コラム

『おめでとう』と『お疲れ様』

2004年9月2日の日記より。

お疲れ様とおめでとう。この言葉は日常茶飯、色々なところで用いられています。
ねぎらいを意味する『お疲れ様』、祝福を意味する『おめでとう』。
大別するとこのように別れるのではないのでしょうか。
宝くじに当たった人に対してお疲れ様と言うことは、ほとんどないでしょうし、苦労して小説を書き上げた人に対して、おめでとうと言うこともほとんどないでしょう。
このように、この二つの言葉は、比較的近い場面で用いられながらも、意味はかなり違うものです。

さて、ここで話題にするのは以下のような場面を想定します。
テストで100点を取った人に対して言う言葉は…さて、どちらでしょうか。
ほとんどの人は、『おめでとう』と言うでしょう。
私はここに一つの大きな問題が潜んでいるようにも感じることが出来ます。

テストの成績というものは、一朝一夕であげることが出来るものではありません。
時間を費やし、勉強をすることによって、あげることが出来るのです。
好成績を出すためには、たゆまない努力があったことでしょう。
つまり、この人は、本来ねぎらわれるべき存在ではないのでしょうか。
ひたむきな努力の結果なのです。
おめでとうという祝福を与える前に、まずその労をねぎらうべきではないのでしょうか。
そう考え方をすると、この場合、『お疲れ様』という言葉がその相手にとってよりよい言葉に思えてきませんか?

ここから先はかなり異質な考えになりますが、『おめでとう』と言う言葉には、どうしても偶発的幸運が関わってきているような感覚を覚えます。
宝くじ当選おめでとう、と言うものがいい例です。
それに対して『お疲れ様』と言う言葉には、本人の努力が見えてきます。
極論ですが、退院した人に対しても闘病生活に対する敬意の念を示し『お疲れ様』と言ってもいいような気がするのです。

多少、イレギュラーな意見になりましたが、さらりと言ってしまえる言葉だからこそ、よく考えて、使ってみたいものです。

蛇足になりますが、似たような話に、がんばっている人に対して『がんばれ』と言う言葉をかけるな、なんて言いますよね。
これは相手のことをよく考えているいい例だと私は感じます。

初出: 2004年9月2日
鈴響 雪冬 [ Suzuhibiki Yki ]