Top > ウェブ公開作品 > 小説 > 掌編・短編小説 -短編小説- > 遼なる風、彩りの音、降りしきる雪、133ページの、その後で
同人誌「ReSin-ens 遼なる風、彩りの音、降りしきる雪」の外伝です。
同じ新河流駅の周りでも、そこは見慣れないところだった。商店街のある北口とは違い、南口には広い道路やビルが立ち並んでいた。あの商店街が持つ雰囲気とは正反対………どちらかというと、河流駅周辺の繁華街の方に雰囲気が似ている。
硬く、重い街。車の走っていない道路が余計にその寂しさを強調しているのかも知れない。だけど、それだけではない。確かにそこは、陰湿だった。唯一それを和らげているのは、全てを塗り替えようと降り注ぐ雪と、右側にある圧倒的で柔らかな存在感だった。
「どうかしましたか?」
放たれた光の矢が、闇夜を射ぬき、切り裂き、ぬぐい去った。
「いえ、なんでもありませんよ。行きましょう?」
「はい」
とっさにそんな言葉が出たのはどうしてだろう。別に隠す必要のないことだし、死んで墓場まで持っていく必要もない事なのに。もちろん、話さないといけないわけでもないし、教える必要もない。ただ、とっさに心を隠した自分の心が知りたかった。
遼風さんと腕がぶつかり合う。一瞬遅れて同時に腕を自分の体に寄せるけど、またすぐにぶつかった。私が右を向くと、遼風さんが左を向くところだった。遼風さんはしっかりと視線を合わせ、いつものように、笑った。気が付くと、私も、口と眉の力が緩んでいた。
車道の除雪をした名残が歩道に積み上げられ、広いはずのそこは二人がギリギリ並んで歩ける程度の幅になっていた。私は初めてこの時、下手な上に車のことしか考えていない除雪と、ロードヒーティングのない歩道に感謝した。
そんな山盛りの雪には、私の足よりも小さな足跡が残っていた。それは、酔っぱらいでも難しそうな程に散在していた。
大の字に人が寝そべった跡もあった。遼風さんがそれを見て、「あと四つあれば『五山の送り火』になりますね」と言った。
顔を押し当てた跡もあった。「これで人形焼きでも作れば面白そうですね」と言ったら、遼風さんが「でも大きすぎですよ」と笑いながら言った。
大きな足跡の中に、ビールの空き缶が入っていた。これを見て育った子供はどんな大人になるんだろうと、柄にもないことを考えた。
境内を囲う木々と、ブロック塀が見え始めると、そこに沿う形で並んでいる人も見えてきた。私達と同じように初詣をするために来た人だと思う。
「みんな並んでいますね」
そんな人達を見ながら遼風さんは言った。
「私達も並びましょうか」
「はい」
境内は塀に阻まれてはっきりと見ることは出来ない。それでも、向こう側からやってくる喧騒や、僅かに見える出店の看板が人の気配を教えてくれる。
列の最後尾、前にならって二列になって並ぶ。腕時計に目を向けると、新年まであと十分の所までやってきていた。
「音瀬さんは、クリームと小倉、どっちが好きですか?」
「えっ?」
突然の質問に一瞬声を失いながらも、「クリーム」と答えた。
「わかりました」
そういったかと思うと、今まで見たことがない機敏さで歩道から車道に出ると、そのまま走り出した。
転ぶ!
そう思った私を裏切るかのように遼風さんは凍った道路で転ぶことなく向こう側の歩道、そして、その先にある出店の元へ向かっていった。目を凝らしてみるとその出店には〈鯛焼き〉と書かれた幟が側に置いてあった。
「そっか。だから、クリームと小倉ね」
しばらくして遼風さんが茶色い紙袋を持って急ぎ足で戻ってくる。その足音には、単に氷を踏みつける音とは違う、スコップで硬い雪を砕くときのような音も微かに混ざっていた。
「ただいま、です」
「おかえりなさい。遼風さんのブーツはスパイク付きですか?」
「あっ、はい。しかも、前後に付いているタイプですよ」
「あっ、それいいですよね」
「音瀬さんのブーツも、スパイク付きですか?」
「いえ、これはにはついてないですね。別のには付いているんですけど、服に合うのがこれしか無くて」
「そうなのですか。あっ、これ、音瀬さんの分です」
乾いた音を立てながら紙袋を開け、中から一つの鯛焼きを取りだして私の方へ向けた。それを「ありがとうございます」と言いながら受け取る。
「どういたしまして」
遼風さんはもう一つを取り出し、早速口に銜えたかと思うと、噛みきることはなく紙袋を畳み始めた。「持ちますよ」という言葉がのど元に引っかかっている間に袋は畳まれてしまい、コートのポケットへと消えていった。そして、横っ腹を銜えた状態の鯛焼きを左手で持ち直し、今度は頭にかじりつく。
「ところで、いくらでしたか?」
「あっ、いらないですよ。あたしが勝手に買ってきたようなものですから」
「いえ、私も食べたかったところですし…」
「遠慮しないでください。いつもお世話になっていますから」
「でも…」
いつもお世話になっているのは私の方だよ、と言いかけた私は言葉を飲み込んだ。嬉々としてこちらを見つめてくる遼風さんの顔を見ていると、自分の意見を押し通すのが間違えのように思えてきてしまったからだ。それに、今の私には、申し出を断ったときの顔を見る勇気がない。
だから、
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
と答えた。
「おめでとう!」
その声は誰が発したものだか分からなかった。しかし、その声をきっかけに、境内の喧騒は一段と大きくなった。
ふいに、遼風さんと目があった。
一つ間を開けて、
「「あけましておめでとうございます」」
と、二人の声が綺麗に重なり合った。そして、二人で笑いあった。
「十五分ぐらいで順番が回ってくるといいですね」
遼風さんの言葉と、塀の向こうを見ようと背伸びしているその姿につられて、見えないと分かっていながらも背伸びをした。やっぱり境内は塀に阻まれてよく見ることが出来なかったけど、辺りに響き渡る鈴と柏手の音ははっきりと聞こえてくる。鋭く明るいその音は、新年の門出に相応しい音だと思った。
「そうですね」
元の姿勢に戻ると、私はそう言った。遼風さんはその言葉を受け止めるためかのように、背伸びをするのをやめ、私の方を向き直ってから「はい」と答えた。でも、頭の中では、もう少し遼風さんと一緒にいられたら、と考えていた。
鳥居をくぐると、参拝の順番を待つ人の他にも、売店のようなところで破魔矢やおみくじを買う人、出店で売っている焼き鳥を買う人に、甘酒を買う人、豚汁を買う人、新年の喜びを友達と分かち合う人、色々な人が居た。
去年の今頃、私はどこで、誰と新年を迎えたんだっけ。幾重にも重なった布を払いのけるように自分の記憶を遡っていく。そこには、コンビニで買った弁当を食べながら、つまらないテレビを見ていた一人の自分がいた。殺風景な蛍光灯がちらつく部屋で、四角い箱に入った濃い味付けの弁当。それが、去年の始まりだった。
でも今年は違う。
一人じゃなくて、遼風さんと。コンビニ弁当じゃなくて甘酒と焼き鳥。それが、今年一年の始まりだった。
そんな感慨深い焼き鳥の串を手に持ち、一口食べ―――「美味しいですね、焼き鳥」―――一旦手を止め、遼風さんの方を向くと、紙でできたトレイの上に甘酒と一緒に置かれているパックには既に二本の串が着物を剥がされた状態で置かれていた。
「そうなんですか?」
そういって、私はようやく一口目を頬張った。舌の上に広がる醤油に砂糖を加えただけじゃ説明できない複雑な味。その次にやってきたのは焼いた葱が生み出すほのかな甘みと、溶けていく食感。鶏肉からはさらさらとした油がしみ出す。そして全てが混ざり合ったとき、「美味しい」と、自然と口から言葉がこぼれ落ちていた。
「ですよね」
遼風さんはそう言いながら笑うと、三本目の焼き鳥を食べ終えた。そんな光景を見ながら、トレイから甘酒の入った紙コップを持ち上げ、飲み込む。喉を滞りなく流れていく独特の甘さと温かさを体の内側から感じながら、空っぽになったコップを見つめ、「どうしてさっきはあんなことを言ったんだろう」と考え込む。
クリスマスと同じように、年の瀬も一人で居たくないという人間の本能が訴えかけてくるのかも知れない。もう一度辺りを見渡す。そこにある風景はさっきと変わらず、手を繋ぎあっている男女、何人かで円陣を組むように立ち、談笑をする人達だった。そんな人達に囲まれたら、誰だって一人は嫌になる。
「前、進みましたよ」
「えっ?」
遼風さんの声に、慌てて前を見ると、人一人が寝そべられるほどのスペースが空いていた。
「わわっ」
私は前につんのめりながらも、遼風さんが居るところまで大股で移動した。
「考え事ですか?」
「じっ」という音が聞こえてきそうな程真っ直ぐな視線を投げかけてくる遼風さんに私は「えっと…新年の抱負を…」と曖昧に答えた。
「一年の計は元旦にあり、ですね。元旦まではもう少し時間がありそうですけど」
遼風さんは声を出して笑うと、「でも、いい年になればよいですね」と続けた。その顔を見て私の迷いは全て吹き飛んだ。そう。とにかく、いい年になればそれでいい。ただ、それだけだった。
また一つ列が進み、私達は賽銭箱の前にある階段の一段目に足を踏み入れた。会話は、もう、ずっと途切れたままだった。ただ席が近いと言うだけで、私達に共通の話題があるわけではない。だから自然と会話は途切れた。それでも気まずいとは少しも思わなかった。ただ、後ろに並ぶ人達の話し声と、祓い清める力を持つという鈴の音だけが辺りを満たしているだけだった。
隣で順番を持つ遼風さんの頬はいつもより赤く見え、表情も心なしか普段より柔らかく見える。それは、こう…、なんというか、お年玉を楽しみにしている子供の顔とは違う、内面から滲み出てきているかのような笑顔だった。何が彼女をそうさせているかは分からないし、私が勝手にそう感じているだけかも知れない。でも、確かなことは、遼風さんも、今年一年がいい年であるようにと願っていることだった。
また一つ鈴の音が天へと昇り、柏手の音が鳴り響くと、私達の番がやってきた。
足音を揃えて段の上へ。
「15円だと『十分にご縁がありますように』っていう意味になるって知ってた?」という友夏里さんの言葉の通り、15円を入れ、2回礼をして柏手を打った。
「音瀬さん。頬が赤いけど、寒いですか?」
鳥居をくぐる前、遼風さんは突然そんなことを言い出した。
「いえ、そんなことは」
どうせ外で待つことになるんだし、と、いつもより着込んでいるから、普段より暖かく感じるぐらいだ。
「それならよかったです」
「あっ」と小さな声の後、「なんとお願いしましたか?」
「内緒です。遼風さんは?」
「それなら、あたしも内緒です」
と答えられてしまった。
二人で笑いあい、正面を見る。未だに人は並んでいて、でもそのことに苛立っている人は居なくて、全ての人がそれぞれの新年の始まりを満喫していた。頭の中でそんな人達の表情と遼風さんの顔が重なり合う。
私は足を止め、後ろを振り返った。
そして、さっきの願い事に、
「幸せでありますように」
と、付け加えた。
「音瀬さん?」
「なんでもありませんよ」
三歩先で歩みを止めている遼風さんにそう返すと同時に、私は彼女の元へと駆け寄った。