2005年10月の日記 -3冊目-

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2005年10月17日 (月曜日)

デビューシングル (鈴響涼子)

マジで締め切り5秒前

 さて、AtoZ、D~Fも全員締め切りに間に合ったようです。今回の公開順位は、詩唄い、私、幻霧、と言う感じで、前回の順位である、私、詩唄い、幻霧と言う形が微妙に変化するという程度でした。

 とりあえず全員分目を通しているのですが、今回もまたそれぞれ個性のある作品ができあがっていますね。
 アクションを取り入れる幻霧、前回の続きを書き連ねる詩唄い、そして、2ターン目に突入した私。
 それぞれが、おのおのの書き方を取っているので、好き嫌いがはっきり出そうですけど、皆さんはどうでしょうか?

 ところで、疑問なのですが、なぜ私は締めきり前日になって書き始めるのでしょうか。

ゲネプロ

 “アクロス・ザ・タイム”のネタバレ有り

 もし人生にゲネプロという概念が存在したら、それはそれで面白いのかも知れない。つまり、今自分がやっている生活は実は通しリハーサルで、己が死んだ後、それと全く同じ生活を行う、と言う考えだ。
 私の考え方がひねくれているのはいつものことで、数年前まではこんな事をずっと考えていた。

 私、と言う自我を持っている人が、私以外に本当に存在するのだろうか。

 これは後になって分かったことだが、哲学の命題である。いわゆる、映画版マトリックスの世界である。自分は実は仮想現実の世界を生きているのであって、現実世界は脳味噌だけの存在という考えでもある。
 皆さんは“私”と言う自我を持っているはずだが、自分以外に“私”と言う自我を持った人間が存在すると証明できるだろうか。つまり、身の回りの人全てが“私”と言う自我を持っていると信じるべき根拠は何処にあるのだろうか。
 こうして考えてみると、マトリックスの世界はきっと面白くなるだろう。

 また、私はこんな事を考えたことがあった。

 もし“私”と言う自我が寿命によって崩壊したのなら、次の“私”と言う自我は存在するのだろうか。

 今皆さんは“私”と言う自我を持っているが、その自我が寿命によって滅びたとしよう。そして、また“私”と言う自我を手に入れて現世を生きていくことになる。考えてみると、実に不思議なことのように思えてくる。それに、面白いのは、新たな“私”と言う自我は、人間なのだろうか。もしかしたら別の動物かも知れないし、物質かも知れない。現世から見て未来かも知れないし過去かも知れない。果たしてそこは地球なのか、と言う疑問すら出てくる。
 結局、私達が死んだ後、きっと得られるであろう新たなる自我は誰にも予想できないのである。

 こうして物事を考えると、時間軸というのは同時多発的に複数存在していると言う考えだって容易になる。時間軸に存在することを電車に乗っていることだと置き換えて欲しい。今五両目に私達が乗車しているとして、その前後には別の車両が繋がっている。それが過去と未来であると言う考え方だって簡単にできてしまう。
 結局、私達は自分の見ているモノしか把握できない。

 実はアクロス・ザ・タイムはこの時間軸の同時多発性を物語の概念として取り入れている。主人公が住む世界がA列車の5両目にあるとして、主人公が辿り着く世界がB世界の5両目だとしよう。二つの列車は並行して走っているが、重なり合うことは無い。こういう考え方を知った上でアクロス・ザ・タイムを読んでみると、ありとあらゆる謎を解き明かすヒントになる。
 冊子版ではこの時間軸の同時多発性に言及している場面がある。

「電車を想像してくれ。そのうちの一つがいきなり止まったら他の車両はどうなる?」
「えっと…連結部分が破損したり…脱線をしたり…」
「つまり、その状態だ。私達の通説では、同一の時間世界にも複数の時間が同時に存在している。今の時間の一秒前の時間のもあれば一秒後の時間も同時に存在する…。つまり、電車だ。我々の乗っている車両とその前後には無限大の車両が繋がっている。そして、その電車は時間軸と時間ベクトルによって一定の速度で進んでいる。止まることなくな。しかし、我々の乗っている車両が突然止まったら、後ろの車両は追突するし、前の車両は引き千切られる。その結果、時間系列軸…時間と時間ベクトルに寄り添うように進行する、四つの軸X,Y,Z,Qがその関係を失い、バラバラになる。それすなわち………一つの時間世界の破滅………」

冊子版“アクロス・ザ・タイム”

 少しばかり説明の手法は違うが、言っていることは全く同じである。

 ちなみに、冊子版のアクロス・ザ・タイムは解釈が難しいようなので、簡単に解説してみようと思う。自分で謎を解き明かしたい人は以下の文章を読み飛ばしてくれると幸いである。

 先ほど、時間軸の同時多発性については説明したが、A列車とB列車について詳しく説明したいと思う。
 主人公、すなわち、前橋遼一がAと言う電車の5両目に乗っているとしよう。そして、時ノ沢達が住む世界はB列車の5両目だとしよう。そして、この二つの電車は隣同士を走っているとしよう。
 主人公が何らかの原因(この理由も冊子版を読めば推測できる)によって、隣を走るB列車に飛び乗ったとする。ただし、前橋の体はA列車とロープで結ばれている。
 ロープが切れてしまうと前橋の存在を定義することが出来なくなるため、A列車の速度に合わせてB列車も速度を変化させなければならない。ここで、前の車がブレーキを1秒踏んだとき、その後ろの車がどのように反応するかを思い出して欲しい。反射速度には限界があるから、結果的に1秒以上後ろの車両はブレーキを踏むことになる。そして、それがどんどん伝播していって、一番後ろを走る車はいったん止まらなければならない。これは、よくある渋滞の理由の一つであるが、これはこの電車にも言える。
 B列車の5両目がA列車の5両目に合わせてブレーキをかけたのなら、B列車の6両目は5両目と全く同時にブレーキを掛けることができないわけだから、一瞬、5両目と6両目の隙間が縮まり、やがて、元の位置に戻る。このような小さなずれは徐々に大きくなっていくというのは容易に想像できるだろう。
 物語の後半に行けば行くほど時ノ沢の住む世界の時間軸が崩れていったことを覚えている読者は多いと思うが、その理由は此処にあったのである。

 更に言えば、前橋はA列車の乗客なのだから、A列車に戻らなければならない。B列車に乗車していることは無賃乗車だからである。つまり、そこにいてはいけない存在なのである。これが、前橋が元の時代に戻る大きな根拠だ。もし、B列車に乗ったままだったのなら、A列車とB列車の走る線路の間隔が変化したとしても、AとBはロープで繋がっているのだから、どちらか、または両方が脱線してしまう。これが時ノ沢静が言う世界の崩壊である。

 エピローグの種明かしは何処まで言えばいいか分からないが、単純な物の見方をすれば、時ノ沢達がA列車に飛び乗ってきたことになる。もちろんこの方法では世界は崩壊してしまうから、別の考え方が必要ではある。
 しかし、前橋が時ノ沢の存在する電車に飛び乗ってしまった理由、それ以前に、A列車の隣を平行して走るB列車が存在する理由まで謎を解き明かした瞬間、エピローグで時ノ沢達が前橋の存在する世界に移動できたかが解けるであろう。そもそも、移動という概念もちょっとばかり間違っているのだが………。

 全てのヒントは、時の管理者だ。我々が今生きる一瞬は、それまでの時間があるからこそ存在している。言い換えれば、世界そのものが時間であるといえる。そして、その時間を管理しているのは一体誰であろうか。この謎を解き明かし、主人公のある行動を探し出せた瞬間、全ての謎は解けるであろう。

 アクロス・ザ・タイムは簡単に見てしまえば、主人公が別世界を旅行したと言う話になってしまう。しかし、その別世界がなぜ存在するか、なぜ別世界に移動したのか、と言う理由がきちんと隠れている。はたして、この事について明確な理由を持って説明できる自信がある人はどれだけいるだろうか。
 一目見ただけではご都合主義の小説に見えてしまう。なぜなら、前橋は結果的に生き残ったわけだし、時ノ沢と結ばれるからである。しかしそれは“小説”を読んだから得られる感想に過ぎない。もし仮に“物語”を読むことに成功したのなら、別の結果に辿り着くはずだ。アクロス・ザ・タイムの物語進行は全く持って作者のご都合主義ではないし、エピローグのような結果になったのにもきちんとした理由が存在するからである。

 ある意味、これは、私から読者への挑戦状なのである。

脱オタクファッションガイド、書籍版

 どうやら“脱オタクファッションガイド”が書籍になるようで、もうすぐ発売のようです。
 これを聞いて一部の人は『またオタクを食い物にした商売か』なんて言いそうですけど、案外とそうでもないです。脱オタクファッションガイドは比較的まじめに作られたウェブサイトの一つで、そこに載っている情報は確かに古くなりつつありますけど、いわゆる定番を扱っていますから、今でも十分に通用します。でも、情報には鮮度が存在するわけですから、それを補った形での冊子版、と言うことでしょう。
 如何せん、著者本人が元(今も?)オタクですから、見た目だけの萌えを追求した物が売れないと言うことを知らないはずがありませんし、そう言う点では、他の萌えを売り物にした雑誌より、数百倍、増しでしょうね。(最近はマスコミの影響で多いですけどね、見た目だけを追求して失敗した例が。熱海のメイドホテルとかメイドホテルとかメイドホテルとか…。メイド(カフェ)ブームなんて、数年前から存在しますから、今更新規事業を興そうとしたって失敗する可能性が高いんですよね。見た目だけで最近はやり出したんだと誤った判断して、見た目を追求した当然の結果です。)

 実はこの“脱オタクファッションガイド”は、書いてあることが服飾初心者向けですので、オタクではなくても結構参考になり、小説とかで登場人物が着る服のコーディネートを考えるときに使ったり、簡易的なファッション用語辞典になったりするので、結構便利なサイトだったりします。(実はこの簡易的、と言うことが意外と重要で、簡易的すなわち一般人なら知っている、と言う方程式が完成し、小説に用語を出しても全く問題がない、と言う便利な用語辞典です。)

 ファッションと言えば先日、何時も使っているシャンプーが切れたので買いに行ったら、なぜかいつもの店で取り扱っていませんでした。仕方が無く駅前もマツモトキヨシまで行ったのですが、そこにも置いていませんでした。結局、三軒目にしていつものシャンプーを発見することが出来たのですが、こういう行動特性は日本人らしいですよね。ブランド、商品名志向。
 でもまぁ、今使っているシャンプーはようやく見つけた肌に合うシャンプーなので意地でも探し出さないといけないのです。以前は違うのを使っていたのですが、フケとかかゆみが凄かったんですよね。それでも数年使い続けた自分には脱帽ですが(馬鹿)。
 結局、引っ越しをする前か後ぐらいに今のシャンプーを使い始めたのですが、これが快適快適。フケもかゆみも出ない上に、髪はさらさらになるわ、で、シャンプー様々という感じです。

 会社勤めの方なら強く意識するでしょうけど、仕事をしている身で堂々と身につけられる装飾品は時計とメガネぐらいでしょう。と言うことで、男性を中心に工業関係以外で働いている人は、結構時計にこだわっている傾向があります。時計はやはり重要なアイテムですからね。
 そんな私も去年新しい時計を買いまして、今まで持っている時計と交互に使っています。新しい時計はアナログ時計ですが、やはりシンプルな物は落ち着きますね。

 あー、そろそろ新しいジーンズ買わないとなぁ…。

 と、偶には、ファッション関係の話題を扱った“日記”をお送りしました。
 最後に一言。原宿だけは絶対行きたくない。

重い or 重い

 私のサイトの日記は重い。だが、ブログも重い。問題は、ダウンロードする時間による重さか、混沌としたソースによる重さの違いだ。
 シンプルって、素晴らしい。上下白の下着って(以下自主規制)。

 ちなみに、動作の軽量化と長文対応を謳っているこのサイトの掲示板ですが、テーブルを使わないから軽い、と言う理由の他にも、ソースが単純だから軽い、と言う理由もあったりします。ソースの量が少ないので、帯域を浪費しなくてもいいですし、結果的に、長い文章があったとしてもストレス無く表示される訳ですね。
 一応、もう一つだけ改造の目標があって、改行を二回入力した場合は、 <br><br> とするのではなく、 </p><p> を挿入し、段落として扱うと言う目標です。現在のバージョンでは技術的には既に可能になっているので、後は実行に移すだけなのですが、まとまった時間が欲しいというのが現実ですね。

2005年10月18日 (火曜日)

タイトル未決定

マジで修羅場る0秒前 (03:44)

 さて、今日の昼に早速設計四の第一回目のプレゼンテーションが行われます。課題開始二週間で、平面図、断面図、ボリューム模型、コンセプト、といった基本的骨組みを問うプレゼンテーションが行われるというのは初めての流れですので、ちょっとばかり驚いています。
 一番驚くべき所は、プレゼンまで半日を切った今現在、まだ平面図を考えているという自分の大胆さなのですが…。どうやら、久しぶりに徹夜になりそうです。来月の頭はもっと凄いことになっているでしょうけど。

 何時も思うのですが、毎回毎回設計の課題の時、無茶をするのかな、と。
 今回の課題は集合住宅(長屋型)なのですが、こういうときに一般的に用いられる構造は、鉄筋コンクリート壁式構造と呼ばれる構造です。この構造、柱や梁を必要としない分、全ての力に対して壁と床だけで耐えるという構造です。壁と床で力に耐える必要があるので、開口部を大きく取れないのが欠点なのですが、集合住宅で開口部ってそんなに必要ないですよね? 如何せん、隣室との境目は全て壁になるわけですから、これで平面で言えば、2方向壁になります。あとは、残りの2方向に適度な壁を入れて、窓を開ければOKと言う、超合理的構造です。
 ………この説明で分かる人なんていないでしょうけど。

 RC壁式構造のばあい、大きく窓を開けられないのが欠点と言うことは前述しましたが、今回の集合住宅は店舗併用住宅にしようと思っているので、どうしても大きな開口部が必要になります。暗い店はちょっと入りづらいですからね。
 大きな開口部を取りたければ、RCラーメンを使えば解決ですけど、柱が600ミリ角ぐらいになって、壁から出っ張るのでものすごく邪魔です。流行りの言葉で言えば、デットスペースが生まれてしまいます。

 ちなみに、先生は「今回は集合住宅だからRC壁式構造が妥当だよね」なんて言う台詞を吐いていますから、たぶん殆ど全ての生徒はRC壁式で作るのでしょう。しかし、RC壁式では私の理想とする建築を作ることが出来ません。
 このような事態に陥ったとき、私は考えるわけです。開放性を持たせつつ、柱を無くす方法はないかと。
 そして、一つの答えに辿り着きました。
 それは、薄肉ラーメン構造です。
 これは、RCラーメンとRC壁式の利点を併せ持つ構造です。厚い壁と厚い床で建物を構成することによって、筒状の構造体を作ります。トイレットペーパーの芯を思い浮かべてください。一軸上は全面開口で、残りは閉じています。ですが、この芯はつぶれることはありません。つまり、筒状で、全ての力に耐えているのです。
 これで何が出来るか。平面的に物事を考えたとき、X軸方向に壁を全く設けず、Y軸方向を壁で埋めると言う間取りを使うことが出来ます。

 つまり、RCラーメンの開放性、RC壁式の合理性を両方満たす構造が完成します。この構造では、先ほど説明したとおり、一方方向を解放し、一方方向を閉じた間取りが基本になります。つまり、東西方向に壁を、南北方向に開口部をと言った平面を作ることが出来ます。
 東西方向に家(部屋)を連ねた場合は、構造上必要な壁をそのまま家の境目として用いることが出来、なおかつ、南と北は全て開口部に出来ると言う平面図になります。
 RC壁式では、南も北も中途半端な壁しか設けることが出来ず、RCラーメンでは柱が出っ張ってデットスペースが生まれます。しかし、この構造では、南北に大開口を取り、柱が出っ張らないと言う両者のいいとこ取りをする事が出来ます。

 もちろん、いいとこ取りをする構造ならば、わるいとこ取りする構造になってしまうのですが、この場合の悪いところと言うのは壁を一軸方向に入れなければならないと言う欠点であり、これは今回の家には必要な物なので、事実上、欠点が無くなってしまいます。

 前置きが長くなりましたが、何が問題かと言いますと、私が今まで設計で使ったことがない方法と言うところです。つまり、経験が少ないので、資料集めから始めなければなりません。木造なら何度も設計をしているので、勘だけでいけるときもあるのですが、使ったことがない構造となるとそうはいきません。
 結果的に、自分のやりたいことを実現するために最も適した構造を使う替わりに、作業量が増えると言う事態に陥るわけです。
 で、こういう事を毎回毎回繰り返しています。

 ただ、作業量が多ければ多いほど、完成したときの充実感は筆舌に尽くしがたい物がありますから、頑張れるわけですね。今回の設計内容が優秀だった場合、何処かの住宅設計大会に応募できるらしいので、嫌でも気合いが入るという物です。
 実は私、図面関係の大会は入賞経験があるのですが、設計関係の大会は入賞したことが無いのです。と言うことで今回は力試しと言うこともかねて、いつも以上にエンジンを回して頑張っています。きっちり10000回転まで回せよ、自分。

 とりあえず、一回目のプレゼンが終わるまで、修羅場レベル3.5をセット。

2005年10月19日 (水曜日)

ちょっくら巫女さんを拝んでくる

眠れる森の美少jy(略)

 ニッセンのカタログを捲っていて、気がつけば朝の五時。鈴響雪冬です。や、落ちただけですが。

 もう一度ベッドに戻る前に、と言うことでサイトのログを見ていたら、少し面白いことを思いつき、早速実行に移してみました。結果。

  1. [303回] げっちゅきっちゅSummer
  2. [291回] どっちにするの?
  3. [236回] 友達以上恋人未満+芽依子&さくらバージョン

 この順位は今年の一月から再生した回数の多い曲です。流石“げっちゅきっちゅSummer”は王者の風格を見せますが、今年から“最終兵器”に殿堂入りした“どっちにするの?”も、ものすごい勢いで迫ってきています。十ヶ月分の集計にもかかわらず、差が12回というのはかなり緊迫していますね。
 そのご、その両盟友の後を追うようにして、“友達以上恋人未満”がランクイン。こちらも軽快なナンバーですから、再生回数が多いのも分かりますね。

 では、1位から10位までをランクダウン!

  1. 303
    げっちゅきっちゅSummer
  2. 291
    どっちにするの?
  3. 236
    友達以上恋人未満+芽依子&さくらバージョン
  4. 229
    She See Love
  5. 217
    お嬢様組曲
  6. 214
    ハッピー☆マテリアル(5月)
  7. 192
    PAPAPAPAPANTSU~だってパンツだもんっ!
  8. 187
    ☆☆☆☆☆☆
  9. 162
    恋のぱにっく☆るーむ
  10. 160
    大事 Da・I・Ji

 注目は、8位にランクインした“☆☆☆☆☆☆”。六ツ星キラリのOPテーマです。ここ数ヶ月前に知ったばかりなのに、既に187回再生され堂々のベストテン入り。これは来月のチャートが見逃せませんね。また、10位の“大事 Da・I・Ji”も奮闘。アニメ“まほらば”の放送終了はどのようにこれから影響するのでしょうか。
 さて、今回の集計ではランク外だった曲の中で、注目する曲は…アニメ版“Wind”のOPテーマ、“Feel on the wind.”。この曲は今までタグを付けていなかったので、集計対象外でしたが、昨日、タグを入力しましたので、これからは再生回数がきちんと処理されるようになります。頻繁に再生する曲ですから、ランキングが入れ替わるのも時間の問題ですね。

 ちょっと(個人的に)面白そうなので、毎月集計してみることにします(ぉ 。集計するのはみいなですけど。特に今月来月と、課題提出があるので、ものすごく偏った結果が出そうです。

二度寝合わせて12時間睡眠

 実家に帰省していたとき、稲の刈り取り時期のお知らせがニュースで流れたのをきっかけに、これは急がなくてはと思い、群馬に戻ってすぐにカメラを持って田んぼの撮影に行ったことを思い出しました。と言っても、何時かの日記に、原因不明の徹夜をして、朝日を撮影しに行ったと書きましたが、その時のお話ですね。
 前々から公開しようと思っていたのですが、時間の狭間見つけるのに時間がかかりました。日記でメールレスもタスクがあるのですが、やる予定ですのでお待ち下さい(私信)。

 画質補正無しの一発勝負。水玉にピントが合わず、後ろの葉っぱにピントがあったりと、色々と苦労しましたが、いい感じに光が入ってくれたので綺麗な写真になりました。マクロ撮影は被写体深度が浅くなるので、背景がぼけて綺麗になりますね。きっと一眼レフならもっと背景がぼけているはずです。まぁ、コンパクトデジカメでも此処まで来た、と言うことで。
 お世辞にも空気が綺麗とは言えない私の町ですけど、朝はホコリ達も落ち着いているので、助かります。

反日感情を煽っているのはマスコミ?

 小泉さんが靖国神社を参拝し、中国・韓国で反日デモが発生しましたけど、ちょっとばかり冷たい視点でツッコミを。

 ようは、小泉さんの参拝をマスコミが報道しなければいいんです。中国人の記者だって日本にいるでしょうけど、情報ソースは日本のマスコミが元になっています。日本のテレビ局も海外に支局を持っていますが、まず第一報はニューヨークタイムズと言った純米国メディアの報道です。事件が起こったとき、画質の悪い映像が流れますけど、画面隅のテロップには、CNNとか書いてありますけど、それはこういった理由ですよね。
 ヨーロッパの何処かの国でリフトが火事になったとかそんなニュースの時だって、まずは海外メディアが撮影した映像を用いています。
 結局、他国のニュースというのは、まずその国でその国の報道機関が撮影した映像を買い取って報道するのが一般的ということ。
 と言うことは、日本のマスコミが小泉さんの参拝を一切報道しなければ、流れも変わるんじゃないか、と言う説。で、小泉さんも大々的に参拝に行かない。報道機関の取材にも「いや…参拝したかったんで」と日本人らしい曖昧な回答をしておくと。

 何処かの高裁で、小泉純一郎の靖国参拝は憲法違反、なんて言いましたけど、あの参拝が政治的力を持っている理由は、マスコミが報道するからですよね。マスコミが報道しなければ誰も注目しないわけで、誰も注目しなければ政治的効果も全くありません。
 と言うことは小泉さんの参拝は、マスコミが報道するから政治的効果を持ってしまうわけです。

 ということで、未来の参拝像。

【小泉】 「あー、ちょっと神社行ってくる。」
【官房長官】 「はい。行ってらっしゃい。国会あるから早く帰ってきてね。」
【小泉】 「おっけー。」

 こんな感じで、明るく軽快にお願いします。いっそのこと、初詣も靖国神社にしてしまえばいいのでは、なんて。

 まー、一言で言ってしまえば、一日本人が神社に参拝に行くぐらいで、マスコミも一台数億円する報道機材を積んだ車を走らせて、わざわざ放送しなくていい、ってこと。そんなに放送したかったら、来年の一月一日に、青森県の某市にある稲荷神社に私、鈴響雪冬が参拝に行くので、報道車両をふんだんに使って取材してください、って話。

 もっと凄いことを言ってしまえば、十数円の硬貨をお賽銭箱に入れるだけで他国を煽ることが出来るというのは、ずいぶんと簡単な方法ですよね。米国とかそんな国みたいに、莫大な費用を核兵器に回さなくていいわけですし。
 日本製品ボイコット、なんて言いますけど、そんな日本製品は中国韓国で作られているわけで、日本製品の売り上げが落ちると言うことは、彼らにとって自国の輸出額が下がると言うことなんですよね。いいよべつに。日本には台湾とかマレーシアとか素晴らしい味方が沢山いますし、中国が石油を一杯使うと環境問題に拍車がかかるから、せいぜい石油消費量を減らしてください、みたいな。

 嫌でも世界はグローパル社会。他の国が没落すると言うことは、自国も没落すると言うこと、忘れないでくださいね。

最大音量

 何処かで、『ボリュームを上げると迫力のある音になります』なんて言うのを見かけましたが………まぁ…スピーカーとかそう言う関係の機材って言うのは、最大音量にしたときに初めて設計した音が出るように作られているわけで…。
 だからこそ、あまり大きな音を出すことが出来ない自宅作業中心のDTMerにとって、小型モニタースピーカーはとても便利なんですよね。音が小さいので、つまみをめいっぱい回すことが出来ますし。
 ちなみに私が使っているスピーカーのワット数は書かれていないので分かりませんけど、0.25Aとなっているので、出力は両方合わせて20Wぐらいでしょうか?

 言い換えれば、一般人向けの、40Wスピーカー二つ搭載で迫力のある音、なんていう謳い文句で広告しているコンポは、あまり意味がないと言うことになるわけ。だって、80Wなんていったら大音量音量ですよ。結局、最大音量に出来るはずがないので、音を絞って使うことになり、音質は面白いことになりそうです。
 大型コンポ、と言うのも難しいですね。ま、迫力だけはあるでしょうけど。見た目の。

 出力80Wなら、1メートル離れて139dbですか………(計算した)。ジェット機のエンジンクラスですね。ぶっちゃけ、20Wでも133dbなのですが…。

弘法筆を選ばず

 メイド箒を選ばず。

【みいな】 「新しい標語ですか?」
【雪冬】 「そういうこと。と言うことで、メイド達に知らせておいて。」
【みいな】 「あの…一応お聞きしますけど、意味はなんでしょうか。」
【雪冬】 「そんなの決まっているじゃない。弘法筆を選ばずと同じ意味。」
【みいな】 「メイドもご主人様の誤まり………。」

2005年10月20日 (木曜日)

タイトル未決定

修羅場のスタンス

 修羅場の乗り越え方というのは人によって色々な手法があると思いますが、私の手法は、『必ず寝る』というものと、『食事はインスタント』の二つ。この乗り越え方によって、私は修羅場を乗り越えています。

 ここ最近は多いですが、日記に“修羅場”と書くことがありますが、今までの修羅場で、本当の徹夜をしたことは3回しかありません。それ以外は必ず90分か180分は寝るようにしています。
 一つの目安として180分ですが、この睡眠時間を利用した場合、過去の記録では八泊九日の修羅場まで乗りきることができます。皆さんの記憶に新しい設計3の映画館設計ですね。
 ということで、修羅場修羅場とわめきながらも、睡眠時間だけは維持でも確保する、と言うのが私の姿勢です。寝ないと疲れますから、本当に。
 関係ないですけど、睡眠によって記憶を整理するのが人間なので、テスト前日は徹夜せず、最低でも180分は寝ましょう。

 もう一つの『食事はインスタント』ですが、これはもう、料理にかかる時間を考えればすぐに分かると思います。私と食事をしたことがある人は分かると思いますが、私は食べるのが早いです。一応、みんなと一緒に食べるときは、他の人に速度を合わせるためゆっくり目に食べていますが、普段は結構早めです。遅くても10分あれば一般的な和食のメニューは完食できますし。
 そんなこんなで、食事5分、調理30分という数字で見ただけでもアンバランスな時間配分を崩すため、インスタント食品を使うことにしています。私の場合、修羅場は大体一週間と言う単位になるのですが、修羅場が始まる週の日曜日、近くの大型スーパーに赴いて、一週間分のインスタント食品を購入してきます。
 これさえあれば、ご飯さえ炊いてしまえば、後は温めるだけですので、楽ちん楽ちん。

 後気をつけることと言えば、珈琲が切れていないか、とか、牛乳を補充するとか、そう言うことぐらいです。
 ちなみに、私が修羅場をくぐり抜けられる理由の一つに、朝の目覚めが良い、というのは確実に含まれているでしょうね。親と一緒に過ごしていたときは、こんな会話が出来ていました。

 親、一階の廊下。私、二階の自室のベッドの上。

【親】 「起きろー。」
【私】 「はーい。」
 すぐに起きあがりカーテンを開けて、一階のリビングへおもむき、ソファーに座る動作をしながら、
【私】 「お腹すいた。」

 「起きろー」と言われて「はーい」って言いながら目を覚ます時点で可笑しいかも知れないですけど、そこはともかく、朝起きて一分以内に「お腹すいた」と言ってご飯を食べられるのが、私の特技。朝から血圧全開のようです。

 ちなみに今では、目覚ましが鳴る、起床する、パソコンのディスプレイの電源を入れる、テレビの電源を入れる、カーテンを開ける、窓を少し開ける、電気を付ける(日影の部屋)、換気扇の電源を入れて空気を循環させる、水を飲む………此処までなら一分ぐらいで出来そうです。

六年の歳月

 セカンドマシン、彩音のHDDを別の物に取り替えました。まだパソコンのパーツに"Made in Japan"のマークが刻まれていた時代のHDDですが、流石に高周波のうねりは辛いので、一時期“みいな”のメインドライブとして活躍していた10GBのHDDを引っ張り出して、取り替えました。
 データはソフトを使って完全移行。予想より時間はかかりましたが、新しいディスクになって彩音も喜んでいるようです。まだまだ働いて貰いますよ(笑)。

 これで事実上、電源とCD-ROMドライブ以外は全て取り替えたことになってしまいました。もはや、メーカー製パソコンの名残は殆ど残っていません。強いて言えば、マザーボードは同型番なので、そう言う点では、名残が残っているというのでしょうか。

 ピロリーン。サブマシン“彩音”のHDDが新しい物になった。容量が8.4GBから10.0GBに増えた。

 …小数点の位置は間違っていませんよ?

2005年10月21日 (金曜日)

100万ドルの夜景…それは函館

作り直してみた

 4月7日に公開した夜景写真をちょっとだけ作り直してみた。サイズが汎用壁紙サイズなのはまぁ…色々な理由があるのですよ。もっと大きいのが欲しい、と言う人は、みいな経由でよろしくお願いします。
 全体的に黒を引き締めてあるので、黒が美しいディスプレイだと萌えるかも。

 ちょっとばかり今までとは違う方法で補正を試みてみました。今までは、RGB画像をCMYKに変換し、黒色からマスクを作ってトーンカーブ、と言う方法でしたが、今回は、同時刻に取った露出設定が違う写真を複数枚合成して色のワイドレンジを広げ、色調補正ツールという手段です。
 デジカメが取りきれる色のワイドレンジは所詮低いので、複数枚取ることによって、白とか黒が切れるのを防ぐわけですね。たまたま複数枚取っておいて正解でした。夜景の写真を撮るときは数枚写真を撮っておいた方が良さそうですね。

マルサの女 (15:11)

【雪冬】 「ただいまー。これみんなのお土産。」
【一同】 「わー。」
【雪冬】 「ちょっ、蟻じゃないんだから、集りすぎ。」

【みいな】 「ところで、税務署にはどのような用事で?」
【雪冬】 「いや、マルサの女が、『ぐぉらぁ! あんなたんところの“雪解け水”っていう組織が、同人誌売ってボロ儲けしていることぐらいわかっとるんじゃわれ。さっさと税金払いやがれ!』っていうからさ…。」
【みいな】 「…。よくそんな、エイプリルフールでも付けないような嘘を平気で言えますよね。イベント単位で見ても黒字に転んだことすらないのに。」
【雪冬】 「…わるかったわね。いいですよいいですよ。所得無し世帯ってことできちんと申告してきたわよ!」

激動の時代に生きる人

 TBS買収で忙しい楽天の会員および、ライブドアと業務提携を結んだセシールの会員、鈴響雪冬です。どうやら私は激動の時代に生きているようです。あー、これは、今年のエイプリルフールの所為でしょうか(笑)?

 確かにインターネット通信販売、セシールの売り上げは確実に落ちているでしょう。そんななか、ライブドアが参入してきたことでどのように変わるのでしょう。弥生会計みたいにセシールの看板に堀江社長なんて嫌ですよ?。
 や、まてよ………。エイプリルフールネタということで、堀江社長がカタログでモデルを(以下自主規制。規制理由: 三次元補正回路の破損)

 ちなみに、買収の経緯に、楽天とセシールでは購買層が違う(若者、30~40代の女性)ので会員が重複する可能性が少ないから、と言うものがあるそうですが………私…レアキャラ?

2005年10月22日 (土曜日)

“らしさ”と“マンネリ”の境目

やっぱり、 ElementsGarden がすきだ

 名前を変えてからさっぱり噂を聞かなくなった(私だけ?元"feel souds"、現"ElementsGarden"ですが、やっぱり、この人達の曲が好きです。個人的に言えば、I'veよりも私の趣味に合っています。
 ElementsGardenの新曲と言えば、“ういんどみる”から発売された“はぴねす!”のOPテーマ、“ZERO”ですが、相変わらず、私のつぼを突いてきます。こういう曲を待っているんですよ、私は。今までの彼らの作品の中で一番好きかも知れません。推定テンポ174と言うかなり早い曲ですけど、このぐらいのリズムが私好みだったりします。
 私は全体的に速いテンポの曲が好きなのですが、速いテンポの曲を作ったことがないと言う人間でして、こういう曲を聴くと、「あぁ、テンポの速い曲を作りたいな」と言う衝動に駆られてしまいます。作りかけで放置している状態の新曲はテンポ145と私の中ではかなり速い曲なので、そう言う意味でも作業が遅れてしまいます。今まで作ったことがないですからね。

 ともあれ、“ZERO”はいい曲認定。
 ちょっとBメロ終わり付近のメロディーラインに違和感があるのですが、此処は8小節延ばして、もう二回メロディーを繰り返しながら音程を上げていく方が個人的には更に好みです(笑)。


 関係ないですけど、ういんどみるはムービー制作をRMGに委託するのが個人的に結構好きです。正直、I'veと神月社という組み合わせはよっぽどの物じゃない限り面白くないんですよね。言ってしまうと、神月社さんの作品はテンプレを使った投げやり的な展開が多くなってきているのは周知の事実。きっと、金額的都合もあるのでしょうけど、どうも面白い作品が減ってきています。だって、前奏でまず全キャラクターを出して、Aメロに入る前にタイトルコール。AとBでキャラ紹介、CでイベントCG、最後の部分でスタッフ紹介という展開ですよね、何時も。
 それならば、自社でムービーを作っているメーカーや、RMGといったムービー製作所の作品の方が遥かにレベルが高くて満足です。

 個人的に応援しているのは、“ういんどみる”などの作品を手がけている“RMG”、“みるくそふと”の作品を手がけているところ(名前不明)の二箇所です。
 あと、殿堂入りクラスでは、“しす×みこ”のOPを作ったところ(名前不明)と、“minori”のお得意様“新海誠”さんですね。
 後者は説明するまでもないのですが、前者については、“しす×みこ”のOPで、黄金水放出シーンをフル3Dモーションでやったと言う、無意味に気合いが入ったムービーを作ったので、勝手に殿堂入りにしてしまいました(笑)。他は面白くなかったですけど(ぇ 。
 でもまぁ、なんだかんだ言って、これからが楽しみなのはやっぱり“RMG”さんですね。

 あっ…“はぴねす!”のOPムービー、テンポがいい曲に合わせての展開だから、新しいディスプレイのスペック調べには丁度いいな。


 まー、此処までほめておきながら、ういんどみる作品は一つもやってないんですよね。だって…だって………げn(以下自主規制。理由コード: 業界を揺さぶる発言)

人使いが荒い

 こういうバックグランドを日記に書いていいのかなと悩むのですが、日記だからこそ書けるんですよね、現実問題(笑)。

 さて、アクロス・ザ・タイムを新しい規格の冊子に移行するという、当初の予定になかったことをやっている鈴響雪冬です。一応、一太郎用のデータは殆ど完成、と言うところでしょうか。で、これを機に、第三版を作ることにしまして、アシスタントから届いている誤字脱字のリストを反映させ、それをもう一度校正にかけることにしました。
 今回は、私が何時もやっている校正の仕事をほぼ全てアシスタントに丸投げしてみました。ある意味、“アシスタント”としては初めての仕事になると思います。今まではお手伝いレベルでしたから。
 ということで、仕事を送っておきながら、果たして耐えきれるかな、と案じてしまいますが、このぐらいで耐えきれないようだったら、いてもいなくても同じですからね。

 私を含め、希望風のメンバーは同人に対してかなり厳しい目で見ています。私もそうですが、同人のことを“仕事”と呼んでいます。なら、実社会の職業はどう呼ぶのでしょうか。それは、“学校”とか“会社”と呼んでいます。
 つまり、同人活動を仕事のような見方を持って接していると言うことです。非営利の仕事、と言う感じでしょうか。もっと簡単に言えば、同人活動への取り組み方を仕事のようにまじめに、と言う事です。

 ですから、私が求める品質もかなり高いですし、それは同時に、アシスタントに求める仕事のレベルも高くなることを示しています。
 とりあえず、いきなりレベルの高い仕事を任せるのも可哀想なので、何時も私がやっている作業を簡単にさせてみることにしました。

 大体こんな感じです。
 何時もこれらのチェックを、イベント2週間前に初めて、一週間前までに終わらせます。これが終われば、同人誌の印刷を始める、と言う重要な作業です。
 私の同人誌は比較的誤字脱字が少ないと言われるのでうれしい限りですが、それでも、作品全体を通して、初版本は数十文字単位で誤字が出てしまいます。これは全て人間がやっているので仕方がないことですが、もう少しミスを減らせないかな、と何時も悩むわけですね。
 発売前の原稿になると、他の人に手伝っていただくわけにも行かないですし。そう言う点では、アシスタントの存在はありがたい物があります。現時点で、アシスタントの仕事は全くしていませんが…(笑)。
 まぁ、デビュー戦という形になるでしょうから、最後までやり遂げて欲しい物です。

 …という、文章を、アシスタントが見ていると分かっている日記で堂々と書くことが出来る私のハートは、ライオンハート(ぉ 。

フォトショップ解体新書 (12:33)

 次回で最終回だそうですが、ここまで読んでみて、「なるほどね」と言う記事が満載です。
 一応、フォトショップで建築のプレゼンテーションやら同人誌の表紙、レポートまで作っている私としては、フォトショップのメモリ管理は凄いなと感じることがあったのですが、確かにこのような処理方法なら無駄もないでしょう。
 タイル管理であるかどうかを見分ける手段の一つとして、画像全体をスクロールするときに、環境設定から選べる“ピクセル倍増”を使うと、画像がモザイク上になる替わりに、かなりの高速移動が可能になります。これはタイル管理ならではの技なのかも知れません。

 フィルターの方法について多少言及がありましたけど、これはその通りだと思います。こういった処理方法は、音楽ソフトなどに見習っていただきたい部分があります。SOLで最も時間がかかる処理はタイムストレッチですが、プレビューするために一度全く同じ処理をするという素晴らしい仕様です(笑)。

 確かにフォトショップの起動時間は遅いですし、フォントを1000以上インストールしている私の環境では、フォントリストの並び替えに莫大な時間を消費しますが、後は比較的サクサク動いてくれるのは事実。メモリ256MBのWin98時代でも使えていましたから、結構頑丈な作りになっているのは事実でしょう。
 どうでもいいけど、もう少し安くなりませんか?
 建設工学系の用語にもあったはずですけど、割り引きしてどれだけ利用者が増えるかを実験することも大事だと思います。フルバージョンのフォトショップが2万5000円ぐらいなら有り金叩いてでも即買いますよ。いい加減、16bit編集環境が欲しいですし…。

落雷? 電磁パルス? (21:29)

 どちらが原因とは断定できませんが、停電しました。すぐに復旧したので、たぶん、電磁パルスかもしれませんね。よかった…パソコン作業じゃなくて、ただの料理中で…。

2005年10月23日 (日曜日)

通販最前線

痛い

 Canvas2の第三話。萩野と主人公のやりとりの内容で面白い物が。萩野という人はプロの恋愛小説作家のようなのですが、どうやら今まで人と付き合ったことがない、と言うお話です。それを聞いて、一人吹き出す私。
 …人のこと言えないんですけどね。

 この事を以前とある人に言ったら、「大丈夫。夢があっていいじゃないですか。」なんて言われました。まぁ…想像力を働かせるのは人間にしかできない技。さあ、本能よりも高次の表現を目指して旅立つのです。

A to Z

 さて、“恋の from A to Z”、G~Iまで公開しましたが、お楽しみ頂けたでしょうか? そろそろ、殆どの読者が今回の作品の傾向を見抜く頃だと思うのですが、どうでしょう。登場人物の名前も明らかになり始めましたしね。

 と呑気に構えている間に、次の単語が三つ決まりました。今回は私が投票したのが殆ど選ばれました。よかったよかった。じつは、Jについては、翡翠に投票したのですが、後半に一気に逆転され、ジェラシーが選ばれてしまいました。嫉妬か…と凄く悩んだのですが、プロットを書き殴ったメモを見たら…嫉妬で良かった…。
 今回は、嫉妬については問題なくクリアできそうです。あとは、万華鏡とリコリスをどのように処理するか、ですね。あぁ…万華鏡がPから始まる単語だったらなぁ…。

 今回かいていて一番楽しかったのは、Hの砂時計。こういうシチュエーション、結構、好きなんです。ちょっとばかり男が弱気で、女の子がボーイッシュで。男の子は必死にアピールするんだけど、女の子には無視されて、でも、実はそんな男の子の事が大好きで、みたいな。一種のツンデレ(違うと思われます)。というか、『さて、将義は、未来の世界から『時間が戻ればいいのに』と言って今の時代に戻ってきたんだぞ。私に何か言うことはないのかな?』という台詞が萌える(ぉ 。
 思いの外難しかったのが、Gの輝き。これは本当に難易度が高かったです。話の内容と全く関係ない単語が選ばれてしまった上に、物ではないのでアイテムとして出現させるわけにも行かない。結局、暗闇で携帯電話を使ったときのバックライトを輝きに見立てました。あとは、明確に示してはいないですけど、希望する未来=輝きに満ちあふれた未来、と言う伏線的な使い方で、輝きはクリアしました。ちょっとだけ悔いが残る作品ですね…。
 Iの無邪気は、相手役が女の子だったら凄く使いやすかったんですけど、視点が女の子で相手が男の子でしたから、凄く難しくなってしまいました。ということで、純粋な人、と言うことに心がけて書いてみました。純粋な人という設定は単語の影響で生まれた物ですけど、こうやって、読者の投稿で物語り事態が大きく変わってしまうと言うのは楽しいですね。ちなみに、無邪気ですので、作者も無邪気になって、着替えシーン、遠慮せずに書いておきました(散れ)。

 詩唄いさんの作品は登場人物固定で、エンディングも半分固定ですし、幻霧無名さんの作品は三話完結型です。それと違って私の作品はエンディング不明の連載型ですから、選ばれる単語によって登場人物の性格が決まってしまうと言う恐怖があります。だからこそ、今現在、登場人物の外見描写を一度もやっていないんです。後半に、ロングヘアーなんて言う単語が来たら怖いですからね(Lはリコリスになったので少し安心)。どうやって使えばいいんだろう、と思います。ロングヘアーのように…なんて言う比喩表現…浮かばないしなぁ…。

 そんなこんなで、毎回毎回応募されてくる単語が怖い鈴響でした。物語が進むほど新しい設定を書き加えることが出来なくなっていきますから、予想外の単語がくると本当に悩みますね。

 さて、前置きが長くなりましたが、三つの単語が決まりました。今回はかなりの激戦でして、後半に大逆転激、なんて言うのもありました。唯一独走したのが、Kのカレードスコープ。最初から最後まで一位を独走しました。後の二つは混戦でしたね。
 ちなみに、カレードスコープという単語を見て、“乙女心は万華鏡”と言う曲を思いだした人、私以外にもいますよね?

着替えシーンを分析する

 上で『着替えシーン』と言う文章を書いて、最近そう言えば、この手のシーンが多いような気がすると思い始めた鈴響です。ちょっとばかり分析してみました。

  1. 丘の上の物語: 無し
  2. アクロス・ザ・タイム: 無し
  3. 冊子版・丘の上の物語: 無し
  4. ReSin-ens: 無し
  5. 光になりたい: 有り
  6. 冊子版・光になりたい: 有り
  7. 冊子版・アクロス・ザ・タイム: 無し
  8. 冊子版・ ReSin-ens: 有り

 後半になるに従って増えてますね。
 以上、分析終了。考察無し。

日記でメールレス

ネタ提供(忙しくてそれどころじゃない気がしますが…)

・物書きの人に聞いてみたいこと
 「"あとがき"は何を書くもの?」
 人によって定義が違っていて面白そうな予感

匿名希望のメール

 後書き、ですか…。そう言えば、何を書くんでしょうね。

 あくまでも私の場合、ですが、作品を書きつづる過程で知ったこととか、作品についての捕捉を書いたりしています。作者によっては、全く違うことを書いていますし、連載小説だと近況を書いている人も多いようですね。

 ちょっとだけ、各作品(冊子版)の後書きの書き出し部分を引用してみましょう。

丘の上の物語

 どうも、初めまして。常連さん、ありがとうございます。鈴響 雪冬です。
 さて、蓮ストーリーを読んで下さった方は知っていると思いますが、後書き2ページ構成でお送りしますね(苦笑)。
 ようやく…と言ってもいいぐらいですね…完成しました。連載完了から1年近く経つのでしょうか? 当時の作品を読み返してみて…何度泣きたくなったことか(苦笑)。個人的には無料雑誌覚悟でもいいのですが…お願いします…紙とインク代だけは…。ちなみに、原作が読みたい方はWebサイトにありますので、どうぞ。
 『丘の上の物語』と言うシリーズは私にとって非常に大事な小説でして…。初めての恋愛小説になります。別のペンネーム(ハンドルネーム)でKanonと言うゲームの二次創作小説は書いてきましたが、創作の恋愛小説と言うのははじめて…と言うことになります。しかも、恋愛小説なんて普段読まない私が恋愛小説を書くわけですから、支離滅裂、ご都合主義の小説になってしまいました…。今でこそ恋愛小説を読むようになっているわけですが…この作品を書いた時はまったく…。江戸川乱歩やルブランの探偵小説ばかり読んでいた人間です(ちなみに全約80冊コンプリートです)。
 二重影に『小説書くからサークル作ろう』と言われ、サークル第一弾として『丘の上の物語』シリーズが誕生しました。私はその中で『水瀬千夏』と言うキャラクターを書くことになり…模索をしながらなんとか書き上げました。今読んでみると内容もそこらの作品には明らかに見劣りますが、全力で書いたことには変わりないと自信を持って言えます。だからこそ、皆さんにはこの本を読んで頂きありがとうございました、と。

 簡単にまとめてしまえば、挨拶、冊子版の位置付け、作品を書くに至った経緯、と言う感じでしょうか。この後は、冊子版の修正点、著者本人の恋愛に対する見方、と言う感じですね。

光になりたい

 初めての方、初めまして。楽しみにして頂いている方、何時もありがとうございます。サークル雪解け水の鈴響雪冬(すずひびき ゆき)です。まずは…長いお話、最後までおつきあい頂きありがとうございます。そして、サイト上での連載も読んでくださっていた方、長い連載におつきあい頂きましてありがとうございます。連載期間半年、総文字数115000文字…原稿用紙407枚の小説となり、私の書いた『小説』では過去最高の長さ、そして、過去最高の反響の多さとなりました。雪解け水では恒例となった、サイトで連載された小説の冊子化ですが、何時ものように、大規模な加筆や、Webでは表現できなかった事、新しくわかった事による追記…など今回もいろいろとさせて頂きました。
 物語を書く上で苦労した事は沢山ありますが…その中でも、資料にはとても苦労させられました。盲導犬を育成する団体は国内に幾つかありますが、一定の基準を設けているわけでもありません。方針も違います。それ故に、多くの資料を集めると、それぞれの団体の差が出てしまい、どれを基準にするか、と言う事でかなりとまどいました。また、物語を書き終わってから出てくるほころびや矛盾点…それらの修正には多くの労力と時間を必要としました。

 こちらもまずは、挨拶から始まります。その後は、冊子版の位置付け、苦労したところ、と言う感じで続いていきます。この後は、田村由梨絵について、作品を書く経緯について、障碍について、読者への問いかけ、謝辞、と言う流れになっています。

アクロス・ザ・タイム

 初めての読者さん、何時も読んで下さる読者さん、この本を手に取り、そしてお手元に置いて下さった事を感謝致します。いつものように2ページ用意して後書きを書かせて頂きます。
 さて、2002年の夏から半年以上かけて書き上げた原作のアクロス・ザ・タイムを半分以上…と言うより、設定から大幅に書き換えた作品がこの冊子版のアクロス・ザ・タイムになります。原作のストーリーを活かしつつ、現在の科学技術や知識を元にして書き上げてみました。読者の方のほとんどがエンディングを見て強引だと思うでしょう。しかし、これにはきちんと理由があります。静さんは作中で時間が交わった理由や遼一が世界を飛び越えた理由を推察しています。しかし、あくまでそれは、静さん一人の意見であって、正しい答えとは限りません。こんな事を書くとネタバレに近くなってしまうのですが、静さんの意見は全く持って間違いなのです。遼一君が空間を飛び越えた理由はきちんとありますし、時間が不安定になった理由もあります。そして、また遼一君が空間を飛び越えた理由もありますし、夏菜さんや静さん、渉君が一緒に時間を飛び越えた理由もあります。その理由がわかるようにと作品中にも何度か触れているのですが…気が付いたでしょうか? 気が付かなかった場合、この勝負、私の勝ち、と言う事でお願いします(笑)。もちろん、ただの不思議な小説として読んで下さってくれても構いませんし、恋愛小説として受け取ってもいいでしょう。本の楽しみ方というのは人それぞれかと思います。

 こちらもやはり挨拶からですね。一番新しいだけあって、少しだけ挨拶の文章に変化が見られます。冊子版の位置付け、作品への捕捉、読者への挑戦状、と言う流れです。この後には、苦労した点、アクロス・ザ・タイムという作品の位置付け、UDプロジェクト紹介、時間について、謝辞、と言う流れです。

 このようにしてみると、一度サイトに公開した作品を冊子化している特徴が現れている部分がありますね。それは『変更点』。これは原作があるからこそ出てくる後書きの内容と言えるでしょうか。
 あとはテンプレート的に、

  1. 挨拶
  2. 冊子版の位置付け
  3. 内容についての補足
  4. 小説を書いていて感じたこと
  5. 一言
  6. まとめ

 と言う流れになっていそうですね。毎回後書きは2ページ用意しているので、原稿用紙5枚分ぐらい書いているのですが、それでも書き足りないことがありますが、それはきっと、小説を書いていて感じたことの部分が多いからでしょうね。

 ちょっと変な方向に話が向いていますが、私が後書きで書くことと言えば、上の六つぐらいと言うことになります。その中でちょっと特殊なのが、冊子版の位置付け、と言うことになりそうですね。

身も心も冬支度

 先週、衣替えをしたのですが、今度は布団替えをしました。流石にガーゼケット一枚では寒くなってきたので、布団入れの中から毛布を一枚引っ張り出してきました。そして早速、今朝、とある現象を自分で再現してしまいました。

【彩音】「おはようございます、直哉先輩」
【直哉】「おはよう」
【彩音】「今日は暖かいですね」
【直哉】「あぁ、気温もプラスになるらしい」
【彩音】「そうなのですか?」
【直哉】「しかし、寝坊でもしたのか? こんなギリギリの時間に」
【彩音】「毛布は…凶器でした…」
【直哉】「へ?」
【彩音】「昨日新しい毛布を出したのですけど…あまりに暖かくて…」
【直哉】「ぐっすり…と言う事か」

 毛布は凶器でした。

セシールの売り上げが減少した原因を考える

 セシールの売り上げ、三年連続赤字。そんな報道がありますが、案外と間違っていません。それは、セシールが商品の取り扱いについて誤解をしてしまったからです。

 被服系の通販の大手と言えば、セシールとニッセンですが、二つのカタログを見ても分かるとおり、明らかに顧客層が違います。ニッセンの最大の特徴と言えば、家具を取り扱っている点や、お出かけ用ファッションを取り扱っている点でしょう。それに対して、セシールは室内着などの日常服が中心です。
 また、年代層は、ニッセンが全体的に若いのに対して、セシールは30~40代の女性をターゲットにしています。

 ニッセンを利用する人は、変化を追い求める商品を求め、セシールを利用する人は安定した商品を求めることが、年代層や商品ラインナップから分かります。ニッセンもセシールも年に4回のカタログを発行しますが、両社とも冬・夏で大規模変動、春・秋で小さな変動、と言う形を取っていますが、ニッセンの場合、殆どの商品を入れ替えてしまいます。家具などは例外だとしても、被服系のページは結構速いペースで商品を入れ替えています。
 それに対するセシールは、定番商品と言った特集ページを毎回組んでいますし、良品安価というコーナーも作り、そこでも定番商品を扱っています。定番とは、息の長い商品では振り分けられた番号が何時までも残ることから出来た言葉(詳しくはコラム『間違えやすい言葉・用法』参照)ですが、まさにセシールは定番商品が中心だったわけです。
 これは、それぞれの購買層をきちんと見抜いた上での紙面構成ですから、非常に好感が持てます。

 ではなぜ、セシールが失敗したのか。それは、商品のサイズや商品のジャンル選択を誤ったからです。かつてのセシールは靴下や下着などに力を入れ、種類やサイズを豊富に取りそろえていました。特にサイズを豊富に取りそろえていると言うことはセシールの利点の一つです。AAカップのブラジャーが普通に載っているカタログなんてそんなに簡単に存在しません。特に、ショーツに至っては通常Mサイズしか取り扱っていないメーカーが多いなか、セシールはSからLLぐらいまでなら殆どの商品で取り扱っています。しかし、以前からその流れが崩れてしまいました。
 選べるサイズは狭まり、デザインを追い求めた結果ユザーの求めるデザインからかけ離れ、それにかかった費用が商品に上乗せされたのです。もしセシールのユザーが変化を追い求めるユザーならその作戦は成功したでしょう。しかし、セシールのユザーは違ったのです。セシールのユザーは先ほど述べたとおり、分布が集中しています。私のような一部の例外を除いて殆どが30~40代に集まるでしょう。するとどういう事が起こるか。一つでもミスをした場合、購買層の思惑からはずれてしまうと言うことです。
 ニッセンのように多くの購買層を確保しているなら、多少なりとも読みがはずれても他の購買層にぶつかるから売り上げとしては影響がそれほどでないかも知れませんが、セシールの場合は、読みがはずれた場合、そのはずれた商品を買ってくれる購買層が存在しません。つまり、売り上げが大きく減少することを意味します。
 さらに、30~40代という年齢は、人によってサイズがばらついている年代でもあります。例え売り上げが少なくとも、多くのサイズを確保しておくのがセシールの運命ですが、それを捨ててしまい、サイズの幅を狭めてしまいました。これでは、購買意欲が落ちるのは当然です。

 売り上げをカバーしようとセシールは色々な努力を始めました。食品を取り扱ってみたり、今まで扱わなかったジャンルを取り扱ってみたり…しかし、それらは全て失敗しました。楽天にあったセシールのブランド専門店は今年になって撤退します。そして、セシールはカタログをリニューアルしました。見やすくなったカタログは私が見る限り非常に好感触でしたが、デザインに力を入れると言うことはその分費用がかさみ、その費用は結果として商品に跳ね返ってきます。その結果、商品の値段が上がりました。
 全ては、セシールが購買層の欲求を読み間違ったからなのです。そしてそれが大規模な赤字を生み出しました。

 ライブドアの堀江社長はセシールの取り扱うサイズの幅を広げると宣言しました。これで一つの問題は解決したでしょう。しかし、セクシー系の下着を取り入れるとも宣言しました。果たしてそのような下着がどれだけセシールの購買層に受け入れられるかは不明です。
 セシールの購買層は安定した客層です。急激な変化は確実に失敗を招きます。今回の買収騒動で、セシールがどのような方向に向いていくのか、それは、一利用者として注目すべき点であります。


 我が家は通信販売をよく利用する家庭でして、ニッセン、セシール、千趣会等を含め、五つ程度の会社が我が家に出入りしています(笑)。そのような家庭で育っている私ですから、各社の違いは手に取るように分かります。今や、聴診器や血圧計まで通販で買える時代です(まぁ、医療器具専用の通販だからですが)。
 実際、小説の資料になるような下着、つまり、若い人が着るような下着はニッセンの方が圧倒的に多いです。この事からもニッセンには若い読者も多いと言うことが分かります。しかし、ニッセンには“てせら”という熟年層向けの分冊があるのですが、その商品はやはり少しだけ若い人向けの商品構成になっています。
 セシールのデザインは最近おばさん向けになってきていると言うのは私も納得で、確かにダサイ商品、地味な商品が増えたような気がします。年代層が徐々にシフトしていくと言う考えなのかも知れませんが、新しい買い手も増えていくのですから、取扱商品の幅自体を移動させていくというのは戦略的には失敗でしょう。

 半年ほど私も様子を見てみますが、もし、改善される雰囲気が感じられなければ、セシールに溜まっているポイントを全部使い切ってから、会員登録を抹消したいと思います。賽は投げられた。

最新兵器投入

 何十回も書いてきましたが、私が製図を書くときは方眼紙に鉛筆で書いて、コピーをして方眼を消し、コピーした図面をそのまま提出すると言う手段を取っています。このとき大事なのが、方眼紙なのですが、今まではA3で事が足りたのでA3の方眼紙を使っていたのですが、前回の課題から、流石にA3では間に合わなくなってきました。そこで、A3の方眼紙を二枚繋げて擬似A2の方眼紙として使ってきたのですが、アップリサンプリングすると音質が劣化するのと同じように、どんなに正確に貼り合わせても、1/10ミリ以下でずれが発生します。これが小さな範囲なら簡単にカバーできますが、そこは500ミリを優に超えるA2と言う大きさ。長い線を書くと方眼と定規がぴったりにならなくなります。
 先日、学校の購買に行ったのですが、購買の奥に今まで見たことがないサイズの方眼紙が置いてありました。そのサイズ、B1。一般的なポスターが二枚並べられるサイズです。しかしながら、私が使っている平行定規はA2まで対応ですし、A1の製図板もB1よりは小さいです。そもそも、建築業界ではB系のサイズを使わないので、B1の方眼紙を買ってもしょうがないわけです。
 もちろん、B1の方眼紙を裁断すれば、A2の方眼紙が2枚手にはいるのですが、A2に直したときの枚単価50円という、日本の物価から考えれば、とうていあり得ない数字がはじき出されてしまいます。その数字を見たとき、まだA3繋げて頑張ろう、と思っていたのです。

 しかし、事件は起こりました。足りなくなったA3の方眼紙を買いに、雪解け水御用達の業務用ショップに赴いたのですが、いつものA3方眼紙売り場のしたに、A2の方眼紙(筒入り)が100枚束で売ってあるじゃないですか。お値段2200円。枚単価22円。学校の購買より2倍もお買い得。早速、財布の中に入っている予備のお金を引っ張り出して、レジに持っていきました。

 今回の設計は、1/100レベルのサイズを求められている共同住宅なので、大きなサイズの方眼紙を大量消費するので、丁度いい機会に素晴らしい兵器を手に入れました。

 ま、私が、2次元CADを使えれば、そもそも方眼紙に書く必要もないんですけどね。パソコンをやたらと使う上に、内観図を3次元CADで仕上げる割には、2次元CADを扱えない人=鈴響雪冬。
 でも、手書きの図面を見せたとき、CADで書いたんだ、と言われるぐらい、手書き図面のクォリティーが高いのが自慢です(ぉ 。今時、何処の建築事務所でも、手書き図面なんて使わないけどね…_| ̄|○

2005年10月24日 (月曜日)

タイトル未決定

一年半 (03:01)

 レンタルサーバーの会社からメールが届いていた。契約更新のメールだ。このメールを見るのは実に二回目になる。一度目は一年前、そして、二度目は今回だ。
 一回目は半年契約、二回目からは通年契約だから、このサーバーに引っ越してから一年半という時が経つことになる。実に、サイトを運営してから四年が経つわけだから、もうすぐ半分という時を新しいサーバーで過ごしたことになる。
 元々、新しいサーバーに引っ越したのは、日記で扱うファイル容量をプロバイダーの無料スペースでまかないきれなくなったからであるから、そう言う点を考慮すれば、日記を公開するためだけにサーバーにお金を支払っているとも考えられる。まぁ、月々300円もかからないレンタルサーバー代金で、安定した環境を得られるならば、全く損はないだろう。300円なんて、新聞紙三日分にも満たない金額だ。

 一応、プロバイダーの無料スペースは20MBまで使うことが出来る。これでも元々は、5MBまでしか使えなかったのだが、後々のサービス向上によって20MBまで使えるようになった。しかしたかが20MB。今年に入ってから今日までの日記だけで22MBなのだから、今や一年の日記も支えられないぐらいだ。
 サイトのデザインも第五期目だが、装飾をHTML内部でやっていないと言うことは、HTMlファイルの容量の殆どが、私が打ち込んだテキストと言うことになる。HTMlファイルの総容量の9割がテキストだとしたら、2005年、今日までの日記のHTMLファイル容量は1.81MBだから、テキストは1.6MBになる。1.6MBと言えばどれほどの容量だろうか。丁度、“ReSin-ens”の遼風彩音ストーリーを5回読めば1.5MBぐらいにはなるだろう。文字数に置き換えれば、80万文字。薄めの文庫本10冊分ぐらいと言ったところか。毎月一冊の新刊を発行して私は一体何をするつもりなのだろう。

 最近音楽には携わっていないが、実は大きな理由がある。どうやら最近、私は音楽を聴く方が好きのようだ。もちろん聴く曲は腐敗したJ-Popではなく、下手でも気合いを入れて歌っているAKIBA-Popだ。
 私がJ-Popを毛嫌いする理由は沢山あるが、その一つに、歌手の声質がある。最近の歌手は確かに技量はあるかも知れない。昔に比べて学校も増えたし、学ぶ機会は格段に向上した。新人発掘も盛んに行われるし、そう言った意味では音楽業界は熱い。だが、声のいい歌手は格段に減った。あの独特の、耳に残るような声を持った歌手が少なすぎるのである。
 結果的にアーティストは歌の技術やダンス、顔の良さと言った方向に走るようになり、結果的に、音楽全体の質が落ちてきているのは確かだ。発売日を先に決められ、それに間に合わせるようにレコーディングをやるようになってしまったし、化学調味料(エフェクター)をふんだんに使った音楽だって当たり前の世の中。きっと、これらのことに気がつかない限り、音楽業界というのは盛り上がることはないだろう。
 一つ面白い話をしたいと思う。日本テレビ系列の夜中の番組で、新人発掘を行う番組がある。このとき、与えられる課題は自分の好きな曲を歌って貰うと言う課題なのだが、その番組を見ていて何時も思うことがある。なぜ彼らは、カラオケ的な上手さを目指すのだろうか、と。確かに、貴方の歌は模倣という点では非常に長けている。しかし、純粋なその人らしさ、すなわち、歌い手の個性を前面に出して歌う人は殆どいない。
 聞き手が模倣というレベルに落ちているのでは、どんなにクォリティーの高い音楽を作ったとしても無駄であろう。高度な芸術は高度な暗号化によって形成され、読み手には高度な符号化技術が必要だからである。

 学祭でも全く同じ事が言える。歌のコンテストを開くと集まる人はなぜかカラオケのように他のアーティストの歌い方までも模倣するような人達ばかりだ。彼らはそれで楽しいのだろうか。小説を書く人にわかりやすく説明してしまえば、他人が書いた小説を書き写すのと、自分で小説を書くのどちらが楽しいか、と言うことだ。
 模倣はどれだけクォリティーを高めても模倣でしかなく、原曲を超えることは出来ない。超えた時点で、模倣ではなくなってしまうからだ。そんな頭打ちの歌い方を彼らはいつまで続けるのであろうか。
 結局、一般ユザーまでもが歌の上手さに模倣を持ち出す時点で、音楽なんて言うのは終わっているのである。

 先ほどのオーディション番組に話を戻そう。毎週必ず合格者が出るわけではないが、合格者には決まって一つの法則性がある。それは選曲理由に、私の感情を一番出せる歌だから、というものがあるか、原曲のアーティストの歌い方にとらわれないで自分の歌い方を追求しているかのどちらかだ。選ばれる新人は個性を出している。そして、落ちる人は、カラオケ的な歌の上手さに収まっている。
 歌の上手さには二種類存在する。一つは、『他のアーティストの歌い方をまねする上手さ』。もう一つは、『自分の独創的歌い方の上手さ』である。つまり、模倣か個性かなのである。殆どの人が模倣を目指している時点で、きっと歌の上手さというのは彼らにとってその程度なのだろう。だから、今日でも何とかCDは売れている。そしてその裏で、私のような聞き手はCDから遠ざかっていくのである。

 ミキサーの感情として、嫌いな音は音量を落としてしまうと言う感情がある。ギタリスト出身のミキサーが、ギターの演奏が下手だと、少しばかり音量を低めにミックスしたりするのとよく似ている。結果的に、歌が本当に上手い人が限られているのだから、殆どの曲はボーカルを下げざるを得ない。しかし、それでは商品にならないから化学調味料で誤魔化してしまう。楽器数が増え、収録できる音のレンジが広がった今の時代、ボーカルの音を誤魔化す事なんて簡単にできるのだ。
 それに比べ、昔の曲はどうだろうか。今ほど楽器数も多くなく、収録できる音の範囲も限られている。必然とボーカルの音に注目が集まり、下手なアーティストは自然に消えていく。
 これが今と昔の違いだ。

 しかし、二つほどこの法則が当てはまらないジャンルがある。一つは純邦楽、すなわち、演歌である。演歌は日本の魂と言われる分野であり、此処に下手なアーティストが乗り込むと一瞬にして消えてしまう。
 そして、もう一つは、AKIBA-Popである。このような文章を書くと、またオタクだから、なんて言われそうだが、これにはきちんとした理由がある。
 先ほど書いたとおり、ミキサーは下手な音や気にくわない音を下げてミックスしようとする。もしAKIBA-Popが普通のジャンルならば、きっとボーカルの音はことごとく音量を下げられてしまうだろう。しかし、AKIBA-Popの世界でそれは禁じられている。なぜなら、AKIBA-Popイコール声優であり、声が主役なのである。下手でも上手くても声優の音を全面に持ち出さないと、ユザーには受け入れられない。
 結果、ボーカルの音を中心に添えたミックスダウンが行われ、音楽としてのバランスが整うことになる。一部の人には邪道と言われるかも知れないが、歌謡曲はボーカルからフィックス(ノイズ除去や補正、加工をしたりすること)するのがミックスダウンの常識だ。このとき、バランスの中心となるべきボーカルの音量が普通よりも低めだったり、変なエフェクトがかかっていたりしたら、音楽バランスがどのように崩れていくかは、DTMerならすぐに分かるだろう。
 それどころか、最近の声優は歌が上手い。演劇の仕事を積んでから声優を始めたり、声優の養成所でしっかりと発声の基本を学んでから仕事をしているからである。何処かの事務所のように顔と踊りが出来ればOKと言う世界ではないのである。
 このような流れの上にAKIBA-Popの世界が成り立っているのだから、AKIBA-Popのクォリティーが低いとは言えないのである。

 何より、AKIBA-Popはその歌を純粋に歌い手が楽しんでいるように見受けられる。マイクに向かって必死に歌おうと思っているJ-Popのアーティストなんかより、声を純粋に楽しもうとしているAKIBA-Popの声優の方が、遥かに楽しそうだ。
 そしてその楽しさが聞き手にも伝わってくる。だからこそ、AKIBA-Popは聞いていて心地いい。たとえ下手でも、楽しんで歌っている。そんな下手な歌を隠すようにミックスすることなく、しっかりと前面に押し出す。結果的にその楽しさが聞き手にまで伝わってくるのだ。

 AKIBA-Popのクォリティーが高い理由の一つに私はDTMがあると信じている。JASRAC管理曲が多いJ-Popに比べ、AKIBA-Popは個人や会社が著作権を管理し、一般的に、コピー活動やアレンジ活動が幅広く認められている。そしてそれを足がかりにしてDTMerは自分の腕を磨いていく。規制は厳しくなってはいるが、J-Popのコピー曲を作ろうとしたときよりも、AKIBA-Popのコピー曲を作ろうとしたときの方が遥かに簡単である。(未だにみずいろのコピー曲を作ろうとしたとき、ねこねこソフトの社長さん直々にメールが帰ってきたのは忘れない。)
 その結果、私達DTMerはAKIBA-Popを聞いて育ち、AKIBA-Popの技術を学ぶ。そして、その中の何割かがゲーム会社に就職したり、ゲーム音楽に携わったりする。そして彼らが新しい時代を築き上げていく。
 しかし、J-Popではそうはいかない。インターネット上での演奏データですら配布が許させない曲が大多数のJ-Popでは、自分達の曲を公の場所で発表するのはライブハウスか路上ライブしかない。しかも、非営利に限って、である。結果的にそれが、酷評を貰い成長すると言う過程を奪う事になるし、そもそも、切磋琢磨しようとする気力をそぎ、全体のクォリティーが下がっていってしまう原因になる。そんな彼らが今後のJ-Popを引っ張っていくとしたら、私は非常に嘆かわしいことだと考える。

 もちろん、J-Popの全てのアーティストがヘタレだとは言わない。しかし、その割合があまりにも多すぎるのである。そんな彼らの曲を聴くよりだったら、研ナオコの“カモメはカモメ”を聞いていた方が数億倍は癒されるし、チェッカーズの“涙のリクエスト”を聞いていた方が数百倍は元気になる。
 きっと、J-Popの作り手や歌い手、レコード会社の人達がこの事に気がつかない限り、CDの売り上げはどんどん下がっていくだろう。

 話が銀河の彼方までずれたが、私はこうして数多くの文章をインターネットという広大な世界に投げ捨ててきた。むろん、全てのログは残してあるから、投げ捨ててきたと言う表現は可笑しいかも知れないが、投げ捨てられているも同然である。
 それはなぜか。
 それは、文章は消費される物だからである。くしくもインターネットは未だに文字を中心とした世界である。見た目は変化しても、その本質は草の根BBSやPC-VANの時代から全く変わっていない。だからこそ、文字は大量に生産され、大量に消費される。
 ニュースサイトが面白い記事を紹介し、それを頼りにイナゴのように読者が殺到し、後には転送量が多かったというログが残るだけである。誰もサイトの名前なんて記憶にとどめないし、内容なんて一年もすれば会話の中から忘れ去られる。
 そんな世界で私はなぜ、こうして文章を打ち続けるのであろうか。

 自虐ネタがやりたいわけではない。自分を自慢したわけでもない。もしかしたら、そこに理由なんて存在しなくて、ただひたすら沈黙のオーディエンスに向かって言葉を発し続けるのが好きなのかも知れない。
 しかし、そんな我が儘で独りよがりで自己中心的な垂れ流しされる文章を柄杓で掬って読んでくれる読者がいる。それは筆舌に尽くしがたい喜びであり、私の行動が否定されていないことを示している。
 ならば、私はまだまだ続けていようと思う。もし私の発する文章がエンターティメントになるならばそれは著者として喜びの一つであるし、それによって何かが変わったとしたら、最大の幸せだからだ。

曲: 2001年のゲーム・キッス
歌: 桃井はるこ
出典: 不明

土曜日も平日

 私の学校は土曜日も授業があるのですが、土曜日と言っても、授業時間数は変わらず6時間。きちんと20時50分まで授業が存在します。土曜日も平日、と言う感じですね。
 ただ、強いて言うなら、土曜日は夜学の人の授業が中心なので、人が凄く少ないことが特徴。どうも私の学校は、昼と夜で学生の精神年齢が違うらしく、昼間の人中心の授業に出るとそのうるさいことうるさいこと。確かに夜間主は社会人が半分はいますから、平均年齢は高いですけど、それになじむかのように昼間の人と同じぐらいの人も自然と落ち着いていくのかな、と。

 現実問題、夜の授業に出ている人はアルバイトや仕事などを兼業している人が多いので、そう言う点では、社会で揉まれていると言えるでしょう。
 私が夜を選んだ理由は、昼間の間に建築の勉強をするためですから、特に仕事などはしていませんが、他の人より時間を多く使えるため、建築関係の本を読むにはぴったりの空き時間です。むろん、課題が始まると課題をするための時間になりますが。

 土曜日の授業と言えば、建築設計特論。これは集中講義ですので、一ヶ月で単位を取れる分だけの授業をしてしまうと言う授業なのですが、3限から6限までの360分ぶち抜きの授業です。ビデオの三倍録画で何とか録画可能、と言う感じですね。
 初めは取ろうと思ったのですが、流石に土曜日をまるまる持って行かれると、建築設計4に響くので、取るのをやめました。

 あっ、あれ? 何のひねりもないただの日記になったぞ。
 こ、こういうときは…(>ワ<)<パチュリー!!

曲: drizzly rain
歌: myu
出典: 東方ストライク

ついでにリニューアル?

 一太郎を導入するに当たって、次の作品からは全て一太郎による装幀作業にする、という予定でしたが、息の長い作品や新しい作品に限っては、一太郎のデータを作り直す、と言う計画を立て、“アクロス・ザ・タイム”と“光になりたい”を新しく作り直しているのですが、このついでに、短編小説の処遇を変えようかなと思い始めました。
 今までは短編小説はコピー本、と言う形を取ってきたのですが、もしこれをA5サイズの小さな本にすれば、読みやすいんだろうな、と思うのです。事実、短編小説や短編小説集は30ページ以下になるのが雪解け水の基準ですが、B5コピー本の30ページ、と言うのはどうしてもペライんです。(地方の基準に合わせれば凄いボリュームですけど(苦笑)。)それに加え、もっと現実的な話をしておけば、何時までもコピー本でやっていけるはずがないんですよね、創作文芸の世界では。
 こっちに来てから思ったのですが、創作文芸のサークル数が地方よりも多い分、クォリティーの高いサークルが多く、最低でもレーザプリンタ出力、と言うサークルが圧倒的で、それこそ創作オンリーのイベントに出れば、コピー本なんてまず目にしません。そう言う雰囲気の中でコピー本を作っているのは何となく恥ずかしい物があります。

 丁度、在庫もなくなりつつありますし、短編小説はA5サイズで、と言う方向で行ってみたいと思います。とりあえずは、いつもの紙屋さんで値段をチェキチェキ!
 単純に、ページ単価が半分になれば、A5サイズになった弊害でページ数が倍になっても値段はそのままに出来ますね。余白というのは面白い物で、B5の本をB6にしたときではなくA5にしたとき、ようやくB5の半分の文字数が収録できるようになるそうです。

 B5(JIS)の大きさは、182ミリ×257ミリ。
 単純に、余白を四隅20ミリで取ったら、収録可能部分面積は142ミリ×217ミリ。面積にして、30380平方ミリメートル。
 B6(JIS)の大きさは、182ミリ×128ミリ。
 単純に、余白を四隅20ミリで取ったら、収録可能部分面積は142ミリ×88ミリ。面積にして、12496平方ミリメートル。
 B5の場合の半分は151690だから、B6サイズより大きくなり、B6サイズはB5の半分以下しか収録できないと言うことになる。

 A5の大きさは、148×210ミリ。
 単純に、余白を四隅20ミリで取ったら、収録可能部分面積は108ミリ×170ミリ。面積にして、180360平方ミリメートル。
 B5の半分の場合は151690平方ミリメートルだから、A5の方が大きくなり、B5の半分よりもA5のほうが文字数を多く収録できる。

 コピー本の場合は、コピーしても文字がつぶれないように大きめのフォントを利用しているから、通常サイズのフォントに戻すことが出来るようになったとすると、ページ当たりの文字数が増えるから、結果的に本全体のページ数が減り、価格が安くなる。印刷が家で出来るようになるから、手間も省けて、読者も作者もハッピーハッピー。

装幀第5版

 上で書いたので勢いで書きますが、新しい本からは装幀が若干変わります。

 と言う雰囲気で、近年まれに見る大リニューアルです。別に、新しい風を吹き込む、と言うわけではないですが、本作りから遠ざかっていたこともあって、その間に色々と現実を把握し、少しばかり周りの位置に追いつかないといけない、と思い始めたのが理由です。そのうち、レーザープリンタ出力になって、最後はオフセットになったりするかも知れません。
 ともあれ、まだまだサークルとしては活動する気満々ですので、よろしくお願いします。

 ここのところ、サイトのリニューアルや冊子のリニューアルと、リニューアル続きで、作品がおろそかになっているというのは自分でも把握していますし、皆さんに申し訳ないとも思っているのですが、新たなる自分の表現方法を追求するための準備ですので、今しばらくおつきあいいただけると幸いです。

初出: 2005年10月17日
更新: 2005年10月30日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

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