文字書きさんに100のお題 -61~81-

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061 飛行機雲

 旅立ってしまった貴方を見送る飛行場。でも、永遠の別れじゃない。別れ際、搭乗ゲートから手を振って分かれた貴方は笑顔だった。そう、これは終わりじゃない。いわば、遠距離恋愛の始まり。いつも、とはいえないけど、出会いにいける。あの飛行機雲を追いかけていけば必ず貴方に辿り着ける。飛行機雲は貴方が残した道しるべ。

062 オレンジ色の猫

 オレンジ色…。今でもその色を見ると死んだ彼女のことを思い出す。私、オレンジ色が好きなんだ、といって笑ったその顔は、何時だって俺の心を満たしてくれた。明るくて、天真爛漫で、夏、っていうイメージがぴったりだった。いつも白いワンピースに身を包んで、オレンジ色の小物を身につけていた瑛美の姿が思い浮かぶ。
 大きなあくびをして俺の膝の上に座で丸まる白いねこ。夕日が差し込んでオレンジ色に染まるのに一目ぼれして瑛美が買うといって聞かなくて結局勢いで買ってしまったねこ。今では瑛美の形見になってしまった。お前を見ると瑛美を思い出す。それが辛くて何度捨てようと思ったことか。でも、結局捨てられなかった。お前は瑛美がいた証だから…。

063 でんせん(漢字は自由)

『ReSin-ens』外伝

「わ、やっちゃった。」
 体育の前の着替えの時間。紗とは知り合ってまだ半年ぐらいですけど、気がつけば一緒にいる時間が増えました。紗はアルバイトで自分の生計を立てつつ一人暮らしをしています。そんな紗はあたしよりずっと大人っぽくて、周りの同年代の人と比べても随分と大人びていました。でも、「どうしよう」といいながら伝染したストッキングを持ってさまよう姿は、いつもとは想像できないぐらい…なんといえば言いのでしょう…かわいらしいです。
「予備はないのですか?」
「もって来てないよ…。」
「私のを使いますか?」
「ごめん。私、パンストってどうしてもダメなんだよね。入学してた時はパンストでも良かったんだけど、バイト先の先輩に進められてガーターにしてからは、あの蒸れるのに耐えられなくてね…。」
 そう。紗はあたしにとっては信じられないことですけど、ガーターストッキングを使っているのです。………学校にくる時も…。どちらにしても、二人とも回りの皆さんからは避けられている身なので、気兼ねなく使っているようなのですが…。はじめて紗と一緒に着替えた時…丁度、紗が退院したころでしたけど、流石に驚きました。でも、紗が言うには、『色気のアイテムとしてみている人が多いけど、実際は、蒸れる事もないし、トイレにいく時も楽だし』ということなのだそうです。確かに私もあの蒸れる感覚は苦手ですけど、流石に…ちょっと…。
 紗は他の人がやれないようなことを淡々とこなしていきます。はじめのころは失礼かと思いますけど、そう言った事に関しては感情を持ち合わせていないのかなと思っていたのですが、『経験が多いことはいいこと』といって進んでやっています。そんな紗さんの姿はやっぱり私から見ると大人びていて、尊敬できます。
「そうだ! 彩ちゃん、長い靴下持ってたよね。」
「はい。オーバーニーソックスですよね。それならありますよ。」
「悪いけど、貸してくれる。流石に今日は寒くって。」
 四月といっても今日は寒波が到来していて、あわよくば雪が降りそうなぐらいの気温です。あたしはどうしても寒いのが苦手で、同じ黒色なら大丈夫ということなので、オーバーニーソックスを使っています。
「はい。大丈夫ですよ。予備はありますし。」
「ありがとう。恩に着るよ。今度買っておかないと。」
「あの…そういうのは…どこで買っているのですか?」
「あぁ、このぐらいならそこら辺の下着屋さんで買えるよ。流石にはじめは恥ずかしかったけど、なれるとそうでもなくなってきて、お店の人も中々売れないから買いに来る人がいて嬉しいって言ってくれるし。最近は一緒になって入荷する柄を選んだりしてるんだ。」
「へぇ…。」
「仕事ってストレスが溜まるから、こういうところでは少しでも良いのが使いたくてね。」
「大変なのですね、お仕事。」
「うん。」
 何となく…本当に何となくなのですけど、仕事の内容は聞いてはいけないような気がして私は紗の仕事を知らないのです。学校が終わったら直ぐに着替えてどこかに向う紗の姿は、ついてくるなという気配があるわけでもないのですけど、誰も近づけない…一言で言えば、オーラ………そう、ちょうど、まじめに作業をしている人に声を掛けられないような雰囲気があるように、話し掛ける事ができません。触れてはいけない領域が人にはあるといいますけど、ちょうど、紗にとって自分の仕事はそういう内容なのでしょう。だから私は紗にそのことは聞かないのです。暗黙の領域。知らない間に二人の間で交わされた契約。でも、それ以外の事に関しては紗は結構物知りで、一緒に話しているだけでも楽しくなってきます。あたしが笑えば紗が笑って、紗が笑えば私が笑って。一方の感情が伝わって、二人で感情を共有して………。そんな生活が今は楽しいのです。紗と一緒にいられる日々が今は楽しいのです。

064 洗濯物日和

 青い空に白いシーツ。冬景色に白いシーツ。輝く太陽に白いシーツ。今日は洗濯物日和。久しぶりの晴れ模様。今日ばかりはオホーツク海気団も日曜日。はれていただいてうれしい限りです。どうしても部屋の中に干さないと行けない冬。天気が良くても気温が氷点下から顔を出す日なんて滅多にありません。今日は溜まってしまった洗濯物を片づける日に決めましたわ。それがご主人様に仕える私の役目。
「さてと…。」
 未だ沢山残っています。今日も一日、がんばりましょう。
「雪菜さん。天気もいいし何処かにで出掛けようか。」
 せっかくのお誘いですけど…。
「今日ほどの洗濯日和は滅多にありませんので、申し訳ございませんが―――………。」
「じゃ、手伝うよ。」
「え?」
 でも、それでは………。
「二人でやって、早く片づけて、一緒に出掛けようよ。」
 ………。
「はい♪」

065 冬の雀

 一羽の雀が庭の木に降り立ち、葉の落ちた枝をにぎわせていた。小さな赤い実を口に含むと、空に舞い上がった。
 そんな小さい体でどんな夢を見て居るんだい? そんなに小さい体でどんな景色を眺めて居るんだい? そんな小さな体で冬は寒くないのかい? そんなに小さい体で………。
 雀だって必死に生きている。他の全ての生き物だって必死に生きている。僕も………。
 病室で迎える三度目の冬。枯れ葉が残り一つになる度に、最後の一つが落ちたときに僕の命は、なんて考えたりもした。でも、こうして雀が…冬の雀が活力を与えてくれる。僕を見守ってくれる。だから………。
 ―――僕は生きる。
 見守ってくれる人がいるから。

066 666

 「666という数字を使って何かを考えてください。」
数学の時間に言い放った私の一言に生徒達はどよめいた。666という沢山の制約をかけられた数字。30人の生徒は一斉にノートに何かを書き始めた。数学と言っても中学生。そんなに沢山の答えが出来るはずもない。せいぜい、四則演算で何か面白い数字を作るぐらいだろう。それにもそんなにパターンがある訳じゃない。
 早速一人の生徒が紙を持ってきて私に見せてくれた。
『(6^6)^6
 そして、そこに書かれた文字は私を驚かせるのに十分だった。まさか、累乗が出てくるなんて…。何時かの本で読んだ連続する三つの数字の累乗の答えをおぼろげに思い出す。たしか…1.0314*10^28………。1穣0314じょ…。
「知っている限りで一番大きい数字を作ってみました。」
 と言って屈託のない笑顔を見せた男の子は、有名な学校に入りたいと言ってがんばっている子だった。私は活力になればと思い、彼の答えを黒板に書いた。
「自分の答えは今度から黒板に書いてくださいね。」

 *

 時間が経つにつれ、答えが増えていく黒板。6という数字を使って物語を書く人まで出てきた。彼女は数学の授業だから数学的なことをやらなければ行けないという観念を解きはなった。私の予想を超え、子供達はそれぞれの答えを見つけ出す。
 29個の答えが出たところで私は答えを出していない人を尋ねると、それは室長だった。
「何か浮かんだ?」
 という問いかけに、その子は「はい」と答え、立ち上がった。チョークを取り、彼女が黒板に書いた答えは、
『666=∞』
というものだった。
「私達30人のクラスでも沢山の答えが出てきます。他の人に聞いたらもっと沢山の答えが出てきます。だから、666は無限大。」
 クラスがにわかにざわめき、拍手を送る。
 この子達は自分の考え方を持っている。その答えは無限大だ。6*6-6人の生徒は無限の可能性を持っていた。

067 コインロッカー

 今日もまた持ち主に忘れ去られた物達がロッカーから回収された。一定の期間が経つと、こうして彼らは駅の一角にある預かり所に運ばれてくる。時には何かの事件でもあったのだろうか、現金が出てくることもあるし、赤ちゃんが見つかることだって希にあるし、大事にしていたであろう楽器も見つかる。
 お願いです皆さん。コインロッカーは貴方の持ち物を預かるところです。貴方のいらない物を捨てる場所ではありません。貴方の諦めてしまった夢を置いていく場所でもありません。大切にしてください、貴方の持ち物を。

068 蝉の死骸

 大切にしたいものがある。大切にしたい人がいる。大切にしたい時間がある。たとえこの命短くとも…たとえ記憶に限界があっても…僕は君と一緒にいる時間を…一緒にいるこのときを大切にしていきたい。長いとか短いとか関係ない。何より大切なのはこのときの一瞬。一つの線分の端から端の間にあるわずかな間、わずかな時間、たとえようのない一瞬…。この瞬間を大切にしたい。瞬間瞬間で君を抱きしめていたい。君とつながっていたい。
 そして…一緒に生きていこう…。二人の間に生まれた共有できる時間の中で…。

069 片足

 何かを始めるとき、人はよく歩き出すことにたとえる。一歩を踏み出すとか、一歩一歩ゆっくり行こうとか、千里の道も一歩からとか…。どうしてだろうと考えたことがある。そして得られた答えは何もなかった。でも、進むためには進み始める点が必要だ。人が目の前のものに向かっていくとき、第一歩を踏み出さなければ行けない。だから僕たちは一歩とたとえるのだろう。そう…やらなければ始まらない。踏み出さなければ始まらない。僕たちの一歩というのは足で踏み出す一歩ではなく、何かを始めるときのスタートラインのことなんだろう。

「―――でした…。だから…僕と………つきあってくれませんか?」

 一歩を踏み出すのは怖い。僕たちはいつも二本足で歩いている。でも、一歩を踏み出すためには片足を大地から離さないと行けない。バランスを崩して倒れることだってあるかもしれない。誰かに押されるかもしれない…。そんな恐怖の中、僕たちは毎日どこかで一歩を踏み出している。何もかもが一歩から始まる。
 そう………僕の中に秘められた独りよがりの恋いも…相手に向かって一歩歩むことから始まっていくんだ。

070 ベネチアングラス (ベネチア原産の切子硝子細工)

「ねぇ…魔法使いっていると思う?」
「さぁね…でも、いるんじゃないかな。」
「魔法が使えたら…どんなことをしてみたい?」
「魔法か………考えたこともなかったな…。とりあえず…おか―――「あっ、お金を作るとかはなしだよ。」―――………そうだなぁ…。」
「いま…言いかけたでしょ…。」
「気のせいだ。」
「本当?」
「だいたいにして割り込んできたのはそっちだろ。続きを言うつもりはないね。」
「む…。………で、結局、何がしたい?」
「そうだなぁ…いきなり聞かれてもわからないや…。で、おまえは何をしたいんだ?」
「私もわからない…。見たことがないから…。どんなことができるかもわからないし…。」
「そういうもんか…。」
 昼下がりの商店街。たくさんの人が一つ一つの軌跡を描きながら歩いていく。その軌跡に同じものは存在しなくて…似ていても違っていて…二度と再現することはできない…。
「わぁ…綺麗…。」
 つないでいた手を引っ張られ、体が傾きながらも俺は友夏里の後を追った。
「どうしたんだよ…。」
「見てみて…綺麗…。」
 そういって友夏里が指さしたショーウインドウの向こうには、光を分解して色とりどりに輝くガラス細工がおかれていた。人が通るたびに光が遮られ、方向が曲げられ、七色では表現できない複雑な光彩を奏でている。光が線を作り一定のリズムで動き出し、あたかもそこに音楽が流れているかのように…一言で言えば…魔法のような空間を作り出していた…。
「…これが…魔法なのかな…。」
 二人でたどり着いた一つの言葉…魔法…。もしかしたらこれが魔法なのかもしれない。人を魅了する力…人を引きつける力…思わず楽しくなってしまう力…手元に置いてしまいたいと思ってしまう力………。
「これが魔法だったら…友夏里も使えるな。」
「え…どういうこと?」
 ベネチアングラスに向けていた視線を俺に戻して首をひねった友夏里に俺は「自分で考えろ」と付け足した。

071 誘蛾灯

 同じ部活の一つ上の先輩…。おもしろくて…性格もよくて…男子にも…女子にも人気がある先輩…。成績が飛び抜けていい訳じゃないみたいだけど…物知りで…それでいて頭の回転も速い。読書をしていて静かだと思えば、友達との会話で大いに盛り上がっている…よくわからない…不思議な先輩…。でも、上級生にも同級生にも…私たち後輩にも慕われている…そんな先輩…。
 でも…そんな先輩も…ガードが堅い…。というよりも、女の人に興味がないみたい。先輩をねらおうとしてほかの部活の子が接近を試みるけど、眼中にも入っていないみたい…。近づいてはことごとく打ちのめされている…。この間勇気を出して聞いたこと…好きな人…いるんですか? という質問…。そんな質問に先輩は「三次元ではいないな」って答えた。三次元って…なに? そう…不思議な人だった。よくわからなかった。すぐそばに本物がいるはずなのに霞のようによくわからなくて、でも、存在感が強かった…。
 私の淡い恋心はどこに行く。他の人と同じように追い払われてしまうのかな…。でも………もうちょっとそばにいたい。先輩のことをもっと知りたい…。だから私は先輩のそばに行く。
「先輩、一緒に帰りませんか?」
「あぁ。って、いつもだけどな。おい、みんな、帰るぞ。」
 帰る方向が同じ部員を集める先輩。誰にも隣を取られないように私は静に先輩のそばを守る。お願い…私のことを認めて…。私を打ちのめさないで…。私は…あなたの敵じゃないから…私はあなたのことが…。

072 喫水線 (船が水に浸かっている深度を示す線)

 ふ、と、笑った目尻のラインが好きだった。どこか遠くを見つめる背中が好きだった。俺を呼ぶ声が好きだった。声をかけると振り向くのが好きだった…わずかに揺れる髪が好きだった…。何より、君のことが好きなんだ…。君を見ていると時間を忘れてしまうぐらい…君のことが好きなんだ…。ほら、俺はもう溺れている。君にどっぷりとつかっている…。

073 煙

 ふぅ、と吐き出した煙が空へと上っていく。だんだんとその場所は限られているけどこうして場所と時間を見つけては煙草を口にくわえていた。火をつけるときもあれば、火をつけないときもある。とにかく、ゆっくりと時間を過ごしたかった。そして、そのために俺は煙草を口にした。『峰』とかかれた今ではほとんど店で取り扱っていない煙草は祖父が好きだった煙草だった。普段は違うのをすっている俺もこの煙草を見つけると思わず買ってしまう。これを口にくわえるだけで、違う時代を生きた祖父と同じ場所にいるような気がするからだ。同じ空気、同じ格好、同じ動き…。ただそれだけしか重ならないのに、こうして死んだ祖父のことを思い出すことができる。そんな不思議な煙草だった。
 …。
 一つ息を吸い、ゆっくりとはき出す。そして、その瞬間、たくさんのことを思い出す。煙草の匂いの染みついた祖父のシャツに、祖父の部屋…。半分あきらめムードの祖母の顔。孫ができたらやめると言って、結局やめられなかった祖父の煙草。でも…その煙草が…今では俺の祖父のイメージの大部分を占めていた。
 …。
 もう一つ息を吐いた。ゆらりと目の前が揺らぎ、やがてはれていく。
 ふぅ…。
 ………。
 思えば…都会の真ん中で…ゆっくりと息を吸うことができるのは煙草のおかげなのかもしれない…。こうして空を見上げることができるのも…煙草を吸っているからなのかもしれない。なぁ…煙達…。おまえ達はどこまで上っていくんだ? 祖父のいるところまで上っていくのかい? なぁ…おじいちゃん…そっちに煙草はあるのか? 無ければ匂いだけで我慢してくれよ…。ひときわ大きく息を吐き出し空を見上げ…煙草を灰皿に押しつけた。白い煙がおれとおじいちゃんをつなぐ一つの絆だった。

074 合法ドラッグ

 その瞬間、俺の視界から色が消えた。なっていたはずの BGM はまるで原形をとどめないような形で耳に入ってきて、いつの間にか聞こえなくなっていた。視界が揺らぎ、音が消え、色が消え………やがて気分が高揚していく。どうしてだろう…どうして…こんなに気分がいいんだろう………。たった一つ…たった一つだけなのに………。
 おまえに…『好きよ』って言われただけなのに…。
 世界が回っていた。極彩色の中にいた。感情の渦の中にいた。この気持ち…どうやって表現すればいいんだろうか…。気分はオレンジ、心はトランポリン、思考は君だけ。

075 ひとでなしの恋

 どうしてそんなに私を簡単に傷つけられるの? どうしてそんなに他の人のことを簡単に好きになれるの? どうしてそんなに嘘をつけるの? あなたにとって恋って何なの?
 もう…わからないよ………。
 あなたのことが好き。でも私たちは終わり。

 さようなら。私の愛しき人。

076 影法師

 「影踏みなんてできねーよ。だって、影を踏もうとしても足に移っちゃうんだぜ」とへりくつばっかり口走ってた君ももう大人なんだね。いつまでたっても私より大きくならないと思っていたのに、いつの間にか私の身長も追い越して、声だって変わって…しっかりとした腕に、大きな肩幅…毎日そらないといけない無精ひげ。いつの間に私より大きくなっちゃったの? そんなのって、卑怯だよ…。

「おい、少しは手伝ってくれよ。」
 まるまると太った買い物袋を右手に高く持ち上げ、私を呼び止める声。
「筋トレにいいでしょ?」
 と笑って答える私。
「お父さん、がんばってー。」
 と私の手を握りなら声援を送る娘。
「おまえらー。」
 と不満たっぷりのあなた。
「ファイト!」
 娘に習って私も応援。
「お父さん、がんばってー。」
 娘もそろって応援。
「む…。」
 いきなりかけだしてきたあなたの影。夕日で伸びた影法師が娘を覆い、私の影を少しだけ追い越して止まった。
「お父さん、手。」
 娘が伸ばした手と自分の手を見て少しとまどったあなたは、左手に荷物を移し替えて娘の手を握った。
「片方。」
 私の声に二つのうち軽い方を手渡してくれる。
 三つのつながった影が駐車場を車に向かって歩き出す。
「ねぇ、あなた。」
「?」
「影踏みはできなくても、影結びはできるでしょ?」

077 欠けた左手

 いつまでも幸せが続くと思っていた。二人の時間が続いていくと思っていた。でも…時間は残酷で止まってはくれない。人生は非可逆で戻っては来てくれない。選んだ道以外のすべての道ははじめから無かったことになり、たくさんの選択肢の上で僕がいて、今の結末がある。
 君と手をつないでいた左手に残るわずかなぬくもり。記憶の隅に残る君の笑顔。
 どうして…こうなってしまったんだろう…。

「…。」
 ゆっくりと目を開き、なまめかしく太陽の光を反射する墓石を見上げる。ふ、と、隣を見ると娘が小さな手を合わせて、まぶたをきつく結んで…黙って立っていた。まだ、『死』ということも認識できないのに、こうしていろいろなことを覚えていくんだろうか。いつの日か、お母さんのことを話すときがくるんだろうか…。
「風音、もう目を開けてもいいんだぞ。」
「わかったー!」
 そういって手を広げて俺を見上げる目がどことなく懐かしかった。
「よし、行くぞ。」
「うん♪」
 左手を差し出すと、風音はその手を握った。やっぱり…そっくりだった。

078 鬼ごっこ

 追いかけても追いかけても追いかけても………いつも見えるのは背中ばかり………。手に触れそうで触れられなくて…見えそうで…見えなくて…。姿をとらえたと思ったら次の瞬間には霧のようになっていて………。走り回って走り回って…時々休んで…ひたすらに追い求めて…いつの日かあきらめてきた…夢…。
 僕の歩いてきた道のどこかに『夢』という漠然とした思いが、百均で買えるビニール傘のように置き去りにされてしまって…いつの日か取りに行くことも忘れてしまって…どこに落としてきたかわからなくて…いつか、落としたことも忘れてしまって………どこか………どこか………マリアナ海溝の底のような記憶の終点に置き去りにされて…取り出せなくなってしまう。
 夢を追うことをあきらめてしまって…夢を取り戻すことをあきらめてしまって…人間は大人になっていくんだろうか…。子供の頃空は遠くて…大人になったら手に届くと思っていたのに………空は近づいたけど…その色鮮やかさは残っていなくて………何をやっている変わらなくなってしまった………。

「ったく、おまえは馬鹿か?」
「悪かったな。」
「そんなことを考えてるから、夢を見失ってしまうんだよ。」
「おまえは違うのか?」
「俺だったらな、まず体力をつけてから夢を追いかけるな。」
「は?」
「体力をつけて、夢より体力をつけて、夢と鬼ごっこをしたら、先に夢が疲れるだろ? そしたら疲れたところを後ろから襲いかかればいい。ほら、夢を捕まえた。」
「…。」
 馬鹿だと思った。でも、それをそのまま口に出せなかった。
「人生は追いかけっこなんだよ。あきらめたらそのまま。あきらめなければいつか夢の方が妥協してしまう。本気でけんかすれば仲良くなれるやつだっているかもしれない。それでも駄目な場合は、落とし穴でも仕掛けておけ。いつかは捕まる。何も追いかけるだけじゃないんだよ。夢を手に入れたかったらな、汗が無くなって血が出てくるようになるまで努力しろ。友人と協力してもいい。何もおまえは一人じゃないんだからな。」
 そういって笑った高松は、珈琲を口に含んだ。逆行の中にいる高松がいつもより頼もしく見えた。

079 INSOMNIA(不眠症)

 夜になるとあなたが私の部屋にいる。ベッドの中に私より先に入って、布団を暖めていてくれる。いつしか私が眠くなったら、あなたはゆっくりとベッドから降り、私を抱えて運んでくれる。冷え切った指先をあなたは優しく握りながら、もう片方の手で髪の毛をなでてくれる。………彼はここに居ないはずなのに…そんな気がしていた…。
 まぶたを開ければあなたの寝顔が見えそうで見えない日々。たまにしかあえない二人の距離を支えてくれるのはぬくもりの記憶と、たまに聞ける声。

 今日も眠れそうにない。だって…ほら………どきどきしてる…。

080 ベルリンの壁

 声をかけようとすると既に居なかった。振り返ると仕事に戻っていた。飲みに行こうと誘うと、君は必ず断った。でも、わずかな時間かもしれないけど…君と一緒に笑っていられる時間が楽しかった。何いってんのよ~と笑いながらたたいてくる君がかわいらしかった。でも…僕が近づいていこうとすると君は僕を避けるかのように距離を置いた。
 どうしてか…教えてほしい…。
 どうして…君は壁を築こうとするのか…。教えてほしい…。

初出: 2004年12月31日
更新: 2005年2月15日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2004-2005 Suzuhibiki Yuki

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