恋の from A to Z -P~T-

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platonic
(男女間の関係が)純精神的恋愛の、純理論的な、観念的な、非実際的な、理想主義的な

 今時はやらないような放課後の屋上に二人が立つという場面。逆光の中に立つ十夏の表情は全く見えなかった。何を考えているかも分からない。もしかしたら、『どうしてこんな所に呼び出したんだろう』と考えているのかも知れないし、少なからず感づいているのかも知れない。それとも、全く気にしていないのかも知れない。二人とも一歩も動かず、微動だにせず、唯一、風に揺れる髪だけが時間が流れていることを教えてくれていた。
 長い付き合いというわけでもない。友達が居ない高校に入って、席がたまたま隣同士だったから会話が弾んだに過ぎない。でも、そんな他愛のない会話が“あたりまえ”とか“日常”とか、そんな言葉で表せるほど、普通のことだった。
 でも、僕の知らないところで、十夏は、自分の想いに肥料を与え水を撒いては大切に育てていたのかも知れない。そして、その真摯な姿勢に、真っ直ぐな姿勢に、純粋な姿勢に僕は心を打たれた。そして、いつの間にか、僕の心の中でも、十夏への思いが育っていた。
 恋とか愛とかはよく分からなかったけど、十夏と一緒に話していて、一緒に同じ時間を過ごしていて、ただ漠然と『いいな』と思うこの気持ちが、そうなのかも知れないと僕は感づき始めていた。同時に、僕の学校生活から十夏という人間を取り除いてしまえば、空虚な時間だらけになると言うことも悟っていた。
 だから、十夏の一言で僕はあんなにも動揺したんだ。
 自分の中で十夏の占める割合が大きすぎたから、僕はあんなにも動揺したんだ。

 月曜日、いつものように弁当を持って学校に着くと、僕の隣の席には何時も十夏が先に座っていた。朝の挨拶を交わして、道具をしまって、そのまま日曜日に見たドラマの話。朝の占いとか、野球の結果とか、流行りの服とか、とにかくドーデモいいことを話した。いつの間にか先生が来て、朝の挨拶が始まって、そのまま授業に突入する。昼ご飯はそれぞれ友達と食べるけど、放課後になるとまた十夏とおしゃべりを楽しんだ。
 そんな日常の繰り返しが五日間続いて、また月曜日になって、飽きもせず会話を始める。
 確かに十夏は可愛い。周りの人よりも少しだけ長めの髪はゆるやかにウェーブがかかり、独特の柔らかさを放っている。少し大きくて丸い目も印象深いし、うっすらと赤い頬や、整った鼻筋、笑うとえくぼが出る頬や、遠慮がちな唇。そのどれもが整然と顔に並び、初めからそこにあることが決まっていたかのような絶対的存在を保っていた。
 襟元をはだけて仰ぐときにだけ見える華奢な鎖骨は指でなぞりたくなるほど滑らかだったし、体のラインが出にくい制服の上からでも分かる適度な胸や、女の人しか持ち得ないウエストのラインなんかも魅力的だった。
 なんの石けんを使っているか分からないけど、十夏から漂ってくる花のような石けんの匂いも魅力的だった。
 でも、そんな肉体的なこと、外見的なことは捨て去っても、十夏は十夏として僕にとって十分魅力的な人だった。ただ、僕が、それに今まで気づかなかっただけで。

 だから僕は、これだけの期間悩んだ。十夏が残した一言に悩まされ続けた。そして、自分の気持ちに気づいた。
 だから僕は、ここに十夏を呼び出した。今時はやらない放課後の屋上に呼び出した。そして、僕は十夏に告白する。

「ねえ、十夏。」
「ストップ。」
 目の前に手を広げられ、たじろいでいるところにそう吐き出した十夏は、「私の台詞を勝手に取らないでよ」と続けた。
「そこから先は私が言うべき台詞なの。始めに惚れた私が言うの。」
 駆け抜けた風が十夏の髪とプリーツスカートを揺らした。辺りを包んでいた十夏の微かな匂いが吹き飛び、替わりに夏の芳香が辺りを満たした。草の匂いだった。
「ねえ、悠斗。」
 よく見えない表情。十夏が何を考えているか分からないけど、これから言われることは分かり切っていた。そして、それに答えるための台詞も僕は用意していた。

quadrifoglio
[伊] 四葉のクローバー

 自分の幸せを願うことは、他人の不幸を願うことと同じだ、と言う言葉を何処かで聞いたことがある。そう考えると、世界共通の願いの象徴、幸せの象徴、四葉のクローバーはとても可哀想に思えてしまう。誰かが幸せを願い、クローバーは、願い主の幸せを願うと同時に、他の誰かの不幸を願わないといけないから…。
 私達人間は、自分の幸せを願うことが他人の不幸を願うことと等価と言うことを心の何処かで知っているからこそ、クローバーという身代わりに願いを託すのだろう。クローバーに願いを託せば、自分は直接相手の不幸を願う必要が無くなる。クローバーが替わりにそれを背負ってくれるからだ。自分が傷つかずに済むからだ。
 人間は、所詮、卑怯な生き物なんだ。

 時には丁重に扱われ、時には踏みつけられ、それでもクローバーは幸せの花を咲かせる。白詰草という名の、幸せの花を。
 人間の想いを一心に受け止め、幸せと不幸を願う花、白詰草。
 美しさの象徴、純潔の象徴、正義の象徴、白。それを詰め込んだ草、白詰草。
 きっと、クローバーは、その幸せと不幸を同時に併せ持つ儚さが認められ、神から“白”という色を授けられたのだろう。カリストとアルカス、フォローやヘラクレスを天に輝く星としたように、神は哀れな存在に栄誉を与えるから。

 有機ELの中吊り広告がカーブの度に揺れ、人がブレーキの度に揺れる。彼らは、自分の幸せを何に願っているのだろうか。
 私は、自分の幸せは自分で願う。いざとなれば他人の不幸も自分で願う。クローバーという存在に託すことなく、自分で責任を持って自分の幸せを願ってみせる。

 私は今、幸せだ。
 貴史のためにおめかしをするのが幸せだ。
 貴史とデートに行くためにこの電車に乗っていることが幸せだ。
 今日一日、貴史の側にいられることが幸せだ。
 デートコースを想像するだけでも幸せだ。
 そして、同時に誰かが不幸の中にいる。
 私は、自分の幸せを願い続ける。他人の不幸を願い続ける。

 だけど、何時の日か。

 他人の幸せを願うことが、自分の幸せになるような日が来ると信じている。
 そうすればきっと、クローバーが不幸を背負う必要が無くなるから。世界中で誰もがみんな幸せになるから。

remember
~を覚えている、記憶している、忘れないように注意する、~を(自然に)思い出す、~の幸せを祈る

 俺達がつきあい始めて早数ヶ月。暖房がいらなくなり冷房が必要になる季節。つきあい始めて最も別れやすいと言われる三ヶ月間も難なく乗り切り、恋人同士になってから初めての記念日を迎えようとしていた。今日は俺の誕生日だ。別にあらかじめ伝えていたわけではない。でも、高校の頃からの付き合いだから知らないはずはないと思っていた。女の人というのはこういう事はしっかりと覚えている物だと思っていた。
 だからこそ、俺は美希の口からあの言葉を聞いたとき、少なからずともショックを受けた。

「今日って………何かあったっけ?」

 丁度、二限が終わった後の昼休みの時だった。学食で昼ご飯を食べながら、俺は遠回しに今日のことについて伝えようと思っていた。
「なあ、美希。今日って何日だっけ。」
 口に入れていた物をしっかりとのみこんでから、口に水を運び、その後で美希は答えた。
「14日、だね。」
「今日って、何かあるような気がしたんだけど、何かあった?」
「今日って………何かあったっけ? 休講も何もなかったはずだけど。」
「………じゃあ…俺の気のせいだな。」
 美希の吐き出した言葉に一瞬だけ固まって、俺はとっさにその場を取り繕った。美希は本当に何も覚えていないというような雰囲気で、それっきりこの話題が机上に登ることは無かった。

 確かに、はっきりと教えていない俺が悪い。美希が知らなくても美希が罪に問われることはない。
 だけど、心の何処かには釈然としない感情がわき上がっているのも確かだった。
 確実に自分の所為なのに、どうしてそんなことも知らないんだよ、と言う、責任を転嫁する考えばかりが浮かび上がってくる。
 美希は悪くない。悪いのは俺だ。
 心の中で分かっていても、頭の何処か、心じゃない領域の何処かで、俺は美希に対して負の感情を抱いていた。

 長い付き合いなのにどうして知らないんだ。
 女のくせにどうして覚えていないんだ。
 恋人の誕生日ぐらい覚えていろよ。
 考えれば考えるほど負の感情ばかりがわき上がってきて、自分の所為だと主張する前頭葉と、未知の領域が頭の中で葛藤を繰り広げている。俺はその様子をただ黙ってみているしかなかった。

 食事も終わり、帰る時間も講義もバラバラになるからと、俺達は別れた。そして、独り暮らしをしているアパートに戻ってきたとき、電気も点いていないアパートに戻ってきたとき、最後に発した音が扉の音になったとき、俺はとたんに寂しくなった。
 俺達がつきあい始めて早数ヶ月。暖房がいらなくなり冷房が必要になる季節。つきあい始めて最も別れやすいと言われる三ヶ月間も難なく乗り切り、恋人同士になってから初めての記念日を迎えようとしていた。今日は俺の誕生日だ。別にあらかじめ伝えていたわけではない。でも、高校の頃からの付き合いだから知らないはずはないと思っていた。女の人というのはこういう事はしっかりと覚えている物だと思っていた。
 だからこそ、俺は美希の口からあの言葉を聞いたとき、少なからずともショックを受けた。
 帰り道コンビニで買った一切れのケーキの重さが妙に軽くて、痛々しくて。すぐ側に恋人が居るのに祝って貰えない悲しみが重くて、俺は玄関から動くことが出来なかった。
 冷蔵庫のモーターの音だけが耳を満たし、むなしさという感情だけが心を満たしていた。
 俺が悪い。全ては俺が悪い。
 そして、そんな言葉で自分を割り切れない自分がもっと悪い。

 単一な空間に、水たまりの表面を小枝で弾いたような音が、一回、鳴り響いた。

shuffle
足をひきずって歩く、物を移し替える、~をぞんざいに押しやる、~をめちゃくちゃに混ぜる、ごまかす

 『いちゃいちゃしないか?』。そんな馬鹿馬鹿しいタイトルのメールが来たのは五限の講義が終わった頃だった。メールを受け取ったとき、思わず受信履歴を確認して、何日ぶりかのメールを確認してしまったけど、実に一ヶ月ぶりに届く雅聡からのメールだった。そんな感慨深い馬鹿馬鹿しいメールに、『溜まっているぶんはきちんと処理してあげる♪』と返事を出したことに後悔したのは、お祝いに持っていくつもりのお酒を選んでいるときの事だった。
 最後に顔を確認したのは二週間前。まるで脳味噌に体がくっついているかのように、歩いているかのように見えた。思考に体がついて行けない。頭が足や腕を引っ張っているように見えた。
 その後は本当に音信不通。たぶん、研究室にこもりっきりで作業していたのだろうけど、本の一瞬も見かけないと言うことは、食事も全てインスタントで済ませていたはずだ。そんな雅聡のために何かお土産でも持っていこうと思って、私は今、スーパーのお酒売り場に来ていた。
 雅聡に会えなかった期間、私はとにかく寂しかった。雅聡のことを思い出してはベッドの中で物思いにふける。ついつい我慢できなくなって、それ以上のこともしてしまった。でも、それも今日で終わり。今日は朝まで雅聡を独り占め。教授が三週間も雅聡を独り占めしたんだから、今度は私の番なの。

 買い物袋を手に、ドアのチャイムを鳴らすと、いつものインターフォンからは声は出ず、いきなりドアが開いた。
「よっ。」
「…よっ…。」
 雅聡の顔を正面から見た瞬間、急に恥ずかしくなって、俯いてしまった。
「入れよ。」
「おじゃましまーす。」
 そう玄関に言い残して入ったアパートの部屋は、いつもの匂いがした。特に芳香剤を使っているわけでもなく、料理の匂いでもない。これはきっと、雅聡の匂いなんだ。その匂いを嗅いだだけで、私は不思議と落ち着く。雅聡に体全体を包まれているような気がするからだ。
「汚いけど、気にするなよ。」
 そう言って雅聡は床に散らばっている模型の材料を、部屋の隅の方に押しのけた。
「そんなにぞんざいに扱って大丈夫なの?」
「みんな廃材だから大丈夫。ゴミを片づけている暇があったら模型を作れってね、そんな感じだったからさ。」
 雅聡が空けてくれた床のスペースに何時も私が使っているクッションを、これまた廃材の中から引っ張り出して敷くと、私はその上に座った。それを見ていた雅聡も床の上に空白を作って座った。
「なんかさ。お前がそこに座っていると、落ち着くな。」
 ふ、と、雅聡が言った台詞の意味を解釈するまで時間がかかった。
「ありがと。」
「大丈夫。部屋は汚れてるけど、ベッドの上は綺麗だから安心しろよ。」
「ちょっ…、ばっ…馬鹿。エッチ。スケベ。変態!」
「…俺は何も言ってないけどなー。」
 雅聡が笑って、ようやく私はからかわれたことに気が付いた。あー、私って最低。
「なるほど。奈々美でも欲求不満になるのか。」
「…ち………、雅聡ほどじゃないけどね。」
 全面否定しようとしたけど、それだと嘘になってしまうから、私は適当な言葉で誤魔化した。
「あっ、お土産。」
 そう言って差しだしたお酒とおつまみを見て、雅聡は「酔った勢いに任せて、ってことか」とつぶやきながら、コンビニに地震が起こったような部屋の中から瞬時に栓抜きを探し出すと、王冠をはずし、テーブルの上に置いてあったコップに注いだ。
 「奈々美も飲むか? なに? 口移しがいい? しょうがないなあ」と言って立ち上がった雅聡を、大急ぎで私は静止する。
「いらない、いらない。」
「そう? ならしょうがない。奈々美を酔わせると面白いのになあ…。」
 記憶を失ってしまう私は何も覚えていないけど、私は酔っぱらうと脱ぐ癖があるらしい。学部生の頃、研究室の新歓コンパで脱ぎそうになったところを覆い被さって押さえたものだと、雅聡は何時も言っているし、二人きりで飲んでもそうらしい。そんなことがあるから、私達がお酒を飲むのは、何時もお互いの部屋のどちらかになる。でも、私はそれで十分だった。
 雅聡と二人っきりになれるから。

 ドアチャイムの電源も落として、電話線も引っこ抜いて、携帯の電源を切って、今日は朝まで飲み明かそうと思った。そして朝になったら、雅聡に腕枕をして貰って、ベッドの中で丸くなって眠る。夕方に起きて、シャワーを浴びて、またベッドに入って、今度は大人の恋愛を楽しむんだ。
 私は雅聡が好きだけど、お酒を飲んでいる雅聡も好き。感情も表情も愛情表現も、とにかく大胆になるから。とにかくいっぱいしてくれるから。酔っているから、沢山の感情も、沢山の表情も、沢山の愛情表現も、みーんなごちゃ混ぜになって、何が何だかわからなくなっちゃうけど、そんな雅聡が好き。だって、雅聡は、私のことが好きなんだから。

through
~を通り抜けて、~を貫いて、(騒音など)にかき消されずに、~の至る所を、~の初めから終りまで、~を終えて、まったく、すっかり

 可奈美とつきあい始めてもう五年。幾度となく、可奈美の笑顔を見てきたのだろう。泣き顔を見てきたのだろう。楽しい時間も数え切れないほどあったし、幾度か修羅場もあった。大体は俺が行事日程を忘れて、可奈美を不機嫌にさせるところから始まる。そのたびに、男と女は脳の構造すら違うのかと疑うこともあったけど、今までこうしてつきあってきた。
 初めて出会ったのは、大学の研究室だった。研究室を開放するオープンゼミの時、可奈美は、次年度卒論に着手する関係で、俺が所属していた研究室を訪れていた。その時、俺の発表に興味を持った可奈美から話しかけられたのが、直接的な二人の出会いだ。
 それ以前にも教授の助手として下位学年の講義にも出ていたから、名簿や発表を通して可奈美という存在は知っていたが、まさか、可奈美が俺の所属している研究室を希望しているとは思わなかった。
 可奈美という人は、今時珍しいぐらい擦れていない人だった。と言っても、現代社会を知らないお馬鹿な子とは違う。物事をよく知っているし、何より頭がいい。成績は人並みだけど、とにかく頭の回転がいい。オープンゼミの時も院生や学部四年生の説明を難なくくみ取るし、疑問に思ったことは順序立てて疑問点を並べ質問をしてくる。その質問内容も、一般の人が抱くような質問ではなく、別の視点から、多角的視点から物事を判断しているからこそ浮かび上がってくるような質問で、院生ですら時よりその質問に答えを詰まらせ、後になって、教授と二人で「あの子は本当に21なのか」と本気で考えてしまったほどだ。
 印象的なのは態度だけではない。絶世の美女とは言えないけど、可奈美を作り出している諸々のパーツが、可奈美のためだけにあるように違和感なく収まっているのは、胸だけでかいアイドルや、キャラクターを作ってまで男の気を引こうとしている様な女なんかより遥かに魅力的で、その飾らない綺麗さが象徴的だった。それに加え、思わず手櫛を通したくなるほど滑らかな髪や、すらりと伸びた背も、可奈美という女性を脳内に印象づけるのには十分だった。

 卒業論文を書き終えた直後、俺は可奈美をキャンパス裏手の人気のない公園に呼び出し、自分の想いを告げた。3月7日。風の柔らかな日だった。
 この3月7日という日を完全に忘れ、可奈美に怒られることもあったけど、今となっては大切な日付だ。3月3日にケーキを食べるよりも、俺達にとって3月7日の方が大切だった。

 初めてのデートの時、可奈美は研究室に初めて来たときと全く同じ服装で登場した。淡いグリーンのワンピースに白色のハンドバック。この姿だけは今でも忘れない。春の風に髪が緩やかに揺れては、元の場所に戻っていく。ワンピースの裾もまたしかり。
 それと同じように、俺達もまた、少し心の距離が遠のいてもまた元の場所に戻ってくる。可奈美は俺の腕の中に、俺は可奈美の腕の中に。

 この五年間という時の流れの中で、俺は可奈美が未だに綺麗になっていくところを間近で見てきた。一昨年渡した銀のバレッタも、「こんな大人っぽいの、私には似合わないよ」と、はにかみながら笑っていたのに、今では可奈美を作る一つの部品となるまでに、溶け込んでいた。
 可奈美が銀のバレッタを付ける仕草を見て、再び可奈美に惚れ込んでしまい、町を出歩く度に、ショーウインドウを覗き込み、髪飾りを探してしまう癖が付いたのは、可奈美には内緒にしている。

 今日は二人で過ごす6回目の、言い換えれば5年目の3月7日だ。そして俺は、また、一つ可奈美にプレゼントをする。そのプレゼントは、今までで一番悩んで、今までで一番時間を掛けて作り上げた物だ。
 あのお店のおじいさんと相談し、全く何もない状態から作り上げていったプレゼントは、構想、デザイン、地金の選定から、加工、仕上げ、全て手作業で作り上げた、世界に一つしかないプレゼントだ。いや、厳密に言えば、世界に一組しかないプレゼントになる。
 寝ている間に可奈美の指のサイズを測り、研修と偽って月・水・金と会社帰りにあのお店に寄ってこつこつと作り上げた指輪は、今日という日、今日交わす誓いのために作り上げた。

 全ての準備は整った。後は、都会という名のイルミネーションを見渡せるこの地に、ヒロインが訪れるのを待つだけだ。二人で書き進めてきた物語の、第二部を彩るヒロインを。

初出: 2005年11月20日
更新: 2005年11月27日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

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