光になりたい -第九章-

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前回までのあらすじ

 何となくあの人はあそこにいる気がする。自信はないのに、なぜかわいてくる確信。それは、あなた達が強く………ココロで結ばれている証拠。

 田村さんの全てを知り、ココロとココロの障壁がとれたような気がした。田村さん自身が築き上げ、誰も超える事が出来なかった一つの線…。だんだんと元の田村さんに戻りつつある姿をみて、みんなで安心した。そして…またいつも通りの日々が帰ってくる。

 病室にお見舞いに行くと、田村さんがいない。田村さんがいる場所に…俺は…自信はなかったでも確信があった…。だから…その確信に身をゆだねると、俺はテラスに向かった。

光になりたい ~第九章~

 テラスに出ると、俺の予想通りそこには田村さんがいた。
 手すりに肘を乗せ、病院側に背を向けている。すでに見慣れた後ろ姿だったが、久しぶりに見た。いつも授業中、後ろからしか見る事が出来ない。なによりその姿は座った時の話だ。こうして立ち上がったときの田村さんを見るのは、俺の記憶の中ではそんなに多い方ではない。
 俺は何となくその後ろ姿が気持ちよくて、しばらく眺める事にした。
 風が吹いては、田村さんの髪を縫い上げていく。ここからは田村さんが何をしているか…街を見ているのか、それとも、寄りかかっているだけのか…それはよくわからない。でも、何となく気持ちがいい。殺気立っているとかそんな雰囲気はみじんもない。ふわりとした雰囲気を持つ田村さん。そう、何でも包み込みこんでしまいそうで…でも、とても弱くて…誰かに支えてもらっている。俺はそんな田村さんが好きだ。そして、出来る限り守ってやりたい…。
 俺はそんな後ろ姿を見守るため、自らも風に身を預けた。
 
 どれだけの時間が経っただろうか…。暖かさを帯びていた風が、少しずつ冷めていく。
「何やってるの、田村さん」
 その声に田村さんは振り向く。
「やはり、河口さんでしたか」
 やはり…。俺がテラスに来てからずっと気づいていた…と言う事だろうか。
「どうしてわかったの?」
「それは…このような場所でずっと動かずに体を預けているのは、河口さんぐらいですから。私の知るうちでは」
「それじゃあ、俺も同じだな。こんな場所にずっといるのは田村さんぐらいだから」
「おあいこ、ですね」
「あぁ」
 二人で笑う。もう、あの時のように田村さんの顔が歪む事もない…。
「河口さん、いろいろありがとうございます。おかげで勇気がもてました。もう一度、やってみようかなと思います」
「そうか」
「薫も大丈夫だそうです」
「よかった」
 また笑う。今度は声を出さずに。そう、幸せを…今の現実を噛みしめるために…。
 自然と笑みがこぼれる。俺が求めていたのは、この瞬間だったんだ。
「河口さんのおかげです…」
「いや、それは違うよ…。薫が助かったのは治療をしてくれたお医者さんのおかげだし、薫自身が助かりたいと思ったから。そして、田村さんが薫を受け入れたからなんだ。俺は何もしてないよ」
「でも…なにかお礼をしないと…私の気持ちが………」
「それじゃあ、一つお願いがあるんだけど………俺の話につきあってくれるかな?」
「はい」
 静かにうなずく田村さんに俺は―――
「俺…今日、好きな人に告白する予定があったんだ、実は…」
「あっ…すみません…私の長話につきあっていただいて」
 さっきまでの笑顔が消え、本当に申し訳なさそうな顔をする。
「いや、大丈夫だよ」
 ん? という顔をする田村さん。
 首をひねり、俺を見つめる。
「気にしなくてもいいさ。今、ここで言うから」
「えっ?」
「田村さん。俺は田村さんの事が好きだよ。ずっと好きでした。そして、いまも、これからも。だから…こんな俺でよかったらつきあってくれませんか?」
 言い切った…。言い切ってしまった。言おう…言おうと思っていた言葉…。俺の胸の中から…離れ…田村さんに…。
「嘘…」
「嘘なんかじゃないさ…」
「片思いだと思っていました…。だって………だって…河口さんには…私なんかよりももっと素敵な人がいると思ってしましたから」
「田村さんは十分に素敵だよ」
 一歩歩み寄り、田村さんの腰に手を回す。
「あっ…」
「だめ…かな?」
「いえ…」
 それっきり俺の方に頭を預けてくる。繊細で…今にも壊れそうなのに…俺は………力一杯抱きしめた。
「これ以上無理ってぐらいそばにいるのに………もっともっとくっつきたい…近づきたいって………からだがじゃまに感じるよ」
 田村さんのカラダ、匂い、鼓動…それら全てが俺の中に流れてくる。ちょうどお互いの心を直接抱きしめあっているかのように…。俺の持っている感覚の全てが田村さんしかとらえていない。
「ね、笑わないで聞いて。俺…田村さんの事しか見えない時ってあるんだよ。これが………“恋は盲目(Love is blind)”て言うものなのかな…」
 肩に乗せていた頭を上げる。その顔は驚きに包まれていた。
「実を言うと私もなんです………。寝る前に河口さんの事を考えると…眠れなくなってしまって…入院してからはずっと…。だからたまにお昼寝をしたり…。ずっと胸が苦しくて…。誰かに握りしめられたようで………。でも…私には無理だと思っていたのに…。河口さんにはもっと素敵な人がいると思っていたのに…」
「俺にとって、田村さんが一番なんだよ」
「うれしい…」
「田村さん…俺、まだ田村さんの全てを見た事がないんだ」
「えっ………それはあの時…」
「いや…もう一つ………」
 俺は息を飲み込んだ。もっと田村さんがみたい…。田村さんの全てが知りたい…。
「ねぇ…俺に………田村さんの瞳を見せてくれないかな?」
 ピン…。また一つ俺は琴線に触れた。昔、田村さんが虐められた理由を作った田村さん自身の瞳…。俺は田村さんの全てを受け止めたい。傷ついたらその傷口を埋めたい…。だから………。
「いい…かな?」
 俯いてしまった。別の意味で胸が締め付けられる。そんな気持ちを紛らわそうとして俺は腕に力を込めた。
「河口さん…」
 本当に小さな声で…風の音にすらかき消されてしまいそうな声で…。
「私…河口さんの声を聞くと安心出来るのです。前にも言いましたよね。どうしてかわかりますか? それは…河口さんがやさしいから………でもそんな小さな事じゃ無いような気がするのです。好きとか…嫌いとか…そう言う小さな事じゃなくて………なんか…こう…カラダが勝手に反応しているのです。河口さんになら全てを教えてしまってもいいから…だから………」
 田村さんの腕の力が強くなった気がした。ギュゥ…っと俺の体が締め付けられる。そして…また…田村さんが俺の中に流れ込んでくる。
 やがてゆっくりと閉じていたまぶたを開いていく。
 ダークブラウンの瞳…。
 きれいだ…本当にきれいだ…。
 吸い込まれそうだ…いや…もう吸い込まれてしまっているのかもしれまい。田村さんの目はもう、光をとらえる事はない。でも淡く輝きを放つ彼女の瞳は俺に魔法をかける。目を…そらす事が出来ない。
 俺はゆっくりと距離を近づけていく。
「キス…しても………いいかな?」
 ささやくように優しく訪ねる。
「はい…」
 甘いお菓子のようなその声に、俺は、腰に回していた手を少しだけ緩めた。一つ年上の田村さんが急に子供っぽく見えたのはどうしてだろう…。
「田村さん…目、瞑ってもらえるかな?」
「えっ、あっ、はい」
 恥ずかしい。見えないとわかっていても恥ずかしい。
 彼女が目を瞑るのを確認すると、俺はその距離を限りなく0に近づけていく。
 そして…
 音も光も感じない世界で、俺に与えられた唯一の感覚。
 田村さんを抱きしめている感覚。
 唇にある感覚。
 それだけが俺を支配していた。
 ―――長い口づけ。
 
 どちらからとも無く俺達は唇をはなした。
 田村さんの顔は朱をさしたかのように赤らみ、俺の顔は熱を帯びている。
 さっきまでの感覚が体に残っている。
「あ…、ありがとう…ございます」
 田村さんがはじめてその言葉を自ら口にした。
 だから俺も答えた…
「どういたしまして」
と。
 
「河口さん………貴方に惹かれている自分が怖い…本当に………」
「臆病だね」
「でも、それくらい魅力的だと思っているのです」
 再び強く抱きしめる。もう…腕の感覚がほとんど無い。
「ねっ…ねぇ…苦しい…」
 消え入るような声で田村さんが言葉を発する。
「えっ…あっ、ごめん…」
 俺はそっとのその腕の力を緩めた。
「いえ…そう言う意味ではないです………どきどきして…呼吸が苦しく…て。だから…もっと…力…入れても…いいですよ」
「わかった」
 腕に力を込める。また、田村さんとの距離が近づき、まさに…重なりあいそうな…そんな感覚。
「凄い…」
「えっ? 何が?」
 田村さんは体と体の間に隙間を作り、胸にその顔をうずめた。
「心臓の音………どきどき…聞こえます。河口さんが生きていて、ここに存在して…私を抱きしめているなんて、と思うと………」
「田村…さん?」
「ううん…なんでもないです。ただ…幸せなだけ…」
「ねぇ、田村さん。俺達人間にはどうして手足が二つづつあるかわかるか?」
「…わからないです」
「こうして…お互いを抱きしめるため…二人で歩んでいくためなんだ。でも…今…もっと重要な事に気がついたんだ。どんな方法でもいい。お互いがいる事を確認しあう事が出来ればそれだけで十分なんだ。どんな…方法でも…その人達にあっていれば…どんな方法でもね」
 再び腕に力を込める。身長差約10cm…。ちょうどいい高さに田村さんの頭がある。
 あのときもこうだった…。でも、今ならもう少し勇気がでそうだ。俺は細い線に回していた両腕のうち、右手を田村さんの頭に乗せ、ゆっくりと撫でた。
「河口さん…」
「どうした?」
「そのまま…」
「あぁ…」
 人間はいろいろな場所で泣く事が出来る。悲しいとき、嬉しいとき。
 そして………
 抱きしめあうだけで泣くときもある…その暖かさ故。
「どうしよう…」
 田村さんが俺の目を見つめながら言う。
「何が?」
「河口さんのこと前よりもっともっと…好きになって…しまいました」
「そう…か」
 言葉と視線。視線が絡み合った数秒間…。まさに永遠の時間。田村さんの目の奥に俺は………。
「私、今幸せすぎるくらいかもしれません」
 俺はそんな田村さんを今までで一番強く、ギュッと抱きしめ………耳元で、「これからもっと幸せになるんだよ」とつぶやいた。
「この気持ち…分けてあげたいです…この幸せな気持ち…」
「いや、十分だよ。俺だって、こんなに大切にしたい人がいるって凄い幸せな事なんだから…。ずっと…大切にするから………。だから…田村さん…これ…受け取ってくれるかな?」
 ゆっくりと二人は離れる。たったそれだけの事なのに…凄く寂しくなる…。つまはじきにあった子供のような気分…置いてけぼりにされた気分…。でも…確かに繋がっているところがある。だから…不安ではない…。
 ポケットにしまっていた一つのカードを取り出し、俺は田村さんの手のひらにのせた。その厚紙の上には見た目では意味のなさい凸の印…点字が刻まれている。本を買って…必死になって勉強して…点字版を買って………点筆(てんぴつ)で一つひとつうち込んだ…点字………。
「これは…?」
 カードを受け取った田村さんがその形を確認していく。
「言いたい事があるんだ…。そして、こういう形で残しておきたいんだ…。ね、読んでみて」
「はい…」
 手渡したカードに指を乗せ、なぞっていく田村さん。その指先は震え、涙がカードにシミを作っていく。一つひとつの動作を俺はゆっくりと見守る。一行読んで、下へ。また一行読んで、下へ…。そのたびに、泣いては驚き、驚いては泣き…。震える指でうまく読みとれないのか、何度となく同じ行の上で指を移動させる。それを待っている時間が心地よくさえ思えてくる。
 沢山の時間をかけ、
 全てを読み切った田村さんは、
 俺を見上げると、
 涙をぬぐい、
 涙で腫れた赤い目で俺を見つめ、
 ゆっくりと…柔らかく笑い…、
「ありがとうございます」
 と、言った。
 そして、
「よろしくお願いしますね…」
 と。
 声が揺れる震える。
「あぁ…もちろんだ」
 俺の視界が揺れる震える霞む。
「河口さんの声が聞きたいです…。河口さんの声でこの言葉が聞きたいです…」
「わかったよ。一度しか言わないから…録音するなり、好きにしてくれ」
 そう言い、俺は口を開け、言葉を発しようとしてやめた。
 田村さんがポケットを触っている。
 ………本気で録音する気だ。
 そんな仕草をかわいいと思ってしまい、同時にまた、キュっと心臓が締め付けられる。
 ………………………末期だな…俺は。
 片手にICレコーダー、もう片手にテープレコーダーを持って準備万端の田村さん。
 頭の中で咳払いをし、俺は、ゆっくりとカードに書かれている文字を読み上げた。

「俺は田村さんの目に光を取り戻す事は出来ない…。でも…田村さんのその笑顔が見ていたい。そして、田村さんに、これから歩んでいく未来を………田村さんの瞳に…田村さんの心の瞳に見せてあげたい。二人で一緒に歩いて………三人で一緒に歩いて………仲間達と時間を共有する未来を見せてあげたい。俺はそんな田村さんの…未来への一歩となる足下を照らす…小さなちいさな…一つの………光になりたいんだ…」

初出: 2003年11月11日
修正: 2005年11月26日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
点訳: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
点字フォント: 墨点字線付き
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