Top > ウェブ公開作品 > 小説 > 長編小説 > ReSin-ens > 本編 -第10章-
【彩音】「直哉先輩、先日の方々…捕まったそうです」
【直哉】「この間のって…あの4人か?」
【彩音】「はい。前科のあった方々でナイフからの指紋ですぐに所在地がわかったそうです」
【直哉】「それはよかった」
【彩音】「はい。先ほど携帯に警察から電話がありまして―――」
【音瀬】「彩ちゃ~ん、ニュース聞いた?」
【彩音】「図書館では静かにしてね。それで、ニュースとはなに?」
【音瀬】「さっき、職員室のテレビでやってたんだけど、この街で強姦未遂事件があって4人の逮捕者が出たんだって」
【彩音】「そうですか…。でも、これで犯罪者がまた減りましたね、先輩?」
【直哉】「あぁ」
【音瀬】「ん? しんみりしちゃって…どうしたの?」
俺は彩音のほうを向く。
すると、彩音は察したのか、うなずいた。
本人の口からはまだ言いにくいのだろう。
【直哉】「強姦の被害者が、彩音だと言ったら、音瀬は驚くよな」
【音瀬】「!! それ、本当ですか?」
【直哉】「あぁ…」
【彩音】「いつものあの公園で…」
【音瀬】「ちょっ…彩ちゃん! どうして言ってくれないの?」
【彩音】「それは…」
【直哉】「まだあの時の恐怖が拭えなくて…人にそのことを言うだけであの時の光景が脳裏をよぎるらしい」
【直哉】「だから、音瀬には機会をまって話そうということになったんだ」
【音瀬】「彩ちゃん…怖くなったら私に相談して…。いつでも力になるから…。話し相手ぐらいにしかならないかもしれないけど」
【彩音】「はい…」
【音瀬】「それにしても…よく助かったね…。ニュースだと通りがかりの人が助け出したらしいけど…」
【音瀬】「どんな人だった? 年上? 年下? かっこよかった?」
【彩音】「…」
今度は彩音が俺を見る。
俺はうなずいた。
【彩音】「助けてくださったのは直哉さんですから」
【音瀬】「えっ!? 居元先輩が…」
【直哉】「あぁ…。何とかな…」
【音瀬】「………流石彩ちゃんの彼氏…。やることが違うわね」
【直哉】「彼氏って…」
【音瀬】「でも、本当によかったね。助けてもらって…」
【彩音】「はい」
事件のことを話す彩音の顔には今まで笑顔は無かった。
でも、確実に表情は和らいでいる。
音瀬…のおかげなのだろうか…。
音瀬は彩音に信頼されている。
単なる友達…という枠をすでにこの二人は超えている。
そこには『信頼』という言葉がある。
決して崩れる事のないお互いを思いやる心…。
【中村】「遼風、居元、聞いたわよ」
中村先輩が会話に入ってくる。
【彩音】「聞いたとは…どのような事でしょうか?」
【中村】「事件」
一気に言った。
【彩音】「被害者の名前は伏せられている筈なのですが…」
【中村】「あのね…事件が起こったことはすでに有名な話。遼風の態度をみれば、なんとなく察することができるわ」
【彩音】「そういうものなのでしょうか?」
【中村】「えぇ。事件の次の日からの遼風の態度…。具体的にはあたりが暗くなると急に不安な表情を示す」
【中村】「でも、居元が一緒に居る時は違う表情を見せる。その不安が一気に拭い去れたように…」
【中村】「居元が席をはずす後姿をどこまでも追いかけ…帰ってきた時の安堵の表情」
【中村】「遼風は夜、一人で温泉に入りに行くぐらい、夜に関する恐怖心は無かったし…」
【中村】「その遼風が夜に不安を覚えるようになったと言う事は何か事件があったということ」
【中村】「変わった日付は事件のあった直後…」
【中村】「少なくとも、私にしか読み取れないような微妙な変化だけどね」
【中村】「まぁ、これだけの情報で大体の推測をしてみたわけ」
【音瀬】「へぇ…」
【中村】「で、結論は?」
【中村】「まだこれだけの情報だと確証が無いわけ。結局、被害者は遼風で、助けにきた人は居元でいいわけ?」
【彩音】「はい」
彩音はゆっくりと頷いた。
【中村】「そう」
【中村】「とりあえず、私が見た感じ、最近は落ち着いてきたみたいだし…」
【中村】「もう、大丈夫だわね?」
【彩音】「はい。あの日は夜、布団の中で眼を瞑ることが怖かったです…」
【彩音】「恥ずかしい話ですが、あの日は両親と一緒に寝ました」
【中村】「いいのよ。あれだけの事があったんだもの…。怖くないほうが不思議だわ」
【彩音】「でも、最近は落ち着いてきました」
【中村】「それはよかったわ」
【中村】「居元、私からも感謝する。遼風は部員である以前に、仲間だからな。遼風を救ってくれたことはみんなにとっても…な」
【直哉】「はい」
【中村】「ふっ…。それにしても居元も変わったな。以前の殺気がほとんどない」
【直哉】「殺気?」
【中村】「殺気は聞こえが悪いか…。雰囲気…とでも言っておこう」
【中村】「月詩…だったかな? その子と一緒に来ていた時も和らいでいるんだが…最近は変わった」
【中村】「私ですら声を掛けるのを躊躇ったぐらいだからな」
【中村】「だけど、最近はこうして声を掛けることもできる。クラスでも知らず知らずの間に挨拶をされるようになっているんじゃないか?」
そういわれてみればそうだ…。
今まで声すら掛けなかった人が俺に声を掛けてくる。
俺もそれに普通に返事をすることができる。
文化祭…のあたりからだろうか…。
【中村】「まぁ、こんな所だな。後30分後に定例会をやるから部室に集合してくれ」
【音瀬】「わかったよ」
【彩音】「わかりました」
【直哉】「しかし…こんな時間に大丈夫なのか?」
【彩音】「はい♪ 直哉先輩が守ってくれるといったら、二人ともすぐに了解してくれました」
この間の事件の事以来、俺と彩音の両親の間は急激に仲良くなった。
いまでは、俺はかなり信頼されているらしい。
しかし…夜の10時だぞ…。
まぁ、親の了解があるのだから、いいのだろう。
とりあえず俺達は約束通り、彩音が星を見に行くと言う、あの丘に向かった。
…
……
………
【直哉】「流石にここからは二人載りは無理だな」
丘への斜面の入り口で俺達は自転車から降りる。
【彩音】「そうですね。それでは歩きましょう」
【直哉】「あぁ」
…
……
………
【直哉】「すごい…な」
【彩音】「星は…生きていますから…。生きているものは私達に感動を与えてくれます」
【直哉】「あぁ…」
【彩音】「郊外にあるこの場所は夜になると暗いので…。それにこの季節は空気がすんでいて見安いですから」
【直哉】「まぁ、自転車のライトがつかなくなっていた事には驚いたがな」
【彩音】「きちんと、整備をしてくださいね。あっ、直哉先輩、あそこ」
【直哉】「ん?」
彩音が指を刺した方を見上げる。
【彩音】「冬は地球の公転の関係で、天の川は凄く見にくいのですけど…今日は見えます」
【直哉】「冬は…見にくいものなのか?」
【彩音】「はい。一般に天の川と言うのは、私達の太陽系のある銀河系の星達です」
【彩音】「太陽系が銀河系の中心からずれた場所にあるので、地球が公転していると、夏は銀河系の中心の方を向いているので、天の川ははっきり見えますが、冬は外側を向いているので、見にくいのです」
【直哉】「へぇ~」
【彩音】「それにしても………まるで花火でいっぱいのようです…」
【直哉】「そうだな…」
【彩音】「あっ、あれは白鳥座…ですよ」
【直哉】「どれが?」
【彩音】「あれです」
そういいながら、北西の地平線すれすれを指差す彩音。
俺は言われた通りの方向を見る。
…確かに…白鳥のような形をしていた。
中学校の頃の理科で習った気がする。
【彩音】「白鳥座には『デネブ』と言う一等星があります。丁度、白鳥の尻尾の部分に位置する星です」
【直哉】「あぁ、あの1番明るい星か」
【彩音】「それに、白鳥座には地球からの距離が初めて測られた『61番星』と言う恒星があるそうです」
【直哉】「へぇ~。あるいみ、人間が宇宙の広さを初めて知った星…と言う事か」
【彩音】「そうですね。それに、61番星は連星で、さらに連星の星の周りを惑星らしい星が回っています」
【直哉】「惑星…か…。もしかしたら宇宙人が住んでいるかもな」
【彩音】「そうですね。自然…宇宙と言うものはいつだって身近に存在して1番大きいものです」
【直哉】「そうだな…」
【彩音】「直哉先輩には言いましたか? あたし…自然と言うものが大好きなのです」
【直哉】「自然が?」
【彩音】「はい…。本が好きなのと同じ理由です…」
【直哉】「同じ理由?」
一瞬くらい顔をしたが、すぐにもとの顔に戻って、
【彩音】「そのうち、教えますよ♪」
といった。
【彩音】「先輩は、11月の別の言い方を知っていますか?」
【直哉】「11月…か…。確か…霜月だったか…」
【彩音】「当たりです。でも…それだけではないのですよ、実は」
【彩音】「11月は………霜月(しもつき)、霜降月(しもふりづき)、露ごもりの葉月(つゆごもりのはづき)、神楽月(かぐらづき)」
【彩音】「さらに、雪見月(ゆきみづき)、雪待月(ゆきまちづき)、神帰月(しんきづき)とも言います」
【直哉】「そんなにあるのか?」
【彩音】「雪見月や、雪待月はとてもいい名前だと思いませんか?」
【直哉】「確かにな…」
【直哉】「と言う事は…12月にも師走以外に何かあるのか?」
【彩音】「春待月(はるまちづき)、梅初月(うめはつづき)、年よつむ月(としよつむづき)、親子月(おやこづき)、暮古月(くれこづき)、弟月(おとごづき)、三冬月(みふゆづき)」
【彩音】「でしょうか」
【直哉】「そんなにあるのか…」
【彩音】「全て昔の人が自然を感じるままに表現しているのです」
【彩音】「星は…昔から………」
【彩音】「直哉先輩、北斗七星を見て下さい」
【直哉】「あれか…」
【彩音】「北極星の第6星にはミザールと言う名前がついているのですが…」
【彩音】「ミザールには2重星として、アルコルと言う星が回っているのです」
【彩音】「その昔、アラビアの兵士の視力検査として使われていたそうですよ」
【彩音】「なぜなら、アルコルは光の弱い星のため視力の低い人には見えないからです」
【直哉】「そんな星があるのか?」
俺は第6星を見つめる。
【彩音】「視力が1.5以上あると簡単に見つけられるそうです…。その時の周りの光にも寄りますが」
【直哉】「ん~」
【彩音】「見えますか?」
【直哉】「微妙~」
彩音の目には俺の目より沢山の星が見えているのだろう。
俺よりも沢山の世界を見ているのだろう。
…そんな話をしながら時間は過ぎていく。
…
……
………
【直哉】「そういえば、彩音の夢って…なんなんだ?」
【彩音】「夢…ですか?」
【直哉】「あぁ。将来何になりたいか…とか…こうしたいとか」
【彩音】「そうですね…。本に関わる仕事をしたいですね」
【直哉】「作家とか…か?」
【彩音】「それもいいですけど…図書館司書も面白いかもしれません」
【直哉】「なるほどなぁ…」
【彩音】「でも、読書アドバイザーと言うのもあるかもしれませんし」
【直哉】「読書アドバイザー?」
【彩音】「今、作りました。他の人の心を紐解き、そして、いまの精神に最もあった本を紹介する…と言う仕事です」
【直哉】「新しい考え方だな」
【彩音】「でも、最期は本に囲まれて生活したいです」
【直哉】「彩音らしいな」
【彩音】「ところで、直哉先輩の夢はなんでしょうか?」
【直哉】「まだ…決まっていないな」
【彩音】「そうですか…。でも夢はいつだって持つ事は出来ます」
【直哉】「そうだな」
【彩音】「あたし…実は夢を持っていない人は嫌いです…。でも先輩は違います」
【直哉】「違う?」
【彩音】「はい。なにか…目標…いいえ…困難に向かって頑張っているように見えるからです」
困難…たしかにそうかもな…。
正直、彩音と付き合っていていいのか…と思ってしまう…。
このしあわせなじ時間がすぐに終わりが来てしまう事が…寂しすぎる…。
でも…絶対…。
【直哉】「目標か…そうかもな」
【彩音】「それなら、いいです♪」
【彩音】「見て下さい…雪合戦です」
【彩音】「楽しそうですね」
【直哉】「高校生の雪合戦は戦争だからな」
【彩音】「早いですからね」
【直哉】「あぁ…。みんな鬼神のごときスピードだし…、へたすりゃ回転でホップアップするし」
【彩音】「はい。雪合戦には顔に当ててはいけないと言うルール以外にはルールはないようなものですから」
【直哉】「公式ルールとか言う奴の壁とか旗は絶対いらないし」
【彩音】「第一、あんなものがあったらつまらないです。サドンデスですから」
【直哉】「笑顔で怖い事言うな」
【彩音】「そう…ですか?」
【直哉】「温める力を使って雪を少しとかして堅くして投げる事も俺には楽だけどな」
【彩音】「直哉先輩こそ恐ろしい事をいっていますよ」
【直哉】「まぁ、そんなことはしないけどな」
【彩音】「当然です」
【彩音】「あっ」
【直哉】「どうした?」
【彩音】「あの子…転んでしまいました」
【直哉】「大丈夫かな?」
【彩音】「心配する前にまず行動です」
言うか言わないかのうちに走り出す彩音。
俺は後を追った。
ランドセルを背負った女の子は泣いてしまっている。
【彩音】「大丈夫?」
【小学生】「うえぇぇぇえ~~ん」
【彩音】「ほら、立てる?」
彩音が優しい声を掛ける。
不思議と懐かしい感覚に包まれた。
おかあ………さん?
まさか…な。
女の子は既に大声をあげなくなっている。
彩音が手を差し出す。
【小学生】「うっ、…うん」
【彩音】「ほら、それでは立ち上がって」
【小学生】「うん」
気がつくと女の子は泣き止んでいた。
彩音は人に安らぎを与えるらしい。
【彩音】「今度は気をつけて下さいね」
【小学生】「うん♪ バイバイ、おねーちゃん」
【彩音】「バイバイ」
【直哉】「大丈夫だったのか?」
【彩音】「下は雪ですし…。大きな怪我も無かったみたいですから大丈夫でしょう」
【直哉】「それにしても…泣き止むのが早かったな。流石、彩音だ」
【彩音】「流石…ですか…。人の笑顔は人を元気にしますから…、当然の事ですよ」
【直哉】「音瀬と同じような事を言うんだな」
【彩音】「はい。紗の請け負いですから」
【直哉】「なるほどな」
【彩音】「そうです…直哉先輩、商店街にいきませんか?」
【直哉】「別に、かまわないけどな」
【彩音】「それではいきましょう」
…
……
………
【彩音】「直哉先輩、誕生日おめでとうございます」
【直哉】「!? どうしてそれを?」
正直自分でも忘れそうだったが今日は俺の誕生日だった。
【彩音】「気にしないで下さい。聞こうと思えば誰にでも聞けますから」
茜か…。
【彩音】「何を差し上げるか悩んだのですけど…」
【彩音】「こちらにきて頂けますか?」
【直哉】「あぁ」
俺は彩音に案内されるまま1つの店に入った。
【彩音】「…少し恥かしいのですけど…、あたしは『楽しい時間』を差し上げたいと想います」
【直哉】「楽しい時間?」
【彩音】「あたしにっとて楽しい時間とは、直哉先輩と居る時です」
【直哉】「…」
恥かしかった。
【彩音】「それなら…『楽しい時間』を先輩にもプレゼントしようと思いました」
【彩音】「もし…直哉先輩がよろしければ…楽しい時間を一緒に過ごして…過ごして頂けますか?」
【彩音】「そして…それが先輩にとって楽しい時間になれば、それがあたしからのプレゼントです」
思いもよらない言葉だった。
『楽しい時間』か…。
確かに、俺も彩音と居ると楽しいと思う事があるし…今も楽しいと感じる事が出来る。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎるけど…記憶には残る。
『物』よりも…『心に刻む思い出』と言う事だろう…。
そんな彩音の言葉が嬉しかった。
【彩音】「どう…でしょうか…」
【直哉】「そうだな、楽しい時間…もらうか」
【彩音】「ありがとうございます♪」
…
……
………
彩音に案内された店は人通りの少ない場所にあった。
むしろ全く無いと言っても過言ではない。
クリスマスっぽく飾り付けられた店内は、時間の流れもゆっくりだった。
おしゃれなそのお菓子屋は『ショコラ』と言う店だ。
フランス語で『チョコレート』と言う意味らしい。
さまざまな洋菓子が置かれている。
【直哉】「彩音はどうしてこの店を知ったんだ?」
場所の事を考えてもなかなか見つからない場所だと思う。
【彩音】「紗の紹介です」
【直哉】「なるほど」
音瀬なら探し出しそうな気がした。
【直哉】「ところで、お勧めはあるのか?」
正直迷ってしまう。
【彩音】「そうですね…パティシエールのお奨めにもある『プレーン&カフェキャラメルバターパイ』と言うのはどうでしょう」
【直哉】「どんな奴なんだ?」
【彩音】「そのままの意味ですよ」
【直哉】「つまり、プレーンとカフェキャラメルを塗りこんだバターパイと言う事か?」
【彩音】「はい。でも…ここですと…やはりチョコレートなどのおかしも捨てがたいです…」
つまり、彩音も悩むと言う事か。
【直哉】「この、~サンデーていうのにはなんの意味があるんだ?」
【彩音】「サンデーと言うのは、チョコレート・果物・シロップを掛けたアイスクリームです」
【彩音】「ですから、バナナサンデーと言うものは、アイスクリームの上にチョコレートとバナナ、シロップがあるものだと考えてもらっても結構ですよ」
【直哉】「へぇ~」
【直哉】「そうだな…、それじゃあ、俺は『センドマイハート』と言うこのクッキーの詰め合わせにしてみるよ」
【彩音】「そうですね。それではあたしは、『ホワイトチョコレートケーキ』にします」
【彩音】「すみませーん」
彩音はウェイトレスを呼んだ。
ここの店はウェイトレスが歩き回る事はない。
焦らずゆっくりとメニューを選んで下さいと言う意味だろう。
彩音が注文をしている間に俺は店内を見渡す。
内装はあの『ファミリー喫茶 EveryDay』ににているけど…雰囲気がなんとなく違う。
ゆったりとした…おしゃれな時間…と表現するのがいいのだろうか…。
そんな時間が流れている。
【彩音】「ここのパティシエールさん、芹沢雪冬(せりざわゆき)さんはまだ若いのですけれど、腕はいいですよ」
【直哉】「若いって…」
【彩音】「今年で19だそうです」
【直哉】「凄いな…」
【彩音】「はい…。はじめ聞いた時はびっくりしました」
…
……
………
【ウェイトレス】「お待たせいたしました。『センドマイハート』と『ホワイトチョコレートケーキ』になります」
【直哉】「ぉ…」
ただのクッキーと思ったが、全然違っていた。
綺麗に盛りつけられたそれは、お菓子…とう範囲を越えた…作品…。
【ウェイトレス】「遼風さん、ようこそ」
【彩音】「はい」
【直哉】「知り合いか?」
【彩音】「紹介しますね、ここの経営者で、パティシエールの芹沢雪冬さんです」
【ウェイトレス改め芹沢】「はじめまして。よろしくお願いします」
【直哉】「えっと、俺は居元直哉です。よろしくお願いします」
【彩音】「今日は、直哉先輩の誕生日なのです」
【芹沢】「それはそれは…。しばらくお待ち下さいね」
そういうと芹沢さんは店の奥に戻った。
【直哉】「それにしても…これ…食べるのがもったいないな…」
【彩音】「でも食べるからこそ、お菓子はこの世に生まれてきた意味があるのですよ。食べましょう」
【直哉】「あぁ」
【芹沢】「お待たせいたしました。こちらは当店からのプレゼントとなります」
【直哉】「いいんですか?」
【芹沢】「誕生日をお迎えした方には差し上げると言う私の信念ですから」
【直哉】「それでは…頂きます」
【芹沢】「あとで家で開けてくださいね」
【芹沢】「それではごゆっくり。二人の間に幸せな時間が流れる事を」
【彩音】「ありがとうございます」
そう言い残し、芹沢さんは戻る。
【彩音】「どうですか? お口に合いますか?」
【直哉】「あぁ。美味しいよ」
甘ったるいと思っていたがそうでもなった。
あっさりと浅く味付けされているクッキーは食べた後の後味もよく、甘味が舌に残らない。
今まで食べたクッキーの中では最高の味のような気がする。
たまには甘いものもいいかもな。
そう思った瞬間だった。
【彩音】「お口にあってよかったです」
【直哉】「ここなら毎日きても飽きない気がする」
【彩音】「よかったです」
…
……
………
楽しい時間は早く過ぎてしまう。
そう実感した。
既に夕日はなくなり、夜のとばりも降りている。
時間はそうでもないが、冬は日が落ちるのも早い。
あの後も注文を繰り返す俺達が居た。
個人的には『チョコレートムース』がお気に入りだったりする。
彩音との時間の共有は楽しい。
そう本気で実感した。
自分が満たされると言う感覚。
今まで味わった事がないこの感覚。
いつまでも忘れはしない。
いろいろ話した。
今までの事、これからの事。
音瀬とか…マスターの話。
茜や…中村先輩…。
そのすべてが楽しくて………。
この時間を止めてしまいたいと思った。
【芹沢】「ありがとうございました」
『俺が払うか?』と聞いたが、彩音は自分で払うといった。
結局彩音が払ってしまった。
『直哉先輩へのプレゼントなのに、どうして直哉先輩が払わないといけないのですか?』
一撃必殺だった。
…
……
………
誕生日はこうして過ぎていった。
【直哉】「しかし…本当にありがとうな」
【彩音】「いいんですよ。1年に一度しかないのですから」
【直哉】「でも…」
【彩音】「気にしないで下さい。私も楽しい時間をもらいましたから」
【直哉】「ありがとう、彩音」
【彩音】「どういたしまして」
【彩音】「それではあたしはここで」
【直哉】「あぁ。じゃあな」
【彩音】「それでは、また」
甘い時間は過ぎ去ったのだった。
…
……
………
昨日の事を思い出す。
そして…今までの事を思い出す。
出会い…は…突然だった。
彩音から話しかけられたところから始まる。
はじめは話しかけられる事が正直、うざかった。
でもだんだんと…話しかけられる事が楽しくなって…。
そして、自分から話しかけていた。
彼女の持つ雰囲気に惹かれてしまっていた。
そして、好きだと言う事に気づいてしまった。
人を好きになったと言う事に気がついてしまった。
告白………。
初雪の降った日。
まだ雪の積もっていないクリスマスツリーの前で俺はいった。
自分の本当の心を。
もう………嘘をつく事はいやだから。
もう………。
だけど………。
そろそろ限界のような気がする。
【直哉】「はぁ………」
彩音との今までの日々…楽しいことばかりだ…。
誕生日まで祝ってもらった…。
楽しい事がありすぎた。
だから………嫌な予感がするんだ…。
これ以上は…ボーダーラインを超えそうで…。
これ以上近づくともう…駄目な予感がするんだ…。
彩音との日々。
【直哉】「やっぱり…近づきすぎたな…」
勇気を出して…告白はしたけど…やっぱり…。
これ以上進める勇気がない。
ごめん…彩音…。
もう…会う事はやめるよ。
彩音の事を思うと………。
苦しめたくない。
好きな人………だから。
あれ以来好きになった人だから………。
だからこそ………失いたくない。
彩音が生きているからこそ、俺は彩音にあえる。
もし………これ以上俺が近づいたら………結末は1つしかない。
だから………。
………ごめん………彩音。
【茜】「そろそろ学食に行かない?」
【直哉】「そうだな。」
【茜】「うん。早めに行かないと場所を確保できないからね。」
【直哉】「ああ。じゃあ、行くとするかな。」
【茜】「直ちゃんは今日は何を食べるの?」
【直哉】「今日は、そうだなー、コーヒーランチかな。」
【茜】「また~。」
【直哉】「好きなものは仕方ないだろ。」
【茜】「栄養偏っちゃうよ。」
【直哉】「まぁ、そう言わないで。」
【茜】「だって、家でも軽食だけだし。」
【直哉】「それ以外作るのが面倒くさいし。」
【茜】「そんなんじゃ体がもたないよ。」
【直哉】「そうか…」
【茜】「うん。そんな事じゃいつ倒れても不思議じゃないよ。」
【直哉】「それは嫌だな。解ったよ。気をつけよう。」
【茜】「口約束は信用無いけど…いいよ。」
【直哉】「じゃあ、行くか。」
【茜】「うん。」
【茜】「あれ? 今日は図書館寄らないんだ」
玄関で茜に会う。
【直哉】「まぁ、今日は少し用事があるからな」
【茜】「そうなんだ、それじゃあ、一緒に帰ろう」
【直哉】「あぁ」
【茜】「直ちゃん!!」
【直哉】「ああ。解っている。」
【茜】「早くしないと遅刻しちゃうよ。」
【直哉】「そうせかすな。」
【茜】「急いでね。」
【直哉】「今日は結構遅く来たな。」
【茜】「うん。ちょっと、朝起きるのが遅くなってね。」
【直哉】「なるほどね。」
【茜】「ほらほら!早く。」
【直哉】「だからせかすな。」
【茜】「だって…」
【直哉】「ほい。出来たぞ。」
【茜】「じゃあ、学校に行こう。」
【直哉】「ああ。」
【茜】「今日は走らないと間に合わないね。」
【直哉】「はぁ~…」
今日は朝一番でダッシュする羽目になった。
【茜】「最近、元気無いよ」
【直哉】「まぁ…な…、テストも近いし…」
【茜】「そういえば、そうだね」
【直哉】「テスト前にいきなり元気になる奴は怖いと思うけど」
【茜】「それもそうだね」
【直哉】「それとも、『今日は学校だ。ひゃっほー! いぇーい!!』とか叫びながら学校に来て欲しいか?」
と、言いながらくるっと1回転する。
【茜】「それだけはやめて…」
【直哉】「だろ?」
【直哉】「さて、それじゃあ帰るか」
【茜】「うん」
【直哉】「茜は…用事があるらしいし…帰るか」
鞄に道具を詰め、俺は教室を出た。
途中クラスの奴らにさよならを言われ、なんの違和感も無く相槌を打った。
…
……
………
【直哉】「はぁ…」
俺は何をやっているんだろうな。
自分の好きな人を自ら拒絶して…。
全く…らしくないよな。
こう言う時は…期分転換だよな…。
俺はいつもと少しだけ帰る道を変えた。
…
……
………
『カランカラン』
乾いた音と共に俺は店の中に入る。
【マスター】「いらっしゃい」
【奥さん】「いらっしゃいませ」
【直哉】「どうも」
【マスター】「おや、お久しぶりですね…」
訝しげにマスターが俺の顔を覗き込んでくる。
【直哉】「俺の顔に何かついてますか?」
【マスター】「お客さん…。こちらにきて、珈琲を淹れて見ないかね?」
【直哉】「俺が? ですか?」
【マスター】「他に誰が居ると言うのだね。さぁ、こっちにきて頂けるかな?」
【マスター】「どうせ、今はお客さんしか居ないのですから」
俺はマスターに促されるまま、店のカウンターに立った。
【マスター】「豆は、『モカ』を使って下さい。あとはお客さんが淹れたい様に淹れて頂ければよろしいです」
【直哉】「はい…」
一体なんだろうか?
珈琲か…。
文化祭の時、マスターにいれて以来、マスターに自分の珈琲を飲ませる事はなかった。
…やるか…。
【直哉】「………」
俺はいつも家でやる時とは少し勝手の違う事に悩まされながらも、いつも通りに珈琲をいれていく。
いつも店の中で流れているおしゃれな音楽もいまの俺には聞こえない…。
【直哉】「…」
あらかじめ蒸留された水を加熱し、沸騰させる。
火を止め、95度まで冷ます。
あらかじめ温めておいたカップにじっくりと入れた珈琲を注いでいく。
…
……
………
【直哉】「…」
一呼吸置いて俺は顔を上げた。
マスターの動きを思い出し、棚から必要なものを取り出していく。
トレイの上にカップとティースプーン、シュガーポットとクリーマーを乗せ手に持つ。
マスターは右利き…持ち手が右になるようにカップをテーブルに載せ、ティースプーンを手前に添える。
普段ブラックを飲むマスターに、砂糖やミルクはいらない。
だが、一つの常識…として俺は、シュガーポットとクリーマーをテーブルの上に載せた。
そして、最後に一言。
【直哉】「お待たせしました」
マスターがカップを手に取った。
当たり前のようなその動作にも俺は緊張していた。
香りを味わい、色を見る。
ズズ………と空気を含みながら珈琲を飲み、舌の上で広げていく。
ワインのティスティングは有名だが、珈琲のティスティングは知らない人も多い。
マスターはこなれた動作でその一連の儀式を終えた。
【マスター】「………」
俺は自ら聞くことなく、マスターが感想を言うのを待っている。
【マスター】「ふむ…。悩み事を抱えているな」
【直哉】「えっ?」
【マスター】「しかも…大きな悩み事…。1人では解決できないような悩み…」
【直哉】「………」
【マスター】「全てのものにおいてそうだが…、人が作るものには必ずその人の心が表れる」
【マスター】「それが、食べ物であっても、絵であっても、小説であっても…」
【マスター】「人間が作り出したものは、そのひとの鏡なんだよ」
【マスター】「そして、この珈琲には言い知れぬ悩みと不安が入り混じっている」
【直哉】「そうですか…」
【マスター】「ここ1ヶ月…楽しかったよ。お客さんの成長ぶりが見られて」
【マスター】「人間は成長する生き物だ。特にお客さん…貴方の成長ぶりは目を見張るものがある」
【直哉】「……」
【マスター】「見ていて楽しかったよ。そして…今を乗り越えれば、お客さんはまた1つ大きくなる。自信と共に…」
【マスター】「だから…大切にしろよ。女の子の事を」
【直哉】「どうして…それを?」
【マスター】「ふははは。人間は亀の甲より年の功じゃからな。お客さんは顔に出すぎるし珈琲にも出すぎる…。感性が豊かなのか…感受性が強いのか………これほどまで味に出る人は珍しい…。あっ、誉めてるんだよ」
【マスター】「望むなら、望むどおりしてあげるがいい。その人が望んだ事は、その人にとっての幸せなのだからな」
【直哉】「はい」
【マスター】「今日は私の奢りだ。ランチメニューもつけてやるよ」
【直哉】「いいんですか?」
【マスター】「私は、マスター。この店で私に逆らえる人は居ない」
【直哉】「はい」
【奥さん】「何でも頼んでくださいね」
【マスター】「そうそう」
【直哉】「ありがとうございます」
なにげない優しさ。
マスターや奥さんと知り合ってからそんなにまだ時間は経っていない。
茜との付き合いの方が長い。
でも…そんなマスターにすら俺の成長…そして…迷いがわかってしまった。
茜にも…わかっているのだろう…。
それほどまで俺は今悩んでいるのだろうか…。
考えるまでも無い。
悩んでいるんだ。
自分の想いと…それによってもたされる悲劇に…。
彩音を守りたい…。
でも…守れば守るほど二人の距離は縮まり、そしてそれは終焉しかもたらさない。
…
……
………
体にだるさを感じながらも、俺はベッドから起きあがった。
ゆっくりと階段を降り、リビングへ入った。
【直哉】「…」
今日は…出たくない…。
なんか…そんな気分だ。
家を出ると…彩音に会いそうで…。
彩音に出会ってしまいそうで…。
そして…それが崩壊の始まりの予感がして…。
だから…俺は出会っちゃ行けない。
【直哉】「大人しくしていよう…。それが1番の得策だから」
…
……
………