恋の from A to Z -F~J-

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kaleidoscope
万華鏡(万花鏡・百色眼鏡)

 軽快な着メロが部屋に鳴り響き、メールが届いたことを知らせる。僕の心とは逆に、色とりどりの光がリズムに合わせて明滅し、そのけたたましさが逆に鬱陶しかった。
 メールの送り主は、雅聡さんだった。時間からして、さっき送ったメールの返事だろう。今頃、修士論文で忙しいだろうと知っていても、僕は雅聡さんに助けを求めた。もちろん、出口の見えない迷宮でヒントを得るために。
 一週間前と全く同じ格好。こと座のベガが天頂に登る頃、僕は一つの答えが書かれているであろうメールを開いた。

 俺には何とも言えないけど、行動を起こさない限り何も動き出さないのは確かなことだな。

 一文。携帯の画面に直しても数行にしかならない短い答え。そこに、全てがあった。当たって砕けろ。為せば成る、為さねば成らぬ。成功とか失敗とか、そんな答えなんて初めから世の中には存在していなくて、ただ一つの評価基準は、自分が満足するまで挑戦したか否か。全て、その一言の中に収められていた。
 答えなんて存在しない。一つとして同じ絵柄が出てこない万華鏡のように、やるべき行動は何時も不安定で、それでいて、確証なんて存在しないんだ。


「お早う、十夏。」
「おはよう。朝からさえない顔してるねー。ちゃんと眠った?」
 誰のせいで眠れないと思っているんだよ。
「ここ最近寝不足でね…。」
「ちゃんと眠った方がいいよ? 何なら子守歌聞かせてあげよっか?」
 腕枕の方がいいなー。
「十夏の歌で眠るんだったら、それは永遠の眠りだな。」
「なによー。カラオケ上手いんだから。」
 こうやって、些細なことでムキになる十夏が可愛かった。ううん、これがもちろん十夏自身もギャグだと言うことは知っているし、それをお互い知った上でこうやって馬鹿にしあっている。この関係が何時までも続くと思っていた。でも、動き出してしまった歯車は、簡単に方向修正できそうになかった。
「あのさ、十夏。」
「ん?」
 まるでアニメのキャラクターのように首をかしげる十夏。口調は荒いときもあるけど、普段はこんなに可愛い女の子だ。
「あのさ、今日の放課後空いてる?」
「空いてるけどどうしたの?」
 物語は動き出した。万華鏡のように不確定な未来に向かって。

Licorice
甘草

 世界が赤く染まる時、私は貴史とともにその赤い世界を見下ろしていた。夕暮れの時間、町の中は在るべき場所に還るために人々がもがいていた。彼らにはきっと、この赤い夕暮れなんて見えないんだろう。そう思うと、少しだけ少しだけ優越感に浸ることが出来た。
 言葉は時によって意味づけされる。バレンタインデーに言われる「好き」と言う言葉は、きっといつもより思いが強いだろうし、敬老の日に言われる「ありがとう」はいつもより少しだけ優しいのだろう。目覚めに言われる「おはよう」は元気が出るし、夜に言われる「おやすみ」は少しだけ温かい。
 それじゃあ、夕暮れの告白は?

 舞台が朱に染まる時、私はその朱色に染まる貴史を見つめていた。太陽が沈む時間、私達は屋上にいて無言のまま対峙していた。他の誰もがきっと、私達の事なんて知るよしもないのだろう。そう思うと、少しだけ安心できた。
 私の中で大切に育ててきた想い。その気持ちはきっとお金で買うことが出来ないだろうし、他人に譲ることも出来ないのだろう。諦めることもきっと出来なかっただろうし、現にこうして諦めることが出来なかった。
 今、私の想いは…。

 たった一つの言葉、その言葉を吐き出した瞬間、きっと私と貴史の関係は大きく変わってしまう。まるで親が子をかわいがるように…ちょうど、甘草子を育てるように、私の中で育ててきた想い。その想いを私の手から貴史の手へと渡す。たったそれだけの行為で、私達の未来は大きく変わってしまうのだろう。
 でも、私は怖くなかった。夕日が私を見守っている。やがて訪れる闇とそれを彩る星達が私達を祝福する用意を始めている。私は少女漫画の主人公。きっとこの後には明るい未来が待っているんだ。
「ねぇ、貴史…。」
「ん?」
「あのね、私…貴史のこと―――。」

 今、私の想いを言葉という音に託し、貴史へと伝えた。貴史はそれを受け取ってくれるのか、捨ててしまうのかは分からない。でも、私は確かに自分の思いを貴史に伝えたのだ。

marionette
操り人形、マリオネット

 後期の全ての単位を取り終わり、悩むこともないはずの俺は、いつもにまして部屋の中をグルグルと回っていた。時より鏡の前で立ち止まって、確認してはまた回り始める。
 明日はデート。
 なのに、服が決まらない。床一面に散らばった服をから一つの服を手にとって、鏡の前に移動する。
 別に、服装一つで人生が変わってしまうと言う分けでもない。そりゃ、宮中晩餐会に招かれて第一級正装を指定されているなら、人生の一つや二つ簡単に変化しそうだけど、言ってみればただのデートだ。
 でも、そのただのデートが、俺達にとっては重要だった。なぜなら、つきあい始めて初めてのデートだからだ。告白に失敗して、美希に笑われながらももう一度告白してつきあいだした俺達。友達の延長にあるような恋だったのかも知れない。けど、確実に俺達は今、恋人同士だ。だから、せめて、美希が笑ってくれるような服を選びたかった。いつものようにジーンズを穿いて、適当にシャツを羽織って、と言うのは、明日には許されないのだ。そして、俺は何時までも部屋の中で回り続ける。
 回っていれば物事が解決するわけではない。でも、もしかしたら、筋肉から脳に刺激が行き渡り、脳が活性化すれば、服装に対するいい解決策も見つかるのかも知れない。そんな淡い希望を藁をも掴む気持ちで、俺は回り続けていた。

「相変わらず抜けてるね、将義は。」
「美希…。」
 たった一人の人が現れただけで、色彩を失っていた公園が急速に彩りを得ていく。見た目は何も変わっていなかった。でも、その公園の意味自体が変わってしまっていた。
「さて、将義は、未来の世界から『時間が戻ればいいのに』と言って今の時代に戻ってきたんだぞ。私に何か言うことはないのかな?」
 そう指を俺に向けて指すと、美希は笑って見せた。そんな笑顔に心臓の音が緩やかになっていく。美希は不思議な人だった。ドキドキすると言う訳じゃない。でも、側にいると不思議に落ち着いた。今が…告白するときだ…。
「美希…。俺ら、高校の時から一緒のグラスだっただろ? 普通にだべって、普通に飯くって、でも、俺はその時から、美希を一人の女として見ていたんだ。同じ大学に進学するって聞いたときどれほど驚いたか、美希は知らないだろ? 俺は、本当に驚いたな。そして、うれしかったな。美希とまた一緒の学校に通えるってな。でも、人間我が儘な生き物でね、それは俺も同じなんだ。一緒に学校に行くだけじゃなくて、美希を独り占めしたくなったんだ。だからさ…美希…。」
 これから吐き出す言葉の大きさ、重さ、そして、意味。それを分かっているからこそ俺はいったん言葉を止めた。いや、止めざるを得なかった。不自然に唇が乾いて、手が小刻みに震えて、そんな俺を見つめる、美希の吊り目は少しだけ怖くて、とても優しくて…。ぎゅっと手を握りしめて…俺は…。
「だからさ…美希…。俺と付き合ってくれないか? 俺は、美希のことが好きだから。」
 ゆっくりと口を開き、伝えたかった言葉をはっきりと音に出して言う。


 玄関のドアを開けると、既に日は高く、腕時計を見ると、約束の時間が刻々と迫っていた。「行ってきます」と独り暮らしのアパートに向かって叫び、自転車に乗って、家を飛び出した。
 空からは柔らかい日差しが降り注ぎ、町にはピンク色の芽吹きが散らばっていた。

 季節に不釣り合いなほど汗だくになって待ち合わせ場所に到着した俺は、すぐに美希を見つけることが出来た。焦げ茶のプリーツスカートに、薄緑のヘンリーネックTシャツ。襟の奥には桃色のシャツが覗いていた。デニムのパンツスタイルに見慣れているからか、そんな格好の美希はいつもより少しだけ可愛く見えた。
「おまたせ。」
 おおよそ、男の方から言ってはいけない台詞で登場した俺に、美希は持っていたハンドバッグを振り回してきた。
「遅いぞっ!」
 外見が変わっても中身は美希のままで、それが何処か可笑しくて、俺は思わず笑ってしまった。
「ちょっ、何笑ってんのよー。」
「ごめんごめん。なんかさ、いつもより可愛いのに、中身はまんまなんだなって。」
「失礼しちゃうね。よし、遅れたのと失礼なこと言った罰として、今日一日私の言うとおりに動くこと。あと、全部将義のおごりね。」
 不自然に口元が上に上がった笑みで指先を俺に突き出し、そう言った美希は、次の瞬間には俺の手を握り、ペデストリアンデッキを駆け下りた。
「よっし、行くぞー。」
 おおよそ大学生とは思えないロマンチックのかけらもないデートだったけど、こうして二人で手を繋いで走っているのも面白いのかも知れない。だって俺達は、手を繋ぐことだって初めてだから。
 こうして引っ張られて、俺は何処に行くんだろうか。でも、それも楽しいのかも知れない。美希に引っ張られるままに、見えない目的地を目指して。

nocturne
静かな夜の情緒を表す叙情的な楽曲(夜想曲)、夜景画、ノクターン

 きっかけは些細なことだった。本当に小さな事だった。だけど、一度開いた溝は中々埋まらなくて、それどころかどんどんと広がっていって、今日でついに一週間、雅聡と会話をしなかったことになった。送信履歴に残る八日前の日付。発信履歴に残る八日前の日付。受信履歴、着信履歴。それら全ての繋がりの証が、八日前で止まっていた。
 院の校内で会う約束もしないし、すれ違っても目線は一度もぶつかることなく、雅聡との距離は平行線を辿っていた。

 自分が我が儘だと言うことぐらい分かっている。大事なコンテストがあって、それに向かって雅聡が頑張っていることも知っている。コンテストがどれだけ忙しいかと言うことだって、可奈美先輩に聞いているから十分に知っている。雅聡と連絡を付けたくても中々付けられない。会うこともできない。
 だからといって、
 それが寂しい訳じゃない。
 一番嫌なのは、雅聡に頑張って欲しいと本気で思っているのに、自分の寂しいという感情を優先させて雅聡にメールを送ってしまうことだ。電話をかけてしまうことだ。好きなら…恋する人なら…愛しい人なら…相手が頑張っているとき、応援してあげるのが本当の優しさだ。そっとしておいてあげるのが本当の愛情だ。なのに、私は、自分が寂しいばかりに、雅聡にメールを送ってしまう。電話をしてしまう。
 それが、今の雅聡にとって負担になっていると言うことを知っていて。

 雅聡にこっぴどく怒られて、何とか我慢して、何とか携帯電話を手放して、雅聡との連絡を絶って一週間。時々すれ違う雅聡の顔色は見た目にはっきりと分かるほど生気が無くて、足下も微かにふらついている。アルバイト、そしてコンテスト。それに加え、修士論文のテーマ決定、下準備。今の私に出来ることは何一つ無い。それも、とても嫌だった。

 恋人って、こういうとき本当に役に立たない。いくらデートをする仲でも、ベッドの中で同じ空間を共有する仲でも、時間を共有する仲でも、結局の所、人生も個体も別々の存在なんだ。入れ替わることだって、手伝うことだってできやしない。心の距離はこんなにも近づいているのに、二人の距離は果てしなく続くマクローリン展開の様に、答えに近づくけど、答えにはならなくて。
 だからこうして私は、窓を開けて、空を見上げながら、同じ空の下にいる雅聡のことを想う。

 夜は、静かだった。星達が賑やかに瞬いていても、夜は、静かだった。今頃、雅聡は研究室の中で教授と一緒に最後の仕上げに取りかかっている。パソコン画面を見つめ、時々コーヒーを飲みながら、目薬を差して作業を続ける雅聡の姿が浮かんだ。

 ねぇ、雅聡。コンテストが終わったら、一緒にデートに行こう。

 静かな夜に、私の吐き出した言葉だけが、緩やかに余韻を残して、吸い込まれていった。

overture
(オペラなどの)序曲、(コンサートの)開始曲、(詩の)序章

 いつもは通り過ぎるだけの駅を降りて、いわゆるファッションモード街と言う通りを俺は歩いていた。もちろん、プレゼントを用意するためだ。物で吊ろうと思っているわけではない。でも、せっかくの記念日なのだから、プレゼントぐらい用意してもいいだろう。
 若者でごった返す大通りは、ガラスのケースに飾られた商品が人々に魔法を施していた。魅力という名の力で人を引き寄せ、店の中に招き入れる。そして、店から出てくる人は手にブランドのロゴが入ったバックを手に持っているのだ。俺が目指すべき場所はそんなきらびやかな店ではなかった。
 以前来たときと変わらず、その店はそこにあった。表通りから三本ほど裏に入ったお店。きっとこの町に訪れる人なら誰しもが通り過ぎてしまうであろうお店。外見は古めかしく、いかにもアンティークショップという雰囲気を漂わせていた。板張りの外壁の木目が柔らかく、都会の中にあってこの場所だけが、時間の流れを緩やかにしていた。
 ガラス戸を開け、中にはいると、ここが日本であることを忘れてしまいそうな調度品の数々が並べられていた。白いシンプルな帽子から、ワイヤフレームの写真立て。木の実を使った髪飾りや、アクリル製の置物らしきもの。それらが、世界中の様々な時間を切り取って並べたかのように陳列されていた。
 それら多くの品物の中から俺は一つだけを探していた。可奈美の長い髪に似合う髪飾りだ。いわゆるお嬢様結びをする可奈美の髪型は、髪を留めるための飾りがアクセントになっている。リボンの時が多いが、たまに木の実を使った髪飾りを使うときもある。ただ、元々髪が長い人が少ないのか、最近は髪飾りも手に入りづらいらしく、可奈美も困っているようだった。そこで、この店なら可奈美に似合う髪飾りが手にはいると思って、俺は前々からチェックしていた。

 店内を見て回っていると、店の奥から店員さんと思われる白い髭を蓄えたおじいさんが出てきた。縁が太いこれまたアンティークなメガネをかけたおじいさんは、「何をお探しですか」と尋ねてきた。
「髪飾りを…。長い髪を束ねるための髪飾りを探しています。」
「プレゼント…かね?」
「はい。」
 丸く優しい目を持ったおじいさんは親指で顎をかきながら、「それなら…」と小さくつぶやいた。
「髪の色は漆黒かな? それとも栗毛に近い感じかな?」
「漆黒、ですね。」
 可奈美の髪の色を思い出しながら答える。可奈美の髪は腰ほどまで届く長い黒髪で、指先を撫でる感触が風のように滑らかなのが印象的だ。
「なら、この辺りかな。」
 そう言いながらおじさんが手にしたのは、数個の髪飾りだ。シックにまとめられた銀細工の髪飾り、赤色の木の実が映える髪飾り、ナデシコの花をあしらったピンク色の髪飾り。そのどれもが、細かな部分まで手が入れられていて、安っぽさは全くなかった。
 頭の中で髪飾りを付けた可奈美の後ろ姿を想像してみる。どの服にも併せやすいのはきっと銀細工の髪飾りだろう。それに、髪とのバランスも丁度いい。変に目立たず、それで居て埋もれることはないはずだ。
「銀色の髪飾り、がいいと思います。」
「ん。お客さん、いい目をお持ちだ。髪が長いとなるとバレッタのような髪飾りはとたんに目立たなくなる。かといって目立ちすぎると髪の美しさを殺してしまう。この銀の髪飾りは見てすぐに分かるように、とてもシンプルに出来ている。だが、時間を掛けて丁寧にメッキをしているから、存在感は失っていない。これならお相手さんにも似合うはずだ。」

 裏に“Kanami”と名前を彫って貰い、プレゼントを持って店を出た。きっとこれなら可奈美も喜んでくれるはずだ。世界に一つしか無い髪飾り。それは何処の誰が作ったか分からないものだけど、作り手の思いが込められていた。繊細で、優しくて、それでいて強くて。きっと、そんな髪飾りなら、可奈美も喜んで付けてくれるに違いない。
 二人の記念日を祝う準備はまだ始まったばかりだったけど、きっといい日になるに違いない。俺はそう確信して、帰りの電車に飛び乗った。

初出: 2005年10月30日
更新: 2005年11月20日
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki

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