Top > ウェブ公開作品 > 小説 > 長編小説 > 光になりたい > 本編 -エピローグ-
お互いを好きなる事とはどういう事なのだろうか。たぶん、自分より相手の事を思いやる事が出来る事なのだろう。だからこそ、どんな障害だって乗り越える事が出来るのだろう。
テラスに出た俺は田村さんが街を見ているところに出くわす。勇気を持って俺は田村さんに告白をした…。
そして…。
ココロとココロを抱き合っているという安心感や満足感に身をゆだね、俺達はしばらくの間、そこにいた。そして、田村さんに言ったんだ…ずっと言いたかった事を…。
幾筋もの光が雲から地上へと舞い落ちる。雲の隙間から地上に向かって投げ出された太陽の光…俗に言う『天使のはしご』。木々の葉には雨の残り梅雨がのり、ひとつ、またひとつ、と、時間とともに落ちていく。地面に落ちては円状に広がり、乾いては、また空へと還っていく。いつものように犬の散歩をしている人や、ジャージを着て走っている人…牛乳を配達したり、車に乗って仕事に向かう人。道沿いの家からは朝ご飯の匂いや、朝独特の喧噪が聞こえてくる。
そんな…いつもの朝。もう…何度も見ているはずの朝。でも…全く同じものを見たことはない。似ているようでどこかが違っている朝の風景。毎日が変化に富んでいる朝の風景…。
そんな世界を窓の外に追いやり、俺は今、学校の教室にいる。
相変わらず34秒遅れている時計や、今日の日付が書き込まれているだけのまっさらな黒板。置き勉だろうか…ぎっしりと教科書の詰まった机。掃除をしたはずなのになぜか所々乱れている椅子。篠原さんが掃除をして、きれいに整頓されている備品棚………。それら全てのものたちが静かに持ち主の到来と、これから始まる一日を待っている。
俺の机の上には本が一冊置いてある。でも…開かれることなく置かれている。
俺は今、朝の教室の主を待っている。俺より早く来て、いつも朝を独り占めする人…。だから今日はお返しと言う事で、いつもより一時間も早く来た。
「OK」
廊下から響いてきた足音に続いて、教室の前で発せられる声。
足を踏み出すと、わずかに長い髪が後ろに揺れた。
ゆっくりと…でも…確実に歩いてくる女性。すっ、と高い背…着飾ることなくさりげなく制服を着こなすその姿は、もう見慣れた姿。
でも…たとえ見慣れたとしても…見飽きる事はない…。
二列目の机と三列目の机の間を歩いてくるその女性に向かって、俺は一つ、朝の挨拶をした。
「おはよう、田村さん」
「おはようございます、河口さん」
本当に一言…たったその一言なのに…どうしようもなく懐かしくて…たとえようがないほど嬉しくて…俺は思わず涙ぐみそうになった。
「今日は、早いですね」
田村さんが、俺の目を見つめて言う。
「あぁ。退院してからの初登校だからね。じっくりとこの目で見守る事にしたんだよ」
「ありがとうございます。薫、河口さんにおはようって」
何も薫は反応を示さないように見える。でも、何となく伝わった。
「学校に来ているのに、田村さんに会えないんじゃあ、なんか損をした気分になるからね」
「…」
見てわかるほどに赤くなった田村さんは、俺に背を向けた。
「どうしたの?」
「今…私…絶対人に見せられないような顔…しているから………」
「あぁ………俺も…同じだ………」
泣きたくないのに…涙がでる。
悲しくないのに…涙が出る。
たっぷりと時間をかけ、田村さんは俺の方に向き直る。
「あらためまして、おはようございます」
思わず笑ってしまった。
「おはよう」
自分の席に着いた田村さんは、椅子の向きを変え、俺の方を向く。
「今日は暖かいですね」
「あぁ…。梅雨の中休み…だね。晴れてよかったよ」
「えぇ。雨の日も好きですけど、私は晴れの日の方が好きですね」
ほころぶ顔。俺もその顔をみてほころんだ。
「おっはよ~っ!」
朝からエネルギー充電率150%の篠原さん。バタバタと教室に駆け込んでくる。
「篠原さん…元気よすぎ」
半ばあきれつつ俺は、おはよう、と付け足した。
「おはようございます、篠原さん」
「おはよう、由梨絵。今日から学業再開だね、がんばってね~」
「はい」
「ま、私たちも手伝うからさ、遅れ、取り戻そう」
「はい」
「ちっす」「おはよぉ~」
義之と相沢さんの到着。
二人の挨拶にみんな思い思いの方法で返事をする。
勢いよく席に着いた義之は、一言。
「かぁ~っ、やっぱ、このメンバーじゃねえとやる気でねぇな」
どこかの酔っぱらいか、おまえは。
「田村さん、退院おめでとう。はい、プレゼント」
予想通りのメロンパン攻撃に田村さんもとまどう。袋の中には、今日の朝、コンビニ巡りをして買ってきたと思われるメロンパンが十数個入っていた。ポピュラーなメロンパン、チョコチップ入り、メロン果肉入り、生クリーム入り、手作り風味、手作り………俺の知っているメロンパンはもちろん網羅され、見た事すらないものまで入っている。
「あっ、ありがとうございます」
メロンパンの気迫と、袋の重み、相沢さんの気迫に圧倒されつつも田村さんはそれを受け取った。
「お礼はいらないからねぇ~♪」
「おはようございます、皆さん」
その声に全員が振り向く。みんなの視線を浴び、少し恥ずかしそうに俯いた如月さんは、身軽に机に腰掛け、フルートを取り出した。
息を吹き込み音を奏でる。
時と場合によらず、気持ちが乗れば…何かが彼女を呼び寄せれば、演奏をはじめてしまうのだろうか。だけど、その演奏には迷いがない。だからこそ、俺達は安心して聞く事が出来るし、如月さんの演奏にココロをとらえられる。そして、勇気を与えてもらったり、如月さんの気持ちを共有したりするのだろう。田村さんにとって薫がよきパートナーであり、家族であるとどうように如月さんにとって、フルートはよきパートナーであり、家族なんだろう。
演奏が終わると、みんなで拍手をする。自然の流れだった。
「退院、おめでとうございます、田村さん」
「こちらこそ、素敵な演奏、ありがとうございます、如月さん」
あの演奏があったからこそ、俺は背中を押された…。そして、今の俺がいる。結局…誰かが自分を見守っているんだ…。
「久しぶりの学校は、どう? 田村さん」
目の前にいる田村さんに俺は話しかける。
「皆さんとこうしてあえただけで嬉しいです…。これからもよろしくお願いしますね」
「もちろんさ」
そんな俺達のやりとりを黙ってみていた篠原さんが口を開く。
「二人とも、恋人同士みたいに仲がいいよね。朝、私が来たときも仲良さそうに話し込んじゃって、いったいどうしたの?」
如月さんが、俺を見てほほえむ。義之が、肘で俺をこづく。相沢さんが俺を見る。
「えっと…それは…」
ここは男らしく、言ってしまおうじゃないか。
ギギ…と椅子を引き、立ち上がった田村さんは俺の腕をつかみ、俺に立ち上がるように合図をする。首をひねりつつ、俺は田村さんのお願い通り、立ち上がる事にした。
「どうしたの?」
田村さんを見る。俯いていた顔を上げ、みんなの方を向くと、
「私たち………こういう関係ですから♪」
………と、言って、俺の腕に自らの腕を絡めた。
感激の悲鳴の混じった声がクラスに響き渡る。同時にあがるみんなの拍手。薫が何事かと顔をあげる。
お互い真っ赤になった顔を見る。田村さんを引き寄せ、彼女の瞳を見つめる。そして、その目に迷いはなかった。
お互いのココロが繋がり、二人とも自然に距離を近づける。
俺は田村さんの背中に腕を回した。
田村さんも俺の背中に手を回してくる。
田村さんが目を瞑った事を確認し、俺も目を瞑った。
そして―――。
…。
数瞬の間の後、またみんなの拍手があがった。