コラム

本来あるべき教育の姿


私たちが生まれるとき、母胎の中で、人間は今まで行われた進化の過程を繰り返す………産科医学ではすでに有名なこの話を知っている人はわずかしかいない。
私たちはまず、精子と卵子の受精によって、単細胞生物となり、この世に生を受ける。
その後、徐々に分裂し、多細胞生物となる。
母胎の中にいる間に人間は進化する。
単に心臓の話を取り出してみることにしよう。

まず、一心房一心室…いわゆる魚類に見られる心臓の形である。
そして、二心房一心室…両生類に見られる心臓の形である。
最後に、二心房二心室…人類を含むほ乳類に多く見られる形である。

これらすべての心臓の形を人間は母胎の中にいる間に進化によって体験する。
胎児にはエラがある時期もある。
人間は体内で、人間まで進化してきた進化を繰り返していることによって生まれてくるのである。


進化には順番があるように、教育にも順番がある。
進化の順番は取り替えることが出来ないように、教育も本来ならば順番を取り替える物ではない。

人間の進化に話を戻してみるとしよう。
我々は石器時代…自然の中で暮らしてきた。
狩猟を中心に、その日その日を生きていた。
我々は子供の頃…自然の中で遊んできた。
毎日を遊んで過ごし、自然の中で色々な発見をしてきた。

我々は縄文時代…自然の中で…計画的に暮らしてきた。
土器を使ったりしてより効率のいい方法を探し出してきた。
我々は小学校の頃…勉強をしながらも自然の中で遊んできた。
自然で学んだことを生かし、日々の勉強に励んできていた。

我々は進化の過程で、天文学を学び、気象学を作り出し…天候を予測して生活した。
定期的に行われる狩りや農耕によって安定した生活を得てきた。
我々は中学高校時代で、今まで学んできたことを生かし、高次の学問を学んできた。
日々行われる勉強や実験の中で新しい知識を得ることになった。

我々は進化の過程で、さらに高度な技術を手にれた。
それらは生活に浸透し、我々の生活をより便利な物へとしている。
我々の…今日の小学校の教育では…自然の中で遊ぶことなく最新の技術を教えている。
土台となる知識や体験のないまま今の子供達は最新の技術を学ぼうとしている。

人間には理解力がある。
そして、その理解力は基本である『自然体験』に基づいている。
粘土層の土がさらさらしている…そんなことは、地学で習う前に小学校の頃のどろんこ遊びで学んでしまっている。
学問とは今まで何となくわかっていることを、理論によって裏付けする物である。


最新技術は確かにすごい。
でも…最新技術の基盤にある物は何だろうか…。
今までの積み重ねによる知識ではないだろうか。
包丁の使い方を教えず、フランス料理を作らせるようなことを、今我々は子供に課している。

以前のコラムで書いた『子供に本当のことを教えることはいいことか』にも関連するが、『お受験』と言った親の自分勝手な『よかろう』という考え方…冷静になって考えれば本当に子供によってそれはいいことなのだろうか。
過去に偉大な発見をした人たちだって、その元になった物はすべて自然である。
頭がいいだけで中身が空っぽな若者や子供が増える今日の世の中…。
それをただそうとして生み出された新たなる教育方針…小学校におけるパソコン技術の習得…。
果たして本当にそれはいいことなのだろうか。


週休二日…。
子供はゲームで遊んでいる。
………意味がないではないか。
ここに自然体験学習を組み込む学校はまだ数少ない。

教育とは何なのだろうか。
今一度考えて頂きたい。
最新の技術を教えるのは教育なのだろうか…。
未来のために…と英語を早期に教えることはいいことなのだろうか…。

それが正しいとしたら、何故今の世の中は若い人の犯罪が多いのだろうか。

今一度ゆっくり考えてみないか。


今まで形にすることが出来なかったこの文章をまとめるきっかけと知識をくださった方に、私は感謝致します。

2004年2月25日
鈴響雪冬