コラム

ベビーカーの恐怖

最近街中でベビーカーを目にする。
スーパーでもショッピングモールでも商店街でも…いたるところベビーカーがある。
ベビーカーの中におさまっている赤ちゃん。果たして彼らはどうなるのだろうか。

子供は親の背中を見て育つ。
果たして、この言葉は何年前まで使う事が出来たのであろうか。
今や、子供は人の足を見て育つ、そんな社会になっている。

ベビーカーは利点ばかりが取り上げられ、問題点が取り上げられる事がない。
そこで、ここではベビーカーの問題点を取り上げていこうと思う。

親の顔を見る事が出来ない

ベビーカーの最大の問題点である。
その構造ゆえ、赤ちゃんは、親の顔を見る事が出来ないのである。
おんぶ文化の日本において、これは致命的なことなのである。
赤ちゃんは親の体に密着した環境で育つ事により、親のぬくもりを覚える。
そして、親の表情が見えるところで育つ事により、人の感情を読み取り、自分自身にも感情を生み出すことが出来るようになる。
いま、赤ちゃんは、親の顔すら見る事がない場所で育っているのである。

この事における問題点は既に学会で発表され、感情を持たない子供(残虐な子供)に育つといった事が明らかになっている。
自分の子供は愛情を育てているから残酷な子供に育つはずがない、なんて言っている親の殆どは、きっとベビーカーで子供を育てているに違いない。
彼らが青年になったとき、どのような行動をするかそれは予測できないが、少なくとも、今の世の中を見れば簡単にわかるだろう。
親の体に触れることなく、親の顔を見ることなく、親の声をはっきりと聞くことなく育った子供は、どうなってしまうのだろうか。

地表面は空気が汚れている

人が歩く事によって地面の付近には埃が立つ。
車の排気ガスだって、地表面には溜まっている。
ベビーカーは地面すれすれを走っている。
ベビーカーに乗せられた赤ちゃんは、我々よりもはるかに汚れた環境に住んでいる。
果たして、彼らの健康は大丈夫なのだろうか。

歩きタバコの火だってベビーカーの高さに位置している。
赤ちゃんはさぞかし怖がっているのではないのだろうか。

赤ちゃんが親の身代わり?

親が赤ちゃんを守らなければならないのに、あるく時に先頭を切っているのは赤ちゃんである。
親は赤ちゃんを身代わりにしているのではないだろうか。

結論

公園で主婦がベビーカーに赤ちゃんをほったらかして他の人と話をしているのを見ると、世も末だと思ってしまう。
赤ちゃんは本来、親の背中にいるべき存在ではないのだろうか。
亀もそのことを普通にこなすのに、我々人間はどうして子供を捨ててしまっているのだろうか。

そう、ベビーカーは赤ちゃんをぬくもりという場所から隔離しているのだ。
愛情を注がれなかった子供は、大人になったとき、自分の子供に対して愛情を注ぐ事が出来るはずがない。
今問題になっている、母性愛、父性愛が欠如した大人が世の中に増えていることにも少なからず影響している。
はたして、ベビーカーが普及したこの世の中、これからどうなっていくのだろうか。

忘れてはならない事がある。
ベビーカーは我々が楽をしようとして生み出したものであり、赤ちゃんにとっていいことは何もないのである。
ベビーカーを購入する時、少しだけ考えてみてはどうだろうか。
なぜ赤ちゃんが抱っこをせがむのか、なぜ赤ちゃんがベビーカーに乗っている時無表情なのか…。

初出: 2004年8月19日
鈴響 雪冬 [ Suzuhibiki Yki ]