光になりたい -第三章-

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前回までのあらすじ

 田村さんが編入して初めての席替え。何かと作為的なものを感じたが、義之の隣となった俺は、同時に篠原さんと田村さんの席の近くになった。今まであまり話した事が無い篠原さんと接するようになり、同時に田村さんとの会話も増えはじめた。この時、俺は朝読書はほとんど無理だな、と悟った。

 日曜日、頼んでいた本をとりに商店街に向かうと厄介な事に巻き込まれている田村さんを見つけた。仲裁に入った俺はなんとか和解させる事に成功し、その後、田村さんに商店街の道を教えた。
 結果的に、学校以外で初めて田村さんと二人っきりの時間を過ごした事になったのである。

~第三章~

4月21日(月曜日)

 うす雲を通りぬけた柔らかい光が、朝の廊下を照らし、味気ないリノリウムの床を素敵に変化させよみがえらせる。
 そんな中、俺は、教室に向かって進む。
「おはよう」
「おはようございます」
 既に日常となったこの時間。
 そして、日常となった読書の空間。
 一人ではなく、前には田村さん。
 俺はその空間で本を読み、そして、自分の意識を異世界へ誘う。
 そして、篠原さんが合流し、教室を『音』というもので彩り、朝を迎える。
 これが今の俺の学校生活はじまりの時間。
「河口さん、昨日はどうもすみませんでした」
 本を読んでいると、田村さんに話しかけられた。
「気にしなくていいって」
「ん? 何がどうしたの?」
 机に座り、朝ご飯を食べていた篠原さんが俺達の会話に入ってきた。
「実は、昨日、商店街で河口さんに助けていただいたのです」
「へぇ、隅に置けないね」
「どう言う意味だよ」

    *

 既に五月蝿い空間と化している教室に一瞬にして静寂が訪れた。
「おはようございます」
 係の号令。
 それと共に『おはようございます』と全員で礼をする。
「今日の連絡事項は、まず、新学期そうそう喫煙で捉まった馬鹿がいる。みんなは、吸わないように。以上」
 さくっと連絡事項を切り上げてしまった。
 こういう所が俺は好きなんだ。
「それと、今日から、部活動査定期間だからな。今年から入部するつもりのある人、移動する予定のある人は前に配ったプリントについている練習場所にいって見学するように。入部届けは各部の顧問に個別に出すこと。じゃ、今日一日よろしく」
 今日も一日が始まった。
 …
 ……
 ………
「んで、お前は結局、今年は帰宅部か?」
「あぁ。陸上部はもう引退した」
 机に道具を詰めていると、義之が俺にそう聞いてきた。
「そう言う義之はまだ、部活続けるの?」
「まぁな…。まっ、今ごろ新しい部活に入ることも無いし」
「確かに…」

    *

「そう言えば、由梨絵は携帯とか持ってる?」
 教室のあちこちで思い思いに席を向かい合わせ、それぞれの時間を過ごしている中、俺達の班も机を合わせ、昼食をとっている。
「一応、ありますけど…?」
「そう♪ なら、番号教えてよ」
「私の…ですか?」
「他に、誰がいるって」
 女の人同士は初見でも打ち解けるのが早い…とどこかで聞いた事がある。
 パーソナルスペースが男の人達より広いらしい。
「私でよければ、どうぞ」
 そう言いながら、田村さんはスカートにあるポケットから携帯電話を取り出した。
 ストレートタイプのシンプルなデザインだ。
「篠原さんの番号を教えていただければ、こちらから掛けますよ」
「そっか、じゃあお願い」
 続けて篠原さんが自分の携帯の番号を言う。
 それを聞きながら、手探りで番号を入力していく田村さん。
 数瞬のまを開けて篠原さんの携帯が震える。
 篠原さんは番号を確認すると、それをアドレス帳に登録した。
 俺が視線を戻すと、田村さんは携帯を左にて持ちしばらく考えている様子だ。
「由梨絵、私が代わりに入れてあげよっか?」
「…すみません…。お願いします」
 どうやら、文字入力で手間取っていたらしい。
 田村さんから携帯を受け取ると篠原さんは文字を入力して行く。
「なんなら、私の番号、河口くんと工藤くんにも教える?」
「是非!」
 即答で工藤。
「まぁ、俺はいいけど」
 少し遅れて俺。
「じゃ、ちょっと待ってね」
 入力を終えたのか、田村さんに携帯を返す篠原さん。
「じゃ、番号教えるから、そっちから掛けてよ」
 …
 ……
 ………
 こうして、俺の携帯には篠原さんの番号が登録された。

4月22日(火曜日)

「おはよう、由梨絵」
「おはようございます、篠原さん」
 朝の挨拶は何時もこれで始まる。『おはよう』…この言葉にはどれだけの力があるのだろうか。天気がどんなに悪くても…空がどんなに暗くても、この言葉の発する力はそれをも忘れさせる。言葉の魔力…その言葉をはっきりと認識させられる
「由梨絵、部活、どうだった?」
「そう言えば、田村さんは何部に入部するの?」
 昨日の放課後から部活の登録期間だ。三年の俺にももちろん入部の権限はあるが、もう辞めてしまったし…これといって新しい部活に入る気もない。文芸部…と言う手もありだが…話によるとあまりやる気がないらしい。それなら自分の家で本を読んでいた方がまだましだ…そう言う結論に至っている。
「私は、吹奏楽部です」
「「へぇ~」」
 二人同時に納得してしまう。なんとなく、わかる気がした。
「もしかして、楽器弾けるの?」
「はい。ソプラノフルートなら、少々」
「かっこいい…」
「そう言って頂けると幸いです」
「それで、部活はどうだったの?」
 篠原さんは目を輝かせ質問を続ける。知りたくてしょうがないらしい。俺も興味がないと言ったら嘘になる。だから二人のやり取りを熱心に聞く事にした。
「そうですね…初めは驚いた様子でしたけど…その後は和気藹々と…」
「そっか、文化部だもんね」
 それを聞いて俺は陸上部の事を思い出した。どこの学校でも同じらしく、体育系の部活は年功序列だ。結局、先輩、後輩と言う壁に挟まれながらも、後輩は先輩を手本として練習する。先輩から練習メニューを受け、そして、それをこなす。きついメニューもあったし、楽なメニューもあった。合宿だってあったけど…その時だけは年の差関係なく騒いだ記憶がある。その事を考えると、どこか遠い思い出のような気がした。辞めてまだ二ヶ月だと言うのに…。
「今日から練習です」
「へぇ~、そうなんだ」
 知らない間に会話は進んでいたらしい。
「何時か、由梨絵さんの演奏、聞いてみたいな」
「…まだ下手ですから…」
「じゃ、上手くなればいいじゃない」
「…」
「頑張ってね♪」
「はい」
 田村さんがかすかに笑った…。俺にはそう見えた。その一瞬の笑顔…長い髪に隠れて全てを見る事は出来なかったが、それだけで俺には十分だった。

    *

 火曜日の6時間目は楽しい授業。
「ほら、義之行ったぞ」
「あぁ」
 『ヒュッ!』という音と同時に、小さい物が弾ける音がする。
 放物線を描き、ハイクリアの軌道で羽が飛んでくる。
「!」
 俺はラケットでそれを打ち返す。
「上ばっかり狙ってると、スマッシュ入れられるぞ」
 義之が言いながらねらいをつける。
 背筋をピンと伸ばし一直線にからだが伸びきった。
 一際大きい音と共に、俺のコートに羽が突き刺さる勢いで入ってくる。
「なっ」
「だから言っただろ?」
 いつもと同じようにバトミントン。
 相変わらず、義之は手加減無しだ。
「おまえ、本当にバトミントン部じゃないんだよな?」
「あぁ」
「謎だ…」
「というか、お前、弱すぎだ」
「義之が強いんだよ」
 後ろの方では女子のバスケットの音が響いている。
 俺は落ちた羽をラケットですくうと同時にその様子を見る。
 相変わらず、田村さんは欠席している。
 ボールがサイン波の軌道を描きその空間に舞う。
「いくよ、沙樹ちゃん」
「うんっ!」
 コート後ろから前方に速攻がかかった。
 ボールが再び宙に舞う。
 さっきの軌道よりさらに遠く…さらに強く…そして、不安定に…。
「おい、いつまでぼけっとしてるんだ?」
 その義之の声は俺には聞こえたが、脳には届かなかった。
「危ないっ!」
 全ての時の流れは[ritardando]になり、音をその空間から奪った。
 放たれたボールはゆっくりと、確実に田村さんに向かっている。
 空間からついに色がなくなり、俺にはもう、ボールと田村さんしか見えない。
 ここままだとっ!
 俺は既に走り出していた。
 瞬時に、加速するための前傾姿勢から通常の姿勢に戻るほどの早さで体は加速する。
 一秒の数分の一の時間…。
 俺は田村さんの近くまで来ていた。
 微かに女子の悲鳴が聞こえた気がした。
 …届け…。
 ……届け…。
 ………届けっ…!
 からだが中に舞い、指先がボールを捉える。
 僅かだか、確実な感触。
 田村さんに当たる直前、俺はボールをはじき出した。
 そして、体は地上へと帰還す―――
 体勢が…。
 体は床とほぼ平行な状態になっていた。
 このままだと…叩きつけられるっ!
 どんどん床に向かっていく。
 だが、俺にはなす術が無い。
 …せめて…頭だけでも。
 とっさの判断の中、俺は両腕で頭を覆った。
 床までの距離が0になり、俺は叩きつけられる。
 瞬時に、音と時間が元に戻り、色も俺には戻ってくる。
 だが、意識だけは薄れていく。
 薄れゆく意識の中で、俺は最後に田村さんの顔を見た。

     *

 暗闇というのはどこまでも深く、そして、存在感が無い。
 だからこそ、動物は暗闇を恐れるのだろうか。
 俺の視界はいま、まさに暗闇だ。
 その暗闇に一点の光が入り、スリット状に展開され、そして、上下に広がっていく。
「うっ…」
 バシャーンとシンバルを突然耳元で鳴らしたような光が俺の視界を埋め尽くした。
 ………徐々に光に慣れると、俺はようやく、自分がどこにいるか把握した。
 白い天井、クリーム色のカーテン、壁の棚には脱脂綿やガーゼ。
 そう…ここは保健室だ。
 俺の体は保健室のベッドの上にある。
「河口さんっ!」
 どこから田村さんの声が聞こえ、そっちの方を向く。
 そこには、田村さんと、保健室の先生、佐々木先生が立っていた。
「よかったわね、目が覚めて」
「はい…」
 どことなく嫌な会話を聞いてしまった気がする。
 ボーッとしていると、田村さんがこっちに歩いてきた。
 ベッドの縁に手を置き、まだ眠っている俺の顔を覗き込む。
「ごめん………なさい」
「ごめんなさい…」
「ごめんなさいっ!」
「たっ…田村さん?」
 涙を閉じた目のふちに浮かべつつ、ひたすらに謝る。
「どうして…謝るの?」
 俺はどちらかというと、田村さんを助けたほうになると思うのだが…。
 少なくとも、田村さんが謝る理由は無い。
「だって…河口さんが…こんな目に…。私があそこにいなければ、こんなことにはならなかった…。私のせいで…」
「ちょっ、待ってよ田村さん。俺がボールを弾いたのは俺が好きでやったことだし…俺がこんな風になっているのも自分のせいだし…。田村さんが謝ることなんて無いよ」
「だけど…」
「それに、謝られたら、俺がやったことが悪いみたいじゃないか。せめて、ありがとうって言ってくれ」
「はい………ありがとうございます」
 しゃくりあげながらも、田村さんはそう言った。
 なぜか、とても嬉しい気分になった。
 つくづく、言葉の魔力には驚かされるものがある。
「今度は、危険の少ない、バトミントンの方を見学させていただきます…。またこんなことが起こってしまったら、迷惑をかけてしまうので…」
 それっきり俯いてしまう。
「まぁ、田村さんがそう言うなら、田村さんの好きにすれば言いと思うよ」
 「んっ」といいながら俺は起き上がる。
「ところで、今、何時間目?」
 田村さんは微妙に間を空け、「放課後です」と、言った。
「そうか…。そろそろ帰るかな」
「そうですか」
 言うと同時に、田村さんはベッドの縁からどいた。
 俺はベッドから降りると揃えておいてあった内履きを履く。
「頭、くらくらする?」
 折りたたんでおいてあった学ランの袖に腕を通すとき、佐々木先生が聞いてきた。
 軽くかぶりを振り痛みが無いことを確認しながら、俺は「大丈夫です」と、言った。
「そう。無理はしないでね」
「はい」
 俺と田村さんは保健室を出た。
 廊下を歩いても沈黙。
 田村さんはあれからずっと下を向いたままだ。
 そんな田村さんを見ているうちになんとなく、罪悪感を覚えた。
 俺がボールを弾かなければ、少なくとも田村さんはこんな顔をしなかった…。
 いや、違うだろ。
 弾いたことは正しい。
 俺はそう信じる。
 だから、田村さんに笑って欲しいと思った。
「ねぇ、田村さん?」
「はい…?」
 小さな声。
 放課後の喧騒に掻き消されそうだった。
「吹奏楽部はどう?」
 これから行くであろう吹奏楽部について聞いてみようと思い質問したが、すぐ後悔することになった。
「まだ、月曜日しか行っていないので…」
 …。
 馬鹿だ…。
 考えろ…考えろ、俺…。
「面白い人とかいる?」
「…まだわかりません………」
 ………。
 続かない…。
「じゃあさ、田村さんと同じ新入部員はいるの?」
「はい…6人ほど…」
「田村さんは、フルートだったよね。その中でフルート吹ける人っていた?」
 段々リズムが掴めてきたぞ。
「はい、1人。如月紫穂さんという方が…。3年生ですが…。今年帰国したばかりの方だそうです」
「帰国子女…ということか…」
「はい…」
「っと、玄関だ」
 吹奏楽部の部室はこの先の突き当たりの階段を3階まで登ったところにある。
 結局、田村さんが俺のほうを見ることは無かった。
 だから、俺は言った。
「ありがとう」
 と…。
「どうしてですか?」
 初めて田村さんが俺を見た。いや、俺のほうを向いた。
「ん? だって、ずっと保健室にいてくれたんだろ? それって、俺を心配してくれてたということだし、だからありがとうって」
「それでは…、だって、私のせいでっ!」
「だから、田村さんは悪くないんだって。………ふぅ…人の好意はきちんと受け取ってくれよ」
「あっ…すみません…」
「ほら、また謝る」
 田村さんの口は動いたが、言葉を発することは無かった。
 しばらくの時間の後。
「…どう………いたしまして」
「あぁ。じゃあ、練習頑張ってね。それじゃあ、また明日」
「はい」
 俺は手を上げながらいうと、自分の下駄箱のある場所へ向かった。  

4月23日(水曜日)

 クラス全員の『おはようございます』という声が教室に響き渡る。
「あぁ、おはよう。今日は残念な知らせがある。昨日の放課後、財布がとなりのクラスで盗まれた。新学期早々だが、貴重品の管理はきちんとすること。そして、相手のものを取らない事。先生に相談しろ。お金以外の相談だったらなんでも乗ってやる。ちなみに、犯人はまだ捕まってない。みんなの中にはいないと思うが…。それじゃあ、今日一日よろしく」
 …こう言う話題、義之好きだよな。
 どうせ、義之のことだし…。
「聡、お前人の財布を取ることはないだろ」
 予想通り。
「絶対そう言うと思った」
「いくらお金に困ってるからって…俺は悲しいよ」
「…。1回アンキバスの世界に送ってあげようか?」
「どこだよ」
「今読んでる本だと、平たく言って地獄」
「やだ」
「というより、俺が人の財布を盗るような人に見えるか?」
「う~ん…。お前、いざとなったときでも正当な暴力しかやらなさそうだし…」
 ちょっと嬉しかった。
 
   *

「ねぇ、今日は屋上で食べない?」
 チャイムがなって、篠原さんが言った。
「ほぅ、それいいねぇ~」
 義之は既に乗り気だ。
 義之はこう言ったイベント系は結構好きなのである。
「まぁ、今日は暖かいし、…いいんじゃないかな?」
「どう、由梨絵」
 篠原さんは田村さんの方を振りかえりながら聞いた。
「わたしは、どちらでも」
「じゃ、決定。さっ、行こう」
 …
 ……
 ………
「ん~、やっぱりいいね、外は」
 太陽の光で暖められた屋上を春の柔らかい風が吹きぬける。
 3階の高さからのこの場所からは町の景色が一望に見渡せる。
 車が行き交い、人が歩く姿を高いところから見るというのはどこと無く気持ちいいものだ。
「あぁ、たまには屋上というのもいいもんだな」
「はい、そうですね」
 珍しく、田村さんが自分から会話に参加してきた。
 風が吹きぬけ、田村さんの髪をそっとなでる。
「長い髪かぁ~。私も伸ばそうかな~」
「やってみたら、篠原さん、結構似合いそうだよ」
 俺がそう進めると、「やっぱ手入れが大変そうだからいっか」と言った。
「時間も無くなるし、食べようよ」
「頂きます」
 全員の挨拶。
 田村さんはリュックサックから薫の分の昼ご飯をとりだし、薫に与えている。
「そういや、薫のご飯いつもこの時間だよね。まぁ、昼の時間だから…というのもあるど」
「そうですね。毎日決まった時間にエサをあげて、リズムを崩さないようにするのも重要なことですし…」
「へぇ~。じゃ散歩に行ってる時も大体この時間なんだ」
「はい」
 義之と田村さんのやり取り。
「それにしても、河口君の弁当、美味しそうだよね」
「こいつの家は、親父が弁当作ってるんだよ」
「へぇ~…」
「まぁ、当番せいだからね」
「そうなんだ」
 そういった当たり前の会話を交わしながら時間は過ぎて行った。
 
    *

 放課後、帰りのホームルームも終わり廊下に俺は出た。
 ん?
 向こうから人にまぎれて先生と生徒が歩いてきた。
 やや丸みのある顔立ち、その顔は元来日本人に近いが、何かが違う。
 そう…ちょうど中国の映画に出ていたり、ハリウッドで日本人役として出ている人達に似ている。
 っと、失礼な発想だな。
 俺は軽く先生に会釈をしながら通り過ぎた。

4月24日(木曜日)

 今日の授業も一通り終わり、鞄に道具を詰めていると
「聡、話がある。耳貸せ」
 俺がそのことばに義之の方に耳を向ける。
 俺が義之の言葉を待っていると耳の中に突然、生暖かい空気の流れが生まれ雷が脳天から足元までをぶち抜いた。
「何すんだよ!」
 柄にも無く叫んでしまった…。
「冗談だって。財布の犯人わかったぜ」
 義之は小声で俺に言った。
 そして、耳に口を近づけ…
「帰国子女の如月紫穂さんだってさ」
「へぇ~」
 というより、そんな事知ってもどうしようもないし…。
 …そこで俺はひとつのことを思い出した。
 昨日の…あの生徒…放課後先生と歩いていた生徒がもしかしたらその子かもしれない。
「しかも、聞いた話、1万8千円だったらしいぞ。盗まれた金額」
「大金だな」
「あぁ、理由は知らないけどな。つか、それ以前に、んな金、学校に持ってくんな」
「まったくだ。あっ、じゃあ、俺帰るから」
「あぁ、じゃ、また明日。再見」
 …どこの国の人だよ。

■4月28日(月曜日)

 白い漆喰塗りのドアを開けると、そこには朝の教室の主はいなかった。
 とりあえず、俺はいつものように席に座り本を広げた。
 なんとなく、居心地の悪い空間に鳥の鳴き声が響き、太陽の薫りが満ちている。
 …
 ……
 ………
 秩序ある音の空間に新しい音が響き渡った。
「おはよう、田村さん」
「おはようございます、河口さん」
「めずらしいね。いつもより遅いんじゃないか?」
「はい。すこし考え事を」
 目を閉じたその顔、表情は読み取れない。
 だが、田村さんの周りの空気は違っていた。
 そう…雰囲気とでも言うのだろうか。
 田村さんはそれっきり黙ってしまい、席についた。
 鞄から何も取り出すことなく、ただ、ボーッとしている。
 …
 ……
 ………
 何分語った頃、『ガラガラ…! おっはようっ! バタンッ!』
 という大きな音が鳴る。
 まぁ当然、ドアが開き、挨拶をして、ドアを閉めただけなのだが。
「おはよう、篠原さん」
「おはよう、河口君?」
 どこと無く語尾を上げる。
「おい、疑問形ってどういうことだよ」
「ちょっと待ってね…。由梨絵…?」
 篠原さんが田村さんの隣に座る。
「由梨絵~?」
「あっ、はい…。おはようございます」
「どうしたの、らしくないよ」
 やっぱり、そうか。
 いつもと雰囲気が違うと感じたのは俺だけではないようだ。
「なんかあった?」
 俺のしたい質問を篠原さんはどんどんしていく。
「…」
「う~ん…悩み事なら相談乗るよ。1人で抱えてもいいけど、皆で相談した方が言い事だってあるよ」
 その言葉に初めて田村さんは反応した。
「…そう…ですよね…。私だけではどうしようもありませんし………」
「そうそう。それで、何があったわけ?」
 ゆっくりと間を空け、田村さんが口を開いた。
「実は………同じ部員で…虐めにあっている人がいるのです」
「虐め…?」
 俺は思わず聞き返していた。
 この学校でもそういうことはあるんだ。
「はい………。如月紫穂さんという方が…」
「それって………財布を盗んだ人か?」
「はい…。よくご存知でしたね」
 しまった…。義之の影響で。
「まっ、まぁね…」
 同じ部員という事は…この間話していた、同じフルートを吹く人…ということか。
 それじゃあ、田村さんも心配するわけだな。
「それで助けようと思うの?」
 今度は篠原さんの番。
「私…如月さんが財布を取る人には思えないのです。如月さんが虐められている理由が、財布のことなのです」
「なるほどね。由梨絵は如月さんという人を信じたいわけだ。でも、信じる理由があるの?」
「はい…。如月さんの演奏テープを部室を掃除しているとき見つけたのです。薫が拾ってくれたのですけど…私、ためしに聞いてみました。私よりはるかに上手くて…そして伸びやかで………」
「なるほど。楽器を上手く人を感動させるような人に悪い人はいない…ということね」
「はい………」
「まぁ、もうちょっと調べてみる必要がありそうだな」
「えっ…では…」
「当たり前でしょ、友達だし、協力するよ」
「あぁ、俺もだ」
 その言葉を聞いた田村さんは初めて笑った顔を見せてくれた。
 朝の教室、こうして、如月さんを救うため、3人が協力することになった。
 そして、それは、大きな一歩となる。

初出: 2003年5月28日
修正: 2005年2月5日
原作: 鈴響 雪冬
著作: 鈴響 雪冬
制作: 鈴響 雪冬
Copyright © 2003-2005 Suzuhibiki Yuki