Top > 読み物 > 日記 > 2005年8月 -1冊目-
よっぽどマニアックな人や歴史学者ぐらいしか読まない、都市の歴史を書いた書物、すなわち『●●市史』を読む生活が一週間近く続きましたが、建築史3のレポートの一つがようやく片づきました。もう一つのレポートは論文を読んでそれをまとめたり、自分の考えを述べたりする物なので、こちらは数時間で片が付く予定。起きてからやります。
レポートが完成した反動でテンションがあがり、ちょうどMSNを起動していたので、『今夜は私が貴方の夜食。甘い気分にさせて上げるから、食べて食べて~(はぁと』と、一言目にしゃべって話しかけようと思ったのですが、このような台詞に対して反応をする機能を実装した人がオンラインにいなかったのであきらめました。
愛用のフォトショップたんが「そんな長いの無理だよぉ…お兄ちゃん………」と弱音を吐いて、2.8メートルの印刷物を印刷しようとするとエラーを起こすので、標準搭載にして最強の印刷ソフト“ペイント”で長尺の印刷をしています。ペイントは大きな印刷物は用紙に入らない時には勝手に分割印刷してくれるので、等身大ポスターの画像が手に入った時は、ペイントで開いて印刷するだけで分割印刷をしてくれる優れものソフトなのです。
それにしても…作れるのに印刷できないとは…フォトショップ………。
不肖にも私、ぽつぽつとごく稀に絵を描いたりすることがあるのですが、その絵のへたれ具合と言ったらもう…雪解け水のメンバーには大きく引き離されてしまうわけです。二重影さんも神薙さんももとから絵を描くので、普段書かない私がその二人と比べたら下手というのは当たり前なことです。
さて、授業時間のこと。何時もスライドを使って進む授業があるのですが、時間帯(20時)と部屋が暗いのが共同攻撃を仕掛けてくるのです。そう、睡魔という名の共同攻撃を………。こういう時の眠気覚ましが渡されたプリントに絵を描くこと。とにかく手を動かして眠気をごまかそうという作戦です。小説を書き始めると夢中になってしまいますし、何もしないと眠くなってしまいます。そこで私にとって中間領域にある絵を描くという動きをして眠気を覚まそうとするのです。
そして、生成された絵を消さぬままやがて忘れ去られ、テスト勉強をする次期になります。そう………プリントを見返すと出てくるのですよ、あの絵が………。八割以上の確率で黒髪ロングにセーラー服の少女という奇々怪々な絵が………。そんな絵を見た瞬間のフラッシュバックと言ったら強烈でして、「さぁべんきょうしようかな♪」と言うテンションを玉砕してくれます。如何せん、プリントの内容は建築力学というなの超硬派な内容。これさえ覚えたら仕事にも使えるという上級知識を説明した文章の隣に、へたれ絵があるわけです。そのギャップと言ったらもう………。
………もはや慣れたので何ともないのですが………。
壁紙変更。………三期連続那波たん………。現在最強。
少し真面目な話もしておきますか。
萌えるデスクトップを構築するため、と言う理由が主だって居るのですが、職人さんが作った壁紙を集めるのが大好きです。元々収集癖があるので、ファイルを集めるというのにも適用されているようです。その影響で、ゲームの告知ムービーなどものすごい量になっています。
閑話休題。職人さんが造り上げる壁紙というのは非常にレベルが高く、メーカーが公式として配布する壁紙より遥かに美しく、それで居て、長い間デスクトップを飾ることが出来るだけの洗練されたデザインを見ることが出来ます。この壁紙により、私はデスクトップを萌え萌えデザインにすることが可能なのです。
しかし、壁紙を集めるのはそれだけが目的ではありません。デザインを学ぶためと言うのも理由に含まれています。これらのデザインは私の脳みその中に蓄えられ、何かあったときに使われます。例えば、パネルでのプレゼンテーションなどに用いるデザインは、これら壁紙から学んだことが多いです。
しかし、この手法による学び方は一方では非常に脆い面を見せます。それは同人誌の表紙を作る時です。壁紙は全て横長に作られていますが、同人誌は縦長です。横長に作っている物を参考にして縦長の物を作ろうとすると、必ずどこかでデザインに破綻が起こります。それに加え、パソコンのデスクトップのアスペクト比は基本的に、4:3です。しかし、B5サイズは、1:1.618と言う黄金比を取っています。たとえ参考基のデザインを回転させて縦長にしたとしてもプロポーションという点で崩れます。
しかも、世の中は殆ど横文字によって構成され、周りのデザインも横文字にあふれています。新聞を読む私はまだましですが、それ以外の方は横文字を中心に世界が回っていると言っても同然です。私は建築の参考書籍を買う時も横文字は疲れるので出来るだけ縦書きで構成されている物を選んでしまう癖があります。そんな縦書き好きの私でも、縦書き向けのデザインを考える時は非常に頭を悩ませます。
先日、ストレス解消がてらReSin-ensの表紙を考えていた時、浮かんだアイディアが横長だったことにショックを覚えたました。ストレス解消と書くと意味として悪く取られがちですが、気分転換と思ってください。レポートを書いていて頭が疲れてきたので、“ReSin-ens”の表紙を作ろうと思い立って、フォトショップを起動し、用紙配置を縦置きに設定したまではいいのですが、頭に浮かんだデザインが横長のデザインだったと言うわけです。結局、少し考え直して縦長の配置に収めることに成功したのですが、流石にこれには落ち込みました。
結局、横書きの文章になれてしまっていると言うことでしょう。このサイトの日記すら横書きですからね。ブラウザがCSSに完全対応してくれれば縦書きデザインも簡単なのですが………。
建築史3のレポートの、論文要点抽出作業ですが、ATOKたんに非常に助けられています。ATOKは長い文章の変換に適していると聞いていたのですが、今日初めてその神髄をかいま見ました。
変換精度が本当に凄いのです。一文、すなわち“句点”がくるまでの文章(3行ほど)を入力して、変換キーを押すと、殆ど一発で全ての単語が漢字変換されるのです。文中にはあまり用いることもない単語や句読点も入力しているのですが、それらの単語もスムーズに変換してくれます。これだけ変換精度が高いなら初めから一文丸ごと入力して変換するという作業になれておけば良かったと後悔するほどです。
これだけ変換精度が高いからこそ気になる誤入力すなわちミスタッチですが、これは修練によって回避可能ですし、一昔前の私とは違います。
ATOKがパートナーなら、スーパーブラインドタッチ(画面を見ずに原稿だけを見てキーを入力。変換はもちろんIME任せ)も容易に出来るというものです。
しかし…久しぶりに古い文章(戦後直後)を読んでいるので、意味の解釈には少し困りますが、知らない漢字もすらすら読めるという特殊能力を活かして、辞書を引きながら読み進めています。このあたりは書道をやっていた影響ですね。漢字はそもそも偏(へん)と旁(つくり)から出来ていますけど、基本的にどちらかの読み方が漢字そのものの読み方として成り立つように構成されています。この法則と、前後の文章、そして、脳内語彙辞典を照らし合わせれば、声に出してすらすら読むと言うことは難しくても、脳内で再構築して現代風の文章に置き換え、同時にワードに入力していくと言う作業ぐらいなら簡単にできるというものです。
それにしても…ものすごい勢いで入力しています………。既に5000文字を突破しそうですが、この文字数に達するまでに要した時間は、純粋な作業時間だけに置き換えると四時間もかかっていないでしょうね。脳内に浮かんだ文章を入力するのではなく、文献を読んでその文献の重要なところだけを文章化する作業なので、多少なりとも時間はかかっていますけど、それにしても十分早いほうだと思います。テンションもあがってきたかな。明日テストだけどね………。
【みいな】 「そもそも、明日提出の課題を必死になって今やっている方が問題だと思いますけど。」
【雪冬】 「それは設計3の影響ですからあきらめてください。」
【みいな】 「ATOKさんも、いつになくものすごい処理量に達しているのでとうしていることか…。」
【ATOK】 「私としてはうれしいくらいですよ。最近ろくに小説も書いていないから暇でしたし。」
【雪冬】 「うわ…手厳しいわね…。」
【みいな】 「とりあえず、頑張ってくださいね。」
【雪冬】 「あっ、そうだ。パディングに、『コンビニに行ってアイスを買ってきて』って頼んでおいて。」
【みいな】 「ブドウ糖補給ですね。了解しました。」
どうやら私のメールアドレスにもようやく迷惑メールが来るようになったようで、サンダバコが必死になって分別しております。
しかし………そんなに反撃を受けたいですかね…。自宅サーバーを構築できる(クリック一つで起動完了)私にとってメールアドレスは発行数無制限なのですが…いざとなれば
PHP と連携して反撃したりできますし………。
去年の12月からのサイトにおける詳細なアクセスログも全て残っていますし、怪しいIPアドレスリストを構築するなんて訳のない作業です。いざとなったら、特定のIPアドレスに対して接続元にリダイレクトさせる事も可能です(このサイトにアクセスしようとしているのに自分自信のパソコンにアクセスさせる)。
さて………、どの手段がまずはぴったりかな? とりあえず、HTMLタグの書き換えから行きますか。
そもそも、スパムメールは全てサンダバコが分類し切れているので、見ようと思わない限り見ることもないのですがね(笑)。たまに興味本位で(ネタになるかを調べるため)覗いてしまうわけです。
しまった!
サイト内の比較的古い次期に書いた記事にメールアドレスがエンティティもされずに記述されているものがありました。これが元凶ですか………。
少し日記の文体が乱れてきたような気がするので修正していきたいと思います。乱れた文体は後から見返した時に落ち込みますし、何より他の方が読んだ時にため息が出ますから。
そもそも、言い切る形の“だ・である調”を使う場面はそれほど多くありません。小説も私は基本的に“です・ます調”で書いていますし、プレゼンテーションをする時もそちらになります。と言うことは、“です・ます調”に慣れておいた方がパソコンで文章を打つ上ではよりよいと言うことになります。
文は書き手の心を示す………心がささくれているのかな?
………………………。
今日のテストで私は悟りました。たとえどんなに必死に勉強しても、“微分積分学1”の単位を取得することが出来ないことを………。鬱だ。やめたい………。
“ペンだこ”というレベルではなくて、文字の書きすぎで腕が筋肉痛になっているのに、それでも私は微積の世界を数値的に理解することが出来ないようです………………………。
タイトルが、“Kanon”の楽曲、“笑顔の向こうに”にリズムが似ていますが、そこは気にせず。(言わなきゃ誰も気にしない)。
成績の悪さと勉強の疲れと腕のだるさからふて寝をした結果、タイマーでエアコンを設定するのを忘れ、朝、ものすごく気持ちの悪い目覚めをした鈴響です。そのまま起きてしまいました。ただいま5時半。
何故寝る前にエアコンをセットするかと言いますと、我が家には年間300日は動き続ける暖房器具(パソコン)が二台ありますから…。よりにもよって、北森林搭載で、熱もばっちり。プレスコットじゃないのがせめてもの救いでしょうか。
テスト期間もようやく今日で終わり。今日の教科は一教科だけですからだいぶ気分が楽です。しかも、私が好きな“都市計画”系の学問。すこしはやる気が出てきました。ちなみに、昨日の微積に対するショックは何処吹く風。回復能力が早いのは昔からの特徴です。
回復能力と言えば、私は怒りっぽくありません。怒りを溜めていると言うよりは、アースしていると言う感覚が正しいと思います。最後に本気で怒ったのはたぶん、九年前ぐらいになるのではないでしょうか。あのとき以来暴れた記憶がありません。
うん、大和撫子を目指さなきゃ(違)。
内部のウインドウタイトルはファイル名になっていますが、ファイル名の隣の縮尺率に注目してください。3%に縮小してようやく画面ないに収まるサイズです。いつもより解像度を低くしているので、本来ならもう少し大きいのですが、メモリの都合で荒くしてあります。
先日書いたとおり、結局フォトショップの許容値を超えたのかドライバの不具合かは分かりませんが、印刷が直接できなかったので、ペイントで印刷しました。長いだけあって、印刷の時間も桁違いでした………。
大変なことに気がついたと同時に少し落ち込みました。よくよく聞いてみると、I'veの楽曲、“乙女心+√ネコミミ=∞”のAメロでスネアドラムを一度も叩いていないようです。それに加え、スネアが使われるのはメロディーの展開とサビの部分だけと言っても過言ではありません。つまり、無いも同然ということです。リズムを作る要素であるスネアドラムをここまで省いてもリズムを作ることが出来ると言うその技術(技法)習得してみたいものがあります。
そもそも、あれだけ楽器が多くてもまとめ込めると言うこと自体に脱帽ですね。
今回はどちらかというとネタ方面です。えっ? 何時もネタじゃないか、って? 失礼な。普段は至って真面目なコンテンツです。
ネットの純粋な出会いに憧れてます。
http://****************
オタクの人とかも、一生懸命なところが母性本能をくすぐるんですよね…。
私はエルメスみたいに端正な人じゃないかもだけど…
よければ、私達もネットから恋愛始めてみませんか?
連絡先の交換とか、したいです。20050803115552.7016.qmail@mail.kiss-and-kiss.com
メールの後半に爆笑。ある意味ここまで良質なスパムメールは初めて貰いました。日本全国数百万人のオタクに捧げたい名文が………。オタクの人とかも、一生懸命なところが母性本能をくすぐるんですよね…
って…あなた………。
まぁ、『オタクの人とかも』という部分に突っ込みたい気持ちは山々ですけど、とにかく後半の文章がすばらしいです。世の中甘く見すぎなところがすばらしいです。
一生懸命なところが母性本能をくすぐるんですよね…? …本当にそれでいいのですか? 一生懸命ですよ、本当に………。「鎖骨を表現するのにトーンを二枚重ねにしました!」とか「堂本君の責められるところがきゅんきゅん」とか「幼女萌え!」とか「スク水はぁはぁ」とか「やっぱり今は801でしょ」とか『コミックマーケットの肉壁突破』とか………本当に一生懸命ですよ? 母性本能…くすぐりますか?
いや、まぁ、貴方がそういうならいいですけどね………。きっと、嫉妬すると思うよ………オタクが愛するキャラクターに(笑)。
オタクの恋人は必ずどちらかに別れます。オタクか一般人か。まぁ、これは全てに当てはまるわけですけど、片方がオタクの場合はその意味性が大きく異なってきます。ちなみに私の相手は前者に当てはまるわけですが、それぞれジャンルが違うので不可侵なところもあります。
少し想像しておもしろそうだと思ったのは、百合好きな男性と801が好きな女性のカップルって…どうなるんだろうな、と。他にも、責め好きと受け好きとか…。
オタク同士の恋愛の最高峰を指し示す便利な単語が日本にはあります。
『コミ結婚』。
つまり、コミケ会場を含むイベント会場で出会ったカップルが結婚するというパターンです。毎年コミケのカタログのMRに、「コミ結婚しました~」なんていう報告がいくつかあるのを見ると、結構多いのかなと思います。
自己主張が強い…特に、自分のジャンルを貶された時の反撃が強いオタク同士が結婚すると言うことは、相当相性が良くないと出来ないと思います。または、趣味には完全に不可侵とするかのどちらかでしょう。
何よりも特筆すべき事は、あれだけ野蛮な会場(コラ)において、カップルが成立しうると言うこと。あぁ、愛って凄いな。
………慣れない言葉なんて使うものじゃないですね。
あっ、すっかり忘れていましたけど、少しばかり突っ込んでおきましょう。
『ネットの純粋な出会い』ってどういう意味でしょうか。『ネットの』と、“ネット”の後に助詞を付けていることから、その後に続く“出会い”と繋がっているのでしょうけど、閾値を上げた判断をすればこの文章は意味不明です。どちらかというと、『ネット上での純粋な出会い』のほうがいいと思います。ネットの出会い…って………情報がルーターに出会う瞬間? そもそも、貴方がこうして無差別にメールを送った時点で純粋な出会いではないような………。
ちなみに、電車男の出会いはネットではなく電車の中です。電車男でのネットの用いられ方は、男の方が『どうすれば彼女の気を引けるか』と尋ねただけで、ネット上で出会ったわけではありません。と言うことは、このメールは勘違いによって構成されたメールと言うことになり、文章的価値がなくなってしまいます。
そもそも、『純粋な出会い』と言う言葉の意味がよく理解できません。“純粋”と言う言葉には、『混じりけのない』と言う意味が当てはまりますが、『混じりけのない出会い』と置き換えてみるともはや意味が通じなくなります。無理矢理解釈して、『私欲などが無い出会い』とも取ることが出来ますけど、そうなるとちょっと脳内補完の度数が増えてきます。
最近、小難しい単語を使ったり綺麗な単語を使えば、文章がかっこよくなると思っている人が居ますけど、見た目のかっこよさに騙されるほど私を含めた読み手は馬鹿ではありません。
『私はエルメスみたいに端正な人じゃないかもだけど
』とありますが、端正かどうかは分かりません。映画は映画です。実際どんな人かは各種メディアに出てきていないので一切不明です。勝手に脳内補完しないでください。
それに加え、最近このような文章を作る人が多くて個人的にはどうなのだろうと思うのですが、『端正な人じゃないかもだけど』という部分です。“かも”と“だけど”という単語は綺麗に繋がりません。普通は、『端正な人じゃないかもしれないけど』とするはずです。または完全に区切る、すなわち、『端正な人じゃないかも、だけど』とするかのどちらかです。ただし、この文章の後に次の文章をつなげる必要がありますが………。(“だけど”で終わらせた場合、「だけどなによ」とツッコミを入れられます。)
このような現象が起こる理由は不明ですが、語彙が足りないのかもしれません。つまり『端正な人じゃないかもしれないけど』と言う文章を構成するためには、四つの単語、すなわち、“端正な”、“人じゃ”、“ない”、“かも”、“しれない”、“けど”の六つを用いるのですが、この中のどれか一つでも知らなければこの文章を作ることが出来ません。
それに対して、『端正な人じゃないかもだけど』と言う文章は、“端正な”、“人じゃ”、“ない”、“かも”、“だけど”と言う五つの単語を用いています。しかし、この単語、よく見ると、普段よく使う単語ではありませんか? 統計を取っていない時点で確証はゼロですけど、“しれないけど”と言う単語より“かも”の方が多く用いられるような気がしませんか?
つまり、単語のレベルで言えば、後者の文章に使われている単語の使われる頻度は多く、知らないはずは無い単語になります。言い換えれば、誰もが知っているレベルの安易な単語と言うことになります。この文章を何度か繰り返して読んでいるうちに、きっとこのような感想に辿り着くはずです。『知っている単語をつなげているだけだね』と言う感想に………。
もちろん、あえてこのような文章にしている可能性もありますけど、多くの書き手は、『この人は言葉を知らないんだな』と思ってしまうでしょう。
もしかしたら、近年の若年層の言葉の特徴である、『文章をだらだら歯切れ悪くとつなげる』と言う特徴が現れているのかも知れません。つまり、『昨日ねー、渋谷でねー、彼氏とねー、待ち合わしてたんだけどねー、彼氏が遅れて来ちゃってさー、マジむかついたんだけどー』と言う文章を作るという意味です。もちろん、不必要な単語を削った場合、『昨日渋谷で彼氏と待ち合わせしてたんだけど、彼氏が遅れちゃってマジでむかついたんだけど』と出来ます。前者はある一定の長さごと(意味を広げれば単語ごととも言える)に文章を区切っています。つまり、文章を端的につなげることをしない(または出来ない)といえます。このような結果、文章を綺麗に繋ぐための助詞や単語を使わなくなり、文章を上手くまとめる力がなくなっている可能性があります。
ちなみに極論ですけど、文章を一区切りごとに区切って、『でねー』と入れると、簡単にコギャル(死語)言葉が再現できてしまうんですよね。『私ねー、音瀬みいなって言うんだけどねー、これからよろしくねー』………ごめんなさい。調子に乗りすぎました。
もちろん、これは私の年代層から見た結果で、その当人の年代においては標準なのかも知れませんが。………まっ、このメールを送ってきているのはどこかの会社に所属する(または雇われている)私より年上の人達でしょうけど(苦笑)。
一応補足しておきますけど、例文は対比という意味で何時もと違う文体を用いました。私が何時も使う文体を使って例文を提示するなら、『端正な人ではないかも知れないけど』とするか、『端正な人ではないかも知れないですが』とするはずです。
『連絡先の交換とか、したいです
』という部分は、『ジャパネットたかた戦略』とでも呼んでおきましょうか。ジャパネットたかた戦略というのは私が勝手に名付けたのですが、ジャパネットの社長さんは、助詞を省いて文章のテンポを良くして自分の言いたいことをわかりやすくそれも端的に言い表そうとしています。そのような行動を、ジャパネットたかた戦略と呼んでいます。
ここでは本来『連絡先の交換とかがしたいです』とするべきところを、『連絡先の交換とか、したいです』とし、助詞を省いています。これは文体を変化させる効果を持ち合わせるので、文章を強調する上で有効な手段といえましょう。………句読点を使っているので意味は皆無ですけど。
世の中感情すらもエネルギー保存の法則で成り立っているのではないかと思う事件がありました。
ある夏の昼下がり。気温は三十度後半。アスファルトを太陽が焼き尽くし、車のタイヤが解けるという事象が起こりうるこの炎天下、信号の下で私は、トラック、普通乗用車の後に続いて自転車に乗った状態で信号待ちをしていました。その信号機は感応式信号ですので、比較的早めに切り替わるのですが、どうも今日ばかりはちょっと長めに待っているような気がしていました。そんな時、一台の車が私の後ろに止まりました。ちらりと確認したのですが、見るからに厨房が大好きな車でした。一言で言うならば、ちゃらんぽらんな人が乗っていそうなスポーツカーでした。中にいる人もいかにも、と言う感じの人種で、年齢で言えば、二十代前半。一番騒ぎたいお年頃でしょうか。
そんな四人の運転手が信号を待っていました。私が止まってからすでに二分以上が立つような気がしています。前にトラックが居るのと、道が曲がっている影響で信号機はよく見えません。あまりにも遅いので運転手が眠っているのではないかと思ったのですが、とりあえず、そんな思考をかき消しておきました。
さて、しびれを切らしたスポーツカーの運転手。何を思ったのかクラクションを鳴らし始めました。その直前から無駄にエンジンを吹かしていたので、嫌な予感があったのですが、予想通りでした。突っ込んできたら自転車をフロントガラスにぶつけようと思っていたのですが、流石にそこまでする度胸はなかったようなので、『文句があるなら警察署に行って信号機の時間を変えてもらえよ』と思ったぐらいにして、厨房への対抗策、『スルー』を決め込みただ黙々と信号が変わるのを待っていました。
私の感情特性としては、負の感情を受け流すどころか、そもそも感じていないのではないかというぐらい、冷静です。ちょっと嫌なことがあっても次の日には眠っていると言うぐらい感情が穏やかです。
三分ぐらい経ってから信号機はようやく青になり、一番先頭の車が発進し、それに続くように私も走り始めました。もちろん三分というのは感覚時間ですから、夏の暑さの影響で長めに解釈している可能性もあります。さて、交差点を抜けた頃、そのスポーツカー、まだストレスが解消しきれなかったらしく、もう一度クラクションを鳴らしながら走り去っていきました。
そんな夏の日のこと。
長い信号機に対してイライラする運転手が、今日を生きる気力を無くしている時、
その感情を受け流し、今日の日記にしようと誓った人が居る。
サイトの管理人が、今日の出来事をサーバーにアップした時、
ある閲覧者が、その記事を読んで、笑い、今日を生きる活力に変換している。
この世の感情は、何時もエネルギー保存の法則で出来ている。
誰かが笑い、誰かが泣く。
そうして、僕達は生きていく。
ある厨房が、イライラしてクラクションを鳴らして、「だるい~」といいながら、生きる気力を減らした時、私がその感情を完全にスルーし、日記に書く。その日記を誰かが読んで、馬鹿にして、今日を生きる活力にする。
あぁ、エネルギー保存の法則は、私達の感情にまで影響しているのだ。
青森のメンバーさん。拉致されたらごめんなさい。
予備の鞄ですか? そうですね…コミケでの戦利品が多くなるようならば予備の鞄は必要だと思います。ちなみに私は今回も、鞄二つ体制で行く予定です。
http://para-site.net/up/data/4214.jpg
アップローダーのファイルに直リンクしておきます。もしかしたらすぐ消えるかも。
この記事おもしろいの何の。だって、『ねえ、いいの。そんなにオタクをもてはやしちゃって』っていう部分。もてはやしているのはあなた達マスコミでしょ? この自己矛盾。もしかしたら、一段落に一つはありそうな勢いです。しかも、ドラマ電車男で表現したのは、『オタクを脱しないともてない』と言うことであって、『オタクの状態でもてる』とは一言も言っていないのです。別にオタク達は、オタクのままでもてるとは一つも思っていなくて、もてるためにはオタクから脱出しないといけないと言うこともきちんと認識しています。一番認識できていないのは、あなた達コラムニストとマスコミ。
しかも、この記事の最後でもう一つ大きなミスを。『オタクが完璧な美女と? ありえねー』と言う部分。や、だから、電車男で秒指されたオタクは、オタクから脱出した状態で彼女に告白しているはずです。つまり、一般人の状態になって完璧な美女を手に入れたわけで………。
記事を書いている割には現状をきちんと把握し切れていない室井祐月氏でした。
ちなみにこの文章、先ほど引用した部分である、『ねえ、いいの。そんなにオタクをもてはやしちゃって』というところですけど………そういう貴方だって、オタクに関する記事を書いて原稿料を貰っているわけですから、人のこと言えないのです。
しかし………この記事…。ものすごく頭が悪そうな文体ですよね。何となく、『芸術家にも技術者にもなれない余り者がへたれ評論家になる』と言う一説を思い出すような記事でした。
こういう文章は、読んだとしても説得力がないので全く頭に残らない文章です。新聞と言うメディアは文字の洪水ですから、その中に埋もれてしまい、大量消費される文章に成り下がるわけですね。まぁ、こうして一部の管理人さんには取り上げられましたけど。
先日、メイドさんが奉仕をしてくれるというホテルがつぶれましたけど、あれもオタク産業をにらんで造ったホテルでしょうけど、いい失敗例でしたよね。メイドカフェが成功したのは、やはり、秋葉原という立地と、それによりオタクの生活にメイド喫茶に行くという流れをねじ込むことに成功したからだと思います。後は、好きな物にはお金を出し惜しまない一般消費者というオタクの特性を上手くつかむことに成功したのです。このホテルの最大の失敗はやはり、熱海という立地。オタクの誰が熱海まで行ってサービスを受けたいと思うのかということです。それこそ、コミケを熱海でやるならまだしも、あれだけ交通の便の悪い場所まで行ってメイドさんに会うよりだったら、本もゲームも同人誌も揃う秋葉原で、メイドさんにあったほうが気楽というものです。それに、いざとなればオタクには二次元(画面やイラスト)や一次元(妄想)がありますからね。
結果的に、オタクを使えば金儲けが出来るという安直な考えでメイドを導入したと思われるホテルがつぶれたと言うことは、これからのオタク産業に進出してくる企業に対して、『オタクは何にでもお金を落とす生き物ではない』と言う事を示す良い見本になったと言えますね。
………どっちかというと、コミケ開催期間限定で、どこかのビジネスホテルがフロントガールにメイド服を着せただけのほうが、売り上げは伸びると思うんですけど(笑)。
海外の文献を引用して自分の考えを言う人より、自分の体験談に基づいた自分の考えを言う人の方が遥かに説得力が高い、と言うことは何度か書きましたけど、夏期講習の先生が後者に属する先生なので結構好きになれるかも知れません。
そもそも、日本木造建築はそれこそ世界最高峰の技術を持っていましたけど、今日ではドイツに追い抜かれてしまい、いつの間にか日本の住宅の品質はどんどんと落ちてきています。それに危機感を覚えた人達は海外で建築事情を学び、そこで学んだことを地域の人々に還元しています。しかし、ドイツで学んだ知識というのは、日本にそのまま適応できるとは限りません。往々にして、そのまま当てはまらないことだらけです。それに加え、日本国外のドイツという国は、殆どの人には漠然としたイメージしか存在せず、どれだけドイツの建築が優れていると主張したところで、一般人には伝わりません。それに加え、一般の人というのは自分が住んでいる家についての知識は皆無ですから、何が凄いかと言うことも分かりません。
だから、海外の文献や海外の写真を利用して自分の意見を言う人は、自分の体験談を元にして意見を言う人よりも説得力に欠けるのです。
それに対して、日本の建築を真摯に見つめ直して、本当によいのは何だろうかと追求する人達が居ます。その人達の言うことは、日本の考えから生まれた日本的な意見であり、簡単に把握することが出来、また、私達の生活に非常に適している意見であることが多いです。それに、身近なところから見つかる発見ですから、説得力も高いです。
以上のような論理により、私は、海外の文献を積極的に引用して自分の意見を言おうとする人より、自分の体験談を元にして自分の意見を言うような人が大好きです。それに、文献を引用した時点で、それは自分の意見ではなく、他人の意見ですからね。
コンロを使って昼ご飯を作っている時のこと。鍋から煙が出るのではなく、コンロ本体から煙が出てきました。流石に驚いたので、コンセントを引っこ抜いて、管理センターにお電話。月曜日に業者が来るとのこと …。
ほぼ毎日自炊をするので、既に2000回近く使われたコンロ。自炊をする人が少ないと言うことで比較的軟弱なものが取り付けられているようですが、その欠点が今になって出てきましたね。
ハピマテのCDを買った時、店員さんがCDを探すのに時間をかけるなか、聞こえてきた店員同士の会話。
【店員A】 「ねぇ、これ、どれがアーティスト名?」
【店員b】 「えっとね………。ここからがそうじゃない?」
正しいアーティスト名は、“麻帆良学園中等部2-A”なのですが…ジャケットに書いてある“麻帆良学園中等部2-A”の文字列のしたには、歌っているアーティストが全員………すなわち31人分の名前が乗っているわけで…。
新譜の作品は表には置かずレジ裏の在庫のところにおいているのですが、アーティスト名で陳列しているようでした。あとは………“麻”の読み方で悩んでいたとか…?
名探偵コナンと世界丸見えを見ることが出来る時点で新鮮ですね。
最近よく指摘するのを見かける言葉の使い方と言えば、いわゆる“ら抜き言葉”です。代表的な例が『見られる』と言う言葉のら抜き言葉である『見れる』です。ただし、これを一概に否定するのは少し疑問ですよね。
『見られる』と言う単語には、自発、可能、尊敬、受け身と言った四種類の使い方を包括しています。つまり、何をすることなく自然な形で起こることを示す『見られる』(『偲ばれる』と同じ使い方)、可能の意味を示す『見ることが出来る』、『見る』の尊敬語である『見られる』、そして、見つめられる意味である『見られる』の四種類を包括した言葉です。しかし、『見れる』とすることで、“可能”だけに意味を絞ることが出来ます。つまり、誤解が生まれる可能性を減らすことが出来、「ら抜き言葉だからやめろ」と一概に否定することが出来ません。
本来(旧来)の文法を妄信的に信じ、今日の言葉遣いを批判ばかりすることは、本当に言葉を学んでいる人ならば出来ないはずですね。
ちなみに、このサイトでは基本的にら抜き言葉を避けるような形で文章を書いていますから、“可能”の意味として用いる時にも、ら抜き言葉を用いません。もしそれで意味が混乱するような時は、ら抜き言葉とせず、『~することが出来る』と言う言葉を同士の後ろにつなげて使用しています。言われてみれば、『見ることが出来る』と言う形で使っていることが多いような気がしませんか?
コンロが使えなくなってから三日目。今日直しに来るそうです。
【マージン】 「暑い、暑い、暑い、暑い!」
【ボーダー】 「暑いですね…。」
【マージン】 「午前中だよ? 三十度超えてるよ? おかしいよ!」
【ボーダー】 「それもこれも、どこかの施工業者が、家の駐車場をコンクリートにしているからですね。」
【マージン】 「…お姉ちゃん…流石にそれだけじゃないと思うよ。」
【ボーダー】 「同じようなものです。」
【雪冬】 「流石に暑さで稼働率が落ちてきましたね。」
【インポータント】 「やはり、静音ファンでは廃熱量が足りないのでしょうか。それの影響でクロックもダウンしているようですし………。」
【雪冬】 「クロックアップしてみる?」
【インポータント】 「焼け石に水というものです。」
【みいな】 「あのー、勝手にメイドさん達をパソコン扱いしない方が…。」
【雪冬】 「ネタにマジレスかっこわるい。」
【みいな】 「はぁ………。」
【インポータント】 「それにしてもみいなさんは暑くても平気なのですね。」
【みいな】 「どちらかというと、暑い方が、物質の持つエネルギー量が増えるので、私としては活動しやすくなります。でも、寒いのが苦手というわけでもありませんけど。」
【インポータント】 「なるほどねー。」
こんなシチュエーション如何ですか?
寝る前にエアコンを強めに設定されて、寒そうにしているところに、「こうすれば寒くないでしょ」と寄り添ってくる子。
8月28日のNHKスペシャルで、“TRON”を扱う模様です。
この季節になると心霊番組が増えますが、大体二種類に分かれると思います。一つは、心霊写真や現象をひたすら放送するもの、もう一つは心霊写真や現象に対して議論をするものです。後者の番組で必ず出てくる台詞に、「この世のものは科学で全て証明できるわけではない」と言うものがあります。このような番組を通して、私達一般人は、科学者が科学を崇拝して科学で全てのものが証明できると信じていると思いこんでしまいますが、きっと、科学者本人こそが、科学の不確かさを誰よりも認識していると思います。
かつての科学は、ニュートン力学を中心とした熱力学を中心に発展し、それが正しいと信じられてきました。しかし今日の科学では、相対性理論と量子力学が科学の主流です。熱力学は所詮近似値しか取らなかったのです。そのことが証明されて以来、当時の科学者の常識は全て否定され、新しい理論が常識となりました。
このようにして科学はいとも簡単にひっくり返るのです。しかも、今日の力学では全てのものは確率的に存在する為、ニュートン力学のように、ある時宇宙の全ての物質の位置と方向とエネルギーが分かれば未来を完璧に予測できると考えられていた理論が、確率という概念の導入により崩れ去りました。この瞬間、科学は未来を予想できる万能の存在ではなく、未来を確率的にしか予想できない学問になりました。
科学者は科学の限界を知っています。全ては確率によって決まり、確かな未来は存在しないと言う事を知っています。
それでは、科学者は何故「「この世のものは科学で全て証明できるわけではない」と言われ、それに反発するのでしょうか。それは、今日の学問体系において、科学以外の手法を用いて証明できるものがないからなのです。言い換えれば、『科学で全てを証明できる』と考えているのではなく、『科学以外の手法で人を納得させる方法が無い』と考えているのです。
科学も哲学という大きな学問の中に存在しました。全ての学問における中心的考えは、『私達が住んでいるこの場所(宇宙)の姿はどうなっているのだろう』というものです。それが哲学です。そして、その哲学の中で、次第に形が確立したもの、例えば、『どうやら物質は原子で出来ていてそれが分子を構成しているようだ。これを調べてみるとおもしろそうだ。』と言う風潮が出来、一つの学問として成り立たせるものが出来ました。それが科学です。数学も、数字を追究した人達が生み出した学問です。すなわち、今日の学問は、哲学という大きな学問のなかで、手法や研究方法として体系化された学問なのです。
心理学も20年ほど前までは哲学の領域でした。しかし、手法や研究方法が体系化され、哲学の中でやるより新しい学問として確立した方がいいと言う流れが出来、心理学という学問が生まれました。
この哲学から沢山の枝分かれした学問の中に、科学がある事は前述したとおりです。そして、それら多くの哲学の支流とも言える学問の中で、完成度が高い状態で体系化された学問が科学しかないと言うことをここに提示しておきましょう。例えば、どんなに心理学が発達したとしてもそれは部外者が人の心を確率的に予想しているにしか過ぎず、それを完璧に証明する手だてはありません。しかし、科学は物質の状態を(現在の人間の技術において)完璧に証明する事が出来ます。分子同士が出会いそれがどのような化学物質に変化するかという事を確率ではなく、化学式という形で完璧に証明する事が出来ます。
すなわち、数百とある学問の中で、完成度が高い学問は今日では科学しかないと言うわけです。だから、とある事象を証明しようとする時、他の学問で証明した時よりも、科学で証明した方が説得力が強いのです。だからこそ、科学者は、科学以外の手法を批判します。そしてこれが、『科学以外の手法で人を納得させる方法が無い』と言う考えに行き着きます。
だからこそ、心霊学者がどんなに声を上げて、「世の中には科学で解けない謎がある」と言ったところで、相手にしてもらえないのは、今日の世界において、科学ほど証明能力が強い学問がないからなのです。しかも心霊学者が、「世の中には科学で解けない謎がある」と言ったところで、科学に代わる証明手法を提示することがないため、科学者に馬鹿にされるのです。
これは至極当然です。例を示すと、「1+1=2は正しくない」と論ずる人が居たとして、その人に向かって、「ならばそれを証明してみろ」と解いても具体的説明が帰ってこないのでは、ただの妄想として取り扱われてしまいます。
代替案を挙げることなく自分の主張を押し通しても相手にされないのと同じで、「科学で証明できない事がある」と科学以外の手法でそれを証明をすることなく論じていては、いつまで経っても科学者を言い負かす事が出来ないのです。
心霊学者が心霊現象の存在を証明する為には、科学以外の手法を用いてそれを証明しなければなりません。そして、それを証明する事が出来た瞬間、この世の中を知る為の道具として使われている“科学”に加え、“心霊学”が加わる事になります。
科学は私達が世界(宇宙)を測る上で唯一体系化された学問であり、今後学問が発展すれば、他の手法を用いて一部の事象を説明できる時が来るかも知れません。しかし、今日では科学を使った手法でしか世の中を見る事が出来ません。このような考え方を、『科学で全てが証明できる』と言う考えである、“科学万能主義”に対抗するようにして、“科学的手法万能主義”と呼ぶ事にしましょう。
今後研究を重ねる事で、“科学的手法万能主義”が崩れる可能性は大いにあります。しかし、今は科学しか私達は道具を持っていません。だからこそ科学者も一般人も科学を頼らざるを得ないのです。
インターネットという道具が世の中に広がるに従って、かつてオタクが使っていた世界を一般人がむしばみ始めています。しかし、インターネットの本質は変わっていません。インターネットの本質、それは、自分の好きな事だけをやってそれ以外には見向きもしないと言う事です。
オタクのコミュニケーションと一般世界のコミュニケーションは違います。アニオタを例に取り上げましょう。アニオタにとって重要なのはアニメの話題であり、その人の性格や身辺情報は必要ありません。強いて言うならその人を呼ぶ為の名前さえ知っていれば、あとはアニメ話をするだけで大丈夫なのです。これに対して、一般世界のコミュニケーションは近所づきあいに始まります。相手の家族関係や考え方を把握し、それ相応の話題を行います。
この二つを見比べてみて、インターネットにおけるコミュニケーションの本質がどちらに近いか分かりますね。インターネットにおけるコミュニケーションはオタクのコミュニケーションに近いのです。アニメが好きな人はアニメの情報を取り扱うサイトに行って、チャットをしたり、インスタントメッセージを交わします。しかし、それらの会話の間には、相手の事を知ろうという内容の会話はまず存在しません。チャットで年齢を尋ねたり性別を訪ねたり血液型を訪ねたりする事がないのがまさにそれに当てはまります。
オタクのコミュニケーション手法と、インターネットで表立って使われるコミュニケーション手法は何ら変わっていません。インターネット子コミュニケーションはオタクのコミュニケーションをそのままなぞっているのです。これが何を意味するか。それは、インターネットを利用する人は、オタクを毛嫌いしている人もそうでない人も、オタクが使っているコミュニケーション手法を利用していると言う事に他なりません。
インターネットがどれだけ普及しようと、双方向コミュニケーションが体系化されようと、その交流手法はきっと今のままで変わる事はないと思います。
衆議院の解散が決まり、選挙の予感ですが、どうも政党に投票する気がありません。それは彼らが使う言葉にあります。
最近話題の単語、“マニフェスト”ですが、このマニフェストを巡る論調にはおもしろいものがあります。何処の政党とは言いませんが、「マニフェストを●●項目作りました」と言う箇条書き宣言や「マニフェストを●割達成」と言う達成報告………。これって、ものすごくおもしろい流れなんですよね。いかに政治家が政治を知らないか、そして、語学力がないか、そして、流行に流される存在であるかと言う事を露呈しています。
マニフェストを日本語に訳すると、大体“政権公約”と訳しますけど、これが大きな間違いです。マニフェストは本来、“声明文”ですし、もっと極端な事を言えば、“共産党宣言”です。今の社会をどのようにして改善させ、未来に継承させるかと言う自分たちの思想を文章で書いたものです。つまり、その人の理念を示したものが、マニフェストです。
基本理念は箇条書きできるものではなく、ましてや、何割達成なんて言う形で言えるものではないのです。つまり、例を挙げた二つの文章を言うような政治家や政党が政治を知っているようには見えないというのはここに至ります。
これはカタカナ語を言い換えたことによる弊害といえます。私は何度も、外来語を今ある言葉のつなぎ合わせで言い換えるなと論じてきました。ユニバーサルデザインを“万人向け設計”と言い換えた、何処かの馬鹿日本語団体に対して文句を言ってきました。“ユニバーサルデザイン”の本来の考えは、『障害のある人もない人も等しく利用できる製品や環境のデザイン』にあります。そして私が提唱した“デザイン”の本来の考え方は、『形作られた物を使った時に心地よい時間が過ごせすように考慮して立案すること』です。
果たして、“万人向け設計”と言う単語が、これら二つの意味を包括しているように見えるでしょうか。“万人”というのは『より多くの人』と言う意味でしょうし、“向け”というのは、目標や対象を示す言葉で、“設計”というのは『完成した予想図を図面によって示す』と言う意味があります。日本語的に滑らかにすると、『より多くの人が使えるものを図面によって示す』と言う意味になります。果たしてこの言葉が、ユニバーサルデザインを日本語に置き換えた言葉である、『障害のある人もない人も等しく利用できる製品や環境を、その人が利用する時に、心地よい時間が過ごせるように考慮して立案する事』と言う言葉を示しているかと聞かれたら、誰もが違うと答えるはずです。
外来語を日本語に言い換える時、今日ある単語を用いて置き換えると、誤解のあるなしを無視してより多くの人に大体の意味を伝える事が出来ます。しかし、よく考えてみましょう。外来語が片仮名のまま使われるのは、その言葉が示す適切な日本語が存在しないからです。つまり、どうあがいても今ある日本語で、カタカナ語を言い換える事が出来ないのです。それを無理に何処かの団体が、今ある単語で置き換えようとする為、本来の意味とは違った意味が我々に普及してしまいます。そしてその例が、マニフェスト、政権公約です。マニフェストをもし置き換えるなら、政策概要の方がまだ本来の意味に近いでしょう。それでも、マニフェストという単語の神髄には近づいていません。
これを解決するにはどうすればよいか。それは、新しい外来語に対しては新しい日本語を割り当てる事が必要なのです。“ベースボール”という単語を、“野球”と言う全く新しい単語に言い換えたように、私達は新しい単語を模索する必要があるのです。
マニフェストという言葉を政権公約と思いこんで使う政治家達。彼らは、自分たちの理念を伝える手法に言葉や文章しか無いという状況において、その言葉に何も疑いを持つことなく文章を構築し、私達に“政権公約”を述べているのです。こうして考えると、政治家の言葉がどれだけ説得力がないか、何となく理解できませんか?