コラム

幼い子供に本当の事を教える事は正しい事か


皆さんは子供の頃にこんな体験をしたことはあるでしょうか。
ご飯の上にまぶされた鰹節がひとりでに動き出したのを見て驚いたことを。
子供心に私は感動した物です。
そして、どうして? と私は親に尋ねました。
返ってきた答えはこうです。
『鰹節が生きているからだよ』
…今思えば他愛のない冗談ですが…この冗談…実はとても大切なことです。
それをすっかり信じた私は『鰹節は生きている物だ』と信じて生きてきました。
そして、その原理を知ったとき、わずかではありますが、『親は嘘つきだ』と思いました。
でも今思えば、少なくとも当時の私にとって正しい答えだといえるでしょう。


では、なぜ『鰹節が生きている』と言うのが『正しい答え』なのでしょうか。
もし、当時の私に親が『水蒸気によって揺れている』と言う本当の答えを教えていたのなら、確かに『知識』としての知能は上がっていたかもしれません。
でも…果たしてそれがいいことに傾くのか…と言われれば私は、違う、と答えます。
なぜなら、『本当のことを教えることは必ずしも正しいことではない』と私が考えているからです。

たとえば、太陽が動く理由を貴方が訪ねられたとします。
貴方はなんと答えますか?
もちろん、自転が理解できるかどうかは別として、地球の自転から説明してもいいでしょう。
でも、それは、子供の持っている想像力を押しつぶすことになるとは思いませんか?
子供が、どうして太陽は動くの? と訪ね、貴方が本当のことを教えたらその時点で会話は終了してしまいます。
では、ここで貴方が『どうしてだと思う?』とコールバックをしたなら、子供はどうするでしょうか。
子供は子供なりに自分にとっての正しい答えをみつけるでしょう。
たとえば、『私たちを毎日照らし出すため』とか…ね。
この時点で、子供の頭の中には『一つの物語』が存在するようになるのです。
大昔に、太陽は神の化身で…と言った話ができあがったのもこれによる物です。


星は人の生まれ変わり…太陽は神の化身で夜を退治する………そんな今となってはただのおとぎ話になってしまった物も、当時の人…当時に生きる人にとっては『正しい答え』であるのです。
簡単に言えば『価値観の違い』なのです。
子供にとって、鰹節が動く理由は『水蒸気』という真実である必要はありません。『生きている』という可能性でもいいわけです。
貴方にとっては本当のことでも、子供にとっては嘘になる可能性だってあるのです。

すでに、私たちは固定観念の中で生きています。
太陽が動く理由だって知っていますし、鰹節が動く理由だって知っています。
それは本当の事かもしれません。でも、正しいとは限りません。

今日から少しだけ考えてみませんか?
『本当のこと』を教えることと、子供に『正しい答え』を導き出させること…。

貴方は子供に『嘘』を教えているのではありません。
一つの方向性を示しているのです。
子供はその与えられた方向性を無限にふくらませて、自分なりに正しい答えを見つけることが出来るのです。
貴方が『本当のこと』を教える必要性はありません。
貴方は『子供が正しいことを見つけられる』ようにすればいいだけなのです。


2004年2月25日
鈴響雪冬

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