このコラムは鈴響雪冬のメモ代わりです。そのため、公開用の文章とは意味合いが異なりますので、その点をご了承下さい。
言葉は常日頃変化していく物であり、初めは“誤用”でも使われるようになると“俗語”となりいずれは“常識”となり、最後には“正当”な意味になり得ます。しかし、ニュースや雑誌では俗語と使うことは一般に好まれず、それは小説という分野に当てはまることもあります。作者の意向によりますが、俗語や誤用を避けたい場合、言葉の今現在の正しい使い方に常日頃から気をつける必要があります。そう言う意味でのこのページです。
霙交じりの雪、と言う言葉をよく見かけるが、重複表現である。
霙という言葉にはすでに『雪と雨が混ざった物』という意味があるため、『霙交じりの雪』は重複表現となる。
感、には、感じるの意味があるため、“違和感を覚える”や“違和感がある”、“違和を感じる”とする。
『トランスの王道』と使ってしまった場合、トランスの安易な道と言うことになり、誰でもまねできてしまうような陳腐なトランスになってしまいます。
『恋をすると周りが見えなくなる』という意味で用いられることが多いが、本来の意味は違う。ギリシャ神話で恋の神エロス(キューピット)が目隠しをしていて、闇雲に矢を放ちその矢先に当たると人が恋に落ちるとされていた。『恋は何時始まるか分からない』という事を刺している。
男女の職名が統一される前は『看護婦・看護士』だったが、統一されてからは『看護師』になっている。一部の報道番組では未だに『看護士』としているほか、
Windows 付属の MS-IME すらも『看護士』と変換してしまうため、パソコンに変換を頼っている人は未だに間違えたままで、そのことに気が付いていない。
ただし、現場では『看護婦』の期間が長かったため、現場の人たちも『看護婦』と言ったりする。病院の小説を書く場合には、年長者に看護婦と言わせ、新人には看護師と言わせると、リアリティーが出るかも知れない。
自己矛盾するが、最近は徹底した教育のため、現場でも看護師と呼ぶようになってきている。
参考までに、看護師の階級表。なお、病院によって異なるのでその辺りは自己責任で。ただし、これが一般的な形だと思われる。
病棟の各科を束ねる看護師長。外科、内科、泌尿器科などの科ごとに一人ずつ存在する。混合病棟の場合まとめられた科で一人(産婦人科や耳鼻咽喉科などの事で、二つ以上の科が混ざっていても看護師長は一人)。病棟は、看護師長、主任、看護師、(産科は助産師も)、看護助師といった人員で構成されるが、その中で一番偉い人。主任を直下に置き、主任はその科で働く人(看護師、助産師、看護助師)を束ね、看護師長は直下の主任とその下の看護師などを束ねる。混合病棟のばあい、主任が複数いることもあるほか、看護師達も班に別れていることが有る。
外来の看護師長の場合、外来全体(全ての科)を一人の看護師長が束ねる。外来の各科は主任が束ね、外来の看護師長は外来の主任全てを束ねる。外来全体を見渡す必要が多いため、注射センターなどと言った全ての科に関係ある科に所属していることが多い。
病院では病名に合わせた料理ではなく、患者が必要とする栄養配分を元に料理を決めています。栄養科という科がありますから、医師と栄養科の連絡によってメニューが決まります。アレルギーなどにももちろん配慮しています。
主食によって料理を大別するなら、
と言うように別れるかと思います。病院によってはもっと多かったり少なかったりするはずです。患者さんによっては食事で補えない分としてデザートが出ることもあります(全員に出る病院もあるかも)。
目的別に分けるなら、
と言ったように別れるでしょう。実際はもっと多いかと思います。
ご苦労様は大名が部下に対して仕事を終えたときに言った言葉。よって、目下の人に使う言葉。上司に対して使うと………。
辞書が売ってなかったので百科事典を買った。
違和感を覚えることができますか? 辞書が売ってなかった、『辞書』と言う人が何を『売っていなかった』のでしょうか。本屋で辞書が売られていなかった、とするのが正しいです。
どうして『不思議な国のアリス』じゃないんですか?
教えを請うのは『教示』の方ですから、ご教授くださいよりは、ご教示くださいとするのが正しいようです。
“光になりたい”では『障碍』を採用している。
活を入れる、は、『たるんでいるところに気合いを入れること』。“喝”は叱ること。なお、座禅を組んでいるときにやるのは“喝”である。“喝”の場合は、入れるのではなく、“渇を叫ぶ”とする。
女が好きという意味で使われることが多いが、女の人が好く、つまり、女の人に好かれそうな人、と言う意味。そろそろ現代的な意味合いに取って代わるかな?
仏教用語で言う他力本願における他力とは阿弥陀仏の力のこと。阿弥陀仏の事を信じろと言う意味であって、他の人任せにすると言うことではない。そろそろ現代的な意味合いに取って代わるかな?
以前は良くない意味として用い、『そんな小さいことにこだわるなよ』と言う文章で用いていた。
今日では、良い意味で使うようになり、『こだわりを持って作り上げる』と言う文章は、細かなところにも気を配って作り上げると言う意味になる。
以前は敬語であり、目上の人に対して使う言葉であった。
今日では、どちらかというと、立場を同じくする人か目下の人に使う単語となった。
なお、貴様(きさま)も元々は敬語。
色々と議論がある『全然』の用法だが、このような形でまとめておくと今のところは良いかもしれない。
『何気なく』の形容詞形。
いい加減統一しないといけないような気がしてきたので、ここにメモ。