コラム

恋人の手を握る事、自然を知る事、材料工学の事…全ての繋がりと共通点

恋人の手を握ること

私は彼の事が好き。彼は私の事が好き。
今日は楽しいデート、ううん、そんなのじゃなくてもいい。
彼といるだけで私は楽しい、きっと彼もそう思っているはず。
はじめは目を合わせることすらままならなかったけど、今ではこうして手をあるいてあるいている。
何時までも続いていけばいいなと願うこの時間。

彼女と一緒に歩く道。
お互いの距離を縮めていくと、気がつけば彼女の手が俺の手にぶつかる。
そっと指先を絡めると、彼女の熱が伝わってきた。

…つないだ手は思ったより冷たくて、それがいとおしくて、僕は握った手に力をこめた。

彼が結んでくれた手はびっくりするほど温かくて、思わず「温かい」って言ってしまった。

恋人と手をつないだ時、相手の手が冷たかったら貴方はどうするだろうか。
きっと、殆どの人は温めてあげようと思うに違いない。
そして、それはきっと、恋人だけじゃないだろう。
人はなぜ、自分より冷たいものを自分の熱で温めようと想うのだろうか…。

自然を知ること

自然とはなんだろうか。
私たちの身の回りに常に存在しているもの、と形容する事が出来るだろうか。
重力だって自然の摂理だし、貴方が吸っている空気だって自然の一つである。
ましてや、あなた自身も自然の産物である。
私たちは見失いがちだが、常に自然の中に生きている。

自然を知ることは自分を知る事になる。

材料工学の事

材料工学とはなんだろうか。
考え方にもよるだろうが、材料を研究したり、材料を開発したりする学問である。
彼らは一体何を作って、これから先、どのような材料を地球に残していくのだろうか。

すべてのつながりと共通点

皆さんは、『木』という材料をご存知だろうか。
この質問に関して、殆どの人が、『はい』と答えるだろう。
そう、我々の住む住居には昔から『木』が使われてきたからだ。
それほどまでに木というものは、我々の生活に密着している。

壁でもいい、柱でもいい、フローリングでもいい。
身の回りにある木に触れてみて欲しい。
かすかなぬくもりを感じないだろうか。
少なくとも『冷たい』と感じることは無いはずである。
木とは死してもなお、熱を吸収し、熱を発散する。
蓄熱性に優れる素晴らしい材料である。
そして、それは自然の産物である。

鉄、アルミ、コンクリート…それらの材料に触れてみて欲しい。
果たして貴方はぬくもりを感じるだろうか。
少なくとも、私は、その材料で出来た床の上は素足で歩こうとは思わない。

同じ材料なのにどうしてこうも違うのだろうか。
それは、有機と無機の差なのだろうか。
恋人の手が冷たかった時は温めようと思うのに、コンクリートが冷たい時に温めようと思わないのはどうしてだろうか。
そう、人間は、知らない間に、コンクリートのことを嫌っているのである。
材料的性能はともかく、生活空間を形成するものとして、コンクリートの事が嫌いなのである。

恋人や木には頬擦りをする事が出来るだろう。でも、コンクリートや鉄に頬擦りをしたくないのはどうしてだろうか。
それは、あまりにも冷たすぎるからなのである。
おおよそ感情を持つ事がないだろうそれらの物質に、我々は愛情をもつ事が出来ないのである。
木は何時だってぬくもりを返してくれる。
恋人も何時だってぬくもりを返してくれる。
でも、コンクリートは? 鉄は?
それらの物質はぬくもりを返してくれるのだろうか。
貴方から熱を受け取って、その熱をどこへ渡していくのだろうか…。

多くの材料工学の研究者は、愛情や情熱を注いで材料を開発したという。
しかし、作られた材料は、貴方にぬくもりや愛情を与えてくれるだろうか。
出来た材料そのものに、貴方は愛情を注ぐ事が出来るだろうか。

我々人間は自然の中にすんでいる。
それが故、自然のぬくもりというものが大好きだ。
そして、何時だってそれを求めている。
人間のぬくもりや木のぬくもりそれらを何時だって求めている。
それらを忘れてはならない。
冷たい無機質な材料を生み出して欲しくない。
そんな材料の中に人間が囲まれて過ごす事になったとき、人は一体どうなっていくのだろうか。

初出: 2004年8月19日
鈴響 雪冬 [ Suzuhibiki Yki ]

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