ReSin-ens

プロローグ

■『プロローグ』

 目の前に広がる光景…それは私自身から流れ出ている…鮮血………私の中心から流れ出るそれは、確実にベッドのシーツを赤く染めていく…。
「やめ………てっ…! やめてお父さんっ!」
 私の叫びに父は何も答えない。そして、自らの行為をやめない…。
「っ…! 痛いっ!」
 ねぇ…お父さん…やめ…っ………て…。お願い…だから…お父さん…痛い…よ。ねぇ…お父さん………やめ………。
「…」
 私の叫びに父は耳を貸す様子はない。
「…お父さん………」
 っ…嫌………いやぁぁぁぁっ! やめてっ! お願い…!
 声にならない声。音にすることができない心の叫び。感覚は薄れ…父の顔が見えなくなる…。私に残された感覚は…ベッドのきしむ音と、体に時より走り抜ける激しい痛み…。たったそれだけ…。
「お父さん…やめてっ! お願いっ! お父さん………!」
 振り絞って言った言葉に父は一瞬動きを止め、私をにらみつける。
「おまえは何もしなくていいんだよ。そこに寝てればな」
 そして、行為を再開する。
「いやぁぁぁっ!」
 ………はぁ…はぁ…はぁ………。乱れている息を私は整える…。部屋の中は月の明かりでほのかに照らされている。空気は透明で、落ち着いている。
「まさか…あの夢を見るなんて………」
 思い出したくもない過去のこと。もう…振り切ったと思ってたのに…まだ…。私はこの呪縛から逃れられるのかな………。
 …
 ……
 ………
『そんな…。紗には皆川さんがいるのに…』
『そう…だよね…。そうだね…。うん…しっかりしないと…』
『やはり、紗はそうこなくてはいけませんよ』
『ありがとう、彩ちゃん』
 ………
 ……
 …
 彩………裕樹………。
 気にしちゃ…駄目だよね…。もう…昔のことだもん。今の私は今の私…だからね。明日は学校だし…早く寝ないと…。また…彩ちゃん…寝坊するのかな…。
 布団に潜り込む。汗でぬれたスリップが、肌に触れた。

 目の前に広がる絶望。ううん…白い世界…何も考えることができない世界…。人はそれを絶望とよぶのでしょうか…。
「そんな………そんなことって…起こっていいはずがないですよ………。紀秋さん………。どうして………どうしてあたしを置いていってしまったのですか………。これでは…私が元気になっても………紀秋さんがいないなんて…意味がないではないですか…ねぇ…紀秋さん………どうして………?」
 涙が止まらない。涙が止まらない。止めることができない………。ううん…このまま泣いて…泣いて、泣いて………体中の水分をなくして…紀秋さんのあとを追った方が…いまのあたしは………。
「彩音………」
 見上げるとそこにはお母さんがいる…。
「ねぇ…どうして…どうして紀秋さんは…。あたしの…せいで………あたしが………」
「彩音…紀秋さんの遺書…読んだ?」
「うん………。紀秋さんが最後にあたしに言った言葉…それがあたしへの遺書…。『好きな人を自分の目の前で失う事はあまりに辛すぎる。それも自分のせいで。ごめんな、彩音。僕はもう彩音を好きになってはいけないみたいだ。さようなら。生きろよ』………紀秋さんは最後まで自分を責めていた…だから慰めたかった…。でも…あたしがいる限り…それは無理だった…。だから紀秋さんは………っ!」
 ―――飛び降りた…
 紀秋さん…あたし…どうすればいいのですか…これからどうすればっ!
 目を開けると視界が揺らいでいた。…泣いている…。指でこすると、その先にはわずかに光がともる。カーテン越しの月明かりが指先を照らしている。
「紀秋さん…」
 去年…のこと…。去年の夏のこと…。紀秋さんが死んで…もう一年がたつ。あたしはあれから、紀秋さんのぶんも生きようと思っている。だから…。
「紀秋さん…」
 もう一度その言葉を唱える。
 …ふぅ…。
 ゆっくりと息をすいこむと、私は布団をかぶる…。寝坊してしまうかもしれませんね………。

「よう。ばけもの」
「なんだ?」
 俺は振り返り公園の入り口を見ていた。そこには同級生が何人かたたずんでいた。
「なんだじゃない。ばけものは去れ!」
 それに弾かれたかのように他の数名も罵りを上げる。それは何重にもなる罵声だった。
「止めてよ!!」
「うるさい!! これでも喰らえ!」
 っ!
「おい…おまえのその力…なんだんだよ。おまえ…キモイんだよ…」
「そんなこと…言われても…」
「こいつ…人間じゃないんだよ、きっと」
「そっか…そうだったのか…。うわ…ますます気持ちわりい…」
「人間じゃないんだぁ~」
 その声と同時に体に襲いかかる衝撃。俺はその一撃で地面に倒れ込んだ。ふざけるな…。
「ほら…反撃してみろよ」
 っ…。
「どうしたんだ…それでも宇宙人か?」
 っ……。
「おら、何とか言ったらどうなんだよ…っ!」
 ぐわっ…。こいつら………。
「死ねよ!ばけもの!!」
 …。
 人間が無を悟る時とはきっとこんな時なんだろうか…。真っ白だ…何もかもが真っ白だ。自分に与えられているはずの痛みすら感じない…。でも…沸々と怒りを感じる…。自分の中にわき起こっている感覚を感じる…。
 だめだ…っ!
 何が駄目なんだろう…。俺にはわからない―――。
「ああぁぁあぁあああぁ!!!」
 刹那…光が空に向かって爆発し、空気の流れが一変する。
 なっ…これは…。
 その中心にいたのは俺だった。球状に広がる光の中…その中心に俺はいる…。気がつけば足下の地面はめくり上がっている…。高周波がうなりをあげ、俺の耳をおそっている。
 そして…
 俺の光は…周りにいた同級生を襲っている。うめき声を上げながら…彼らは俺を見つめ…にらみ…崩れ…落ちていく…。
「こ、これは…」
「これは、お前自身の力だ」
「お前は、あの時の…」
「そうだ。あの時以来だな。居元直哉」
 笑った男…。男とも女ともとれない中性的な顔立ち…。しかし…その目線は強い。俺は…こいつに…。
「何しに来た」
「まぁ、直哉の力が暴走している所為もあるかな?」
「どうすればこの暴走は止められるんだ」
「お前が死ぬか、その心が落ち着くか、それとももう一度同じくらいの強い感情が流れるか」
「そんな…」
「それと悪い情報を教えてやろう。ここにお前の母親が向かって来るぞ」
「どうして?」
「私が、虫の勘みたいな感じで教えた」
「お前は!!」
「さぁ…どうするか。決めろ。私は近くで見ているぞ」
 彼はそう言うと姿を消した。
「直哉! 直哉!」
 振り返ると、聞こえてくる母親の声。全力で走ってきたのか、その音も途絶え途絶えだ。
「母さん………こっちに来ちゃ駄目!」
 声に気付いたのか母さんがこっちに向かってくる。
「駄目だよ! こっちに来ちゃ駄目だ! 駄目ぇぇぇぇえっ!」
「直哉…」
 光に飛び込んできたお母さんは…俺の前で…俺の目の前で…倒れた…。お母さんは…俺のほおをそっとなで…「駄目でしょ?他の人に危害を加えちゃ…そして、どんなことがあっても人には優しく…ね?」
 そのまま俺の胸に体を寄せる。俺の胸に…お母さんの全ての重みが預けられた。
「母さん? かあさん? かあ…さん? ………嫌ぁぁああ!」
「直哉…なの?」
 しっとりしたトーン…。落ち着き払った声…。何処か間延びしたその声に俺は聞き覚えがあった。公園の入り口に茜が立っている。
「これは…? 何があったの?」
「来るな!」
「どうしたの?」
 …何時か見た光景のように…いや…ついさっきの光景のように…茜は俺に近づいてくる…。
「来るな! 来ちゃだめだっ!」
「えっ?」
「茜は…来ちゃいけない」
「聞こえないよ。直哉は何を言っているの?」
 ゆっくりと…茜は確実に近づいてくる…。止めてくれ…。お願いだから…光の中には入らないでくれ…。そうじゃないと…俺…。
「茜! お前だけは来ちゃいけない!!」
「来ちゃいけない?」
「そうだ!」
 大げさに俺は首を縦に振る。
「大丈夫だよ。直哉は心優しいから」
 そっとほほえむと、茜はまた歩き始める。
「そう言うことじゃない。来ちゃいけないんだ! 茜まで殺してしまう」
「直哉。落ち着いて。心を落ち着かせるの」
「出来ないよ」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「出来るはずがないよ」
「じゃあ、私が魔法をかけてあげるね」
 茜はその足を渦の中へと踏み入れた。
「ねぇ…直哉―――」
 …目の前に広がる暗闇。ベッドから半身を起こした俺はパジャマがぐっしょりと濡れていることに気がついた…。
「夢…か」
 思い出したくもない過去のこと。自ら犯した過ち…。自ら奪った命…自ら交渉し、手に入れた命…そしてそれの代償…。それはあまりにも残酷だった。
「…茜はあのあとなんて言ったんだろう…」
 頭を振ると俺はパジャマを新しいものに取り替える。
「明日は月曜日…。寝ないと…」
 布団をかぶり、ゆっくりと意識を沈めていく。次第に俺の視界は閉ざされていった。

* * *

■『出会い』

「あの…駄目ですか?」
 中学校の入学式が終わって一ヶ月も経ったころ、私はとある居酒屋にいた。明るく広い従業員専用の部屋…店内の様子をそのまま引き継いだ板張りの壁に、綺麗なシャンデリアの柔らかい光が映りこむ。部屋の中央に置かれたソファーはテーブルをはさんで対面し、私はその一方に腰掛け、もう一方にはこの店の店長が座っている。ネームプレートには『店長・順子』と書かれていた。
「駄目ですか…と言われても…ねぇ…。貴方はまだ中学生よ? 自分が何をしようとしているかわかってるの?」
「はい」
 私の深意をまさぐるような強い視線に、私は精一杯返す。
「そっか…」
 ふと外された視線。私ももう一度部屋を見渡す。私達を遠巻きに囲んでいる女の人達。直接私に注がれる視線は少ないものの、話題の中心は私に関するものみたいだった。テーブルの上には漆塗りの敷物が置かれ、その上には一輪挿が置かれ、花がひとつだけ添えられていた。
「他に道はないの? 生活保護を受けるとか…」
「家での身ですから…」
「そう…仕方がないですね…。あらかた応募書類には目を通させていただいたけど………では面接に移ります」
「ありがとうございます」
 瞬間的に空気を和らげたその女の人…多分年は四十に届くか届かないか…。和服に身を包み、丁寧なしぐさを見せるその人は大人の女性…。高級クラブに勤めていてもおかしくないような気がした。
「まず…男性経験は…当然ありますよね?」
「はい…。小学生の時に…」
「小学生…」
「厳密に言えば、小学校五年生の時です」
「そう」
 『小学生』という言葉に反応したのか、私を包み込む視線が急激に増える。
「そう…。それじゃあ次ね。一応プロフィールは見せてもらったけど…確認のためだからね。脱いでください」
「わかりました」
 発せられた言葉の意味に私は躊躇無く、セーラー服のリボンをふりほどき、スリップ、下着と全ての自らを覆っていた物を脱ぐ。人に自分の裸を見せることなんて…もう慣れた…。
「…」
 店長は何も言わずその体を眺めている。
「桜、メジャー」
「はい」
 短いやりとりの後、桜と呼ばれた女の人は店長にメジャーを差し出す。
「それじゃあ、確認するね」
 私は両腕を高く上げる。そんな私の体の寸法を店長は慣れた手つきで測っていく。
「え~と…76、64、55、81………。まぁ…中学生にしてはましな方ね…。サイズは…Bね?」
「はい…12センチですから…」
「そっか…。美佳、この子どう思う?」
「そうですね…」
 美佳と呼ばれたその女性は店長の横に立った。ざっくりと短く切られた髪…ちょっと鋭さのある目元…すっと通った鼻………身長は…150ぐらい…かな? ボーイッシュな空気を漂わせていた。この店にいるだけあってかなりかわいい。
「…特に問題は無いかと…それに…」
 素早く私の後ろに移動し、ソファに座ると、私を膝の上にのせる。
「色々な意味でかわいい♪」
 ちょっとうれしかった。
「まぁ…可愛いというのは私も認めるし、雇いたいという気持ちもあるけど…ただ…」
「あの…やはり駄目でしょうか…」
「まぁ…事情が事情だから…それに、私こういうのは弱いのよね。…ひとつだけ、確認させてもらえるかしら? 子供だからといって弱音は吐かないこと。いい?」
「はい」
「そう…。それじゃあ契約書にサインして…。身元保証人はいらない」
 差し出された契約書の規約に私は目を通していく。
「お願いします」
 私は自らの字でサインをした契約書を店長に手渡す。
「わかりました…。これは貴方が望んだ事…貴方と私の間に発生する契約。貴方はこれからここで働き、そして私はそれに見合う給料を貴方に払う。家賃…滞納してるんでしょ? 空き部屋があるからそこを使ってもらってかまわないわ。由香里、貴方この子の教育係お願い。接客とか教えてあげて。あと、テク。この子、相手が男だと受けの方が強いみたいだから、そのことも考慮しておいて」
「わかりました」
「貴方…一応一番この子に年齢が近いし…。それじゃあ、由香里…この子を案内してあげて。紗…あさってから貴方は仕事に入ってもらうわ。今日はまず休みなさい。アパートの大家さんには明日にでも話を付けてきなさい」
「はい」
「それじゃあ…。みんなに紹介するわ。今日からラミソールの新しい嬢になった、音瀬紗さん。年齢は11歳、中学一年生。子供だからと言っていびらないように。これからは仕事仲間…ですからね」

 案内された部屋に持ってきた荷物を置く。家出をしてきた時のままの荷物…数は多くない。カバン二つに全てが入りきる。一通りの制服とジャージ、下着…教科書…それだけで充分だった。昼からはじまった面接が終わるころには既に夕刻になっていた。居酒屋開店担当のスタッフは既に準備に追われている。
「私の名前は由香里。好きに呼んでいいからね。貴方は?」
「音瀬紗…苗字でも名前でも好きなほうでいいです」
「そうね…それじゃあ、紗ちゃんって呼ばせてもらおう。よろしくね♪」
「はい」
「はじめは大変だと思う。でも…ようは何でも慣れだから…嫌でも慣れるよ。事情は話したいときに話してくれればいいから。無理しなくていいよ。少なくともここで働く人は色々と事情があるからね」
「はい」
「ただ…私が心配することでもないんだろうけど…本当に大丈夫なの? 結構大変だよ?」
「一通りは大丈夫です」
「そっ…か」
 私は今までのことを思い出す。五年生のとき…強引に父親に押し倒されてから…今までの二年間…毎日のように抱かれて………落とされて―――。
「それじゃあ、とりあえず制服…着替えようか。一通りの服は前の人が置いていったりして残ってるからそれをつかっていいよ」
 由香里さんはいったん部屋から出ると、ダンボールを抱えて持ってきた。箱の淵から服がはみ出ている。
「これだけあればサイズはあるでしょ」
「そうですね」
 いったん服を全て出すと、サイズを調べていく。サイズが合う服を選び出し、合わない服はもう一度ダンボールにしまっていく。
「几帳面…なんだね」
「えっ?」
 ダンボールの中をのぞくと、自分でも気がつかないうちに折りたたまれ、綺麗に並べてあった。
「あっ…自分でも気がつきませんでした」
「いいことよ」
 作業を続け、上下5枚ほどの服を選定した私はとりあえずワンピースに着替えてみる。
「あっ…そうだ…。コスの衣装ならもっと可愛いのがあるかも。着古してもう店で使わない物だから…それも持ってくる? そっちのほうが似合うよ、きっと。他の学校の制服もあるし♪」
 軽い冗談に私たちは一緒に笑う。
「まぁね…若いと言っても一番低くて十八歳だからね…紗ちゃんにその服装はちょっとギャップがありすぎるよ」
「同感です」
 大人の女性用に裁断されたその服は、鋭くシルエットが作られ、いささか私にはにあいそうにもない。顔と服のギャップが大きすぎる。鏡に映る自分がおかしくてたまらなかった。
「はい。これ。このレースのワンピなんてどう? ちょっとメルヘンチック過ぎるかな?」
「いえ…着れればいいですから」
「そうね」
 由香里さんはちょっと口元をゆがませながら笑った。少なくとも、学校では制服、アパートではジャージ、という生活を送っていた私にしてみれば、随分と豪華になった。
「それじゃあ、服も決まったし…ここでのルールを教えるね」

 アパート…といっても店の上階にある自分の部屋に私は帰ってきた。この店で働き始めて大体二ヶ月…。表向きは居酒屋。裏では会員制の風俗…それも違法…今となっては営業不可能なソープランド…。ここでの生活リズムにもカラダは自然に順応していった。六時半に起きて朝食を食べ、学校に向かう。午後四時には帰ってくると、出された宿題をこなす。五時に一旦睡眠をとり、八時に起きる。九時から仕事をはじめ、日付を回った午前三時…私は睡眠をとる。居酒屋と風俗、居酒屋だけ、風俗だけ…という係りがあるけど、私は一番最後。表で営業している酒屋で未成年を雇うのは流石に危険、ということなのだろう。
 学生と風俗嬢を兼ねた生活…はじめは辛かったけど、泣き言なんていってられない。少なくとも私は若い。多少無理してもカラダが慣れてくれる。
 カバンから宿題を取り出し、筆箱を取り出す―――
事ができなかった。
「あれ?」
 カバンをひっくり返し、全ての荷物を取り出しても、私の探しているものは見つからなかった。
「…」 
 しょうがない、取りに行こう。授業中眠ってしまおうが、先生の話を聞き逃そうが、最悪宿題だけでも提出しておけば何とかなる。

 学校に入ると中はひっそりとしていた。SHRが終わってから一時間…校内に残っているのは文化部ぐらいだろう。自分の教室に入ると目的を果たす。トイレ…。ふとわいてくる感覚に私は正直に生きることにした。
 扉を開ける。学校のトイレ独特の雰囲気が漂ってくる。…タバコの吸殻が毎回話題になるっけ。個室の扉を開け、私は中に入る。ふと変な音が聞こえてきた。動物の鳴き声? ウサギが鳴いたらこんな音になると思わせるような、音………人間でいうと小さなしゃっくり…にも聞こえなくはない。…まさかね…。ひとつだけわいた可能性を私はかき消すと、自分の行為に神経を集中した。
 水を流し、手を洗う。その音は続いたままだ。私が使った個室の隣から聞こえていた。…。気になるといえば気になる。そっ、と、プレーリードッグのように私は中の様子を伺った。
 後姿は…人間そのもの。肩を震わせている。泣いているみたい…。背は私よりちょっと低いぐらい。髪は方にかかるかかからないかというショートカット。なで肩に細いライン、華奢な足…全体的に見て結構小さい…。私自身体格は小さいほうだけど、一回りかふた周りは小さいだろうか。身長順に並べば単独トップを勝ち取りそうな子だった…。でも…私にはもっと気になるところがあった。その服装と回りの様子だ。ゆっくりと体全体を個室の前に移動する。私の影が落ちてちょっとだけ暗くなったその場所にその少女は後ろ向きに立っていた。夏服準備期間でもないのにYシャツに身を包んだ彼女の足元に広がるセーラー服…。白いその奥には彼女の下着が見えるけど、ホックは外れている。下に目を移す。スカートの隙間からのぞく足。そして…床には…彼女の下着とその上にはいていたと思われるブルマーがあった…。
 昔の私をそのまま見ているような気分になった。
 私に背を向けたまま…壁の方を向いたまま泣いている彼女。短く小さな嗚咽を繰り返している。
 …。
「あの…」
 どうして声をかけたのかわからない。仕事の時間が迫っている。できるだけ早く宿題を終わらせ、できるだけ多くの睡眠をとらないといけない私にとって、厄介な事に巻き込まれるのは死活問題になる…けど…私は声をかけていた。………自分に似ているからか、単に興味があったからかは…わからない。でも、私が彼女に声を変えたのは事実。
「…」
 肩を震わせ、一旦泣き止んだ彼女は数瞬の先、再び泣き始めた。
「あの…大丈夫…ですか?」
 この状態から何が起こったかあらかたの予想がつく。まさか生理ではないだろう。
「あの…」
 私は個室の中に入り彼女の肩に手を触れた。彼女はもう一度…さっきより大きく肩を震わせた。ゆっくりと私を振り返る。丸くて大きな瞳…そしてその淵に乗る涙…おびえきった小動物のようなその子は、私を一瞬見た後、再び泣いてしまった。もう一度彼女を見る。そして、私は1つの事に気がついた。後ろ向きの時には気がつかなかった…そして…それを見たとき私は軽い吐気を覚えた。彼女のスカートには私にとっては見覚えのあるもの…白い粘性を持った液体がついていた。
 どうしよう…。
 …私はあの時…どうして欲しかった? 私は何を求めていた…? …そんなのわかりきってる。あの時…私はショックだった…そして…さびしかった…やり場のない悲しみに包まれて途方にくれていた。
 だから…
 私は後ろでに個室の扉を閉め、鍵をかけた。さらに個室が暗くなる。ゆっくりと彼女の肩に両手を乗せ、下に落ちた制服を踏まないように歩み寄り…彼女を見つめる。
 追い詰められた鹿のような目線を彼女は私に投げかける。大丈夫…何もしないから。
「…」
 無言で私はその手を背中に回し、そっと彼女を抱き寄せた。
「ひゃっ…」
 母音が欠落したその声を残して、彼女は何も言わなくなった。ううん…私の胸に顔をうずめられている形になっている彼女は何も言う事ができないかもしれない。ゆっくりと右手を腰から移動させ、彼女の頭に載せる。
「大丈夫…だから…私は何もしないから…ね。ほら…」
 彼女の頭をなでていく。心なしか彼女の体から力が抜けたような気がした。自分の制服が汚れようが関係ない。

 彼女が泣き止むまで私は頭をなで続けた。彼女の嗚咽の間隔が広がり、息をゆっくりとすう事ができるようになると、私は彼女を抱き寄せていた手を放した。
「大丈夫…ですか?」
 同じ質問を投げかける。
「はい…」
 彼女は下を見たまま、そう返事をした。
「よかった…」
 急激に力が抜けてその場に落ちてしまいそうな自分の膝をしっかりと支えると、私は彼女に服を着るように提案をした。はい、と返事をした彼女はワイシャツを脱ぎ、スリップを脱いだ。いまどきスリップを着ている人がいるなんてね…。自然に私はそれらを受け取り、彼女がブラをつけるための空間を確保するために横によけた。ありがとうございます、と彼女はいい、腰を折りブラをつけ、そして再び起き上がる。その手にスリップを渡し、着終わった後、ワイシャツを渡した。ショーツを履き、ブルマを履いた彼女はワイシャツをスカートの中にしまう。下に落ちた制服を拾い上げ、軽くはたいて渡すと、もう一度彼女は礼を言った。
 ウェットティッシュを取り出し、彼女のスカートと自分のスカートのシミを拭いていく。タンパク質成分は…固まると厄介だから…。

「あの…」
 服を着終わってしばらくがたっても私たちはまだトイレにいた。ううん…彼女がトイレから出るまで私はここにいようと思った。
「はい」
「あの………すいません…」
「気にしなくてもいいです」
「ありがとうございます…」
 何があったか言おうとしない。何があったか聞こうとしない…二人の間に生まれた暗黙のルールと暗黙の契約。でも…何があったか…私にはあらかたの予想がつく。強引にトイレに連れ込まれ、散々玩(もてあそ)ばれた挙句、男は自分の欲望を満たし、彼女を残し出て行った。たぶん、そんなところだろう。
「…受け入れて…いないですよね?」
 恐る恐る私はその質問をした。この様子から見るに大丈夫だろう…。
「は…い」
 あちこちに震えの残る声で彼女はそう答えた。
「そう…。よかった…」
 何が良かったんだろうか。少なくとも私にとって彼女は赤の他人だ。何があっても関係ない。………自分と同じ体験をさせたくないのだろうか。
「家に…帰りましょう?」
「はい」
 ゆっくりと彼女は個室から出た。
「家に帰ったら直接石鹸をつけた洗ったほうがいいです。たんぱく質は固まると厄介ですから」
「あっ…はい…」
「それじゃあ…私はこれで」
 彼女の返事を聞かずに私はトイレから出た。そしてその瞬間私は急激に現実に突き戻される。時間は…六時…いくらなんでももう寝ないと夜がもたない。私は宿題を片付けることなく、睡眠をとり、夜の世界へとそのカラダをあずけた。

 目覚し時計の音に強引に目を覚まされる。カーテンの隙間からは太陽の光が舞い込み、埃を蝶のリンプンのように輝かせていた。オフホワイトのロング丈スリップのまま洗面台の前に立ち、髪を梳かしていく。寝ぼけた顔に気合を入れ、また今日という日が始まった。
 毎日の朝はパンで始まる。もちろん時間を短縮するため。こんがりと焼いたパンに蜂蜜を塗る。甘い物は脳を活性化させる。それに蜂蜜は疲れた体を少しは整えてくれるから…。
 朝ご飯を食べ終わり食器を片付けようと立ち上がった瞬間、膝から力が抜け、私はその場に倒れた。手を床につき、膝をつき、私はゆっくりと立ち上がった。頭が…痛い…。偏頭痛かな…。薬の場所を思い出しながら、私は食器を水に漬けると、戸棚から頭痛薬を取り出した。もうだいぶ減っている。

 学校にたどり着くと下駄箱に向かう。外履きをいれ、中履きを取り出そうとしたその手が空気だけをつかんだ。はぁ…。軽いため息をつきながら、私は、通いなれた給湯室からスリッパを借りて教室へと向かった。また男子の暇つぶしに付き合わされるわけね。
 クラスにたどり着いた私は窓際から三列目、前から二列目…ほぼ教室の中央に当たる席に腰を下ろした。既に教室には十人ぐらいの人がいて、それぞれにグループを作って和やかに談笑をしている。私はそれを横目に見つつ、机に道具をしまうと、一旦眠りに着いた。
 先生が入ってきて、教室の雰囲気が変わった事に目を覚ました私は、とりあえず、連絡事項を聞く。どうせ、何時もと何も変わらないけど。薬を飲んでから三十分以上経つのに頭痛が治まらない…。今のところ、予備に持ってきた吐気止めだけは使わなくて済みそうだけど、この頭痛は辛い。今日は…まともに授業を受けられるのかな…。右手で頭を押さえ、ひじを机に着く………痛い。

 三時間目…目の前では数学の授業が展開されている。先生は学担の三村。下の名前は知らない。顔は…興味ない。とりあえず、授業を聞くだけで精一杯。あまり良くないけど、飲み足した頭痛薬は効果をあらわしているようには思えない。朝より酷くなっている。これは…授業はリタイヤするしかなさそう…ね。ゆっくりと目を瞑ると私は机とお友達になる―――
突如、額に痛みを感じ、同時に耳を刺す鈍い音。体の平衡感覚がなくなり、次に体に与えられた刺激は全身にほとばしった。椅子から…落ちたの…かな? 目をあけようとしてもそれはかなわなくて…どんなに力を入れても抜けていくばかり…あたりから声が聞こえる………どうしたんだろう…まるで自分の体じゃないみたい…。やがて何も考えられなくなると、私は全ての感覚から切断された。

 目をあけると飛び込んできたのは薄紅の壁とクリーム色のカーテン…そして、においを感じない空気…。全身を包み込む暖かく柔らかい感覚………布団…保健室? あたりに目をやると、ガーゼを置いてある戸棚もスチールの机もない。大きく開かれた窓からは夕日が差し混み、白いシーツの上に柔らかい影を落としている。ふ、と、全身に感じている感覚とは異なる感覚がある事に気がつく。私はその感覚がある体の部位…右手のほうへと視線を動かす。
 !
 そこには紺色の服…正確には私の通っている学校のセーラー服に身を包んでいる…女の子がいた。私の手は…彼女の右手によって包まれていた。かすかに彼女の熱が伝わってくる。でも、その手は私より冷たかった。
 …。
 どうしたんだろう…急にさびしい気分になる。そしてその心を風がそっとなでていくように包みこむ感触………私…の手を握っている…? こんな…私の手を握っている…。
 次の瞬間には自分でもわからないのに…涙が溢れていた。自分の耳に誰かの泣き声が聞こえてくる。ううん…その泣き声は私の声…どうしてないているのかわからなかった。自分が泣いている事が信じられなかった。でも私は確実に泣いている。頬を伝う暖かい感覚…。耳に入る少女の泣き声。わたし…どうしたんだろ…。
 私の声に目を覚ましたのか、彼女は顔をあげた。おでこには制服の跡が赤く残っている。幼い顔立ち。全体的に丸みをもっていて、目は大きい。首をかしげるとやわな男なら一発で落ちそう。
「よかった…」
 彼女が発した言葉。私はその言葉に釘付けになった。よかった…たったそれだけなのに…たとえようもないぐらい嬉しくて…私はまた泣いた。私の嗚咽に多少戸惑いつつも、彼女は私の手を離さなかった。私は自らの感覚を右手にゆだねる事にした。
「急に倒れた時は…本当に驚きました。大丈夫…でしょうか」
「うん。大丈夫。ありがとう…」
「いいえ。それより、看護師さん呼びますね」
「あっ…うん」
 彼女は枕もとにおいてあったボタンを押し、音瀬さんが目を覚ましました、と伝えた。
 問診と検査の結果、私は過労と診断され、二週間ほど入院する事になった。やっぱり…疲れていたみたいだった。仕事をはじめて一年とちょっと…立ちくらみを覚える事や頭痛は日常茶飯事だったし吐気を催すことだってあった。生理なんてずっときていない。たまには休め、そういうことなんだ。
 検査が終わり結果が言い渡されたころ、時間は夜の七時を回っていた。私と彼女は何も話すことなくそのときを過ごしている。沈黙を破るためだろうか、それとも彼女はじぶんのぎもんを正直に言ったのだろうか私にこんなことを聞いてきた。
「あの…音瀬さんのお父さんや、お母さんはお見舞いに来られないのですか」
「こない」
 来る筈もない。私が五年生の時お母さんは死んだし、入学式以来あの家にもどってもいない。少なくとも父には会いたいとも思わない。あんな奴…。
 同情するならすればいい。のけ者にするならばすればいい。私は傷つかないから。
「そうなのですか…それでは、あたしが毎日お見舞いに来てあげます」
 予想外の彼女の答えに私は驚きをおぼえる事になった。彼女は慰めもしない。同情もしない。ただ、その柔らかい笑顔で…暖かいまなざしで私を見つめて…ただ、その一言だけを言い放ったから…。
「あの…迷惑でしょうか?」
 返事の変わりに流した涙を見て彼女はそういったのかはわからない。けど、私は本当に嬉しかった。
「ううん…そんなことはない…です…」
 私は気を抜いたら言葉にならなさそうになりつつもそう言った。
「それでは…あたしはそろそろ帰りますね。また、明日」
 ちょこんとお辞儀をすると、リュックサックを背負い、彼女は私に背を向けた。
「あの…」
 私は一つ確認をするために彼女が病室から出てしまう前に呼び止めた。
「名前は…なんというのですか?」
「あっ…失礼しました。あたしは「はるかぜ あやね」、音瀬さんの斜め左後ろの席の人です。よろしくお願いしますね」
 もう一度笑顔で礼をした後彼女は部屋から出て行った。…失礼なのは…私のほうじゃない…。

* * *

■『出会い』

10月4日 月曜日

 まだ薄い意識の中、窓の外からは鳥の鳴き声が聞こえ、カーテンの隙間からは光が漏れている。もうすぐ冬が来る。しん、と冷え切った部屋の中で、俺は目を覚ました。太陽に見つめられ恨めしそうに天を仰ぐ時間、俺はベッドからゆっくりと降り立つ。薄いパジャマ地を通り抜け、空気が肌を刺す。いまだに晴れない脳と体を引きずりながら俺は一階のリビングへ向かった。
 既にリビングは石油ストーブで暖まっている。カーテンを開けながらキッチンへ向かい、朝食のパンをトースターにかけ、いつものように珈琲を淹れていく。蒸留し、余分な成分を飛ばしておいた水を加熱し、沸騰させる。火を止め数秒…九十五度まで冷ます。昨日の夜に挽いた豆を用意し、無添加無漂白のフィルターに乗せ、お湯を注ぐ。あらかじめ温めておいたカップに、珈琲は熱を奪われることなく、注がれた。
 トースターからパンが跳ね、香ばしい匂いが漂う。珈琲の匂いと混ざり合い、小さく朝を演出していた。パンの上にバターを塗り、スクランブルエッグを乗せる。のんびりと過ごす月曜日の朝。まだ学校がはじまるまでは一時間ほど余裕がある。いまだに晴れない脳みそは玄関チャイムのメロディーによってようやく目を覚ました。この時間…ということは。
「はい」
 玄関に向かう。引き戸の曇り硝子からは、紺色のシルエットが覗いている。
「茜か?」
「そうだよ。直ちゃん、おはよ~ぉ」
 おはよう、と対照的に返事をしながら俺はドアの鍵を開け、茜を中に導いた。太陽の光に当てられ思わず目を瞑る。
「今日も寒いね~」
「あぁ。もうすぐ冬だからな」
 廊下を歩きながらの会話。もう少しすれば、家の中でも息が白くなるのだろう。ひしひしと冬は近づいている。茜の鼻先は少し赤くなっていた。
 ソファーに茜を座らせ、俺はテーブルで食事を再開する。俺が珈琲カップを持ち、口に運ぶと、茜が「あっ、私にも頂戴」と言った。
「…いいけど…苦いぞ?」
 最終確認。ファイナルアンサー?
「ぅ…」
 苦いのが苦手な茜にとってこの宣告は死を意味するのだろう。
「いいもん。私も飲む」
 どうやら戦いを挑むらしい。パーティー全員瀕死の状態でラスボスに挑む茜。果たしてこの勝負…どちらに傾くか…。だが俺には結果が見えている。飲んで一言、『苦い』というに違いない。何時だってこの繰り返しだったから。自分が使わないことをいい事に、この家にはグラニュー糖という物は存在しない。茜だってそのことはわかっている………無謀な奴だ。おまけに今日は、さわやかな苦味で好評を得ている『モカ』だ。茜には辛いだろう。ちょっとだけ割合を変え味を薄めた珈琲を俺は茜に差し出した。
「ほら。こぼすなよ」
「ありがとぉ」
 湯気が立つ珈琲からはいい香りが漂っている。
「いただきまーす」
 茜がカップに口を付けて、一口だけ、口に含んだ。
 一…二…三………。
「苦いよぉ~」
 記録、七秒…新記録。前よりはちょっと反応が早くなったな。ちょっと舌をだし、切ない目線を俺に送る。
「だから言ったのに…懲りない奴」
「でも、飲む…」
 また口に含んで、同じ行為を繰り返す茜。茜の悲痛な声はまだ続いたのだった。

「よう、直哉。一緒に飯食うか?」
「飯か…義明はどうするんだ?」
「あれ? 春日君いつも、お弁当じゃない?」
 俺の机を取り囲んでの会話に茜が混ざる。既に回りは思い思いに机をあわせ、昼食の時間を過ごしている。俺たちもこれからの方針を話し合う。
「…同じ一人暮らしのお前にはわかるだろ? たまには忘れたい時もあるんだよ。ということだ、食堂に行かないか?」
「あぁ、いいぞ。俺は元から学食だしな」
「私もいく~」
「よし、メンツ決定。じゃ、行くか」
 いつものメンツだけどな。

「相変わらず混んでんな~」
 忌々しげに義明が呟く義之。
「じゃあ、何食べよっか?」
 とりあえずマイペースな茜。
「俺は、こんがりベーコントーストとコーヒー」
 自分勝手にメニューを決める俺。
「俺は、豚キムチラーメン」
 便乗する義明。
「はぁ~…わかりやすいというかなんというのか…」
 ため息をつく茜。
「じゃあ、私はカレーでも食べようかしら」
 一応着いてくる茜。
 俺たちはそれぞれのメニューを扱う列に並ぶ。時間は一時。十二時五十分に授業が終わることを考えると、俺たちはかなり出遅れた形だ。
 戻ってみたら、他の二人はもう戻ってきていた。
「おまえら早いぞ」
 既に二人は食事を始めていた。俺も席に着き、戦利品を机に並べ、会話の合間に口に運んでいく。
「でもさ…直哉ってどうしてそんなにコーヒーが好きなんだ?」
「私もそれ疑問。どうしてあんなに苦い物飲めるのかわからないわ…」
「あのな、好きな物に疑問を持てという方が難しいだろうが」
「まあな」
「でもそれって、自分に対する自覚が足りないと言うこともあるわよ」
 歩く哲学書が俺に語りかけてくる。
「あっ、今失礼なこと考えた」
「…なんでわかる」
「一応、幼馴染だからね。歩く哲学書なんていわないでよ。読書好きといって欲しいよ」
「哲学書ばっかり読んでるくせに」
 と、言い張っても、当然口論では勝てない。論点の中核を捉えて的確に答えを返されると俺としては太刀打ちできない。よく先生といじめの事について等を話し合っているのが見かける。
「自分自身が見えているのは全体の四分の一で全体を見るためには…」
「長くなりそうだな…」
「ああ」
 俺は、義明の言葉に肯定し飯を食うことに専念した。とりあえず、茜は放っておこう。
「だから、他人の意見も…」
 そんな事には気付かないで茜は只話し続けていた。終わったのは、昼休み終了五分前だった。…話していたはずなのにきちんと食べきっていた事に俺たちは驚いた。

 放課後になると学生は思い思いの場所に向かって行く。俺は、朝のことを思い出し、食材を買いに行くことにした。
【茜】「直ちゃんは今日は何処に行くの?」
【直哉】「ああ。俺は食材を買いに商店街に行くけど」
【茜】「じゃあ、私も行く。そろそろ、シャンプー買いに行くから」
【直哉】「じゃあ、行くか」
【茜】「うん」
 自称、三度の飯より風呂好きの茜にとってシャンプーがないのは死活問題だろう。

【直哉】「さあて、俺はまずは、スーパーに入るけど茜は?」
【茜】「あっ、私は専門店に行くから」
【直哉】「そうか」
【茜】「でも、直ぐに買ってくるから私もスーパーに行くね」
【直哉】「おう。わかった。じゃ、またな」
【茜】「うん。じゃあ。また直ぐに…」
 茜はそう言い、人混みの中に消えていった。
【直哉】「さてと…」
 俺は、直ぐ近くにあるスーパーに入っていった。いつも思うのは、この商店街って結構儲かっていると言うことだ。入ると、いつも道理元気な挨拶が降ってくる。
【店員】「いらっしゃいませー!」
 俺は、かごを片手に食材-主に、野菜と肉、パン系-を探しに行く。
【直哉】「今日は、野菜はいつもの半額か… でも、芯食感も良いな~」
 野菜をかごに放り込みながら、俺はパンをどうしようか悩んでいた。
【直哉】「俺は、いつも洋食ですますからな~。迷う…」
 結局、芯食感宣言のパンをかごに放り込み、ハムを放り込んだ。
【茜】「直ちゃん。余り偏った物食べない方が良いよ」
【直哉】「うわっ!茜か… 。全く気配がなかった」
【茜】「うふふ。今日は機嫌がいいんだよ。私」
【直哉】「いつも、脳天気なのに…」
【茜】「なんか言った?直ちゃん」
【直哉】「いえ… 言っていません」
 こう言うときの茜は怒らせない方が身のためだろう…。俺は、かごをレジに持っていこうとするが茜が阻止する。
【茜】「駄目だよ。もう少し魚介類を混ぜなきゃ」
【直哉】「だってよ、どうパンと会わせるんだ?」
【茜】「ご飯と合わせればいいじゃない」
【直哉】「俺は、洋食派なんだけども」
【茜】「だったらパンの上に乗せるとか?」
 ………
 うっ…想像してしまった。相当気持ち悪い。まだカスタードクリームコロッケをはさんだほうが幸せな道を歩めそうだ。
【直哉】「ま、いいや。とりあえず会計をすますか」
 俺の行動は結局茜の無視だった。

 外に出ると、スーパー内の活気程ではないしても、活気は有るが少し寂しく感じる。
【直哉】「寒いなぁ…」
 空を見ると、雲が少なく輝き始めている星が見える。夜が近いことを知らせている。早く帰らなきゃ。
【茜】「直ちゃん。酷いよ、無視するなんて」
【直哉】「茜が言いたいことはもっともだが仕方ないことだ」
【茜】「うぅ~。いつもそればっかだと体壊すよ」
【直哉】「まあまあ。良いだろ」
【茜】「じゃあ、寒いから、何か飲み物奢ってよ」
【直哉】「はぁ?!どうしてそうなる」
【茜】「良いでしょ?」
【直哉】「わかったよ。ほら120円。早く買ってこい」
【茜】「わぁ~い」
 とことこと近くに自販に飲み物を買いに行く。コインを入れて、ホットの棚に有るボタンを押す。
【茜】「♪、♪… あ~!直ちゃ~ん」
 少し涙目でこちらに小走りしてくる茜。
 その手には、コーヒー。マイルドで甘い奴だが、俺的には余りおいしくない。
【茜】「これ~!」
 そう言い差し出したコーヒーは冷たかった。さっきは確かにホットの棚を押したはず。しかしこれを見る限り、入れる方が間違いだな。
【直哉】「仕方ない。貸してみな」
 そう言い、茜の手からコーヒーを受け取ると少し、「力」をこめた。暖かくなっていく飲み物。今まで何回もしてきた事なので慣れた。茜はこの力は何回も見ていた。少しして茜に返してやった。
【茜】「直ちゃん、ありがとう」
 そう言い、茜はブルトップを上げて暖かくなったコーヒーを一口飲んだ。
【茜】「直ちゃんも飲む?」
【直哉】「いや、いい。そのコーヒー余り好きじゃないから」
【茜】「ふ~ん。そうなの。じゃあ私飲むね」
 茜はコーヒーを飲み始めた。

 夜。放射冷却現象の効果が最高潮に達する時間。外はかなり冷えてきているが家の中は暖かいものだ。
 商店街で買ってきたコロンビア豆。いつもはマスターの店で買うからどんな味が出るかちょっと怖かったりする。ハンドルを回すと豆の香ばしい匂いが部屋を満たした。

10月08日・金曜日

【直哉】「ふぅ~。やっと今日も終わった」
明日は休みだし…今帰ってもなぁ。
何をしようか考える。

……
………
たまには、絵でも描きに行くか。
【直哉】「えっと…」
俺は木炭やスケッチブックなど最低限の道具をそろえていく。
既に何冊目のスケッチブックだろうか。
そんなことを考えながら、俺は部屋を出た。
自転車を用意する。
新聞配達業の人がよく使うようなサイドのカゴを取りつけ、その中にスケッチブックをいれる。
画材をしまった鞄を自転車のカゴに入れると、俺は家を出た。

……
………
学校を通りすぎる。
まだ通学路には生徒が歩いてる。
グラウンドではサッカー部が練習をしているようだ。
大学生だろうか。私服の生徒が話しながら歩いている。
そんな中、俺は丘の上の公園を目指していた。

……
………
いつもの人気の無い『河流市自然公園』。
自然公園のためだろうか、これといって遊具もない。
俺は自転車から降りると適度な場所を探した。

……
………
ここがいい。
丘の上にある木が見える場所。
腰を下ろすとスケッチブックを開いた。
真っ白なページが目にさらされる。
木炭を持ち、スケッチブックに走らせていった。

……
………
ん?
あらかたのラフを描いたところで、今までいなかった人に気がつく。
いや、目に入っていなかっただけかもしれない。
視界の中の木の下…女の子がいた。
制服から見ると…うちの学校の生徒だろうか。
こんな所で何をやっているんだか。
まぁ、俺には関係ない。
その場所を後回しにして、違うところの作業に取りかかった。

……
………
俺はもう一度木のあった場所を見た。
…さっきの女の子はもういない。
俺は空白だった場所に木炭で線を重ねていった。

……
………
大分出来あがってきた。
【直哉】「んっ………」
背伸びをしてそのまま後ろに倒れる。
【女の子】「きゃ」
ん?
誰かの声が聞こえた。
そのままの姿勢で声のした方を見た。

見知らぬ人。
関係ない。
俺は視線を空に向けた。
【女の子】「あっ…あの~?」
どうやら、俺は話しかけられているらしい。
【直哉】「ん?」
【女の子】「あの…大丈夫ですか?」
何の事だ?
俺に話しかけているんだよな?
俺が困った顔をすると彼女は、
【女の子】「えっと…急に倒れたので…」
と答えた。
あぁ…その事か。
【直哉】「背伸びをしただけだ。安心してくれ」
【女の子】「そうですか。それならよかったです」
…何なんだ? こいつ…。
俺は話を早々と切り上げる異にした。
【直哉】「心配してもらって悪いけど…、今から集中しないといけない所だから、話しかけないでもらえるかい?」
出来るだけ丁寧な言葉で会話を立ちきる。
【女の子】「わかりました」
俺は起き上がると、スケッチブックを持ちなおした。

……
………
サササッ…。
木炭を走らせる。
細い線が次第に太く濃い線になり、段々と風景が紙の上に現れてくる。

……
………
一通り描き終えた。
【直哉】「ふぅ…」
【女の子】「もう…大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられる。
まだいたのか?
【直哉】「お前も、暇な奴だな」
制服を見る限り、1年生だった。
【女の子】「そうですか? あたしにとっては有意義な時間でした」
そういって自分の持っている本を指差した。
【直哉】「本を読んでいたのか」
【女の子】「はい。ずっと後ろで」
何の本を読んでいるのか? と聞こうと思ったが、俺には関係のない事だ。
「絵を描くのが好きなのですか?」
【直哉】「まぁ…な」
彼女の質問。
【女の子】「何時も、ここで描いているのですか?」
【直哉】「いや、そうでもない」
【女の子】「…」
【直哉】「…」
俺の無愛想な返事に会話が自然に途絶えた。
【女の子】「もしかして…邪魔ですか?」


■選択「う~ん…。そうかもな」「そうでもない」

【直哉】「そうでもない」
【女の子】「そうですか? それでは、まだここにいますね」
【直哉】「好きにしてくれ」
【女の子】「はい」
そう言うと、彼女は横に座った。
その隣で、俺は絵を書き始める。
放っておくと一人で帰るだろう。
これが俺の選んだ道だから。

……
………
下書き終了~。
【女の子】「ところで、何時も風景を描いているのですか?」
まだいた…。
【直哉】「そうだな」
【女の子】「やっぱり、自然の景色っていいですよね。あたし、自然が好きですから」
【直哉】「そうなんだ」
【女の子】「それにしても、大きいですね」
【直哉】「そうでもない」
確かに他の人が使うよりは一回り大きいだろう。
【女の子】「どうしてですか?」
しょうがない…。
この子の欲求を満たさないと俺は解放されないらしい。
【直哉】「小さい画帳に描くと伸びやかさの無い、小細工に加減したクロッキーになってしまうんだ」
【直哉】「つまり、大胆な強い線が生まれてこない」
【直哉】「それに、画面全体が視野にスッポリはまるから、モデルを捉える構成が甘くなってしまう」
【直哉】「臆病でない強い線を得るには、大きな画帳を暴れまわるような手の動きも必要なんだ」
【女の子】「そう…なんですか。初めて知りました」
どうやら満足してくれたらしい。
【女の子】「それじゃあ、あたしはそろそろ帰りますね」
【直哉】「あぁ」
【女の子】「それでは、また」
また?
俺が知っている限り、少なくともそれは、『再会』を意味する『わかれ』の言葉だった。

一体、何だったんだろう…。
結構、大人しそうな子だったけど…。
って…俺は何を考えている!
あの『力』…。
あの力を知っていらい、俺は人とは付き合ってはいけないんだ。
あの時の光景がまた脳裏をよぎる。

……
………
「今日は…帰ろう」
俺は道具をしまうと、公園を後にした。

;■■■■■■■■
10月12日 火曜日

今日は、テスト一日目。
朝早くから学校に来て勉強している優等生か赤点学生とは違うので俺は悠々と登校してきた。
隣には茜が居て、すがすがしいのかどうか微妙な朝の空の下を歩いてきた。
【茜】「今日はテスト一日目だよ。確か科目は・・・」
【直哉】「英語に、国語。世界史の三つだ。今更確認か?」
【茜】「えへへ。ちょっとね。今回のテスト勉強は頑張ったからいい点を期待気味なの。」
【直哉】「ふーん。」
【茜】「あっ。何?!その、どうでも良いです… って言う、返事は。」
【直哉】「いや… 俺ってあんまりそう言うのに関係しないし。」
【茜】「はぁ… 直ちゃんは、良いよね。」
茜が少し落ち込んでいるのを横目に学校に登校した朝のこと。

カリカリカリカリ カランカラン カリカリカリカリ
シャーペンやら、鉛筆やらがテスト用紙と机を叩いている音。
それに混じって微妙に聞こえてくる、鉛筆を転がす音。
たぶん、サイコロ鉛筆を転がしているのかテストギブアップの意味だろう。
今は、国語。
選択肢が多いから、使う奴も増えているのだろうか。
あちらこちらで転がす音が聞こえる。
そう言えば、今日の朝。必至に鉛筆に数字を書いていたな。義明…
まさかな… ははは。
テストに集中しよう。

チャイムと同時に悲鳴と歓声が教室を支配する。
その中で、俺はまあ自信が有る程度の点数は取ったと思う。
【義明】「直哉。どうだった?世界史、問題数多くね?」
【直哉】「確かに多かったな。お前何処間違えたんだ?」
【茜】「どうだった?直ちゃん。今回範囲狭いからと思ったら結構問題多かったね。」
【義明】「う~んと、ウィーン会議からドイツ統一までの範囲だよな。」
【直哉】「で、お前等何処間違えたんだ?」
【茜】「私は、イタリア統一戦争の所付近。」
【義明】「俺は、ドイツのところが全滅だ。」
【直哉】「・・・・・・。」
【義明】「オイ。直哉今何げに笑ったろ。」
【直哉】「全然。その前に早く帰らないと明日も有るぞ。」
【義明】「くそ。覚えていろよ。俺は忘れるが。」
その時担任が教室に入ってきた。一斉に静かになる教室。
【担任】「テストは後二日有るからな。頑張るように。挨拶。」
【クラスメート】「きりーつ、れい。」
【義明】「直哉、また明日な。」
【直哉】「じゃあ、また明日な。」
義明の奴が、号令がかかった後すぐさま教室を脱兎の如く走り出ていった。
【茜】「直ちゃん。帰ろ。」
【直哉】「… おう。帰るとするか。」
茜と二人でいつものように家への帰途についた。
この後俺は家に帰って飯を食い、いつもの如くコーヒー豆を轢いて寝る事にした。

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10月13日 水曜日

テスト二日目。
今日は数学ⅡとOCがある。
学校では、もう勉強している奴が居る頃、俺は茜と一緒にコーヒーを飲んでいた。
まぁ、それに対して義明はどうなっているのかはわからなら無いが…
たぶん…また何かしら作っていたり書いていたり…
まさかな…
【茜】「どうしたの?直ちゃん?」
【直哉】「いや、何でもないよ。とりあえずそろそろ学校に行くか。」
【茜】「そうしよっか。」
【直哉】「じゃあ、準備してくるな。」
【茜】「私は外で待っているよ」
【直哉】「直ぐ行く!」
俺は、一気に準備して外に向かった。
【直哉】「いくぞ~」
【茜】「お~」

学校に行くと、いつもより早めに出てきたはずなのにいつもよりも人がいた。
【直哉】「早ぁ~」
【茜】「確かにね。」
【義明】「直哉~余裕だな?」
【直哉】「おう。とりあえずはな…」
【茜】「そう言う春日君はどうなの?」
う゛…みたいな反応をして後ずさる。
【義明】「よ、余裕さ…」
【直哉】「そうかそうか…じゃあ、テスト後勝負だな」
【義明】「…くっそぉぉぉぉ!!」
義明はそのまま、教室を出ていった。
結構いじれる奴…と思った。

テスト2時間が終わると学校はもう終わり。
おかげでどうしようか悩むくらい時間はある。
【茜】「直ちゃん、どうする?どっかよる?」
【直哉】「いや…今日はもう家に帰ろっかな」
【茜】「そう、じゃあ私はこれから商店街に行くから途中まで一緒。」
【直哉】「ああ。良いぞ」
それから俺は茜と一緒に帰って茜は商店街に向かったのだった。

夜はいつも通り、夕食に悩み結局いつも通りのパスタになり、コーヒー豆を轢いて寝たのだった。

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;10月15日・金曜日・(再会)

 珈琲を飲みながら過ごす朝の時間。端から見れば優雅なのかもしれないが、俺にとっては既に日常。
 俺は夢のことを考えていた。いつも見る夢。繰り返してみる夢。忘れたくても忘れられない夢。そして、その夢は過去に起こった現実。思い出されるのは、全てを破壊していく光景。破壊というのは、生命の破壊。見えないが感じるもの。鮮明に思い出せる。今日の夢は、悪夢だった。そう…昔に起こった悪夢だった。

「直ちゃ~ん。おはよう」
「おはよう…」
 茜とは対称的な俺の声。
「どうしたの?今日は直ちゃん元気ないね。テストが不安なの?」
「いや。違うけど、ちょっとな」
「まあ良いけど。コーヒーが有るなら私にも頂戴」
「いつも道理苦いけど」
「…お願い」
 一応、今回は『キリマンジャロ』…苦味はそんなにないはずだけど…。俺は珈琲を淹れるためにキッチンへと向かった。
 ペアセットの珈琲カップに、一応薄めに珈琲を淹れると、茜に差し出した。
「どうせいつものように、珈琲ねだると思ってな。はい」
「ありがとう。頂きます。………うっ」
 六秒半…って所か。進化が見られるな。
「なにが、『………うっ』、だ。苦かったら無理しない方が良いぞ」
「大…丈夫。でも、すこし苦いかな」
 茜… わかりやすいのにも程が有るぞ。
「ほら、そろそろ時間だ。急いで飲まないと遅れちまうぞ」
「うわ。本当だ。急がないと」
 一気に喉にコーヒーを流していく茜。
「苦っ…でも急がないと…。うぅ…」
 茜が頑張って飲んでいる間に準備万端になった俺。茜の飲んでいるカップを受け取り、残っている分を一気に喉に流し込む。
「あっ…」
「仕方ないだろ。遅れるよりましだ。行くぞ!
「う、うん」
 急いで、学校に向かう俺と茜だった。…茜の頬が赤くなっていた理由に気がついたのは朝のホームルームが終わるころだった。

■選択
放課後、絵の資料を見に行く(選択)
他の選択肢『義明に聞く』→麗シナリオ
他の選択肢『茜と帰る』→茜シナリオ

この学校の図書館は大学との共有なので蔵書の数も種類もある。
2階建てになっていて、天井も高い。
その天井を埋め尽くすように並ぶ本棚の中を俺は歩いていく。
『美術』欄から適当に本を抜いていく。
3冊ほど手に取ると、読書スペースに戻った。

……
………
こういう表現もあるのか…。
教本を開いていると面白い物が載っていた。
『ドライポイント』―――透明なプラスティック板に、針などで傷をつけ、それによって絵を描いていく。最終的にそれを原本にして印刷する。
とある。
見本として、一つの参考作品が載っている。
どこかの学校の下駄箱…だろうか。
細く短い線で描かれていて、線の密集度や濃淡などによって細部まで描きこまれていた。
【女の子】「すごい…作品ですね」
【直哉】「誰?」
俺は後ろを振り向く。
見たことのない人が立っていた。
やや幼い顔立ち。
ショートカットの髪形で…背は低め。
ちょっと…おどおどしている。
【女の子】「あ…あの…」
【直哉】「ん? どうした」
【女の子】「あたしの顔に何かついていますか?」
【直哉】「あっ…いや…そういうわけじゃない」
【女の子】「そうですか」
それにしても…何処かで見たことがある気がする。

■選択「やっぱり、気のせいだ」「どこだっけ…」

どこだっけ…。
え~っと…。
【直哉】「あっ!」
【女の子】「!? どうかしました?」
【直哉】「人違いだったら悪いけど…、丘の上で会ったことあるか?」
【女の子】「あっ…。はい♪」
【女の子】「いつも、あそこで本を読んでいるんです」
【直哉】「えっと…」
名前を呼ぼうとしてまだ聞いていなかったことに気がつく。
それに彼女も気がついたのか、
【女の子】「私の名前は、はるかぜあやねです。…1年A組です」
【直哉】「はるかぜ?」
聞いた事がない名字に俺は首をかしげる。
【彩音】「『りょう』という漢字に、『かぜ』は普通の風です」
【直哉】「遼風…さん、だな」
【彩音】「あの…先輩のお名前は…?」
【直哉】「俺の名前?」
【彩音】「はい」
【直哉】「居元直哉、2年C組だ」
しまった…。
言ってしまった…。
人との関わりは…これ以上もってはいけないのに…。
【彩音】「それでは、居元先輩ですね」
【直哉】「あ、…あぁ」
考えを中断される形になってしまった。
【彩音】「あたしのことは、好きに呼んでいいです」
【直哉】「それじゃあ…遼風さん…でいいか?」
【彩音】「はい。あっ、そろそろ戻ります。私は本を探しに来ただけなので」
【直哉】「あぁ」
【彩音】「それでは、また」
…。
あの時以来、人とは深く関わらない様にしようと生きてきた。
遼風…どこまで俺に関わってくるのだろうか…。

2004年03月24日
鈴響雪冬

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