短編小説

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リバース・バレンタイン

 吐き出した息が白く視界を覆い、やがて空へと上っていった。昨日のうちに降り積もった雪が辺り一面を包み込み、まだ足跡はほとんど付いていない。もう一度息を吐き出すと、やっぱり視界を包み込んだ。
「…。」
 片栗の粉を押しつぶしたような音を立てながら雪が沈むと同時に足跡が一つできた。積雪…10センチ程度。この町の除雪は北国の割にへたくそで、幹線道路はともかく、それ以外の道は昼頃にならないと除雪車が来てくれなかった。
「おはよう。」
 同じく白い息を立てながら、向かいの家のおじさんが声をかけてきた。
「おはようございます。」
 視線をおじさんの方に向けると、スーツ姿にスノーダンプを持って、家の前の雪かきをしていた。車の前に積もった雪をどけているようだ。
「これから学校?」
「はい。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
 手袋を穿いた手をお互いに振りあい、私は歩き出した。近所の人たちも除雪車がくる前に庭先にある雪を道路にかきだしていた。こうしておくと、除雪車が雪を片づけてくれるからだ。ランドセルを背負った子供達が歓声を上げながら走り抜けていった。一番後ろの青いジャンパーを着た男の子は手に自分の身長より長いつららを持っていた。
 息を吐き出す。いつも通りの朝の風景。見上げた空は水色。天気は…晴れ…。水色のキャンバスにぽつりぽつりと凍雲が浮かんでいた。

 学校はいつもと違う雰囲気に包まれていた。普段は誰もいないはずの早朝の寂しい下駄箱は、数人の女子がちょこちょこと動き回っている。手に小さいバックを抱え、目的の下駄箱と思われるところの扉を開いては、バックの中から何かを取りだし、その中に入れていた。
 そっか…今日は…。
 バレンタインデーだった。何百年も前、ローマ皇帝の迫害を受けて殉職したバレンタイン司教を偲ぶ日。確か、チョコレートを渡すのは日本独自のはずだ。もっとも、女の人が男の人に、というのも日本が始めた行事だ。
 どちらにせよ、渡す相手の居ない私にとってただの一日であることに変わりはない。人目を気にしながら下駄箱の前をうろつく彼女たちを横目に見ながら、靴を履き替え教室へ向かった。
 …だいたいにして…下駄箱なんて…古典的よ…。

 数人しかいない教室で挨拶を交わしながら私は自分の席に着いた。鞄を机に置き、道具を取り出して机の中に入れる。時間がたつにつれクラスには活気が生まれ、だんだんとその場の空気を暖めていく。そんないつもと同じはずの空気も、ちょっとだけ違っていた。たとえば、机に座るときの男子の仕草…。何気なく手を机の中に入れてはがっくりとうなだれ、何事もなかったかのように机に荷物をしまい始める。その一方で、中に入っていたチョコレートを鞄の中にしまう人、その作業を周りの人に見つかってちやほやされる…というより、勝手に開封されて………ご愁傷様…。
 そんな風景をBGMにしながら、私は本を広げ―――。
「よっ。」
「朝の挨拶はおはよう。」
「おはよう。」
「おはよう。」
 半分だけ開いた本をそのまま開いてもいいかと思ったけど、私は両手で挟み込み、ぱたんと音を立てた。
「なぁ、柊。今日の放課後。」
「わかってるよ。学級委員の仕事でしょ?」
「そそ。忘れてないかなと思ってな。」
「私より、みねの方が忘れると思ってたけど、覚えてたんだ。」
「あったりまえだ。じゃあ、放課後。」
「ん。」
 もう一度本を開き、しおりを取ろうとしたとき、今度は別の人に呼び止められた。
「翼、峰岸にチョコ、あげないの?」
「どうして私が峰岸に?」
 オウム返しに聞かれて少しだけたじろぐ真美は、脇の髪を指で弄りながら「いや…だって…ねぇ…」と言った。
「だいたいにして、バレンタイン、ホワイトデーってそこまで祝うんだったら、オレンジデーも祝いなさいって思わない?」
「オレンジデー?」
「やっぱり…。バレンタインで女性が男性に愛を告白して、ホワイトデーに男性がそれに対する返礼をして、4月14日、オレンジデーに、オレンジかオレンジ色のプレゼントを持って相手を訪問するの。これがオレンジデー。」
「へぇ………。彼氏居ない割には詳しいね。」
「うるさい。それで、真美は作ったの?」
「不景気だからね〜。義理も含めて本命もなし。」
「本命が居ないのは不景気とは関係ないと思うよ。」
「するどいね…。ま、ともかく、今年はお互い教室の隅で和気藹々とすごそうか。」
「それもいいね。」
 と、去年と変わらない朝を送り、一日の授業が始まった。


 一日の授業を終えるチャイムが鳴り、教室がにわかに活気づく。男子にとってはこれが最後の勝負になる。どことなくいつもよりゆっくりと道具をしまっている男子のことをちょっとだけかわいく思いながら自分の道具をしまっていく。
「柊、準備できたか?」
「あっ、もうちょっとまって。」
 みねに促されて私は机の上の荷物を急いで鞄の中に待避させ教室を出た。廊下を歩き、ワークルームへと向かう。
「今回の仕事って何なの?」
「卒業文集。」
 なるほど、と頭の中で小さくうなずく。そういえばそんな時期だ。卒業するのは一個上の先輩達だけど、後輩は文集を作る先輩を手伝うのがこの学校の暗黙のルールみたいなものだと聞いたことがある。

 ドアを開けると誰もそこにいなかった。既に傾きかけているオレンジ色の増した太陽の光にあてられ、漂っている埃がちろちろと燃えている。
「まだ、誰も来てないんだね。」
 いいながら、鞄を机の上に置く。ふと振り返ると、みねがドアについているカーテンを閉めているところだった。
「当たり前だろ。」
「当たり前?」
 ドアの前から移動し、私の目の前に移動したみねは、打ち合わせなんてないし、と言った。その言葉に即座に、ちょっと…どういう意味よ、と聞き返すと、その声に動じることなくみねは私を見つめたまま手に持っていた鞄に右手を入れ、中をあさり、次の瞬間、右手を取り出し私の目の前につきだしてこういった。
「バレンタインのチョコ。」
 …。
 何が起こったかわからなかった。目の前にはピンク色のふわふわした袋にリボンがついている、小じゃれて綺麗な物体がみねの手によって浮かんでいる。バレンタイン………チョコ………。
「ちょっ…な、何考えてるのよ、みね。」
「何って、告白。」
 ピンクのふわふわを机の上に置き両手を私の肩に乗せがっちりとつかむ。…近い…。いつも一緒にいると言ってもここまでみねが私に近づいたことはなかった。どちらかというと心地よい距離を保っていたみねは…今…目の前にいて、私の瞳をとらえて放さない。
「翼。俺…翼のことが好きだ。だから…つきあってくれ。」
 予想外の………ううん…この場面から言えば予想通りの告白に私は声も出なかった。もしかしたらこのまま押し倒されてしまうかもしれないみねの勢いに圧倒されていた。
 しばらくそのままの状態が続くと、みねの言葉の意味がようやく脳の中に伝わってきた。
 ………みねが…私のことが…好き………。みねが………。
「だめ…か?」
 私の生み出した沈黙にみねが沈んだ声で水を差した。
「…。」
「そっか…。」
 私の肩から手を離しピンクのふわふわをつかむ。そしてそれを鞄にしまうと、みねは私の前から離れていく。
「ちょ………待ちなさいよ!」
 それでもなお止まらないみねを私は追いかけ、肩を鷲掴みにして強引に振り向かせた。
「今日、部活でしょ? 部活が終わるのは六時だったよね。その時間に玄関で待ってなさいよ。」
 言い終わる前にドアを開け教室を飛び出し階段を駆け下り廊下を走り抜けている途中進路指導部の先生が後ろで何かわめいているのを気にせず玄関に出ると靴を履き替え外に出ていつもより速く体を上下させ真っ白な道を走り抜けると胸がどきどきしてきているのを感じた、何だろうこのどきどきはと考えているうちに私の頭の中をみねのことばが何回も往復して私の思考を埋め尽くしている間にも私は目的の店に向かって走ってこの先自分がどうするべきかを考えてその結論に辿り着いたと言うよりもはじめからどうするべきかわかっていたから私はこうして走っていて気がつけば店の前に立っていた、フロア奥にある手作り菓子のコーナーに真っ先に向かい適当にチョコレートの材料になるのを選んでいる途中どうしてこんなにチョコの物価が高いときにチョコを買わないと行けないのよと文句をつきつつも材料を探すと板チョコは売り切れていて仕方が無くカカオマスを手に取りレジを通り抜け家へと走り出した、湯煎でチョコレートを45度近くに保ちながら練って組織を安定化させながら私はみねのことを思い浮かべると思わず馬鹿と口に出してしまったけどそのせりふを笑いながらいってしまう自分にやっぱり驚きもう一度馬鹿と口にした、どうして今頃?中学校だって一緒のクラスだったし高校に入って一旦違うクラスになったけどこうして今は同じクラスで一緒にいる時間も長かったのにどうして今日の今日まで黙っていたの?それにあんな嘘までついて私を呼び出してそこまで考えて私はみねが本気だと言うことを悟りその思いに自分も本気で答えようとしてこうしていると言うことに今ようやく気がついた、ステンレスのボールに移し替えチョコレートを冷やしてもう一度湯煎にかけて温めチョコレートを入れる型を探してもいいのが見つからなく冷凍庫から氷を作るためのケースを取り出し氷を捨てて水分を拭き取ってチョコレートを流し込み冷蔵庫の中に入れた。

 …自分の動きが信じられなかった。どうして私は今こうして今でチョコレートが固まっているのを待っているんだろう。みねは私に何をしたの? ピンクのふわふわを渡そうとして…それを見て驚いて………私は…みねの気持ちに気づくと同時に…自分の奥底にあった気持ちを引っ張り出された。あんたのせいで…スイッチはいっちゃったじゃないの…。どうしてくれるのよ…。ちゃんと…最後まで責任取ってよ。ほおに手を当てて顔が熱くなっていることに気づいてやっぱり恥ずかしくなって私はその場にうずくまった。

 携帯が軽快なメロディーを奏でて時間がたったことを知らせてくれた。冷蔵庫からチョコレートを取り出すと…うん…大丈夫そう。本当は一ヶ月ぐらい一定の温度で熟成させないとチョコレートが安定しないんだけど…突然告白したみねが悪いんだからね、そのぐらい許しなさいよ。
 一つ口にほおばり、予想よりなめらかに仕上がっていることにほっとすると、一緒に買ってきたフィルムにチョコレートを包み、青い袋に詰め、家を飛び出した。


 約束の時間に10分ほど遅れて下駄箱に辿り着くとみねが手を口元で揉みながら待っていた。
「お待たせ。」
「おせーよ。」
「みねのせいだからね。」
「はぁ?」
 それっきり二人の間に沈黙が流れた。
 さっきまで落ち着いていたはずの胸の鼓動がゆっくりと激しくなっていく。何度となく息が綿毛のように飛び出しては消えていった。胸が苦しかった。何より、私が何かを言い出すことを知っていてそれをじっと待っているみねの目線が…苦しかった…。…違う…苦しいんじゃなくて…なんていうか………よくわからないけど…けど…。173センチ…たしか最後に聞いたみねの身長。私より15センチも大きくなるなんてずるいよ…。いつの間に追い越しちゃって…大人っぽくなっちゃって…そのあげく私に告白? いい度胸じゃない…。でも…そんなみねが…。
「えっと…。」
 ようやく口から出た言葉にみねは何も言わないで先を促す。目線の行き場所を失って辿り着いた制服のボタンを上にたどり、みねの目を…とらえる。
「好きだよ。みねの事が。だからね………、はい。」
 ダッフルコートのポケットから不格好にラッピングされた青い袋を取り出し、放課後にやられたようにみねにやり返す。
「ば…。先に返事をくれよ。」
「だから、これが返事よ。義理とかそんなんじゃないからね。ちゃんと受け取らないと、乙女心をもてあそんだ罪で雪の中に沈めてつららで突き刺してやるから。」
「じゃあ、ほら、さっき渡しそびれたやつ。」
 そういって、みねは鞄からピンクのふわふわを取り出した。
 二人の右手にそれぞれ袋を持ち、受け取るのを待っている。私がおそるおそるピンクのふわふわに手を伸ばし、それを受け取ると同時に、私の右手がふと軽くなった。
「…私を本気にさせた責任…取ってくれるんでしょうね?」
「じゃあ、俺を惚れさせた責任…取ってくれよ。」
「ば…。」
 言いかけてやっぱり顔を手で覆ってしまう。惚れさせたなんて…そんな言葉聞いちゃったら…意識しちゃうじゃない…。せっかく顔を見ないようにしてたのに…みねの………馬鹿…。
「意外といけんじゃん。」
 みねの声にそらした視線を動かしみねをもう一度見つめると、二つめのチョコを口に運んでいる途中だった。
「翼は食べないのか?」
「わ、私?」
 ちょっと…いつから名前で呼ぶようになったのよ。
「ったく、食わせてやる。」
 え? と聞き返そうと思った頃には私の手にあったはずのチョコが無くなっていて、目の前には包みをほどかれたハート型のチョコレートがあった。
「ほら、開けろよ、口。」
「は…恥ずかしいよ…。」
「大丈夫だよ、誰もいないし、減る物でもないし…あっ…食べたら減るか…。」
 もう、と笑いながら、私は口を開いた。するりと舌の上を滑って口の中に進入してきた香ばしい香りを放つそれがゆるりと雪のように溶け出し、甘みが口の中いっぱいに広がって、口の先にわずかなぬくもりを感じた―――?!
「わ…ちょっ! わっ!」
 思わず後ろに飛び退き、顔を手で覆った。
「ん、やっぱり甘いな。」
 私のことを見下ろしながらいつもの顔でみねは笑った。
「ちゃんと、返事は受け取ったからな。」
「卑怯だ、そんなの卑怯だ。あぁ〜はじめてだったのに〜。」
 いいながらみねに詰め寄る。放課後の時より距離が近い。こんなにそばで…みねを見るの…はじめてだ。
「だいたいにして相手の同意を求めないでキスをするなんて卑怯だ。横暴だ。」
「油断してるおまえが―――。」
 もう何も言わせないもん。頭の後ろに手を伸ばし、みねの顔を引き寄せ、何かを言いかけた唇を自分の唇で塞いだ。

語句解説

手袋を穿く
 一部の雪国(宮城県以北と思われる)では手袋を『着ける』ではなく手袋を『穿く』と言う。一種の方言。
初出: 2005年2月14日
更新: 2005年4月30日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2005 Suzuhibiki Yuki