文字書きさんに100のお題 -41~60-

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041 デリカテッセン(お惣菜屋。独語)

 やる気のでない毎日。家と会社の往復。特に友人が多いわけでもなく、僕は何時も一人だ。席は隅っこで、ひたすら自分の作業だけをやる。もちろん飲み会になんて誘われたりもしないし、コンパなんてもってのほかだ。会社がなければ引きこもってしまいそうな生活。でも…それには…もう…慣れた…。世間からどんな風に見られているかなんて知らない。料理も一応できるけど面倒だ。結局、行きつけの惣菜屋に頼ってしまう。
「お箸は何膳おつけいたしますか?」
「一膳で。」
 これが僕の生活の中で、唯一の異性との会話。

042 メモリーカード

 貴方のことが忘れられない。一目見たときから貴方の虜だった。小さく笑うその仕草。髪をかき上げる手の動き。目の鋭さ、輝き。一度見たら…忘れられない…。想い募ればベッドの上で胸が痛み、目にすると心が弾む。日常の生活の中で貴方が私のアクセント。貴方無しでは生きていけない。貴方のことを記憶のメモリーカードに閉じこめ、何時までも大切にしていきたい。私の夢であって欲しい。

 でも…夢で…終わらせて…いいのかな。

043 遠浅

 遠い背中。何時もそればかりを追いかけてきた。君の後ろ姿しか僕は知らない。僕の前を歩いて…どんどん歩いて…いつしか見えなくなってしまう。君に追いつきたい。追いついて横に並んで…一緒に話がしたい…。でも………君は遠くを歩いたままで…僕はいつまで経っても追いつけなくて…。

 ………やっぱり…僕たちは…もう…終わりなのかな?

044 バレンタイン

 周りの友達がそわそわする季節。もちろん私も同じだった。去年はさんざん笑われた不格好なチョコレート。彼は美味しいと言って食べてくれたけど、がんばって食べていたことを私は知っていた。だって…だって…私が食べても美味しいと想わなかったのに…。逆に傷ついちゃうよ…。私達って…そこまで遠慮しないといけない仲だったのかなって。もっと気軽に言い合ったりできないのかなって…。
 でも…それが彼の優しさ。そして…そんな彼が好き。すれ違ってばっかりだけど、些細なことで喧嘩してばっかりだけど…貴方のことが好き。だから、この気持ち、甘いチョコレートに託して貴方に送る。

  *

「これで、よし、と。」
 (この季節だけの)いつものお店でチョコレートの材料をかごに入れていく。周りは同じ目的の人ばかりで、チョコを手にとってはかごの中仲のものと入れ替えていく。私は手作りチョコ。板チョコを買ってトッピングを買って…。沢山のチョコの原料をかごに入れてレジに並ぶ。
 チョコを作る過程って…恋に似てる…。思いを心の中で育て、告白という形で相手に伝えるのと、カカオを育ててやがてチョコレートにすることにどれだけの差があるんだろう…。きっと差なんて無い。だから、チョコレートも恋も甘酸っぱいのかな。

045 年中無休

 ここに立っているだけで色々な人が訪れる。近所のお使いという感じの小学生から、さぼりの中学生、学校帰りの中学生、夜学の大学生、徹夜作業あけの学院生、今日初めてスーツを着たような若い成年の人、何をやっているかよく分からない人、残業あけの会社員、夜勤明けの看護師、つまらない昼ドラには目も向けない主婦、不況の煽りを受けてハロワーカーの男性………。年齢と性別をレジに入力しながら、この人達はどんな生活をして居るんだろうかと考える。購入する商品、服装、口調…その人を指し示す多くの情報が僕の指先からレジに刻まれ、同時に僕の記憶にも一瞬だけ残る。
 沢山の人が交わるここは、年中無休のコンビニエンスストア。

 全てのお客さんがいい人とは限らない。難癖を付けてくる客だって居るし、酒に酔っている客もいる。声をかけてから使わないと行けないトイレだって勝手に使う。よりによって万引きまで………。話が分からない客も多い…。こういう人は何を話しても無駄だと思う。そして僕は勝手に想像する。この人は大きな人にはなれないな、と。
 沢山の人が交わるここは、年中無休のコンビニエンスストア。

 今度、コンビニ利用の注意事項でも書いておこうかと思ってしまう。とりあえず、一行目は、『締め切り直前にあわててコピーするのはやめましょう』かな。

ネタの提供、伊月音音氏。ありがとうございます。

046 名前

 名前を付けるのは本当に悩む。その人の一生のイメージを左右しかねないからだ。名前で新聞の一面に載ったりするほど、名前の影響力は大きい。もし『名前』という名前を付けたら、『貴方の名前は?』『名前』なんて言う永久ループが楽しめそうとか考えてしまうけど、やはりまじめに考える。最近はありきたりの名前を嫌うらしく、同じクラスに一人は同じ名前の人がいたりしたが、今ではそうでもないらしい。それに、ドイツでは伝統的な名前が多く用いられる事が多いのに、最近では、Sakura といった日本語読みをする単語を名前にすることがあるらしい。着々と順位を上げる日本語の名前。単語に意味を持たせ、それを表現するためにの漢字にも意味を持つ日本語。そして、名前に意味がある日本語…。
 私の友人に飛鳥という名前の人がいるが、外国人に意味を教えると感心する人が多いらしい。Asuka という響きとそれに込められた『意味』。彼らはその名前を聞いて何を思い浮かべるのだろう。

「衛さん、休憩がてらお昼ご飯ですよ。」
「あぁ、ありがとう。」
 名前を考えるの大変だけど、呼ばれたときのうれしさもまた大変大きいのかも知れない。

047 ジャックナイフ

 「別れようよ」とナイフのように貴方の言葉が私を切り裂いた。痛みで何も分からない。貴方の言葉がの意味が分からない。カタカナの羅列のように日本語に上手く変換出来ない。ねぇ…それはどういう意味? 私達は…これで終わりなの? ねぇ…黙ってないで何か言ってよ…。お願いだから………。

048 熱帯魚

 他の人と一緒に扱わないで。私は他の人とは違うのよ。他の女とは違うから。貴方だけの特別な存在だから。触れられるだけでやけどしちゃう。爪でこすったら傷ついちゃう。寂しいと…死んじゃう…。
 だからね? お願い。優しくして。

049 竜の牙(龍でも可)

「竜…か。」
「唐突にどうしたんだ?」
 マウスを手にしたまま画面を見つめる良二に俺は眉をひそめながら聞いた。
「いや。鉄より硬い皮膚、岩を一突きにする角、全てを焼き尽くす炎、全てを引き裂く牙。こんなものが実在したらどうなると思う。」
「想像出来ないな。」
「だからこそ、存在しないんだよ。」
「ん?」
 ようやく椅子を回転させ俺の方を向き直った良二は続ける。
「例えば、竜が存在したとする。で、ごらんの強さだ。理論上、全ての動物を死に追いやることは可能だろう? 全てを焼き尽くす炎で十分だろうからな。」
「あぁ、確かに。」
「しかし、それはできない。なぜならば、全ての動物を殺してしまったら、自分のエネルギー源が無くなってしまうからな。」
「確かに、動物はものを食べないと生きていけない。草でも肉でも、全てを焼き尽くしたら何も残らない。だとしたら、自ずと自分が滅びてしまう、ということだね。」
「あぁ。つまり、この世で最強なんて言う言葉は存在しないんだよ。竜が最強の動物だとしても、その力をふるえば自分を殺してしまう。つまり、この竜という存在は自分のからからは抜け出すことができない、っていうことだ。」
「なるほど。」
「それは全ての動物に言える。俺達人間だってな。どれだけ科学や技術が発達しても、人間は人間。活動の源である動植物が滅べば、自分だって滅びる。つまり、滅ぼしちゃ行けないんだよ。生きるためには。しかし、近頃の学者はどうもそのことに気づいていないらしい。彼らは頭でっかちで、未来の予測すらできない人間だな。考えても見ろ。石油は後40年でなくなるんだぞ。なのに何だ。未だにペットボトル入りのジュースは売られているし、リサイクルもできない複合プラスチックをリサイクルすると言ってお金をかけて回収している自治体。世の中馬鹿だな。結局人間も滅びるしかないんだろうな。」
「ずいぶんと悲観的だな。」
「でも、これが事実。地球の最大人口は65億人。後2年もすればその人口に達する。増えすぎた人間は自分で自分の首を締め付け、滅びてしまう。せめてもっと謙虚に生きられないものなのか? 日本人のあの謙虚さはどうした。欧米化? 西洋化? 結局、自ら持っていたものを捨て去り、悪い部分を取り入れてしまった。日本人の良さは、今あるものを改善していくところにあったはずだ。DNA に刻まれた日本人の血すら進化の過程で失ってきたとしたら、人間じゃなくなるな。俺達は人間らしく生きるためにもっと人間らしいことを…それ以前に、生きるためのことをやらないと行けない。」
「なら、良二はどうする。」
「とりあえず、竜になって腐りきった官僚を叩きつぶす。」
「そいつはいいな。」
「なんてな。」
 両手の手のひらで空気を持ち上げ、笑って見せた。そのまま手を頭に持って行き、髪の毛を整えると、良二は言った。
「結局、一人じゃ何にもできないって事だな。人間は弱いから。竜の力を借りないと自分たちを救うことすらできない。やっぱり、沢山の一で考えを出し合って解決していくしかないんだよ。」

 『窓辺に座る小さな妖精』外伝。

050 葡萄の葉

「おっきぃ葉っぱ~。」
「これはね、ブドウの葉っぱだよ。」
「ブドウ、ブドウ♪」
 そう言って笑った茉理は手を空高く上げてジャンプする。そんな茉理を見て私は抱きかかえると、葉っぱが手に届くところまで持ち上げた。
「葉っぱさん♪」
 キャッキャッと楽しそうに葉っぱを撫で撫で。手のひらの大きさを優に超える葉っぱは茉理にとって丁度いい遊び相手。葉っぱを触ったり裏返してみたり…興味津々みたい。
「わ…。」
 茉理の楽しそうな声が突然かき消され、細めていた目を開ける。茉理の手の近くには葉っぱはなく、地面を見ると土の色と相反する葉っぱが落ちていた。
「葉っぱさん…。」
「落ちちゃったね。」
「…葉っぱさん…しんじゃったの?」
 茉理に死ぬという概念があることにまず私は驚いた。そして、その純真な心に私はうれしく思った。
「葉っぱさんは死んじゃったよ。」
「まつりのせいなの?」
 既に表情が壊れかけている茉理を見て私はできる限り笑った。
「葉っぱさんはね、死んだ後、土に戻るのよ。そして、今度はブドウを育ててくれるの。」
「ブドウを…育てる?」
「そうよ。ブドウを大きくしてくれるの。」
「そっか。じゃあ、葉っぱをぜんぶおとしてあげればいいのかな?」
「そんなことしちゃうと、今度はブドウさんが寂しがって死んじゃうのよ。」
「ブドウさんのお友達、ばいばい?」
「そう。だから、全部落としちゃ駄目なの。」
「じゃあ、まつりはブドウさんのおともだちをばいばいしちゃったの?」
「そう言うことになるわね。」
「そんな…。」
 うっ、と一言残して後は泣きじゃくって私の胸に顔を埋めてしまった。そんな茉理の頭を撫でながら私は言った。
「それじゃあ、今度からは気をつけないと。そうすればきっと神様は許してくれるよ。」
「ほんとう?」
「えぇ。本当よ。」
「わかった。まつり、こんどから気をつける。」
「うん。」
 やっぱり部屋に置いておくより外につれてきた方がいい。私はそう確信していた。茉理はきっと優しい子に育つ。ありがとう、ブドウさん。
 ゆっくり手を枝に匍わせる。
「おかあさん。なにしてるの?」
「怪我したところを撫でてあげてるの。こうすれば痛みが和らぐでしょ。」
「まつりもやる~!」
「それじゃあ、はい。」
 茉理は楽しそうにブドウの枝を撫でている。そんな茉理の頭を撫でながら私は空を見上げた。

051 携帯電話

 もしかしたら人間を殺してしまうかも知れない凶器。今はもう大丈夫だと言われてるけど、やっぱり、ペースメーカーの誤作動は心配だ。金属製の車内。何時どうやって電波が乱反射するか分からない。だから俺は電源を切る。何時の日か、自分が病気になってしまうかも知れない。その時、俺は携帯電話が怖くなるのかも知れない。だから俺は電源を切る。今病気の人たちを怖がらせないために。世の中に絶対安全という言葉はないから。

 何時でも繋がっているという安心感があった。持っているだけで誰かと繋がっているような気がした。でも、そうではないことに気づいたとき、僕はショックを受けた。見せかけだけの繋がり。電子の世界だけの交流。ネットワークの世界だけでしかすることができない恋愛。果たしてそれは本当の恋愛なのか。

 ボタンを押せばそこに彼が居る。姿は見えなくても私の彼の声が聞こえる。とぎれとぎれになる電波は距離を感じさせるけど、すぐ側に彼が居る気がして…。今あうことができなくても…。例え遠い地に彼が居るとしても繋がっていられるから…会う約束をすることだってできるから…。
 今日は…電話…かかってくるのかな?
 胸元に携帯電話を抱きしめて、電気を消して、彼を待とう。彼の優しい声を。

052 真昼の月

 恥ずかしがり屋な貴方。何時も私に見せるのは表の顔だけ。昼も夜も一日一ヶ月一年。

 何も怖がらなくてもいいの。私に全てを預けて。腕を広げ待て待っている。だからね、ほら。貴方の居るべき場所はここにあるから。貴方の居場所はここにあるから…。

053 壊れた時計

 時間が止まっているような気がした。でも、答えは逆だった。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。彼女のぬくもりがまだ残っている。彼女を抱きしめた感覚が腕に残っている。彼女の声が耳に残っている。彼女の仕草が脳裏に焼き付いている。彼女の全てが俺の中に余韻を残して漂っている。ホームで別れたときの彼女の笑顔。次にあえるのは何時か分からないけど、また会えるから。その時まで。
 時間を進めてしまいたい。時間を止めてしまいたい。楽しい時間がゆっくり過ぎればいいのに…。何時だって時間は正確で、僕らの望みを叶えてはくれない。
 でも…それが…今は心地いい…。彼女のことだけを考える時間があるから。彼女のことを想う時間があるから。

054 子馬

 生きなければ行けない。生まれたらすぐ立ち上がらなければならない。そうしないと死んでしまうから…。置いて逝かれても追いつかないと行けない。全力で駆け抜けないと行けない。それが人間だから…。

 何時だって残酷な世界。何時だって自分の思い通りにならない世界。

 でも…生きていかなければならない。生きることが人間の宿命。そして…生きることによって得ることがあるから。例え失うものが多くても、得るものが必ずあるから。答えはマイナスじゃない。そこにいた証があるから。
 だから…弱くても生きていける。やがて強くなれる。人間だから。

055 砂礫王国

 渇いた心を満たして欲しい。貴方の愛で…。一緒にいるだけでいいから。手を繋いでいるだけで幸せだから。私の心を満たしている貴方が居ないと駄目なの。だからね…その手を一生離さないで。私を見捨てたりしないで。

056 踏切

 踏切の向こうに立っていた貴方は私の心をとらえて放さなかった。雨の中、出会った貴方顔、今でも忘れない。死ねないのに死のうとした私。そして、私の存在に気づいた貴方の声。「死ぬな!」。あの声が忘れられない。生まれ変わったら貴方の側に行きたい。

「今度は何処に行こうか? 美水さん。」
「そうですね、そろそろおなかがすいてきました。」
「そっか。それじゃあなんか食べに行くか? 丁度いい店ができたばっかり何だ。まだ食べたことがないから、運命共同体な。」
「はい♪」
 繋いでいた手に力を込め走り出す優さん。引っ張られるように私は走り出した。優さんと一緒なら、何処までも行ける。知らない場所でも。名前も聞いたことがない場所でも…。

 『透明という色』外伝

057 熱海

 朋美が持ってきた広告には『花火大会』という文字が躍っていた。日本有数の温泉地、熱海の花火大会。熱海・花火と言えば夏を彷彿させるがが、冬の花火大会のポスターだった。
「冬に…熱海で花火…か。」
 悪くはない。温泉に浸かりながら花火を見る、と言うのもありかもしれない。朋美の言うとおり、冬は空気が澄んでいる。その分綺麗に見えるのかも知れない。夜空には一切の光が無く、あるのは月と星と花火だけ。人間の生み出した光が夜空に負けじとがんばっている。その姿は何とも幻想的だった。
「ね、いいでしょう?」
「確かに。」
「あれ? これ…。」
 繋いでいた手をふりほどき朋美が代理店の前に置いてあるチラシに駆け寄る。朋美が一点に見つめているのは『十和田湖冬物語』という文字が書かれたチラシだった。
「わぁ…。」
 朋美に追いついて一緒になって覗き込む。花火の光が辺り一面の雪に反射し、ぼぉっと輝いていた。青、赤、黄色、緑………色とも光ともとれない小さな花が雪原に咲き乱れている。
「…綺麗…。」
「あぁ。」
「青森かぁ…。ちょっと遠いけど………綺麗…。」
「行ってみるか?」
「本当?」
 チラシから視線をはずす。顔を上に向ける。半回転する。俺に目を合わせる。にっこりと笑う。一つひとつの動作が驚くほどなめらかに繋がり、そう声を上げた朋美はいつになく楽しそうだった。
「遠出、と言うのもたまには面白いかも知れないし。それに、おまえ、雪、好きだろ?」
「うん♪」
「それじゃ、決まりだな。」

「寒い…。」
「その台詞、何度目だ?」
 流石に青森は寒かった。本日の予想最高気温、マイナス5度…。友人の言った意味が分かった。寒いんじゃなくて…痛いんだって…。
「やっぱり、寒いよぉ…。」
 こっちに来てから買い直した手袋は流石に温かいけど、それでもなお冷たさは容赦なく突き刺す。ふと、辺りを見渡すと、みんなが空を見上げていることが分かった。
「そろそろかな?」
「本当?」
 言うか言わないかのうちに一つの花が夜空に咲く。瞬間、輝が空に飛び散り、放物線を描き、光の精は地上に舞い降りた。銀雪にその色が反射し、辺りを淑やかに照らしだす。やがてその光は朋美の瞳に届き、朋美の瞳に無数の光彩を落とし込むのと、朋美が目を大きく見開いたのはほぼ同時だった。
「綺麗…。」
「あぁ…。」
 朋美もな。

058 風切羽(かざきりばね。鳥が飛ぶ為の羽)

 君を失ってしまうと、僕はもう飛べない。前を歩いて進んでいくこともできない。怖くて…足を踏み出せない。何時だって人生の道は孤独だから…。
 でも…君と手を繋いでいるだけで安心出来た。だからね、その手を離さないで。僕と一緒にいて。僕と一生…一緒にいて欲しい。君は僕の風切り羽。君が居ないと僕は駄目なんだ。

059 グランドキャニオン

 吸い込まれる、それが唯一辿り着いた答えだった。理解出来ない光景が広がっていた。後数インチ行けば、大地が無くなってしまっている。実際にはただの崖のはずだ。でも、確かに大地はなくなっている。
 目の前には空。
 眼下には赤茶けた大地。
 岩が折り重なって水平に模様を作り、荒れた地層をさらけ出している。川の流れ、雨、風によって削られた大地は、匍い、連なり、繋がり、別れ、右に曲がり、左に迂回し、縦に突き刺し、横に広がり、歪み、破断し、やがて地平線の向こうまで広がっていく。
 赤茶けた大地。それ以外の何物でもない。見渡す限りの地平線と、溝。切り立った大地。そのあまりのスケールの違いに立ちすくむことしかできなかった。何も感じないのではない。何も感じることができない…。あまりにも…あまりにも大きすぎて…処理しきれない。
 どうしてこんなに人間はちっぽけなんだろうとふと考えてしまった。「馬鹿だよな」と得意の台詞も口にできない。ここには…何もない………。何もないほどに、何かある。その証拠に…俺は何もすることができない。いや、立ちつくすことしかできない。自分より遥かに大きなものに出会ったとき、人間はこうなってしまうんだろう。そして知るんだろう。自分の存在がどれだけ小さいかを…どれだけ無力なのかを…。

060 轍(わだち、車輪の跡)

 彼が走り去った後を見ていた。残ったのはわずかな轍と彼のはなった言葉の余韻と私だけ。何時だってあなたはそうだった。一人で先に行って。一人私を残して。今日だってそう…。真っ白い雪原に私はただ一人。でも、取り残されたわけじゃない。この足跡をたどっていけば貴方に会える。だから私は追いかける。たとえ遠い背中でも、貴方は必ず振り返って待っていてくれるから。私は一人じゃない。貴方がいる。

初出: 2004年12月25日
更新: 2004年12月31日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2004 Suzuhibiki Yuki

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