Top > 読み物 > 日記 > 2005年4月 -3冊目-
タイトルからも、またか、と言う雰囲気がにじみ出ていますけど、このような問題を扱う時は巫山戯た文章を書くと、とんでもないことになるので、少し真面目に。
記事の中に『奈良市の女児誘拐殺害事件の初公判で、被告が同種のアニメを見て幼児への性的関心を持ったと明らかにされたことが話題になり
』と言う一文がありますけど、これをそのまま読み込めば『アニメの所為で幼児に性的関心を持った』というふうにとらえることもできますけど、別解釈を持てば『元々潜在的に持っていた幼児への性的関心がアニメによって目覚めた』と解釈することもできます。つまり、すべてをアニメの所為にすることは難しいと言うことがわかります。
どうも報道番組では『アニメを見る → 同じようなことをやるために犯罪に走る』と言う考えが表立ちますけど、二次元側の立場にいる私からすれば、『女の子に興味があるけど手を出すと犯罪になる
→ アニメを見る』と言う流れの方が多いように感じますが、皆さんはどうでしょうか? 勿論、二次元マンセーなかたは、犯罪にも走ることなく、超模範的なオタクですよ。
ここではアニメについて触れていますけど、裏で発売されている俗語的に言うと『裏ビデオ』や『モ消しビデオ』なんて言うのは、アダルトアニメより遥かに悪質です。具体例を挙げるときりがありませんが、固定ファンが根強い『盗撮物』や『レイプもの』というのは、アニメよりも遥かに影響力が強いと思いませんか?
どうも国会議員を含め、目先のことしか考えられない人はすぐに法的措置を執ろうとします。建築基準法がいい例なのですが、日本の建築基準法はものすごい量の条文が並んでいます。それに加え、消防法や、風営法、交通バリアフリー法など数多くの法律が複雑に絡み合い、解読には困難を極める物になっています。これは、目先のことしか考えられない建築学会と国会議員が作り上げた…プログラム的に言うとスパゲッティーコードになっています。しかし、北欧のとある国の建築基準法はどうでしょうか。その国の建築基準法は『人が安心して暮らせる家を造りなさい』と言う一言で終わっています。わざわざ法律にしないと人を信じることができない国と、人を信じてすべてをゆだねる国の差はこういうところに現れてきます。
さて、話を戻しましょう。昨日の日記で『法律で規制した場合、法律で決められていないからいいんだという考えを助長する』と言う発言をしましたが、これがこの場合にも当てはまります。そして、アニメにおける規制の場合はさらに面倒なことになります。
短絡的発想をすると、
と言う考えに辿り着きます。しかし、これまさに目先のことしか考えられない人、および、現実世界を知らないお上の短絡的発想による物です。もう少し現実的に物事を分析すると、
すごくあほらしい文章のように感じますけど、案外とそうでもないことに気がつく人はいるでしょうか。
すべてを法で規制することは危険です。特に、アニメを見ることによって、己の欲求を現実世界に持ち込むことのない、ある意味では非常に道徳的な人の楽しみを奪う可能性があります。もし、それらの人の楽しみを奪った場合、どうなるかは…案外と容易に想像ができます。
女児殺害事件の時『アニメによって幼女に対する性的興味が芽生えた』と言う事が話題になりましたけど、この発言が、『アニメによって芽生えた』のか『アニメによって元々持っていた欲求が表に出た』のかはっきりとしない現在では、一概にアニメの所為とすることは全く持って不可能であり、こういうところまで深く考えることができない人が国会議員をやっているようでは、彼らに日本を任せることはできませんね。
アニメの規制なんかより、さっさと国民保険の問題を解決したら如何ですか? 結局、一元化は先送りしましたよね、国会議員さん♪
原因と結果という言葉がありまして、原因は事が起こった理由、結果はそれによって成された物です。そして、素因と誘因もあります。アニメがある、性犯罪が発生する、と言う物事の導き出し方は、原因と結果の割り出しミス、または、素因と誘因の混同による物と思います。もう少しわかりやすく言うと、世界中から包丁をなくせば殺人事件が減る、と言う考え方です。明らかに間違っていることがわかりますよね? これと同じ事です。
ちなみに………もっと古今東西的な視点にすると、昔に比べて遥かに幼女に対する性犯罪って………減少していますよね…。稼ぎを得るために子供を見せ物小屋に売ったりする人身売買とか………。
まっ、犯罪件数の中でオタクが引き起こした犯罪の割合と全人口のオタクの割合を割り出して、確立統計的処理を行えば、オタクの方が安全な人間であると言うことがすぐにわかるという物です。これって、統計学の基礎ですよ(…と、今年から統計学をカリキュラムに入れた人が言ってみるテスト)。
こういった意見を国に提出できるシステムって、何時になったら完成するのですか?
日本語がわからない国会議員のための用語辞典
風邪を引く場合、徹夜続きで体力が落ちていたことが素因で、風邪のウイルスが侵入したのが誘因、それによって風邪を引いたのが結果。
もしかしたら、今日の話題は建築学の話が多くなるかもしれません。専門的な話が多くなりますが、わかりやすく書いているつもりなので、よろしくおつきあいくださいませ。
億万長者を紹介する日本テレビ系列の某番組を含め、海外の億万長者を紹介する時に必ずと言っていいほど話題になるのは家の大きさやリビングの広さ、シャンデリアの豪華さなどです。私達はそれら豪華絢爛非日常的な家を見ることによって、お金持ちとはすごいな、と思ってしまいます。いえ、厳密に言えば、すごいなと思いこんでしまいます。そして、そう思った一部の人は自分も何時か大富豪になって広いおうちを建てるんだと夢に抱きます。
しかし、建築的文化的視点から物事を語るとすれば、広い家は私達にとってそれほど重要ではないことに気がつきます。
「リビングが30部屋に寝室が10部屋。このシャンデリアは1億はするね。」なんて言う私達一般人の生活からは想像できない会話を聞いてしまうと、この人はかなりの大富豪だなと思ってしまいます。そして、これを真に受けた私達日本人は『家が大きいことこそ豊かである事の証明である』と言うように信じてしまいます。果たしてそれは本当でしょうか。
この事について述べるためには日本と海外の文化の違いに触れなくてはいけません。文化と言うよりは、風土の違いでしょうか。
皆さんがご存じの通り、日本の家は基本的に木材で作られています。木材を使うことによって、家を構成する部品は、屋根を支える水平な部材と、その水平な部材を支える垂直な部材だけになります。少し専門的な単語を使うと、柱と梁を用いることになります。わかりやすく言えば、神社の鳥居のような構造になっています。
ヨーロッパの住宅の基本的な材料は石材です。地中海の家というのはテレビで見る機会も多いでしょうから例に挙げますが、あの家はすべて石(大理石)でできています。パルテノン神殿も大理石ですし、ローマ大聖堂も大理石です。オペラ座も大理石ですし、ピラミッドだって石と表面を覆う大理石(今は盗まれましたけど)によって作られています。大理石を使うことが無くても、煉瓦を組み合わせて作ることがほとんどです。さて、これらの石で建物を造った場合、屋根の重みは必然的に増すことになります。そしてそれを支えるためには屋根を支える部材を増やさなければなりません。それに、石を接着しないで屋根にするためには、ドーム型の形にせざるを得なくなります。つまり、天体観測ドームのような形になります。ブロックでできた家はだるま落としのような物です。つまり、一つでもブロックがかけてしまうと下に落ちてきてしまいますから、建物を壁で構成しなければなりません。
さて、日本の建築は柱と梁の骨組みだけで作られています。つまり、その他の部分は屋根を支えるためには必要なく、好きなところを塞いで好きなところに穴を開けることができます。もう少し情緒的な表現をすると、内部空間や採光を自由に調節できるのです。それに比べてヨーロッパの住宅は石で造られているため、一つも石を取り除くことができません。つまり、自由に窓をつけたりすることができないのです。
これらのことが両者の価値観の違いを生み出す結果になります。日本の家は窓を自由に作ることができますので、外を見ようと思えば外を簡単に見ることができます。その結果、借景(庭の景色や外の風景を借りると言う意味)という文化が生まれ、家の内部よりは庭に力を入れるようになりました。その点ヨーロッパの住宅は外の景色を容易に見ることができないため(窓は小さくせざるを得ない)、家の内部を装飾するようになりました。
この結果、日本人は家のエクステリア(庭等)にこだわり、ヨーロッパ人は家のインテリア(内装)にこだわるようになりました。
私達は見た目の豪華さにとらわれてしまいます。日本の家は基本的に飾りっ気のない物がほとんどです。それは外の風景を家の中に取り込み、それを楽しむ民族だからです。だからこそ、ヨーロッパの家のシャンデリアを見たりするとすごいと思ってしまいます。しかし、ヨーロッパ人から見れば日本の庭はすごい物になるのです。
つまり、私達がシャンデリアを見て豪華だなと思うことは実は勘違いもいいところなのです。私達日本人が当たり前のように庭を手入れするのと同じように、ヨーロッパ人は内装を手入れしているのにすぎないのです。ヨーロッパ人が内装にお金をかけるように私達日本人も小庭の手入れにお金をかけるのと同じ事なのです。シャンデリアがどんなに豪華だとしても私達の庭もヨーロッパ人から見れば豪華ですから、特別ヨーロッパ人が豪華という訳でもないのですね。
………裏を返せば、テレビ局が「シャンデリアの価格は1億円です!」と視聴者をあおるのは両国の文化の違いを全く把握していない馬鹿の集団と言うことを証明している可能性もあるわけですね。
ヨーロッパの大富豪の取材の目玉と言えば部屋の数です。一番始めで例に挙げたように、テレビという物は部屋の数や広さをアピールします。しかし、これも日本の文化や成り立ち、建築の構造を把握していればそれほどすごくない事がわかります。
前述したとおり、日本の家は柱と梁によって構成され、壁を作る必要はあまり無く、窓などを自由に作ることができます。実家などを思い出してください。ふすまで仕切られた部屋があって、お正月に近所の人がそろうとふすまを取っ払って広い一つの部屋にしてしまいますよね。今でも四畳半の部屋が日本に存在するのは、私達が空間を自由自在にコントロールすることができるからです。
例えば、ちゃぶ台を考えてみましょう。想像してください。四畳半の部屋にちゃぶ台が置いてあります。貴方はそこでご飯を食べます。さて、ご飯を食べ終わったらちゃぶ台を片付けて押し入れから布団を出して、さっきまでちゃぶ台が置いてあった場所にしき、貴方は眠り始めます。私達日本人は、その狭い土地を有効に生かすために、一つの部屋を多くのことに使えるようにしてきました。先ほどのお正月の例も同じです。和室を連ねておけば、それぞれを子供部屋として使い、冠婚葬祭の時はふすまを取っ払って一つの部屋にしてそこで各種行事を行いました。これだけで一つの部屋に二つの機能を持たせることができます。
さて、ヨーロッパはどうでしょうか。先ほど述べたように、ヨーロッパの家は外部に対して空間を開けないため内部を豪華にします。そして、それは家具という文化を発展させました。ヨーロッパ人はベッドを用い、テーブルを用い椅子を用います。それらの家具はまず出したらしまうことはありません。つまり、起きっぱなしになるのです。ベッドを片付けてその部屋でご飯を食べることができませんから、寝室と居間を分ける必要があります。私達日本人が一部屋でできる動作をヨーロッパ人は二つの部屋に分けなければできないのです。
石の家は構造的に広い部屋を作ることはできませんし、ふすまのような開閉自在な扉をつけることもできません。子供部屋と家族の寝室も分けておかなければなりませんし、冠婚葬祭を執り行う部屋も別にしなければなりません。広い家と広い土地はヨーロッパ人にとって何時しかあこがれとなり、大富豪の象徴になりました。
日本人にとって広い部屋は狭い部屋の集合であり、狭い部屋一つで色々なことを行うことができます。つまり、お金を持っていたとしても多くの部屋を用意する必要はあまり無く、部屋の数にはこだわらない民族なのです。何時しか3LDKなどと言った概念が生まれ(これもヨーロッパからの輸入)、居間と食堂、子供部屋などをすべて壁で仕切ることが当たり前になりましたが、最近の家はそうではありませんね? だいたいはリビングと食事室、台所までが一つの部屋につながっています。これはかつての日本の家の形である、一つの部屋を色々なことに使うと言う(転用性)文化に着目して復活した結果です。
話が多少それましたが、ヨーロッパでは家の構造や文化上、部屋を沢山作らなければならず、それを実現できることは大富豪の象徴とされました。日本は構造や文化上、部屋はさほど必要なく、四畳半あれば暮らしを行うことができましたし、それが当たり前だったため、部屋を多くすることが大富豪の象徴にはなり得なかったのです。
つまり、部屋を多くすることをよしとする民族と部屋は多くなくてもいいと言う民族が同じ価値観で物事を語ることなんてできませんから、「リビングが4つもあるんだよ」という発言を聞いて驚くことは全く持って無意味と言うことになります。現実問題、私達の一般的考えで行けば、リビングが4つあったとしても………使わないですよね?
これらの話題を総合すると、日本人は小さい空間に住むことになれており(狭い空間でも窓が広いので見かけ上は広く見える)、家の広さにはさほどこだわりを持っておらず、どちらかというと庭を広くとれることにこだわります。反面、ヨーロッパ人は狭い空間が嫌いであり(狭い場所は暗いと言うイメージ)、庭の広さにはこだわりを持っておらず、どちらかというと家の広さや内装の豪華さにこだわりを持っています。
両者の価値観は全く正反対のため、二つの事柄を同じ土俵で語ることができないのです。
小説技法的な話になるかもしれませんが、これらの空間に対する感覚は映画にもよく現れています。
海外と日本のラブロマンス映画を見ると決定的違いがあります。それは告白する場所です。何度も書いたとおり日本人は狭い場所でも暮らしていけますし、狭い場所に落ち着きを覚えます。そのため告白する場所は部屋の中央ではなく隅っこだったりします。だだっ広い電車の中央よりも壁際の光がさほど当たらない場所や、教室の中央よりも教室の隅っこで愛を語るような民族なのです。
それに比べ海外の映画は、広い草原の両方から男女のカップルが走りあって画面中央で抱きしめあう構図が多くあります。
告白する場所は劇中でもっともロマンチックな場所です。日本人が部屋の隅、ヨーロッパやアメリカ人が高原の真ん中を選ぶことは、両者の空間に対する意識の違いの表れであり、価値観の違いをもろに反映しています。
この事からも、日本人にとって広さはさほど問題ではなく、どちらかというとお互いの距離が近くなる狭い場所の方が好きだと言うことになります。広い体育館に一人で立った時、真ん中よりは壁際に移動したり………しませんか? これが日本人とヨーロッパ人の空間に対する意識の違いになり、そのままお金の使い方に影響するわけですね。
この記事は個人的に読んで頂きたい記事の一つです。特に作曲をしている人には…。
音楽と建築の融合と言って一番始めに思いつくのは音楽ホールや劇場になるかと思います。建築空間という中で音楽を奏でることは、音楽と建築の融合と言っても過言ではありません。現に、ホールの形状や音響計画によって奏でられる響き(リバーブやディレイ)は大きく変化するからです。劇場などで奏でられる音楽は他のホールでは再現することができない唯一無二の音楽なのです。
このように表現すると、音楽と建築の融合は劇場でしか起こりえないと思いがちですが、実はそうでもありません。
都市とは人々が集まってできた物です。そして、その人々はここの建築の中に住まいます。都市は建築の集合によって生まれた建築と言っても過言ではありません。実際、建築学科という科目でも都市計画という物を習うことになります。
歴史を多少遡れば、都市の大きさは、出る騒音の大きさと下水の汚さでは測られる時代がありました。しかし、電気自動車や騒音防止措置の強化により、今日の都市は次第に出る騒音が小さく鳴りつつあります。騒音が少なくなるとそれによって隠れていた音が聞こえるようになります。例えば、木々が揺れて鳴る音や、道路の上を葉っぱが舞う音等です。
もし、このまま電気自動車が増え続け、ガソリン車が減っていくならば、都市の騒音は激減することになります。激減した後、都市を包み込む音は人々の声や木々のさえずり等です。人々の声を生み出すためには活気が必要ですし、木々のさえずりを生み出すためには緑化が必要です。このように考えると、都市をデザインすると言うことは音をデザインするのと等価であり、音をデザインすると言うことは環境をデザインすることと等価であります。
建築と音楽の融合は何時しか劇場だけではなく、皆さんが住んでいる都市そのものの中で見られる(聞ける)ようになるのも時間の問題かもしれません。
…なんか…以前もこんなタイトルで日記を書いた記憶が…。
ディレクトリ内部の検索を許可して以来しばらくが立ちますが、ここに来てぐぐるたんがやたらと内部のファイルを拾っていくようになった模様です。画像からファイルから、とにかくチェックしている様子です。そして MSN ボットも積極的になっている模様です。これは来月の検索結果が楽しみという物です。
そういえば、『空の彼方へ』での検索結果がトップになっています。先日初めて知ったのですが、詩唄いさんの話では数週間前からだそうで…。ここまで4年ですか…。どうやら一位になっているのはグーグルダンスの影響ではないようなので、これで確定…ですね。
さらに補足しますけど、『Wind同盟』で検索するとファンタジーです(笑)。
ただいま進捗率13%。長いのですよ…100題目は………。こんな感じになっています。
目が覚めた時は淡いクリーム色の部屋だった。麻酔が切れる頃には節々に痛みが走るだろうと言われた。都心の高速は速度制限がきついおかげで助かった、と言われた。
思い出なんて、捨ててしまいたいと思っていた。いっそのこと、死んでしまったほうが良かったのかもしれない。このまま生きていても、階段の途中で迷ってしまいそう。
でも…一つの曲が頭から離れない。トラウマとも言うのかもしれない。でも、道しるべのような物であって欲しいと願っている。
…この公開の仕方は絶対卑怯だと思う私…。
きちんと書いてますよ。B5ノート換算4ページ分。だんだんテンションが乗ってきました。
「今日のお昼ご飯はオムライスでした。私、オムライスが大好きなんです。」
「へぇ~。僕は松屋で味噌煮込みハンバーグ定食を食べたよ。」
「味噌煮込みハンバーグ定食ですか。美味しそうですね。」
ほころんだ口元を隠すように手を移動させた彼女は「いつもは何を食べて居るんですか?」と続けた。
「そうだな…」と一瞬考えを巡らせ、「和食が多いかな、やっぱり。」と答えた。
「和食ですか…。ご飯が美味しいですよね。私も和食は好きですよ。」
「どんなのが好きなの?」
「そうですね…好き嫌いはないので何でも食べますけど、素朴な物が好きです。肉じゃがとか…おひたしとか…母の味ですね。」
そういうと彼女はもう一度目を細めた。
いいよ~。いいよ~。だんだん萌え路線に向かって動き始めたよ~。
ただいま執筆停止中です。ただ、資料集めは続行中で、ものすごい量になりつつあります。それと、小さいネタをテキストファイルにまとめているのですが、それも20ファイルを超えた様子です。例えば以下のようなメモが書いてあります。原作を読んだ方は所々使うと思われる場所が浮かんでくるかもしれないですね。
全部抜き出すのはアレなので、とりあえず一部を抜粋して起きました。採用されるかどうかわからないので、もしかしたらここで公開するのが最後かもしれません。どちらにしてもボリュームがふくらみすぎると話に収拾がつかなくなるので、手頃なところで収めなければいけませんし…。
日に日に IE のシェアが低下し、 Firefox のシェアが上昇していきます。流石に最新版である“Mozilla
1.7.7 ”と“Firefox 1.0.3”は少ないですが、Gecko系ブラウザとしてくくった場合は余裕で一割を超えました。
このサイトは IE でも表示できますし、むしろ HTML に対応しているブラウザなら何でもいいわけですが、
Firefox 等のGecko系ブラウザの方が便利な部分があったりします。それに私の身の回りの人にGecko系ブラウザを布教していますので、自然と割合が高くなるのですが、
IE6.0 のシェアが 76.7% まで低下しました。
順位 | ブラウザ | カウント | 割合 |
---|---|---|---|
1 | Internet Explorer 6.0 | 222 | 76.8% |
2 | Mozilla 1.7.6 | 41 | 14.2% |
3 | Mozilla 1.7.7 | 8 | 2.8% |
4 | Internet Explorer 5.5 | 3 | 1.0% |
5 | Internet Explorer 4.01 | 3 | 0.7% |
さて、授業が始まりしばらくが経ちますがだんだんと新しい日程にも慣れてきた感じです。一年半ぶりに土曜日に授業を入れたので色々な意味で大変ですが…。週休二日が身にしみている影響で、休みが一日しかないというのが結構つらいです。課題をやるのも土日と決めていたので、それになれているため、作業時間も半分とと言うわけですね。
ただし、その分、平日の午前の授業はほとんど取っ払ったので(取っ払ったと言うよりは、単位の取得しすぎで制限をかけられている状態ですが)、その時間に課題を片付ける時間がシフトしたような感じです。課題を片付ける時間を午前中に取ると言うことは、前回の通りの生活(早起き)をしていればいいので、比較的こちらは早めに順応できそうです。
時間割がほぼ確定してそれに即した生活を始めているわけですが、今期は一番大変な日程になりそうです。いままで課題があると言っても、同時に出る制作課題はそれほど多くなかったのでつらくなかったのですが、今回はそのような教科が2教科あり、1教科だった去年に比べるとこの時点で倍になります。それに加え、課題が出される回数も倍になっているので、合計4倍の課題が………。うわ…ぁ………。
と言うわけで、もしかしたら700日以上続いている日記連続更新記録が途絶えてしまう可能性もあるかもしれません………。
せっかく日記を読んで頂いているわけですし、普段自分たちが住んでいるのにもかかわらず全く作る手順が知られていない建築を作る手順という物を、課題制作の過程をリアルタイムで伝えるながら公開してみようかなと思います。
既に“建築設計3”では、萩原朔太郎の文学館を造ると言う課題が出されていますので、その課題を制作する過程を紹介しながら、どのように建築が作られているかと言う物を公開していきます。
ただし、あくまで学生が作る物ですから、プロの手順に比べれば遥かに略式になっていますので、ご了承ください。
まず、依頼主(建築用語では施主)がこんな建物がほしいと建築家に依頼するところからすべてが始まります。そして、施主は建築家に対して様々な条件を出します。金銭的な物から、建物の規模、内装、それぞれの施主の思惑が交錯する場所です。
それらの条件の中で重要になるのは土地です。土地と言うよりも、周辺の環境です。
依頼が出されるとまずは建物を建てるべき土地を調査します。測定から始まり、周囲の建物の状況、その土地の気候を含め、日当たりや風通りを調べます。
今回の課題は事前に土地の図面が与えられているので、それを利用します。
現地に赴き、調査を行い、地図上に情報を書き込んでいきます。場合によっては、人通りやその場所の使われ方を調べる調査(マッピング調査)を行う時もあります。
得られた土地に関する情報を元に敷地の模型を作ります。昨日から今日にかけてはこの部分の作業を行っています。
とりあえず、今週は既にここまで進みました。模型についてはまだ制作途中です。次の更新日は未定ですが、内容としては、導線計画(人の流れの計画)や配置計画(部屋の配置)のあたりを紹介することになりそうです。次からは写真を用いて説明していきたいと思います。
平成16年度版の警察白書によると、平成15年に認知している刑法犯罪(法に触れる犯罪)は2,790,000件発生しています。そしてそのうち、重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦、略取、誘拐、わいせつ)は23,000件発生しています。さて、23000件のうち、『報道で言うゲームやアニメに影響されて重要犯罪に至ったとされている事件』は何件存在しているでしょうか。ここでは仮にひと月に10件の割合で起こっていると仮定して (オタクの犯罪に対して敏感になっている今日の報道を考えると、オタクが起こした事件の半分以上を放送していると思われる。オタクによる犯罪を耳にするのは年間数回だが、信頼性を高めるためにあえて大きな数字(10倍超)をとる)
、年間120件としましょう。
さて、去年野村総研が提出したオタクの推定人口は280万人と言われています。野村総研の計算方法は、アニメ・ゲーム・コミック・アイドルの4部門に対して、オタクの占めるシェアを求め、単純に足し併せた物です。しかし、ゲームオタクとアニメオタクは共存する可能性がありますし、他の事例も考えられます。つまり、重複している人が居るわけです。単純に2/3だとして180万人としましょう。(メディア対策のため280万人の場合も同時に計算していきます)。
平成15年度の重要犯罪23000件のうち120件がオタクによる犯罪だと仮定すると、重要犯罪において、オタクの占める割合は 0.0051% です。平成12年時点(国勢調査)の日本の人口は126,925,843人、1億2600万人として計算し、それに対するオタクの人口が180万(280万)人ならば、その割合は、0.0142% (0.0222%)となります。
ここまでの数字を表にまとめました。
項目 | 人口・件数 |
---|---|
平成15年度重要犯罪認知件数 | 230,000 |
日本の人口 | 126,000,000 |
オタクの人口(推定) | 1,800,000 |
オタクの人口(野村総研) | 2,800,000 |
項目 | 割合 |
---|---|
オタクによる重要犯罪 | 0.0051% |
全人口に対するオタクの割合(推定) | 0.0142% |
全人口に対するオタクの割合(野村総研) | 0.0222% |
さて、全人口に対するオタクの割合をオタクによる犯罪の割合で割ると………2.78
(4.35) と言う数字が得られます。つまり、オタクは一般人より、2.78 (280万人いる場合: 4.35) 倍安全な人種と言うことになります。
この数値について詳しく説明しますと、オタクによる重要犯罪が全体の 0.0051%
であるとした時、国民の人口に対するオタクの割合が 0.0051% になった時、ようやく、オタクと一般人の犯罪に至る確率が同じになったことになります。しかし、全人口に対してオタクの割合は多く見積もって
0.0222% にのぼります。これを重要犯罪率と照らし合わせると、オタクによる重要犯罪率は、重要犯罪をしてしまう人に対して
0.0222% にならなければなりません。しかし現実は 0.0051% と言う数字になります。つまり、オタクが重要犯罪を犯す確率は一般人に比べてきわめて(桁一つ)低いことになります。
補足しますが、野村総研によるオタクの人口推定が間違っていたとして、オタクが実際は500万人いたとしたら、全人口に対するオタクの割合は前述した割合の倍以上になりますから、罪を犯す確率はさらに半分になります。
ちなみに、平成14年度を例に取ると、殺人事件は1396件です。それ以前の値を見たところ、事件の件数はさほど変化していないようなので、2004年も1400件前後だと思われます。その中でオタクが起こしたとされる事件は“奈良県女児誘拐殺人事件”の一件だけのようです。とりあえず、オタクが起こしたと報道されていない事件もあるでしょうから、10倍に見積もって2004年は10件のオタクによる殺人事件があったとして、1400件における10件とは、 0.0071% に値します。
さて、全人口に対するオタクの割合は、少ない方を元にすると(私が計算した方)、前述したとおり
0.0142% になります。さて、これを前の手順のように、全人口に対するオタクの割合をオタクによる犯罪の割合で割ると、
2 と言う数字が得られます。すなわち、オタクは一般人の2倍の安全性(殺人事件を起こさない確率)を持つことになります。
この事からも、オタクが犯罪を起こしにくい人物であることは明らかだという証明になります。勿論、280万人いるとしたらますます安全率は高くなりますし、500万人いたとしたらなおさらです。
ちなみに、オタクによる犯罪率を一般人と同じ犯罪率にするためには、オタクによる犯罪と思われる事件数を20倍に見積もらなければなりません。
このように統計を用いて計算してみると、オタクの起こす犯罪は重要犯罪においてはごくわずか(殺人事件も同様)であり、一般の人よりも2倍以上安全と言う数字が出た今、報道が執拗にあおる『ゲームやアニメによって犯罪が助長する』と言う意見や『ロリコンオタクは性犯罪をする確率が高い』と言う意見はまったくもって見当違いと言うことになり、事前に綿密な調査を行わずしてたたき出した独り善がりな意見と言うことになります。
“奈良県女児誘拐殺人事件”が起こった時、大谷昭宏氏が「この事件はフィギュア萌え族による物だ」と論じ、間違った推論であることが後日わかっても一言もそのことに触れることがなかった報道は、もはや、信じるに足る物ではないことは明らかなのですが、このようにして数字の上で明らかになってしまったわけですから、間違いを認めざるを得ないのではないのでしょうか。
今回から、論文のような文章については最後にまとめを書く事にします。
この文章は統計データを用いながらも、肝心のオタクによる犯罪件数の部分は報道番組の放送回数から10倍に見積もった値を使用していますが、あくまでも推定のため信憑性に欠けます。各方面での紹介は自由ですが、この文章の正確性について論じる意味はあまりありませんのでご了承ください。
画像は過去2年間の学生生活で記したノートです。ん…よくやったね、と。一ヶ月程度前に整理してあったのですが、ようやく収納できるファイルを見つけたので突っ込んでみたところ………これだけの容量になりました。厚さは右にあるスコヤ(本当はスコイヤーと言うらしいです)で測ってください。だいたい14センチあります。
ノートの量ががんばりに比例するとは限りませんけど、ある一定の基準を達していることを視覚で体感できるとなると、やはり、圧倒される量ではあります。
ただ、この程度かと思う人もいるでしょうけど、私にとってはかなりがんばった方だと思います。このノートの
2/3 以上が去年一年で記した量になるとおもうので、そう考えるとやっぱり私自身はよくやったかな、と思います。
上位学年になればなるほど実習系の科目が増えますので、ノートを取る機会は減っていきますけど、そんな中、これだけ記すことができたと言うことは、眠っていなかったという証拠ですね(笑)。
…しかし、これだけのノートを記述させるほどの知識を持った先生には驚くばかりです………。
履修の関係上、昼頃一旦家に戻ることがある時がありますが、時間帯がうまく重なるとランドセルを背負った子供を見かけます。それこそ、私自身の身長の半分以下の子供達の後ろ姿を見ると「可愛いなぁ~」と直感的に思ってしまうのですが、オタクですから、家に連れ帰ったりすることはありません。
オタクというのは未来を考えて行動しますから、自らの直感的な衝動に駆られて人をさらったりすることはしませんからね。どこかの国会議員とは違うわけですよ。病という言葉がありますが、国会議員も一つの病にかかっていると思います。病名、“人の心を忘れる病”。やぁ…一億円受け取っておいて「忘れた~」なんて普通は言えませんし、自分たちだけ楽をしようなんて人間だったらあり得ないですからね。うーむ、“人の心を忘れる病”は怖い物があります。
で、話を元に戻しますと、三文の得について。
前回履修していた中国語は月曜日の一時間目というもっともつらい時間帯の授業でしたが、先生が毎週ロングスカートで登場するわけです。ロングスカート好きーの私にとっては中国語を覚えつつ、目の奉養にもなり、一石二鳥のありがたい授業でした。まさに早起きは三文の得、ですね。
続きまして、先週の土曜日のお話。授業時間を間違えて2時間ほど早く学校に行ってしまって、がっかりしながら校門を出ようとした時、ミニスカートにオーバーニーソックスを履いた人が入って来るではないですか。2時間時間を間違えてよかったと思った瞬間です。
たぶんこれがフェチも何にもない人間だったら何も感動する事なんて無いただの退屈な時間でしかないのです。しかし、フェチ(属性とも言う)があるからこそ、幸せな一瞬を過ごすことができるわけですね。
結婚式の衣装替えで、男女の衣装を入れ替える。
平成元年から平成15年までの、犯罪認知件数、映像作品出荷本数をグラフに表すと、少なくとも映像コンテンツの関係では犯罪の発生件数は変わらないことが発覚しました。
以上のグラフを作成するために、「平成6年警察白書(警察庁)」「平成11年警察白書(警察庁)」「平成16年警察白書(警察庁)」「年間統計報告(映像ソフト協会)」「タイトル発表数の過去のデータ(AVエクスプレス)」を使用しました。
グラフは積み重ねグラフです。
このグラフを見る上で重要な要素を上げておきます。
わいせつ系(公然わいせつ・強制わいせつ・強姦)犯罪件数と映像コンテンツ出荷数のグラフ(特に黄緑色(1999年から求めているアニメ・アダルトの出荷本数))を注目して頂くと、このグラフが何を物語っているかがわかる。
わいせつ系の犯罪が増えているのにもかかわらず、映像コンテンツ(DVDにおいてはアニメ・アダルトを別に求めている方の値)の発売数はほぼ変化していない。このような状態を、両者の間に相関関係がないと表現します。
沢山言いたいことはあるのですが、面倒くさくなったのと、ご飯を作らないといけないのと、課題が残っている等と言った理由により、すべて割愛。適当に解釈して間違ってるとか正しい等の判断は皆さんにお任せします。………一箇所ほど巨大な突っ込みどころがあるのですが、私からはそこに触れないでおきます。
さて、敷地の状態などを調べ終わると敷地模型制作と同期して、導線検討に移ります。導線とは人が動く線の事で、これらを決めることにより、お客さんと学芸員、事務員の流れを目に見える形にします。一般の住宅でも同じです。例えば台所と洗濯室の距離が遠くなると導線が長くなります。それは、台所と洗濯室の距離が長いことを目に見える形に示します。またその途中で、子供部屋に移動する導線と直交した場合、子供とぶつかる可能性がある、と言うことになります。導線は限りなく短く、そして、できるだけシンプルにするのが最良と言われています。
文学館の場合、事務員とお客さんが同じ入り口から入った場合、お客さんは展示室へ、事務員は事務室へ向かいます。しかし同じ入り口から入っているので、途中まで二つの導線が重なることになります。表と裏、お店風に言うとフロアに向かうお客とバックヤードに向かう事務の人がごっちゃになるのです。
ということで、スマートな導線計画を立てるとなると、入り口を二つに分け、お客さんはお客さん専用の入り口、事務員は事務員専用の入り口から入ることになります。また、このように入り口を分けることで、セキュリティーの面でも安全になります。
この案は一番始めに作った案ですが、画像中にメモ書きしてあるとおり、オープンギャラリー(無料の展示室)を見るためにもチケット販売所を通らなければなりません。また、住宅街の中に作る建築であるため、地域の交流と観光客への対応を同居させる必要があるのですが、チケット販売所が入り口にあっては、内部のレストランを使うのも何となく億劫になります。
それに加え、導線の検討もまだ甘い感じがするので、次の案を作りました。
ちなみに、最近の空港でも話題になりましたが、チケットを買わなくても飛行場内部にはいることができるようになった空港がありますよね。そして、搭乗直前にチケットを購入できるようにしたため、ロビーで待たなくても売店を見て回ったりすることができるようになったわけですね。
とりあえず、今回はここまでです。導線計画で人の流れがほとんど決まりますし、建物の中心に内を置きたいかが決まってしまうので、重要なポイントであることは確かです。もっとも、建築を建てる時に手を抜いていい場所などありませんが…。ソースコードの一部を流用できるプログラムと違って、建築はその場限りの設計になることがほとんどですから、だいたいは1からのスタートとなりますね。
今日は設計3の授業がありますので、これを持って先生の意見でも聞きながら続きを作っていくことにします。
新しいごっこ遊び。(元ネタ: “2chで見つけた面白い文章 Part11”に投稿された記事。)
全く関係ないですけど、今年のエイプリルフールネタで使った記事は個人的には満足な作品。
列車事故におけるレスキュー隊の活動を邪魔するマスコミ達。
「下がってください~」「通路を開けてください」と言う発言がレスキュー隊から聞こえると言うことは、マスコミが邪魔と言うことですよね。邪魔と言うことは作業に支障が出るわけですよね。作業に支障が出ると言うことは救助が遅れると言うことですよね。救助が遅れると言うことはもしかしたら人が死ぬかもしれないと言うことですよね。
ん…最低。
ああいったマスコミや野次馬が居なければ(少なければ)それらを整理する人員を確保しなくてもすむわけですね。その分救助に専念できるわけですね。
阪神大震災も、新潟中越地震も、今回の電車事故も、人命救助を邪魔したのはマスコミですか、そうですか。これはもうあれです。マスコミの人達も“人の心忘れ病”認定と言うことで。
だいたいにして、病院に張り込んで救急車から人を降ろすのを邪魔したり、病院に運び込む通路を塞いでいたりと言う行動はできない十思うんですよね…。病院付近にマスコミがたむろしていると救急車の運転も慎重になるわけで…これでまた数秒という時間が流れていくんですよね。
それと、運転手のミスと言うことを確定づけているような報道は、平等に反すると思うのは私だけでしょうか?
…人の心忘れ病は何となく語呂が悪いので、“人心忘却病”と言うことで今後統一。
お金の面の話をするとえげつないわけですが、マスコミを捌くために人員を投与しなければならないと言うことは、それだけ税金が支払われると言うことですよね。
そういえば、日本テレビの意見提出フォームに今まで存在していた『住所』『氏名』『郵便番号』等と言った蘭が消えました。今までは任意項目ではあったのですが存在していたのは事実です。ソースを見てもコメントアウトしているだけですからすぐにわかります。
邪推すれば、個人情報保護法関連でしょうか。
数サイト追加しておきました。
毎月この時期に家計簿をつけるのですが、ふと去年の家計簿を見てちょっとびっくりしたことが…。気がつけば
JR に5万円以上のお金を支払っていたのですね、私は…。これが通学・通学に必要な必須経費ならまだわかりますけど、それとは違いますし…。少し自粛した方がいいようです………。
ちなみに、既存の今年の目標は、食費を抑えるです。課題が入ってくると、料理を作るのが面倒になってコンビニ弁当に走ってしまうので、できるだけそれを押さえたいのです。毎月二万円も食事にお金をかけている場合ではないのですよ…。それを戒めるため、と言うわけで、食費の項目を『通常』『手抜き』と言うように二分割しました。これで、わかりやすくなりますね。
この“食費を抑える”という目標に、“移動費を抑える”と言う項目を追加しておきます………。
これを続けることによって、毎月お金が余るようになれば、銀行からおろすお金をさらに5000円減らす事ができそうです。実際、一昨年の中頃、毎月引き下ろすお金を5000円下げて生活することに成功していますから、たぶん可能です。親の負担も軽減できて、いざとなった時の学術費用として回すこともできますし、一石二鳥ですね。
あくまで推定ですが、当サイトが55555HITを達成するのは、2005年5月2日夜~5月3日の見通しです。
以前要望があったサイト内検索ですが、 google を利用した物が用意できたため、ひっそりと公開します。サイト内のクロールを許可してからしばらくが経つのですが、検索が可能なファイル数は60程度のようです。
利用できる場所は、コンテンツ紹介の一番下です。
どうやら、復旧に成功したようです…。マイドキュメントフォルダ論理ドライブ上隔離大作戦により、ファイルの全滅は真逃れた模様です。…しかし、リカバリーしたと言うことは、ソフト的に安定したと言うことなので、寿命が延びましたね(笑)。我が家では未だにMeたんは現役になりそうです。もし、壊れたとしても私のところで意地でも回復させます。
人差し指だけでキーボードを入力するのを、『人差し指一本打法』と言っています(私だけですが)。かけ声は、「あたたたたたたたたたたたーっ!」。普及、よろしくお願いします(笑)。
「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」
とりあえず、リンク先を読むことをお勧めします。
一部では全席優先席の電車も存在しますが、一部だけと言うのも JR 系を含めてまだまだ見かけます。車いす専用席が一つしかない新幹線を含め、交通バリアは未だに減る気配を見せません。
そもそも、“全席優先席”なんて記述する必要があると言う社会そのものを疑いますが、これが現実だったりします。
この場面で一番おもしろいのは、立っている人が(たぶんわざと)聞こえるような声で「最近の若い者は年寄りを立たせても平気なんだから」
と発言しているところにあります。そのような言葉に若者が「あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ」
と反論することも一つうなずけるものがあります。
人間が成長する際、始めは威張っていますが、世間の荒波に揉まれて角が取れ、少しずつおとなしくなっていくのが大多数です(都知事とかはきちんと抜かしてね)。と言うことは、『若者こそ生意気であるべき』であり、『年上はおとなしくしていくべき』であると考えることもできます。
つまり、「若者のくせに生意気な」と言う台詞には「若者だからこそ生意気なんです」と言う反撃も私としては容認してしまいます。平たく言い直せば、さっさと身を引いて若い者に未来を託しなさい、と言うことです。なぜなら、未来を託すことができる若者を育てることが年上の役割だからです。「こいつらには任せていられない」とか「最近の若い者は」という言葉をはき出す結果を導き出したのは自分自身の行動の影響である可能性もあると言うことを知っておかなければなりません。(改革に行動を奪われて後任の人を育てられていない小泉首相はそういう意味ではかわいそうですね。)
しかし、今回のやりとりで最も重要なのは、だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってる
、と言う部分です。たぶん、奉仕が当たり前だった昔に比べ奉仕が義務になった今日では、このような思考になってしまうのもうなずけます。
弁解するわけではないのですが、この若い人が他の場面に出くわした時も同じように席を譲らないかと聞かれたら、それは疑問です。人間には別の側面があるからです。もし、彼らの目の前に松葉杖をついた人が無言で立っていたとしたら、彼らは席を譲っていたかもしれません。彼らが席を譲らなかった理由はこの文章を見る限りでは、『単なる傲慢』ではなく『目の前にいる人が元気そうだったから』だったからでしょう。
もしかしたら、彼らには、ただ単純に『老人』に席を譲るのではなく『弱者』に席を譲ると言う信条があるのかもしれません。もしかしたら老人が嫌みを言ったりせず「席を譲ってほしい」と素直に言ったならば結果は変わっていたかもしれません。結局、可能性でしかないのですが…。
一番大事なのは『善意は義務ではなく自発的なものである』と言うことです。期待をしてはいけませんし、嫌みっぽく望んでもいけません。もし望んでいるのならば素直に行動に動かすことが大事です。少なくとも、相手の闘争心を駆り立てるような行動がふさわしい場面とは今回は思えません。
相手には相手の事情があるし自分には自分の事情があります。すべての人間が以心伝心ではないのですから、自分の事情を相手に伝えないといけない時だってあるはずです。素直になれなかった老人と素直になれなかった若者、今回の事件は、直接的なコミュニケーションを用いることの無かった双方に問題があると私は思います。
ちなみに、私の場合、お年寄りに席をゆずると言うよりは、子供ずれの奥さんやお父さんに対して席を譲ることが多いような気がします。一つの席が空いていたとすると、だいたいの親は子供を座らせます。年にもよるのですが子供は親の元に戻ろうとしたり、知らない人の隣にいると言う心理的作用も関与して、そわそわと落ち着き無いそぶりを見せます。それを親も心配そうに見つめています。そういった場面に出くわした時は早々に席を立って譲ることにしています。
で、席を立つとそれまで見えていなかった携帯電話のストラップ(実はこれが子供に大人気)が表に見えるので、子供が興味を示してそわそわすると言う逆効果もたまには発動したりします(笑)。すぐに収まりますけどね。
それもまたいとおかし。
一応、授業もほとんどが二週目になり、今日は時間割の確認表が配布されるのですが、だいたい日常生活の方針が見えてきました。今まで授業に出ていた午前中はとりあえず、課題を片付ける時間に全部回すことにしました。少しは作業時間が確保できるかな、と思います。
さて、学校生活も後半になりますと、分野が広い建築は、設計・施工・構造と言った3つの分野に分かれていきます。勿論取る授業も分かれていくわけですから、友人と一緒の機会は減っていきます。私の唯一の友人は構造系なので、その人は構造系の授業を受けますし、私は設計系なので、設計の授業を受けることになります。
こうしてどんどんと交流関係は狭くなり、結果的に一人になるわけですが、それもまたいいかな、と。ネタ帳を広げていても変に思われないですし(そこか)。
掃除だけは終了していませんが…(苦笑)。
とりあえず、水曜日のお昼は買い出しと決めているので、買い出しへ。気がついたのですが、店先に下駄が売っていました(パソコン関連部品ではありませんよ)。今の下駄はサイズが合わないので、気が向いたら買おうかなと思います。…入ればね。
掃除関連と言えば、掃除関連です。長編恋愛小説同盟のリンク CGI リニューアルと言うことで、すべての作品を登録し直すことになったのですが、この際、と言うことで、“ReSin-ens”のページを第四世代へ変換しました。時間の関係で完全ではないですが、“丘の上の物語”も色々と整理しました。
今回の変更で、小説専用のフレームページは削除することになりました。既に削除が完了していますので、ブックマークをしている方は要注意です。
Blog を含め日記で書いてはいけないネタとしては『恋愛関係』や『家族関係』等と言った、閲覧者にとってはどうでもいいような内容である。勿論、それを話の中心に展開していたり、元々身内向けの日記ならばそれでかまわないとは思うのですが、公共性が強くなる日記ほどそれらの話題は取り扱わない方がいいようです。
では、何故取り扱わない方がいいのでしょうか。それは『読んでもわからない、つまらない』からです。育児に関する情報を交換しているサイト等なら子育て日記もかなり役に立つかもしれませんが、ごく普通のサイト(ウェブで普通が何を示すかは不明ですが)において、子育て日記というのは閲覧者にとってはあまり楽しい物ではありません。勿論、これには恋愛関係の話題も含まれます。
ウェブ上に公開されていて、なおかつおもしろい日記(または人気のある日記)で、普通の日常を描いた日記という物はほとんど見あたらないかと思います。この点については、私より多くのサイトを見回っている人が居るかと思いますので、ご自身でお考えください。もしこのサイトの日記が、本当の日記ならば、果たしてどれだけの人が訪れるでしょうか。
いつもより少しだけ遅く起きてシャワーを浴びた。今日の朝ご飯は余った豚肉を使って実験的に豚丼を作ってみた。意外と美味しかった。
…こんな文章が現れたら私はとりあえずブラウザを閉じるか別の巡回先に向かいます。
どこかで書いたような気もしますが、『日記を書いてウェブで公開する』と言うことは、それなりに理由があるはずです。理由がないなら早くやめた方がいいですよ。疲れますし(笑)。多くの選択肢の中からウェブというスペースを選び、そして、その中で日記を公開すると決めたわけですから、それ相応の理由があるはずです。しかし、以前と違って今は
Blog の時代。クリック数回で自分のスペースがもててしまうわけですから、考える間もなく『何となく』でウェブ上にスペースを確保できてしまうわけです。
これが一昔前ならば、 HTTP や FTP について勉強し、インターネットがどのような形で成り立っているかを勉強する必要がありました。これが手軽になったと言うことは、インターネットという世界がそれほど身近になったと言う証明でもあります。
しかし、身近と言えでも、そこは公共の世界。貴方のパソコンが家ならば、インターネットは道路の真ん中です。ウェブサイトは道路脇に設置され、誰でも閲覧することができます。たとえ
Blog 等のツールを用いても、インターネットはインターネット。そこに書き記した日記は普通の手帳に書く日記とはやはり性質が違います。
ウェブ日記と日記の最大の違いはその公共性にあります。貴方がどんなに家族のことを書いたとしても、家族が読むならばまだしも、他の人が読んでもさっぱりわかりません。そのような日記はどんどんと読まれなくなり、やがて6ホットを下回るでしょう。それでもかまわないというならば、日記を書き続けてもいいでしょうが、だいたいは疲れてしまい、やめてしまいます。
せっかくのウェブスペースですから、個人的な日記はチラシの裏にでもメモ書き程度に書き捨ててください。家族の日記とか恋愛関係の日記はおもしろくない限り必要ありません。
閲覧者と管理者の両方の立場にいる私としては、やはりおもしろい文章を読みたいですし、それを有益な情報として広げていきたいと思っています。
ちなみに、さっきの『いつもより少しだけ遅く起きてシャワーを浴びた。今日の朝ご飯は余った豚肉を使って実験的に豚丼を作ってみた。意外と美味しかった。』と言う日記ですが、このサイト流に変換すると以下のようになります。
【みいな】 「雪冬さん、朝ですよ。早く起きてください。」
【雪冬】 「ん~…アイスはバニラ~。」
【みいな】 「夢の中でキャンバスをプレイしなくていいですから、早く起きてください。」
【雪冬】 「ん、起きてるんだけどね。」
【みいな】 「う~…。」
【雪冬】 「おはよう、みいな。」
【みいな】 「おはようございます。」
【雪冬】 「ふぁぁ………朝ご飯作らないとね…。」
【みいな】 「あれ? 忘れましたか? 昨日からメイドさんを雇って居るんですよ。」
【雪冬】 「あっ…3人姉妹とメイド長か…すっかり忘れてたわ。」
【みいな】 「台所が騒がしいことになっていますけどね。」
【雪冬】 「賑やかだからいいじゃないの。さて、それじゃあ、シャワー浴びてくるわ。」
【みいな】 「行ってらっしゃいませ。」
【雪冬】 「覗かないでよ?」
【みいな】 「雪冬さんの体を見たって何とも思いませんよ。」
【雪冬】 「…カップサイズ一つ小さいくせに。」
【みいな】 「べ、別にうらやましくなんて…ないです…よ。」
…あぁ、いつもの日記が一番落ち着きますね~(笑)。
ちなみに、三人姉妹メイドとは、 "margin", "padding", "border" のことで、メイド長は "!important" のことです。元ネタを考えたのは詩唄いさんで、キャラクターの性格とかは二人で決めた“CSSたん's”。今後は、恐ろしい勢いでメイド達が増えていきます。
【みいな】 「ところで雪冬さん。彼女たちのお給料は………。サンダバコさんも、ATOKさんも、みんなただ働きですよね…。」
【雪冬】 「あまいわね、みいな。このサイトで紹介しているから、宣伝になっているわけ。つまり、彼女たちの働き分はここでの宣伝費用に充てられるのよ。」
【みいな】 「なるほど…。」
【雪冬】 「わかればよろしい。」
【みいな】 「ところで雪冬さん…。私は製品ではなく個人ですから、私の宣伝はどうやっても無理ですよね。と言うことは、私はお給料を貰っていないことになるのですが………。」
【雪冬】 「ぐ…。じゃ…じゃあ、あとで設定で胸を大きくしておいてあげる。」
【みいな】 「本当ですか!?」
【雪冬】 「なんだ、やっぱり気にしてるじゃん。」
【みいな】 「ぅ………………………。」
流石熊谷ね…貴方は最高のライバルよ。
気象庁発表の毎正時の観測データ
那覇市の気温を簡単に上回っている件について。
湿度が低いだけましという物ですね、これは。後0.1度で真夏日なんですが…。うわ…大きくて赤い…暑苦しい文字…。
こっちはもうすぐで真夏日だというのに、私の地元のお隣の山(酸ヶ湯のことね)は未だに積雪が300センチを超えているわけですね。…流石…雪の回廊…。
今日、友達が泊まりに来ると言っていたのですが、どうやらそれも無効になったご様子。連絡来ないですからね。ん…正直言っていい迷惑だったので、うれしい限りです(うわ)。課題やらせて。
先日、電話→チャットという流れになり、会話が終わったのが26時ぐらいだったと思うのですが、小腹が空いていたのでコンビニに買い物に出かけました。その日の午前中は風が強く、空も都会の割に澄み渡っていました。コンビニから戻ってすぐにデジカメを持って外へ出ました。
街灯がないところ、陰になっているところを探し出し、デジカメを地面に設置して、撮影開始。空を見上げていたらふといい構図が浮かんだので撮影してみました。
電信柱と電線の隙間から見える星、というのは、どことなく都会っぽくて田舎への思いを起こさせるような気がします。(ディスプレイの設定によっては電線が見えないかもしれません。)
明るい星が一つあって気になったので星座盤(青森県仕様なのですが)で調べてみました。時間と日付をダイヤルを回して併せてみると、どうやらこと座のベガのようです。天頂付近を撮影しているので、緯度による誤差もあるかと思いますが、ベガで当たっているはずです。
コンパクトデジカメと言えば、ほとんどの設定を自動的にやってくれるので便利な物がありますが、極端に明るい物や極端に暗い物を撮影するのは少し苦手です。このあたりについては露出補正をやればまともに撮影ができます。その場その場に応じて設定するしかないのですが、全体的に明るい物は露出補正をプラス側に(全体的に明るいとデジカメが明るすぎると判断し暗めに撮影してしまう(全体評価測光(だいたいはこの方法))の場合)、全体的に暗い物は露出補正をマイナス側に、というのは、私の知識ではなく、そこらのデジカメ技術開設サイトに行けば何処にでも書いてある情報です。
全体的に明るい場合と暗い場合は露出補正となれば、真っ暗闇の中で明るい物を撮影する時はどうすればいいでしょうか。例えば、月。デジカメの初期設定である全体評価測光(取説参照)では、画面全体が暗いと評価され、シャッター速度を遅くします。シャッター速度が遅くなれば、わずかな光でも明るく表現することができますが、今回の被写体は月ですから、明るい方に入ってしまいます。普通の設定で撮影してしまえば、シャッター速度が遅くなり、月がまぶしくなりすぎて月面の模様なんて見えなくなってしまいます。
さて、これを解決するためには、露出を固定すると言う方法があります。露出の固定方法はデジカメの取説を参照してもらうことにして、その利用方法を。
さて、シャッター速度が短いので、月は暗くなってしまいましたが、月面の模様が綺麗に再現されています。
ここから先は応用です。フォトショップやGIMPを使用して(つまりレイヤーが使えるまともなソフトなら何でも大丈夫なはず)、ちょっとした補正をすることができます。
同じ撮影方法で同じ日のうちに複数枚の写真を撮り(できるだけ短時間で沢山とる。星の場合は地球の自転でだんだん場所が変わっていくため)、それらの写真を重ね合わせると、ノイズを減らし色調をなめらかにする(色が飛ばない)効果を得ることができます。また、明るいところは明るく、暗いところは暗くと言った引き締まった写真を得ることができます。
今回の場合は二枚の写真を使っています。
たったこれだけの行程で、一気に写真が明るくなります。この方法で補正を行った月の写真。
この辺は被写体に併せて各自我流でどうぞ。色々な方法がありますが『画像処理
コンポジット OR 平均化』と言うキーワードあたりで、ぐぐってみると案外と簡単に見つかります。
機種によっては機能や名称などが違う可能性があります。
29日から8日まで休みだ~とか言っている人がいたり、平均7日連続で休みとか言いますけど、なにそれ。ゴールデンウィークって三連休のことでしょ。勝手に拡張しないでよ。土曜日(30日)も月曜日(2日)も金曜日(6日)も土曜日(7日)普通に授業がありますよ。
さあさあ、私と同じ運命をたどる皆さん、一緒にがんばりましょうね♪
【みいな】 「ところで雪冬さん。一年中休み無しで働いている私達はゴールデンデイズも無いのですが。」
【雪冬】 「えっと…え~と………うん、気のせいだよきっと。ほ、ほら。8765時間のうち1/3は眠ってるんだし。」
【みいな】 「………。」
京都府警に引き続き、北海道警もWinnyで個人情報流出したようです。で、軽く調べてみたのですが、出てくる出てくる…。
たぶん、他にも沢山出てきそうですね、これは。
一番驚くべき事は病院での事件。私立病院を先頭に、公立病院もデジタルカルテの導入を進めていますけど、こんな調子で大丈夫なのですかね。デジタルカルテの最大の利点は院内ネットワークを使ってすべての科で患者の情報を共有できるところにあるのですが、もし、デジタルカルテを保存しておくサーバーが外部とつながっていたとしたら簡単に情報は漏洩してしまいます。果たして、危機管理できているのかと小一時間。
ただし、一番重要なのは、職員の公私混同。職場のパソコンに勝手にソフトをインストール(しかも無関係なソフト)をするのはやめたらどうですか? 給料を貯めて自宅にインターネットを引いてください。昔みたいに電話料金がかかる時代はほとんど終わりを告げたと言っても過言ではないですから。
“こもれびに揺れる魂の声”の某マッドムービーの前奏部分の星座が回転する部分で、オリオン座が逆さまなんです。誰か気がついてあげてください。オリオン星雲が上の方にあるんです…本当は下なんです…。
今日のメニュー(食事の)が決まるスレ → http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1114797077/-100
匿名のメール
…カレーが食べたくなった、どうしてくれるの!(ぉ
インドのカレーも日本のカレーもそれぞれの風土で発展しましたから、どっちが美味しいとは言えないでしょうけど、ジャポニカ米には日本のカレー、ナンにはインドのカレーでしょうね、やはり。
意外とカレーって作るのが面倒だったりします。
世界観という単語は生まれて間もない単語ですが、スニーカー文庫系列(いい加減このあたりの呼び名を決めたいところ)の小説を中心にして一気に普及しましたね。
世界を描写・表現する上で、細部の設定が必要であると何度か書いたことがありますが、最近の3作品“光になりたい”、“窓辺に座る小さな妖精”、“(冊子版)ReSin-ens”ではそれを特に細かく設定しています。中でも“ReSin-ens”の設定の細かさはある意味半端ではありません。何度も書いたとおり私は物語に唯一無二を求めますので、小さな事実を重ねていった上で一つの事象に辿り着かせると言う展開が大好きです。ですから『運命』と言う単語を小説内で用いることはありません。運命という単語はとても陳腐だと思います。特に恋心については。生まれた瞬間、またはそれ以前から決まっていて変えられない恋なんて恋だとは思わないわけです。運命とは始めから決まっていたわけですから、どこか一つの事象を踏み外してもそこに向かってしまいます。または踏み外すことですら決まってしまっています。そんな決定論的考えは大嫌いです。それよりは、一分家を出る時間をずらしただけで出会う人が変わるのと同じで、そんな小さな積み重ねの上で成り立つ物語の方がやはり唯一無二な存在のような気がします。(運命と偶然はある意味サランラップ一枚並みの紙一重なのですが、区別しておきましょう。)
さて、一つ一つの言動が物語(人生)に影響を与えるのならば、一つ一つの言動を発生させる起点となる物や世界は細かく取り決めをしておいた方が何かと便利です。(必要ないところまで設定する人も多いようですが。)“ReSin-ens”で言えば、彩音と音瀬が着用する制服も細かい設定があります。彼女たちが中学校時代に着る制服はセーラー服(作者の趣味)ですが、そのセーラー服のデザインを決定するまでに多くの時間を割いています。ファスナーの位置をはじめとし、スカートのひだの数や襟の形、ポケットの位置、ラインの数、それら諸々の設定の上で『制服』と言う一つの物ができあがり、その制服を人物が着ることにより『学生の彩音』を描くことができます。
細かい設定を取り決めることにより、細かい日常の表現が可能となります。例えば、制服を着る場面があったとしましょう。
ハンガーに掛け鴨居にぶら下げている制服を私は手にとると、パジャマを脱ぎ、制服を身にまとった。
ハンガーに掛け鴨居にぶら下げている制服を私は手に取ると、パジャマを脱ぎ、制服を身にまとった。上着を着る瞬間、耳の何処か遠いところで、大きな襟が空気になびく音を聞いた。
ハンガーに掛け鴨居にぶら下げている制服を私は手に取ると、パジャマを脱ぎ、制服を身にまとった。上着をかぶる瞬間、耳の何処か遠いところで、大きな襟が空気になびく音を聞いた。
以下略。
形容詞や説明続きの文章は美しくないと言いますが、例を挙げるために書いてみました。細かい設定は表現の可能性を広げてくれます。しかし、すべてを表現すると読者の想像の機会を奪うことになります。釣り合いが大事ですね。
細かい設定をしておくと、変なミスがなくなります。例えば、通学の場面で、風景を描写したとしましょう。前の場面では田園だったのに、いつの間にか都会になっていたり…ここまで極端な例は無いでしょうけど、食い違いが発生する可能性はあります。
細かい設定と言っても何でも細かくすればいいという物ではありません。例えば通学時間は、その時間が重要にならない限りは特別に決めなくても問題はないと思います。もちろん重要になるならば決めておくべきでしょう。授業開始の時間があり、学校までの通学時間が決まると主人公の起きる時間が決まります。主人公が低血圧ならば朝は苦手ですから、起きる時間が早くなります。もしかしたら幼なじみ(小説的ですね(笑))が起こしに来るかもしれません。このような場合は通学時間が重要になりますから決めておくべきでしょうか。
勿論、始めから細かく決めておいてもかまいません。細かく決めておいた事象を使うかどうかは作者自身ですから、取捨選択ができるのならば細かくしておいて問題になることはないかと思います。
今月は本を購入していないと思われます。
本業の方で制作課題が入り小説の更新は怪しい雰囲気です。“100のお題”か“窓辺に座る”のどちらかを更新したいとは思っています。