Top > 読み物 > 日記 > 2006年12月 -3冊目-
ビールが美味しく感じるようになってきたような気がするのはきっと勘違い。世の中きっと全部プラシーボ効果なんです。
ちょっとばかし帝都に行ってくる。
ここ最近の紙の発注店である梅原洋紙店の書籍用紙。直接確認したわけではないのですが、何故紙の名前が書かれず、『書籍用紙』となっているか理由が分かりました。
どうやらこういった卸問屋はオリジナルで書籍用紙を作ってもらっているようなのです。これならアクセスアーが既製の書籍用紙(クリームきんまり)を使っていて値段が安いという理由もよく分かります。
同人作家御用達の紙卸問屋といえば、秋葉紙業と梅原洋紙店かと思いますが、双方の『書籍用紙』は、ザラザラとした質感のある紙と、つるつると光沢のある紙といった具合に種類が違います。
これはそれぞれの問屋が製紙メーカーに発注しているから種類に違いが出るのではないでしょうか。
個人的な好みとしては、ざらざらの紙の方が好きなのですが、レーザープリンタのトナーの乗りを考えるとつるつるの紙の方がよりよいですから、そう言った好みと現実を天秤にかけて紙を選ぶというのも、同人誌作りにおける大事なプロセスだと言えます。
自宅製本のいいところは、紙選びに関するところまで個人の裁量が生きるところにありますし。
短編を含むページ数が少ない同人誌に関しては、ReSin-ensで使った書籍用紙ではなく、別の紙を使おうと考えています。過去の日記では色上質を使うなどと書いていますが、若干その考えがぶれるかも知れません。
短編作品の場合、本文用紙を厚くして見かけ上のページ数を増やすというのが常用の策であるといえます。少し逆の見方をすれば、厚い本で厚い紙を使うとページが捲りづらくなるが、薄い本で厚い紙を使ってもページが捲りづらくなることはなくなり、すなわち、厚い紙を選択肢に含むことが出来る、ということになるでしょう。
見かけ上のページ数を増やすことにはもちろん意味があり、同人誌の闇の側面を暴く格好になりますが、ハッタリをかますことが出来るのです。
もちろん、こういった手法が同人業界だけで行われているかと問われればそうではないと断言できます。
ハリーポッターシリーズに代表される、とにかくページ数が多い小説などは『淡クリームきんまり』といった、薄くて軽い紙が好んで使われます。反面、一般的書籍でもページ数が少ない書籍は、厚い紙が用いられます。芸能人が出版する本なんかは(一部の例外を除いて)厚い紙を使った上で、行間や文字のサイズを微妙に調整して、収録してある文章が長いと錯覚させるような構成になっています。
この辺りの調整は、「流石出版業界」と言えるような微調整で、隣に並べて見比べない限り暴くことが出来ないかと思います。小説のプロといえる人が書いた長編作品で使われた装幀と、芸能人が書いた文章で使われた装幀を見比べてみるとその差が分かるかと思います。
同人誌を含んだ冊子はこうして本の厚みを水増しすることによって、消費者に「こんな薄っぺらい本なんて」といった感情を抱かせないようにマインドコントロールしているのです。少し表現は大袈裟ですが。
もちろん、ページ数を水増しする以外にも色々な事情がある場合もあります。
さて、同人誌における見かけのページ数の水増しの理由について一つを取り上げましたが、私が思うところ、本を厚くすることにはもう一つの意味があるといえます。
本を厚くするということは、本の『背』を厚くすると同義です。背を厚くすると、そこに文字を入れたり、飾りを施すことが出来るようになります。つまり、装幀の幅が広がるのです。私の活動ジャンルは文芸に分類されますが、字書きとしては背に本のタイトルを入れたいという欲求に駆られます。
これが40ページで僅か2ミリにしかならない本では非常に難しいですが、同じ40ページでも3ミリになったら、背の部分にある程度の文字を入れることが出来るようになります。飾り気が無くても、ゴシック体で本のタイトルや出版サークル名は簡単に記述できるでしょう。3ミリもあったら、7.5ポイントぐらいの文字は使えるのですから、可視性も悪くないでしょうし。
こうして考えると、厚い紙を使うということはそれなりの意味があるといえます。
そして、ページ数が少なくても厚い本になるのですから、ページ数と値段と厚さから求められる若干のお得感、装幀の可能性の拡張は、厚い紙を使う理由には十分な根拠があるといえます。
そんなこんなで、現在候補に挙がっているのは、再生色上質の厚口(0.12ミリ程度)と『OKプリンス上質エコG100』の二種類。前者は最近印刷した冊子版『光になりたい』本文用紙として使っています。後者は書籍用紙とほぼ同じ値段で、厚みが1.5倍程度(0.15ミリ)の紙を手に入れることが出来ます。
値段としては前者の方が若干安いですが、紙厚が普段使っている紙と余り変わらないので、差が分かりづらかったりします。後者は書籍用紙とほぼ同じ値段なので、「短編は安めに」という考えを若干否定しますが、厚みがあり、紙質も柔らかく使い勝手も良いと言えます。ただし、再生紙のため白色度が低く、若干安っぽいのが気になります(書籍本文用紙としては、白色度が低いほうがいいのは間違いないですが、色が付いていないという意味で)。でも、質感はアリだと思う。
紙の発注自体は来年の話なので若干余裕がありますから、もうしばらく悩むとしましょう。
おしりを触る
楽曲『最強○×計画』をカラオケで歌わせる
ちなみに、私がリクエストされた場合は喜び勇んで歌うので、よろしくお願いします。
でも…『ちっぱいぱんCD』に収録されている作品クラスの楽曲は遠慮しておきます。
来月の21日は前橋で同人誌即売会が行われる予定ですが、そのイベントに申し込むためにはご主人様にお休みを頂かなくてはいけません。休みを頂くために行動しなくてはと思ったのが、今週の月曜日。一ヶ月先の話になってしまうので、出来るだけ概要が決まってからと思っていたら、こんな時期になってしまいました。
そして、なんだかんだと機会を逃し、明日でも大丈夫かなと思ったのが今週の水曜日のお話。
そこで気が付きました。明日でもいいやという明日は今週の木曜日のことですけど、木曜日に私は東京に行くための休みを頂いており、ご主人様に会う機会がありませんでした。この時点で、金曜日の休みも頂いていたので、ご主人様に会うのが土曜日になってしまいます。
こうなったら、あらかじめ申込用紙を記入した上で、土曜日、ご主人様に休みを頂くことを確認し、そのまま郵便局に向かってしまおうと考えました。
しかし、大変なことに気が付きました。
郵便局でも中央集配局に行けば17時までは郵便の窓口が開いています。ですが、その土曜日には、イベントの申し込みに必要な為替を購入することが出来ない(為替は貯金窓口を使うので、平日しか扱っていない)事に気が付いてしまったのです。
これはまずいと思い、昨日、一足先に為替だけを購入し、申込用紙を書き上げました。私って超天才、とか思っていました。この時ばかりは。
これで一安心と思ったのも束の間。最悪の事態に私は直面してしまったのです。
土曜日だと思っていた、23日、すなわち今日は祝日で、窓口の営業時間は日曜・祝日のそれが適応されます。そうなると開いている時間は12時30分までとなり、物理的に申し込むことが不可能になっています。
家が郵便局に近いため、為替も切手も常備していない環境で起こったこの事件。休みが取れるかどうかも分からないままフライングで申し込んでしまうのは危険をはらんでいるため、あれほど参加する気満々だったイベントを諦めざるを得ないと思いました。
しかし、「郵は政に公は社に」はやってくれます。
大きな郵便局には「ゆうゆう窓口」という窓口が設置されており、局にもよりますが、24時間郵便業務を受け付けています。
貯金窓口は開局されていないため、為替を購入することは出来ませんが、郵便窓口さえ開いていれば、通常郵便を始め、速達郵便や小包郵便(ゆうパック)、切手の販売、そして、郵便局の最終奥義とも言える「翌朝10時郵便(距離に限りがあるが、次の日の10時までに確実に届けてくれる音速郵便)」も受け付けてくれます。
幸い、為替は購入してあり、切手を貼って投函するだけの状態ですから、今回は「ゆうゆう窓口」を利用してイベントの申し込みをしてみようかと思います。
まあ、なんというか、どれだけ話題をとっかえひっかえしても、最終的に行き着く結論は、もっと余裕を持ってイベントの申し込みはしましょう、ということですね。
ちなみに、土日も確実に配達する(料金面も含めて)郵便に類似したサービスといえば、クロネコヤマトのメール便があります。しかし、最近のサービス変更で、宅配とほぼ同じ速度で届いていたのが「3日程度」に変更されたので、使い勝手は確実に悪くなっています。少なくとも今回のような、締め切り直前に使うのは土日に配達できるというメリットがあっても使うべきではないかと思います。
ブログなどで、その記事に関する写真を記事の先頭に付ける風習(文化? 勢い? 蛇足?)がありますけど、佐川急便と郵政公社についてはせっかくロゴマークがあるんだから、それを使ってみようかと思ってしまった今日この頃。クロネコヤマトも何とか四文字の漢字に出来ないかなと思っている次第。でも、黒猫大和はあまりにもべた過ぎるのです。
インターネットラジオを配信する音泉のサーバーが落ちた問題で、その原因に『うたわれるものらじお』が含まれるかどうかは分からない、というより、ほぼ確実にその影響なのでしょうけど、サイト構成そのものに問題があるようにも思えたりします。
音泉はそのサイト構成上、インデックスページからしかネットラジオを聴けません。つまり、ネットラジオを聞くためには必ずインデックスページを閲覧しなければならないのです。
しかし、そのインデックスページは大量の画像を呼び出すようになっています。仮に一つの画像が10kBだとしても、番組タイトルだけで10kB×4個×13列=520kBも呼び出しを行っています。
実際にネット上のサービスを使って調べてみました。
評価 F
合計 913935bytes
予想表示時間 130.56秒程度(56Kモデム単純換算。8秒が目安。)
コメント:ファイルが重過ぎます。根本的に考え直したほうが良いかもしれません。
913kBもあるようです。
新作短編の原稿を書きながら、気分が乗らなくなってきたらレイアウトを調節するという作業を続けています。
印刷はもちろんお兄ちゃん任せなのですが、夏コミの頃からどうも一筋の線が入る(一直線にトナーが載らないところがある)事が気になっていました。未だに直る様子がないので、ドラムが壊れたのかな、と思ったのですが、それでも一応、と、何度も繰り返したドラムを取り外して誇りを確認するという作業をしてみることに。
ドラムの表面には相変わらず傷が付いた様子もなく、付いていた埃を拭き取ってもやはり印刷結果は変わりません。半ば諦めながら、ドラムを元の位置に戻そうとした瞬間、なにやら変な物体がドラム上部にぶら下がっているのを私の高性能Eyeが捉えました。
細い紐のようなものがドラムに向かって垂れているのです。その見える範囲、僅か1ミリ。
もしかしてと思い、ピンセットでその紐のようなものを引っ張り出してみると………髪の毛でした。
どうやらこの髪の毛がドラム表面に付いたトナーを剥がしてしまっていたようです。ドラム表面だけではなく、その周囲にも気をつけなければなりませんね。
やっぱり次のアンチウイルスソフトはカスペルスキーで決まりだね、と思い、何時ものY電機へ値段だけ確認に行きました。
行くたびにカスペルスキーの販売スペースが増えていく不思議なY電機ですが、そんなことは気にせず、パッケージを手に取ってみたのです。
そこで不思議なことに。見た目は全く同じパッケージなのに、値段に1000円以上の違いがあります。しばらくパッケージを視姦していると、どうやら右隅にあるシールに書いてある文字が違うようです。
安い方のシールには、優待版と書かれていますから、旧製品を持っていることが前提なのかなと思いつつ、とりあえず読んでみました。
その結果、他社アンチウイルスソフトを持っている人も対象になるようです。そう言えば、一太郎も、Wordを持っている人を含め、他社の日本語ワープロソフトを持っていると優待版が購入できるようになっていましたね。
これなら安い方が買えるなと思ったのですが、なにやらその文面にはまだ続きが。
ジャストシステム製品をお持ちの方
………ちょ…範囲広すぎ! 限定5万本の理由も納得ですけど、ジャストシステム製品さえ持っていれば、優待版を購入できるなんて太っ腹。WindowsXP64bitを持っていても、Vistaにアップグレードできない某ソフトウェアメーカーとは大違いです。
掲示板なんかの質問で『ヒラギノ明朝』の話が出ると、何故か勧める文章を書いてしまう私。そりゃあ、あの美しさに惚れ込んでここ最近の同人誌は全てヒラギノ明朝を本文フォントとして使っているからですが。
あまりに勧めているので、完全に信者だなと思ってしまいました。
ReSin-ensの表紙で、明朝体でタイトルを書いている部分がありますが、あれも元々はヒラギノ明朝を使う予定でした。しかし、ヒラギノ明朝はウエイトが大きくなると、字面が可愛らしくなってしまうことに、表紙を作っているときに気が付いてしまいました。
そこで予定を変更して、太くなっても鋭さや気品の高さがあり、太いフォントを容易に用意できるという理由から、HG平成明朝体
W9を使用しています。
鋭さのある明朝体といえばリュウミンあたりが真っ先に浮かびますけど、あのフォントは少し癖が強いうえに、有名すぎるので使うとすぐに気づかれてしまうのが個人的には好きになれません。
今現在の明朝体フォントライブラリーから言えば、『和桜明朝』あたりも好きな形かも知れません。ちょっと古くさい字面が私好み。
日本サムスンがAdobeRGBに対応した液晶ディスプレイを格安で販売すると今年の九月に発表したのは衝撃的でしたが、どうやら順調には進まないようです。
AdobeRGBに対応した液晶ディスプレイは非常に高価ですけど、この製品は20万を割る価格だったので色々と期待していただけあって少し残念です。輝度も今時の液晶に比べ柔らかめの250cd/m2と、利用者層を狙った値になっています。
液晶ディスプレイにおけるsRGBの明確な輝度は決まっていませんが、CRTにおけるsRGBの輝度は80cd/m2と定められています。そう言ったことを考えても、低めの照度をターゲットにしている辺り、好感が持てます。(極端に言えば、輝度が100cd/m2あれば、写真目的には十分と言うことですね。)
デジカメを本格的に、という方にはお勧めですね。
「私だって料理ぐらい出来るもん。」
「だったら、きんぴらゴボウの一つぐらい作って見せろよ。」
「そのぐらい自分で作りなさいよ!」
次の日、パソコンの検索履歴を見たら、『きんぴらゴボウ 作り方』、『きんぴらゴボウ レシピ』、『美味しい きんぴらゴボウ 作り方』、『男を納得させる レシピ』って残ってた。
アドレスそのものや、サイトを移転しても変わっていないことからも察せるとおり、私宛のメールは転送用のメールアドレスになっています。
そのメールアドレスは、h3.dion.ne.jp時代から使っているので、色々なところでスパムの送信先として登録されているようで、毎日必ずスパムメールが届きます。二年ほど前に、いきなり10通もウイルスメールが来たことも、今では懐かしい思い出ですね。
ただ、転送用のメールアドレスと言うことは、転送先のアドレス、すなわち本物のメールアドレスが存在することになります。ここしばらく確認している限り、本物のメールアドレスの方には一通もスパムメールが届いていないことから、まだ、防壁は突破されていないようです。
ちなみに、CGIからメールを送ったときは、転送用のアドレスを媒介するのではなく、直接本物のメールアドレスに届くようになっています。予想を一つだけ潰すとしたら、webmaster@sakura~ではありませんので、ご注意を。
束縛された現代社会。ダイヤによって移動時間を束縛され、情報端末によって繋がりを束縛され、税金によって生活を束縛される。そんな時代に嫌気が差しませんか? さあ、裸になって街を出歩こう!
なんて言って裸で街を歩いていると警察に捕まった外国人がその昔いたような気がしますが、現代社会において、人間が自給自足で生きていくことは不可能でしょう。
自給自足といえばまず食糧の確保が考えられます。食料といえばまず田畑ですが、田畑を用意するためには土地が必要です。だからといって土地を確保すれば、税金がかかります。税金を支払うためには何処かで働かなくてはなりません。
そうやって元を辿って考えると、人間が一人で、しかも自給自足しながら生きていくなんて、到底不可能です。更に元を辿ると、人間の前はチンパンジーやら猿に代表される生物ですが、彼らも群れを組んで生きています。それは一人で生きられない証拠です。
人間よりもその更に前の時点で群れを組んで生きているのですから、そうそう簡単に一人で生きられるはずもありません。一人で生きていくためには、生物学的に進化する必要があるのかも知れませんね。
とっくに第二弾が発売されているのに、今頃ヴァルキリープロファイルを進めている私。最大の目標は、スキル「オートアイテム」(ターン開始時に自動的にアイテムを使用)と、スキル「ガッツ」(体力が0になっても一定の確率で瀕死状態になる)を使わず、イセリアクイーンを撃破すること。
敵の使うファイナルチェリオのダメージは約40万なので、これをいかにして軽減するかが最大の目標になります。
味方の最大DME(普通のゲームではHPのこと)は、90000ですから、40万のダメージを9万以内に収めることが出来れば勝機は見えてきます。
そこで、パーティーの選抜から成長方針まで考えて育てたキャラクターを二人用意。ヴァルキリーは絶対にパーティーに入れなくてはなりませんし、魔法使いはまだ成長途中なので、まずこの二人のテストとなりました。
イセリアクイーンのHPを半分まで削るといよいよ本番。数ターンの後、イセリアクイーンが大魔法「ファイナルチェリオ」を繰り出してきました。
そしてそのダメージが………
ぴったり90000。
持ちこたえたのは、闇属性-90%の防具を付けている魔法使いだけですか…。
戦略の練り直しを迫られました。
巷には、改造を施して一発目の魔法を跳ね返して990万ダメージだとか、デバックモードにして、といったフラッシュがありますが、そう言った方法をとらずに攻略を目標としています。
前橋駅による用事があったのですが、何の気無しに伝言板を見たら、『XYZ』の文字が書いてありました。思わず吹き出した。
落雷、強風、豪雨の影響で、電車が4時間も遅れたとか、遅れた怒りを駅員に向かって発散しているが意見だけが大人だけの人を見つめながら、あのXYZを思い出す日々。
旧ポイントカードサービスを終了し、新しいポイントカードになるそうです。今のポイントカードは今年で終了。来年三月末まで新しいカードへのポイント移行をしているようなので、古いカードのままの方は店頭で、「新カード申し込み」+「ポイントの移行」の手続きをお勧めします。
それにしてもあの旧ポイントカードが、私とアニメイトに関する一つのステータス(5年近く掛かって折り返し地点)だったのですが、新しくなってしまうのが少し残念でした。
ポイントを単純に記録する今までの磁気式ではなく、バーコードを読み取って照会するサーバー集約型になったようなので、商品の購買履歴なども記録されるように変更されたかも知れませんね。
記事によると、HD DVD機器に必要な機能である、VC-1やH.264等のデコーダやプロセッシングに関わるものを、1チップに収めることが出来たようです。過去に、H.264のエンコード・デコード部分を1チップにしたというようなニュースが流れたような気がしますが、ひとまずH.264に関する部分は盤石が出来上がったと言えるのではないでしょうか。
同記事の情報を鵜呑みにすると、アメリカではHD DVDソフトの方が、BDソフトより3倍売れているそうなので、ひとまずBDが先制したと言えるでしょうか。
BDプレイヤーとしては安価なPS3については、BDプレイヤーを搭載せずに価格を下げて欲しかったといった声も聞かれ、BDプレイヤーがあるから買うという人も少ないようで、PS2の時のように値下げが始まらない限り、今の状態が続きそうですね。
次世代ゲーム関連で言えば、コントローラーのストラップが切れる不具合で今後の動きが注目されたWiiも、早速注意を促すCMを作成し、ソフトのCMよりも見る頻度が高くなっています。ゲームに不慣れな人がレースゲームをすると、曲がる方向に体を無意識のように傾けてしまうというあの光景を思い浮かべてしまうほど、人を熱心にさせるWiiのコントローラーですね。
CM戦略という点では、SONY陣営も任天堂陣営も、PSPやPS2、DSやDSLの時と方針を変えず、前者は「ゲームの実演画面を流す」、後者は「ゲームをやっている光景を流す」という流れです。これは、ゲーム機としての性能をアピールするSONYと、ゲーム性の楽しさをアピールする任天堂といった考え方がそのまま反映されたようなCMですね。広告戦略からも会社の考え方が分かって面白いものです。
郵政公社苛めというわけではないですが、ようやく年賀状の制作を開始。今年はついに大台を割るのでは?という所をすんでの所で回避しました。年賀状の送り先数をグラフ化すると、片対数用紙に書き甲斐のある値になりそうです。
ここのところ、届く年賀状がパソコンで印刷されたもののほうが手書きを上回ってきましたが、殆どの人が『筆王』や『筆まめ』あたりをつかって処理しているのか、住所の印刷に使われるフォントが全て同じで、並べてみたときに面白い光景になっています。
具体的に言ってしまえば、『HGP楷書体』の事です。
流石にこのような情勢の中、同じフォントをつかって宛名を書くのは、私なりの芸が足りないと判断し、今年はフォントを変えることにしました。今年のフォントは『DFP細楷書体J』ですので、こう御期待。枚数が少ないので、宛名面も無駄に高画質印刷でお届けいたします。
そろそろ宛名印刷を一太郎に移行してしまいたいですね。
年賀状が手元に残っていないので時期は正確ではないのですが、文豪(文豪 ミニ3E<PWP-30E>)を使って年賀状の宛名面と裏面を印刷したのは、もう10年以上前の話。リボンテープが減っていく光景が半アナログ感を醸し出していました。
使い終わったリボンテープは、巻き戻してもう一度使うのだー!(裏にして使えるのもあったけどね)
新日本様式というのは、一言で表現すれば、日本をアピールするための商品群に付けられる冠のようなものでしょう。今年、50作品近くがノミネートされ、ゲーム機からウェットティッシュに至るまで、様々なものが選ばれました。
そして、その日本らしさを象徴する商品を紹介するのが、先に紹介したウェブサイトなのですが、色々な意味で酷すぎる様な気がします。まあ、日本のウェブデザイナーの品質をサイト自体で表現しているというところでは、新日本様式っぽいどころか、前衛芸術のようですが。
コピーライトの所に、デザインを担当した企業にリンクが張られていますが、私なら恥ずかしくてリンクできません。
機能的を実現する手段の点でシンプルを売りにするサイトの管理人としては、HTMLで全てまかなえることをJavascriptやFlashで代替する意味は全くないと思います。少なくとも、対外的にアピールしたいのに、その時点でアピールできる人の数を減らしてしまうことになりますし。
今思いついたので適当に受け足しておくと、国内よりも国外に向けてアピールを優先する日本のウェブサイトは、いっそのことサイトで用いる言語の初期値を英語にしてしまえばいいのに、と思います。
そういえば、宮内庁のウェブサイトがあまりに酷すぎるという見解のもと、「宮内庁のウェブサイトを作ろう」といったスレッドがとある掲示板に立っていたような気がしますが、今はどうなっているのでしょうか。
毎年恒例といってしまえばそれまでですけど、年賀状制作をギリギリになって始めています。毎年、二つから三つのデザイン(文面)を考えているのですが、今年は二つに収まりそうです。一昨年の某巫女服の着方に比べれば電波度は非常に低く仕上がっていますが、実用度はやや高めになりそうな予感。
同人誌を作る人にはきっと役立つはずです。
ここ数年裏面はフォトショップで作っているのですが、2007年の年賀状はレイヤー枚数が過去最高になりそうです。
年賀状完成。宛先が全て県外になっている辺りが、今の私の人間関係を如実に示しているような雰囲気です。『県外』と書いた紙と一緒に輪ゴムで束ねて年賀状専用と化したポストに突っ込んでくる。
そういえば、以前、ポストの擬人化とかやったような気がします。
その子は何時も街角に立っていた。何処を見つめるわけでもなく、雨が降っても冷たそうにするわけでもなく、ただそこに立っていた。初めてその子がそこに来た時はトマトよりも真っ赤だった赤いワンピースも、今では少し黒ずんでいた。
きっかけが欲しかった訳じゃない。ただ、彼女に近づきたくていつもより早く年賀状を仕上げた僕は夜遅く、彼女のところに向かった。
手紙を差し出すと彼女はその手紙を手に取り、口にくわえた。
「ねぇ。」
言葉で答えることなく、頭を少し傾けることで僕の声に反応した彼女に僕は、「寒い?」と聞いてみた。
「………。」
やはり、答えない。もう一度僕は聞いた。
「………さふい………ふぇす。」
聞き取れなかった言葉を聞き取るために、彼女の口に収まっている年賀状を引き抜いた。
「…寒い…です。」
雲が通り過ぎ、月明かりで周囲が照らされた。すると、彼女がはっきり見えるようになった。年は僕よりもだいぶ下だ。中学生ぐらいだろうか。肩より少し長いぐらいの髪を後ろに垂らし、じっとたたずんでいる彼女の焦点は僕に結ばれていた。
サイト内検索は便利ですねえ…。
某サイトの管理人に、「サイト内検索はないのですか」と訪ねられたことがありましたけど、そのサイト内検索に関する設備をサイト内に設置しました。「ウェブサイト紹介」のページや、画面(IEはページ)右下の、「サイト内検索」から該当のページへ移動してみてください。
以前からGoogleを利用したサイト内検索はフォームを用意していましたけど、間借りしているサーバーにCGIを設置して行う、本格的なサイト内検索はこれが初めてになります。というのも、前のレンタルサーバー(パルフェ)は検索CGIの設置が禁止されていたので、設置したくても出来なかったというのが最大の理由です。
タイプとしては、あらかじめインデックスを用意する、インデックス方式が採用されています。そのため検索結果は音速で、試しに「鈴響雪冬」を検索すると、検索に掛かった時間は自宅サーバーで0.25秒、サクラサーバーで0.10秒という結果が出ました。
インデックスをあらかじめ用意する方式は、インデックスの更新日時に検索結果が左右されます。毎日インデックスを更新するのは不可能ですが、月一を目安として更新する予定ですので、Googleよりは反映が早いかと思います。
文字通りの全文検索です。サイト内で私が許可したHTML文章を全文検索します。
許可したHTMLは、サイトを構成する殆どのファイルですので、許可していないHTMLを紹介する方が早いかと思います。許可していないHTMLは管理用ページや、テンプレート用のファイル等ですから、99.8%ぐらいのファイルは検索対象になっていると思います。
ちなみに、404エラーに関するページなどは検索対象なので、検索文字列を「404」や「503」等にすると、普段はエラーが起きない限り表示されないページが閲覧できたりします。まあ、この場合はアドレスが規則的なので、一つ分かれば後は芋づる方式なのですが………。
この検索システム自体はまだベータ版なので、ページの表記などが定まっていません。意見をくみ入れながら完成度を高めていきたいと思うので、何か意見がありましたら掲示板やメールフォームなどをご利用ください。
ゆっくりと息をして呼吸を整え、改めて和史を見る。格好いいとは言えないんだけど、容姿なんて二の次の私にとっては丁度いい。ちょっぴり気弱なところもこの際気にしない。何でも笑って許せる和史は、それだけでも十分強いんだ。
引用した文章は、今書いている新作の小説で、今日、筆を進めた部分です。何の気無しに書いた文章ですが、この「笑って許せる」というのは、今の日本にとって重要な言葉のような気がします。
一般論として、最近の若者はキレやすいと言われていて、これを言い換えれば、我慢強くない、話題に沿うように言い換えれば、物事を笑って許すことが出来ないということになると思います。
笑って許す、というのは些細なことはなかったことにするということであり、多少強引かも知れませんが、物事を曖昧にして結論づけてしまうと言うことになると思います。
この「曖昧」というのは日本そのものを示す言葉の一つであるといえます。「後日検討します」といった言葉なんて言うのは、その場で結論を出すのは躊躇われることを、議論すると言って一旦引っ込め、日を改めて当初の結論を告げ、物事を円滑にする場面ではよく使われます。
相手の間違いを正すときも、敬語では「それもまた趣のあることで」といった言い回しにすることにより、直接的に間違いを指摘するのではなく、相手に気づかせることによって間違いを正すといった方法をとります。
海外から見れば日本は曖昧だと思われてしまいますが、半社会主義国的な道を長年歩んで来ているのですから仕方がありません。社会主義では他者との交流や助け合いが当たり前で、そう言った人間関係を安定し継続するためには、白か黒かに結論を帰着付けるよりも、曖昧なままにしておいた方が上手く行ったのでしょう。こういうところは、交流の中で生きてきた女性の振る舞いを見ればよく分かりますね。
現在でも、夫婦間の喧嘩というのは「納得はしていないけど、引いておいた方がいい」といった理由で、夫が先に引き下がる(謝る)方が多いと統計上導き出されているわけですから、曖昧にして結論づける、というのは脈々と受け継がれているようにも思えます。もっともこの場合は、感情的な女性を操るためには適当に謝っておいた方が楽である、という男独特の世渡り術でもあるのでしょうけど。
曖昧の反対にあるといえば、白黒つけるということでしょうけど、世の中は白黒はっきりしているでしょうか。
私が思うに、多くの事象は白黒つけられるものではなく、灰色であることの方が多いでしょう。もしかしたら、完全な白や完全な黒というのは存在せず、限りなく白に近い白と限りなく黒に近い黒がその頂点を成しているだけなのかも知れません。
ここのところ話題に上がることが多い戦争ですら、完全に相手が悪いといった理由が付くのはまず希で、複数の要素が絡み合って発生します。
苛めですら、感情論を抜きにすれば、相手に伝える手段が悪口や暴力になっただけであり、苛めの原因になった部分を洗い出すと一方的に相手が悪いといった事になるのはまず少ない事象でしょう。
このように、世の中は意外にも曖昧な部分が多いのですが、その曖昧な部分を曖昧にしたくない、白黒つけるまで争うといった姿勢が今日を代表する一つの言葉、「キレる」を作り上げているのかも知れません。
些細なことを笑って許せる。曖昧なところを曖昧なまま結論づけてしまう。平和の鍵の一つはここにあるのかも知れません。
一人称の小説を書いていると、視点が女性である場合と男性である場合で文章に差を付けなくてはいけません。文体だけをそれぞれの性別っぽくするだけでは、中々上手く行きません。
そう言ったときに役に立つのが、一般的な男性像と女性像です。二つほどネタとして例を挙げてみましょう。
【A】「…ということで、仕事が終わらないから飲み会には参加できないんだ。」
【B】「わかったよ。みんなにもそう伝えておくね。」
電話を受けるために席から外れていたB(男)が仲間の元に戻って。
【B】「Aは仕事で参加できないんだってー。」
【A】「…ということで、仕事が終わらないから飲み会には参加できないんだ。」
【B】「わかったよ。みんなにもそう伝えておくね。」
電話を受けるために席から外れていたB(女)が仲間の元に戻って、
【A】「Aも参加する予定だったんだけど、仕事が終わらないかも知れないから後で連絡するって言われてたのね。それで、今改めて連絡があったんだけど、『仕事が終わらないから飲み会には参加できないんだ』だってー。」
やり取りを完全に再現する女と、用件だけを抜き出す男。
【A(男)】「この間、○○に行ったんだけど、服がとっても安かったんだー。」
【B】「じゃあ、俺も行ってみようかな」
【A(女)】「この間、○○にCと一緒に行ったんだけど、服がとっても安かったんだー。」
【B】「じゃあ、私も行ってみようかな」
簡潔に物事を説明する男と、メンバーを紹介する女。でも場面としては、こっちの方があり得るかも。
【A(男)】「この間、○○に行ったんだけど、服がとっても安かったんだー。」
【B】「じゃあ、今度行ってみようかな。」
【A(女)】「この間、○○に友達と一緒に行ったんだけど、服がとっても安かったんだー。」
【B】「じゃあ、今度行ってみようかな。」
やっぱり簡潔に物事を説明する男と、名前までは出さないものの人と行ったことを説明する女。
事例が一つなので一般論とするのは危険ですけど、女性が「○○に買い物に行った」と、友達と行ったことを省いて言うと、女の人からは「一人で?」と確認されることがあるらしいです。
こういった思考回路の違いは、ウェブサイトの構成や(特に日記で)扱う話題そのものにも現れてきそうですね。興味がある人は、日参しているサイトを管理人の性別で別けてみると、面白い共通点が見つかるかも知れません。
3P-3Pの電源ケーブルを買おうと先日の日記で書きましたけど、只今捜索を継続中。しかし、何処の通販でも取り扱っているのは一般的な125V・7Aという代物。私が探しているのは最低でも12Aを取り扱えるケーブルですから、目的に見合ったケーブルではありません。(レーザープリンタが最大10A近くの電流を消費するのです。)
ここまでくるといっそのこと、秋葉原にあるケーブル専門店「九州電気」辺りに行って、直接買い付けてきた方が目的のケーブルも見つかりそうです。普通の店で買うより圧倒的に安いでしょうし。
数さえまとまればオーダーメイドも可能だそうですけど、125A・12Aに合致するケーブルぐらいだったら小ロットで販売しているでしょう。なんていったって、取り扱っているケーブルは4000種類だそうですから。
よーし。お姉ちゃん、パソコンの電源ケーブルから何から全部PC-OFCケーブルに差し替えちゃうぞ。
ケーブルネタでタイミングがいいので。
雪待終夜では長編と短編で書式を変えると宣言してからしばらくが立ちましたけど、書式設定が一段落したようです。早速決まった書式を一太郎に登録しておきました。
種類 | 文字の大きさ | 字数 | 行数 |
---|---|---|---|
短編・中編 | 9.5pt | 53 (2段組: 25) | 20 |
長編 | 8.8pt | 56 (2段組: 27) | 22 |
読者層や、ページ数を反映して、長編よりも短編の方が大分ゆったりした作りになっています。ただ、あまりにすかすかだと見栄えが良くないので、本文を収録する領域は長編より広めになっています。
短編における参考値としては、『光になりたい』の辺りと書式設定が似通っているはずですので、その組み版がそのままA5に反映されていると見れば、何となくイメージがつかめるかと思います。
後は本文用紙を検討するだけ、ですね。この部分については来年に回してしまいましょう。
三代目『みいな』は今のパソコンのことを指しますが、このパソコンを組み立ててからもうすぐ三年が経ちます。その三年の間、気になっていることが、高負荷時にパソコンが勝手にシャットダウンすること。
この条件でピンと来る方もいるかと思うのですが、当時の私にはそれに関する知識が無く、M/Bの不具合だとばかり思っていました。
最近、HDDを二台から三台に増設したのですが、そのシャットダウンの回数が著しく増加し、ここのところ安定した感がありますが、それでも希にシャットダウンしてしまいます。
どうしてだろうと思い、色々と調べてみると、電源の出力が不足するとそう言った現象が起こるようです。電源には一定量以上の電流や電圧が流れると自動的にパソコンをシャットダウンする機能が付いているらしく、それが働いているようなのです。
今日、部屋を掃除するついでに、一年間の疲れを癒して貰うため、数ヶ月ぶりにパソコンを分解清掃しました。そしてその時に見てしまったのです。
定格出力350Wという電源に貼られたラベルを………。
どう見ても力不足です。本当に有り難う御座いました。
グラフィックボードがハイエンドモデルじゃないのが幸いでしたね。どうやらパソコン改造作戦は、DVDマルチドライブの購入よりも先に、電源を買い換える必要があるようです。
最近の蛍光灯って、ちかちかする前に寿命が来るんだね。
部屋の電気を点けると、「やっぱりくらいなあ」と常々思っていたのですが、付けた直後よりもしばらく付けていたときの方が明るいことに気が付きました。本来の明るさになるまで30秒ほどかかるのは蛍光灯の仕様だとは思いますが、あまりにも明暗の差が広すぎました。目視で三倍ぐらい明るさが変わっているように思います。
そこで、これは蛍光灯の寿命だなと思い、カバーを取ってびっくり。寿命どころか、二本のうち一本が既に死んでいました。
どれだけあがいても、本来の明るさの半分です。本当にry
元々3200K相当の電球色に当たる蛍光灯を使っていて、一般家庭より暗いのに、片方が死んでいたとなると、更に暗いと言うことになります。人間の感覚器官が相対変化に強いと言うことがよく分かりますね。絶対変化に強かったとしたら、明るさが変わった時点で気が付いていたでしょうし。
せっかく寿命も来たことですし、前々から考えていた蛍光灯の色温度を変更する作戦に打って出ました。ナショナルのパルック蛍光灯でプレミアシリーズと呼ばれる蛍光灯は色温度がとてもありがたい仕様になっていて、色味のナチュラルを選ぶと、5000Kの蛍光灯を選んだことになります。
5000Kとは何度か日記で紹介したとおり、私のパソコンディスプレイの色温度であり、印刷に適した色温度です。試しに新しく付け替えた蛍光灯の下で、印刷物を見て見ると、パソコンのディスプレイに表示されている色味と全く同じになりました。これで、わざわざ快晴の日に外に印刷物を持ち込んで色を確認する必要もなくなりました。
ちなみに、付け替えたときの明るさには、本当にびっくりしました。この部屋はこんなに明るかったんだと妙に感心してしまったほどです。
これにて部屋の掃除や整理整頓も終わり、体を洗ってしまえば新年を迎える準備が整いました。今年の年越しは魔女の宅急便でも見ながら、新作短編小説の原稿を書き進めるとしましょう。
今年も残すばかりあと30分ほどとなりましたが、皆様良いお年を。