Top > ウェブ公開作品 > 小説 > 長編小説 > ReSin-ens > 本編 -第12章-
看護師に聞いて訪れた部屋の前。
そこは予想に反して、個室だった。
ただ1つ、『遼風彩音』と言う名前だけがドアの隣に書いてある。
【直哉】「…」
【彩音の母】「どうぞ」
【直哉】「こんにちは」
【彩音の母】「明日も…テストではないのですか?」
【直哉】「まぁ、そうですけど…。ほとんど勉強しなくてもいいので」
【彩音の母】「そうですか」
【直哉】「彩音は…どうしたんですか?」
【彩音の母】「精密検査です。朝から」
【直哉】「そうですか」
…心が痛む。
【直哉】「元気になればいいですね」
心からそう思う。
そして、それを否定してしまう自分が居た。
【彩音の母】「はい」
彩音のお母さんは笑いながらいった。
【義明】「よぉ、直哉」
【直哉】「義明か」
【義明】「ん? 元気無いな。まぁそんなことよりだな、今日のテスト、どこが出そうだ?」
【直哉】「そうだな…」
いつものやり取り。
授業を聞いてさえいれば先生が出しそうなところぐらいすぐわかると思うのだが…。
【直哉】「この表はよく覚えておいた方がいいと思うぞ」
【義明】「なるほどな」
【直哉】「それと…この公式は絶対使う。この公式を元にした公式も出ると思う」
【義明】「サンキュー」
【直哉】「机と友達になるなよ」
【義明】「任せておけって。カンニングはしないから」
【直哉】「だといいけど」
義明なら、自分の列を買収して、答えを4、5人で共有しそうだがな。
さて、俺もやりますか。
…
……
………
テストも終わった。
今日は結構楽だったな。
さて…どうするか。
家に帰るか。
一瞬、彩音の事が頭をよぎった。
【直哉】「さて、帰るか」
その考えを払拭するように声を出して決心すると、俺は家路を急いだ。
テスト最終日、彩音のところにお見舞いに行くか俺は悩んだ。
悩んだ挙句…俺は病院に向かった。
既に面会時間ギリギリだった。
【直哉】「こんばんは」
【彩音の母】「こんばんは」
【直哉】「あれ? 彩音はどうしたんですか?」
【彩音の母】「今、看護師さんと一緒に風呂に入っています」
【直哉】「そうですか」
正直、助かった。
彩音の顔を見るのがなんとなく辛い…。
【直哉】「それは…お母さんの食事ですか?」
ベッドテーブルの上のトレーにはおにぎりがあった。
【彩音の母】「いえ、彩音の食事です」
【直哉】「彩音の?」
病院食って…そんなんだったか?
【彩音の母】「食べ易いように…箸を使わなくても食べられるように、と、おにぎりなんです」
【直哉】「そうなんですか?」
【彩音の母】「彩音は今、箸を持つ事が困難になっていますから」
【直哉】「そう………ですか」
【直哉】「倒れた時に…手首でも?」
【彩音の母】「いえ…体には全く外傷は無いそうです。彩音は力が入らない…といっています」
【直哉】「そうですか」
【彩音の母】「立って歩く事は出来ますけど…何かに捉まらないともう難しいと本人は…」
箸を持つ事が困難…と聞いた時には一瞬嫌な予感がよぎった。
そして…それはすぐに肯定されたのだった。
既に…彩音の体力は減少の方向へ向かっている。
これからも…どんどん弱っていくだろう。
【直哉】「彩音が居ないなら…今日は帰りますね。少し用事があるので」
【彩音の母】「はい。それでは…。帰り気をつけてくださいね」
【直哉】「はい」
…
……
………
俺は玄関の扉を開く。
電気をつける事なく、居間に入る。
時計の音だけが聞こえてくる。
たまに冷蔵庫のモーターの音もそれに混じった。
【直哉】「…」
【直哉】「『私は、彩ちゃんのことも先輩の事も好きだから、応援させてもらいます』か…」
【直哉】「このままだと………。彩音には…本当の事を言うべきなんだろうか」
【直哉】「彩音がこうなったのは、自分の責任だ」
【直哉】「しかし…自分の病気が不治の病…しかも…俺のせいだと知って彩音はどう思うだろうか?」
【直哉】「彩音の事を思うなら………別れた方がいいのかもしれない」
【直哉】「応援してもらって…悪いかもしれないけど…。それが1番幸せな結末だから」
【直哉】「マスターにも…色々お世話になったけど…やっぱり無理みたいだな…俺には」
これ以上…彩音が苦しむ姿を見たくない。
好きだから…。
【直哉】「彩音…本当の事を…言わせてもらうよ…。今日は」
【直哉】「俺の…全て…」
【彩音】「はい」
【直哉】「俺だ。入るぞ」
【彩音】「あっ、先輩…。どうぞ」
【直哉】「あぁ」
【直哉】「よっ」
【彩音】「久しぶり…のような気がしますね」
そういいながら、体を起こす。(★ギャジアップ無し★)
【直哉】「まぁな…。昨日も来たんだけどな…。丁度風呂に入っているらしくて」
【彩音】「そうでしたか」
【直哉】「彩音に…話があるんだけど…大丈夫か?」
【彩音】「重要な…話ですか?」
【直哉】「あぁ…。それにしても…どうしてわかった?」
【彩音】「いつもより…深刻な顔をしているから…です…ね」
【直哉】「彩音には隠し事はできないようだな」
俺は笑いながらいった。
【彩音】「丁度いいです。私も外に出たかったですし…。屋上なんていかがでしょうか」
【直哉】「屋上?」
【彩音】「小さい公園になっているのです」
【直哉】「そうなのか?」
【彩音】「直哉先輩さえよければ」
【直哉】「別に俺は構わないけど」
【彩音】「では、少し待っていて下さい」
彩音はベッドの上で体の向きを変えると、ベッドから降り立ち、手すりに捉まりながら、車椅子のところまで移動した。
【彩音】「よい…しょ…」
【直哉】「手伝うか?」
【彩音】「大丈夫です」
彩音は車椅子に乗った。
ベッド側に移動して、ブランケットを手に取ると、自分の膝に掛けた。
【彩音】「それでは、行きましょう」
【直哉】「あっ…あぁ」
【彩音】「すみませんが、押して頂けますか? 流石に屋上までは遠いので」
【直哉】「あぁ…」
…
……
………
【看護師】「こんにちは、遼風さん」
【彩音】「こんにちは」
【看護師】「お兄さんか何か?」
【彩音】「彼です」
躊躇いもなく言いきった。
【直哉】「居元です」
【看護師】「かっこいい方ですね」
【彩音】「はい」
俺の方が照れる…。
【看護師】「それでは」
【彩音】「はい」
…
……
………
【彩音】「そこを左に曲がって下さい」
【直哉】「おう」
【患者】「こんにちは」
少し足を引きずるように歩いている人が声を掛けてきた。
【彩音】「こんにちは」
すぐに通りすぎさる。
ただの挨拶らしい。
【直哉】「彩音の知り合いか?」
【彩音】「いえ、始めてあいました」
【直哉】「そうか」
そう言うものなんだろうか…。
少なくとも人間同士の交流のなさが叫ばれている現代社会において、これは珍しい事だと思う。
気軽に声を掛けられる彩音…。
そして、声を掛けられるような存在の彩音。
彩音の何が、人をそうさせるのだろうか…。
音瀬に言わせれば、彩音の笑顔が人をそうさせるらしい。
音瀬や彩音に言える事は笑顔でいる事…。
何があっても…彩音や音瀬は笑顔を絶やさずに居た。
彩音の…そんな顔…いや…そんな人柄に俺は好意を抱いたのだろうか…。癒されたいと思ったのだろうか…。
心のどこかで人によって癒されたいと思っていたのか…?
【彩音】「ここです」
考えを中断される形で彩音に声を掛けられる。
目の前にはエレベーターがある。
【直哉】「Rだよな?」
俺は確認しながら、エレベーターのボタンを押した。
エレベーターを待っている間に俺は車椅子について考えた。
車椅子…。
歩行が困難な人が自らの生活能力を補助し、生活範囲を広げるもの。
彩音の車椅子が電動じゃない部分を見ると、彩音自身は操縦するほどの体力は残っているのだろう。
歩こうと思えば歩けるみたいだし…。
歩くのが辛い…と言う事なのだろう。
そんな事を考えながら俺は彩音と一緒にエレベーターに乗り込んだ。
屋上…。
ドアが開くと、外の匂いがした。
【直哉】「へぇ~。雪とか積もっていないんだ」
【彩音】「手を触れてみて下さい。床暖房で融雪されていますから」
【直哉】「あっ…本当だ」
【彩音】「あそこに行きましょう」
…
……
………
【彩音】「ところで、どういったお話でしょうか?」
彩音が指差した場所に辿り着き、開口1番言った。
【直哉】「彩音…実は…俺…」
…だめだ…言えない。
【彩音】「直哉先輩…?」
このままだと…駄目だ。
俺は決心したじゃないか。
彩音に全てを話す…。
彩音に申し訳ない…。
俺は深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。
【直哉】「俺には力があると言う事は…以前にも話したよな」
【彩音】「はい。ものを温める事が出来る力ですね」
【直哉】「あぁ。その力はもう1つの力の別の側面なんだ」
【彩音】「続けて下さい」
彩音は優しい声でいった。
それは強制力がある声ではなかった…。
でも不思議と俺を安心させる声だった。
【直哉】「もう1つの力…それは人を死に追いやる力」
そうか…この声も…1つの要因だったのか。
【直哉】「昔から俺には超能力のようなものがあった。ものを動かしたりする力だ」
彩音自身の優しさが溢れているこの声…。
【直哉】「その力は当時の俺の体には強すぎたんだ。俺の力では制御できなくなっていったんだ」
そして…彩音自身の………『力』。
【直哉】「そして………小学校5年生の時、その力は俺と言う枠を超えてしまった」
人を安心させる力…。
だから、俺は彩音に全てを話せる。
【直哉】「力は俺に襲いかかった。そして、そのまま意識不明になったと両親から聞いた」
【直哉】「俺は長い昏睡の中で夢を見た…と言うより、出会ったんだ」
【直哉】「1人の人に…」
【直哉】「そしてそいつは言ったんだ。『私がお前の力を預かろう。かわりにに私のお願いを聞いてくれるか?』って」
【直哉】「お願いとは簡単だった。死神の持っている力を替わりに俺に預けると言う事だった」
【直哉】「そして、こう言った」
【直哉】「『その力はお前が持つ事によってお互い生きていく事が出来る』『つまり、私から力を預かるかわりに、お前の力を取り除いてあげる…と言う意味だ』」
【直哉】「その時の俺はもっと生きたかった。まだまだやりたい事も沢山あった。小学5年生といったら、まだ子供だ。死にたくないと思うのは当然だった」
【直哉】「俺は了解した。つまり、契約成立と言う奴だ」
【直哉】「俺は思い出したかのように聞いた。『貴方から与えられる力とはなんですか?』と」
【直哉】「そいつは一言だけ残して消えた。『人の事を…好きにならない方がいい』」
俺は言葉を区切るが、すぐさま続けた。
【直哉】「俺が死神から預けられた力が恐ろしいものだと知ったのは、中学生になりたての時だった」
【直哉】「死神から与えられた力の側面の『ものを温める力』で茜の飲み物を温めた時があった」
【直哉】「たまたまクラスの一部の奴らに見られていたらしい。あとで虐められたよ」
【直哉】「『不思議な力を持っている』『人とは違う』『けだもの』とか言われながら…」
【直哉】「そんな時、不思議な感覚に包まれた。何かがわきあがってくる感じ。その直後、俺は光の渦の中心に居た」
【直哉】「気がついた時、そこには生きている人は居なかった。俺の母親ですら…公園の隅で倒れていた」
【直哉】「茜はその時、光の外側に居たらしく、死を間逃れた」
【直哉】「その時、俺は悟ったんだ…。まさに死へと誘う能力だと言う事を」
【彩音】「………」
彩音は俺の言葉をずっと聞いている。
言葉を区切ると、先に勧めるように促した。
【直哉】「俺はその力の恐怖をもう1つ知った。これが本当の部分だったんだ」
【直哉】「中学校の2年生の頃ある人が好きになった。そして俺は付き合い始めた。そしたら…その子はどんどん衰弱しった。…いまの彩音みたいに」
【直哉】「最後には…死んでしまったよ………」
【直哉】「俺の持っている力。対象者の生命力を奪い死神へ転送し死神はその生命力で生きていく。そして対象者は俺が好きになった人」
【直哉】「そして…最後には死んでしまう」
【直哉】「心配蘇生なんて無駄だ。生命力自体を奪ってしまうから…」
【直哉】「俺は…死なせたくないんだよ。彩音を………。とても大切な人だから。この世で1番大切な人だから!」
【直哉】「こんな哀しい事ってあるか? 好きになった人が死んでいくなんて。俺は一生、人と結ばれる事を許されない人間なんだよ!」
【直哉】「だから…彩音…」
俺は彩音を見つめる。
『別れよう』
この言葉を―――。
【彩音】「知っていましたよ、大体は」
笑顔で言いきった。
【直哉】「なっ…どうして…」
【彩音】「はじめに気がついたのは…えっと…直哉先輩が絵の仕上げをしてた日です」
何をいっているんだ、彩音は。
知っていたって…何を?
俺の力の事を…か?
だけど…どうして…。
頭が混乱する。
だけど、相槌をする事は出来た。
【直哉】「あの日…か」
【彩音】「あの時、寒いってあたしが言ったら…先輩は私の手を握って温めてくれました」
【直哉】「それだけで?」
【彩音】「でも…あたしにとってはそれだけで十分でした…」
【彩音】「表面だけが温かくなるのではなくて…芯から温まる感覚…」
【彩音】「そこです…」
【直哉】「芯から…」
確かにあの時俺は若干、力を使って彩音の手を温めた…。
そうか…普通なら…表面だけ温かくなるんだ…。
でも…力を使うと…芯から温められる…。
【直哉】「でも…それと俺の力がどうして結びつくんだ?」
【彩音】「実は………あたし…直哉先輩と同じ力を持った人と付き合った事があるのです」
【直哉】「なっ!?」
知っている…じゃなくて、付き合った事がある…彩音はそう言った。
【彩音】「彼は直哉先輩のようにものを温める事が出来たのです。境遇も直哉先輩に似ています」
【彩音】「ですから、今と同じように私は弱っていきました」
【彩音】「病院に入院して、立つ事も出来なくなって…。医師には不治の病と言われました」
【彩音】「でも、私達は付き合い続けたんです」
【彩音】「この様にして…」
【直哉】「そう………だったのか…。でも…彩音はどうして生きているんだ?」
彩音の顔が曇る。
そして続けた。
【彩音】「…彼は…自殺しました」
【直哉】「なっ!?」
【彩音】「あたしが衰弱していくのが痛々しいって…いって…」
【彩音】「彼はあたしにいったんです。『好きな人を自分の目の前で失う事はあまりに辛すぎる。それも自分のせいで』」
【彩音】「『ごめんな、彩音。僕はもう彩音を好きになってはいけないみたいだ。さようなら。生きろよ』と」
【彩音】「そう言い残し、彼は病室から去っていったのです」
【彩音】「その次の日、彼の両親から聞きました。彼が自殺したと…」
【彩音】「飛び降りたそうです。マンションの屋上から。見つかった時には既に事切れていたそうです」
【彩音】「あたしの体調は順調に回復していきました。心の傷は残したまま………」
【彩音】「それからあたしは自分に誓いました」
【彩音】「前向きに生きようと…」
【彩音】「たとえ、何があっても…」
【彩音】「人を愛する気持ちを素直に受け止めようと………」
【直哉】「そうなのか…」
【彩音】「だから………だから!!」
【彩音】「先輩には…直哉先輩には愛して欲しいんです」
【彩音】「先輩の…人を愛する力…『人に好きと想いをつたえる力』で…私を…好きになって下さい」
【彩音】「そして………………あたしを殺して下さい」
【彩音】「先輩の…力で…」
【直哉】「!?」
彩音は言いきった。
なんの迷いも見せずに。
そして…いつもの笑顔で。
【直哉】「出来ない…そんな事…」
【彩音】「どうしてですか? 人を好きになると言う事は勇気が居る事です。私だって…先輩を好きになる事に勇気がいりました」
【彩音】「あの日から…あの日から………」
【彩音】「人を嫌いになる事は簡単でも、好きになる事は難しいのです」
【彩音】「でも、先輩はこんなあたしを好きになってくれた」
【彩音】「だから…本当に好きなのか、私に教えて下さい。言葉だけでなく…先輩自身で」
【直哉】「彩音…」
【彩音】「私の想いに…答えて下さい…先輩…」
《わかった…お前の事が…好きだ!》
【直哉】「…わかった…。お前の事を…好きになる」
【直哉】「今までの…自分の気持ちに嘘をついてきた事は謝る…」
【直哉】「俺だって…好きなんだよ…彩音の事が…」
【彩音】「先輩…」
【直哉】「俺…自分に正直に生きる…」
【彩音】「…ありがとう………ございます。先輩」
彩音の目じりに涙が浮かぶ。
俺の目も…。
【直哉】「ごめんな………今まで…」
【彩音】「いいのです。人は悩む生き物ですから」
【彩音】「それに…直哉先輩は…人を傷つけて…それ以上にその事で自分を傷つけてしまうから…」
【彩音】「貴方が…そんな方だからこそ…私は直哉先輩を好きになって…直哉先輩を助けたいと思っています」
【彩音】「あたしは…直哉先輩にどれだけ傷つけられても………大丈夫ですから…」
【彩音】「いえ…傷つくのではありません…」
【彩音】「…直哉先輩に優しく包まれるのです…」
俺は彩音を抱きしめた。
車椅子から彩音を抱き起こす形で…。
【彩音】「直哉先輩の…全てを受け止めるから…」
【彩音】「直哉先輩の苦しみも…悲しみも…愛も…その力も…」
…人の体…ってこんなに温かいんだろうか。
彩音の体は…どうしてこんなに温かいんだろうか。
彩音の優しさ…だろうか…。
【彩音】「直哉先輩の…その力…。その力で直哉先輩は苦しんできた…」
【彩音】「でも…もう…苦しまなくていいのです」
【彩音】「全て…受け止めるから…。全て…受け入れるから…。先輩のその『人を愛する力』を………」
【彩音】「だから…一人で…苦しまないで………」
【彩音】「あたしが…居るから…」
【彩音】「居元先輩の側に…ずっと私が居るから…」
【彩音】「この想い尽きるまで………。この尽きる事の無い想いが尽きるまで…」
【直哉】「彩音…」
俺は長い間彩音を抱きしめていた。
今まで傷つけられていた傷をそうしていると彩音に埋めてもらえるかのように…。
お互いの心の隙間が埋まっていくように…。
【直哉】「彩音…」
【彩音】「直哉先輩…」
…ありがとう…。
…
……
………
【彩音】「少し…寒くなってきました………」
【直哉】「…戻るか?」
【彩音】「手を…握ってもらえますか?」
【直哉】「あぁ」
俺は彩音の手を握る。
確かに冷たい…。
しょうがない…。
【彩音】「…ありがとうございます………直哉さん…」
【直哉】「気にするな」
俺は彩音の手を握り続けた。
【彩音】「そろそろ…戻りましょう。直哉さんも寒いでしょうから…」
【直哉】「彩音がそれを願うなら戻るぞ」
【彩音】「それでは戻りましょう。もうすぐ夕ご飯ですし…面会時間も終わってしまいます」
【直哉】「それじゃあ、そうするか」
二人の距離が確実にまた近づいた瞬間だった…。
昨日の今日だ…。
病室に入るだけでも気が引ける…。
でも…俺は誓ったじゃないか。
彩音を好きになるって…。
【彩音】「はい」
【直哉】「こんにちは」
【彩音】「あっ………直哉さん」
【直哉】「来てやったぞ」
恥かしさを押さえつつ、いつものようにいった。
【彩音】「ありがとうございます」
彩音の望み…。
それなら…叶えてやろう…。
それが俺に出来る唯一の行動。
【直哉】「しかし…病院に来るのもなれてしまったな」
【彩音】「すみません…」
【直哉】「いいんだ。俺が好きでやっている事だし…」
【彩音】「直哉さん…」
【直哉】「まぁ、彩音が迷惑なら俺は帰るけどな」
【彩音】「そんなっ…迷惑だなんて…」
【直哉】「ははは」
俺は彩音を見つめる…。
ん?
そういえば…このパジャマ…前から気になってるんだが…。
犬?
【直哉】「しかし…凄いパジャマ着ているな?」
思った事をそのまま聞いてみた。
【彩音】「可愛いですよね?」
【直哉】「可愛いと言うか…耳?」
【彩音】「犬さんです」
《………》
【直哉】「………」
【彩音】「なんですか…その沈黙は…」
【直哉】「彩音っ!」
飛びあがって彩音に抱きつく―――
【中村】「はーい、そこまでー」
【直哉】「きゃう~ん…」
首根っこを掴まれて抱きつく前に剥がされる。
【彩音】「中村先輩?」
【中村】「気をつけな、遼風。居元君は男じゃなくて、生物学的にオトコ。いつ襲われても知らないわよ」
【直哉】「俺は、狼かなにかか?」
【彩音】「はい♪ 気をつけます」
【直哉】「おいおい…」
【中村】「それにしても………」
中村先輩が俺に耳打ちする。
【直哉】「なんですか?」
【中村】「なんだ………あのパジャマ。妙に………あんたの趣味か? ………………犬?」
【中村】「居元君………あんた………遼風に何かしたか? 弄ったとか、調教したとか、躾とか?」
【直哉】「してないです、してないです! と言うか、なんなのですか、その三段活用は?」
【中村】「はっはっはっ。少しは元気でただろ」
【直哉】「冗談きついですよ、先輩…」
そういえば…どうして、中村先輩は俺の名前を?
中村先輩は彩音の方に向きかえる。
【中村】「はい、遼風。今日の本」
【彩音】「ありがとうございます」
【中村】「それに…ちょとまっていろよ」
そういうと中村先輩は廊下に出ていって―――
帰ってきた時には大量の鶴を担いで持ってきた…。
【彩音】「千羽鶴ですか…」
【中村】「正確には、4096羽だ」
【直哉】「沢山…折ったんですね」
【中村】「まぁ、これが文芸部員の気持ちだ。早く治してくれよ。そうでないと…遼風の仕事もたまっていくしな」
【彩音】「はい♪ ありがとうございます、と、皆さんにお伝え下さい」
【中村】「あぁ。………しかし…毎日毎日よく読むな」
【彩音】「中村先輩には敵いませんよ」
【中村】「まっ、悪いとこじゃないからな…それじゃあ、私は帰るよ」
【彩音】「はい。それではまた」
【中村】「またね」
やっと女らしい語尾を残すと、病室を後にした。
…
……
………
【直哉】「話は戻るけど、凄いパジャマだな」
【彩音】「うぅ…可愛いっていってくれないんですね…」
【直哉】「ぐわっ…可愛いです…!」
その小首をかしげる仕草が恐ろしく可愛すぎる…。
頼むから…その…捨てられた子犬のような顔をしないでくれ。
すまん…俺の負けだ…。
【直哉】「可愛いです…。降参です」
【彩音】「ありがとうございます♪」
…
……
………
【直哉】「しかし…本当によく読むな」
【彩音】「中村先輩のお奨めの本ですからね…。それにこうしてゆっくりと本を読む事もいい事ですよ」
【直哉】「そうか」
【彩音】「でも…最近は本を読むだけで疲れてしまって…すぐに寝てしまうんです」
【直哉】「まぁ、しかたが無いな」
【彩音】「そうですけど…」
【直哉】「しかし…日曜日なのにご苦労様だな…先輩も」
【彩音の父】「よぉ、彩音」
【彩音】「お父さん!」
【直哉】「あっ、こんにちは」
【彩音の父】「こんにちは。どうだ、彩音、元気にしてるか?」
【彩音】「うん」
【彩音の父】「それにしても居元君には悪いね…。毎日来てもらって」
【直哉】「いえ、俺にはこのぐらいしか出来ないですから」
【彩音の父】「それだけで十分だよ。あっ、彩音。この間頼まれたしおり、買ってきたぞ」
【彩音の父】「それと、はい、クッション」
【彩音】「ありがとう」
【直哉】「しおり…本に挟む奴か」
【彩音】「はい。本にはしおりですよ」
【直哉】「まぁそれもそうだが…。彩音がしおりを持っていないはず無いだろ?」
【彩音】「そうなんですけど…。いいシーンがあるとそこにしおりをずっと挟んでしまって…。本を読むごとにしおりが減っていってしまうのです」
【直哉】「なるほどな…」
【彩音】「ですから、新しいしおりを買ってきてもらったんです」
【彩音の父】「しおりならいくらでも買えるからな」
といいながら、豪快に笑う父。
彩音のお父さんは…恰幅がいいと言うのか…なんと言うか…。
【彩音】「このままですと…しおりコレクターになってしまいそうです」
【直哉】「確かに…。1冊に1つじゃないんだろ?」
【彩音】「そうですね…。もしかしたら10枚挟んでいる本もあるかもしれません」
【直哉】「凄い話だな」
【直哉】「そのクッションは? 枕はあるだろう?」
【彩音】「クッション…に限らず…何かを抱いていると安心しませんか、直哉さんは」
【直哉】「う~んどうだろう」
一瞬、この間彩音を抱きしめた事を思い出した。
あの時は…安心…と言うよりも…嬉しかった…。
【彩音】「母性愛のようなものなのでしょうけど、何かを抱いていると落ち着く…と言うよりも、安心するのです、あたしは」
女性が、子供を抱くのと同じような感覚なのだろうか。
少し、理解できなかった。
【直哉】「抱き枕の…要領か?」
【彩音】「そうですね…それに温かいですし…」
【直哉】「なるほどな」
【彩音】「ふわふわで…温かくて…」
力説を始める彩音。
【直哉】「それで、そのクッションを夜、抱きしめて寝る訳だ」
【彩音】「はい。それに………少し恥かしいですけど…なにか不安な時でも、安心して寝る事が出来ますよ」
【直哉】「まぁ、彩音の自由だからな」
【直哉】「抱き枕の要領にもなる訳だな」
【彩音】「そうですね。抱き枕を好きになるのと同じ理由だと思いますよ」
【彩音】「直哉さんも今度試しにやってみて下さい。きっとこの気持ちわかりますから」
【直哉】「そうしてみるよ」
【彩音】「ただし、仰向けの時にやってしまいますと、苦しいですから気をつけてくださいね」
【直哉】「なるほどな」
【彩音の父】「そういえば、彩音。今日はもうすぐすればお母さんも来るからな」
会話の合間を縫うように彩音のお父さんの台詞。
【彩音】「そうなの?」
【彩音の父】「あぁ。仕事が速く片付きそうといっていたからな」
【直哉】「そういえば、共働きなんですね」
【彩音の父】「まぁな…。私は建築デザインの仕事をやっているし…妻も劇団に入っているし」
【彩音の父】「仕事柄休みも不定期だからな」
【直哉】「大変ですね…。それにしても…芸術一家なんですね」
【彩音の父】「まっ、コンサートホールをデザインした時に出会って、そうしていまこうなっていいるわけだしな」
【彩音の母】「何年前の話をしているの? 貴方」
【直哉】「あっ、どうも、こんばんは」
【彩音】「今日は早かったね」
【彩音の母】「オマケもついているわよ」
【彩音】「オマケ?」
【音瀬】「私は、携帯のメールについてきてパケット代金を無駄に消費する『オマケ』と同じレベルですか…」
どう言うたとえだよ…。
【彩音】「紗」
【音瀬】「こんにちは、彩ちゃん」
【直哉】「しかし…音瀬も毎日のように来ているな」
【音瀬】「だって、一緒だと楽しいし」
抱き合う二人。
彩音も、音瀬も、お互いを抱き合っている。
ほほえましい…。
【彩音】「うん♪」
【彩音の母】「いい友達に出会ったわね」
【音瀬】「私もいい人に出会いました」
【彩音】「はい。本当に…」
【直哉】「それにしても賑やかな病室だ」
【茜】「こんばんは~…っていっぱい居るね…」
【直哉】「ん? 茜じゃないか」
【彩音】「あっ、茜先輩。こんばんは」
【茜】「こんばんは」
【彩音の母】「この方は?」
【直哉】「あっ、俺の幼馴染の月詩茜です。彩音と同じく本食い虫です」
【茜】「なんか、寄生虫みたいな言い方」
【彩音】「どうせなら、読書家と呼んで頂きたいです」
【茜】「そうそう」
【彩音の母】「茜さん、これからよろしくお願いしますね」
【茜】「あっ、よろしくお願いします」
【彩音の父】「それじゃあ、私は戻るよ。仕事持って来てしまったしな」
【彩音】「そうなの?」
【彩音の母】「それじゃあね彩音。私も帰るわ。明日から仕事は休みだからずっと居れるわ」
【彩音】「そうなの? わかった。バイバイ」
…
……
………
【直哉】「しかし、随分と暗くなってしまったな」
【茜】「うん」
【彩音】「今日は雪暮ですね…」
【直哉】「あぁ…。寒くなりそうだ…」
【彩音】「それにしても…賑やかな病室ですよね」
【茜】「そうだね…」
【紗】「まぁ、このぐらいがちょうどいいのかな」
【直哉】「さてと…そろそろ面会も終わりの時間だし…俺は戻るけど…どうする茜? 音瀬?」
【茜】「私も帰るよ。流石に親が心配するし」
【紗】「私も帰るね、彩ちゃん」
【彩音】「うん。皆さん、さようなら」
【直哉】「じゃ、また明日」
【茜】「バイバイ」
【紗】「バイバイ」
…
……
………