短編小説

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みーつけた!

 夏がじわじわと肌を焼き、歩き疲れた体から気力を奪っていく。車一台分の幅だけアスファルトで舗装された道路は、その両側に敷かれている石畳や辺りを包むブロック塀が冷ややかに見守っているのを気にすることなく、ただいたずらに熱を発していた。そんな中、三歩先を行く沙倉は俺とは違ってしっかりとした足取りで目的地へと向かっている。
『次で最後だから!』
 不意に彼女の台詞が頭の中によみがえる。恋瀬川から始まった散策は次の常陸國總社宮でちょうど十ヶ所目になるが、自由研究のテーマとして恋瀬姫のモデルを探すと言い出した沙倉の願いは今のところ叶っていない。
 恋瀬姫にモデルはいない。地元の商工会が地域活性のために作った架空のキャラクターで、モデルになる人物はいない、そう諭しても沙倉はやめなかった。本当は彼女もいないと気づいているに違いない。それでも探すのには理由がある。散策を初めて三時間が経つ頃、俺の疑念は確信へと変わって来ていた。そしてその考えが頭をよぎればよぎるほど、心の奥底に違和感を積み上げていき、やがて一つの結論に達した。
 見つからない方がいいのに…。
「あったよー」
 そんな俺の思考を吹き飛ばすかのような声。綺麗な石でも見つけた子供のような声に「正月と祭りの時ぐらいは来てるだろ」と言った。
 しかし、これだけ人が少ない常陸國總社宮を見るのは初めてだと思う。閑静な住宅街の中にある常陸國總社宮は、その看板がなければこの奥に神社があることには気づかないだろう。神社に通じる道の両脇には民家が建ち、鳥居は木々で隠されていて、まるで人に見つかるのを拒んでいるようだ。
 思わず「ごめんください」と言ってしまいそうな道を通りぬけ、コンクリートで出来た鳥居の前に立つ。掃き均された土と砂利の道の上には木々の葉々を抜けて柔らかくなった日差しが映り、ゆらゆらとゆれている。その上に幹の隙間から抜けてきた強くまっすぐな光が重なり、西洋の神殿のようだった。
「行こうか…」
 それを前にして、さっきまでとは打って変わって神妙な声で沙倉は言った。

 鳥居をくぐり、並木を抜け左に曲がると打って変わって視界が広がる。随神門までまっすぐと伸びる灯籠と砂利道が、重くなった足なんて最初から無かったかのようにぐいぐいと心を引っ張ってくる。外とは違う張り詰めた空気が流れると体を覆っていた熱気が飛ばされていく。
「あそこに何かあるよ」
 沙倉が指さした先には土俵が…いや、その土俵の側に二枚の看板が立っていた。
「行ってみよう」
 先に歩き出した沙倉に追いつくように俺は少し小走りになりながら看板へと向かった。

 その看板は今まで何枚も見てきた他の看板と同じで、神社の来歴やそれにまつわる歴史を説明していた。沙倉は看板の文字を一字一句漏らさないように目を上下にしっかりと動かしながら読み入っている。その姿に釣られて俺も看板に書かれた文章を読み始め――「はぁ」――ようとしたところで沙倉の溜息が耳に入った。
「ここも違う…」
 「もうやめよう」、何度も言おうと思っていた言葉はその表情に遮られた。濃い影が頬に落ちたのは夏の日差しのせいだけではないだろう。落ちた肩からワンピースのストラップがスルスルと滑っていく。無言でそれを捕まえ元の位置に戻すと「帰ろっか」と呟いた。
「やっぱり遠矢の言うとおりだったよ」
 「だろう?」、と言えたらどれだけ気楽だったろうか。いや、そういう仲だったはずだ。家が近所、同じクラス、十年来の付き合い、名前で呼び合うのも違和感はないし、ふざけたことを言い合うのも、大笑いするのも当たり前のはずだった。だけど今、目の前にいる沙倉は、それこそ手を伸ばしたら粉々に砕けてしまいそうな、そんな脆い存在に見えた。だから俺は、
「と、とりあえず、ここまで来たんだし、お参りでもしていこうぜ」
といい、回れ右をして随神門へ向かって歩き出した。数秒遅れて砂利を踏みしめる音が後ろから付いてくる。その足音は照りつける日差しとは正反対に、どこか湿ったような音だった。

 随神門をくぐるとまずは枝葉。生き生きとした緑を広げる木々と小さな祠が群れて辺りを取り囲み、その中にひっそりと本殿が鎮座している。本殿からは曲がりくねった回廊が延び、幾つかの建物を結んでいて、回廊と建物と祠に囲まれた広場は乾いた土が広がり、日の光をきらきらと反射させていた。その上に砂利で描かれたまっすぐ延びる参道は、対照的にひっそりと静まりかえっている。
 名も知らぬ鳥が大きく鳴き声を上げ、葉と羽を掠める音を鳴らしながら飛び立っていく。
「いくぞ」
「うん…」

 柏手が辺りに響き渡ると、ピーンと音を立てて空気が張り詰めた。それを全て背負い込み、必死になって手を合わせている沙倉の後ろ姿からは、まだ捨て切れていない想いが伝わってくる。自惚れと言われてしまうかもしれないが、沙倉は俺のアドバイスはきちんと受け止めてくれる奴だった。俺が言ったことに沙倉はただ頷くだけじゃなく、自分の意見を重ねた。もちろん逆も同じだ。普段は軽い付き合いが多いけど、ここぞという時はしっかりと意志を持って話し合う、そんな親友のような付き合いだった。
 でも、今日、沙倉は本当に久しぶりに俺の言葉を完全に無視して突っ走った。
 恋瀬姫。手にする桧扇で恋の願いを叶えてくれる――。
 また一つ、暗黒の湖に向かって小石が投げ込まれた。波紋は縦横無尽に広がり、いつまでも止みそうにない。投げ込まれた小石が小さな気泡を吐き出しながら沈んでいく。鈍い音を立てて湖底にぶつかると、一段と心が重くなった。石が溜まれば溜まるほど思考はネガティブになり、湖を濁していく。

 どのぐらいの時間が流れただろうか。ザァッと風が吹くと同時に沙倉は合わせていた手を離し、段を下り始めた。足下に注がれた視線からはどんな表情かを伺うことは出来ないが、笑顔でないことは確かだった。
「沙倉…」
「帰ろっ…か」
「あ、ああ」
 枝葉がこすれる音にかき消されそうな声で言った沙倉は俺を置いて歩き出した。でもその歩みは数歩歩いただけで追いつけるような弱々しい歩みだった。


 雑草に侵食されそうになっている階段を、『蛇・蜂 注意』と書かれた物騒な看板を横目に見ながら下り始める。常陸國總社宮は街の中でも少し小高いところにあって、万が一恋瀬姫が街を見守っているとしたらここしかないといえるほどの絶好の場所だった。沙倉もきっと同じ事を考えていたはずだ。だからこそ、最後の望みとしてここを残していたんだと思う。だが、その願いは叶わなかった。
 石岡には小さな坂がいろんな所にあって、自転車で走るのには少し苦労するが、細く曲がりくねった坂道や、住宅街の中に突然現れる階段なんかはそれだけでおもしろい表情を見せてくれる。
 それでも、いつもと似たような風景には変わりない。細かなところは日々変わっていても、小さな変化は時間に埋もれてしまい、いつの間にか当たり前の風景になっていく。祭りで華やかに飾り付けられたとしても、毎年のことだし、数日経てば元に戻ってしまう。こうして、階段が終わるとまた、平坦な道に戻るように。
 でも。
 今日は隣に沙倉がいた。
 たったそれだけのことなのに、右手に見えるただの公園が、商店街へ向かういつもの道が、不思議な形の車止めが、八百屋の軒先に並ぶ野菜や果物が、いつもよりも輝いて見える。通りぬける風が肌を冷やし、歩き疲れた体に気力を注いでいく。石畳と共に熱を帯びたアスファルトは、近所の人がまいたであろう水を浴び、その勢いを静かにしていた。
 そんな眩しい世界に似つかわしくない姿で歩く沙倉の背中を見ていると、三日前、元気よく「今度、自由研究につきあってよ」と誘ってきた時の仕草や、今日、朝一で届いた大量の絵文字入りのハイテンションなメールが、古い写真に閉じこめられてしまった想い出のように見えてくる。端の方がぼろぼろになり、色がすっかり抜け落ちた写真は、今の沙倉にどこか似ていて、風が吹けばどこか遠くに飛んでいってしまいそうだった。
 そんなセピア色に染まっている俺達の側を、小学生ぐらいの子供達が元気な声を張り上げながら追い越していく。気のせいだろうか。沙倉から伸びる影が一段と濃さを増し、一歩間違えればその影に沈んでいきそうなほどになっているのは。
 そんな姿の沙倉を見るのが嫌で。
 でも、どうやって声を掛けていいかわからなくて。
 俺にできるのは、のばしかけた手を元の位置に戻し、その背中に視線を向ける事だけだった。
 その時、ひときわ大きな声が響き渡ると、次の瞬間には先頭を走っていた男の子が道路に突っ伏していた。しかし、すぐにもう一人が駆け寄ると手を伸ばし、その子が起き上がるのを手伝う。そして「行くよっ」と、ここまではっきり聞こえるような声で言うと、いつの間にか集まっていた仲間と共にまた歩き始めた。
 数秒の出来事。そんな光景に、友達を助けるという当たり前の光景に、俺の心はふわりと軽くなった。
 勝手に卑屈になって。勝手に恨んで。結果的に沙倉が悲しむようなことを考えていた自分がばかばかしくなった。
 なんだ。簡単じゃないか。
 軽くなった心に弾みをつける。
 俺は、例え沙倉の気持ちが別の方を向いていたとしても、沙倉が笑顔ならそれでいいんだ。
 そう強く自分に言い聞かせると、「見つかって欲しい」と。そう心の中で、強く、念じた。
「あっ…」
 久方ぶりの沙倉の声は、どこか震えていた。
「どうした?」
 立ち止まった沙倉に追いつき、その横に並んで立ち止まる。
「いたよ…」
 意味は理解できた。でも、何を言っているかはわからなかった。
「見えなかった?」
「俺には全く…」
 幻覚でも見えたんじゃないかという言葉と、よかったなという言葉がのどの奥で混ざり合って、結局両方とも引っ込んでしまった。「あそこにいたんだよ」と、今朝のメールを遥かに超える笑顔を俺に見せ、遠くにある交差点を力一杯指さしながら言っている沙倉を見たからだ。
 その表情は、蓄積された疲労や、少し残っていたわだかまりをも完全に溶かしきり、それでもなおエネルギーを失わず、俺を包んでいく。そのふわふわとした感覚に誘われ、俺の右手は知らない間に沙倉の頭に辿り着いていた。
「な、なにするのよ」
 体ごとこっちを振り返りながら沙倉は言った。
「あ、いや、これは」
 あわてて右手を離す。手のひらには空気を束ねて作った糸に触れたような感覚が未だに残っている。
「でも、ありがとう。おかげで吹っ切れたよ」
「えっ?」
 すぅ、と、沙倉が息を吸った。
 吹いていた風が止まる。周囲の音が止む。時が止まる。
 そして何かを言おうと口を開いた瞬間、その肩越しに、一人の髪の長い女の人が、千代紙を幾重にも重ねたような繊細な服を一瞬だけきらめかせて、路地の奥へと消えていった。

初出: 2011年11月30日
公開: 2012年4月1日
更新: 2012年4月1日
著作: 鈴響雪冬
Copyright © 2011 SUZUHIBIKI Yuki