Top > 読み物 > 日記 > 2006年8月 -3冊目-
夏コミが終わって私生活に余力が生まれたので、以前から構想があったサイト大改訂を実行しました。今回の大改訂は目に見えて解るので、説明する必要もないかと思いますが…。
希望風ウェブサイトをリニューアルするときからの構想です。実に、構想から5ヶ月掛かって実行に移しました。以下、これに伴う変更点。
プロローグ小説は廃止。そのまま削除するのがもったいないので、コンテンツ『短編・超短編小説』の中にある『テーマ小説』のなかに、『空の彼方へ… ~Wing of Wind~』として公開しておきました。
フッターメニューの更新。
ご近所のサイトに、バトンのセルフサービスがあったので頂いてきました
色々な意味で中学校、と言いたいところなのですが、やはり高校時代。今の私の礎とも言える次期で、親にですら「子供の頃から変だった」と呼ばれる私の思考回路を、更に成長させてくれた素晴らしい時代。
あー…何時だろう………。やっぱり高校時代なのかなあ…。
新しい考え方を学んだ、というのと、学生時代に大学が含まれるのなら、大学の先生にもお世話になりました。
理科。断然理科! 中学生に至っては、評定「5」以外をとったことがありませんでした。ただし、高校生の物理や化学に対しては計算が絡んだためか、からっきし駄目でした。適当に興味をそそるぐらいが一番面白いのですよ。
特別科目では、もちろん「技術・家庭科」でしたね。
数学。算数じゃなくて、数学、というところがミソ。どちらかというと、高校時代の先生とそりが合わず、嫌いになった、というのが主なところでしょうか。
文化祭準備、卒業式準備、生徒会総選挙準備。
こうやってみると…設営関係全般かなあ…。結構長い間、児童会や生徒会にいたので、設営関係に携わってきた影響も会ってか、設営は大好きです。
学校行事という枠組みを少し拡張するのなら、高校総合文化祭の演劇に向けての半年間ですね。あれは凄くいい経験でした。
教室の真ん中でジュリアナ東京を踊るキャラなのに、成績優等生。目立ちたがり屋だったのかも。気が付くと自慢してしまうという性格は、この辺りから作られていたのかも。
二重人格生成期。クラスでは目立たず、部活で本領発揮。その影響もあって、1年生の時から某部活の部長を3年間歴任w 。生徒の作文をまとめる冊子の部活のページで、3年間作文を書き続ける快挙を達成しました。
能ある鷹は爪を隠す。能があるかは不明ですが………。比較的大人しい役回り。こちらも部活で本領発揮。部室に私を見に来たクラスメイトが唖然としてました。
そろそろ、正確な意味での「学生」とは、高校生・大学生のことで、小学生は児童、中学校は生徒なんだよと、突っ込みたくなってくるお年頃。
呼び名については…
比較的呼ばれ始めた年代で並んでいるはず。
「名前」では余り呼ばれませんでした。というか、凄い濃ゆい呼ばれ方ばかりです。ある意味お気に入りは「ぼったくりバーのママ」。略されずに一年近く呼ばれ続けました(笑)。
つ I I I I I
セルフサービスでどうぞー。
小ネタ。
Blogでは記事の分類が出来るとのことなので、このサイトでの分類方法を考えてみました。
どうみても記事の比率が998:2ぐらいになりそうです。本当に有り難う御座いました。
とある美容室のサイトを覗いていたのですが、そこに、ヘアカットの見本というページがありまして、ビフォーとアフターが掲載されていました。試しに読み込んでみたら………
どう見ても、ビフォーの方が全員可愛い件について。
殆どのパターンについて、セミロングからロングまでの髪型で、全員ストレートヘアーだったのですが、その美容院(というより美容師)の手によって、全員パーマを使わないと維持できない髪型になってしまいました。
最近の傾向としては、見た目が軽く見える髪型が流行っているそうで、シャギーやレイヤーを施したり、髪を外側にハネさせたりと、色々とやるようですが、流石に全部の人がそう言うパターンでカットされているのを見ると、
こいつ、髪型の語彙が少ないんじゃないか?
と、疑ってしまうわけで。そこまで皆ワンパターンな切られ方だったのですよ。
たぶん、殆どの人が、「この美容院はヤバイ」と思うようなサイトでした。
ということで、いつもならサイトのアドレスまで紹介するのですが、名誉毀損とか言われるのも嫌なので、非公開にしておきます。<!-- -->も無いですからね?
美容院は床屋と違ってカット代金にデザイン料が含まれていたり、特殊な薬剤を使えたりするわけですが、それだけの可能性があるのにもかかわらず、全員似たり寄ったりの髪型って…美容師のデザインに関する語彙が(以下略)。
こういうのを、デザインボキャブラリーの欠如、とか言ったりします。テストに出ますよー。
HDD容量の限界を痛感しているのですが、「次に買うのはDVD-Rだ」という目標の下、CD-Rを購入していないため、いい具合に動画が容量を圧迫しています。当初の予定通り、今のクールは乗り越えられそうですが、当初の予定通り、次のクールは確実に持ちません。
更にその次は、『銀河鉄道物語』、『京アニ版Kanon』など、動画作品が目白押しなので、意地でも容量を確保しなくてはならないのです。
そう言った現状もあり、DVD-Rに移すために残してあるアニメ作品をふるいにかけ、HDDを解放しようかと思って、その候補に『ストロベリーパニック』があったわけですが―――。
清水玉青の可愛さに免じて許す。ストパニは保存決定。
こうして、事実上の動画ファイル専用ドライブ、Eは、残り容量10GBを切るのでした。というより、3台搭載しているドライブ、全てが10GBを切ってます…。
DVD-Rのつぎは、Dドライブの交換ですね。300GBのHDDがついに1万円を切ってしまいましたし、これもいい機会でしょう。
6月12日に結束を思い立ち、6月25日より活動を開始した、個人サークル『雪待終夜』について。
立ち上げたときもあっさりと書いただけで、その意図を詳しく説明したことがないことに気が付いて、いまさらながらに雪待終夜について少し。
雪待終夜立ち上げについてはいろいろあるわけですが、まずは、素因について。
一つしかないのですが、これが結構大事だと思っています。
実際の活動状況動向はともかく、雪解け水は3人によって作られたサークルで、一時期メンバーだった方も含めれば、最大で四人の規模を誇っていました。そのため、自分の同人誌に雪解け水という発行名を付けると、色々なところで制限が付いてきました。
そういった制限を排除して、良い意味で自分自身の理想とする活動、別の意味では、どんな活動をしても他のメンバーに迷惑をかけない形を模索した結果、個人サークルを立ち上げようと思い始めていました。
その時期は定かではありませんが、たぶん一年ぐらい前からだと思います。
さて、それに対して実際に立ち上げるきっかけとなった誘因は、
この二つに尽きると思います。
「とにかく『夏コミ』を節目にしたい」という構想がこのときには既に出来上がっていましたから、時期としては申し分ない時期だったといえます。
また、同時に個人サークルをいち早く立ち上げた詩唄いさんの話を聞きながら、やっぱり個人サークルっていいな、と思いました。直接の誘因はこれですね。
早速詩唄いさんの話を聞いたその日から新しいサークル名を考え始めたのです。同時に、このとき既にサーバー移転を前倒しする構想もありましたから、それも含めて考察をした記憶があります。
サークル名を考え始めて数時間で『雪待終夜』という名前が出来上がり、次の詩唄いさんとの電話で、新しいサーバーアドレス(予想)と、新サークル名を報告するという、超スピード決定でした。
構想自体は一年前からあったものの、事実上、一週間程度の期間でそれを完成させたという形になると思います。
考えるのに時間を割いている分、動き始めたら早い、という私の行動をそのまま示しているかのような一連の流れでしょうか。
雪解け水との組み合わせを書いておけば、6月12日頃に二重影さんに、雪解け水を脱退したいというメールを送信し、その後のやりとりで、解散しようかという話になり、雪解け水は6月13日に解散。その後、何処のサークルにも属しない空白期間が続き、6月25日に雪待終夜の活動を開始・宣言した、という感じになるでしょう。
雪待終夜は個人サークルですから、メンバーをこれ以上増やすという構想は一切ありません。たぶん、サークルが崩壊するまで個人サークルとして存在し続けるのではないでしょうか。
そもそも、雪待終夜は個人サークルの利点を生かすために作ったサークルですから、複数人で構成するようになったら、その意義が無くなってしまいますし。
雪待終夜という名前が出てくるまで数時間しかないわけですが、結構沢山の候補が挙がりました。いか、思い浮かんだ順番に列挙。
最後の最後まで雪待終夜と候補を争ったのは、『長谷部小説店』だったりするわけですが、これはもちろん長谷部彩(;´Д`)ハァハァ………。
ただ、「小説店」だと小説しか取り扱えない(事実上小説サークルですけど、万が一を考えて)ので、汎用性を考え、『雪待終夜』に落ち着きました。一番重要なのは、私のハンドルネームは長谷部ではないですし。
サークル紹介のページにもありますが、雪待終夜の「雪待」は雪待月(11月の別名)から、終夜は、「一晩中」という意味の単語で、それを組み合わせて、雪待終夜となりました。
意味はそのままで、「一晩中雪を待ち続ける」ですね。日本語だって、英語に負けず劣らず格好いいもん!
『小説好房雪待終夜』となっていますが、小説好房は一種の前置詞で、英語で言うとThe(定冠詞)のような物です。もっとオタクっぽく説明すると、『東奔西走学園恋愛アドベンチャー
月は東に日は西に』の、「東奔西走学園恋愛アドベンチャー」の部分です(わかりやすいのか?)。
ですので、正式なサークル名はあくまで『雪待終夜』。気分に応じて「小説好房」が着いたり着かなかったりします。ちなみに、後書きでは付ける、ということで今のところ統一してあります。
ここだけの話、過去に考えた日本語の中でも『雪待終夜』という言葉は、私の中で最高峰に位置付けされています。
今後の展望も何も、今まで通りまったりと活動して、気が向いたらイベントに参加、という流れを繰り返すでしょう。
帰省の日程は私の一存で決められない節があるのですが、今のところ9月3日~17日を予定しています。「ReSin-ensを持ってきて」といった話は今のうちに通しておかないと、持って行けませんよ~ > 青森在住の身内
サイト移転に関する構想の一つ、音楽ファイルのリネームが完了しました。サイトの中でも一番古いコンテンツなので、ファイル名規則が新しい物から古い物まで入り乱れていたのですが、今日をもって全て新しいファイル名規則に変更しました。
ただし、アーカイブの中身まで変更する気合いはありませんでしたので、解凍したときに出来るファイルと圧縮ファイルの名前が違うというとんでもない展開が貴方を待っています。
ただ、MIDIを再生する人なんかはアーカイブファイルのままプレイヤーに突っ込んで再生してしまうでしょうから、余り影響はないと考えています。
原稿休養期間をいいことに、とにかく思い立ったことを実行中。ということで、バナーを更新しました。実は、サイト名が『音楽製作・小説創作
総合Webサイト 空の彼方へ… ~Wing of Wind~』という長ったらしいものから、『空の彼方へ…
~Wing of Wind~』に密かに変わっているのですが、それにあわせた更新のようなものです。
今回、更新の対象になったのは、空バナーと小説バナーの二つ。以後、新旧の順番で紹介。
目立つのはフォントの変更ですね。『空の彼方へ』の部分を、(たぶん)「DFれんれん体」から「DFPOP体」に変更して、見やすさを優先しました。
もう一つは、サイトの内容を紹介する小さな文字列の変更。この部分はバナーを更新する度にほぼ確実に変更しているので、お馴染みといえばお馴染みですね。
こちらは文字列の変更が殆どですね。英語だった部分を今の私の思考回路にあわせて日本語に変更。殺風景だった背景にも「恋、してますか?」という文章を加えてより恋愛小説サイトっぽく。
ただ、これでもなお、恋愛小説の方向性が解りづらいのが欠点。小さなサイズに情報を詰め込むって結構難しい物ですね。
ということで、バナーを使ってサイトへリンクしてくださっている管理人様、ご面倒でもバナー画像の差し替えをよろしくお願いいたします。
なんかロボットみたいなのが出てきたぞ。しかも、完全直立二足歩行。こういうのを、オーパーツなんて言ったりするんですよね、きっと。
………………………オーパーツ…かあ…。あやしいなあ…。
『うたわれるもの』というタイトルの話を引っ張ると、謡われる内容が重要なんですよね、この場合。神という概念が結構強いようですから、謡われる内容が神話だと考えることも容易ですね。
ここまでの話で解った神話関連のまとめ。
以後、名前のクエスチョンマークは発音が曖昧のため。
大いなる父(神)(オンビタイカヤン?)が世界を創造した。しかし、その神に造反・謀反をしたのが、ウィツァルネミテアである。そのため、ウィツァルネミテアを解放者と呼ぶ物もいるが、結果的に世界の均衡を乱し、憎しみや戦いを人(ホモサピエンスというわけではなさそう)にもたらしたため、忌むべき神と呼ぶ人もいる。
とりあえず、20話までの話で私が解析したのはここまで。
で、ウィツァルネミテアの使いがハクオロ側(国名:トゥスクル)にいて、オンビタイカヤンの加護を受けているという種族がシャクココロ族、という感じですね。
さて、ここでこの神話と『うたわれるもの』を包括して捉えると、『うたわれるもの』は創造主とも言えるオンビタイカヤンの事になるのでしょう。というか、今現在、謡われるべき者はそのぐらいしか登場していませんし。
ここで気になってくるのが、トゥスクル国が誕生したとき、ウィツァルネミテア側に足軽からの報告が飛び込んだのですが、国名を聞いた瞬間お偉いさん(ムント)が驚いた描写がある事。たしか、ハクオロが国を作ったときですから、第7話の話なのですが、あのシーンが異様に気になっていまでも忘れられません。
ウィツァルネミティア側が驚くということは、トゥスクル(人名)と交友関係があったか、一方的に知っていたという可能性が強く、トゥスクルの元で養われることになったハクオロと微妙に関係があるようにおもえて仕方がありません。
しかもその後、ハクオロ(トゥスクル国)の元へ使者を飛ばしているわけですから、何らかの形で警戒または気にしなくてはならない存在であるということでしょう。
同じ場面でもう一つ気になってくるのは、「王の名前は?」、「わかりません」というやり取り。国の名前がわかるのに王の名前がわからないというのは疑問。国名は国王が宣言するものであるから、国王→国名という順番が正しそうなのに、王の名前だけが解らないのは何とも怪しい…。わざと隠したのは何らかの伏線?
もう一つは、カミュウのこと。これも20話で明らかになったのですが、カミュウは教祖(これはきっとウィツァルネミテア)の血を強く継承しているため、羽が黒い、とのこと。ということは、ウィツァルネミテアのテーマカラーは白ではなく黒、ということになりそう。
白と黒が神を示す色ならば、オンビタイカヤンは白で、ウィツァルネミテアは黒、という考えで間違いなさそう。
さて、話を切り替えて、前回予告した歌から解釈するシナリオ。
アニメ版『うたわれるもの』のエンディングテーマは、『まどろみの輪廻』。輪廻は、9つの世界を繰り返し繰り返し回り続ける、という仏教の基本概念であることは一般常識ですね。で、人間の世界が9つの世界の中で最も苦行であるとされている…はずだったような………。
もし仏教の概念である輪廻と、『うたわれるもの』のエンディングテーマとしての輪廻の概念が一致するのなら、『うたわれるもの』の世界でも、ある一つの魂は人の世界や神の世界を行ったり来たりする、という考えも出てきます。前回の考察でも、仏教の概念に等しい地獄の存在があることに触れましたが、輪廻転生という概念は『うたわれるもの』の世界観に一致しそうですね。
話を戻して、『うたわれるもの』。
さて、第20話でロボットらしき物体(以後ロボット)が登場したことについては先ほど触れましたが、あれは明らかにオーパーツ。『うたわれるもの』で通常描写されている時代背景に全く一致していません。
ということは、未来からやってきた兵器か、前時代(今の世界が構築される前に存在していた文明)の遺産と捉えるのが普通でしょう。まさか同時代の能力であんなのを作ることが出来たのなら、それはそれでかなり卑怯ですし。
一応、今日の世界、ヨーロッパを文明の最先端と捉えて、それが後発国に浸透するまで100年程度の差があるといわれていますが、100年の差で完全直立歩行のロボットなんて作られたら、それはそれでいい迷惑ですし。
多少話が脱線しましたが、ロボットがオーパーツで、過去または未来の存在、ということでここは決着を付けましょう。
ここで問題になってくるのは、過去なのか、未来なのか、ということ。個人的には過去だと思っています。というのも、『うたわれるもの』で出てくるのは、基本的に過去の話ばかりで、未来に関しては一切触れていません。神話も過去の話ですし、ハクオロも過去の記憶を無くしています。ここまで話のベクトルが過去に…特に失われたハクオロの記憶に向かっているのにも拘わらず、いきなり未来なんて登場させたら、卑怯なのです。
この卑怯、物語の作り方としての卑怯なので、確信があるわけではありませんが。(ミステリー小説なんかでは一度も描写しなかったことを話の確信として登場させると、作家として卑怯者呼ばわりされるわけですが、まさか『うたわれるもの』のシナリオライターがそんなことをしていないであろう、という、文章書きにカテゴライズされる人としての直感)
時系列にまとめてみる。
まだはっきりとした確証や証拠は無いのですが、ここらへんで今後、世界観を紐解くための叩き台となる考察結果のまとめ。
前時代は直立二足歩行ロボットを作れるほど文明が発展していた。その世界をオンビタイカヤンが破壊し、新世界を創造した。その後、ウィツァルネミテアが造反し、新世界は不安定な世界になった。
または、
オンビタイカヤンが作った世界は直立二足歩行ロボットを作れるほど文明が発展した。しかし、ウィツァルネミテアが造反。オンビタイカヤンとウィツァルネミテアの全面戦争が勃発し、その戦争は人の世にも影響を与えた。結果、オンビタイカヤンは戦死、人の世は滅び(前時代の終焉・大規模な地震によるものとおもわれる)今日のような世界が形成された。
オンビタイカヤンは死後、ウィツァルネミテアによって力を封印され、ハクオロとして人の世に転生させられる。このとき、封印に使ったアイテムが外すことの出来ない仮面である。
とまあ、こんな感じになりましたとさ。ただ、これだけでは説明できない箇所も幾つかあるので、最終話までには完全に紐解いてみたいですね。
前半部分は後者の方が正しいかと思われます。ハクオロがオンビタイカヤンだとして、ハクオロが今の人の世についての知識がない(エルルゥのしっぽについて興味津々)のは、ハクオロが今の世を作ったにしてはおかしいですからね。
極端な解釈として。
トゥスクルは前時代でオンビタイカヤンの妻。戦に負けると同時にオンビタイカヤンと共に人間として転生させられ、人の世を生きる。その後、夫に身を寄せ、息子(ハクオロ)を出産。その子の妻が、エルルゥとアルルゥを産み落とす。
ということで、トゥスクルは神の血筋で………みたいな? (まるで三国志のような始まりだ(笑))
もっと極端に言って、
トゥスクルは前時代でオンビタイカヤンの母親で、ハクオロはその息子とかもあり。こうすれば、トゥスクルがハクオロにハクオロという名前を授けたのもうなずける。で、一家丸ごと人間に転生させられたのさ。
とか。
ただ、これらのパターンだと、ハクオロがエルルゥ・アルルゥの父親に何処か姿が似ている、という説明がきちんと出来るわけで………。しかも、作品全体で「家族」を強調していることにも伏線がぴったりマッチしてるし………。
まだまだ謎が多いぞ、うたわれるもの。
同人誌においてのページ数の数え方は、表紙1~4を含めたページ数が一般的である、というのは同人誌を楽しむ人の常識かと思います。たぶんこれは、印刷所に入稿するときのページ数…例えば24ページの時は、表紙1~4ページを含んで24ページと記述するからでしょう。
つまり、この場合、24ページのうち4ページは表紙で、本文は20ページとなります。こうしてみると、ちょっと損をした気分。(よだんですが、そんな感情もあって、つい最近までこのサイトで表記していたページ数は表紙4ページを除いたページ数でした。)
注意:以後の話で遊び紙はページ数に含まない。
で、一つ、面白いことに気が付きました。
私の基本ジャンルは創作文芸ですが、創作男性のメイドや巫女に関する本も幾つか持っています。そして、それらを見ているときに気が付いたのです。
漫画同人誌は、ページ数が3から始まることが多く、創作文芸の同人誌ではページ数が1から始まる場合と3から始まる場合が半々。
前者は明らかに同人誌を意識していることが分かります。同人誌を平らに置き、目に見えるのが表紙1、それを捲ったときに右側(右綴じの場合)に来るのが表紙2、そして、本文は3ページ目から始まります。
こうやって考えると、漫画同人誌が3ページ目から始まる理由も分かりますね。
対する小説は、大体半々で、なんとなく1ページ目から始まる同人誌の方が多いように見えます。これは市販されている小説の影響を受けているとだと思われます。市販されている小説は本扉を除いた目次ページからページ数のカウントが始まることが多いようです。このとき目次ページは本文用紙と同じ紙を使っていることが多いのですが、1ページ目のカウントを目次から始めるというのはこういう意味があるのでしょう。
こうやって考えたとき、漫画同人誌が同人誌らしく、小説同人誌が文芸誌らしく、という帰着点に違和感があるので、市販の漫画も調べてみました。
結果、殆どが、3ページ目から始まっているようです。ただこれは、1・2ページ目のカラーページ(口絵や本扉)のページ数をカウントした上での3ページなのか、それらを除いて、表紙1・2ページをカウントした上での3ページ目なのかは定かではありません。
ただ、どちらにせよ、小説系同人誌は1ページ目から始まることが多く、漫画系同人誌は3ページ目から始まることが多い、という傾向(風習?)は面白いものがありますね。
極端な見方をすれば、漫画同人誌は表紙を含めてページ数を数え始め、小説系同人誌は本文用紙と同じ紙画を使い始めたところからページ数を数え始める、という流れがあるのかも知れません。
ちなみに、雪待終夜(含む雪解け水)の同人誌は、よほど古い同人誌を除いて、ページ数に表紙や本扉を含んでいません。
また、ReSin-ensでは、表紙1、表紙2、遊び紙、効き紙、本扉A、本扉A裏、本扉B、本扉B裏、目次、目次裏、中扉A、中扉A裏、中扉B………、と、一般的な小説を模したページ構成(ただし一般的な物に比べ本扉が一組多い)になっていますが、本文用紙は目次ページから始まり、ページ数も目次ページから数え始めます。
ですので、目次の裏(挿絵や写真の提供者が書かれたページ)は2ページ目、中扉A(『ReSin-ens
遼なる風、彩りの音、降りしきる雪』と書かれたページ)は3ページ目、中扉A裏(音瀬と居元の独白が書かれたページ)は4ページ目となり、第一章のタイトルが書かれた中扉Bは5ページ目になります。そして、本文は6ページ目から始まります。
出版社によっては中扉の裏をまるまる空け、本文も奇数ページから始める所があるようですし、それが主流のようですが、同人誌でそんなことをやったらページ稼ぎといわれて怒られてしまうので、本文は中扉の裏である偶数ページから始めるようにしています。
まあ…縦書き同人誌で一番目立つのはページを見開いて右上ですから、そこに見出しがある構成は間違いではないでしょう。
そのような感じなので、ReSin-ensを同人誌的なページ数の数え方に当てはめると、サイトで紹介している202ページではなく、本扉なども含めた206ページになるのです。(表紙については同人誌的に数えるのが当たり前のようなので、あらかじめ加えてある。)
とまあ、サイト上では明らかにしてない新しい装幀について少しばかり露呈してみました。遊び紙ではなく、見返しと効き紙にわけているところが重要ですよ。
NWAは非可逆圧縮です(オリジナルに対する忠実度はよくわかりませんが)。DPCM(波を差分で表す形式)を採用していて、その差分を数ビットの浮動小数形式で表現しているようです(割り当てビット数は圧縮率に依存)。
(;・`д・´)な、なんだってー!!(`・д´・(`・д´・;)
あのクォリティーで非可逆圧縮…というのも凄い話ですね。同メールによると、差分PCM系の圧縮方法はDSでも使われているとか。間違っているかも知れません、とのことなので、詳細は各自調べるのだ(ぉ 。と書きつつ、MP3の320kbps程度の容量っぽいので、高音質であたりまえといえばそうかも知れませんが、帯域が損なわれないのは魅力的ですね。(代表的なMP3エンコーダーではデフォルトでローパスフィルターが使われる設定になっていることが多い。)
それにしても…差分を記録して…という方法が既にあるのなら、数年前から思い描いている「音楽波形をベジェ曲線(といった曲線)や波形を示す数学的関数で記録して圧縮する」という圧縮フォーマットが登場してもおかしくないのかも知れません…。
考えてみれば、差分を保存、なんて言うのは映像のMPEG辺りでも使われていたような気がしますし、昔からある存在なんですよね。
> > ただ、MIDIを再生する人なんかはアーカイブファイルのままプレイヤーに突っ込んで再生してしまうでしょうから、余り影響はないと考えています。
サイト内で方法を説明しているわけでもプレイヤーを指定しているわけでもないのに「それが常識」みたいな言い方が出来る貴方を尊敬してしまいそうです。
それはそれとして、私は「ReadMe.txt」を毛嫌いする性質(※1つのフォルダにまとめて解凍する時に弊害が出るので.txtは.midと同じファイル名にすべきと考えている)なのですが、考えて見ればアーカイブファイルのまま再生させれば問題無いんですね。
単にサイズだけかと思っていましたが、こんな利点もあったんですね。ところで、試しに1曲DLして見ましたが、Read-me.txt内のサイトのURLが古いままなので、どの道全部修正する必要があるのでは?
まだまだ移転作業が残っていましたね。
常識というのもあれですけど、対象者は日記の読者ですし…。確率的にアーカイブファイルのまま再生できる環境を持っている可能性が高いと判断しての文章だと思っていただけると幸いです。
というのも、
ということで、アーカイブファイルのままプレイヤーに突っ込む、というのが普通ではないのか、という妄想で本日の日記はお送りいたしております。
ちなみに、私も今現在ではRead-me.txtは否定派でして、MIDIファイルと同じファイル名にするべきであるという考えです。(この考えになってから公開した新曲がないので、サイトで公開しているのは全部Read-me.txtですが。)
T-midiプレイヤーも、テキストファイルを読み込む優先順位は、MIDIファイルと同じファイル名のテキストファイル→アーカイブ内にあるテキストファイル→同一フォルダにあるテキストファイルという順番だったはずですし。
あと、「テキスト内のサイトURLが古い問題」、ですが…一種の放置プレイです。whitesnow.parfe.jpどころか、過去の産物であるh3.dion.ne.jp/~sky-wing/時代のファイルもあったりしますし、ハンドルネームも旧ハンドルネームのまま(ry 。
気が向いたときに修正しようと思っているのですが、その志を持ったまま二度も移転してしまった、という話だったのさ。本当は修正しないといけないんですけどね…。
お手紙送信後に「目次ページへ移動する」をクリックすると「エラー410」が発生しました。
まだまだ移転作業が(ry
置換ソフトへの設定ミスのようです。早速修正しておきました。ご報告どうも有り難う御座いました。
一箇所だけ著しく突っ込みたいところがあったので、そこに対して。
オフセット印刷における小説の取り扱いはデータ入稿が殆ど…というのはあまり納得の出来る話ではないかな、と。
私が記憶している限り、印刷業界は意外にもアナログの部分が多く、むしろ同人誌が率先してデジタルデータを扱っているという雰囲気。商業の漫画は殆どアナログで入稿されますからね。
同人印刷所だって、アナログがメインのところが多く、データの場合は手数料を取られる場合が多いはずです(最近は数も減りましたが)。印刷所を紹介するページでも、デジタル入稿の可否がオプションとして表示されるぐらいですから、デジタルに対する印刷所の親和性は比較的悪いと言えます。
デジタルが敬遠されるのは環境が完全に再現できないため。
漫画を書く人なら環境も整っているでしょうから、印刷所が要求するEPSファイルでも簡単に出力が可能(アプリケーションがポストスクリプト出力に対応している)でしょうけど、小説書きはそうもいきません。多くの人が一太郎やWordを使っている現状、それらのファイルによる入稿を許可するのには相当勇気がいります。
漫画描きが使うソフトは画像出力を前提として作られていますから、ラスターデータ(ビットマップデータ)を出力でき、そのファイルがあれば殆どの環境で完全に原稿を再現できますが、小説書きが使うソフトは画像出力を前提とされていない場合が殆どです(クォークやインデザを使うならともかく)。
それに対して印刷所はデジタル入校時、基本的に画像データを要求します。ということは、画像出力が当たり前の漫画ならともかく、小説書きが画像を用意するのは難易度が高くなります。
最近では一太郎やWordでの入稿を認める印刷所も若干の増加傾向ですが、まだまだEPSが主力といった雰囲気。PDFも増加傾向ですけど、PDFは埋め込めるフォントの都合などもあり、敬遠されている様子。
また、小説の場合は、印刷所が対応できないフォントを使う可能性もあり、印刷所側としてもデータ入稿は基本的に断りたいのではないでしょうか。ヒラギノや小塚といった有名どころはともかく…。
もっと根本的なところで言うと、アプリケーション環境が印刷所での印刷向きではない小説書きに対して、EPSデータやPDFを望むことは酷なことであり、かといって、一太郎やWprdでの入稿を認めると、バージョンが変わる毎にデータの再現度が変わるといった欠点(特にWordは酷い)もありますし、小説の大半がデータ入稿、というのは両手を挙げて正解だとは言えないように思われます。(もちろん、クォークやインデザもバージョンアップに伴う再現性には何時も混乱がつきまとっているようですが。)
ということで、個人的には、漫画描きは市販の漫画を、小説書きは市販の小説を参照にしているからこそ、それぞれ市販の本と似たようなページ数の付け方になるのではないかという説に一票。
もっとも、小説の場合は、本文を作るソフトと表紙を作るソフトが別々ということもあり、本文を一太郎やWordの標準設定のまま作ると、目次ページ(本文1ページ目)が自動的に1ページ目になるから、1ページ目から始まる本が多い、という説明でも、同人関係だけには十分通じそうですが。
とりあえず、この話の最終的到達点は、「明らかにページ稼ぎが見られる同人誌はげんなりする」というところに帰着しそうですね(w 。
もう、ノンブルとかどうでもいいよ(コラ)。
SMAPの中で一番好きなのは稲垣吾郎氏で、キムタクも中井も普通、という感じの鈴響です。この瞬間に100万人以上を敵に回した気分です。
さて、そんな稲垣吾郎氏が主演を務める映画、『笑の大学』が結構面白いことに気が付きました。喜劇作家と検閲官のお話なのですが、二人だけで物語が最初から最後まで進んでいくのです。
二人のやり取りだけが映画の主軸に捉えられ、他の要素は殆ど排除されたという、面白い作りも楽しめるかと思います。
とりあえず、イイ台詞が沢山出てくるので、小説書きは絶対見ておくことをお勧めします。
毎年恒例の………ですね。
今年は追いかけていないのですけど、毎年恒例の24時間で吉野家全件を制覇する系のネタは今年は何の店を対象にしているのでしょうか。
24時間テレビに対抗して、というイベントはこのサイトでは今のところやっていませんが、今後ともやるつもりはありません。24時間テレビに対抗したところで、相手にならな(以下自主規制)。
いっそのこと、1000日耐久日記書きレース、とかだったらふるって参加しますが。
予定では9月に入ったら『ReSin-ens 遼なる風、彩りの音』の第二巻の執筆を始める予定なのですが、それに向けての資料整理もそろそろいいところまで来ています。
メモ帳にメモしただけのネタをパソコン上の情報を整理するソフトに入力して、分類しながら保存という形の作業をここ最近は続けています。
ReSin-ensは原作があるような形なので、基本作業をパソコン上で行うことが多く、パソコン上にデータを移しておかないと使おうと思っていたネタを使い忘れてしまうことが多々あるのです。
作成期間が長いだけあって一年以上前にメモしたネタもあり、それらは完全に存在を忘れてしまっているので、すぐに閲覧できるような形にしておくことは結構大切なことだと自己認識しています。
新作の情報が流れる中、ようやく『雲の向こう、約束の場所』を試聴。難しくて一回では理解できませんでした………。とりあえず、あと5回は見る。そして把握する。
映像面ではとにかく秀逸。新海さん自身が色彩監督も務めると言うこともあり、背景とキャラの色の調和は目を見張る物があります。映像も最後まであの品質を保っている辺り…凄いとしか言いようがありません。
NHK教育テレビで面白いことをやっていたので、ここで紹介。
リボンを付けている
犬をつれた
女の子に
会いました。
この文章では、リボンを付けているのが、「犬」なのか、「女の子」なのか、「両方」なのか分かりません。そこで、文章に少し手を加えてリボンが着いているのはどちらなのかをわかりやすくする、という国語の問題をやっていました。
テレビに出演していたのは小学生で、その殆どは、大体このような感じで文章を仕上げました。(テレビでは、犬の方にリボンが付いているという想定)
犬にリボンが付けられていました。
その犬を連れた女の子に会いました。
とまあ、文章を二つに分けて、分かりづらさを解決するという手法をとった小学生が大多数でした。
さて、私の文章は基本的に一文を長くする傾向があるので、この問題を見たときも、次のように一文にまとめて答えました。
出会った女の子が連れている犬にはリボンが付けられていました。
文体は、使う言葉や漢字変換の仕方が主になると思われがちですけど、説明したい事柄をどういった語順で説明するか、ということも一つの要素になりそうですね。
先ほど書いたとおり、私は文章を長くする傾向があるので、こういった長い文章を平気で作り出します。ただし、あまりにも長く分かりづらい文章を作るときもあるので、そう言った文章は読み返したときに撲殺しています。
最近は文章のリズム感を重視しながら文章を書いているのですが、私のリズムの刻み方は、短く文章を句切って並べていくのではなく、比較的長い文章を作り、その文章を同じような語順で文章をもう一度作り、似たような文章を並べることによってリズム感を生み出す、という形を取っています。
一種の強調とも言えるでしょう。
普段からそう言った書き方をしているので、純粋にリズム感のある文章を使ったとき、それが異様に目立つという効果もあったり…なかったり…。
作品(全て冊子版)毎の一文の文字数平均値。
発行順に並べてみましたが、ここ最近で一行あたりの文字数が長くなっていることが分かりますね。このあたりが、文体の変化ともいえるのではないでしょうか。
ジャンルに注目するのです、皆様。
ここ数日で映画を9本も見たわけですが、それによって創作意欲が刺激されています(ぉ 。
あと、近所の酒屋を始めて利用したのですが、日本酒の種類が多く、どれもがパッケージに収められているため、紙とフォントの組み合わせを勉強するのに最t(以下略)。
こういった行動をする辺り、職業柄、という言葉で片づけておきましょう。
化粧品の箱とか、いい紙を使ってますよね…。
私の同人誌は、基本的にインクジェット印刷を前提に作っていたので、表紙に特殊紙を使うという概念においては欠如している感が否めません。最近になってようやく勉強を始めたところなのです。
私のブラウザのブックマークにはおよそ150以上のサイトが登録してあります。もちろん、そのブックマーク先の中で毎日閲覧するのは十数サイトで、残りの殆どは一ヶ月や一週間に一回と、サイトの更新頻度に合わせて巡回しています。
そう言った中、久しぶりに訪れたサイトが無くなっているということもちょくちょく目にします。こういった記憶が無い、という方は多くはないはずです。
日記を含めた各種コンテンツの更新速度が遅くなったとしても、さほど寂しさは感じられませんが、サイトが突然無くなっていると、胸にぽっかりと穴が開いてしまうものです。確かにこのサイトを含めた弱小サイトの一つや二つが無くなったとしてもその影響力は皆無ですが、記憶に新しい大手ニュースサイトの閉鎖などは多くの人に影響を与えたでしょう。
閉鎖したと分かっていても、何時か復活するのではないかと心の何処かで望み、ブックマークを残し続けている人が沢山居ることからも分かるとおり、サイトの閉鎖とはその閲覧者に大きな余韻を与えるのです。
もうすぐこのサイトもまるまる5年を迎えるわけですが、2度の移転を経ても直健在。このサイトには、『何時もそこにある安心感』を読者に与えることが出来ているのでしょうか。
―――とまあ、変な文章を書いたところで、オチ。
まあ…今日辺りから日記の量が元に戻るかもよ。
反義語という言葉がありますが、いちいち説明する必要もなく、ある単語に対する反対の言葉のことを指します。例えば、男の反対は女、上の反対は下、といった具合ですね。
こういった反義語は、意味の本質を捉えれ、示す事柄の反対を示す単語を提示すれば簡単に見つかります。
例えば、マーガリン。マーガリンは固形の油のような物ですけど、これは植物性の油を使用して作ります。ですから、反義語は、動物性の油を利用して作るバター。
お疲れ様ですの反義語は、「お疲れ様」という単語は仕事を終わるときに使う言葉ですから、反義語は「お早う御座います」といったところ。
さて、こういった反義語を上手く使えば、紛らわしい言葉の使い方が理解しやすくなります。
「暖かい」と「温かい」を例に取ってみましょう。「寒い」の反対は「暖かい」、「冷たい」の反対は「温かい」となります。ですから「暖かい」は、寒くないときに、「温かい」は冷たくないときに使えばいいのです。
飲み物があたたかい場合、飲み物が冷えたときは寒いではなく冷たいを使うので、冷たいの反義語、温かいを使えばいいのです。
このように、言葉にはそれに対応する反義語が存在するわけですが、ここ最近私が疑問を抱いているのが、JRの表記方法。
上野駅を出発駅とする電車には、「上野始発」などのように、「始発」という単語が使われます。この単語の反義語は、それぞれの言葉を分解して考えることですぐに分かります。
「始まる」の反義語は「終わる」、「発」の反義語は「着」ですから、「始発」の反義語は「終着」になるはずです。ですが、JRでは、終着ではなく「終点」という言葉を使っています。終点の反義語は「起点」ですから、始発駅での表記が「起点」なら終点を使うのも納得が出来るのですが、実際は始発という表記。
対になるように使うのが反義語ですから、始発という単語を使うのなら、終着という単語を使うべきなのでしょうけど、何故かJRでは終点という言葉を用いているのです。
この辺り、非常に謎です。
ちなみに、一番始めに出発する電車のことも、始発と言うわけですが、この場合の反義語は「終発」ですので、終わりの電車のことだけ終電という単語を使っているのも非常に疑問。
始発電車の略として、始発を使い、終発電車の略として、終電を使っているのだとしても、略仕方に統一感がないところに疑問が出てきてしまいますね。
辞書によると、「終電」は「終電車」の略らしいです。ますます分からなくなってきましたよ、JR。
複数の階で構成される建物という物は、内部で複数層に別れていて、それぞれに、一階、二階、三階…などと番号が振られています。多くの建物の入り口は一階にあり、その上は二階、その下は地下一階などと表記されています。
さて、最近の建物はとても親切で、階段の踊り場付近に、3/2などと、表記され、上に向かえば三階、下に向かえば二階だよ、と教えてくれます。これは素晴らしい。これなら迷わず目的のフロアに行けるわけです。
さて、3階、2階、1階ときて、次は地下1階になるわけですが、その間に0階が存在しません。インドで生まれた0という概念が日本に登場してから何年が経つかに興味はないのですが、0階がないのは頂けない。そう思っている人もいるはずです。
3階、2階、1階ときたら、やはり次は0階、そして地下1階。これが正しいのだ! と信じて止まない人もきっと沢山いると思うのです。
と、ここで私達数学が出来る人間は気が付いてしまうのです。
3階と2階の間は、3/2、2階と1階の間は、2/1。もし、0階があったら1/0になって、コンパイルエラーが発生してしまいます。これは大問題。0階なんて作ったら大変です。バグだらけです。
ということは、フランスのように1階を0階と表記する国は、0による割り算を生み出した数学史に残る国と言うことに!