恋の from A to Z -from Z to A-

Top > ウェブ公開作品 > 小説 > 掌編・短編小説 -テーマ小説- > 恋の from A to Z > -from Z to A-

Zinnia
百日草

 貴史の部屋を訪れたとき、貴史は相変わらず本を広げていた。南向きの窓からは木の葉を通した光が贅沢なほどに降り注ぎ、その窓辺に置かれた木製のテーブルに貴史はかじりついていた。目はただひたすら本に書かれた文字列を追い、思考は遥か彼方の世界…別世界にある貴史の横顔が私は好きだった。出来ることならこうしてずっと見つめていたいと思う。だから、登校時間が迫っていることが残念だった。
「おはよ。」
「おはよう、未来。」
 私の声にようやくこっちを振り向いた貴史は、側に置いてあった銀製の栞を本に挟んだ。瞬間、細やかな光が部屋に散らばる。
「学校、行く時間だよ。」
「わかった。ちょっと待ってて。」

 玄関の扉を開き、外に出ると、太陽の鋭い光が肌を刺した。貴史の部屋に差し込んでいた光とは…全然違うな。
「あっついねえ…。」
 言いながら、貴史は持っていた本を頭の上にかざして日影を作る。
「そんなんだと焼け石に水だよ。諦めたら?」
「そうするよ。本も傷んじゃうしね。」
 鞄の中に本をしまい、片手を空けた貴史は私の手を握ってきてくれた。夏の暑さで汗ばんではいたけど、私はこの手を離したいとは思わなかった。
「ねえ、さっき読んだんだけど、百日草の花言葉って何か知ってる?」
「百日草?」
 貴史は本を読んで、その日知った面白いことを私に聞かせてくれるときがある。エジプトの文明から現代日本、最新の宇宙事情や、未来予想図。本という閉じこもった世界を私にも開いて、一緒にそこを旅してくれる貴史のことを優しいなと思ったことは何度もある。
「わからない、な。どんな花かも分からないし。」
「最近は少なくなっているんだけど、昔は庭先で見られたんだってよ。時期は丁度今ぐらいなんだって。あっ、それで、肝心の花言葉だけど、沢山ある中の一つに『何時までも変わらぬ心』というのがあるんだって。」
「何時までも変わらぬ心…か。私達の思いもそうなるといいね。」
 できすぎた台詞かなと後悔して、不自然な笑い方をしてしまう。そんな台詞に貴史は目線を遠くに見据えたままで、「そうなるといいね」と答えた。
「でも…愛を失わない事って…本当に出来るのかな。」
 私は思わずつぶやいてしまった。高齢者離婚、伴侶の殺害、そんなニュースばかりが飛び散る世界、永遠に続く愛なんて本当に存在するのかな。
「どうだろう…。僕には分からないな…。」
 貴史の曖昧な台詞に、私は少しだけ寂しくなった。こういうときは本気で否定して、勇気がほしかったのに…。
「でもね…、考え方を変えれば、永遠の愛は存在するのかも知れないよ。」
「考え方?」
 いつの間にか足下に向いていた視線を持ち上げ、貴史の方を向く。でも、その視線は遠くを見ていた貴史には交わらなかった。
「例えば、僕が生まれたのはお父さんとお母さん、つまり、武志と可奈美が出会ったからでしょ?」
 そんなことは気にせず、貴史は言葉を続けている。
「うん。」
「で、その子供の僕が、今こうして未来と付き合っている。もし…もしもの話だけど、僕達の間に子供が生まれたら、それは、僕達の愛によって生み出されたことになる。」
「うん、そうなるね。」
「これって立派な永遠の愛になり得るんじゃないかな?」
 さっぱり論点のつかめない貴史の言葉に、私は首をひねるしかなかった。そんな私を無視するかのように、視線を遠くに見据えたまま、更に言葉を続ける。
「えっとね、だから…。うーんと…。僕がいるのは父と母の愛のおかげ。で、僕に子供が出来たらそれは僕と未来の愛のおかげ。で、その子供に孫が出来たら、孫とその妻の愛のおかげ。これが永遠に続いていけば、愛の連鎖、つまり、愛が永遠に続くことにならないのかな? 天国とかそう言う概念を無視すれば、人の命なんて有限でしょ? 一人という個体に限ってみれば永遠の愛なんて死んだら終わりだけど、その気持ちは子供に受け継がれて次の世代に伝わっていく。これって立派な永遠の愛だと思うけど、未来はどう思う?」
「愛の…連鎖…ね…。」
 一人じゃ無理だけど、みんなで愛を紡いでいく。愛に終わりは存在しなくて、伝えれば伝えていくほど愛は続いていって、やがてそれは『永遠』に辿り着く。
「そんな考え方も…あるんだね。でも、もし家系が途絶えちゃったらどうするの?」
「そう言う場合は、他の人達が繋いでくれるよ。だって、人は皆誰かの愛を見て育ってきているわけでしょ。うちの家系で言えば、お父さんの恋愛を僕の従兄弟の将義さんは見ているはずだし、その妻の美希さんだって、十夏さんという人と従姉妹だから、十夏さんの恋愛を見ていることになる。十夏さんの旦那さんの悠斗さんはまた誰か他の人の恋愛を見てきて育っている。それにお母さんの後輩の奈々美さんと言う人だってお母さんの恋愛を見ていることになるし、その旦那さんの雅聡さんだって他の誰かの恋愛を見ている。人は、そう言う経験を通して、他人の愛をも自分の糧にして、自分の子供に伝えていく。そうすれば、全ての人の愛が未来に伝えられていくことになると思うんだ。」
「そっか…。それじゃあ、私達の体にも、私達の大先輩達の愛情が受け継がれている事になるのね。」
「そうそう。僕達は永遠の愛を生み出す過程の一つ、存在の一つなんだよ。」
 貴史はそう言うと、初めて私の方を向いた。その表情は優しくて、私の心を軽くする。貴史の言葉も、貴史の表情も、私の心を何時も軽くしてくれる。
「それじゃあ、恋に終わりはあるのかな?」
「恋?」
「うん。だって、恋と愛は違うでしょ。愛が永遠なら、恋は永遠なのかな?」
「どうだろ…。でも、恋は有限かも知れないな。だって、恋って、その人に墜ちる事でしょ。再燃することはあっても、永遠に続くことは無いと思うよ。初恋のドキドキは何時の日か終わるものだと思うからね。」
 そう言って貴史はまた遠い空に目線を移した。空の向こう側に答えが書いてあるかのように、ただ、青く澄み渡った空を見つめていた。

「まっ、いっか。」
 貴史は急に歩みを止めて、私の方を向いた。
「永遠とか永遠じゃないとか、終わりがあるとか終わりがないとか、そんなの別にどうでもいいことじゃない? 今の僕達に必要なのは、未来が僕のことを好きで、僕が未来のことを好きでいると言う事実だけでしょ? 恋とか愛とか、そんなことを考えるには、僕達は未だ若すぎるよ。」
 そう言って笑った貴史は、さっきまで遠くを見ていた貴史とは大違いだった。貴史の目線はしっかりと私に向けられ、その強い眼差しに思わず目をそらしたくなるほどだ。
「うん。私の気持ちは永遠に変わらないし、貴史の気持ちも永遠に変わらないと信じている。そしてその想いは永遠に受け継がれる。それだけで十分だよね。」
「そうそう。あっ…。」
「ん?」
「あのピンク色の花。」
 貴史が指差した先にはブロック塀があって、そのすぐ側の地面にピンク色の花が咲いていた。
「あれが百日草。花言葉は『いつまでも変わらぬ心』。僕達のお互いを想う心のようにね。」
 私が今貴史を想う心は本物だし、貴史が今私を想っていてくれる心も本物だと信じている。私達二人の関係に今必要なのは、ただその二つの事実だけ。未来のことはよく分からないし、私が貴史と一生を共にすると言うことだって決まってない。でも、この想いだけは本物。私はこの想いを出来る限り持ち続けていきたいと思う。例え恋が終わっても、愛という形で持ち続けていたいと思う。
 だから、私は貴史の発した言葉に、自分で出来る最高の笑顔で返した。私達の気持ちは永遠に続いていくのだから。

初出: 2005年12月4日
更新: 2005年12月4日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

Fediverseに共有