のくせに、文化庁と密接に関わりがあるというのが気にくわなかったり。まあ、天下りでしょうけど。
プリントアウトさせない技術と言えば、プリントアウトに非対応のブラウザを使わせるようにアクセス規制を敷けば可能に思えますけど、そう言ったアクセス規制の判断に用いるUAはFirefoxでもアドオンを使えば簡単に偽装できてしまいますし、最悪、画面に表示された情報をプリントスクリーンでメモリに取り込み、画像として出力してしまえばOKなわけで…。
歌詞の引用については、リズムさえ提示しなければ純粋な詩となると解釈するのが一般的ですので、このサイトではその解釈を元に引用を行っています。
なお、JASRACのQ&Aの「歌詞は部分的な掲載であれば引用にあたるのでしょうか」という部分は、かつてその見解はおかしいと言った主張がユザー側からなされ、しばらくするとページごと削除されたという経緯を持っています。
夜中の通販番組って、どうして商品の値段があんなに安いんだろうと考えていました。
辿り着いた答えは、テレビ局側がメーカーに「広告費」として請求しているということ。テレビ局側がメーカーに「Aという商品を大々的に広告します。ただしX円で提供してください」と打診、メーカーがそれに従う、と言う感じかなあ、と思ってみたり。
それとも、かつての平日半額のように、値段1/3、売上げ3倍、あわせて変化無し、と言うやり方なのかも知れません。
【雪冬】 「私はロリコンじゃない。好きな子がたまたまロリなだけ。」
【みいな】 「そのわりには、ロリコンが続きますよね。やっぱりロリコンですよ。」
【雪冬】 「ちょっと、因果律が崩壊しているだけよ。」
【雪冬】 「恋人? どんなに引っ張っても恥ずかしがって画面から出てこないんですよ。」
えっと………。
売る阿呆に、買う阿呆。同じ阿呆なら買わなきゃ損々?
もうすこし心理学的に見て見ると、普通は自分の目の届く所(自分が管理できる場所)に隠すでしょうから、それをふまえた上で、取り出しやすいときにすぐに取り出せ、隠すときにすぐに隠せる場所に隠していると考えるのが普通です。
となると、机は勉強をしていると見せかけてと言う場面で勝手がいいですし、ベッドは手軽さという点では勝手がいいでしょう。
まあ、個人的には、そんなの普通の本と一緒に本棚に格納しておくのが一番と言う思考回路なのですが。策士策に溺れるですよ。
もっとも、このご時世、本なんかより01信号の方が圧倒的に隠しやすいですから、そちらを疑うのも有りですね。まあ、実用性という点では不利に働くので、独り暮らしに場面は限られるかも知れませんが。
記事自体へのアドバイスとしては、ネタの鮮度を知るためにも、記事の掲載日時を書いていて欲しいなあと思ってみたり。
50人がコスプレで―――
法律というのは最低限のルールを定め、細かい規定は条例や別表に従うのが普通です。著作人格権を含んだ著作権というのは権利の範囲が膨大になるのにもかかわらず、著作権という一つの枠組みでくくろうとしている現状。
それが昨日の「印刷できればインタラクティブ配信」という、訳の分からない解釈に繋がってきてしまうのです。
将来的に、著作権は抜本的に改善され、
などと、小分類され、それぞれに見合った形で法整備が成されることを望みます。
あと、情報通信に関わる著作権は、一国で制御できるレベルではないので、万国著作権条約あたりで、基本的な方針を定めてくれいないかな、と極東の島国で思ってみたり。
章 | 進捗率 | 前回比 |
---|---|---|
8章(1章) | 100% | 0 |
9章(2章) | 45% | +30% |
10章(3章) | 30% | +30% |
全体 | 20% | +10% |
第10章の進行速度が速いのは、章全体の文字数が少ないからです。第9章がおよそ2万文字、10章はおよそ1万文字ですから、単純に2倍の違いがあるわけですね。
あと、9章の執筆中なのに10章も進んでいるというのは、9章のために書いた文章を10章に移したからですね。細かなストーリーの変更というのは、書きながら行うものです。それに伴ってプロットも変更されていきます。
それじゃあ、すこしばかり、本文の紹介を。
「藤井さん、どうですか?」
「えっと」
顎の下に人差し指を当てて黙ること数秒。
「まだ、よく分からないです」
言われてみて、愚問だと気が付いた。話をしたくても図書館だから盛り上がるわけにはいかないし、話をするために図書館に来たわけじゃない。そんな状態では、話をしたくても出来ないし、話が出来ないと言うことは、何も知ることが出来ない。三時間という短さ、しかもみんながみんな自分の世界に没頭した状態で、新しいことを得るのは難しい。
「でも、楽しそうでしたよ」
「ほ、本当ですか?」
「はい。遼風さん、笑っていましたし」
「そうですか…」
最後の方は少しだけ声が低くなって聞き取りづらくなってしまった。何を考えているかは分からなかったけど、今日のことを思い出すのに必死なのかも知れない。
章 | 進捗率 | 前回比 |
---|---|---|
8章(1章) | 100% | - |
9章(2章) | 50% | +5% |
10章(3章) | 30% | 0 |
全体 | 20% | 0 |
第9章にてReSin-ensを中心に巻き起こる事件での重要なキャラ、藤井紀秋が登場します。ゲーム版シナリオでは設定こそあった(名前という意味ではなく存在という意味で)のに一切触れられていない部分ですので、凄く不思議な感じです。
冊子版と原作版との最大の違いは語られる部分の違いでしょう。原作版では直哉と彩音にばかりスポットが当たっていて、他のキャラはみんなサブキャラ扱いでした。ですから、音瀬もサブキャラで、その過去は一切語られていません。
しかし、原作版と冊子版を読み比べた人が驚いたであろう「音瀬の過去」という設定は、原作版にも存在していて、描いていなかっただけなのです。音瀬の彩音に対する接し方は過去からの延長線上にあり、それが直哉にも影響を与えます。ですから、あえて音瀬の過去に触れているのです。
もちろん、音瀬の過去に触れるのには大きな理由が幾つかありますから、その理由を冊子を読みながら読み解いてみると面白いでしょう。伏線として格納してありますし。
では恒例の本文引用。何気ない日常の描写ですが、実は色々な意図があって組み込んだ文章です。普通に読んでも日常の風景として楽しめるはずですし、読み解いてみるとあることに気が付くはずです。
一言で言えば、ガムじゃなくてスルメのような文章を目指しているんです。いやスルメじゃなくて鮭トバで(笑)。
外の眩しさで目を覚ますような季節になった。目をこらしてテーブルの上に乗った目覚まし時計を見ると、ベルが鳴るはずの時間まで後五分ある。ベッドから起きあがり、後で驚かないようにと念入りにベルのスイッチを切って、カーテンを開け、大きく背伸びをして、テレビを付けて、台所に向かい、冷蔵庫を開けて、水の入ったペットボトルを取り出して、水を飲む。霞が晴れるように、蜃気楼が消えゆくように、次第に意識がはっきりしていく。
シンクに腰をもたれる。ベッド、ガラステーブル、南向きの窓、押し入れ、テレビ、前のアパートと違って台所からの視界がとても広い。こういうのをLDKっていうみたい。夜の雰囲気の残る部屋を見ながらもう一口だけ水を飲み、冷蔵庫にペットボトルを戻す。反動を付けて寄り掛かっていた体を元に戻し、部屋を横断してカーテンを左右に開く。紺色だった部屋に色がばらまかれ、夜だった部屋に朝がやってきた。
部屋を出て洗面所に向かう。洗面台の電気を点けると自分の姿が鏡に映った。蛇口をひねってお湯が出てくるまでの間、その自分と見つめあう。水色に細かく白の水玉をあしらったローブのようなフリースのパジャマを身に纏った私。肌の色はしっかりとしたピンクで、目の下にクマもない。遠くで地鳴りのような音を立てながら石油ボイラーが動き出す。目も充血していないし、健康そのものだ。床の下からタンタンタンタンとお湯が配管を通り抜ける音が聞こえ出すと、蛇口から出ていた水は湯気を出すお湯に変化した。指先をお湯にくぐらせ、設定温度通りのお湯が出ていることを確認すると、石けんを手にとって洗顔の準備を始めた。
玄関を出て階段を下り、右、右、馴染みのある交差点を左に曲がるだけの単純な道のりを辿り始める。同じ服を着た人達が、同じ方角を目指して歩いている。あるいは自転車に乗っている。小学校に向かう子供、スーツを着た大人、犬の散歩をするお婆さん、時折走り抜ける車。パーツはいつも通りなのに、どこかが毎日違っている。それはきっと夢見だったり、目覚めだったり、朝ご飯だったり、時間だったりが違うからなんだと思う。例えば鞄の重さ。月曜日は資料集を使うから重いとか、水曜日は体育があるからジャージが体積を食うとか、そんな些細なことでも、毎日どこかが違っている。今日、学校に一五分二五秒掛かって着いたのに、明日は一六分八秒かも知れない、明後日は一四分五五秒かも知れない。昨日と同じ今日はない。同時に、今日と同じ明日はない。だからみんな、必死なんだ。
友達同士で盛り上がり活気ある朝の玄関を一人で通り抜け、三年六組の教室に足を踏み入れる。待っているのは挨拶でも、視線でもなく、私が教室に入る前と変わらない空間。私だけが教室の隅にある落書きのような時間を送っている。
少し古いデザインの学生鞄を机の上に置き、二つのベルトを外して蓋を開ける。ぎっちりと詰め込まれた教科書と筆箱を取り出し、最後に図書館から借りてきた本を取り出す。学生の本業は勉強で、そのためには教科書が沢山必要なのに、まちが狭いこの鞄を指定する学校の意図は何だろうと考えたことが何度もある。でも、使い込むにつれ、手に吸い付くように柔らかくなっていくこの革の感覚ははまると抜け出せない。その鞄の持ち手を机の脇にあるフックにぶら下げ、本を開く。
紙の向こう側にある世界。紡がれる言葉、広がる世界、引き込まれる心。ページを捲る動作とその音だけが、私を現実の世界に繋ぎ止めている。物語はいよいよ佳境を迎えようとしている。
携帯電話を握りしめ、電話をかけようと男の子は指を動かすけど、実際にボタンが押されることはない。募り募った想いだけが、彼の心を壊れないようにと支えている。たった一つ、言葉を紡ぐだけで、二人の関係は変わってしまう。関係どころか未来までも。だから、男の子は戸惑っている。でも、このまま終わってしまうのは嫌だと誓った。震える指を押さえつけ、メモリーから目的の名前を探し、発信ボタンを―――
「おはようございます」
突如として割り込んできた声は、一瞬にして世界を崩壊させた。
しかし、校正をしていない文章というのは酷いものがありますね。如何せんリズムが悪すぎますし、毎度お馴染み説明と描写の混同が目立つ目立つ。
それなりの文章を一発で描き出せないと言うことは、まだまだ文章を書き足りないんですね。
「にゃー」とか「うぐぅ」とか「ですぅ」に代表される語尾というのは、キャラ作りの一つの手法でしょう。二次元ゲームにおける登場人物の髪型や色が奇抜なのはキャラを区別するためでしょうし、多くの場合、その色に特に意味はありません。(ピンクは淫乱とか、金髪は切られるとかそんな法則性はここでは触れません。)
語尾も同じようなパターンで、何故そのような語尾を使うようになったのかといったことには一切触れられません。言語に関する知識は後発的に得る物であり、その人物の形成しに大きく影響されるというのにも拘わらず、です。
つまり、語尾も髪型や色も、基本的にキャラを(特にビジュアル的に)わかりやすくするために使われるものであって、話に大きな影響を与えません。
しかし、私達のような字書きは、そう言ったとってつけたような設定というのはあまり好まないでしょう。少なくとも私は好みません。
ではどうやってキャラや人物を区別するか。それは些細な行動や些細な口調の違いでしょう。
些細な差を付けるというのはとても難しいことだと思います。まず頭の中に一定の基準を作っていなければなりませんし、登場人物が多ければ多いほど沢山の種類を作らなければいけないからです。
こんな複雑な作業も特徴的な語尾を用いるだけで代替できてしまうのですから、語尾の力は大きいものです。でも、そんな語尾には頼りたくないのです。
登場人物の多いReSin-ensを例に取ってみてみましょう。
人名 | 台詞 |
---|---|
遼風彩音 | 「一緒に温泉に行ってくれますか?」 |
音瀬紗 | 「一緒に温泉に行きませんか?」 |
月詩茜 | 「一緒に温泉に行かない?」 |
居元直哉 | 「一緒に温泉に行かないか?」 |
春日義明 | 「一緒に温泉に行こうぜ」 |
二つのReSin-ensの共通人物である茜に関しては、私の見方と詩唄いさんの見方が存在するので、二人の作者で若干の違いが出てくるでしょうけど、ざっと纏めるとこんな感じ。
例文だけを見れば語尾を弄っているだけに見えてしまうので、いい例ではないのですが、参考までにと言うことで。地の文を引用すれば、彩音と音瀬には明確な違いがありますね。彩音は終始丁寧語、音瀬は台詞は丁寧語よりで、思考はやや強めの口調です。
台詞としては丁寧語を使う彩音と音瀬は言葉の砕け具合で差が現れてきます。
例えば彩音が「あたし達が勉強場所に使っているのは市民図書館ではなくて、鈴大の付属図書館なのですよ」と言うとしたら、一人称はともかく音瀬は、「私達が勉強場所に使っているのは市民図書館ではなくて、鈴大の付属図書館なんですよ」といいます。
この例文では「の」と「ん」だけですが、二人の話し方には明確な違いが現れます。私が勢い余って変なことをしていない限り、彩音は「なんですよ」等とは言わず「なのですよ」と、口語で用いられやすい「ん」を、「の」として発音しています。今すぐ第一巻をチェキ!
ちなみに、同一場面において最大二人までしか登場せず、組み合わせの差はあっても、最初から最後まで二人の掛け合いだけで会話が進んでいく小説は、(何かしら理由がない限り)駄目な小説の典型としてあげられます。
キャラ、人物を書き分けるだけの技量があったのなら、同一場面に三人以上の人物が居ても明確に別けて描写することが出来るのです。
明確にそのことを意識したのは『光になりたい』の頃です。ですから、『光になりたい』と『アクロス・ザ・タイム』を読み比べれば、一場面に登場する人数に差があることを感じ取ることが出来るはずです。
道内の小学校で例年四月、新一年生の女子児童が空いている和式トイレに入らず、
一台しかない洋式に行列をつくる現象が起きる。和式を知らない子供が増える一方、
自治体は財政難で洋式化が進まないためだ。休み時間中に用が足せずに授業開始が
遅れる例もあり、学校現場は和式の使用法を指導するなど頭を悩ませている。札幌市中央区の桑園小ではトイレ一カ所に洋式は一台のみ。例年、五台以上ある
和式が空いていても、新入生は洋式に長い列をつくるという。
同校は二月の新入生保護者説明会で「休み時間中にトイレが終わらず、授業時間に
食い込む例もある。和式も使えるよう家庭で指導して」と要望した。
こういうのを流行りの言葉でジェネレーションギャップというのでしょう。
ただ、現在としても残っているもの、わざとらしい表現をすれば枯れた技術である和式便所に対しての教養がないというのは、家庭教育の崩壊が、とか言ってみる。
建物には更新の頻度というものがありまして、大東亜戦争終了後の日本は急速にインフラの整備が進み、その時に各種官公庁が地域に形成されていきます。そして、戦後60年超、それらの建物は耐用年数を超え、今まさに建て替えの時期に晒されています。
こういった時代背景をもとにトイレの和式から洋式への移行が推し進められています。トイレという点に限ってみれば、和式便所よりも圧倒的に洋式便所の方が利点が多いため、洋式への転換は間違っていないのでしょう。
例えば、洋式便所というのは高さがあるために、関節に何らかの病気(リウマチとか)をもっていて膝を曲げづらい場合でも簡単に利用出来るといったバリアフリー性に優れています。
反面、座る部分を大多数の人と共有することになるため、抗菌処理が施されていようが、感覚的な衛生面で気にしてしまう人もいるでしょう。
それぞれにいいところと悪いところがあるのですから、今しばらくは両者の共存が続くわけですし、各家庭では和式便所の使い方も教えていただきたいですね。
そもそも、新築物件での和式便所が全滅した感のある家から外に出て、デパートやレストラン、全国チェーンのジャスコに足を運ぶとまだまだ和式便所は健在です。そう言った地域社会、もっと大胆ないい方をすれば公共の場で生きていく上で、和式便所の教育というのは必要不可欠でしょう。
自分のことだけではなく、世の中のことにしっかりと目を向けることが出来る親ならば、世間全体で見たときには和式便所がまだ存在していて、そう言ったところに出て行くためには和式便所の使い方も教えなければいけないと言うことに気が付くはずなのです。
家での生活だけが生きることではありません。人は対外的に活動していく存在です。そう言ったことをきちんと考えることが出来る親なら、躾の一環として和式便所の使い方を子供に教えるはずなのです。
章 | 進捗率 | 前回比 |
---|---|---|
8章(1章) | 100% | - |
9章(2章) | 60% | +10% |
10章(3章) | 30% | 0 |
全体 | 24% | +4% |
一日でおよそ6kB。まあ、悪くないペース。このペースを月末まで毎日続けたら、予定通りの進捗速度。まあ、まず無理(笑)。
ちなみに、全体のパーセンテージは250kBで計算し、現在までに62kBまで進捗中。
玄関の鍵を二つともかけ、庭を歩き、門扉を開き道路に出る。家の方を振り向いて門扉を閉め、殆ど一直線の言っていいモカ珈房への道のりを歩き始める。いつもは茜と歩くことが多い通学路を一人で歩き、学校に向かうためにいつもは右に曲がる交差点に出る。そこを逆の左側に曲がり、すぐ次の交差点を右に曲がる。
新興住宅街と言ってもそれほど新しくない街並みは、平日の昼間だというのに共働きの家庭が多いのか人気が全くない。スーツを着た会社員、犬の散歩をする人、学校に向かう生徒、走り抜ける車、全ての人という要素が街から追い出されていた。いつもは朝露に濡れ光沢を放っている庭先の常緑樹も今は鋭いぐらいに青々としている。太陽も普段と違うところにあるから、陰の出方も全く違う。音にも人間の生活感はなく、鳥と犬の鳴き声だけが人工的な風景を支配しているという奇妙な感じだ。一年で二百日は歩いているであろう住宅街が、時間が違うだけでこれほどまでに違うことに俺は驚いた。
道路の向こう側、交差点に店を構えるモカ珈房が見えてくる。道路に面した大きなガラスの足下にあるプランターには、名前も知らない小振りな花がくすんだ青空の下で咲き誇っている。飾りと言った飾りはほとんどなく、普通のコーヒー店にありがちなメーカー品の看板は一切なく、〈自家焙煎〉と〈モカ珈房〉という文字だけが誇らしげに店頭を飾っていた。
モカ珈房の外観は決まっていないところが結構多くて、下手に描写しすぎると茜ストーリーとの矛盾点が出来てしまいそうですけど、気にしない、ということで。もとより、文化祭という点を取ってみても、茜ストーリーと違うところがあるので、そう言った違いも楽しんで貰えればなあ、と。
ひょんなきっかけで余っているコーヒーを貰えることに。先日そのコーヒーを受け取ったのですが、受け取る際に、「ごめんなさい。殆ど賞味期限切れてるの」と言われました。確かに半年近く賞味期限が切れています。
でもまあ、消費期限じゃないし、ということで、ドリップ式のコーヒーをゲット。
貰った内の2/3が賞味期限切れのコーヒーでしたが、それももう数日前の話ですから、もう飲みきってしまいました。あとは賞味期限が未来の物ばかりです。コーヒーを飲むようになったのはReSin-ensを書くようになってからと日記で触れましたが、コーヒーを良く飲むと周りに公言しているとこういった棚ぼた的なイベントが発生するわけですね。
お中元の季節に期待しよう(最低だ)。
おまけ写真。ありがちな風景。左隅の付箋の束みたいなのは見本紙です。大王製紙の再生色上質や、富士共和製紙のFKスラットシリーズの見本紙を揃えてあります。富士共和製紙のウェブサイトには色見本を取り寄せるためのフォームがあるのですが、企業向けのフォームになっています。なので、メールで問い合わせ電話で「自費出版の表紙に使おうと持っています」と目的を告げると、快く(かどうかは分かりませんが)送ってくれました。
おかげさまで、ReSin-ensの表紙は、富士共和製紙の紙を使っています。スベスベのマッドペーパーがいい感じ。色も優しいし。
と、広告しておけば、いいかな? でも、気に入っているのは本当です。耐水性も非常に高いですし、色合いも落ち着いているので、私好みの紙に仕上がっています。『巫女のスヽメ』で使っているKOKUYOの紙より、若干手に吸い付いてくる感じのする紙ですね。
一年以上前からパソコンケースに対してとある改造をしたいと考え、材料も既に買ってあったのにそのまま放置していたものがあります。ただ、これから夏を迎えるのと、24時間駆動であると言うことを考え、ついに今日、改造に至りました。
具体的に言うと、ケースファンを取り付けるところの金属メッシュを取っ払って、風切り音を減らしてしまおうと言う作戦。
パンチング加工された二箇所をミニ四駆の肉抜きの要領でペンチを使って切断。簡単にヤスリをかけた後、市販のファンガードを取り付けて完成。作業時間は30分ほど。
劇的コンバージョン、ビフォー・アフター。
電源を入れたところ、ケースファンが回っているかどうか音で判断できないぐらい(CPUファンやHDDの駆動音にマスキングされた)静かになりました。こんなに静かになるんだったら、もっと前からやっておけば良かったと後悔しています。
foobar2000のプラグインを使うと、MSNメッセンジャーでの再生している曲情報を適度にカスタマイズできます。ここ最近は、『魔理沙は大変なものを盗んでいきました。「歌手名」の「曲名」です。』だったり、『今年の甲子園の入場曲は「歌手名」の「曲名」』等を使っていました。
ネタが思いついたらそれを適度に採用するという手法をとっていたのですが、今回少し能動的に選んでみようと、とある人と意見を出し合うこと、十数分後。
『「歌手名」の「曲名」は世界一ィィィィ!!』に決まりました。
めちゃめちゃ使い勝手がいいです、この台詞。
昨日の排気孔改造と、それ以前に行った目張りの相乗効果からか、ハードディスクドライブの温度が以前に比べて三度近く下がるように。
静穏化して、温度も下がる。これって凄い。ファンを付けた状態での静穏化と言えば、回転数を落としたり、7V・5V駆動辺りが手っ取り早いでしょうけど、ケースに手を加えても実現できるものなのですね。
比べようがないので分かりませんけど、購入時の段階より大分静穏化されたと思います。電源も静穏仕様の物に取り替えてありますし、今回のように風切り音も排除しましたし。今はノースブリッヂに4000rpmのファンが付いていますけど、これもCPUファンを取り替えて周辺冷却が強化されたら取り外す予定ですし(むしろ取り外さないと、干渉する恐れ有り)、ゴールデンウィークが開ける頃には熱と音に関する改善が飛躍的に進みそうです。
あとはカオスってる配線を何とかしないと。
章 | 進捗率 | 前回比 |
---|---|---|
8章(1章) | 100% | - |
9章(2章) | 92% | +32% |
10章(3章) | 35% | 5% (再計算による修正値) |
全体 | 28% | +4% |
寝るまでに9章が終わるかも。コーヒーとアイスでパワーチャージ。(あれ、一個が違ってるんるん)
章 | 進捗率 | 前回比 |
---|---|---|
8章(1章) | 100% | - |
9章(2章) | 100% | +8% |
10章(3章) | 35% | 0% |
全体 | 30% | +2% |
第一巻でカットしたイベントを、9章で回想として挿入することによって、一気に進捗率アップ。保存しておいて正解でした。
これで物語は10章へ。起承転結で言えば、承の準備段階と言ったところでしょうか。
突然ですが、先週、プリンターを買ったんですよ。3姉妹が出ている某CMの複合機のものです。
複合機って便利らしいですよね。今のプリンタを買ったときは複合機もまだマイナーで、今のように安く手に入らないので諦めていましたが、今の値段を見ると心が揺れそうです。ただ、最近の方針は一つずつの最高性能を求めているので、プリンタはプリンタ、スキャナはスキャナで買うことになりそうです。
昨日、試し刷りをしてみたら、なかなかの優秀な働き者のようで、コンビニのコピーに頼っていた時に比べればずいぶん楽に作業を進められそうです。
プリンタでの出力を主力にしてから、コンビニコピーは本当に使わなくなりました。もう夜中に100円玉をつぎ込んで、店員に変な目で見られながら二時間もコピーする必要ないんです。寂しくもあり、感動もあり。
ただ、コピー本から離れると、コピー本でしかできない表現をやりたくなってしまうのが、作り手の思考回路のようで、作品が出来上がる前に早朝が出来上がっている作品が一作品ほど。
でもまあ、変なところから影響を受けて物を作りたくなるのはクリエイターの本能ですし、これをよしとして作品を作りたいものです。